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これは、近所の本屋に積んであるのを見つけて、ぱらぱらと目を通し、思わずそのまま買った本です。
http://www.kkbooks.jp/book-all/dfgaag094358/
タイトルだけ見れば、岩波新書に並べてもいい介護労働問題を論じた本に見えますが、いやまさにそういう問題を論じているんですが、でもその突っ込み具合が、岩波新書や中公新書とはだいぶ違う。
それはこの著者名を見てぴんと来る人もいるでしょう。『名前のない女たち』『職業としてのAV女優』『デフレ化するセックス』といった性ビジネスの底辺を丁寧にルポしてきた中村氏が書いているのですから。
超高齢化社会を目前に控え、介護事業は圧倒的な需要がある成長産業といえよう。
ただ、今の介護現場は危険すぎる。「低賃金」や「重労働」といったよくあるネガティブ要因だけではない。
高い離職率に、急増する介護職員の暴行事件、貧困によって売春市場に流れた介護ヘルパー、宗教的介護施設の乱立……
いったい介護の現場で何が起こっているのか?
本書では、急増する介護現場での事件、著者が経験した困難の一部、介護人材の実態を報告しながら、破たん寸前の介護現場の現状を紐解いていく。
ノンフィクションライターの中村淳彦氏があぶりだす驚愕の真実とは……?
「著者が経験した」というのは、経営者としてなんですね。「はじめに」の冒頭で、中村氏が「2008年からデイサービスを立ち上げ、経営者兼介護職員として数年間関わっている」とあります。
その意味でこの本は、介護事業者・労働者でもあるライターによるこれ以上ない参与観察の本かも知れません。
目次は
序章 壊れかけの介護業界
第一章 介護労働者、五〇人に一人がサイコパス?!
第二章 売春する介護職員
第三章 介護労働は社会から外れた人の受け皿
第四章 夢喰いが牛耳る介護業界の闇
ですが、たとえば第2章の最初の方の小見出しを並べると、
AVモデルの25%が現役介護職員のA社
セーフティネットとしての売春業界
介護は波瀾万丈な人生を送る人の受け皿
パンツを売る女性介護職員・・・
という調子です。
最後の第4章は、
介護施設に圧倒的に多い宗教的組織
徹底した理念研修から生まれた過重労働
重大事故が連続するワタミの介護
介護業界のカリスマたちの下半身の現実
社会で支える介護保険制度と低賃金問題・・・
こないだ来た『POSSE』20号の記事とも交錯しますね。
労務屋さんがこんなエントリを書いておられたのですが・・・、
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130924#p1(六本木ヒルズ特区のすすめ)
・・・最後に私の意見を書きますと、やり方は十分考える必要がありそうですが、やってみる価値は十分にあると思いますし、たぶん厚労省にとっても悪い話にはならないだろうとも思っています。
私は以前「六本木ヒルズ特区」をやれ、と提案したことがあります。意外にもこのブログではまだ書いていないようですが、いくつかのセミナーなどでしゃべりましたのでご記憶の方もいるかと思います。国家戦略特区は範囲が広すぎるので、それこそ六本木ヒルズとか、広くても臨海副都心のあるエリアとかに限定して、大幅に労働規制を緩和するわけです。もちろん規制緩和が適用されるのは新規に特区内で雇用された人に限ります(それをやらないと特区に転勤させて首切りとかいうのが出てきそうなので)。そうやって規模を限定したうえで、実験的にやってみる。もし労働規制が原因で外資や起業が少ないというのなら、こうした特区には生産性と付加価値の高い外資やベンチャー企業が集積し、「交渉力の比較的高い労働者」が集まってきて、大いに活況を呈するはずです。
とりあえず価値判断抜きに、客観的に何が起こるかを予測するとですね、
そういう「とても優秀で自力で戦える」たぐいの高給取りの強い労働者は、雇用契約に書いてあるとおりの理由でクビにされたって、絶対にはいわかりましたなんて引き下がりませんから。
まずは同じ六本木ヒルズか、近場の泉ガーデンあたりの超優秀な弁護士をそろえたローファームに行って、準備万端不当解雇で訴えるに決まってます。
解雇特区なんていうこけおどしに引き下がるのは、法律の構造をよく知らない素人。玄人であれば当然、「特区ごときで民法1条3項の権利濫用法理が適用除外できるはずがない」という当然の理路を繰り出すし、裁判官も当然その上で審理する。
まあ、なんだかんだで相当の金をふんだくって解決ということになるでしょう。絶対にあり得ないのは、特区をやりたがっている人が望んでいる泣き寝入りという選択肢。
泣き寝入りするのは、同じ六本木ヒルズの中にあるお店やレストランの下働きの労働者だけということになりそうです。そんな馬鹿高い弁護士費用なんて払えませんからね。
で、単身あっせんに行っても、契約に書いてあるからという裁判所では通用しない理屈で相手側不参加でおしまい。
これは、特区の範囲が六本木ヒルズであろうが、港区であろうが、東京都であろうが、本質的に変わらないはず。
(追記)
労務屋さんから反論(?)をいただきましたが、
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20131001#p1
まあ、費用+機会費用ととれそうな金額の見合いなんでしょうが、実は裁判やった実例を聞いたりしているものですから・・・
遠藤公嗣編著『同一価値労働同一賃金をめざす職務評価 官製ワーキングプアの解消』(旬報社)をいただきました。
http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/866
あれ?「お送り頂きました」じゃないの?
お送り頂いたんじゃないんです。
JILPTの山崎憲さん経由で手渡しで頂きました。山崎さん、例のアメリカの新しい労働組織の研究の関係で遠藤さんと密接ですからね。
同等の仕事に、同等の賃金を!
激増する非正規 公務員。その賃金は適正なのか? 性差・雇用形態などによる差別を排除して仕事の中身を評価し、「同一価値労働同一賃金」の実現をめざす。均等待遇実現のための実践的ノウハウをすべて公開!第一章 職場と職員
第二章 実施した職務評価システム
第三章 システム設計の創意工夫
第四章 職務評価からの提案と分析
実施マニュアル―簡単に取り組める「職務評価」
付録1)「職務評価ファクター説明書」
付録2)「職務評価質問票」
付録3)「賃金労働時間調査票」
遠藤さんらの問題意識は、本ブログでも今まで何回か紹介してきていますが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-fb9e.html(『同一価値労働同一賃金原則の実施システム 公平な賃金の実現に向けて』)
今回の本は、自治労の協力の下、50万都市のA市の4職場(税制課、男女共同参画課中央図書館、市立保育園)に対して、大変詳細なインタビュー形式によって、一人一人の職務の職務評価を試みた記録です。このために作成された「職務評価ファクター」と「職務評価質問票」が巻末についていて、これが遠藤さんの「売りポイント」のようです。
もはや評論の時期ではない、実践の時期だ!という遠藤さんの気持ちがよく伝わってくる本ではあります。
ただ、遠藤さん自身が「むすびに」で述べているように、このメンバーシップ型に確立した日本の労働社会では、職務(ジョブ)が確立していることを前提にして、その値打ちをどう評価するかが問題になる欧米社会とはあまりにも前提条件が隔たっているのも事実です。
一人一人がジョブというレッテルをぶら下げていることを前提に、そのレッテル相互間の値段付けをどうするかが問題になるから、職務評価が労使間の重要な交渉事項になったり、ヘイみたいなビジネスの商売ネタになったりするわけですが、そもそも日本では誰もそういうレッテルをぶら下げていない。
そして非正規は多くの場合事実上職務が固定しているけれど、正社員はそもそも何でもやる前提で雇われ、年功と人間力で値段付けがされるので、職務評価というコンセプトを理解するには何段階も落差があります。
この本は、そこを自治労の力で正規非正規を通じる形でやり抜いたわけですが、ではそれで賃金決定するかという話になれば、当局側がどうこう言う以前に、正規職員側が「それはたまたまそこに配置されたからやってるだけなのに」となってしまう。ものすごい難しい問題がまだまだ山積みです。
まあ、とはいえ、こういうジョブ型の世界があるということ、いやむしろ、日本以外ではこっちの方が当たり前だということを、圧倒的に多くの人が知らない、それも口先ではメンバーシップ型を奴隷制だのなんだのと批判するような手合いに限って一番わかっていないという現代日本の惨状を考えれば、そういう一知半解組に目の敵にされている筆頭選手の自治労が、まさにガラパゴスから脱却して、グローバルスタンダードに近い方向に向かおうという意思を示しているという点に、ジョブ型労働社会に向かう細い道筋がかろうじて見えているのかも知れません。
それはともかく、こういう話になれば、歴史派の私としては、いやまさにかつては日本政府自身が、そういう方向の政策を一生懸命やっていたんだよ、といういつもの話につなげておかないといけませんね。これは、職務評価が可能になる土俵作りとしての職務分析の話です。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2012/09/pdf/026-033.pdf(雇用ミスマッチと法政策)
Ⅲ ジョブ型労働政策の時代─職務分析
自分の生きた時代しか目に入らない人々にとっては,日本の労働政策は一貫してこのような大企業正社員型モデルを望ましいものとみなし,雇用維持や企業内教育訓練の推進に注力してきたと見えるであろうが,若干時間軸に沿って過去に遡ってものごとを観察するならば,必ずしもそうとばかりは言えない事実を幾つも発見することができる。むしろ,終戦直後に典型的なジョブ型モデルを前提に作られた諸法律の下で,日本の労働政策は60 年代までは極めて素直にジョブ型の構造を示していた。
まず何よりもジョブ型行政の名にふさわしいのは,職業安定法第15 条2 項に基づく職務分析であろう。同項は「職業安定局長は,公共職業安定所に共通して使用されるべき標準職業名を定め,職業解説及び職業分類表を作成しなければならない。」と規定していた(現在も若干の字句修正はあるがほぼこの形で規定は存在する)。同法の解説書によれば,「職業解説」とはいわゆる職務分析のことで,観察と調査とによって職務の内容をなす作業の全体,その職務に課せられた責任,その職務を一人前に遂行するに必要な経験,技能,知識等の精神的肉体的能力のほか,その職務が他のいかなる職務からも区別される要因を明らかにすることである1)。
労働省は1948 年からアメリカ労働省方式に基づいて職務分析を開始し,その結果を職務解説書として職種ごとに取りまとめていき,1961 年までに全173 集を作成した。そこで解説された職務の数は8500 に上る。その分量が膨大であるため,これを一冊に取りまとめた『職業辞典』が1953年に作成された。
なぜ国が職務分析をしなければならないのか,現代人にはもはや素直に理解することが難しくなっていると思われるが,それは上記職業安定法第5 条の7 が規定する「適格紹介の原則」が,なによりもまず職務単位での求人と求職者との「適格」さを念頭においたものであり,それゆえに職業紹介を行う職員に必要なのはそれが適格であるか否かを判断しうるだけの当該職務に関する知識であったからである。
世の中には、メンバーシップ型正社員の在り方を賞賛する議論に疑問を呈し、ジョブ型正社員というコンセプトを提示している当の人間たちに対して、「メンバーシップ型を美化」などと、当の本を読んだ人ならみんな首をかしげるような見当外れの罵言を弄することを生計の道にしている手合もいるようですが、いうまでもなく、言葉の正確な意味で「メンバーシップ型」を礼賛しているのは、こういう議論でしょう。
規制改革会議の雇用ワーキンググループの9月25日の会合に出されたこのペーパーには、
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg2/koyo/130925/item2.pdf(雇用WG の進め方について 労働時間等について)
1:健全な雇用・労働環境をつくるために必要な改革は何か
長時間労働など、働き手が健全な労働を提供できない悪質な環境をつくらないために労働者を守ることは大変重要である。しかし一方で、「使われている」発想でなく、チームメンバーの一人として「貢献している」という発想で働いている多くの人たちが、積極的かつ能動的に働くことができるように必要な規制改革をしていきたい。
いや、これはこれで一つの筋の通った考え方です。
というか、まさに今までの日本型雇用システムが(実定法たる労働基準法の精神に反して)現実社会で実行してきた労働のありようそのものというべきでしょう。
まさに、労務と報酬の交換契約という民法の発想に則った「使われている」発想でなく、
本来株主であるはずの「社員」という名の「チームメンバーの一人として「貢献している」という発想で働いて」きたのが、
欧米の正規労働者とは全く異なる特殊日本型正社員であったわけですから。
そして、そういう「「使われている」発想でなく、チームメンバーの一人として「貢献している」という発想で働いている」ことこそが、「積極的かつ能動的に働くことができる」ことを通じて、日本のすばらしい競争力の源泉になっていると、多くの経済学者たちが口々に褒め称えていたわけですよ。
もちろんそれはそういうすばらしい光の面もあったのは事実です。と同時に、すべてのものには光と影があるわけで、その影の面こそが、「長時間労働など、働き手が健全な労働を提供できない悪質な環境」を生み出すもとであったということもまた事実であるわけです。
問題構造は少なくともこれくらい腑分けして議論しなければなりません。
そう、労働時間に関する限り、今問題になっているのは、まさにこの規制改革会議委員の方が言う「、「使われている」発想でなく、チームメンバーの一人として「貢献している」という発想で働いている多くの人たちが、積極的かつ能動的に働くことができるように必要な規制改革」が事実上実行されてきたことが、いやもっとはっきり言えば、労働基準法に規定されているはずの物理的労働時間規制がほとんど残骸もとどめないほど規制緩和され尽くして、あとに残るのは残業代規制だけという状況になってきたことが、それでいいの?という疑問を提起しているということなのではないでしょうか。
かくも話が見事に180度ねじれてしまっている状況下で、さて何をどのように話していったら話が通じるのか、なかなか難しいですね。
日経Bizアカデミー「BizCollege」に連載されている「「3冊だけ」で仕事術向上! ――奥野宣之「ビジネス書、徹底比較レビュー」」に、拙著『若者と労働』を含む3冊が取り上げられています。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20130924/366427/?ST=career&P=1(「ブラック企業」を過去に葬ろう ――過渡期の雇用環境を生き抜くための3冊)
取り上げられているのは、まずは今野晴貴さんのベストセラー『ブラック企業』です。
「若者の立場から、個々のブラック企業を告発する本」と思われがちだがそうではない。サブタイトル「日本を食いつぶす妖怪」の通り、著者のメッセージは、若者が声を上げることでブラック企業をまともな企業に変えていこう、労働者の力で働き方は変えることができる、ということだ。このあたり、慎重に読んでほしい。
そしていろいろと説明した上で、
ところで、この平和な日本に、なぜこのようなクレイジーな組織ができてしまうのか?
と問いかけ、拙著に移ります。
続いての『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』にそのヒントがある。
本書は、日本の労働社会の成り立ちや若年者の雇用問題を一から解説していく、という非常に手の込んだものだ。著者は労働省出身で、現在は独立行政法人で労働政策を研究する濱口桂一郎氏。「上の世代はずるい!」「若者は我慢が足りない!」という具合に、感情的になりがちな論説とは一線を画し、データを淡々と積み重ねて、岐路に立つ「日本型雇用」の姿を浮き彫りにしていく。
全編を通じて、軸になっているものに欧米式の「ジョブ型雇用」と日本独自の「メンバーシップ型雇用」との対比がある。
ここのところで、奥野さんは私の長い説明をこう端的にまとめてくれています。
●ジョブ型の場合
労働者「コレができます」
会社「じゃあコレだけ給料を払うよ」●メンバーシップ型の場合
労働者「すべてを捧げます!」
会社「一生面倒見てやる!」●ブラック企業の場合
労働者「採用して下さい」
会社「じゃあすべてを捧げろ!」
労働者「いつか報われるんですよね?」
会社「もちろん!(嘘)」
そして最後に森岡孝二さんの『就職とは何か』
日本では、なぜ長時間労働が「当たり前」なのか。
本書を読んでわかるのは、その原因が、一般的に思われているような日本人の勤勉さや企業文化だけではなく、法や制度といったシステムにあるということだ。
それぞれの紹介の仕方も的確で、とてもよい書評です。
(追記)
と書評されたら、またもamazonで在庫切れから絶版扱いになったようです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4121504658
リアル書店には置いてありますので・・・。
まだ大原社研のHPにアップされていませんが、法政大学大原社会問題研究所の『大原社会問題研究所雑誌』2013年9・10月号(659・660号)に、わたくしの書いた安周永『日韓企業主義的雇用政策の分岐 権力資源動員論からみた労働組合の戦略』の書評が載っております。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/659-660/index.html
この本については、版元のミネルヴァ書房の説明を引きますと、
http://www.minervashobo.co.jp/book/b108030.html
雇用政策の相違はなぜ生じたのか。
長期雇用、年功賃金制度、企業内職業訓練制度という日本と韓国の雇用慣行が崩れている。こうした雇用慣行の変化にあたって、どのような政策が実施されているのか。本書は、日韓の雇用政策の変化を労働組合の在り方に求め、今後の日本の労働政治の方向性を探る。
ということで、
序 章 日本と韓国における雇用政策の相違とは
第1章 分析枠組の設定
第2章 政治経済的構造と経済政策の相違
第3章 アクター間の対立と労働組合の戦略
第4章 労働者派遣法の改正
第5章 非正規労働者の差別禁止に関する法規制
第6章 雇用保険法の改正
第7章 外国人労働者政策の変化
終 章 新たな労働政治に向けて
といった分野ごとに、その政治過程を細かく比較分析しています。
労働政策の政治過程論という、ほとんど手が付けられていない領域に、しかも比較分析で斬り込んだ意欲作です。
わたくしの書評は、日本の労働法政策について詳しく見てきた立場から、やや小姑的な因縁を付けてまで批判しているところもありますが、こういう新たな学問分野を切り開く上では、表面的に褒めてるだけではよくないという思いからですので、ご容赦たわまればと存じます。
ちなみに、同誌同号の特集は「ポスト震災を生き抜く」というシンポジウムの記録で、宮本太郎、神谷秀美、開沼博、杉田敦、保井美樹といった方々が出ています。
また、中野麻美さんの「雇用格差-その現在と未来」という講演録もあり、全体として極めて的確な認識を示していると思います。なお、中野さんが語っている「労務供給の多様化研究会」には、わたくしも呼ばれて喋ったことがあります。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-55bd.html(派遣の話)
日付が変わって今帰ったところですが、昨日、都内某所で某々な人々に派遣の話をし、その後様々な話をして参りました。
それ以上は、関係の方々に聞いてくださいね。
本日の朝日新聞の社説が、例の解雇特区について、極めて的確でかつ過不足のない評価を下しています。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1(解雇特例特区―あまりに乱暴な提案だ)
いくら「特区」だからといって、雇い主の権利の乱用は認められない。
政府の産業競争力会議で、解雇や労働時間などの規制を緩和した特区をつくる提案があり、安倍首相が厚生労働省に検討を指示した。
特区内にある開業5年以内の事業所や、外国人社員が3割以上いる事業所への適用を想定しているという。
特に問題なのは、解雇規制の緩和だ。
現行ルールでも、企業には従業員を解雇する権利がある。ただし労働契約法16条で、その解雇が「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」は権利の乱用になり無効としている。
今回の提案は、ここに特例を設け、「特区内で定めるガイドラインに適合する契約に基づいていれば、解雇は有効」と規定するという。
解雇へのハードルが下がり、トラブルも防げるので、企業が多くの人を雇ったり、高い給料を払ったりできるようになる。そんな主張である。
雇用契約に、解雇の要件を明確に記すこと自体は、推進すべきことだ。
だが、実際に解雇が正当かどうかでもめた場合、契約の文言だけでなく、働かせ方の実態をみて判断するしかない。
社員の成果の測り方ひとつとっても、業務に必要な資源や環境を与えられていたかどうかに左右されるはずだ。
競争力会議側は、仮に裁判になった場合、契約を優先させるよう求めているが、あまりに乱暴な議論だろう。今回の提案は企業側が一方的にリスクを減らすだけではないか。
日本で正社員の解雇が難しいといわれるのは、ある仕事がなくなっても、従事していた人をすぐに解雇せず、他にできる仕事がないか探す義務が企業側にあるとされるからだ。
ただ、それは「辞令一本で、どこででも、なんでも、いつまでも」という無限定な働かせ方と表裏一体の関係にある。
そこで、仕事の内容を具体的に決め、さらに解雇が有効になる判断基準について労使と司法のコンセンサスをつくろう。最終的には、立法や通達で明確にしよう――。
政府の規制改革会議の雇用ワーキンググループは今年5月末にこんな提案をした。ただし、それが実現しても権利の乱用は認められないことを確認することも忘れなかった。
こちらの方がはるかに建設的な提言ではないだろうか。
ただ、解雇特区がむちゃくちゃであるというだけでなく、まっとうな規制改革会議の提案と対比させることで、労働問題の筋道がちゃんとわかっていることが伝わってくる、出色の社説と言えるでしょう。
他紙の社説子諸氏も、朝日に負けないようにちゃんと勉強しましょうね。
(追記)
『日本の雇用終了』の著者に向かって、こういう寝言を口走る人も・・・。
https://twitter.com/Gigokujizo/status/383444334177046528
寝言。ハイリスク、ハイリターンの限定実験なんだからやってみればいい。そもそも、解雇規制なんて大企業でしか実施されてないのを知らんのだろ。 / “解雇特例特区―あまりに乱暴な提案だ@朝日社説: hamachanブログ(EU労働法政策…”
http://www.npoposse.jp/magazine/no20.html
