極めてジョブ型な自民党教育再生実行本部第二次提言
森直人さんが、去る5月23日に安倍総裁に提出された自由民主党の教育再生実行本部の第2次提言を紹介しています。
http://d.hatena.ne.jp/morinaoto/20130525/p1
そこにその提言自体もPDFファイルでリンクされていますので、見てみると、
いくつか、職業教育に関連する記述があり、それらが半世紀以上前のジョブ型雇用政策時代の感覚にかなり接近しているような印象を受けます。
最初の「平成の学制大改革」では、
3.後期中等教育等の複線化(普通教育と専門教育、公立と私立)
として、
(1)専門高校等における専門人材(マイスター)養成を推進
○後期中等教育における職業教育(専門高校・総合高校・高等専修学校(専修学校高等課程))の抜本的拡充・支援
○専門高校の高専化・専攻科の活用、専門高校と専門学校(専修学校専門課程)の連携接続等による中学校卒業後の5年一貫職業教育(全国200校の整備)について検討
○ジュニア・マイスターの称号付与など、専門高校等の魅力向上に向けた取組の促進
(2)普通高校と専門高校の適正比率の検証
が挙げられています。
さらに「大学・入試の抜本改革」では、
1 「キャリア教育・職業教育推進法」(仮称)の制定によるわが国全体でキャリア教育・職業教育を推進する体制の整備
・・・
3 質の高い専門学校(専修学校専門課程)の認定制度の創設・支援。専修学校の生徒・学生への経済的支援のための補助制度の創設
といった項目が示されています。
もちろんこの提言全体の方向性についての議論はそれとしてまたあるでしょうが、上に示された点を見ると、かつて1950年代から1960年代にかけての「近代主義の時代」に政府や経営側が取っていた極めてジョブ型志向の政策が復活しているようにも見えます。
それが他の政策分野とどの程度整合性があり、どの程度整合性がないのかは、それとして論じられるべきことではありますが、とりあえず、旧稿から半世紀以上昔のこの分野の政策を概観した一節を引用しておきます。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/dualsystem.html(「デュアルシステムと人材養成の法政策」 (『季刊労働法』第213号))
5 公的人材養成システム中心の構想
とはいえ、戦後もある時期までは公的人材養成システムを中心におく政策構想が政府や経営者サイドから繰り返し打ち出されていたのです。これは前回お話しした賃金制度論において、同一労働同一賃金に基づく職務給制度が唱道されたのと揆を一にしています。1951年、占領中の諸制度の見直しのために設けられた政令諮問委員会は、「教育制度の改革に関する答申」の中で、中学校についても普通教育偏重を避け、職業課程に重点を置くものを設けるとか、中学高校一貫の6年制ないし5年制の職業高校や、高校大学一貫の5年制ないし6年制の専修大学といった構想を打ち出しています。
1957年には、中央青少年問題審議会の首相への意見具申で、定時制、通信制及び技能者養成施設を母体として、修業年限4年の産業高等学校を制度化し、義務教育修了後の18歳未満の全勤労青少年が就学すべき学校として構想しています。これはまさに1939年のデュアルシステム的な長期義務教育制の復活です。
日経連も、1952年に実業高校の充実を要望しましたが、1954年の「当面の教育制度改善に関する要望」では、中堅的職業人の養成のため、5年制の職業専門大学や6年制職業教育の高校制を導入することを求めています。
日経連はさらに1956年、「新時代の要請に対応する技術教育に関する意見」において、「普通課程の高校はできる限り圧縮して工業高校の拡充を図る」べきことや、「昼間の職業を持つ青少年に対する定時制教育は、労働と教育が内容的に一致するように、普通課程よりも職業課程に重点を置く」こと、さらには「養成工の向上心に応えるため、・・・高等学校修了の資格を付与する道を開」くことも求めています。
これを受けて、ついに文部省もそれまで否定的であった技能連携制度の法制化に動きだし、野党の反対で廃案を繰り返した後、ようやく1961年に成立に至りました。しかし、訓練担当者が高校教諭免許状を有することなどを指定要件とし、科目指定まで文部省が細かく定めるなどのため、あまり普及しませんでした。
