大内伸哉さんの根本的誤解
先日、規制改革会議の雇用ワーキンググループのヒアリングに一緒に出た大内伸哉さんの議論に、どうにも理解できないことがあって、どこに分かれ道があるのだろうとずっと考えていたのですが、今日の「アモーレと労働法」を読んで、大体わかりました。
http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-37b3.html(限定正社員に思う)
特にここのところです。
ただ,限定正社員は,以前にも書いたように,職種や勤務場所がなくなったときの解雇を認めてくれ,という話です。ただこれも,最初に書いたように,実は可能なのです。そうすると,結局,限定正社員の議論は,限定正社員として雇ったが,人事管理をきちんとしていなくて,正社員としての雇用継続を期待させたような場合にも解雇をさせてくれ,という主張と同じことになってしまうのです。こういう形での解雇ルールの緩和には反対というのが私の主張です。
どうも、大内さんは、限定正社員の導入とは解雇規制の緩和だと思い込んでおられるようなのです。
そうじゃない、日本の解雇規制はなんら厳格じゃない、解雇規制そのものを緩和する必要なんか全くない、と言い続けている私が、これでは解雇規制緩和派になってしまうではありませんか。
分かれ道はどこにあるか、そう、ここにあります。「ただこれも,最初に書いたように,実は可能なのです」
そのとおりです。そして、法律学者としてはそれで済むかもしれません。理屈ではこうなるよ、現在でも限定正社員は可能だし、それに対する解雇規制の適用は理論的にこうなるよ、と。
しかし、現実の解雇は労働法の教科書通りのことが全国津々浦々で実現しているわけではないように、労働法の理論上こうなるということがそのまま企業行動を動かすわけでもありません。現実に昨今の議論を見ればわかるように、いわゆる整理解雇4要件というのは特殊な無限定雇用契約を前提としたものであって、雇用契約によっては様々に適用されうるという基本を抜きにしていついかなる時でも適用されるべき金科玉条と捉える向きもあるし、そのリスクを考えれば、理屈から言えば上の通りであっても二の足を踏むということはいくらでもあるわけです。
規制改革会議など少なくともわたくしがまっとうな議論だと考えているものに限れば、それらはその理屈を法的に明示しようとしているだけであって、解雇規制それ自体を緩和しようというものではないと理解しています。それは教科書的には明確だが世間一般では必ずしもそうではない雇用契約に応じた解雇規制の適用のあり方を世間的に明確化しようとするものに過ぎません。
そして、そうである以上まったく当然のことながら、「限定正社員として雇ったが,人事管理をきちんとしていなくて,正社員としての雇用継続を期待させたような場合にも解雇をさせてくれ」などというばかげた主張を認めることはあり得ず、始めから終わりまでちゃんと限定してきたことが解雇権への制約が限定される前提です。契約にちょちょっと書いとけば何でもOKなどというばかげた話こそきちんと批判しなければなりません。それこそ、文言ではなく実態で判断するという労働法の大原則は、ここでこそ重要なわけです。
そして、そこが大内さんと理解が別れるところのようです。大内さんはむしろ「戦力外」の労働者に対する解雇規制を実体的に緩和すべきという基本的考え方を持ちつつ、それを妥当な範囲に収めることを考えておられるので、話が二重に入れ違ってしまうのでしょう。「こういう形での解雇ルールの緩和には反対というのが私の主張です」などというご発言は、そう理解して初めて理解できるものです。
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コメント
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非常に僭越ながら書かせていただくと、「職種や勤務場所がなくなったときの解雇を認めてくれ,という話」は、現在の法制下でもそのような契約を結べば「実は可能なのです。」ここまでは問題ない。
続く「そうすると」という接続詞で結ばれる「結局,限定正社員の議論は,限定正社員として雇ったが,人事管理をきちんとしていなくて,正社員としての雇用継続を期待させたような場合にも解雇をさせてくれ,という主張と同じことになってしまうのです。」という部分をどう読むのかが問題ですよね。「同じことになってしまう」というのは、現在でも相応の契約を結べば可能である「職種や勤務場所がなくなったときの解雇を認めてくれ,という話」を法律としてルール化した場合に、それは「限定正社員として雇ったが,人事管理をきちんとしていなくて,正社員としての雇用継続を期待させたような場合にも解雇をさせてくれ,という主張」と同じになる、という意味に解されます。そうすると大内先生は、限定正社員についてのルール化が、現在の法制下ではあり得ない「限定正社員として雇ったが,人事管理をきちんとしていなくて,正社員としての雇用継続を期待させたような場合にも解雇をさせてくれ,という主張」を認める結論を導きだすと考えておられると、この部分からは読めますね。それはすなわち実体的な解雇規制の緩和であるといえる。
しかし、大内先生の批判の主眼は、必ずしも必要とはいえない限定正社員のルール化による副作用(限定正社員の解雇は容易であるという間違ったメッセージ)が心配されるという点にあるので、そのことは、限定正社員のルール化が上記のような間違った「限定正社員として雇ったが,人事管理をきちんとしていなくて,正社員としての雇用継続を期待させたような場合にも解雇をさせてくれ,という主張」、すなわち大内先生の言われる副作用的な効果、を是認するものであると解することとは整合しない面もあり、なんだか難しい気もします。
投稿: 案山子 | 2013年4月22日 (月) 21時11分