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2013年6月12日 (水)

ジュンク堂池袋店トークイベント実録(修正入り版)

昨晩、ジュンク堂池袋店で行われた市野川容孝さんとわたくしのトークイベント「「社会的なもの」と「新しい労働社会」」には、雨の中にもかかわらず金子良事さんはじめ多くの方にご出席いただき有り難うございました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/by-07ba.html

その様子を、alice(alicewonder113)さんがつぶやいておられますので、若干の誤解点を修正しつつ、紹介しておきたいと思います。

https://twitter.com/alicewonder113

昨日のジュンク堂のトークイベントをしばらく連ツイします。

濱口:The Socialというのは「社会」じゃないんだよね。昔ヨーロッパ行って雇用社会局にいた時、みんな「ソーシャル・ヨーロッパが危機に瀕している」と言っていた。「ソーシャル・ヨーロッパVSリベラル・ヨーロッパ」。自分にはヨーロッパ行くまでその「レセプター」がなかった。

(ハマちゃん先生が雇用社会局にいたと言ったのかはメモからは定かでなく自信なし)

ここは、日本はEUの加盟国ではないので、わたくしは欧州委員会の雇用社会総局に勤務することはできません。私がいたのはEU日本政府代表部で、そのカウンターパートが欧州委雇用社会総局であり、欧州労連でありました。

濱口:日本に戻ってきたら、誰もそのレセプターを持っていない。ソーシャル・ヨーロッパを言うのは欧州労連なんかで、労組の内部に社会政策局というのがあって、そこでは別に労働政策とか福祉とかやるわけじゃなくて、教育のこととか環境のこととかやるわけ。そういう感覚。

ここは多分、言葉が足りなかったんだと思います。欧州労連はソーシャルの感覚を持ってるけれど、日本の組合はねぇ・・・、という文脈で、日本の連合には「社会政策局」ってのがあるけれど、その仕事は労働でも社会保障でもなく、それ以外(教育や環境)なんだよね、いかにソーシャルの感覚がないか分かるよね・・・という話でした。

濱口:ドイツ基本法20条に、ドイツとは「民主的で、ソーシャルな連邦国家」だと書いてある。フランスも「社会的な国家、社会的な共和国」だと。国家は人が集まってできてるから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。国家が社会的に運営されるのは。

5)濱口:ところが日本でいう社会学における社会的なものというのは、2人ないし複数の人が意識し合って何かやったらそれで社会的だという。本来社会的なものというのは剥き出しの資本主義に対する批判の言葉なんだけど、そういうものは今の日本にない。

すいません、この二つは市野川さんの発言です。

6)市野川:『世界』5月号で内橋克人さんと寺島実郎さんが対談してるんですが、内橋さんが、「民主党はリベラルだった。(政権交代したけど)今必要なのはリベラルだ、お任せを超えてリベラルへ」と。でも今さらリベラルで政治が何ができるのかと。

ここまで市野川さん。

7)濱口:象徴的なのは、こないだ政府と経営側と労組で三者協議やろうといったとき、民主党が「共産主義みたい」と言ったでしょ。レセプターがない。まさにリベラル。欧米では三者協議当たり前。ソーシャルパートナー、ソーシャルダイアログと言ったら、労使のことなの。

8)ちなみにNGOはシビルパートナーという。

9)日本にはこの感覚がない。それでソーシャルで政治を語るとどうなるかって話。

これは言いたかったところ。

10)市野川:日本にもかつて、ソーシャルはあった。社会党は支持母体は総評で。いま、ネオリベとか批判する人に、じゃあどうしたいのといっても、言葉が出てこない。かつてあったソーシャルなものを思い出そう。古来よりそれがどう語られてきたか。政治の選択肢の一つとしてあった。

11)市野川:1993年の『正論』で西部すすむが「始まるかソーシャルとリベラルの対決」と題して書いてるんだけど、実はその時すでに、日本の議会政治の中にはソーシャルの文脈はなくなっていた。

12)濱口:その空洞化はもっと前から。当時自民党はソーシャルだった。(しばらく、党名と、ソーシャル/リベラルが一致しない話)西部がイラだっていた構造は、60年代に確立していた。

13)市野川:民主党は連合とくっついてるけど、議員の系列は社会党や民社党。ところがこの人たちは社会的という言葉を言わなくなってしまった。そしたらリベラルだと(90年前半)言われ出した。山口二郎さんはリベラルは人々を分散させる、切り離していく言葉だという。

14)市野川:確かにリベラルは、寛容な概念で、多様性を認める。これはこれで重要なんだけどそれだけではだめで、ソーシャル、人々を結合させ、まとめ上げる言葉、リベラルとは異質なものが、並列になっていないといけない。

15)内田樹さんは共産党宣言をひいていて(※文献名失念)、「万国のプロレタリア団結せよと。これは英語でいうとuniteだけど。それは合意を見出して結合するプロセスであり、ソーシャルダイアログである。

ここは、市野川さん主導の政治論ですね。

このあと、わたくしが、なんで90年代にリベラルが人気が出たかについて喋っています。

16)濱口:何で90年代からリベラルが人気になったか。60年代から80年代の日本はあまりにも「社会的」だった。欧州の広がりを持ったソーシャルとは違っていた。社会的なものは会社的であり、有難いとともにウザったいものだった。

17)濱口:それで90年代に反発が噴き出た。「これからは会社人間じゃだめだ」「社畜はだめだ」引き離すリベラルがカッコ良かった。「もういいよ」「自由にやらせてよ」という感じ。