この点については、かなり後になりますが、1965年の「後期中等教育に関する要望」の中で、日経連は企業内訓練施設での教育の高校単位としての認定の拡大を求めるとともに、高校に技能学科を設け、企業内訓練施設を技能高校に移行することを求めています。これは、企業内では高卒扱いされるけれども、一歩企業外に出れば中卒扱いされる養成工たちにとっては切実な問題であったと思われますが、学校教育の純粋性を第一義と考える文部省には受け入れられるものではありませんでした。彼らが自分たちの能力を高く評価してくれる唯一の場である企業内での長期雇用を志向していったのも当然と言えるでしょう。その意味で、日本型雇用システム形成の一つの要因に教育界の実業嫌いがあったと評することもできるかも知れません。
一方、労働行政の方は、上記日経連の1956年意見などもふまえ、監督行政から技能者養成を切り離し、職業補導と合体させて職業訓練と名付け、独立した政策分野として位置づける職業訓練法を1958年に制定しています。ここでは、ドイツやスイスの技能検定制度に倣って新たに技能検定制度を設け、技能士の資格を有することで労働協約上の高賃金を受けることができるような、企業横断的職種別労働市場が目指されました。
この方向性は、1960年の国民所得倍増計画と、とりわけ1963年の人的能力政策に関する経済審議会答申において、政府全体を巻き込んだ大きな政策目標として打ち出されることになります。
ここでは、そもそも近代意識確立の必要性から説き起こし、年功的秩序と終身雇用的慣行に支えられるこれまでの経営秩序を近代化し、賃金を職務給化するとともに、職務要件に基づき人材を適時採用し配置するという人事制度の近代化を断行すべきだとまず論じています。そして、職業に就く者は全て何らかの職業訓練を受けるということを慣行化し、人の能力を客観的に判定する資格検定制度を社会的に確立し、努力次第で年功や学歴によらないで上級資格を取得できるようにして、労働力移動を円滑化すべきだと主張しています。このような労働政策を前提として、ばらばらに行われている職業的教育を総合的に位置づけ、特に職業高校について「実習の適当な部分は企業の現場において行う」ことや、さらには「一週間のうち何日かの昼間通学を原則と」し、「教科は教室で、実技は現場でという原則の下に」、「職業訓練施設、各種学校、経営伝習農場等・・・において就学することも中等教育の一環として認められるべき」といった形で、明確にデュアルシステムを志向しています。
また、職業課程だけでなく普通課程そのもののあり方を根本的に検討しなければならないとし、「学歴が異常に尊重されるという社会の現実が、中学、高校教育における一機能としての進路指導を妨げている」という考え方から、アカデミックな性格のA類型に対して、プラクチカルな性格のB類型においては職業科目、特に実践的科目の履修を促進すべきとも述べていました。
さしもの頑固な文部省も、1966年の中教審答申「後期中等教育の拡充整備について」において、「学校中心の教育観にとらわれて」「技能的な職業を低く見たり、そのための教育訓練を軽視したりする傾向を改めなければならない」と反省し、普通教育専門教育双方を通じて「生徒の適性・能力・進路に対応」して「教育内容を多様化」することや、職業技能を高校教育の一部として短期修得できる制度を設けることなどを提起し、1967,68年の理科教育及び産業教育審議会答申「高等学校における職業教育の多様化について」でこれを具体化しています。
ところが、このように経営側も政府も声をそろえて、外部労働市場志向型の公的人材養成システムに強く傾いた政策方向を打ち出していたにもかかわらず、その後の人材養成システムは全く逆に、教育制度を中心とした公的部門の役割は縮小する一方で、企業内人材養成システムがほとんど全面的に役割を担うに至ります。
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コメント
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日本はフランスやドイツのように、成績が悪い子に対し、早期の職業教育への進学にふるいをかけられる危険性があります。慎重に扱うべきでしょう。
投稿: 教育ブログ●中学校教育 | 2013年8月 3日 (土) 10時05分
>成績が悪い子に対し、早期の職業教育への進学にふるいをかけられる危険性があります。慎重に扱うべき
・・に同意します。
投稿: endou | 2013年8月 5日 (月) 10時27分