特集の「安倍政権はブラック企業を止められるか?」は、今野晴貴、木下武男(2回登場)、熊沢誠、脇田滋といった各氏の論考に加えて、これは絶対見逃せない、規制改革会議雇用WGの鶴光太郎氏と今野さんの対談「労働改革の「本音」はなにか?」が必読です。
最近、今野さん始めとするPOSSEの人たちに対する、自称日本型雇用批判派の面々による誹謗中傷(私には前からですが)が繰り返されているようですが、とかくうかつな人々が、そういう日本型雇用批判という名目で欧米で普通のまともな労働者保護すらも敵視する連中と一緒くたにしがちな鶴さんらの発想が、実は極めてまっとうであることを、この対談を読まれるとよく理解することができると思います。
逆に言うと、日本型雇用を断固護持する以外に労働者保護を考えることができない人々の存在が、ある種の連中の言説をはびこらせる絶好の土壌を培養しているということもできるでしょう。
その次の「雇用改革テーマ解説」では、私も「ジョブ型正社員は解雇自由の陰謀か?」を書いています。
「厚生労働省の「ブラック企業対策」を生かすために」 今野晴貴(NPO法人POSSE代表)
「安倍「労働改革」の目的と方法、その結果――日本版「労働力流動化」か、労働市場政策か」 木下武男(昭和女子大学特任教授)
「限定正社員をめぐる状況と労働組合のアジェンダ」 熊沢誠(甲南大学名誉教授)
「規制改革会議での限定正社員論とは」 脇田滋(龍谷大学教授)
「限定・無限定正社員問題と労働運動の課題」 木下武男(昭和女子大学特任教授)
「労働改革の「本音」はなにか?」 鶴光太郎(慶應義塾大学大学院教授)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)
「「ジョブ型正社員」は解雇自由の陰謀か?」 濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員)
「ホワイトカラー・エグゼンプションないし裁量労働制拡大の目論見」 渡辺輝人(弁護士)
「労働者派遣の問題点と法改正議論の動向」 塩見卓也(弁護士)
「残業代不払の温床――「管理監督者」制度」 佐々木亮(弁護士)
「「高度外国人材」とは誰か」 五十嵐泰正(筑波大学大学院准教授)
さて、今号は第20号という区切りのいい号ということもあって、
雑誌『POSSE』5周年記念企画対談
「日本の労働問題と共に変わりつづけた5年間」
今野晴貴(NPO法人POSSE代表)×坂倉昇平(雑誌『POSSE』編集長)
というのが載っています。
それを読んでいくと
今野:しかし、最初の頃は『POSSE』はボロクソに叩かれましたね。・・・
坂倉:ネット上で当初から応援してくれてたのって、いまは本誌の常連でもある濱口桂一郎さんぐらいでしょうか。・・・
というやりとりが出てきて、あれ、そんなことあったっけ?と一瞬思いました。
このあたりですかね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/posse.html(POSSE)
『POSSE』という雑誌の創刊号をお送りいただきました。「新たなヴィジョンを拓く労働問題総合誌」ということです。
昔は労働問題の雑誌というのは結構たくさんあったものですが、今はずいぶん少なくなってしまいました。特に、JILPTの雑誌とか、労働法の専門誌とかでない、運動系の労働問題雑誌というのはとんと見ません。そういう意味では、こういう取組は大変いいことでしょうね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/poss-f74c.html(『POSSE』第2号)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/posse-207e.html(POSSE第3号)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/posse-fb68.html(『POSSE』第4号)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/posse-f863.html(『POSSE』第4号つづき)
『日本労働研究雑誌』の10月号は「人材育成とキャリア開発」が特集ですが、
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/
ここでは巻末のベタ記事的な紹介記事を紹介しておきたいと思います。
いやいやブルデュー社会学をそう使うか、という意味で。
論文Today
「従業員を「スピリチュアルに」管理するとはいかなることか──ブルデューの「象徴暴力」概念に依拠した理論的研究」
小川 豊武(東京大学大学院学際情報学府博士課程)
ここで紹介されているのは、Kamoche とPinningtonの「Managing People 'Spiritually' : A Bourdieusian Critique」という論文です。
従業員が仕事にやりがいや「意味」を見いだすように組織管理するという話は、日本でも「やりがいの搾取」とかいう話とつながりますが、ここではブルデューの「象徴暴力」という概念に注目して分析しているようです。
いまから5年前、OECDのアクティベーション政策レビューの調査チームの皆さんが来日し、わたくしからご説明したことがありますが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/oecd-dd50.html(OECDアクティベーション政策レビュー)
本日、再びOECDの調査チームに説明する機会がありました。今回のテーマ別レビューは「displaced workers」(失職者)です。
今日のお二人のうち、シュルティ・シンさんは、5年前のアクティベーション政策レビューの時にもお会いしていました。
アクティベーションについてはその後報告書にまとめられ、わたくしの翻訳によって日本でも出版されていますが、
http://www.akashi.co.jp/book/b82108.html
今回のレビュー結果もそのうちとりまとめられ、邦訳されることになるのでしょう。だいぶ先ですが。
アクティベーションのときと同様、欧米における「失職」と日本における文脈の違いを再三強調してきました。
日本の労働社会における「失職」 2013/09/25
1 労働社会の文脈
・日本の労働社会は、OECDの本プロジェクトが前提としているものとは異なる。
・労働社会の主流(大企業や中堅企業の正社員が中心)は、雇用関係が「職(job)」に立脚したものではなく、「社員であること(membership)」に立脚している。雇用契約は「空白の石版」であり、企業の命令に従ってさまざまな「職」を遂行する。
・それゆえ教育から労働への移行は、「就職(job placement)」ではなく「入社(inclusion into membership)」である。
・従って経済的理由による解雇は「失職(job displacement)」としてではなく「社員であることからの排除(exclusion from membership)」として現れる。(補足的説明)
・日本にも医師や運転手のように、「職」に立脚した労働社会は存在する。しかしそれらは少数派である。また、中小零細企業ではメンバーシップ性は次第に希薄になる。
・両者の対比は企業譲渡の際に明確になる。EU指令では職に伴って企業を移転することが基本ルールだが、日本ではそれが反発を呼ぶ(日本IBM事件)。2 メンバーシップ型社会の景気変動への対応方法
・日本も市場経済であり、景気変動があり、また産業構造の変動によっても、個々の「職」に対する労働需要は変動する。
・しかし、雇用関係が「職」に基づいていないので、ある「職」の喪失は必ずしも雇用関係の終了の理由にならない。企業内に他に可能な「職」があれば配置転換により雇用関係を維持することがルールである。(同一ないし類似の「職」に限らない。工場生産工程→営業というケースも多く見られる)
・これは、日本の裁判所の判例法理においても、整理解雇法理における解雇回避努力義務の一つとして認められている。
・後述のように、日本政府(労働行政)も1970年代半ば以降、雇用維持を最優先とする雇用政策を進めてきた。
・これは「失職」の社会的苦痛を減らすという意味では一定の意義を有する。
・しかし逆に言えば、やむを得ず行われる経済的理由による解雇が(自己の責任によらない)「失職」ではなく、企業内に遂行しうるいかなる「職」もないゆえの「会社からの排除」として、社会的スティグマを付与されてしまうことをも意味する。(剰員整理解雇が能力不足による解雇として現れる)
・このことがさらに剰員整理解雇への抑制効果として働き、大企業になればなるほど、雇用を縮小せざるを得ない場合でも、できるだけ解雇という形をとらないで、希望退職募集を通じて剰員整理しようとする。3 景気変動の緩衝材としての非正規労働とその性格変化
・避けられない景気変動から「社員であること」を保護するための仕組みとしては、時間外労働の削減、配置転換のような内部的柔軟性とともに、労働力そのものを減らす外部的柔軟性も必要となるが、日本ではその役割が主として非正規労働者(パートタイム、有期、派遣等)に与えられてきた。
・これは労働市場における差別といえるが、マクロ社会的には近年まであまり問題とされなかった。
・その理由は、非正規労働者の大部分が家庭の主婦や学生など家計補助的に就労する者であり、不況時には労働市場から撤退して、(上記雇用維持政策により)「社員であること」を保護される家計維持的労働者の扶養家族として生活することができたからである。
・このため、不況期には非正規労働者の雇用終了は多く発生しても、その多くは非労働力化し、直ちに失業率の上昇をもたらすことはなかった。
・しかし、1990年代以降、若者を中心に家計維持的な非正規労働者が増加していき、2000年代には彼らが次第に年長になりつつあった(非正規労働者の壮年化)。
・2008年のリーマンショックによって多くの非正規労働者が雇用終了されたときには、そのかなりの部分が失業者としてあふれ出し、政策対応を要請することとなった。4 メンバーシップ型社会を前提とした「雇用維持」政策
・「職」に基づく社会であっても、とりわけ循環的景気変動に対してはできるだけ「失職」を避け、雇用を維持することを政策として志向することは多い。とりわけ独仏など大陸欧州諸国ではそうである。その場合、操業短縮などによるワークシェアリングが用いられる。
・日本では1975年に雇用調整給付金が設けられ、景気変動や産業構造変化により事業活動が縮小する企業が雇用を維持する場合にその賃金の一定割合を助成することとされた。この制度の源流はドイツの操短手当(1969年)である。
・1970年代後半以降、日本の雇用政策は雇用調整助成金による雇用維持を最重要課題として運営されてきた。そのこと自体は必ずしも問題とは言えない。しかし、「職」に基づかない社会における雇用維持優先政策は、「社員であること」を維持するために「職」を軽視する傾向を生みがちである。
・日本的な「職」なき「雇用維持」政策は、(助成金の援助によって)企業が頑張れるぎりぎりまで失業を出さないという点においては、欧米諸国に比べて失業率を低水準にとどめる効果があり、雇用政策として有効であることは確かである。
・しかしながら逆に、(企業が我慢しきれずに)不幸にして失業してしまった場合には、景気が回復しても簡単に復職することは困難となる。
・欧米では不況のため「職」が少なくなって「失職」したのであれば、景気回復で「職」が増えれば「復職」することは可能である。少なくとも当該「職」に技能のない若い労働者よりも有利である。
・しかし日本では企業の中にあてがうべきいかなる「職」もなくなるところまで頑張ったあげくの失業であるから、失業者であること自体が「どの「職」もできない」というスティグマとなり、再就職が極めて困難となる。このため、失業率自体は比較的低水準であるにもかかわらず、長期失業率はかなり高い。(欧州諸国と異なり、失業給付の給付期間はかなり短く、長期勤続の中高年でも1年を超えないので、長期失業率の高さは失業給付によるものではない)5 日本の雇用政策の推移
・日本の雇用政策は常に雇用維持優先であったわけではない。むしろ、過去数十年にわたって労働移動促進と雇用維持を揺れ動いてきた。
・1950年代後半から1960年代を経て、1970年代初めまでは、日本政府の立場は雇用流動化促進政策であった。1960年の国民所得倍増計画、1967年の雇用対策基本計画など、「職業能力と職種に基づく労働市場」の形成を目指していた。主たる助成金は職業転換給付金であった。
・1973年の石油危機に対して、1975年以降上記雇用調整給付金による雇用維持政策が全面的に行われ、同時期に裁判所で確立した整理解雇4要件と相まって、「社員であることからの排除」をできるだけ回避するという企業行動が(大企業や中堅企業を中心として)確立した。この後1980年代を経て1990年代初めまでは、日本は先進国の中で例外的に低い失業率を誇っていた。
・1990年代前半のいわゆるバブル崩壊により景気が低迷するとともに、人員余剰感が高まり、失業率も徐々に上昇し始め、雇用維持最優先の政策が修正され始めた。当時の政策標語は「失業なき労働移動」であり、出向等により失業を経ることなく企業から直接他の企業に雇用が受け渡されることが目指された。
・2000年の法改正により、事業規模縮小の際に作成すべき計画がそれまでの「雇用維持計画」から「再就職援助計画」に変わり、助成金もアウトプレースメント支援などに変わった。
・2008年のリーマンショックに対して、雇用調整助成金の要件が緩和されるとともに多くの企業が活用するようになり、この面では再び雇用維持政策が主力となった。
・2013年新政権は、雇用維持から労働移動促進への(再)転換を政策の軸に掲げ、雇用調整助成金よりも労働移動支援助成金の支給額を多くすることを目指している。また、「学び直し」への支援も検討されている。6 失業給付の意味
・日本では1947年、欧米諸国にならって失業保険制度が設けられた。
・1974年に雇用保険制度に改正された。これは従来の労使折半負担による失業給付に加えて、企業負担(「雇用税」に相当する)による雇用保険3事業(現在は2事業)を設けた。その主たるものが上記雇用調整給付金である。他に種々の雇い入れ助成金がある。
・上記のような雇用維持型政策の下では、大企業や中堅企業の正社員は失業のリスクがかなり低くなり、直接失業給付を受給する可能性は乏しくなる。その代わり雇用調整助成金によって、在職しながら間接的に雇用保険財政による生活保障を受けているとも言える。
・こうして、失業給付の主たる受益者は相対的に雇用維持傾向が希薄な中小零細企業の労働者となる。
・失業給付の受給期間は自己都合退職が短いのに対して、解雇・倒産による失業は特に中高年者については(相対的に)長期に設定されている。しかし、日本では「職」によらない年功的な賃金体系のため中高年者の前職賃金に基づく失業手当額が高くなり、低い再就職賃金との落差が生じる。このように、「職」に基づき技能のある中高年失業者が選好される欧米に比べ、中高年失業者の再就職はより困難となり、受給期間を過ぎても長期失業者となる可能性が高い。
・一方非正規労働者については、従来は多くが家計補助的労働との前提に基づき、1年以上の雇用見込みの者のみを対象としていた(家計補助的な者から失業保険料を徴収することは不適当と考えられたことも理由である)。しかし2008年のリーマンショックで雇用終了された家計維持的非正規労働者が失業者としてあふれたため、1か月以上雇用見込みの者に拡大された。
・それでも受給資格が得られない者や失業給付の受給期間が切れても就職できない者のために、厳格に職業訓練の受講を条件とする無拠出の失業手当制度として、2011年に求職者支援制度が設けられた。7 小括
・「職」に基づかず「社員であること」の維持に重点を置いた企業行動や雇用政策は、日本の失業率を低く維持することに貢献してきた。
・しかし逆に、そこからこぼれ落ちた者は、再び「社員であること」を確保することがより困難となり、長期失業率を高めることになる。近年はこの部分が増加している。
・これに対して近年導入された(企業外の教育訓練を中心とする)欧米型の雇用政策は、それが「職」に基づくものであればあるほど、とりわけ大企業分野では効果が乏しくなる。
・とはいえ、それら政策の効果を高めるために、失業を抑制している雇用維持型の仕組みを弱体化させると、かえって失業率を上昇させることになりかねない。
・日本の雇用政策はこのパラドックスの中にある。(評論家に多い)シンプルマインデッドな結論が困難な所以である。
9月20日、労働市場政策における職業能力評価制度のあり方に関する研究会の第1回目が開かれました。その資料がアップされています。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000023905.html
開催要綱によると、
・・・「多元的で安心できる働き方」の導入促進を図るため、「多様な正社員」等へのキャリアアップ支援、円滑な労働移動支援といった、労働市場政策上の観点から、業界検定等の能力評価の仕組みを整備し、職業能力の「見える化」を促進することが重要な課題となっている。・・・
という問題意識が基本にあるようで、
(1)労働市場政策上の職業能力評価制度の意義、
(2)現行各種検定制度等の意義、課題、
(3)今後の職業能力評価制度等の在り方
について検討を行っていくということです。
参集者は、
にあるとおり。
主な論点として挙がっているのは、この2枚紙ですが、
・・・ジョブ型労働市場にあって、業種・職種固有の職業能力の重要性が高まっていると言えるが、一方、職務環境や内容が変化すると、市場価値が低下(陳腐化)するという側面があるが、能力評価上どう考えるべきか。また、それらは、業界内で共通性の高い能力と、企業特殊性の高い能力に大別できるが、両者の比重は一般にどの程度と言えるか。これら職業能力について、職業能力の構造上の位置づけ、能力開発や評価の可能性をどのように考えるべきか。・・・
と、本筋に斬り込む議論をしようとしていますね。
先週末、経済の好循環実現に向けた政労使会議の第1回目が開かれたことは既報の通りですが、
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/dai1/gijisidai.html
この出席者には、政労使に加えて、有識者として日本総研の高橋進理事長と慶応大学の樋口美雄商学部長が入っています。
そして、このお二人に加えて、吉川洋東大教授を座長に、京大の照山博司、首都大の脇田成という5人から構成される「経済の好循環実現検討専門チーム」が内閣府に設置され、本日その第1回目の会合が開かれました。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2401S_U3A920C1EE8000/(賃上げなど議論、有識者が初会合)
内閣府は24日、企業の収益拡大が賃上げや雇用拡大につながるメカニズムの解明や、好循環実現に向けた課題を探るため有識者で議論する「経済の好循環実現検討専門チーム」の初会合を開いた。年末にかけて月1回程度のペースで会議を開き、報告書をまとめる。
吉川洋東大教授が座長を務め、諮問会議の民間議員である高橋進日本総合研究所理事長や樋口美雄慶大教授など、マクロ経済や労働経済学の専門家が参加する。初回は日本総合研究所の山田久調査部長と、労働政策研究・研修機構の浜口桂一郎統括研究員をゲストとして招き、足元の経済状況や各国の労働制度の違いについて議論した。
政府、経済界、労働界の代表者が集まる政労使会議とほぼ同一のテーマを並行して議論することになる。内閣府は「専門チームとしての成果を政労使会議に提出するかどうかは決まっていない」としている。
http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/wg3-10kai/pdf/1.pdf(経済の好循環実現検討専門チームの開催について(案))
http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/pdf/koujyunkanjitsugenkouseiin.pdf(経済の好循環実現検討専門チーム名簿)
この第1回目の会合に、日本総研の山田久さんとわたくしが呼ばれ、それぞれ
山田久「賃金デフレ脱却への処方箋-政労使協議の役割」
濱口桂一郎「EUにおける賃金に関する政労使協議をめぐる状況」
について報告をいたしました。
それぞれについてはじきにアップされる資料をご覧いただければと思いますが、話の流れでいろいろと面白い話にも展開しています。
そのうち議事録もアップされると思いますが、サービスの生産性をめぐって、物的生産性じゃなくって付加価値生産性が大事だとか、スマイルゼロ円が問題とかいう話も出てきます。
(追記)
本日の会合の資料が内閣府HPにアップされたようです。
http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/1th/koujunkanjitsugen-1th.html
わたくしの資料はこれです。
http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/1th/shiryo6.pdf
金曜日に開かれた例の経済の好循環実現に向けた政労使会議ですが、そこに出された資料が官邸の関係ホームページにアップされてます。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/dai1/gijisidai.html
内閣府提出資料(経済・雇用環境の現状について)のほか、高橋進、樋口美雄両氏の資料が載っていますが、ここでは内閣府提出資料の中から、なかなか興味深いグラフを。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/dai1/siryou2.pdf
その7ページ目の下側です。
左から日本、ユーロ圏、アメリカについて、労働生産性(ピンク)、民間消費デフレータ(グリーン)、一人あたり雇用者報酬(ブルー)の折れ線グラフの傾きを見て下さい。
ユーロ圏もアメリカも、労働生産性の上昇よりもずっと高い傾きで賃金が上がっていっているのに、我が大日本だけは世界に隔絶して、労働生産性は上がっていっているのに、賃金は下がりっぱなしなんですね。
生産性基準原理などどこ吹く風と賃金が上がっていく欧米と、生産性基準原理など及びもつかないくらい賃金が下がり続ける日本・・・。
これはもちろん内閣府の役人の出した資料なので、この事実を淡々と示しているだけですが、いろいろと感想がわいているグラフではあります。
2週間以上もamazonで在庫切れ、時には絶版状態が表示されていた『若者と労働』ですが(リアル書店にはちゃんと置いてありましたが)、ようやく「在庫あり」状態に復帰したようです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4121504658
これで、ネット上で興味をお持ちいただいた皆様にも、そのまま画面上でお気軽にお買い求め頂くことができるようになりました。
さて、先日丁寧な御書評を頂いたラスカルさんに、本日も大学論のところに絞って再び拙著を取り上げて頂いております。
http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20130922/1379820923(大学に価値はあるか?)
