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2013年8月24日 (土)

裁量労働制のボタンの掛け違い

『労基旬報』8月25日号に掲載したものです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo130825.html

 去る6月に出された規制改革会議の答申をめぐっては、筆者もその唱道者である「ジョブ型正社員」ばかりが注目を集め、いささかピント外れの批判も浴びたが、答申の中でより議論が必要なのはむしろ労働時間規制に関わる部分ではなかろうかと思われる。具体的には企画業務型裁量労働制の活用が進んでいないとしてその見直しを求めているところであるが、その問題意識が「個々の労働者のライフスタイルに合わせて労働時間に拘束されずにその能力を最大限発揮できるよう」とか「ワークライフバランス・・・の観点から」と、6年前のホワイトカラーエグゼンプションの失敗の時の議論とあまり変わっていないのである。

 筆者は当時いくつかの雑誌で、マスコミや一部政治家が問題視した「残業代ゼロ法案」という点こそがこの制度の本来の趣旨であり、それは労働時間と賃金のリンクを外して成果に見合った報酬を払うという観点からは正当性があるのであって、むしろ問題は労働時間が無制限に長くなって労働者の健康に悪影響を与えないようにするための歯止めとして実労働時間規制を確立することにこそある、と主張した。

 ところが、過労死防止という観点は忘れ去られたまま、残業代ゼロけしからんという批判で潰されたというトラウマを引きずって、今回再びワークライフバランスのための企画業務型裁量労働制の拡大という形で同じ問題が提起されてきたわけである。経営側のトラウマはよく理解できるが、これでは再び同じような帰結に陥るのではなかろうか。もっと正直ベースでこの問題を問い直すべきではなかろうか。

 筆者はそもそも、専門業務型を前提に設けられた裁量労働制という枠組に、普通のサラリーマン向けの時間と切り離された賃金制度を「企画業務型」などというラベルを貼って作ったところに、そもそものボタンの掛け違いがあると考えている。日本の職場では、これは企画業務、これは非企画業務などという明確な業務区分など存在しない。あるのは新入社員から上級管理職に至る連続的な裁量性のスペクトラムの変化である管理職に至る前でも徐々にそれに近い裁量性が増えていく。それを管理監督者か否かのオールオアナッシングで切断すると現実との間で矛盾が生ずる。それを何とかしたいというのがそもそもの出発点であったはずが、企画「業務」などという日本の現実と乖離した理屈づけをしたために、訳のわからない複雑な仕組みになってしまった。

 そろそろ掛け間違えたボタンを正しく掛け直すべき時期なのではなかろうか。例えば、入社後一定の勤続年数や一定の職能資格を要件に、総合職ホワイトカラーに対して労基法37条を適用を除外し、その代わり健康確保のために休息時間(勤務間インターバル)規制をしっかりとかけるといった新たな発想が提起されてよいのではなかろうか。 

我ながら、6年前に『世界』その他で論じていたことからほとんど進歩してませんが、世間が輪をかけて進歩してないので、6年一日の如く同じことを言わざるを得ないわけです。

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コメント

「残業代を気にせず思う存分【寝る間を惜しんで】働いてもらう」ということを相変わらず経営者の方は望んでおられるようで。もうそれだけで一人の人間を一企業に抱え込んで地域社会などには出さないぞ!という決意が感じられます。
そこまでしないと成長が望めない日本社会なのですかね。それなら成長しなくてもいいのでは。

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