去る4月11日に規制改革会議第2回雇用ワーキンググループに呼ばれてお話しした時の議事概要が、内閣府HPにアップされています。
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg/koyo/130411/summary0411.pdf
そのうち、私のプレゼンテーションと、質疑応答のうち私に関わる部分を、こちらに載せておきます。
○濱口統括研究員 労働政策研究・研修機構の濱口でございます。
私からは、先ほど佐藤先生がお話されたことを若干、理念型的な形でお話をすることになろうかと思います。
本日のテーマとして与えられております限定正社員という言葉ですが、恐らくこれを外国人に説明するのは大変苦労すると思います。なぜかというと、この言葉は、限定されているのが特殊である。限定されていないのがデフォルトであるという発想を意識的、無意識的のうちに前提にしている言葉ですが、そして、それは実は、日本の2007年に改正されましたパート法8条1項の「通常の労働者」という概念が正にそれでありまして、外国人に通常の労働者とは何だという場合、それは無期契約で、直接雇用で、フルタイムであればそれは通常のレギュラーワーカーだろう。しかし、日本では、この3要件だけでは通常の労働者にしてくれないのです。何かというと、職務も無限定、勤務場所も無限定でなければ通常の労働者ではない。諸外国であれば通常の労働者と認められる職務や勤務場所が限定された労働者は、日本では通常ではない、アブノーマルなワーカーになってしまうという、恐らくそこのところの概念枠組みの違いというものから考えを始めないと、この問題はなかなか頭が整理されないのではないかと思っております。
その頭の整理のために、私はここ数年来、ややキャッチーな言葉ですが、メンバーシップ型とジョブ型という言葉を使っております。今週出た内閣府の成長のための人的資源活用検討専門チームの報告でも使われておりましたし、昨日の日本経済新聞の神林先生の経済教室でも使われておりましたので、結構使われてきているのかなと思います。
ジョブ型といいましても、必ずしも職務限定だけを意味しているのではなく、むしろ、職務も時間も、勤務場所も限定しているのがデフォルトルールだという、欧米のといいますか、実は、アジア諸国も基本的にはそうですので、日本以外の国々で、デフォルトであるものをジョブ型という形で概念化して、それに対して、職務や時間や空間が無限定であるのがデフォルトであるものをメンバーシップ型と概念化したものであります。
そして、何かというと、特に今日、大内先生が言われた解雇規制の関係でいわれる終身雇用であるとか、あるいは年功制であるとかといったもろもろのことは、そういった雇用契約の在り方、一般的には、就職ではなくて、就社だという言い方をすることもよくありますが、そこから導き出されるものだろうと思っております。若干、社会学的にいえば、恐らくそれはかつての専業主婦を前提とした、成人男子が深夜までも働くし、どんな場所でも行けと言われれば行くという、そういった働き方を前提とした時代に構築されたものだろう。そういう意味からいうと、男女共同参画が進んでくる中では、メンバーシップ型の枠組みと現実社会との間に徐々に矛盾が出てきているのは間違いないことだろうと思います。
ただ、一方で、賃金制度として一種の生活給、中高年になれば、子供の教育費や住宅費まで賄えるだけの賃金を支払うというものと社会学的には実はつながっておりますので、そう簡単にそれを変えることもできないという実態があるのだろうと思います。
その結果として、とりわけ90年代以降、何が進んできたかというと、かつては、正に会社の中で中核的に働くような方々は、基本的に全部、正社員として無限定的に働いて、一部のその外側の方々は、基本的に主婦パートや学生アルバイトあるいは高齢で引退後の働き方という形で、そういった安定がそれほど必要でない方々をテンポラリーなところにはめ込むという形で、社会全体としてはうまく回っていた。
ところが、90年代以降、本来、正社員になりたいと思っていた方々がそこからはみ出す形で、佐藤先生がよく使われるグラフでいうと、かつて1割ぐらいだったものがどんどん増えていって、いまや3割を超えて4割近くになっている。これをどうするかが現在、大きな問題なのだろうと思うのです。
