広田照幸編『グローバリゼーション,社会変動と大学』
岩波書店から刊行されたシリーズ大学の第1巻『グローバリゼーション,社会変動と大学』をお送りいただきました。編者の広田照幸さん、吉田文さんにお礼申し上げます。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/0/0286110.html
グローバリゼーションにより,大学は近年,従来の教育・研究活動,また社会との関係についての再考を迫られるようになった.世界中で進む学生の国境を越えた移動と大学教育の輸出入の拡大,就職市場のグローバル化,知と大学の関係の変化,英語教育の新展開,デジタルメディアの影響――.激変する環境への対応と模索を論じる.
このシリーズでは、私が強い関心があるのはむしろ第2巻の「大衆化する大学」、第5巻の「教育する大学」などですが、本巻は第1巻としてある意味総論的にグローバリゼーションを取り上げたのでしょう。
1 グローバリゼーションと大学 (早稲田大学:教育社会学)吉田 文2 日本の大学とグローバリゼーション (日本大学:教育社会学)広田照幸
3 知の政策志向化現象と大学の役割 (東京大学:社会学)松本三和夫
4 グローバル化による競争環境の変化と求められる人材
(大阪大学:労働経済学)松繁寿和5 グローバリゼーションのなかの英語教育
(立教大学:英語教育論)鳥飼玖美子6 デジタル・メディアがもたらす大学の変容または消滅
(大学評価・学位授与機構:哲学・認知科学)土屋 俊
広田さんは、ここでもあえてわざと「守旧派」の旗を掲げようとしています。
・・・冒頭で紹介した「フンボルト理念は終わった」と主張する中教審の委員の判断は本当に適切なのか。「古い理想」はもはや死んで葬られてしまったのか。私に言わせるとそれは間違いである。二つの意味で、「古い理想」は生き続けている。
問題は、フンボルト理念だけが大学の「理想」なのか?ということなのでしょうけど。
あと、本書の文脈から外れた全くつまらないことを言うと、大学で英語をしっかり勉強することの意義は、「欧米ではこうだ」などと、知ったかぶりをするインチキな連中のいうことを、原文をちゃんと読んで見抜ける知的能力を養うところにあるのだと思いますよ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-cdf2.html(池田信夫氏の勇み足)
もちろん、本ブログを以前からお読みの皆さんには、英語が読めないのがどちらであるかはとうにおわかりでしょう。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-8afc.html(またしても池田信夫氏の捏造)
そのフランソワさんたちが実際にどういうことを言っているかは、通常の英語力があれば理解できます。
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