竹中・三木谷対談@『文藝春秋』4月号
『文藝春秋』4月号の特集「安倍内閣は日本を救えるか」の巻頭にでかでかと、目次にものすごい大きな字で載っているのが、竹中平蔵、三木谷浩史両氏による対談「政官財の抵抗勢力に宣戦布告 本丸は規制緩和だ」です。
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/574
中身は、先日本ブログで取り上げた
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-1c39.html(半分だけ正しい竹中平蔵氏)
ポリシーウォッチでの発言とほとんど同じですので、改めて繰り返す必要すらないくらいですが、要するに、
竹中 労働市場にも、健全な競争がないわけです。日本の正社員は世界で最も守られていますが、これは、1979年に東京高裁が出した特異な判例があるためです。
などと、本質をわきまえないまま表面的に「半分だけ正しい」議論を展開しています。
日本の正社員が世界でも特異な存在であることは私が繰り返し述べてきたことですが、それを「世界で最も守られている」という側面でのみ捉えるのは、「何でも命じてやらせられる」強大な人事権と、それと相補的な「何でもやらせることで雇用だけは守る」雇用保障とのバランスを見失った議論といわざるを得ません。
問題は、そういう特異な労使妥協が、今日の労働者にとってどこまで本当に望ましい姿なのか?もっと異なる別の労使の利害の均衡点にシフトする必要はないのかという点にこそあるはずなのに、それを労働者だけが一方的に守られて、企業は労働者に奉仕してきたかのようなインチキな議論で論じてしまうと、本来正しい方向に進むはずの議論が、あらぬ方向に迷走するだけにしかならないでしょう。
私自身、労働者の保護の在り方は規制の重点の置き所を変える、つまり正しい意味での規制改革が必要だと思っていますが、それを一方的な認識に基づく一方的な規制緩和を本丸だと言いつのるようなやり方で進めようとするならば、事態を混乱悪化させるだけであることは間違いありません。
その端的な一例が、三木谷氏のこういう発言でしょう。
三木谷 ・・・また、従業員の就業条件を緩和するホワイトカラーエグゼンプションも未だに導入されていない。ベンチャー企業なんかでは、スタートアップ期には週7日、24時間体制で頑張っています。それが従業員保護の名目で規制がかけられている。・・・
まさに、ベンチャー企業であれ、大企業であれ、他の先進国とは隔絶して、労働時間規制が実質的に存在せず、36協定を結んで残業代さえ払えば、経営パートナーでも何でもない雇用労働者に「週7日、24時間体制で頑張」らせることが平然とできてしまう、という点にこそ、ジョブがなくなっても整理解雇が難しいという以上に世界的に非常に特異な在り方であるという認識がかけらもなく、そういう異常なまでに長時間労働が可能な日本の労働法制をつかまえて、「それが従業員保護の名目で規制がかけられている」などとまだ文句たらたらな姿を見ると、いかに「半分正しい」とはいえ、そういう発想で規制「緩和」をやられてはたまらない、というのは率直な感想ではあります。
世界標準に近づけるというのなら、ジョブがなくても守られる雇用保障だけではなく、それの存在根拠となっている制約のない人事権についても同様に見直すというのでなければ、バランスがとれません。
そうやってバランスをとるのであれば、それは世界標準のノンエリート労働者の働き方であるわけですが。
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» 正社員を解雇できない「特異な判例」とは? [シジフォス]
去年まではほとんど話題にならなかった「春闘」がこんなに注目をあびるとは…。しかも公務員の賃金をよってたかってあそこまで下げておいて…。その一方で、エコカー減税などを含め相当の税金をつぎ込んだ自動車業界の「満額支給」には何ら批判をしない世論。そんな不条理は別の機会に書くこととして、濱口さんに触発されて、久しぶりに『文藝春秋』4月号を買ってしまった。冒頭の特集「安倍内閣は日本を救えるか」の竹中平蔵、三木谷浩史両氏による対談「政官財の抵抗勢力に宣戦布告 本丸は規制緩和だ」を読むために…。結論…8...... [続きを読む]
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