ただ、そこでその処方箋に行く前に、恐らく多くの方々がつい失念してしまうことを1点だけ注意喚起しておきたいと思うのは、実は、こういうメンバーシップ型のシステムは、先ほどパート法8条1項に初めて、メンバーシップ型を前提とした「通常の労働者」という概念が入ったのですが、しかし、その他の法律、民法から始まって、労働基準法、労働組合法、職業安定法、その他もろもろの法律は、実は、基本的には欧米にならって作った法律ですので、ジョブ型を前提に書かれております。細かいことはここでは省略いたしますが、それを現実のメンバーシップ型の雇用慣行と、いわば調整するために裁判所が苦肉の策として、もろもろの判例法理を作ってきたのです。
最近問題になっている解雇に関する、解雇権濫用法理自体はヨーロッパの正当な理由がなければ解雇できないこととほぼ同じですが、整理解雇に関する、いわゆる4要素と言われるもの、とりわけ解雇回避努力義務というものは、ジョブ型の立法とメンバーシップ型で動いている現実社会を調整するために作ってきたものです。
これは解雇だけではありませんで、時間外労働であるとか、あるいは遠距離配転についても、基本的に正社員であれば従う義務がある。従わなければ懲戒解雇もあり得べしと日本の最高裁が言っているくらい、非常に強大な、包括的な人事権を認める法理であるとか、あるいは就業規則の不利益変更についても合理性があれば認めるであるとか、入り口のところでも、新卒一括採用を前提とした形での、非常に包括的な採用の自由を認めております。
それに対応する形で、一旦雇い入れたら、なかなか外に出すわけにはいかないという、多分、本来の契約原理からすると、かなり乖離した判例法理を裁判所が作ってきたわけですので、そこだけ見て、裁判所が何か変なことをやってきたと思ってはいけないのです。むしろ、裁判所は現実社会に則した法理を構築してきたのだと考えるべきだろうと思います。
また、雇用政策も1960年代までは、職業能力と職種に基づく近代的な労働市場を作るのだという発想で、今でも技能検定という制度は、ずっともう半世紀前に作られたもので残っております。ところが、1970年代半ば、オイルショック以降は、雇調金に代表されるような雇用維持型の政策がとられてきたということだろうと思います。
それを前提に、では、これからどうしていくか。話としては、ここで話題になっている限定正社員、あるいは私も佐藤先生と同じで、準正社員とか中間型というのはよくない言葉だと思うのですが、私はそれを若干キャッチーな言葉でジョブ型正社員と呼んでいます。
これは職務限定というだけではなくて、先ほどいいました職務や時間や空間が限定されているのがデフォルトルールであるというのを分かりやすく使った言葉であります。こういったジョブ型正社員であれば、ジョブや勤務地、あるいは時間についても限定される。この時間限定というのはフルタイムでもいいのですが、日本のフルタイム正社員は単なるフルタイムではなくて、これはよく言うのですが、オーバータイムがデフォルトルールである。つまり、残業しないなどという労働者は、通常の労働者とは認めないというところもあるので、そうではなくオーバータイムのないフルタイムという意味です。
例外的な状況はもちろんあるわけですが、基本的には、それを超える義務はない。したがって、ここは労働者にとってメリットでありまして、その裏腹として、それを超える配転をしなければ雇用が維持されない状況であれば、雇用終了は当然、正当なものであるとなってくるだろう。
これは、日本的感覚から見ると、リストラを正当化するのかという話になるのですが、そもそも就社ではなくて、就職している人間から見れば、勝手に会社の命令でその職を変えられるなどという権利侵害がないことの裏腹として、その仕事がなくなるというのは、いわば借家契約で、その家がなくなったのと同じですので、そもそもそれは正当な解雇ということになるのだろうと思います。
もちろんその場合でも、例えばヨーロッパで見られるように、ジョブが縮小したのであれば、それをみんなでワークシェアリングで分け合うということはあります。むしろここで重要なのは人選基準です。ここは日本的なメンバーシップ型の発想では、リストラ解雇というのは、リストラを名目として、こいつはできが悪いから首を切るという話にどうしてもなりがちなのです。最近の議論でも、ちらちらとそういうものは出てくる。これは日本人にとって当たり前だからそうなるのですが、これをやると純粋に経営上の理由に基づいた解雇にはならなくなってしまいます。つまり、そいつが問題だから解雇だという話になるので、当然その理由が正当であるかないかが問われます。正当でなければ、アンフェアな解雇だという話になるので、そこのところの頭の整理がつかないまま議論をしてしまうとかなりまずいことになるだろうと思います。
どうなるかというと、要するにリストラ解雇というのは、リストラを名目として、お前は言うことを聞かないから首だということをやろうとしているのだと受け取られます。そうだとすると、それで解雇されてしまうと、正に会社からこいつは駄目なやつだとレッテルを張られたという話になるので、ますます猛然と抵抗することになります。
