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半分だけ正しい竹中平蔵氏

竹中平蔵氏の「ポリシーウォッチ」から。

http://policywatch.jp/topics/211

産業競争力会議などを中心にアベノミクスの中での成長戦略がどのようになるのか大変注目を集めている。金融政策、財政政策は重要だがそれらを超えて更に長期的な経済発展のためには、やはり成長戦略が不可欠である。そういう中で、規制改革こそが成長の一丁目一番地だということを述べ、安倍総理も一丁目一番地という使ってくれたわけだが、その規制改革の中で更に重要な規制改革はなんなのだろうか、そういう点に次第に議論が集まっていくのではないか。
規制改革はかなり幅広くやらなくてはならない。しかし、あえてその中の更に中心的な一丁目一番地の中の一丁目一番地として、雇用に関する労働市場に関する規制改革が重要であるということを述べたい。
民主党を中心とする政権の最初に社民党が入っていた。この社民党の影響を非常に強く受ける形で過去何年間かの雇用政策、労働市場政策というのは正社員を増やす、正社員こそが良い働き方であって、そういった種類の労働を増やすということにどうしても重きがあった。しかし、日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず、結果的にそうなると企業は正社員をたくさん抱えるということが非常に大きな財務リスクを背負ってしまうので、常勤ではない非正規タイプの雇用を増やしてしまった。
本来どのような働き方をしたいかというのは個人の自由なはずで、多様な働き方を認めた上で、それでも同一労働同一条件、つまり正規も非正規も関係なく全員が雇用保険、そして年金に入れるという制度に修練して行かなければならない。
今回の成長戦略の中で規制改革に関する制度設計、雇用をより柔軟にするための規制改革がどのように行われるか、そこに非常に大きな焦点が当たると思われる。

最近、本ブログで何回も繰り返していることですが、経済学者によく見られる物事の反面だけ見て残りの反面を無視する議論の典型なので、ここで引用して批判しておきます。

「日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に」特殊な在り方であるということ自体は、私が口を酸っぱくして言っているようにその通りです。

しかし、その特殊さを、「非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず」という側面だけで捉えてしまうと、あたかも日本の企業は世界で最も博愛的で、異常なまでに自社の利益を顧みずに労働者保護ばかりに勤しんできたかのような、とんでもない誤解をあたえることになります。

もちろん、そんな馬鹿な話はありません。日本型正社員の特殊さは、まず何よりも、職務も時間も空間も限定がなく、会社の命令で何でもやらなければならないというところにあります。そういう無限定さの代償として、「何でもやらせられる」強大な人事権の論理必然的なコロラリーとして、いざというときにも「何でもやらせることによって解雇を回避する」努力義務というのが発生してくるわけです。

前者の側面だけ見れば、日本の企業は世界で最も人権を踏みにじるとんでもない存在に見えますが、そして、時間外労働を拒否したり、転勤を拒否したりする労働者を懲戒解雇してよろしいとお墨付きを出している日本の最高裁は、その人権無視の共犯者に見えますが、それもまた、後者の側面と相互補完的に組み合わされているが故に、一種の労使妥協として存在し得てきたものであるわけです。

ここで大事なのは、こういう法社会学的な相互補完的存在構造が、経済学者の目には全然見えていない、ということなのです。

だから、「日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず」などという、半分だけ正しいけれども、残りの極めて重要な半分を無視した暴論を平気で言えてしまうわけです。

そして、そういう「何でもやらせられる」ということの特殊性への問題意識を全く欠落させたままでの「一丁目一番地」という手の議論が突き進められていくと、どうなるか。

それこそがまさに、「何でもやらせられる」点では全く日本型正社員と同じだけれども、「解雇が容易」という点ではそれと対照的な、まことにブラック極まる世界が現出することになるわけですね。

(参考)

では、どういう方向性を目指すべきか?

一つの提起として、ジョブ型正社員という構想があります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/aichi.html(『愛知経協』1月号原稿 「正社員はどうなっていくのか?」

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コメント

経済学の人気ブログ「himaginaryの日記」の2012年12月18日付けの話題は、「経済学を勉強すると嘘をつきやすくなる」というものだ。

経済学者は、実はわかってはいるが、嘘をついた方(利己的にふるまった方)が自分の利益になるという、後天的に獲得された信念(人は金銭的インセンティブに従うなど)に縛られすぎなのではないかと時々感じる。

竹中氏も、全体の真実をみないで、「嘘」をつき、自分の主張のインプリケーション(自分がコミットしている経済界)の利益になるということなのではないだろうか?

投稿: yunusu2011 | 2013年3月 3日 (日) 20時05分

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