前回のエントリーで取り上げた濱口桂一郎『若者と労働』では、就活において「人間力」が重視されること、あるいは仕事の経験がない若者が「自己分析」など心理学的ツールを頼ることについて、日本における「教育と職業の密接な無関係」という文脈から説明を講じている。「社員」としてのメンバーシップに入ることを目的とする日本の就活、特に文系大学生の就活では、学校教育における教育の中身はほとんど考慮されない。大学のレヴェルは、学生の能力を証明する基準として、すなわちシグナルとしての意味合いを持つが、教育の中身は、就職に役立つものとはなっていない。この文脈から考えると、大学教育とは、壮大な無駄だということになる。・・・
・・・現在の状況がどうあれ、いずれは大学教育の「収益性」を高めるような方向での改革が必要であり、さもなくば、早晩「食わせてもらう」ことはできなくなると、大学教育に関係する者は理解すべきであろう。
ネット上を見ると、法学部の一番最初に民法の冒頭で習う話がなかなか理解できない人がやたらに多いようなので、今年4月11日に規制改革会議の雇用ワーキンググループに呼ばれてお話しした時の議事録から、私の発言の一部を引用して、理解の助けにしてもらえればと思います。
経済学バックグラウンドの人でも、鶴座長のようにちゃんとその理屈がわかって話を進めようとしている人も結構いるんですが、マスコミはわかってないケーザイ学者の方を使いたがるようで、かえって話を混乱させる傾向にあるようです。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/tsuru130411.html
最近問題になっている解雇に関する、解雇権濫用法理自体はヨーロッパの正当な理由がなければ解雇できないこととほぼ同じですが、整理解雇に関する、いわゆる4要素と言われるもの、とりわけ解雇回避努力義務というものは、ジョブ型の立法とメンバーシップ型で動いている現実社会を調整するために作ってきたものです。
これは解雇だけではありませんで、時間外労働であるとか、あるいは遠距離配転についても、基本的に正社員であれば従う義務がある。従わなければ懲戒解雇もあり得べしと日本の最高裁が言っているくらい、非常に強大な、包括的な人事権を認める法理であるとか、あるいは就業規則の不利益変更についても合理性があれば認めるであるとか、入り口のところでも、新卒一括採用を前提とした形での、非常に包括的な採用の自由を認めております。
それに対応する形で、一旦雇い入れたら、なかなか外に出すわけにはいかないという、多分、本来の契約原理からすると、かなり乖離した判例法理を裁判所が作ってきたわけですので、そこだけ見て、裁判所が何か変なことをやってきたと思ってはいけないのです。むしろ、裁判所は現実社会に則した法理を構築してきたのだと考えるべきだろうと思います。
また、雇用政策も1960年代までは、職業能力と職種に基づく近代的な労働市場を作るのだという発想で、今でも技能検定という制度は、ずっともう半世紀前に作られたもので残っております。ところが、1970年代半ば、オイルショック以降は、雇調金に代表されるような雇用維持型の政策がとられてきたということだろうと思います。
それを前提に、では、これからどうしていくか。話としては、ここで話題になっている限定正社員、あるいは私も佐藤先生と同じで、準正社員とか中間型というのはよくない言葉だと思うのですが、私はそれを若干キャッチーな言葉でジョブ型正社員と呼んでいます。
これは職務限定というだけではなくて、先ほどいいました職務や時間や空間が限定されているのがデフォルトルールであるというのを分かりやすく使った言葉であります。こういったジョブ型正社員であれば、ジョブや勤務地、あるいは時間についても限定される。この時間限定というのはフルタイムでもいいのですが、日本のフルタイム正社員は単なるフルタイムではなくて、これはよく言うのですが、オーバータイムがデフォルトルールである。つまり、残業しないなどという労働者は、通常の労働者とは認めないというところもあるので、そうではなくオーバータイムのないフルタイムという意味です。
例外的な状況はもちろんあるわけですが、基本的には、それを超える義務はない。したがって、ここは労働者にとってメリットでありまして、その裏腹として、それを超える配転をしなければ雇用が維持されない状況であれば、雇用終了は当然、正当なものであるとなってくるだろう。
これは、日本的感覚から見ると、リストラを正当化するのかという話になるのですが、そもそも就社ではなくて、就職している人間から見れば、勝手に会社の命令でその職を変えられるなどという権利侵害がないことの裏腹として、その仕事がなくなるというのは、いわば借家契約で、その家がなくなったのと同じですので、そもそもそれは正当な解雇ということになるのだろうと思います。
もちろんその場合でも、例えばヨーロッパで見られるように、ジョブが縮小したのであれば、それをみんなでワークシェアリングで分け合うということはあります。むしろここで重要なのは人選基準です。ここは日本的なメンバーシップ型の発想では、リストラ解雇というのは、リストラを名目として、こいつはできが悪いから首を切るという話にどうしてもなりがちなのです。最近の議論でも、ちらちらとそういうものは出てくる。これは日本人にとって当たり前だからそうなるのですが、これをやると純粋に経営上の理由に基づいた解雇にはならなくなってしまいます。つまり、そいつが問題だから解雇だという話になるので、当然その理由が正当であるかないかが問われます。正当でなければ、アンフェアな解雇だという話になるので、そこのところの頭の整理がつかないまま議論をしてしまうとかなりまずいことになるだろうと思います。
どうなるかというと、要するにリストラ解雇というのは、リストラを名目として、お前は言うことを聞かないから首だということをやろうとしているのだと受け取られます。そうだとすると、それで解雇されてしまうと、正に会社からこいつは駄目なやつだとレッテルを張られたという話になるので、ますます猛然と抵抗することになります。
逆に言うと、リストラクチャリングによって量的にジョブが減るので、その部分が淡々と解雇されましたという話であれば、それはその労働者本人にとっては何らマイナスにはならないのです。
ここまでちゃんと頭の整理をして考えないと、欧米型のまともなジョブ型の議論をしているつもりで、実は、とんでもないあらぬ方向に議論が迷い込んでしまう可能性があることはぜひ念頭に置いていただきたいと思います。括弧の中の不当な解雇から保護されるべきことは、いずれの形態であっても当然というのはそういう意味であります。
あと、とりわけ質疑応答から
○鶴座長 濱口先生、お願いします。
○濱口統括研究員 恐らく、この問題について若干誤解があるのではないかと私は思っております。つまり、何が規制なのかなのですが、御承知のとおり、労働契約法16条は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない解雇は権利の濫用として無効であるとしか書いておりません。これを緩和するというのは一体どういうことなのか。客観的に合理的な理由がなくても解雇していいのだと書くのか。それは男を女に変える以外全てができる立法府ならやれるのかもしれませんが、恐らくそれは事実上、不可能だろうと思います。
何ができるのかというと、何が客観的に合理的な理由なのかということについての頭の整理。つまり、実は私が大内先生と若干違うのは、不明確なのかどうかということなのです。確かにある意味不明確なのですが、ただ、それは条文をどういじったところで明確になるものでもない。
つまり、先ほど来、頭の整理と申し上げているのは、こういう雇用契約であれば、恐らくこういうふうになるであろうと。もちろん、単に契約の条文ということではなくて、実際にそういうふうに人事管理を運用してくれるということまで含んだものなのですが、そういう約束で、実際、その仕事だけでずっとやってきたということであれば、こういうふうになるという頭の整理を、これは恐らく形はいろいろあるだろうと思います。例えば指針という形で示す。もちろん、厳密に言えば、指針が裁判官を拘束するかというと、それはしないのかもしれませんが、多くの場合、指針というのは判断の基準にしているところはございます。
恐らく、規制改革という言葉に厳密に当たるかどうか分かりませんが、やれることがあるとすれば、それはそういう頭の整理を国民に分かるようにするということでしょう。実は整理解雇4要素にしても、本来から言えば、あれは解雇権濫用法理を応用したものにすぎないはずなのですが、ややもすると、これは裁判官も含めて、4要件、4要素というものを処理の前提として、どのような会社であろうが、どのような雇用契約であろうが、それを一律に当てはめるとする嫌いもなきにしもあらずなので、それはそういうものではないよということを明らかにするという意味はあろうかと思います。
逆に言うと、それを超えて、何か契約法16条をいじれるかというと、それはむしろ無理な話ではないかと思っております。
・・・・・○佐久間委員 1点、先ほどのジョブ型正社員のところで水町先生もおっしゃっていた4要素は、整理解雇の話ということでございますね。ですから、逆にジョブ型正社員というのが非常に増えていくと、整理解雇というよりも、パフォーマンスが悪いときに解雇できるということが非常に重要になってくるのですが、そこについてはやはりある程度整理してもらわないとなかなか予測可能性がない中で、もう個別訴訟で解決ということになってしまうので、その辺はどういうふうに考えておけばよろしいのでしょうか。どなたでも結構ですので、教えていただければと思います。
○濱口統括研究員 議論の方向性としてやや気になるのですが、どうやったら解雇できるかというところから話をすると、多分話はうまくいかないと思います。
大事なのは、労使双方が、こういう約束なのだから、こういうことで雇用が終了するのであれば、それはなるほどそうだなと納得するようなルールをどう作っていくか、あるいは明確化していくかということなのであって、今の話も、一般的にいいますと、ジョブ型であれば職務が明確であるわけで、当該職務ができないということは、恐らくそれができないのだったら、他に回せよという可能性がなくなるわけで、確かに解雇の可能性は高まるだろうと一般的には思います。
ただし、実は解雇規制というのは、基本的に欧米でも似たようなもので、非違行為と能力と経営上の理由というのが三大理由であります。その能力を理由にして解雇というときに、日本的なメンバーシップ感覚で物を考えるとかなり間違うのではないかと思います。
ジョブ型社会では、この仕事がこのようにできないということが正当な理由になるわけですが、逆に日本的なメンバーシップ型ですと、言わば人間性とか、みんなと仲良くしないとかというのが、つまりそういったことも含めて能力と判断される。とはいえ、解雇自体が非常に抑制されるので、それがゆえに大企業であれば簡単に解雇されるわけではないですが、中小零細企業になれば、実はそういう仲間と溶け込まないとか、言うことを聞かないという理由で割と解雇されている例は大変多くございます。
ジョブ型になるということは、そういう個々の仕事と直接関わらない人間性みたいなものを理由にした解雇は認められにくくなるということを理解していただきたいのです。つまり、会社だけにとって都合のいいようなルールもあり得ないし、労働者にとってだけ都合のいいようなルールもあり得ないというところから出発しないとまずいのではないかと思います。
以上です。
・・・・・・○濱口統括研究員 1点目、2点目は、先ほど申し上げたことの繰り返しになるかと思いますが、実は日本も法的な基本的な枠組みは同じで、試用期間というのはあります。そして試用期間というのは、言わば解雇権を留保している。
ただ、実態的にはなかなか難しい。難しいというか、正に就職ではなくて就社なので、この仕事ができますねといって雇ったのならば、その仕事ができないねというのが正当な理由になりやすいのですが、そうでない、むしろ大学校時代に勉強したことは全部忘れてこいと。一から教えるといって雇って、それで試用期間に駄目だというのは、それはお前の教え方が悪いのだろうという話に論理的になる。
つまり、何か解雇規制という外在的なものがあって、それによって企業が縛られるというイメージがかなりの方にあるようなのですが、それは間違いです。もしそれが厳しいとすれば、それは企業がみずからやっているメンバーシップ型の人事管理のやり方がみずからに対して解雇規制が厳しくなるようにしているだけなのです。これは一般的な解雇の話もそうですし、この試用期間についてもそうだろうと思います。
逆に言うと、正にチームワークとか何とかという観点で、学生時代に学生運動をやっていたというような、恐らくこれは外国人から見ると全く理解できないと思うのですが、それが正当な理由になったりいたします。
そういう意味からすると、正に頭の整理をし、それを国民に対して示すことによって、この試用期間というのは、この仕事で雇ったのだから、この仕事ができるかできないか。その判断を会社としてしましたと。それであるならば、それは当然そんなに長いことはないので、一定期間ということになるでしょうという話になるのだろうと思います。
最後の点は、外国の方々にその話をすると、よほど特殊な、顧客との関係では若干あるのかもしれないですが、仲間との関係で仲良くやれる能力ということをここに持ってくるというのは、多分理解されないだろうと思います。社内的なコミュニケーション能力というのは、やはりメンバーシップ型を前提としたものであると私は思います。それならそうと割り切って、メンバーとして扱うべきでしょう。
金子良事さんが面白いことを言ってます。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-265.html(異議を申し立てる力)
私は権利教育というのは筋が悪いと思っている。そんな生存権ギリギリのところまで追い詰められてから戦かうのではなく、もっと交渉するということをちゃんと日常的な行為として身につけるべきだと思う。それがないと、結局、窮鼠猫を噛むみたいな話になり、追い詰められて一寸の虫にも五分の魂があることを見せつけたいという運びになる。それではまったく生産的ではない。ただの百姓一揆である。
うーん、若干誤解があるような気もします。権利教育は必ずしも交渉を否定しているわけじゃなく、むしろ交渉を通じて自分の権利を主張実現していくという筋だと思っているんですが。
実際、日本の労働政策で労働教育がかなり実施された1940年代末から50年代の頃の労働教育関係文書を見ると、そのトピックの大部分は労働組合とか団体交渉に関することだったわけだし。
ついでに最近の近世史学的に言えば、百姓一揆ってのも窮鼠猫を噛むというよりは団体交渉的性格が結構強かったりするんですが、それはまあさておき、
でも金子さんがこういう言い方をされるにはそれなりの理由があって、今日のように集団的労使関係があまりにも希薄化してしまっていると、権利がどうこうってのもほとんど個別化されてしまい、現実問題として交渉の余地もくそもなく、我慢を重ねたあげくに「追い詰められて一寸の虫にも五分の魂があることを見せつけたいという運び」になるのが一般的だからでしょう。
その意味では、金子さんの
しかし、交渉を教えるのもまた難儀である。実際、やってみせるのが一番の教材ではあるのだが、それを目の前で見ても、何も感じられない人もいる。それは前提として、自分がやってもダメだということがある。
ってのも、やはり交渉ってものができる集団的枠組みがないとただの畳の上で水泳を教える話になってしまうわけです。鶏と卵みたいですが、実はここが最大のネック。
日常的に、そこそこのレベルで交渉するのを自然に学んでいけるというのが一番望ましいんですけどね。
山崎文夫さんから新著『セクシュアル・ハラスメント法理の諸展開』(信山社)をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.hanmoto.com/jpokinkan/bd/9784797267167.html
性差別とセクハラ法理の今日的課題
各国におけるセクシュアル・ハラスメント規制の流れと、その判例法理から、予防と問題解決を探る。さらに、成熟しつつあるわが国のセクシュアル・ハラスメント法理の現状と差別禁止法の行方・方向性を論究・提示する一冊。
というわけで、目次は次の通りです。
序
第1部 セクシュアル・ハラスメントと法的アプローチ
第1章 2006年均等法改正とセクシュアル・ハラスメント
はじめに
第1節 2006年改正均等法上のセクシュアル・ハラスメント概念
第2節 事業主の雇用管理上の措置義務
第3節 企業名公表・過料及び紛争解決援助
む す び
第2章 セクシュアル・ハラスメントと過敏な被害者問題
はじめに
第1節 アメリカにおける過敏な被害者問題
第2節 わが国における過敏な被害者問題
む す び
第3章 ジェンダー・ハラスメントの法理
はじめに
第1節 アメリカにおけるジェンダー・ハラスメントの法理
第2節 イギリスにおけるジェンダー・ハラスメントの法理
第3節 フランスにおけるジェンダー・ハラスメントの法理
第4節 わが国におけるジェンダー・ハラスメントの法理
む す び
第4章 セクシュアル・ハラスメントと性差別
はじめに
第1節 EUにおけるセクシュアル・ハラスメントと差別法理
第2節 EU指令とフランス国内法
む す び
翻訳資料 共同体法差別禁止分野への適合規定を定める2008年5月27日の法律
第5章 セクシュアル・ハラスメントと女性に対する暴力概念
はじめに
第1節 国連における女性に対する暴力とセクシュアル・ハラスメント
第2節 EU及びフランスにおける女性に対する暴力とセクシュアル・ハラスメント
第3節 わが国における女性に対する暴力とセクシュアル・ハラスメント
む す び
第2部 セクシュアル・ハラスメントに関する最近の法的諸問題
第6章 セクシュアル・ハラスメントと懲戒処分
はじめに
第1節 セクシュアル・ハラスメントと法規制
第2節 セクシュアル・ハラスメントと懲戒処分の基準
第3節 セクシュアル・ハラスメントと管理監督責任
第7章 セクシュアル・ハラスメントと労災補償
はじめに
第1節 アメリカの労災補償
第2節 わが国の労災補償
む す び
第8章 セクシュアル・ハラスメントと報復禁止
はじめに
第1節 わが国の報復禁止法制
第2節 EU諸国の報復禁止規定
第3節 アメリカの報復禁止規定
む す び
第9章 フランスのセクシュアル・ハラスメント罪と罪刑法定主義
はじめに
第1節 刑法典セクシュアル・ハラスメント罪
第2節 憲法院セクシュアル・ハラスメント罪違憲判決
第3節 セクシュアル・ハラスメントに関する2012年8月6日の法律
む す び
翻訳資料 セクシュアル・ハラスメントに関する2012年8月6日の法律及び司法大臣通達
第10章 台湾のセクシュアル・ハラスメント罪
はじめに
第1節 性騒擾罪
第2節 わが国とセクシュアル・ハラスメント罪
結 語
欧米だけではなく、台湾のセクハラ立法も盛り込まれています。中国語では「性騒擾」っていうんですね。
さて、政労使協議がスタートしたその同じ日に、「解雇しやすい特区」という話が持ち上がっているようで、
http://www.asahi.com/politics/update/0920/TKY201309200403.html(「解雇しやすい特区」検討 秋の臨時国会に法案提出へ)
政府は企業が従業員を解雇しやすい「特区」をつくる検討に入った。労働時間を規制せず、残業代をゼロにすることも認める。秋の臨時国会に出す国家戦略特区関連法案に盛り込む。働かせ方の自由度を広げてベンチャーの起業や海外企業の進出を促す狙いだが、実現すれば働き手を守る仕組みは大きく後退する。 ・・・
いや、私は、物理的労働時間がきちんと規制されるならば残業代ゼロはあってもいいと思いますが、それより何より、「解雇しやすい特区」って何を考えているのかと思って、覗いてみると、
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/kadaibetu/dai1/siryou5.pdf(国家戦略特区WG 規制改革提案に関する現時点での検討状況)
「国家戦略特区WG座長 八田達夫」の名前で出されているので、「WGの見解」というのはとりあえず八田氏の見解という理解でいいでしょう。
(2)特区内の一定の事業所(外国人比率の高い事業所、または、開業5年以内など)を対象に、契約書面により、解雇ルールの明確化
<厚労省>・契約書面で解雇要件等を明確にすることは奨励している。ただ、裁判になったときは、その後の人事管理・労務管理などを含め、総合判断せざるを無い。(契約書面は、労使双方にとって有効でない)
<WGの見解>・「総合判断」という限り、労使双方にとって予測可能性が担保されない。
・書面で明確にすることが、労使双方にとってプラスのはず。
・不当労働行為や契約強要・不履行などに対する監視機能強化を特区内で行うなら、検討可能。
八田氏など、法の存立構造を根本からわかっていない経済学者の発想の欠点がもろに露呈していると言えましょう。
そもそも、日本の労働契約法は使用者に解雇権があることを大前提に、法の一般原則としてその権利の濫用を無効としているだけなのですが、そこのところがわかっていないので、話が全部おかしなことになっていっていることがよく窺えます。
この点、今年4月に本ブログで説明したことに尽きているので、そのまま引用しておきますが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-e13d.html(日経病?)
前から不思議に思っているのですが、労働契約法16条が諸悪の根源とかいう人々は、何をどう変えようとしているんでしょうか。
第十六条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、又は社会通念上相当であると認められなくても、権利を濫用しても有効である」とか?