逆に言うと、リストラクチャリングによって量的にジョブが減るので、その部分が淡々と解雇されましたという話であれば、それはその労働者本人にとっては何らマイナスにはならないのです。
ここまでちゃんと頭の整理をして考えないと、欧米型のまともなジョブ型の議論をしているつもりで、実は、とんでもないあらぬ方向に議論が迷い込んでしまう可能性があることはぜひ念頭に置いていただきたいと思います。括弧の中の不当な解雇から保護されるべきことは、いずれの形態であっても当然というのはそういう意味であります。
あとは、佐藤先生が先ほど言われたように、基本的には、昨年の改正労働契約法で、有期から無期に転換をするという枠組みができたわけですが、何もこれは5年を待つ必要はないので、むしろ積極的に仕事がパーマネントである。もちろん経済状況や事業経営によっていつそれがどうなるか分からないけれども、当面、パーマネントであるならば、むしろこういう無期だけれども、ジョブ型の正社員といったものにどんどんしていくことを考えていいのではないか。また、現在、正社員になっているけれども、そういう無限定な働き方は自分にとって大変働きにくい。特に女性とか、あるいは男性でも、最近、特に介護との関係でいろいろな問題が出てきておりますので、そういう意味からも、準正社員という言葉はよくないので、『自壊社会からの脱却」(岩波書店)所収の「「ジョブ型正社員」の可能性」の最後でワークライフバランス正社員といったらどうかということも提起しておりますが、そういうことも考えてはいかがかと思っております。
時間がほぼ終わったのですが、試用期間についてもという話がありましたので、1点だけ申し上げます。
日本では、試用期間というのはあまり意味がありません。なぜか。そもそもなぜ試用期間があるかというと、ジョブ型の雇用契約を前提とすると、この仕事をできる人がいますかと募集し、はい、できますと応募し、それで雇いました。ところが全然できないではないか。これを確認するために試用期間があるわけです。ところが日本は、この仕事ができますといって入るのではないので、そういう意味では、試用期間の意味があまりない。では、あえて言えば何かというと、人間性が問題だと。実は、日本で試用期間切れで解雇した典型的な例は、学生時代に学生運動をしていたことを理由とするものです。試用期間中の話ではないのですが、最高裁は認めております。
ですから、これは実は、先ほどの話とも全部つながるのですが、日本で解雇というと、人間性の問題になってしまうのです。それをもし断ち切りたいのであるならば、そこはメンバーシップ型ではないということを明確にしなければ、永遠にこれはつきまとうということは念頭に置いていただく必要があると思います。もし、この仕事ができるかということで試用期間を設定する。そして、その間にこの仕事ができないと分かったからということで、本来からいえば、日本だって原則からいえばそうなっているはずなのですが、解雇がよりしやすいということであるならば、やはりそれは判定するのに10年も20年もかかるというのは当然あり得ないので、ヨーロッパの一般的な期間は、大体3カ月から6カ月、長くても1年となっているということは言っておく必要があるだろう。
あと、セーフティネットということでいうと、どうしてもお金の話が中心的に議論されるのですが、ここでぜひ申し上げておきたいのは、企業を超えた職業能力評価システム、日本版NVQというものが出たかと思ったら仕分けされたりという話もあってなかなか、これもある意味で、日本型のメンバーシップ型の感覚からいうと、何でそんな無駄なことをやるのだという話になるのだと思うのですが、それがないと、お金だけ出てもうしようがない。つまり、私は、この仕事ができるのだというものが企業を超えた形で認証されるシステムが確立されることが労働市場システムとしては、最大のセーフティネットであるということを申し上げておきたいと思います。
私からは以上でございます。
質疑応答から:
○大田議長代理 ありがとうございました。
限定正社員は今も行われていて、だんだん増えていって、それは人事管理上の問題であると。解雇回避努力義務の範囲が縮減されることは考えられるけれども、それも人事管理上のことが実質的に問われるだろうという話だったのですが、とすれば、限定正社員を導入するというときに、この規制改革会議は何をすればいいのでしょうか。
つまり、規制改革会議というのは、何かの規制を外したり、何かの規制を書いたりということになるのですけれども、何をすればいいのでしょうか。
