塩路一郎氏死去
昨晩、都内某所で、塩路一郎氏の本のことが話題になりましたが、すでに亡くなられていたのですね。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/130206/bsa1302060501000-n1.htm(自動車総連元会長 塩路一郎氏が死去)
自動車総連元会長の塩路一郎(しおじ・いちろう)氏が1日、食道がんのため死去したことが5日、分かった。86歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、朝比古(あさひこ)氏。
日産自動車入社後、間もなく労働運動に転じ、日産系の自動車労連(現日産労連)や自動車メーカーの労組でつくる自動車総連の会長を務めた。日産の英国進出に反対するなど当時の経営陣と対立したことでも知られ、影響力の大きさから「塩路天皇」とも呼ばれた。
この本、言ってることが本当かどうかはともかくとして、大変おもしろい本であることは間違いないのに、あんまり世間で論評されていないようなのはもったいない感じです。検索すると、下記本ブログの記事がトップに来るし。
塩路氏死去を機に、読まれるといいですね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-4c1f.html(塩路一郎『日産自動車の盛衰 自動車労連会長の証言』緑風出版)
これはやはり、労使関係の研究者、労使関係に興味のある人にとっては必読でしょう。「あの」塩路一郎氏が、日産自動車に入って、宮家愈氏の下で益田哲夫氏率いる全自日産分会を倒す民主化運動の回想から、プリンス自動車との合併をめぐって、全金プリンス支部の大会に乗り込んで労組統合を進めたいきさつ、そして、多くの本であまりにも有名になった石原俊社長との「対立」の全経緯を語り尽くした本です。500ページ近い分厚さですが、小説よりも面白くて思わず一気に全部読んでしまいます。
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最近は塩路さんのお顔を見る機会もなくなっていました。昨年の自動車総連40周年にも出席されていなかったようですし。
私のところにも2日に日産時代の知人から訃報がもたらされました。亡くなった1日に都内某所で私が日産労組にいたころ塩路自動車労連(当時)会長の組織運営にいかに反発したかについて話題にしていたので、奇妙な偶然もあるものだと思います。私が今日JAMにいるのも、20代の頃に塩路さんのやり方に反発して全金プリンス自工支部(当時)に加入したのがことの初めですから、ある意味では塩路さんのお陰です。
今はただご冥福をお祈りします。
投稿: 早川行雄 | 2013年2月 7日 (木) 10時51分
あ、そうだったんですか。
全金プリンスにおられたということは、この本の記述がひときわ心の琴線に触れるものがあったのではないかと思います。
本ブログで以前、中谷巌氏について論じたときに、こんなことを述べたことがありますが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3779.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3779.html(中谷巌氏の転向と回心)
この本も一つの素材にしつつ、「塩路一郎の時代」というものを少しマクロな観点から誰か論じてくれないだろうか、という思いが沸いてきます。
投稿: hamachan | 2013年2月 7日 (木) 21時34分