もしかして、法学部に行ったら誰でも最初に習う民法冒頭の
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。の例外規定を労働契約法に規定しようと?権利の濫用は雇用以外では許されないけれども、雇用だけはなぜか許される、と。それは大変勇気のある話ですね。
そういうとてつもないことはやめて、「客観的に合理的な理由」の中身を明確化していこうという、規制改革会議雇用ワーキンググループなどの素直な発想に整理されたというだけのことだと、ある程度もののわかった人々は共通に考えているはずですが、一部の人々はなかなかそこにたどり着かないようですね。
たどり着かない典型がこの八田氏なのでしょう。
おそらく自分の言ってることが、労働契約法だけにとどまるものではなく、およそ契約書面で「どんなむちゃくちゃな解雇でもOK」と書いてしまえば、民法第1条第3項の「権利の濫用は、これを許さない」が適用除外されてしまうという、大変稀有壮大な、日本国の法体系の根本をひっくり返すような凄いことを言ってるんだという自覚が、いささか足りないような気がします。
なんにせよ、民法第1条第3項を雇用関係に限って適用除外する特区、というすさまじいアイディアについて、民法学者のご意見を是非賜りたいところです。
(念のため)
本ブログの読者にとって言わずもがなですが、世の中にはわかってない人も多いようなので。
仕事がなくなったときに整理解雇をどこまで認めるかというのは、配転の権利をどこまで認めるかとの相互関係で、日本型正社員のように配転全面自由の代わりに整理解雇は厳格というルールも、ヨーロッパ型の配転の範囲が狭い代わりに整理解雇の可能性もその分広いというルールもあり得る。権利濫用法理の枠内で、それを予め明確化しようというのが、「ちゃんと物事の道理がわかっている」規制改革会議の方向性。
それに対して、物事の道理がわかっていない人ほど、解雇権濫用法理自体を目の敵にしたがる。
八田説をそのまま実施すると、雇用契約に、「社長の命令はいかなるものであっても従わねばならない。従わないときは直ちに解雇する」と書いておけば、
社長「俺とセックスしろ」
社員「嫌です」
社長「クビだ!」
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_586b.html(ベンチャー社長セクハラ事件)
というのも認めなければならなくなる。だって、「それは別」とか言ったら、社長にとって「予測可能性が担保されない」ですからね。
もし、そういうのは別だというのであれば、権利濫用法理を認めていることになるのです、残念ながら。
「君はセックス要員で雇った。社長とセックスするのが君の仕事だ」
「それならハローワークの条件に書いておいてください」
「そんなこと書いたら誰もきいひんやろ」
「君はセックス要員で雇った」「社長のスケジュール管理とセックス管理をするのが秘書の役目だ」
「明日は同じホテルに泊まるんやで。分かっているな」
「セックスできないなら,最初から君を雇わない」「何でセックスできないのに俺に同行してグリーンに乗るんや。経費かかるわ」「セックスしないなら社長室を退け。お前は降りろ。うちの会社と関係ない」「セックスできないなら用はない」「君は社長秘書をはずす。一切降りろ」
「なんで(社長室にいる)他の二人(の女性職員)はセックスしなくていいのに,私だけセックスしないといけないのですか」
「そのために君を選んだからや」「90%仕事で頑張っていると認めても,あと10パーセント肉体関係がないと君は要らない」「セックスが雇用の条件。それを了解してもらわないといけない。セックスできなければ終わり。」
「家内とはずっとセックスをしてきた。しかし彼女はもうできない。淋しいから君に求めたという事はわかるでしょう。でも,できないと言うなら君はもういいわ「家内の代わりをするだけだから,これは不倫ではない」「君はセックス担当。秘書はセックスパートナーだ。A(得意先会社の社長の名前)とB(同社の秘書)との関係もそうだ」「C(社長室の女性職員の名前,Xが競え。俺の寵愛を受けてセックスした方が役員。給料も上げる「仕事を ちゃんとしていると言ってもそれは俺が判断することでポイントは俺とのセックスだね。君が出来ないと言ったらそれでいい。できないのだったら,じゃあ,もう辞めろ。ありがとう」
「Xを好きになってるんやけど,これ(男性性器)大変なことになってるで。手で出してくれ」
「君は社長室の主任次は課長役員やぞただしセックスが条件だ」
「もう会社に来るな。俺の寵愛を断ったら,君はもう終わりだ。辞めろ」「俺が君を雇ったのは君を抱きたかったからだ。それを断ったら君はもう仕事ないで」「仕事は俺とセックスするのが条件だ。しなかったら,もう良い」
「君は私の寵愛を拒んだから,もう用はない。一身上の都合で辞表を出しなさい「明日はもう来なくていい。ただ,考え直すなら話を聞く」
「お前何しにきたんや。ここではもう仕事はない。他の会社に行け。雇ってくれるかどうかは別やけど」「君を愛した。寵愛をした。でも君断ったやろ。だから終わりや。君もう社長室はだめや」「寵愛って知ってるか。社長に抱かれてセックスするのが,まずお前の責任。イヤやったらそれでいい。君に はもう辞めてもらう君はもう仕事ないでどうすんのえ全部D(社長室の女性職員の名前)に移転する。仕事ないんやもん,どうすんの」
「なんでDさんなら良くて,私ではダメなんですか」
「俺が君を雇ったのは君を抱きたかったからやそれだけそれを君が嫌やったらもう辞めろもう辞めなさい君,いてくれたら困る」
「仕事が出来たらいいじゃないですか」
「いや,君は仕事できない。君は頭がアホや。どっか行き「それは俺とのセックスの問題だけ。セックスしないと俺はもう厳しいからね」
「君を一番にしてやりたかったけど無理やと思う。辞めるか。しかし君はどこでも通用しない。君,辞めるか。君の学歴からしても社長室の主任は出来ない「君は終わり。俺が終わったら終わり。俺が切ったら君は必ず終わるよ。辞表持ってこい。辞めた方がいいよ,君は」
「解雇ですか」
「解雇というとおかしくなるから」
「社長はいつもセックスが出来なければ解雇,クビと言っていましたね」
「そうやね」「俺には支える人間がいるの。女がいるの「君は何をする。もう用がなくなってしまった「君は社長室の能力がない」「お前は一番になろうと思った。大変なことやけどそんなんもん出来ない,お前は。はっきり言うたるわ。お前には出来ない。お前,学歴考え
ろ」「セックスできなかったら手で出せ」
「じゃあ辞めろ。そういう人を雇う」
昨日例の「政労使協議」がスタートしました。各紙ともかなりの紙面を割いて報道していますが、ここでは読売新聞の記事を。というのは、わたくしのインタビューも載っているからですが。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20130920-OYT1T01027.htm?from=ylist(政労使協議、首相の賃上げ要請に経団連は理解も)
最後の2段落で、国際的な流れを若干解説しています。
・・・首相の念頭には、オランダの政労使が1982年にまとめた合意があるとされる。合意では、政府が法人減税で企業を優遇し、企業が時短などで雇用者数の拡大を実現する一方、労働者が賃上げ抑制を飲むなど、それぞれが「痛み」を受け入れた。同国はその後、雇用の流動化など経済構造改革を実現した。
ただ、今回の協議は「賃上げ」を目的としている点が大きく異なる。独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の濱口桂一郎統括研究員は「労働政策や労働立法を政労使で話し合って決めるのは国際的なルールだが、政府が労使を呼んで賃上げを求めた例はないのでは」と指摘している。
まさにここに労働組合側の辛いところもあるわけです。マクロ経済を考えて賃上げを抑制しろ、という話だったら、いろいろと交換条件を勝ち取って賃金抑制を受け入れるということ自体が(そうしなければ賃上げを勝ち取れるはずという)自分たちの強さの証明にもなるわけですが、
・・・賃上げを望むはずの労働組合も、「政府が賃上げの流れを作ってしまえば、ただでさえ組織率が低下している労働組合は存在意義を問われかねない」(連合幹部)との理由から、警戒心をあらわにしている。連合の古賀伸明会長は協議終了後、『非正規や中小企業の労働者の格差改善こそ重要だ」とけん制した。
大内伸哉さんが「アモーレと労働法」で拙著『若者と労働』を取り上げています。
http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-9740.html
大内さんは一昨日、日本記者クラブの限定正社員に関する討論会に出られたようで、
安倍政権が成長戦略の一つとして導入を目指す「限定正社員」制度について以下の3人のパネリストを招き討論会を行った。
①鶴光太郎・慶應義塾大学教授(規制改革会議雇用WG座長として雇用制度改革を提起)
②大内伸哉・神戸大学大学院教授(専門は労働法。雇用問題について著書多数)
③藤田孝典・NPO法人ほっとプラス代表理事(非正規労働者などへの相談や支援に取り組む)
司会 日本記者クラブ企画委員 竹田忠(NHK)
私たち研究者にとっては常識的な話も多いのですが,このように新書でわかりやすく一般の人に解説することには意味があると思います。昨日の日本記者クラブの討論会でも,「パートナーシップ」型や「ジョブ型」という言葉が普通に使われていますし,鶴さんの話されていることは,濱口さんが言っていたことだよな,と思うようなところもありました。濱口さんの影響力は絶大ですね。私からは,やはり濱口さんの本で勉強になるのは,法律の制定の経緯や歴史に関するところです。この面での濱口さんへの信頼は絶大です。
と語られています。
大内さんは、ジョブ型に対して「メンバーシップ型」という言葉を使うことに対していささか批判的で、
私に言わせれば,日本の正社員がジョブと無関係で雇われてきたわけではないので,「ジョブ型」という言葉を使うのなら,「ジョブ特定型」と「ジョブ非特定型」と言ったほうがいいのではないかと思うのです。・・・確かに就職ではなく,就社であるというのは,よく言われることですし,労働者の意識も会社のメンバーになるということなので,メンバーシップと呼んでもいいのですが,それでも会社が人を雇うのは,ジョブをさせるためであることに変わりはありません。
といわれています。もちろん、「ジョブなき・・・」というのは「ジョブの特定なき・・・」ということなので仰るとおりなのですが、とはいえ、「ジョブ非特定型」では人口に膾炙しにくいですよね。そこは、「世間で受ける言葉」を意識してます、確かに。
最後にこういうやや辛めの言葉で締めているところが、いかにも大内さんの口吻を彷彿とさせます。
私の書く本も同じですが,新書では,客観的な情報提供の部分と著者の価値判断による評価の部分とが,かなり交錯します。濱口ワールドは魅力的で飲み込まれそうですが,一歩,立ち止まって疑問をもつという姿勢をもって読めば,この本の価値はいっそう高まることでしょう。
ちなみに、2週間近くamazonで在庫切れ、いや「通常1~4週間以内に発送します」という表示も消えて、をいをい発行から1か月足らずで絶版かよ、という状態でしたが、ようやく在庫切れ状態に復帰したようです。できれば早急に「○点在庫あり」という表示に戻って欲しいですね。
リアル本屋には置いてあるとはいっても、ネット上で興味を持った人がamazonに行ったら品切れ続きでは、買う気が失せるでしょうから。
去る9月6日に経団連の雇用委員会で講演をしたときの概略が、経団連の機関誌『経団連タイムス』9月19日号に掲載されています。
http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2013/0919_08.html
経団連は6日、東京・大手町の経団連会館で雇用委員会(篠田和久委員長)を開催した。当日は労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員から、今後の労働法制のあり方を聞いた。説明の概要は次のとおり。
■ 日本型雇用システムとその変容
いわゆるメンバーシップ型の正社員が縮小し、非正規労働者が増大するなか、それぞれに矛盾が生じている。その意味で、労働法制のあり方について議論する際には、「規制改革」から一段踏み込んで、日本型雇用システムをどのように改革するかという視点が必要である。
■ 限定正社員(ジョブ型正社員)
限定正社員(職務、労働時間、就業場所を定めた期間の定めのない雇用契約の労働者)について、解雇規制のあり方と関連づけて議論されているが、その普及は解雇規制を緩和するというような話ではない。限定正社員は、必ずしも高度とは限らない専門能力活用型の無期雇用と位置づけるべきである。
どんな仕事も遂行できる「iPS細胞」ではない労働者として、組織のなかでいかに機能させるか、企業側の努力が問われている。
■ 解雇規制と金銭解決
現行の法は解雇の金銭解決を否定していない。実際、労働審判やあっせん手続きなどにおいて金銭解決の事例は多数存在する。裁判後の金銭解決の金額について一定の基準を決めておけば、裁判以外の場でも解雇を金銭で解決する際の目安となるなど、労働者側にもメリットが大きいのではないか。
■ 労働時間規制の誤解
労働時間規制の緩和が主張されているが、わが国の労働時間規制は極めてゆるいといえる。むしろ、異常に厳しいのは残業代規制である。
そもそも、労働基準法の割増賃金の規定は、労働時間の話ではない。中高位の労働者の報酬については、労働時間と切り離す一方、休息時間の設定など、健康確保のためのセーフティーネットを導入するなどの制度設計をすべきである。
■ 労働条件変更と集団的労使関係システム
労働者が多様化するなか、現行の集団的労使関係法制には限界がある。労働条件の変更を正当化し得る新しい従業員代表法制をつくる必要がある。また、過半数組合を労働組合法に正しく位置づけていく必要もある。
■ 労働者派遣法制の見直し
労働者派遣法制については、今年8月に厚生労働省の有識者研究会が報告書を策定し、法改正に向け、審議会の議論が開始されている。そのなかで最も重要な点は、派遣先の常用労働者が派遣労働者によって代替されることを防止する「常用代替防止」の考え方を根本的に改め、派遣労働者の雇用安定に着目したことである。
また、今回の派遣法見直しの機会をとらえ、一定のスキルを前提に、業界レベルの協約に基づく賃金を設定することで、ジョブ型の労働市場の形成を先導していくことを期待したい。
いつも語っていることで、特段目新しいことは何も言っていませんが、経団連の皆さんにちゃんと伝わってくれると嬉しいのですが。
本日の東京新聞に、本ブログでも何回も取り上げてきた神奈川県立田奈高校のバイターンの試みが結構大きく載ってます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013091902000128.html(進路開く「バイターン」 有給で職業体験+卒業後も支援)
高校生の就職支援で先進的な取り組みをしている高校が横浜市にある。地元企業の協力を得て生徒に有給で職業体験をさせ、卒業した後も学校側が就職を支援する「バイターン」という試みだ。生徒が無給で企業の職業体験に応募する「インターンシップ」は知られているが、専門家は「全国的にも珍しい取り組み」と評価している。
・・・大友さんは父が病気で働けず、母のパート収入で家族五人が暮らす生活保護世帯。高校時代は就職活動もせず「将来を投げていた」と振り返る。
そんな時、高校の先生がアルバイトとインターンを合わせた造語「バイターン」の仕組みを紹介し、「このままでいいのか」と説得。幼いころから憧れていた美容院での挑戦を決意した。四カ月間の有給研修などを経て、今春から正社員に採用された。・・・
・・・バイターンの特徴は、卒業後も学校側がかかわり、就職を支援することだ。NPOで引きこもりの人を支援してきた田奈高校相談員の石井正宏さん(44)は「初めて労働年齢に達する十八歳でしっかり社会とつなげないと、新たな引きこもりを生む」と、この仕組みに自信をみせる。田奈高校への県の支援は一二年度までだが、中野和巳(かずみ)校長は「今後も続けていきたい」と意欲的だ。
高校生のキャリア教育に詳しい労働政策研究・研修機構の堀有喜衣(ゆきえ)研究員は「初めて就職する高校生にとって、教育的な立場から接してくれる大人がいることは重要。学校が関わる試みとして意義がある」と話している。
わたくしが監訳したOECDの『世界の若者と雇用』の監訳者あとがきで、わたしはこう書きましたが、
・・・ところで、ここまでの議論をひっくり返すようだが、日本は本当に「まず勉強、それから仕事」タイプなのだろうか。多くの高校生やとりわけ大学生がかなりの時間を「アルバイト」と呼ばれるパートタイム労働に費やしていることは周知の事実である。現実には相当程度「働きながら勉強」しているのではないのか。ところが、教育界も産業界もそれが存在しないかのごとく振る舞い、あたかも仕事をしてこなかった若者を初めて仕事の世界に送り出すかのように演じて見せているのではないか。本当は既に相当程度学習と労働が学生自身において組み合わされているにもかかわらず、社会がそれを認知しようとしていないだけではないのか。学生アルバイトという存在が教育行政からも労働行政からも継子扱いされている日本の政策情報をもとにした本書で、この問題が取り上げられていないことは当然であろう。むしろ、その像が真に日本の姿を映したものであるのかを考えるべき責務は、我々の側にあるのではなかろうか。
まさにそのアルバイトという労働と学習を学校の主導の下で組み合わせる本当の意味での日本版デュアルシステムを実現してしまっている、というところが、この仕組みのすごいところなんですね。
(参考)
JILPTの資料シリーズとして、高橋康二さんを中心にまとめられた『壮年期の非正規労働』が刊行されました。
http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2013/13-126.htm
若年非正規労働者の増加が問題視されてから20年以上が経ち、最初に「就職氷河期」と呼ばれた時期に学校を卒業した者が40歳前後に差しかかるなか、35~44歳層の非正規労働者(壮年非正規労働者)が、人数・割合ともに増加しつつある。このことは、既婚女性を除いてもあてはまる。
本研究では、(1)壮年非正規労働者が非正規労働をするに至った原因、(2)壮年非正規労働者の仕事と生活の実態、(3)正社員転換を含め壮年非正規労働者がキャリアアップをするための条件を、仮説的に示すことを目的とする。
90年代に20代だった「氷河期世代」は、2000年代には30代、そして今2010年代には先頭集団は40代になっているわけで、それをいつまでも「若者と労働」などという枠組みで議論し続けていけないことは当然と言えましょう。
若年と中年の間のこの年代層を「壮年」と呼んで、本報告書はその様々な姿を描き出していきます。なんといっても、第2部のケースレコードが、それぞれの人生を小説のように描いていて面白い。本人による「職業生活の浮き沈みの自己評価」の人生グラフも一人一人についてきます。
高橋さんの「若年非正規労働」研究と「壮年非正規労働」研究の大まかな論点対比:
今回のヒアリング調査は、今後の研究のための仮説を構築することを目的として行われたが、そこから大まかな政策の方向性を導き出すならば、次のようになる。
第1に、壮年非正規労働者が非正規労働をするに至った原因を顧みるに、正社員の働き方の改善が求められる。具体的には、長時間労働の抑制、ワーク・ライフ・バランス施策の拡充(特に、自身の病気・ケガの治療と両立できるような就業環境の整備)が求められる。
第2に、(正社員の働き方の改善が求められることはたしかであるが、他方で)正社員への転換支援が欠かせない。具体的には、資格制度についての情報提供、資格取得に対する金銭的な補助、生活費補助による全日制学校への通学促進、それらの補助の仕組みを非正規労働者に周知すること、非正規労働者に対するキャリアコンサルティングなどが有効だと考えられる。
第3に、非正規労働のままであっても一定程度のキャリアアップが可能であることを示す事例もあった。具体的には、そのような会社では、非正規労働者に対する丁寧なスキル管理、キャリア管理が行われていた。このような人事管理を普及するためにも、非正規労働者の人事管理の好事例の収集・周知などが求められる。
第4に、正社員への転換支援、非正規労働のままでのキャリアアップの促進と並行しつつ、より多元的な働き方の普及が求められる。具体的には、いわゆる「多様な正社員」の雇用区分(特に、労働時間限定正社員)の普及が求められるとともに、同一企業内で期間の定めのない雇用契約に転換すること(無期社員への転換)の重要性が理解される必要がある。
(追記)
せっかくですから、本人たちが書いた「職業生活の浮き沈みの自己評価」のグラフをいくつか
『POSSE』20号の内容が、POSSEのホームページで公開されています。
http://www.npoposse.jp/magazine/no20.html
特集は「安倍政権はブラック企業を止められるか?」。
この特集の基調をなすのは、次の論文と対談ですね。
「厚生労働省の「ブラック企業対策」を生かすために」 今野晴貴(NPO法人POSSE代表)
「安倍「労働改革」の目的と方法、その結果――日本版「労働力流動化」か、労働市場政策か」 木下武男(昭和女子大学特任教授)
「限定正社員をめぐる状況と労働組合のアジェンダ」 熊沢誠(甲南大学名誉教授)
「規制改革会議での限定正社員論とは」 脇田滋(龍谷大学教授)
「限定・無限定正社員問題と労働運動の課題」 木下武男(昭和女子大学特任教授)
「労働改革の「本音」はなにか?」 鶴光太郎(慶應義塾大学大学院教授)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)
よく見ると、木下武男さんは総論と限定正社員論と二回も登場していますね。
その次に並ぶのは「雇用改革テーマ解説」ですが、
「「ジョブ型正社員」は解雇自由の陰謀か?」 濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員)
「ホワイトカラー・エグゼンプションないし裁量労働制拡大の目論見」 渡辺輝人(弁護士)
「労働者派遣の問題点と法改正議論の動向」 塩見卓也(弁護士)
「残業代不払の温床――「管理監督者」制度」 佐々木亮(弁護士)
「「高度外国人材」とは誰か」 五十嵐泰正(筑波大学大学院准教授)
わたくしの「「ジョブ型正社員」は解雇自由の陰謀か?」という疑問文に対する答えは是非本誌でお読み下さい。
そのあとには政治家が登場。
「政党や団体を超えて不満がある人たちを集めたい」 山本太郎
「雇用問題、ブラック企業問題を国会で追及します!」 日本共産党 吉良よし子
「人材こそ競争力の源泉」 公明党 平木大作
「今こそ、雇用の質を高める「島」の整備を」 民主党 吉川沙織
そしてPOSSEの各種活動
「ブラック企業被害対策弁護団の狙い――「ブラック企業」の「社会問題」化を」 新里宏二(弁護士)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)
「ブラック企業被害対策弁護団について」「生活保護政策とぼくらの支援」 大西連(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい)×川村遼平(NPO法人POSSE事務局長)
「生活困窮者自立支援法で自立は可能か?――本当に必要な自立支援とは何か」 渡辺寛人(仙台POSSE代表)
「大田区での水際作戦 何が起きたのか、何が問題か」 POSSE 生活相談チーム
雑誌『POSSE』5周年記念企画対談 「日本の労働問題と共に変わりつづけた5年間」 今野晴貴(NPO法人POSSE代表)×坂倉昇平(雑誌『POSSE』編集長)
「「ブラック企業」被害者の救済にあたって」 古川拓(弁護士)