・・・(佐藤、大内両先生の回答)・・・
○鶴座長 濱口先生、お願いします。
○濱口統括研究員 恐らく、この問題について若干誤解があるのではないかと私は思っております。つまり、何が規制なのかなのですが、御承知のとおり、労働契約法16条は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない解雇は権利の濫用として無効であるとしか書いておりません。これを緩和するというのは一体どういうことなのか。客観的に合理的な理由がなくても解雇していいのだと書くのか。それは男を女に変える以外全てができる立法府ならやれるのかもしれませんが、恐らくそれは事実上、不可能だろうと思います。
何ができるのかというと、何が客観的に合理的な理由なのかということについての頭の整理。つまり、実は私が大内先生と若干違うのは、不明確なのかどうかということなのです。確かにある意味不明確なのですが、ただ、それは条文をどういじったところで明確になるものでもない。
つまり、先ほど来、頭の整理と申し上げているのは、こういう雇用契約であれば、恐らくこういうふうになるであろうと。もちろん、単に契約の条文ということではなくて、実際にそういうふうに人事管理を運用してくれるということまで含んだものなのですが、そういう約束で、実際、その仕事だけでずっとやってきたということであれば、こういうふうになるという頭の整理を、これは恐らく形はいろいろあるだろうと思います。例えば指針という形で示す。もちろん、厳密に言えば、指針が裁判官を拘束するかというと、それはしないのかもしれませんが、多くの場合、指針というのは判断の基準にしているところはございます。
恐らく、規制改革という言葉に厳密に当たるかどうか分かりませんが、やれることがあるとすれば、それはそういう頭の整理を国民に分かるようにするということでしょう。実は整理解雇4要素にしても、本来から言えば、あれは解雇権濫用法理を応用したものにすぎないはずなのですが、ややもすると、これは裁判官も含めて、4要件、4要素というものを処理の前提として、どのような会社であろうが、どのような雇用契約であろうが、それを一律に当てはめるとする嫌いもなきにしもあらずなので、それはそういうものではないよということを明らかにするという意味はあろうかと思います。
逆に言うと、それを超えて、何か契約法16条をいじれるかというと、それはむしろ無理な話ではないかと思っております。
・・・・・
○鶴座長 佐久間委員、お願いします。
○佐久間委員 ありがとうございます。
私の理解としては、まず、入口のところが課題に。濱口先生の資料の2ページ目に書いてあったジョブ型正社員の構築ということで、正にどういうふうに就業規則で書き、どういうふうに個別の契約なり何らかで法的に手当をすれば、まずジョブ型正社員ということが認められるのか、今、言われた指針でも、ひな形でも何でもいいのですけれども、そういうものがあって、それが一旦認められた後に、つまり、ここまでやれば、当然弁護士に頼めばすごいものができてしまいますけれども、そんなものは汎用性があるかどうかは別にして、ここまでやればジョブ型正社員になりますとなるのか。次に、そうすると、そこはメンバーシップ型の正社員とは条件が違ってくる。したがって、解雇のときの条件が違う。
次に、やはり分からないのは、ジョブ型正社員になったときに、ジョブの絶対量はここに書いてあるように縮小すればというところまでいくのか、ジョブがなくなればというのは分かるのですが、縮小するというのもある程度、もちろん他の要素は全部満たしたとして、差別がないとか、そういうのを満たしたとして、ジョブの絶対量縮小というのはどういうところまで行けばいいのかとか、そういうのがある程度はっきりしてくれば、多分企業としてはジョブ型正社員を整備していきやすくなるということではないかと思います。
○濱口統括研究員 まず第1点なのですが、実は今、佐久間委員が就業規則でということを言われたのが、正にメンバーシップ型社会の典型的な発想でございまして、雇用契約の中にほとんど何も書かれていない。私は「空白の石版」と申し上げているのですが、お前はこの会社の社員になるよとだけ書いてある。あとは何で決まるかというと、契約ではなくて、就業規則でいろいろ書いて、あとは命令でいく。
ところが、ジョブ型というのは契約そのものの性質で、つまり、契約書に不立文字で、この人はこの仕事だけですよ、あるいはこの場所だけですよと書いてしまうという話ですので、これは個別契約の話です。個別契約でそうするかしないかということ。あとは実際にそれで動かしているかということで、逆に言うと、就業規則に書いたから、ばさっとメンバーシップ型からジョブ型に変わるなどという性格のものではそもそもない。これはむしろ民法の契約の大原則に戻るのだろうと思います。