18)産業化によってバラバラになった人々をどう連帯させるかといったとき、日本には中世ギルド的なものはなかったから、まずは一緒に働いている人と何とかしようとして、気づいたら企業で社会的なものが担われるようになっていた。

まだ続くようです。

(追記)

下のコメントにあるように、引き続き、alice(alicewonder113)さんがアップされているので、こちらにも転載しておきます。

19)濱口:60年代には皆、終身雇用の年功序列はダメだと言っていた。ところが70年代になると、欧米より日本のパフォーマンスがいいということになって、日本はすごいんだという話になった。ここで切断がある。なんでそうなのかというのが議論されないできた。

20)濱口:ところが90年代になってバブルが崩壊すると、またしても手のひらを返したように、日本はダメだという論調になった。(それが90年代のリベラル賛美につながっている)

21)市野川:日本的雇用といったら、メンバーシップ型で、具体的には1)終身雇用、2)年功序列、3)企業別、ということだが、揺らぎ始めたのは95年ぐらい?

22)濱口:企業側の動きとして、1995年に日経連が「新時代の『日本的経営』―挑戦すべき方向とその具体策」を出して労働者を長期蓄積能力型、高度専門能力活用型、雇用柔軟型の3グループに分けるべきと提言。天下三分の計、これが一つのきっかけだった。

23)濱口:社会的意識の分水嶺としては、バブルの最中ぐらいから、会社の中に閉じ込められるのはウザい、という意識の変化が出て来ていた。こういう反発はいわばリベラル。あの頃、細川から村山の流れの中で、構造改革とか規制改革とか叫ばれて、リベラルな感覚に満ち溢れていた。

24)市野川:石水喜夫さんが『日本型雇用の真実』という本で書いているが、1995年は村山首相で、政治のドクトリンとしてリベラルがあった。この頃急速に社会的なものは脱臼した。石水さんは"やっぱ会社でしょ"という。職業は個人のものではなく会社のもの。

25)市野川:濱口さんはジョブ契約を盛り込んでいけと。ソーシャルなものの現れ方とは対極的。仕事はいろんなつながりの中にある。個人のものにしてしまうのがリベラル。会社のものにしてしまうのがソーシャル。それで70年代みたくみんなが満足していたら良かった。

26)市野川:でも90年代には、もうみんなそういうソーシャルでは満足できなくなった。今は企業組合からはみ出る人をuniteするのが難しい。労組は避けて通れない。これまで包摂されなかった人たちを新しい産業民主主義で、労働組合のあり方を組み替えていく必要性がある。

27)熊沢誠さんは、今必要なのはリベラルではなく、社会民主主義だと言う。(会場から質問)画一主義、官僚主義への反発が「リベラルな欲望」として表れた。そこでは「リベラル」という言葉の変容がある。経済的でない部分でのリベラルな欲望を満たせるのか。

28)市野川:アメリカではリベラルは民主党で、福祉に力を入れている。(aliceメモより発言者不明)社会民主主義は文化的には多様、社会的には平等

29)市野川:(質問者に)リベラルが文化的でソーシャルは経済的だという意見?(質問者)そうです。市野川:社会的なものと文化的なものをつなぐ回路、どうなのかなぁ。

30)市野川:北欧の研究しているオザワさんという方の話で、スウェーデンはソーシャルな国だけど多文化主義にどれだけ開かれているのか、という。福祉国家と多文化主義は本来相性が悪い。貧困の人たちが「なぜ自分がこうなのに外国人が」となって排外主義になりがち。ソーシャルの理念の限界。

31)濱口:社会保険や医療保険や年金は本来社会的なもので、国全体でわかちあっている。皆でわかちあい分け与えるものだから、仲間意識があるのなら本来それをもらう人を叩くのはおかしい。

32)市野川:私たちの身近にある社会的なもの。1920年代から80年代までは、被用者本人はタダだった。80年代からだんだん増えて今は3割負担。身近にあるはずのソーシャルが見えなくなり、アフラックとかアデコの方が「保険」といったら通りがいい。

33)市野川:ソーシャルであるはずなのにソーシャルに見えなくなり、そうでないものがソーシャルとして台頭している。見えないものをもっと見えるようにするのが今後の課題。

34)濱口:ソーシャルなものはナショナルなものと手に手を取って、抜本的に拡充されたのは世界大戦のとき。戦争のために、ラチェット的に。社会的なものはシオニズム(?)を招きよせるものが埋め込まれている。だからリベラルがないとバランスが崩れる。

すいません、発音が悪くて。ショービニズム(排外主義、国粋主義)といったつもりでした。

35)市野川:言葉として「リベラル」しかないことが問題。両方の理念が支え合っていかないと。東独の統一前の憲法で「私たちの国はソーシャルな国」と。リベラルとセットになって初めてそうなった。リベラルがなければソーシャルも立ち上がれない。

36)濱口:グローバル化の中で、企業が組合と延々話し合ってたらダメだ(効率が悪い)という風潮になった。日本で労組の組織率が最も高かったのは、1946年で、GHQの圧力でそうなった。その時でも60%。それ以来減り続けている。

37)濱口:マクロの話だけではそれを支える底辺の仕組みをどう作るのかが見えてこない。唯一成功したのがGHQだということをもっと考える必要がある。

(37まででした)トークイベントメモは以上です。

ありがとうございました。なるほど、こんなこと喋ってたんだ・・・。

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コメント

alicewonder113です。ずいぶん間違えており、たいへんすみませんでした。ご指摘・修正、誠にありがとうございます。お手数おかけいたしました。
つづきを含めてこちらにまとめましたのでご連絡いたします。
http://togetter.com/li/518056

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