「一人で戦う勇気と裁判の困難さ」 一宮崇徳
「労基法違反の反省なし? アルバイトが見たワタミの居酒屋」 本誌編集部
そして連載記事がいろいろとあります。今号も大変充実してます。
さて、『季刊労働法』242号に載せたわたくしの「職業教育とキャリア教育」という文章の中に、先日の朝日新聞のインタビュー記事を補足するような一節がありますので、そこだけちょっと引用しておきます。
ある種の人々にとってはかえって怒りに火を注ぐ内容かも知れませんが。
10 高等教育の問題点
このように、大学院ですら正面から職業教育機関としてのアイデンティティを確立しつつある中で、肝心の大学自体は依然として職業教育機関として位置づけられていません。
もっとも、理工系学部においては学術研究と技術者としての職業教育とが密接不可分であり、学部卒業生のかなりの部分が大学院修士課程に進学し、就職していくという形をとっているため、(いわゆるオーバードクター問題は存在しますが)高等職業教育機関としての矛盾はあまりないということもできます。
これに対し、文科系学部は問題の塊です。とりわけ経済学部や文学部などは、その学術研究機関としての建前からくる高度にアカデミックな教育と、現実の就職先で求められる職業能力とのギャップをどう埋めるのかという解きほぐしがたい問題に直面しつつあります。
さらに今日大学進学率が5割を超え、能力不足故進学できない者はいなくなっています。大学進学の可否は本人の能力ではなく親の経済力によって決まるのです。高校卒業時に就職することすらできなかった「落ちこぼれ」が、親がその間の機会費用負担できるという条件さえクリアすれば、大学に進学し、その大部分は文科系学部に進むのです。こういう大学生は、上述のレベルの低い普通科高校の生徒と同じ問題、すなわち職業能力の欠如という問題に直面し、フリーターやニートの源泉となっていきます。
この問題は、大学教師の労働市場という問題とも絡みますが、いずれ正面から職業教育機関としての大学という位置づけが迫られることになるでしょう。
このあたり、本ブログでだいぶ前に結構書いた記憶がありますが、どういう層を念頭に置いて議論をしているのかで、全然イメージが違ってくるのでしょう。
も少し(やや皮肉を交えて)言うと、哲学科だって、その学生の大部分がどこかの大学の哲学の先生のポストにつけるんだったら、立派な職業教育なんですよ。そういう大学であれば、ですが。
7年以上も昔のものですが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)
一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。
職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)
哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。
なんちゅことをいうんや、わしらのやっとることが職業レリバンスがないやて、こんなに役にたっとるやないか、という風に反論がくることを、実は大いに期待したいのです。それが出発点のはず。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)
歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。
一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html(大学教育の職業レリバンス)
前者の典型は哲学でしょう。大学文学部哲学科というのはなぜ存在するかといえば、世の中に哲学者という存在を生かしておくためであって、哲学の先生に給料を払って研究していただくために、授業料その他の直接コストやほかに使えたであろう貴重な青春の時間を費やした機会費用を哲学科の学生ないしその親に負担させているわけです。その学生たちをみんな哲学者にできるほど世の中は余裕はありませんから、その中のごく一部だけを職業哲学者として選抜し、ネズミ講の幹部に引き上げる。それ以外の学生たちは、貴重なコストを負担して貰えればそれでいいので、あとは適当に世の中で生きていってね、ということになります。ただ、細かくいうと、この仕組み自体が階層化されていて、東大とか京大みたいなところは職業哲学者になる比率が極めて高く、その意味で受ける教育の職業レリバンスが高い。そういう大学を卒業した研究者の卵は、地方国立大学や中堅以下の私立大学に就職して、哲学者として社会的に生かして貰えるようになる。ということは、そういう下流大学で哲学なんぞを勉強している学生というのは、職業レリバンスなんぞ全くないことに貴重なコストや機会費用を費やしているということになります。
ついでに、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html(経済学部の職業的レリバンス)
ほとんど付け加えるべきことはありません。「大学で学んできたことは全部忘れろ、一から企業が教えてやる」的な雇用システムを全面的に前提にしていたからこそ、「忘れていい」いやそれどころか「勉強してこなくてもいい」経済学を教えるという名目で大量の経済学者の雇用機会が人為的に創出されていたというこの皮肉な構造を、エコノミスト自身がみごとに摘出したエッセイです。
何かにつけて人様に市場の洗礼を受けることを強要する経済学者自身が、市場の洗礼をまともに受けたら真っ先にイチコロであるというこの構造ほど皮肉なものがあるでしょうか。これに比べたら、哲学や文学のような別に役に立たなくてもやりたいからやるんだという職業レリバンスゼロの虚学系の方が、それなりの需要が見込めるように思います。
(このエントリへのコメント)
https://www.facebook.com/kojikomatsuzaki/posts/10201142555020434
なるほど、このお二人の言い分も角度を変えて見てみたら一理ある。というか、世間一般からしたらこっちのほうが普通なんだろう。
・・・両氏の指摘、腹立たしくもあったんですがこれが事実でもあります。
本日、ブリティッシュ・コロンビア大学から東大の社会科学研究所に客員研究員として来られているコンラド・カリツキさんがJILPTまでいらして、日本の外国人労働者問題についてわたくしからいろいろとお話をする機会がありました。喋り続けて気がつくと2時間たっていたという感じです。
正直言って、五十嵐泰正さんから頼まれて『労働再審』の一冊の論文を書いてから4年になり、その後あまりこの分野に触れる機会がなかったので、喋りながら結構懐かしい思いがしましたね。
カリツキさんは、日本と韓国と台湾という東アジア3か国の外国人労働者政策の違いについて研究しておられるということです。これは確かに大変興味深い分野です。最近では、安周永さんが『日韓企業主義的雇用政策の分岐』の中で、日韓外国人労働者政策について比較をしていますが、初め日本型の研修制度で始めながら雇用許可制に移行した韓国を真ん中において、台湾の初めからかなりあからさまな労働力移入政策と対比させるとまた面白い絵柄が描けそうです。
なお、五十嵐さん編著の本は『労働再審2 越境する労働と移民』(大月書店)です。
また、同書の拙論文で省略した部分は、連合総研編の『経済危機下の外国人労働者に関する調査報告書 -日系ブラジル人、外国人研修・技能実習生を中心に-』 の拙論に含まれていますので、参考までに。
日本の南北に引き裂かれながらなお着々と刊行し続けている『雇用構築学研究所ニューズレター』の41号をお送りいただきました。主幹の紺屋さん@鹿児島にも、編集長の石橋はるかさん@弘前にも、頭が下がります。
さて、今号、石橋はるかさん『も』マンナ運輸事件の評釈しているな(ついでに言うと、今日来た『季刊労働法』でも』山田哲さんが同じ事件を評釈していて、『ジュリスト』9月号の私の評釈と妙に同期してますなあ)というのもありますが、目につくのはやはりこれでしょう。弘前大学の平野潔さん(専門は刑法)の「脱法風俗店規制における労働基準法62条2項の意義」。
そう、あれです、JKリフレ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0d4c.html(JKリフレは労働基準法違反)
こういうのもありました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-b2de.html(女子高生クラブは労働基準法違反)
平野さんの意見では、
・・・しかし風営法は、その性質上既成の業態を対象にせざるを得ず、とくに「性風俗関連特殊営業」については、既存のものが変化し、また、新たなものが出現するという状況の変化が著しいことから、・・・規制が十分に追いつかず、いわゆる「いたちごっこ」の状態にある。そこで、風営法による規制が追いつかない状況で、いわばその間隙を埋めるために使われているのが労基法62条2項なのではないか。もちろん、18歳未満の若年労働者を救済するという観点から適用されている側面もあるが、警視庁の動向などと併せて考えると、風営法による規制が間に合わない脱法風俗店を取り締まる目的が、労基法62条2項には付与されているように思われる。このような役割を労基法に担わせていいのかという点に関しては、疑問が残る。
そうでしょうね。
ニッポンドットコムに、6月以来各国語で公開されてきた「ジョブ型正社員」と日本型雇用システム」ですが、日本語、英語、中国語(繁体字と簡体字)、フランス語、アラビア語に続いて、スペイン語でも公開され、これにて一応ニッポンドットコムの言語としては完了となります。
http://www.nippon.com/ja/currents/d00088/(「ジョブ型正社員」と日本型雇用システム)
政府の規制改革会議が6月5日に安倍首相に提出した答申に「ジョブ型正社員」(限定正社員)のルール整備が盛り込まれた。「ジョブ型正社員」提唱者の一人の濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構)が、「ジョブ型」の意義と従来の日本型雇用システムの問題点を解説。
http://www.nippon.com/en/currents/d00088/(Addressing the Problems with Japan’s Peculiar Employment System)
Japanese companies have cut back sharply on their recruitment of regular employees to be permanent members of their organizations, forcing many people to rely on nonregular employment. An expert on labor policy calls for the introduction of a job-based system of regular employment, distinct from the existing membership-based system, which is seen only in Japan.
http://www.nippon.com/hk/currents/d00088/(「限定型正式雇員」和日本式僱用體系)
6月5日政府的規制改革(管制改革)會議向安倍首相提交的報告中,提出了有關完善「限定型正式雇員(指固定工作地點、時間、內容的正式員工,也稱為JOB型正式雇員——譯註)」制度的內容。作為「限定型正式雇員」提倡者之一的濱口桂一郎(勞動政策研究研修機構)將在本文中對「限定型」的意義及以往的日本式僱用體系的問題所在做一分析說明。
http://www.nippon.com/cn/currents/d00088/(“限定型正式雇员”和日本式雇用体系)
6月5日政府的规制改革会议向安倍首相提交的报告中,提出了有关完善“限定型正式雇员(指固定工作地点、时间、内容的正式员工,也称为JOB型正式雇员——译注)”制度的内容。作为“限定型正式雇员”提倡者之一的滨口桂一郎(劳动政策研究研修机构)将在本文中对“限定型”的意义及以往的日本式雇用体系的问题所在做一分析说明。
http://www.nippon.com/fr/currents/d00088/(Les problèmes spécifiques du système de l’emploi japonais)
Les firmes japonaises ont considérablement réduit le nombre des employés « réguliers » ou « permanents » qu’elles recrutent chaque année et qui deviennent membres à part entière de l’entreprise. Tant et si bien que quantité d’habitants de l’Archipel doivent à présent se contenter d’un emploi « non régulier », autrement dit « précaire ». Dans cet article, Hamaguchi Keiichirô, spécialiste de la politique de l’emploi, propose l’adoption d’un système d’« emploi régulier basé sur le poste de travail » en parallèle à celui de l’« emploi à vie » fondé sur l’adhésion à la communauté constituée par l’entreprise, qui n’existe qu’au Japon.
http://www.nippon.com/ar/currents/d00088/(نظام التوظيف في اليابان)
تم تضمين قواعد تنظيم "التوظيف محدد المهمة" (الموظف محدد المهام) في التقرير الذي أصدره آبي شينزو في جلسة الحكومة المخصصة لتعديل القوانين. يشرح في هذا المقال السيد هاماجوتشي إيتشيرو (يعمل بمركز أبحاث خطط العمل وبهيئة التدريب المهني) كواحد من المناصرين لـ "وظائف المهمة المحددة"، مشاكل نظام التوظيف في اليابان بين الوظائف المحددة المهمة والوظائف الإعتيادية
そして、最後のスペイン語版は
http://www.nippon.com/es/currents/d00088/(La problemática del modelo de empleo japonés)
El pasado 5 de junio el Comité para la Reforma Regulatoria del gobierno japonés propuso enmendar la regulación sobre contratación de empleados fijos. El experto en política laboral Hamaguchi Keiichirō analiza los problemas del modelo de empleo fijo tradicional japonés, basado en la membresía, y defiende la adopción del modelo basado en el puesto de trabajo.
OECDの年次政策白書『アウトルック』といえば、『経済アウトルック』や『雇用アウトルック』が有名ですが、今年10月には初の『技能アウトルック』が刊行されるそうです。
http://skills.oecd.org/documents/oecdsfirstskillsoutlooktobereleased8october.html(OECD's first Skills Outlook to be released 8 October)
What people know and what they do with what they know has a major impact on their life chances. This will be one of the key messages from the first edition of the OECD Skills Outlook, to be released 8 October. This edition, which will present the results from the first round of the Survey of Adult Skills, a product of the Programme for the International Assessment of Adult Competencies (PIAAC), will offer readers access to a rich source of data on adult proficiency in literacy, numeracy and problem-solving in technology-rich environments – the key information-processing skills that are invaluable in 21st century economies – and in various “generic” skills, such as co-operation, communication, and organising one’s time.
These results, and results from future rounds of the survey, will inform much of the analysis contained in subsequent editions of the Outlook. The Outlook will build on the OECD’s extensive body of work in education and training, including findings from its Programme for International Student Assessment (PISA), its policy reviews of vocational education and training, and its work on skills, particularly the OECD Skills Strategy – the integrated, cross-government framework developed to help countries understand more about how to invest in skills in ways that will transform lives and drive economies. The OECD Skills Outlook will show us where we are, where we need to be, and how to get there as fully engaged citizens in a global economy.
人々が知ってることや知ってることを用いてやることは、彼らの人生の機会に大きな影響を与える。これは、OECD『技能アウトルック』創刊号のキー・メッセージの一つである。・・・
世界的には技能というのが経済社会政策の鍵の一つになりつつあるのです。本ブログでも、OECDの技能戦略の動向については適宜紹介してきましたが、やはり元の資料に是非当たって欲しいと思います。
レベルの低い評論家のご託をいくら読んでも、(自慰目的ならともかく)社会認識を深める役にはほとんど立ちません。
POSSEの坂倉さんが、ツイートで、雑誌『POSSE』20号について予告をしています。
https://twitter.com/magazine_posse/status/379451752371605504
『POSSE』20号が今週末から発売です!特集は「安倍政権はブラック企業を止められるか?」。安倍政権のブラック企業対策、そして労働改革はどうなるのか、その狙いは何か、どう対峙すべきかを論じます!執筆者は熊沢誠、脇田滋、木下武男、濱口桂一郎、吉良よし子、山本太郎、鶴光太郎ほか…!
https://twitter.com/magazine_posse/status/379453388661874689
『POSSE』20号。限定正社員を批判に終わらせない熊沢・脇田・木下論考や、規制改革会議雇用ワーキンググループ座長の鶴光太郎インタビュー、さらには与野党の若手参議院議員のインタビューなど、賛否両論確実な企画が満載。現在の労働改革に関心のある方は必読です…!
ということだそうで、私も「「ジョブ型正社員」は解雇自由の陰謀か?」という文章を寄稿しております。
JILPTホームページのコラム、今回はドイツ労働法が専門の山本陽大さんです。も少し言うと、ドイツの解雇法制、さらに詳しく言うとドイツの解雇の金銭解決制度で論文を書いていて、最近突如としてひっぱりだこですが、コラムもその流れで、
http://www.jil.go.jp/column/bn/colum0231.htm(ドイツの解雇紛争処理実務に想う)
今年の7月に現地調査のためドイツへ出張した際、時間が空いたので、現地の弁護士に勧められ、労働裁判を傍聴しに行ってみた。場所はフランクフルト労働裁判所、中央駅から歩いて10~15分ほどである。入るとエレベーターの付近に、どの法廷でどの事件が取り扱われるのか、その日のスケジュールを記した紙が張ってある。見ると解雇事件の和解手続を行う法廷があったので、傍聴席に座り見学することにした。・・・
午前中から正午過ぎにかけて6件の事件を傍聴したが、そこで筆者が目の当たりにしたのは、和解手続が極めてスピーディーに処理されてゆく様子であった。どの事件においても、裁判官(比較的若い、女性の裁判官であった。)が簡単に事実関係を確認したうえで、すぐに補償金(和解金)の支払いによる解決を当事者達に提案する。ここでの補償金額の算定について、法律上のルールはないが、実務では当該労働者の勤続年数×月給額×一定の係数(0.5~2.0、係数値は本人の年齢により変化する。)という算定式が確立しており、これに従って裁判官が電卓を叩き、金額を算出する。当事者達は、そのようにして算出された金額を前に、和解に応じるかどうかの話し合いを行うが、筆者が傍聴した6件中、1件を除いては、裁判官が提示した金額により和解が成立した(1件だけは、和解が成立せず判決手続へ移行したが、これは韓国系企業と韓国人労働者の間の解雇事件であった。)。短いものでは、1件の和解手続に15分もかかっていなかっただろう。・・・
ここから、山本さんはドイツの「法の世界」と「事実の世界」の関係について考察しつつ、日本の解雇法制の在り方について考えをめぐらせていきます。
・・・このように考えると、日本の問題点が浮かび上がってくる。日本では、労働契約法16条により解雇規制が行われているが、「それは、どのような労働者のどのような利益を守るためのものなのか?」、この点がいまひとつハッキリしていない。・・・・・・日本でも、解雇の金銭解決制度の立法化が折に触れて話題となっているが、同制度を構想する際には、「そもそも解雇規制は、どのような労働者のどのような利益を守るためのものなのか?」という問題に立ち戻って検討する必要があるのではないだろうか・・・。