それから、ジョブの縮小をどこまで認めるか。これは実は、正にヨーロッパにおける、先ほど申し上げたように、整理解雇については手続規制になっているということで、裁判になったときにも、国によってさまざまなようですが、基本的には経営判断について裁判所はあまり介入しないというのが大原則のようであります。経営判断というのは経営者の専権であるので、その後は手続規制できちんと労使協議をやっているか。不公正な恣意的なことをやっていないかということで見ていくというのが一般的なやり方です。
ですから、これはある意味でパッケージの話になるのですが、経営判断について、逆に言うと、日本の場合、非常にメンバーシップ型で、そこが全部ある意味で本当にリストラする必要があるのかということを問い詰めるということから、そこまでいろいろ議論するということもあるのだろうと思いますが、そこは多分、これをまたどこまで書いていくかという話になるのですが、ジョブ型になっていくということを前提とすると、そこは恐らく基本的には経営判断を認めることになります。
逆に言うと、例えば経営上の理由だと言って解雇しながら、一方で、同じ職種で人を雇い入れているということになれば、これは正に禁反言ということになりますので、それは違うだろうという話になるのだろうと思いますが、実際に当該業務が縮小しているということであれば、恐らく一般的には認められることになるのだろうと思います。
・・・・・
○佐久間委員 1点、先ほどのジョブ型正社員のところで水町先生もおっしゃっていた4要素は、整理解雇の話ということでございますね。ですから、逆にジョブ型正社員というのが非常に増えていくと、整理解雇というよりも、パフォーマンスが悪いときに解雇できるということが非常に重要になってくるのですが、そこについてはやはりある程度整理してもらわないとなかなか予測可能性がない中で、もう個別訴訟で解決ということになってしまうので、その辺はどういうふうに考えておけばよろしいのでしょうか。どなたでも結構ですので、教えていただければと思います。
○濱口統括研究員 議論の方向性としてやや気になるのですが、どうやったら解雇できるかというところから話をすると、多分話はうまくいかないと思います。
大事なのは、労使双方が、こういう約束なのだから、こういうことで雇用が終了するのであれば、それはなるほどそうだなと納得するようなルールをどう作っていくか、あるいは明確化していくかということなのであって、今の話も、一般的にいいますと、ジョブ型であれば職務が明確であるわけで、当該職務ができないということは、恐らくそれができないのだったら、他に回せよという可能性がなくなるわけで、確かに解雇の可能性は高まるだろうと一般的には思います。
ただし、実は解雇規制というのは、基本的に欧米でも似たようなもので、非違行為と能力と経営上の理由というのが三大理由であります。その能力を理由にして解雇というときに、日本的なメンバーシップ感覚で物を考えるとかなり間違うのではないかと思います。
ジョブ型社会では、この仕事がこのようにできないということが正当な理由になるわけですが、逆に日本的なメンバーシップ型ですと、言わば人間性とか、みんなと仲良くしないとかというのが、つまりそういったことも含めて能力と判断される。とはいえ、解雇自体が非常に抑制されるので、それがゆえに大企業であれば簡単に解雇されるわけではないですが、中小零細企業になれば、実はそういう仲間と溶け込まないとか、言うことを聞かないという理由で割と解雇されている例は大変多くございます。
ジョブ型になるということは、そういう個々の仕事と直接関わらない人間性みたいなものを理由にした解雇は認められにくくなるということを理解していただきたいのです。つまり、会社だけにとって都合のいいようなルールもあり得ないし、労働者にとってだけ都合のいいようなルールもあり得ないというところから出発しないとまずいのではないかと思います。
以上です。
・・・・・・
○濱口統括研究員 ほとんど同じことなのですが、先ほど申し上げたように、これは契約の範囲内で何をどう変えるという話ではなくて、契約そのものの根幹をどうするかという話ですので、本人が嫌だというものを就業規則で勝手に変えるということは、実はそもそもあり得ない話だと思います。
鶴座長が言われた嫌だと言っている方々というのは、ある意味で当たり前で、昭和のメンバーシップ型の中でずっとどっぷりつかって、それがすばらしいのだと。どんなに深夜まで働いても、どんな遠いところに転勤させられても、それはありがたいことだと思って数十年来やってきた人が、今さらそれは実は不幸かもしれないと思うのはなかなか難しいので、そういう方がそういうふうに言われるのもある意味で当たり前ですが、それが全ての労働者の考え方というわけでもなかろうし、とりわけ女性やいろいろな家族、地域社会との関係でいろいろ働いている方々にとっては、正に本人の選択としてどちらが望ましいかということだと思います。それは、むしろ誠実にそういうふうに説明していく話なのかと思います。
・・・・・・・
○佐々木委員 今日はどうもありがとうございます。
いろいろ本当は聞きたいことがあるのですけれども、1つだけ、試用期間についてお尋ねしたいと思います。
規制改革会議ですから、先ほど大田議長代理もおっしゃったように、これを変えれば、より経済が発展する。労働もしやすくなるというところの視点なのですけれども、3つ質問があります。
1つ目は、今現在は、試用期間の最中であっても、実際には試用期間終了、それを解雇と呼ぶのか、契約終了と呼ぶのか、あまり条件に差がないと理解しているのですけれども、それはそのとおりでしょうか。
2つ目は、つまりそうであった場合に、企業側とすると、新しい正社員をいきなり雇うことが今、大変難しい。それは、試用期間といえども、なかなかうまくいかないと思ったときに、やはり取り消しましょうという話がうまくいかないために、一気に正社員というものを採りにくいという現状があると私は理解しています。例えば試用期間というものを仮に先ほどのヨーロッパの事例の最長が1年間だとすると、1年間の有期雇用の試用期間を正社員の試用期間ではなくて、正社員として見込んでいる人を1年間有期雇用としてお互いに契約をして、その途中で正社員という、いわゆる試用期間なしの正社員として採用するかもしれないという少し合理的な試用期間の考え方、両者にとってある意味でフェアな考え方というのは法的に難しいのでしょうか。
3つ目は、先ほど仲間とかかわらないというところでは、ジョブジョブディスクリプションに反するので解雇できなくなるのではないかというお話が出たのですが、ジョブといったときに、やはり経営側や組織側からすれば、チームワークというのは1つの機能にもなるかと思う中で、コミュニケーション能力というのを今後限定にしたり、ジョブといったときに、どの程度法的には入れることが可能か、あるいは不可能なのか。
この3つを教えてください。
○濱口統括研究員 1点目、2点目は、先ほど申し上げたことの繰り返しになるかと思いますが、実は日本も法的な基本的な枠組みは同じで、試用期間というのはあります。そして試用期間というのは、言わば解雇権を留保している。
ただ、実態的にはなかなか難しい。難しいというか、正に就職ではなくて就社なので、この仕事ができますねといって雇ったのならば、その仕事ができないねというのが正当な理由になりやすいのですが、そうでない、むしろ大学校時代に勉強したことは全部忘れてこいと。一から教えるといって雇って、それで試用期間に駄目だというのは、それはお前の教え方が悪いのだろうという話に論理的になる。
つまり、何か解雇規制という外在的なものがあって、それによって企業が縛られるというイメージがかなりの方にあるようなのですが、それは間違いです。もしそれが厳しいとすれば、それは企業がみずからやっているメンバーシップ型の人事管理のやり方がみずからに対して解雇規制が厳しくなるようにしているだけなのです。これは一般的な解雇の話もそうですし、この試用期間についてもそうだろうと思います。
逆に言うと、正にチームワークとか何とかという観点で、学生時代に学生運動をやっていたというような、恐らくこれは外国人から見ると全く理解できないと思うのですが、それが正当な理由になったりいたします。
そういう意味からすると、正に頭の整理をし、それを国民に対して示すことによって、この試用期間というのは、この仕事で雇ったのだから、この仕事ができるかできないか。その判断を会社としてしましたと。それであるならば、それは当然そんなに長いことはないので、一定期間ということになるでしょうという話になるのだろうと思います。
最後の点は、外国の方々にその話をすると、よほど特殊な、顧客との関係では若干あるのかもしれないですが、仲間との関係で仲良くやれる能力ということをここに持ってくるというのは、多分理解されないだろうと思います。社内的なコミュニケーション能力というのは、やはりメンバーシップ型を前提としたものであると私は思います。それならそうと割り切って、メンバーとして扱うべきでしょう。
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