山本さんはそう、「ホテルのバーでWarsteinerを飲みながら」考えたそうですが、これは多くの人が改めて考えてみるべきことでしょう。
まだ届いていませんが、『季刊労働法』秋号の表紙をみると、なかなか面白そうな記事が載っています。
特集は「解雇・退職等をめぐる最近の動向」で、
矢部明裕さんの「労働相談の現場から見えてくる職場荒廃」、棗一郎さんの「最近の解雇・退職などをめぐる労働問題」、木下潮音さんの「解雇・退職をめぐる最近の動向 使用者側弁護士の立場から」など、実務者の実態報告に加え、
研究者からは篠原信貴さんの「不更新条項とその解釈」、戸谷義治さんの「労働契約終了と損害賠償請求の判例道幸」です。
その他の論説では、高橋賢司さんが「ドイツ労働者派遣法の改正について」は、先日『電機連合NAVI』夏号に書かれていたのの詳細版でしょうか。併せて、連合の新谷信幸局長が「独仏労働者派遣法の現在」を書いていて、派遣法改正シフトですね。
同じ派遣法でも、趨庭雲さんの「団交応諾義務にかかる派遣先の使用者性」は、研究会報告がスルーした論点を扱っているようです。
中村和雄さんの「生活困窮者自立支援法案における[中間的就労]の問題点」は、多分社会政策観点からは望ましいとされる政策の労働法的な曖昧さを衝いているのでしょう。
森下之博さんの「就職・採用活動システムの見直しをめぐる最近の動きと今後の課題」も面白そうです。
鈴木俊晴さんの「フランス労働委の権限拡大と信頼の起源」は、昨年労働法学会で報告された話の延長ですね。
その他連載ものもいろいろありますが、わたしは今回「職業教育とキャリア教育」を取り上げました。
労政時報の人事ポータル「jin-jour(ジンジュール)」の「BOOK REVIEW―人事パーソンへオススメの新刊」のコーナーで、拙著『若者と労働』が取り上げられています。
http://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=60211
■安倍内閣が策定した「日本再興戦略」を受けて、この秋から「多様な正社員」の普及・拡大に向けた有識者による議論がスタートした。動き出した正社員改革は、不安定な非正規雇用から安定雇用への移行拡大にどう寄与していくのか。そこに横たわるのが90年代の就職氷河期を契機として、非正規雇用の肥大化に拍車を掛けてきた若者雇用をめぐる問題だ。著者はその深層を、日本独特の「入社」の仕組みを軸に丹念に解きほぐしていく。
■「ジョブ型」社会の欧米では、職業能力が未熟な若者の雇用問題がしばしば深刻化してきた一方、人に仕事を貼り付ける「メンバーシップ型」社会の日本では、雇用問題の焦点はもっぱら高コストの中高年層に当てられてきた。いま日本で起きている若者雇用の問題の背景には、バブル期以降の採用抑制のみにとどまらず、実践的職業教育が乏しい現状、相次ぐ雇用政策の失敗など数々の要因が複雑に絡み合う。そして昨今では、正規入社の門をくぐった若者たちを使い捨てにするブラック企業問題も大きく取りざたされている。
■若者雇用問題が示すように、日本企業に定着してきた「メンバーシップ型」の雇用は大きな曲がり角を迎えている。一方、全面的な「ジョブ型」への移行は誰が見てもまだ現実性に乏しい。著者が提示する処方せんは、第三の類型としての「ジョブ型正社員」、職務や勤務場所、労働時間などが限定される無期雇用契約の働き方である。これからの正社員改革の行方と課題を的確につかむために、本書の示唆に触れることをお奨めしたい。
というわけで、お奨めされております。
また、株式会社アヴァンティスタッフのニュースレター「月刊 HRタイムズ」でも取り上げられておりました。
http://www.mjs.co.jp/Portals/0/data/avantistaff/misc/pdf/201309_hrtimes.pdf
タイトルは『若者と労働』とありますが、雇用問題全般に関心のある方々におすすめの一冊です。
最終章では、それまでにとりあげた数々の問題を解決するためには、当面の政策として正社員と非正規労働者の間に位置付けられる「ジョブ型正社員」という雇用類型の確立が必要であるとまとめています。この提言は、安倍政権下の規制改革会議等の議論とまさに重なる部分でもありますので、この1冊を読むことで、雇用問題に関するニュース報道の理解の大きな手助けになることでしょう。
また、本書の特徴として、日本の雇用システムの大きな特徴である新卒定期採用がなぜ日本企業で実施されているのかといった歴史的経緯や就職活動における問題点等の雇用システムのみならず、それら雇用システムと日本の学校教育の関係から考えられる日本の「教育システム」についても深く語られていることが挙げられます。
ちなみにamazonはずっと在庫切れのようなので、お近くの書店でどうぞ。
ミネルヴァ書房から刊行されている福祉+αというシリーズの第5冊目として、わたくしの編著による『福祉と労働・雇用』が刊行にこぎ着けました。
http://www.minervashobo.co.jp/book/b120806.html
「正社員」体制の下で成り立っていた福祉と労働の幸福な分業は、「正社員」が徐々に縮小し、企業単位の生活保障からこぼれ落ちる部分が徐々に増大するとともに、否応なく見直しを迫られている。福祉と労働のはざまで見落とされてきたものはなにか、そして両者を再びリンクしていくにはどうしたらよいか。
本書は福祉・社会保障政策と雇用・労働政策の密接な連携を求めて、これらの「はざま」の領域の政策課題について検討をおこなう。
目次と各章の執筆者は次の通りです。
はしがき 濱口桂一郎
総論 福祉と労働・雇用のはざまで 濱口桂一郎
1 雇用保険と生活保護の間にある「空白地帯」と就労支援 岩名(宮寺)由佳
2 高齢者の雇用対策と所得保障制度のあり方 金明中
3 学校から職業への移行 堀有喜衣
4 障害者の福祉と雇用 長谷川珠子
5 女性雇用と児童福祉と「子育て支援」 武石恵美子
6 労働時間と家庭生活 池田心豪
7 労災補償と健康保険と「過労死・過労自殺」 笠木映里
8 年功賃金をめぐる言説と児童手当制度 北明美
9 最低賃金と生活保護と「ベーシック・インカム」 神吉知郁子
10 非正規雇用と社会保険との亀裂 永瀬伸子
11 医療従事者の長時間労働 中島勧
12 外国人「労働者」と外国人「住民」 橋本由紀
奥付の刊行日は9月30日なので、おいおい書店に出てくることと思います。
目次だけでも、どういうあたりを狙っているかある程度おわかりいただけるかと思いますが、そこのあたりをもう少し詳しく述べている「はしがき」の一部をちょっとお見せしておこうと思います。
・・・これに対し戦後両者の関係は次第に疎遠になってきたように見える。「社会政策学会」という名の学会は今日に至るまで存在し続けてきているが、とりわけ高度成長期から安定成長期に至るまでの時期は、労働・雇用問題の研究と福祉・社会保障の研究は別々の問題意識に基づき、別々に行われてきたようである。その背景としては、高度成長期に確立した日本型雇用システムにおいて、大企業の正社員を中心として企業単位の生活保障システムが相当程度に確立し、公的な福祉を一応抜きにしても企業の人事労務管理の範囲内で一通りものごとが完結するようになったことがあろう。福祉・社会保障政策はその外側を主に担当する。その意味では、福祉と労働の幸福な分業体制が存在していたとも言えよう。
これを逆に言えば、日本型雇用システムによってカバーされる範囲が徐々に縮小し、企業単位の生活保障からこぼれ落ちる部分が徐々に増大してくるとともに、両者がどのように密接に連携しているのかあるいはいないのかが、次第に大きな問題として浮かび上がってくることになる。今日、「福祉と労働・雇用のはざま」の問題が様々に論じられるようになってきたのは、一つにはこうした日本社会システム全体の大きな転換が背景にあると思われる。
またこれと裏腹であるが、家族を扶養する男性正社員を前提とした労働・雇用の枠組みの中に、家事・育児責任を負った女性労働者が入り込んでくることによって、これまで見えなかった子育て支援の必要性が可視化されてきたり、仕事と家庭の調和といった問題意識が浮かび上がってくる。これもまた「福祉と労働・雇用のはざま」の問題として論じられることになる。
そしてさらに、日本型雇用システムの変容だけではなく、福祉を労働と関連づけようという先進世界共通の問題意識もやはりその背景にある。この点は本シリーズ第2巻の『福祉政治』において、ワークフェアやアクティベーションといった言説戦略として(逆に両者を切断しようとするベーシックインカム言説とともに)紹介されているが、そうした問題意識に立脚した政策論が「福祉と労働・雇用のはざま」に着目するのは不思議ではない。・・・
へえ、面白そうだな・・・と思われたら、是非書店で手に取ってみていただけたらと思います。若い研究者たちの意欲あふれる論考がいっぱいです。
10日に開かれた標記有識者懇談会の資料がアップされています。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000022672.html
大部分は、日本再興戦略、規制改革会議報告書、厚労省の各種研究会報告など既存のものですが、開催要綱と今後のスケジュールだけは頭に止めておく必要があります。
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000022653.pdf
今野 浩一郎 学習院大学経済学部経営学科教授
神林 龍 一橋大学経済研究所准教授
黒田 祥子 早稲田大学教育・総合科学学術院准教授
黒澤 昌子 政策研究大学院大学教授
櫻庭 涼子 神戸大学大学院法学研究科准教授
佐藤 博樹 東京大学大学院情報学環教授
竹内(奥野)寿 早稲田大学法学学術院准教授
野田 知彦 大阪府立大学経済学部教授
水町 勇一郎 東京大学社会科学研究所教授
山川 隆一 東京大学大学院法学政治学研究科教授
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000022667.pdf
第1回( 平成 25 年 9月 10 日)
・今後の進め方について平成 25 年 10 ~12 月
・個別企業等からヒアリング 等平成 26 年 1~7月
・テーマ別議論
○制度導入のプロセス
○労働契約締結・変更時の条件明示の在り方
○労働条件の 在り方、いわゆる正社員との均衡の在り方
○相互転換制度を含むキャリアパス
○その他雇用管理に関する事項平成 26 年 8月以降
・報告書案について議論 、とりまとめ
OECD編著、高木郁朗監訳、麻生裕子訳『図表でみる世界の社会問題3 OECD社会政策指標 貧困・不平等・社会的排除の国際比較』(明石書店)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。
http://www.akashi.co.jp/book/b122785.html
OECD諸国の社会はどのように進歩しているのか。人口と家族の特徴、就業と失業、貧困と不平等、社会・保健医療支出、仕事と生活の満足度など、幅広い分野にわたる社会指標をもとにOECD諸国の社会の姿を概観する。特集ではレジャー時間について考察している。
毎度毎度言ってることですが、政治家やマスコミ人たちが、この薄い本に載っている程度のデータを常識として持っていろいろと喋ったり書いたりするだけで、世の中の議論の質は相当程度向上するのになあ、と感じるところが多々ありますね。
ところで、本書は、OECDの『Society at a Glance 2009』の邦訳なんですが、このシリーズは隔年で刊行されているので、現時点の最新版は『Society at a Glance 2011 』だし、今年には『Society at a Glance 2013』も出るはずだと思うんですが、どうして今になって2009年版の邦訳を出すのかよくわかりません。おそらく、特集が「OECD諸国のレジャー時間の測定」で、いろいろと面白いグラフが載っているからなのでしょうか。
ちなみに、『Society at a Glance 2011』はOECDのサイトのこちらにあります。
http://www.oecd.org/els/soc/societyataglance2011-oecdsocialindicators.htm
韓国労働研究院が発行している『国際労働ブリーフ』の2013年8月号が各国の派遣労働を特集していて、その中にわたくしの「일본의 파견법 개정 논의의 지평 변화」(日本の派遣法改正論議の地平変化)も載っています。
■ 머리말
일본의 노동자파견법은 1985년 제정된 이래 규제 완화와 규제 강화라는 상반된 흐름 속에우여곡절을 거듭해 왔다. 1900년대 후반부터 2000년대 중반까지는 규제를 풀자는 목소리가커지면서 파견사업에 대한 규제가 완화되었다. 2000년대 후반에 들어서 파견노동이 양극화의원흉으로 지목되자 구 자민·공명 연립정권 시절과 특히 민주당 정권하에서 사업 규제를 강화하려는 움직임이 강해졌다. 두 정권이 국회에 제출한 파견법 개정안을 보면 이를 명확히 알 수있다. 그러나 2010년대에 접어들어 다시 규제 강화에 대한 비판이 거세졌고 2012년에는 당시여야 간 합의를 통해 국회에서 법안 수정 작업이 이뤄지면서 민주당 정권이 제출한 법안의 핵심 부분이 삭제되었다. 그러나 구 자민·공명 연립정권이 내놓은 법안에도 포함되어 있던 규제 강화에 대해서도 여전히 비난의 목소리가 강해 현 정권하에 후생노동성에 설치된 유식자연구회에서 추가적인 수정을 위한 검토 작업이 진행되고 있다.이 글에서는 지난 약 5년간 나타난 규제 강화와 규제 완화의 동향을 중심으로 서술하고 그의미를 적절하게 이해할 수 있도록 파견법 제정 이전까지 거슬러올라가 이 문제의 추이를 간략히 개괄하고자 한다.
って、いや、私も全然読めませんて。
おそらく、私が送った次のような日本語の原稿が、ちゃんとした韓国語になっているはずです。
はじめに
日本の労働者派遣法は1985年の制定以来、規制緩和と規制強化の大きな波に洗われてきた。1990年代後半から2000年代半ばにかけては規制緩和派の勢いが強く、派遣事業規制の緩和が進められた。2000年代後半に入ると派遣労働が格差社会の元凶と批判され、旧自公政権下やとりわけ民主党政権下で事業規制強化への動きが強まった。両政権が国会に提出した派遣法改正案にはそれが明白である。ところが2010年代になって規制強化への批判が強まり、2012年に当時の与野党間の合意で行われた国会修正は、民主党政権提出法案の根幹部分を削除するものであった。しかしなお旧自公政権時代の法案にも含まれていた規制強化に対しても批判が強く、現在政府の厚生労働省に設置された有識者による研究会において、さらなる見直しに向けた検討が進められている。本稿では、過去5年あまりの規制強化とその揺り戻しの動向を中心に述べるが、それらの意味を適切に理解できるように、派遣法制定以前にさかのぼってこの問題のパースペクティブを簡単に説明しておきたい。
本日の朝日新聞の教育面、「学びを語る」という連載コーナーで、わたくしが登場しております。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201309100612.html((学びを語る)大学と就活 専門的な職業教育を増やせ 濱口桂一郎さん)
大学生の就職活動の「後ろ倒し」を安倍政権が企業側に要請している。学生を勉強に集中させる狙いだが、学ぶ内容は文科系を中心に職業と直結していないことが多い。
■労働政策研究・研修機構統括研究員、濱口桂一郎さん
学校では本来、卒業後の職業人生で一番役立つことを学ぶはずです。医学部を卒業できない学生は医者になれない。しかし、文科系を中心に、日本の大学教育の多くは、職業と直接つながっていない。教育界に「企業のための教育なんてけしからん」という考えが根強いからです。だから、「就活は勉強の邪魔だ」との声が出る。
企業側も、特定のスキルを持たないまっさらな学生を求めてきました。「よい素材さえくれれば、あとは会社で教育する」というわけです。正社員に何でもやらせる日本型雇用にとっても都合がよかったのです。
しかし、バブル崩壊後の1990年代から企業は正社員の採用を減らしました。一方で大学進学率は大幅に増加。結果として不安定な非正規雇用になる若者が増えました。一度非正規になると抜け出すのは困難です。ブラック企業に使い捨てられる若者もいる。
今の大学教育のままだと不安定な雇用に陥る学生がどんどん増える。文学や思想など人類の至高の遺産を学ぶのはすばらしいが、ほとんどの職業に役立ちません。専門的な職業教育を増やすべきです。卒業時点で「この仕事ができる」といえれば就職の道も広がります。企業側も仕事内容を限定した職種の整備が必要でしょう。
こういう意見を言うと、大学の先生から「就職のための教育なんて低俗だ」って批判されます。学生の親にも「職業教育を受ける子はエリートじゃない」という意識が残っている。そろそろ、若者をいかに安定雇用させるかという視点で議論するべきです。 (聞き手・千葉卓朗)
千葉記者によるまとめですが、私のやや刺激的な発言を結構使っていただいておりますね。いや、確かにそういう言い方しましたが。
(追記)
ツイートで、いかにもそういう反応がくるだろうなあ、と思っていたようなまさにその反応が多く見られて、ややげっそり。
拙著『若者と労働』の第3章「入社のための教育システム」で論じたような構造的絵解きをきちんとしないまま結論だけ投げ込むと、見事にこういう反応が返ってくるわけです。
そういう(主観的には純アカデミックな)反発それ自体が、まさに「入社システム」によって創り出され、そしてそれを支えてきた日本型システムの一環であるわけなんですが、そういう話をあれだけのインタビュー記事の中に盛り込めるはずもないわけで。
こういう風に読まれて騒がれることまで含めて、新聞側の狙いが当たったというべきでしょうか。
一昨年末に刊行されたOECDの『世界の若者と雇用』(濱口桂一郎監訳、中島ゆり訳)(明石書店)が、2年足らずで在庫が売り切れ、増刷されました。本日、初版第2刷が届きました。
こういう専門書が着実に読まれているというところを見ると、マスコミの表層ではいまだ極端な議論を売り歩く人々が闊歩しているとはいえ、若者雇用問題について冷静で着実な議論をきちんと踏まえている人々が増えつつあるという安心感を感じます。
拙著『若者と労働』でも、いくつも本書からの引用を使いましたが、関心を持たれた方は是非直接本書を読んでいただきたいと思います。日本でしか通じないガラパゴス的ワカモノ論ではなく、OECDという世界標準の議論の水準を感じることができるはずです。
http://www.akashi.co.jp/book/b98789.html
学校から職業への円滑な移行を促進し、好調なスタートを切るためにはどうしたらよいのか。経済危機前後の雇用・失業状況および教育・訓練政策を検証し、「傷ついた」世代を生み出すことなく、よりよいキャリア形成を支援するための積極的な雇用政策を展望する。
なお、同じOECDの雇用政策報告書シリーズから、『日本の若者と雇用』(濱口監訳、中島ゆり訳)、『日本の労働市場改革』(濱口訳)、『世界の高齢化と雇用政策』(濱口訳)もどうぞ。世界標準の雇用の議論を理解するのに最適です。
森戸英幸さんより、いまやおちゃらけ系テキストの決定版となった『プレップ労働法[第4版]』をお送りいただきました。
例によって「はじめに」からこういう調子です。
・・・スリムでちょっと小脇に抱えるとオシャレな厚さだったのは初版のみ。その後版を重ねるにつれてのバルクアップは避けられなかった。このままだと第4版は限りなく立方体に近づくのではないか、オマエはコロコロコミックかという懸念もあったのだが、今回1ページあたりの字数を増やすという裏技?偽装?により、ほんの少しだが第3版よりも減量に成功した。・・・
いや確かに、段ボール封筒から出して最初の印象は、森戸さん痩せたな・・・でしたな(違)。
どういう調子かは、たとえば、日本型正社員の「無限定」ぶり:
「地方はもちろん海外勤務もあり得るわけなんだけど、大丈夫ですか?」
「ハイ、総合職である以上、たとえ地球の果てまでも行く覚悟です!」
「仕事内容もね、理系出身といっても営業をやらせるかも知れないよ」
「ハイ、それもすべてお任せします!」
その流れで配転の不利益について:
「この転勤には応じられません。通常甘受すべき程度を著しく越える不利益が生じます」
「そんなすごい不利益が・・・・・・でそれはなにかね?」
「ハイ、熱烈な阪神ファンの私が甲子園に通えなくなります」
「アホか!ほなデーゲームも毎日通えるようにしたるわ!」
吉本の漫才ではありません。
本日の読売新聞の社説が「ブラック企業 若者の使い捨ては許されない」と論じています。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130907-OYT1T01227.htm?from=ylist
若者に過重労働を強いる「ブラック企業」が社会問題となっている。
厚生労働省は、離職率が極端に高く、サービス残業や賃金未払いが常態化している企業約4000社を対象に、立ち入り調査を始めた。
悪質な企業については、社名を公表するという。実態を把握し、指導を強めてもらいたい。
・・・弱い立場の若手社員が、泣き寝入りしないためには、過酷な労働実態を訴える声をすくい上げる体制整備が、まずは欠かせない。
厚労省は、若者からの電話相談窓口を新設する。弁護士団体やハローワークも相談業務を拡充する方針だ。“駆け込み寺”として有効に機能させたい。
といった記述の最後に、我が意を得たりの次のような提言がちゃんと書かれています。
欧州連合(EU)では、24時間につき連続11時間以上の休息を社員にとらせることを企業に義務づけたルールがある。
日本では、労働基準法で労働時間の上限が定められてはいるが、労使が特別な協定を結べば、企業が事実上、際限のない長時間労働を社員に課すことができる。
EUなどの例も参考に、過度な長時間労働を抑える仕組み作りも、今後の課題だろう。
先月刊行された『若者と労働』は引き続き評判が良いようで、有り難いことです。本日は、人事担当者のためのウェブマガジン「HRM Magazine」で、久島豊樹さんにより4冊の本が書評されている中で取り上げられています。
http://hrm-magazine.busi-pub.com/books1309.html
若者の就職事情と労働政策の動向を歴史的に俯瞰し,現代の課題を浮き彫りにしていくスケールの大きな論考だ。まず,「入社」に価値を置く日本的な新卒採用スタイルを「メンバーシップ型」と名付け,欧米にみられる「職」基準の「ジョブ型」との違いを明らかにしている。そのうえで,企業が学歴(偏差値)を頼りに新卒を採るメンバーシップ型雇用は,1990年代の正社員削減の動きを契機に行き詰まったと振り返る。そのとき門戸から漏れた若者らが「フリーター」となって潜行し,2000年代に至って「年長フリーター」という格差問題で顕在化したとの分析を示している。今後の政策的処方では,新卒(学歴)採用への偏りを廃し,「職」基準への転換が避けられないと見通すものの,一気にジョブ型労働社会へ移行するとスキルを持たない若者から失業するリスクが大きいとし,暫定的な「ジョブ型正社員」という雇用スタイルに注目する。内容は詳しく正確で,しかも易しい記述に徹していて,時系列の雇用状況を一気におさらいできる仕上がりがうれしい。
読みたくないから読んでいないのか、読んでもわざと理解できないふりをしているのか、本の内容とは異常にかけ離れた曲解した印象操作を振りまきたがるヒョーロンカ諸氏が多い中、こういう真摯にわたくしの議論を取り上げていただく方には感謝の念に堪えません。
そうですね、「若者の就職事情と労働政策の動向を歴史的に俯瞰し,現代の課題を浮き彫りにしていくスケールの大きな論考」という評は、私がまさに念じていたところです。どこまでのスケールの作品になっているかはわかりませんが。
なお、拙著以外の3冊は、
児美川孝一郎『キャリア教育のウソ』
野原蓉子『こうして解決する! 職場のパワーハラスメント』
原俊『「シロアリ社員」があなたの会社を食いつぶす』
です。
なお、最近のネット上の書評もいくつか。
http://ameblo.jp/hosukenigou/entry-11604717055.html(いつもだいたいむかいかぜ)
日本人は全体主義だと言われる。
定時の鐘が鳴ってから、なんだか言いようのない帰りづらさ。
帰りたいけどなんかみんなまだやってるから、とりあえずなんかしていよう。
これは全体主義ゆえではない。
この定時に上がらない帰りづらさはなんなのか、ということの説明にピンと来たので抜粋する。「自分の仕事と他人の仕事が明確に区別されていない。そうなると、たまたま今やっていた自分の仕事が終わってからといって、さっさと仕事を終えて帰るなどという行動をとるのは大変難しいことになります。
同僚がたまたま今やっている仕事だって、他人の仕事ではなく自分の仕事でもあるからです。
結果的に、職場集団の全員が仕事を終えるまではみんなで残業することが多くなります」そうか。まさに、そうだ。
http://blog.livedoor.jp/wwbw_9ss/archives/31581797.html(Whatever Will Be, Will Be)
最近は自己啓発に軸足を置いた「働き方」の本が多い中で、ここまで簡潔に日本の雇用制度を説明している本は他にないと思います。
また、日本だけの変遷に限らず海外との比較や日本の特有の法と労働判例の関係性なども丁寧に説明してくれます。本当に勉強になる本です。
これからの働き方を考えるたい人は、読んで損のない本だと思います。
http://minami-jimusyo.jp/news/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/20130904/2141/(みなみ事務所からのお知らせ)
日本の正社員は、担当する職務=ジョブの範囲や量が明確でなく、企業に所属する=メンバーであるということのみで、会社と雇用契約を結んでおり、そのため、担当する仕事が無定形無定量で歯止めがかからず、正社員の(超)長時間労働を生み出しています。
それとは対照的に、日本の非正社員は、担当する作業=ジョブはかなり明確である代わり、会社への帰属性=メンバーシップは極めて希薄で、雇用契約が有期であったり、契約期間が切れたときはもちろん、切れる前でも、会社の業績など都合次第で簡単に雇用が打ち切られます。権限や責任も正社員と比べて大幅に限定され、給与や社会保険などの労働条件は極めて劣悪です。
いわば、「ジョブなきメンバーシップ」原理の正社員と「メンバーシップなきジョブ」原理の非正社員という、両極端な二つの世界が併存しており、そのことがそれぞれの側を苦境に陥れる結果をもたらしているのだ、ということになります。
http://pink.ap.teacup.com/furuya-y/1679.html(「ブラック企業誕生の二つの道???」 )
この本、濱口氏の他の本にくらべてかなりわかりやすいというか、読みやすい気がしますね。もちろん、レベルを落としているということはなく、よく読めば実はかなり難しいんだが。
http://pink.ap.teacup.com/furuya-y/1680.html(「見返りなし・滅私奉公???」 )
あった、あったこういう時代。ワタクシが大学を出たての頃だ。まああのころは日本中がブラック企業でしたね。要するに、定年まで面倒見てやるから煮て食おうが焼いて食おうがこちらの勝手だぞ、ということでした。
ところが、「定年まで面倒みてやるから」がいつの間にか消えてなくなった。そしていま、「見返りなし滅私奉公」的働き方が強いられているってわけか。
なぜか、amazonではここ数日、ずっと品切れ状態が続いているようですが。
アデコ社の広報誌『Vistas Adecco』33号が「日本だけではない、先進国を覆う若年労働者の雇用問題」を特集しています。
http://www.adecco.co.jp/vistas/adeccos_eye/33/
図表も豊富で、結構役に立つ記事だと思います。その中に、労働経済学の太田聰一さんと並んで、わたくしも登場しています。
ある意味で、拙著『若者と労働』の重要な部分をコンパクトに要約したような面もあり、ご参考になるのではないかと思います。
・・・だが若年者の雇用問題に頭を悩ませているのは日本だけではない。詳しくは8ページにゆずるが、労働政策研究・研修機構、労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員の濱口桂一郎氏によると「むしろ新卒一括採用があるという点においては、日本は他の先進国より恵まれている」と言う。
・・・このような欧米の若年雇用の実態は、70年代から続いている。もちろん各国とも、この状況を手をこまねいて見ていたわけではない。若年層の失業問題に対処するため、フランスでは年金受給年齢を引き下げ、高年齢者の早期引退促進政策を推進。高齢者の代わりに、若年層を採用するよう企業に働きかけたこともある。だが、スキルを持たない若年層は経験・技能を持つ高年齢者の代替にならないケースが多く、結果として、若年層の失業解消には繋がらなかった。「高齢者早期退職政策によって若年層の就業率を向上させる取り組みは、どの国も失敗した」(濱口氏)のが実情だ。
では、どうすれば若年層の雇用問題は好転するのか。濱口氏によると、「90年代以降、欧米が出した唯一の結論は、若者の育成」だと言う。つまり、国が若者を訓練しスムーズに就労に移行させるという方法しかないということだ。・・・
・・・日本における若年労働者の育成は、「新卒一括採用」で雇用し、OJTや研修などを介して、それぞれの 企業色”に染め上げるというパターンが主流だった。慶應義塾大学経済学部教授の太田聰一氏は、その背景と効果について「日本の企業は 現場主義”。一通りの業務ができるだけではなく、現場でトラブルが起きた際、それをうまく処理する能力を社員に求めてきた。そのため、その企業独特のスキルを身に付けるのが合理的でした」と解説する。
企業が自前で人財を育成し、高い忠誠心を醸成する。社員も失業の心配がない“安定クラブ”に入る─。双方にとって都合の良い歴史的な「新卒成功物語」は、高度経済成長期には高い生産性に繋がり、企業が力を発揮するバネになった。だが「失われた10年」で、各企業は雇用調整をせざるを得ず、そのしわ寄せは新卒採用抑制へと向かった。その結果、2つの大きな問題が生じた。一つは「“新卒採用の波”に乗り切れなかった若者」の問題だ。「日本は正社員を解雇しにくいといわれているため、新卒採用で正社員を採用することはリスクの高い投資。ましてや経済環境が不確実になると、企業は固定的人財を採用することに躊ちゅうちょ躇し、結果、若者の採用は抑制され就職できない層が増えます。いったん有期雇用労働に従事した若者は、正社員になりたくてもなれず、そのまま滞留してしまいます」
・・・高齢者が優遇され、若者がワリを食っている―。今春施行の「改正高年齢者雇用安定法」により、そんな『世代間格差論』が過熱している。だが前出の濱口氏は「日本の若年労働者は欧米と比べ、どのような状況にあるか」の議論を抜きに、高齢者雇用と若年者雇用の関係性は語れない、と話す。「欧米の採用は、欠員補充が基本です。企業は、『Aという仕事=職務ができる人』という内容で募集を出し、対象者が応募するという形です。日本のように何のスキルもない若者を一括で採用すること自体、非常に稀なのです」
濱口氏はOECD(経済協力開発機構)の『世界の若者と雇用』という本の監訳をしたとき、世界レベルでいうところの「勝ち組」と呼ばれる層の定義に驚いたという。それは図6の説明にあるようなもので「OECDの定義なら日本の大卒の90%以上が勝ち組になります。日本の若者の失業率は、10%以上が当たり前の海外と比べても低い。このように世界と見比べれば日本の若者は、まだ恵まれているといえます」
もっとも欧米も、若者雇用対策を試みてきた。「1970~80年代、欧州先進国では年金支給年齢を下げるなどして高齢者のリタイヤを早め、その空白を若者の雇用で埋めようとしました。しかし実務能力のない若者に熟練の代替は難しく、この政策は失敗しました」
日本でも高年齢者を若者層に置きかえれば若者の雇用が増えるという主張があるが、濱口氏は「そうでないことは、歴史が証明している」と言う。「人口の高齢化に直面する先進国は、高齢者を含め労働者を増やし年金など社会保障制度を支えるパイを大きくする必要がある。そうしなければ社会保障費負担はかえって増大してしまいます」
ただし濱口氏は日本の若年者雇用の現状を肯定しているわけではない。「氷河期に就職できなかった人がそのまま正社員になれず『ミドルエイジの有期雇用者』になったように、日本の新卒一括採用は、一度失敗すると、その後も労働市場のメインストリームに戻れない構造問題を抱えている。就活時の景気に一生を左右され、再チャレンジできないこの構造が大きな問題です」
他方、欧米では就職することを「ジョブを得る」というように、雇用契約を職務として締結する。そのため技能を身に付ければ、一度や二度の就職の失敗は取り戻しやすい。「ドイツは学校に行きながら週2日ほど就労して職能を身に付ける『デュアルシステム』を導入、若者の雇用を増やしました。OECDもこの成功に倣い、若年雇用問題解決は『高齢者の追い出し』ではなく、『若者の育成』へシフトしています。しかし日本では、実務を学べる場が企業の中だけで、そこに入らない限り、永遠にメインストリームに戻れないまま。それを改善するためには、日本型雇用そのものを変えていく必要があります」
濱口氏はその案として、「リーダーやマネジャーを育成する既存の『新卒コース』と、地域や職務を限定した『限定社員コース』の二本立てで社員を採用し、後者で過去の新卒採用枠からもれた人を吸収する。そうすることで若者が再チャレンジできる社会に変えていくのです」。働き方が多様になれば、埋もれた優秀な人材の発掘にも繋がり、組織の活性化も期待できそうだ。
上で引用しているOECDの『世界と若者と雇用』(濱口監訳、明石書店)は、今回増刷されました、
https://twitter.com/akashishoten/status/375080856156504065
【重版】『世界の若者と雇用―学校から職業への移行を支援する〈OECD若年者雇用レビュー:統合報告書〉』(OECD編著 濱口桂一郎監訳 中島ゆり訳・定価3,990円)
#重版 ★よりよいキャリアを形成するための積極的な雇用政策を展望。
「平成25年版労働経済の分析」いわゆる「労働経済白書」が先日公表されました。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000015637.html
平成25年版では、日本経済における産業構造や就業構造が変化する中、産業の新陳代謝などを通じた競争力の強化や成長の力となる人材の確保・育成などとともに、労働者の意欲と能力が発揮され、企業が活性化するための働き方の構築が必要だという観点から分析を行いました。
その主なポイントは、
・「日本再興戦略」で位置づけられる戦略分野といった産業に「失業なき労働移動」を 実現すること
・雇用を創出する効果の大きい製造業の競争力を強化するために、多様な人材の確保、 人材の能力・資質を高める育成体系の整備などを行うこと
・非正規雇用労働者が増加した中で、正社員を希望するなど、より支援の必要性の高い者に焦点を当てながら、適切な能力開発の機会の提供などを通じて、雇用の安定や処遇改善を図っていくこと
にあります。本文の最後の「構造変化と非正規雇用」のところで、不本意非正規の増加や「多様な正社員」にも触れています。
企業が経済のグローバル化等の環境変化に対応する中で、正規雇用は1980年代後半から1990年代後半にかけて増加した後に減少したが、2000年代半ば以降大きく減少していない。一方で、非正規雇用は増加傾向が続いている。就業形態の多様化は、労働需要側の人件費コスト節約、仕事の繁閑への対応、専門的能力の活用、景気変動への対応等の観点とともに、労働供給側の就業ニーズや意識の変化、例えば家庭責任との両立を志向する者等の労働参加が進んだことや、高齢化の進行等の変化に対応するものでもあったと考えられる。企業における非正規雇用の活用が多様化するなかで、総じて基幹化・戦力化の動きが見られるが、今後についてみると、正社員比率を高める企業の割合は、非正社員比率を高める企業の割合を上回っている。また、非正規雇用労働者の多くが有期契約労働者であると考えられることから、有期契約労働者から無期契約労働者になる者が増え、雇用の安定が図られれば、企業にとっても人材の確保・定着等の効果が期待される。
一方で、厳しい雇用情勢の中でやむを得ず非正規雇用労働者となった者もみられる。そのような不本意非正規や正社員を希望する非正規雇用労働者、非正規雇用労働者のうち世帯所得の低い世帯で主な稼ぎ手となっている者など、より支援の必要性の高い者に焦点を当てながら、適切な能力開発の機会の提供等204を通じて、雇用の安定や処遇改善を図っていくことが重要である205。
こうしたことにより、我が国の労働者全体の人材としての付加価値が高まることが期待されるが、そのためには、企業が成長して良好な雇用が創出され、そのような分野で必要とされる人材が活躍できる仕組みを整備することが重要であると考えられる。
また、現在、労働需要側、労働供給側双方の動向も踏まえ、「多様な働き方」が注目されている。現在、企業でも、そのような働き方を活用する動きがみられているが、正規・非正規の二極化を解消し、雇用形態にかかわらず、労働者の希望に応じて、安心して生活できる多様な働き方が提供される社会を実現するため、より一層こうした働き方の導入促進に向けた取組を推進していくことが重要である。このことは、企業にとって従業員のモチベーション向上や人材の確保・定着を通じた生産性の向上が期待でき、また、非正規雇用労働者のキャリアアップ、より安定的な雇用の機会が確保されることになり、不本意非正規の減少にもつながるものと考えられる。さらには、正社員にとっても長時間労働等の課題を踏まえ、ワーク・ライフ・バランスの実現の一つの手段となりうるものと期待される。なお、その際には、労働者個人の選択が確保され、その導入により雇用の安定化が図られる層が増えるよう配慮して進めていくことが重要である。さらに、改正労働契約法の全面施行も、「多様な働き方」の普及・促進につながるものとして期待される。
本節で労働需要面、さらには労働供給面からみた雇用者の内訳をまとめると第3 -(3)-13図のとおりである。これらの各種統計データについては観点が異なり、重複があり得るものであるが、有期契約労働者の実数に関する統計値は「労働力調査」では2013年1 月より表章されたこともあり、今後、雇用契約の無期・有期の別と勤め先における呼称にまたがる統計の蓄積や分析、議論が必要と考えられる。
政府としては、今般明らかになった統計データを踏まえながら、非正規雇用労働者のキャリアアップのための取組を支援し、成熟産業から成長産業への失業を経ない円滑な労働移動が可能な環境の実現を図るなど、経済情勢の好転、企業における成長を支援する取組を、政労使の協力のもと推進していくことが必要である。そして、「多様な働き方」の選択肢が整備されつつ、各企業の労使が中長期的な観点から最適な従業員・雇用の組み合わせを実現していくことが、成長を通じた雇用・所得の増大にもつながっていくものと考えられる206 207。
206 内閣府「経済社会構造に関する有識者会議」における「成長のための人的資源活用検討専門チーム」報告書(2013年4 月)によると、中期的な制度的対応の方向性として、人的資本をできるだけ損なうことなく、より高い生産性の部門へ失業を経ないで移動できることを目指して、改革のための議論がなされるべきとしている。
207 「日本再興戦略」(2013年6 月14日閣議決定)中の「日本産業再興プラン」には、失業なき労働移動や多様な働き方の実現を含む「雇用制度改革・人材力の強化」が盛り込まれた
世の中には、ジョブ型雇用を奴隷制だと言って非難する「世に倦む日々」氏(以下「ヨニウム」氏)のような人もいれば、
https://twitter.com/yoniumuhibi/status/283122128201609216
本田由紀とか湯浅誠とか、その亜流の連中が、そもそも正規労働を日本型雇用だと言ってバッシングし、正規雇用を非正規雇用の待遇に合わせる濱口桂一郎的な悪平準化を唱導している時代だからね。左派が自ら労働基準法の権利を破壊している。雇用の改善は純経済的論理では決まらない。政治で決まる問題。
https://twitter.com/yoniumuhibi/status/290737267151077376
資本制の資本-賃労働という生産関係は、どうしても古代の奴隷制の型を引き摺っている。本田由紀らが理想視する「ジョブ型」だが。70年代後半の日本経済は、今と較べればずいぶん民主的で、個々人や小集団の創意工夫が発揮されるKaizenの世界だった。創意工夫が生かされるほど経済は発展する。
それとは正反対に、メンバーシップ型雇用を奴隷制だと言って罵倒する池田信夫氏(以下「イケノブ」氏)のような人もいます。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51870815.html(「正社員」という奴隷制)
非正社員を5年雇ったら正社員(無期雇用)にしなければならないという厚労省の規制は、大学の非常勤講師などに差別と混乱をもたらしているが、厚労省(の天下り)はこれを「ジョブ型正社員」と呼んで推奨している
・・・つまりフーコーが指摘したように、欧米の企業は規律=訓練で統合された擬似的な軍隊であるのに対して、日本の正社員はメンバーシップ=長期的関係という「見えない鎖」でつながれた擬似的な奴隷制なのだ。
もちろん、奴隷制とは奴隷にいかなる法的人格も認めず取引の客体でしかないシステムですから、ジョブ型雇用にしろメンバーシップ型雇用にしろ、奴隷制そのものでないのは明らかですが、とはいえ、それぞれが奴隷制という情緒的な非難語でもって形容されることには、法制史的に見て一定の理由がないわけではありません。
著書では専門的すぎてあまりきちんと論じていない基礎法学的な問題を、せっかくですから少し解説しておきましょう。
近代的雇用契約の源流は、ローマ法における労務賃貸借(ロカティオ・オペラルム)とゲルマン法における忠勤契約(トロイエディーンストフェアトラーク)にあるといわれています。
労務賃貸借とは、奴隷所有者がその奴隷を「使って下さい」と貸し出すように、自己労務所有者がそれを「使って下さい」と貸し出すという法的構成で、その意味では奴隷制と連続的な面があります。しかし、いうまでもなく最大の違いは、奴隷制においては奴隷主と奴隷は全く分離しているのに対し、労務賃貸借においては同一人物の中に存在しているという点です。つまり、労働者は労務賃貸人という立場においては労務賃借人と全く対等の法的人格であって、取引主体としては(奴隷主)と同様、自由人であるわけです。
この発想が近代民法の原点であるナポレオン法典に盛り込まれ、近代日本民法も基本的にはその流れにあることは、拙著でも述べたとおりです。
このように労務賃貸借としての雇用契約は、法的形式としては奴隷制の正反対ですが、その実態は奴隷のやることとあまりかわらないこともありうるわけですが、少なくとも近代労働法は、その集団的労使関係法制においては、取引主体としての主体性を集団的に確保することを目指してきました。「労働は商品ではない」という言葉は、アメリカにおける労働組合法制の歴史を学べばわかるように、特別な商品だと主張しているのであって、商品性そのものを否定するような含意はなかったのです。
労務賃貸借を賃金奴隷制と非難していた人々が作り出した体制が、アジア的専制国家の総体的奴隷制に近いものになったことも、示唆的です。
一方、ゲルマンの忠勤契約は日本の中世、近世の奉公契約とよく似ていて、オットー・ブルンナー言うところの「大いなる家」のメンバーとして血縁はなくても家長に忠節を尽くす奉公人の世界です。家長の命じることは、どんな時でも(時間無限定)、どんなことでも(職務無限定)やる義務がありますが、その代わり「大いなる家」の一員として守られる。
その意味ではこれもやはり、取引の客体でしかないローマ的奴隷制とは正反対であって、人間扱いしているわけですが、労務賃貸借において最も重要であるところの取引主体としての主体性が、身分法的な形で制約されている。妻や子が家長の指揮監督下にある不完全な自由人であるのと同様に、不完全な自由人であるわけです。
ドイツでも近代民法はローマ法の発想が中核として作られましたが、ゲルマン的法思想が繰り返し主張されたことも周知の通りです。ただ、ナチス時代に指導者原理という名の下に過度に変形されたゲルマン的雇用関係が強制されたこともあり、戦後ドイツでは契約原理が強調されるのが一般的なようです。
日本の場合、近世以来の「奉公」の理念もありますが、むしろ戦時中の国家総動員体制と終戦直後のマルクス主義的労働運動の影響下で、「家長」よりもむしろ「家それ自体」の対等なメンバーシップを強調する雇用システムが大企業中心に発達しました。その意味では、中小零細企業の「家長ワンマン」型とはある意味で似ていながらかなり違うものでもあります。
以上を頭に置いた上で、上記ヨニウム氏とイケノブ氏の情緒的非難を見ると、それぞれにそう言いたくなる側面があるのは確かですが、そこだけ捕まえてひたすらに主張するとなるとバランスを欠いたものとなるということが理解されるでしょう。
ただ、ローマ法、西洋法制史、日本法制史といった基礎法学の教養をすべての人に要求するのもいかがなものかという気もしますし、こうして説明できる機会を与えてくれたという意味では、一定の意味も認められないわけではありません。
ただ、ヨニウム氏にせよ、イケノブ氏にせよ、いささか不思議なのは、理屈の上では主敵であるはずのそれぞれジョブ型そのものやメンバシップ型そのものではなく、その間の「ほどほどのメンバーシップとほどほどのジョブ」(@本田由紀氏)からなる「ジョブ型正社員」に異常なまでの憎悪と敵愾心をみなぎらせているらしいことです。
そのメカニズムをあえて憶測すればこういうことでしょうか。
ヨニウム氏にとっては、(イケノブ氏が奴隷と見なす)メンバーシップ型こそが理想。
イケノブ氏にとっては、(ヨニウム氏が奴隷と見なす)ジョブ型こそが理想。
つまり、どちらも相手にとっての奴隷像こそが自分の理想像。
その理想の奴隷像を不完全化するような中途半端な「ジョブ型正社員」こそが、そのどちらにとっても最大の敵。
本田由紀さんや私が、一方からはジョブ型を理想化していると糾弾され、もう一方からはメンバーシップ型を美化していると糾弾されるのは、もちろん人の議論の理路を理解できない糾弾者のおつむの程度の指標でもありますが、それとともに理解することを受け付けようとしないイデオロギー的な認知的不協和のしからしむるところなのでもありましょう。
あらぬ流れ弾が飛んでこないように(いや、既に飛んできていますが)せいぜい気をつけましょうね。
編者の広田さん、共著者の羽田さんより、岩波書店の『シリーズ大学 第6巻 組織としての大学』をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.iwanami.co.jp/series/index.html
近年の大学改革のなかで,大学自治の枠組みは揺らぎ,大学組織と国家・市場・社会の関係は変貌を遂げてきた.行財政改革のなか,大学の自律性をどう考えるか.大学という組織は今後どこに向かうべきなのか.非正規教員や職員の問題にも光を当てながら,新しいあり方の可能性を探る.
最初の広田さんによる序論の一部が、PDFファイルで読めるようになっているので、ちょっと覗いてみて下さい。なかなか皮肉な文章が出てきます。
http://www.iwanami.co.jp/.PDFS/02/1/0286160.pdf
・・・ガバナンス改革のこうした状況に対して、まったく対照的な見方が存在する。上からの改革を進めたい人たちからいうと、「頑迷な大学人」の抵抗のせいで、改革が十分に進んでいないようにみえる。既得権に安住する現場の保守性のゆえに、必要な改革がなされていない、という見方である。しかしもう一方では、筋違いの改革が進められてきたせいで、大学の自治・自律性が危機に陥るとともに、果てしなく続く改革の結果、現場は疲弊・荒廃してきている、という見方がある。見る角度によって違った絵が浮かびあがる「騙し絵」のような感じである。この対立する二つの見方をどう考えればよいのだろうか。
本日の東京新聞の24-25面にでかでかと「こちら特報部」として「若者を苦しめるブラックバイト横行」が載っています。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013090502000140.html
残業手当を払わない、長時間労働を強いるブラック企業。厚生労働省が今月から実態調査を始めているが、問題はアルバイトにまで広がっている。サービス残業の強要はもちろん、売れ残った商品を買い取らされることもある。新たに呼ばれ始めた「ブラックバイト」の実態とは-。 (上田千秋、榊原崇仁)
その中で、わたくしも登場しています。
・・・なぜ、ブラックバイトが広がり始めているのか。
「非正規労働者の『中核化』が根底にある」と、労働政策研究・研修機構の浜口桂一郎統括研究員は分析する。
景気後退に伴い、特に、教育や飲食、アパレル関係のサービス業は近年、背社員が激減してアルバイトなどの非正規労働者が大幅に増えた。その結果、店長や現場責任者など職場で中核的な役割を担う役職まで、アルバイトが任されるようになった。
「中核的な立場に就く人は責任感が強く、簡単に辞められない。同僚から『辞められると困る』と引き留められると、さらに辞めづらい」。経営側はそういった事情を悪用し、さらに長時間労働を強いるケースも少なくないという。・・・
わたくしは「基幹化」と言ったつもりだったのですが、それではわかりにくいということで「中核化」ということばになったようです。
本日の読売新聞朝刊の第11面に、大津和夫記者の「ブラック企業対策 就労環境整備踏み込め」という4段抜きの記事が載っています。
その中で、わたくしの発言も引用されています。
・・・この問題で深刻なのは、若い社員が使い捨てにされている点だ。正社員は従来、一時的に酷使されることはあっても、長期雇用や年功賃金など先々の保障が期待できるのが一般的だった。だが、ブラック企業は「見返りのない滅私奉公を強いる」(労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員)点で大きく異なる。景気低迷で人を育てる余裕が企業に失われつつあることが背景に挙げられる。
このあと、「カモがいくらでもいる状況」という社労士さんの言葉などがあり、EUの休息時間規制の導入、労働法教育の必要性などにも記事は触れています。
例の「今後の経済財政動向等についての集中点検会合」に「有識者」として出席した古市憲寿さん。ネット上では誰の代表のつもりだ・・・とかなりな言われようでしたが、公開されたその議事録を読んでみると、実にまっとうな議論を堂々と展開しています。
冒頭「今日は、若いというだけで呼んでいただいたと思うので、できるだけ若者とか現役世代目線の利害を代表したようなことを言いたいと思う」と、謙遜めいた言い方をしていますが、どうしてわかってない下手な大人よりもずっと立派にまともなことを言ってますよ。
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/tenken/01/gijiyoushi.pdf
・・・そもそもなぜ消費税を上げるのかという議論に対して、余り根本的な議論がされていないように思う。すごく後ろ向きの意見が目立つと思う。
・・・3点目が一番重要だと考えるが、現役世代に負担をかけないために消費税引上げと言うが、本当に消費税が現役世代のためなのかという問題である。現代の計画を見ると、たとえ予定通り5%増税されたとしても、子ども・子育て支援へは、そのわずか0.3%分が充当されるだけと言う。確かに、今の金額から考えれば、0.3%は大きい数字ではあり、一歩前進ではあると思う。しかし、その現役世代にあまりこの消費税というものが還元されている気がしない。
子育て支援は、長らく日本では経済成長のお荷物と考えられてきた。しかし、添付した資料の2ページ目以降に、同志社大学の柴田悠氏の研究を付録として付けたが、こちらを見ていただくと、この内容というのは、OECDの28カ国の経済成長の要因というものを分析した資料であるが、その分析によると、実は保育サービス、子育て支援こそが実は経済成長にとってプラスの影響を与えているということが、この分析からは明らかになっている。つまり、子育て支援とか少子化対策は、経済成長に対してお荷物なんかではなくて、逆にプラスの影響を与える、そんな研究が出ている。これからの社会の持続性を考えたとき、もしくは短期的な経済成長にかんがみても、子育て支援、少子化対策は重要であるにもかかわらず、そこに対するウェイトとか、そこに対するまなざしというものがあまり熱心であるようには思えないというのが、僕の消費税引上げに対する不信感と言うか、懸念の事項の1つである。
もしも仮に消費税を上げるかわりに、現役世代を含めて社会保障をきちんと整備していく、雇用対策をきちんとしていく、そういうきちんとこの社会で安心して、税金を払って、それが自分に還元される、そんな安心感ができれば、別に増税は消費税に限らず、そこまで国民が忌避することではないと思う。ただ、今のままではあまりにも増税という言葉だけ、しかも増税という中身が議論されずに増税ありきの議論ばかりされてしまっていて、なかなかこの国の未来を考えるというフェーズまでこの議論が達していない。だから、もしも引き上げるのだとするならば、その発表もしくは引上げのタイミングと同時に、その増税は一体何のためのものなのか、それでこの国はどう変わっていくのか、そうした長期的な議論を同時に提供していただければいいというが私の思いである。
・・・消費税がメインのトピックスなので、経済寄りの話になるのは仕方がないと思うが、もう少し社会の話を少しだけ補足させてほしい。今までの日本は経済政策を中心にずっとやってきたわけだが、やはり経済だけを追いかけた結果が、どうしても焼畑農業的になってしまっていると思う。その結果が少子化だと思う。2012年の合計特殊出生率は1.41で、一見この10年では高い数字だが、本来は今、第3次ベビーブームが起こっている時期。第3次ベビーブームが起こっている時期のはずなのに、これだけの数字しかない。先ほどからグローバル人材とか、2050年の日本、そのための経済成長という話が出てきた。でも、そのためには人がいないとそんなことは可能にはならないと思う。やはり教育であるとか社会保障とか、再生産に対する投資だとか、そこの議論が余りにも日本ではおざなりにされてきた気がする。
90年代以降の経済成長率が高い国を見てみると、租税負担率が高い国でも着実に経済成長をしていることがわかっている。北海道大学の橋本努さんという研究者の方が北欧型新自由主義という言葉でまとめているが、法人税は安くリストラには寛容。その代わり、きちんと社会保障がトランポリンのように一般の労働者をきちんと支える。そういった形での社会保障と強い経済の両輪というものが、ヨーロッパではこの20年間で普及してきた。したがって、経済の話はどうしても経済成長とか2050年とか経済成長率何パーセントとか、すごく勇ましい話になりがちだと思うが、一方でそのためには社会が再生産していかなければいけない。人々が再生産をして次世代を生んでいくという基本の営みがあることを確認したく、少し補足させていただいた。
よく世代間格差といいって、高齢者がお金をもらい過ぎて、若者がもらっていない。確かに数字を見るとそのとおりだと思う。高齢者に対する社会保障費はほかの国と比べても、OECDの平均の国並みになった。一方で現役世代に対する社会保障が非常に低い。ただ、これを単純にこの結果だけで受けとめるわけにはいかないと思っていて、日本はずっと福祉というものを家族が担ってきた国だった。実際、今でも家族が担わなければいけない分量というものはかなり程度があるという中で、単純に高齢者に対する社会保障費を一律にカットしたとしても、結局それが現役世代に対するしわ寄せになってしまうと思う。
高齢者に対する社会保障というのは、実際は現役世代もいつかは自分が高齢者になっても安心できるんだという、この安心感にもつながると思う。だからもちろん高齢者の社会保障に関して今の病院をちゃんとホームドクター制を導入するとか、幾つか改革ができることはあると思う。ただ、単純にそれを現役世代と高齢者、若者と高齢者に対する世代間格差という形に収れんさせるのではなくて、高齢者に対する社会保障はこれまでどおりやっていく。同時に現役世代に対しても大学の学費が高いだとか、職業訓練がきちんとしていないとか、その方も拡充していく。その両輪が必要だと思う。そのためには経済成長が必要だというのは、まさに同意見である。
ブータンのように幸福度を重視した政策というのは、私は反対である。幸福度を上げるのはある種簡単で、情報を遮断して、それで人々を幸福と思い込ませればいい。ある種の洗脳をすればいいだけで、そういうふうに個人の主観とか価値観によって施策を決めてしまうことに関しては反対である。
確かに日本は、特に若い世代はこれから沢山の借金を背負っていく、どんどん高齢者が増えていく、人口も減っていく中で幾つもの負担を負っているわけだが、一方で日本だけがしていなくてほかの国が当たり前にしていることは、まだまだ沢山あると思う。
やはり1つは働く女性の問題である。日本は出産、育児期に仕事をやめざるを得ない女性がすごく多い。その女性が働くだけでも大分労働力が上がる。だから保育サービスを拡充して児童手当をちゃんと出して、職業訓練をちゃんとしてという、どこの国も当たり前にやっていることを当たり前にするだけで、まだまだ可能性はあると思っている。その1つが消費税なのかもしれないが、消費税をもしもほかの国並みに上げようとするのであれば、そういった現役世代に対する社会保障に関しても、ほかの国並みに上げていく方向をちゃんと政治が示していただければ、政治不信というものは払拭されていくのかなという思いはある。
例えばナショナリズムであるとか、そうやって短期的に安易に人々を魅了するということは、どうしても長続きしないと思う。短期的に強さを見せるとかも当然必要だと思うのだが、それだけではなくて、ちゃんと10年、20年、50年、100年大丈夫だという仕組みをちゃんと責任を持って年配の方が示していくことが、ひいては現役世代、若者世代に対する幸福につながっていくのかなと私は思っている。
頭の中に「社会」がないまま、保育サービスや児童手当や職業訓練など「どこの国も当たり前にやっていること」を目の敵にして財政再建vs景気という2項対立しか見えてない「大人」よりは、百万倍役に立つことをちゃんと伝えていると思いますよ。
私に褒められても大して嬉しくもないでしょうけど、わかってない記者が書く新聞記事だけでなく、ちゃんと議事録を読んでる人もいるということで。
厚労省のサイトに、「多様な正社員」の普及・拡大のための有識者懇談会の案内がアップされたようです。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000021012.html
開催要綱によると、
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000020970.pdf
参集者は次の方々だそうです。
今野 浩一郎 学習院大学経済学部経営学科教授
神林 龍 一橋大学経済研究所准教授
黒田 祥子 早稲田大学教育・総合科学学術院准教授
黒澤 昌子 政策研究大学院大学教授
櫻庭 涼子 神戸大学大学院法学研究科准教授
佐藤 博樹 東京大学大学院情報学環教授
竹内(奥野)寿 早稲田大学法学学術院准教授
野田 知彦 大阪府立大学経済学部教授
水町 勇一郎 東京大学社会科学研究所教授
山川 隆一 東京大学大学院法学政治学研究科教授
『情報労連REPORT』8/9月号の特集は、「すべての道は「人権」に通ず」です。
http://www.joho.or.jp/up_report/2013/09/_SWF_Window.html
いまどき「人権」というと、「なにそれリベサヨ?」という反応が返ってきそうですが、いやいや、
人間が人間らしく生きる権利
労働は人権問題の中枢にある
というのが、特集冒頭のタイトルにでかでかと書かれているメッセージなのです。
冒頭記事で若林秀樹さんが言っているように、
いま、人権問題の中枢に労働があるといっても過言ではありません。例えば、国連グローバルコンパクトの10の原則のうち四つは労働に関わるものです。それほど労働は人権問題の中枢にあります。
ところが若林さん自身がそう思っていなかったようです。
私もかつては労働組合の役員をしていました。そのときは、労働組合が人権問題を扱っているとは思いませんでした。・・・
「人権問題」に対する妙に狭い感覚はかなり一般的なようです。
このあたり、本ブログ何回か取り上げてきたことと響き合っているように思います。
その後に出てくる人々を挙げておくと、
職場のいじめで金子雅臣さん。
妊婦いじめのマタハラで小林美希さん。
難病患者関係で大野更紗さん。
その後に憲法改正問題で弁護士の石橋さん等々。
なお、わたくしの連載は「ブラック企業現象と労働教育の復活」 です。
「労働教育」という言葉は、現在ではほとんど死語となっていますが、かつては労働省の課の名称として存在したれっきとした行政分野でした。終戦直後に占領軍の指令で始まり、労働省設置時には労政局に労働教育課が置かれ、労働者や使用者に対する労働法制や労使関係に関する教育活動が推進されたのです。ところがその後1950年代末には労働教育課が廃止され、労働教育は行政課題から次第に薄れていきます。その最大の要因は、「見返り型滅私奉公」に特徴付けられるメンバーシップ型正社員雇用が確立するにつれて、目先の労働法違反について会社に文句をつけるなどという行動は愚かなことだという認識が一般化していったことではないかと思われます。つまり、労働法など下手に勉強しないこと、労働者の権利など下手に振り回さないことこそが、定年までの職業人生において利益を最大化するために必要なことだったわけです。
ところが、近年若者の間で問題となっているブラック企業現象とは、そういう労働者側の権利抑制をいいことに、「見返りのない滅私奉公」を押しつけるものでした。そこで働く若者の側にブラック企業の行動の違法性を明確に意識する回路がきちんと備わっていれば、どんな無茶な働かせ方に対してもなにがしか対抗のしようもありうるはずですが、日本型雇用システムを前提とする職業的意義なき教育システムは、そもそも労働法違反を許されないことと認識する回路を若者たちに植え付けることを必要とは考えてこなかったのです。とりわけ、非正規労働者やブラック企業の若い労働者など、労働条件が低く、将来的にも低い労働条件の下で働く可能性が高い人ほど、労働者の権利を知らず行使することもできないという傾向にあることが、問題意識として大きくクローズアップされてきました。
こうした中、私も若干関わって2008年8月に「今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会」(座長:佐藤博樹)が開始され、翌2009年2月に報告を公表しました。最近では2012年6月に官邸の雇用戦略対話で策定された若者雇用戦略においても、「労働法制の基礎知識の普及を促進する」ことが求められています。
今後、労働法教育に取り組むNPOや高校の先生方、そして企業や労働組合などがこの問題に取り組んでいくための様々な支援が求められます。とりわけ、生徒たちが学校教育段階で的確な労働法の知識を身につけて社会に出て行くことへの支援は重要です。
このため、学校教育とりわけ高校や大学における労働教育を強化し、共通の職業基礎教育の一環として明確に位置づけ、十分な時間をとって実施することが必要です。とりわけ教職課程においては、全員「就職組」である生徒を教える立場になるということを考えれば、憲法と並んで労働法の受講を必須とすべきでしょう。
また、さまざまな生涯学習の機会をとらえ、その中に有機的に労働教育を組み込んでいくことも有効でしょう。労働教育と消費者教育は、今日における市民教育の最も重要な基軸と考えるべきではないのでしょうか。
新著『若者と労働』にもさらにブログ上やアマゾンのレビューが続いています。
旧著にも丁寧な書評を頂いていた「kuma_asset」さんの「ラスカルの備忘録」に、旧著と比較しながらその特色を的確に表現していただいております。
http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20130901/1378002874
・・・ただし、本書は随所に略図を置くなど前著よりもわかりやすく記述されている。また、法改正等の背景にある政策担当者の問題意識がよく理解できるところも、その特徴と言える。そうした改正等にまつわる話の中で興味を引いたのは・・・
また、本書はタイトルにあるとおり、若者の労働に関して、前著でも明確にはされていなかった新しい視点から光をあてている。その視点からみると・・・
・・・以上、若者と労働をめぐる本書の視点をみてきたが、こうした構図は、日本の雇用システムについての歴史的な視点と、若年雇用問題に関する国際的(横断的)な視点を重ね合わせ、抽象化することで描くことができたものといえる。この構図を踏まえた上で、未来の日本の雇用システムをどう描くかがつぎの話となる。本稿の筆者は、前著の感想において、不安定な就業を継続する層と正規雇用に就いた層に分断された日本の雇用システムの「二重構造」の解決策について、「本書には、その回答は記載されていない」と指摘した。一方、本書には、この点について、一歩進んだ記述がなされている。・・・
アマゾンカスタマーレビューでは「Social」さんの「若者と労働を巡る「失われた20年」から脱却する第一歩を踏み出そう」という書評です。
「若者」はどのような状態に置かれているのか、そして置かれてきたのか。それをどのように評価し、先へ進めていくか。
労働分野を含め、長い間議論が行われてきた。特に労働に関しての議論は玉石混淆であり、著者のいうとおり、「様々な議論の中でもみくちゃにされて」きた。
そして、若者と分類される人たちが、時代の変化とともに順次入れ替わると、また議論の様子が変わってくることも、もみくちゃになってきた一因であろう。
働くことについては、各国の規範意識や思想に影響されるものであり、さらに「若者」となると、議論の難易度は上がる。
やはり歴史をつぶさに観察し、確固たる事実認識に立脚した議論が必要であることは、おそらく誰もが感じていたことであろう。
本書は、その需要をかなりの程度満たす、待望の新書といえよう。
著者の書籍の中で有名なものとして『新しい労働社会』(岩波新書)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)がある。
これらでも論じられていた日本の労働のあり方を、若者労働に特化して仕上げたのが、この『若者と労働』だろう。
ここで「特化」としたのは、本書が決して議論のレベルを落とすことをしていないからだ。
その上で、わかりやすく、わかりやすく書くにはどうしたらよいだろうと考えに考えた著者の努力の跡は、本書前半に特に顕著に感じた。
若者の労働問題を前に進めるためには、教育分野がどのように足並みを揃えて仕組みを変える意思を持つか・・・今のところ、微々たる兆候のようなもの、そしてそれがよりによって変な方向に行きそうになっている。若者の教育に携わっている方にも、是非読んでいただきたい。
崇高な教育は労働と無関係とこれからも言い続けられるのか(同様の問題は教育と福祉の関係(幼稚園と保育所)にもいえることなのだが)。
なお、著者は労働法政策を専門とする研究者であり、「経済学的分析が足りない」などというのはナンセンスというものである。
労働経済の分野からは、著者とメンバーシップ型/ジョブ型や労使関係論について、相当共有の認識枠組みを持つと思われる、神林龍氏(一橋大学准教授)の論考を待つこととしたい。
本書を読んで、若者と労働を巡る「失われた20年」から脱却する第一歩を踏み出そう。
なお、本日の朝日新聞の読書欄で、本書がごく簡単に紹介されています。
副題は<「入社」の仕組みから解きほぐす>。問題となっている非正規雇用や「ブラック企業」も、出発点はここから。一定の職にふさわしい人を充てる欧米型「就職」に対し、日本では未経験な若者が学校から直送されて「入社」する。かつては若者の雇用問題が“なかった”日本型雇用の歴史と、最近の政策を概説。
新著『若者と労働』に引きずられて、旧著もそこそこ読まれているようで、4年前に出した『新しい労働社会』についてなおも書評が書かれています。ありがたいことです。
「bookreviewer2012」さんのアマゾンレビュー:
現代日本企業の雇用システムを把握するのに最適の書
本書は、他の評者の方の評にもあるとおり、現代日本企業の雇用システムのありよう、つまり職務ではなく職能に基づく長期雇用を前提とした、云わばメンバーシップ契約なのだということを歴史的・国際的比較の中で把握し、現代生じている労働者の健康問題・非正規雇用の問題を解決するために、一企業の雇用だけを捉えるのではなく、社会総体としての構造という視野から見直すことを提示している良書である。
著者の述べているように、雇用システムのありようを歴史的・国際的に捉える意義は、歴史的に捉えることで、どのような状況の中から現代日本企業の雇用システムが形成されてきたかを捉えられるし、国際的比較の中で捉えることで、どのような状況なら異なった選択肢を選択しうるかを検討することができる。
現代日本企業に長期雇用を前提としたメンバーシップ契約型雇用システムが形成されたのは、もともと日本の教育システムが労働のための教育訓練制度として十分な機能を果たしていなかったために、企業としては入社後の企業内教育訓練制度に依拠せざるを得なかったという環境要因が基になっている、という点にその根源を求めている点は興味深い。このように、ある国の企業の雇用形態は、その企業だけ捉えるだけでは十分ではなく、歴史的・環境的に捉えて初めて根源的な理解に辿り着くという著者の主張はもっともである。
本書は現代日本企業の雇用システムを社会全体の中で捉えようとしているが、一企業の人事担当者として自社の雇用システムの再構築を試みようとしている方にとっても興味深い視座を提供している。ただ、そのような、社会的環境が整備される中で一企業の雇用システムをどのようにするかという問題はあくまで当該企業の問題であり、あくまでアートとしての経営問題に帰すべき問題であるため、本書の思考の枠の外にあるので、その点については注意されたい。
あと、ツイートでも、
https://twitter.com/happy_seeders/status/373855486036045826
【本】濱口桂一郎『新しい労働社会』非常に精緻で丁寧な議論。戦前とEUとの比較という軸があるのでぶれない。但し労組がある会社で働いたことがない私みたいな人間にとってはリアリティを感じにくかったのも事実。あとかなり細か過ぎてクラクラしました。
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