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2013年2月 6日 (水)

塩路一郎氏死去

昨晩、都内某所で、塩路一郎氏の本のことが話題になりましたが、すでに亡くなられていたのですね。

http://www.sankeibiz.jp/business/news/130206/bsa1302060501000-n1.htm自動車総連元会長 塩路一郎氏が死去

自動車総連元会長の塩路一郎(しおじ・いちろう)氏が1日、食道がんのため死去したことが5日、分かった。86歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、朝比古(あさひこ)氏。

日産自動車入社後、間もなく労働運動に転じ、日産系の自動車労連(現日産労連)や自動車メーカーの労組でつくる自動車総連の会長を務めた。日産の英国進出に反対するなど当時の経営陣と対立したことでも知られ、影響力の大きさから「塩路天皇」とも呼ばれた。

1214lこの本、言ってることが本当かどうかはともかくとして、大変おもしろい本であることは間違いないのに、あんまり世間で論評されていないようなのはもったいない感じです。検索すると、下記本ブログの記事がトップに来るし。

塩路氏死去を機に、読まれるといいですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-4c1f.html(塩路一郎『日産自動車の盛衰 自動車労連会長の証言』緑風出版)

これはやはり、労使関係の研究者、労使関係に興味のある人にとっては必読でしょう。「あの」塩路一郎氏が、日産自動車に入って、宮家愈氏の下で益田哲夫氏率いる全自日産分会を倒す民主化運動の回想から、プリンス自動車との合併をめぐって、全金プリンス支部の大会に乗り込んで労組統合を進めたいきさつ、そして、多くの本であまりにも有名になった石原俊社長との「対立」の全経緯を語り尽くした本です。500ページ近い分厚さですが、小説よりも面白くて思わず一気に全部読んでしまいます。

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コメント

最近は塩路さんのお顔を見る機会もなくなっていました。昨年の自動車総連40周年にも出席されていなかったようですし。
私のところにも2日に日産時代の知人から訃報がもたらされました。亡くなった1日に都内某所で私が日産労組にいたころ塩路自動車労連(当時)会長の組織運営にいかに反発したかについて話題にしていたので、奇妙な偶然もあるものだと思います。私が今日JAMにいるのも、20代の頃に塩路さんのやり方に反発して全金プリンス自工支部(当時)に加入したのがことの初めですから、ある意味では塩路さんのお陰です。
今はただご冥福をお祈りします。

あ、そうだったんですか。
全金プリンスにおられたということは、この本の記述がひときわ心の琴線に触れるものがあったのではないかと思います。

本ブログで以前、中谷巌氏について論じたときに、こんなことを述べたことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3779.html(中谷巌氏の転向と回心)

ただ、その前に、中谷巌氏個人のやや特殊な思想環境に言及しておく必要があるように思われます。彼は、1965年に一橋大学経済学部を卒業して、日産自動車に入社し、4年勤めたあと、ハーバード大学に留学しています。この時期の日産は、塩路一郎氏が絶大な権勢を誇っていた時代です。塩路天皇とまでいわれたその権勢は、ある種の企業別組合との労使協調体制に対する違和感を若き中谷氏に刻印した可能性があるように思われます。

「仕事場における民主主義」という言葉に彼が塩路体制下の日産への批判を込めていたかどうかはもちろん知るよしもありませんが、どこかの時点で、そういうミクロに陣地を構築する方向に向かう社会民主主義的な志向こそが結局塩路体制を作り上げたのではないか、いっそそんなものはことごとく投げ捨て、きれいさっぱり市場原理で行く方がいいのじゃないか、という「回心」が訪れたとしても不思議ではないように思います。

そして、それは実は中谷氏だけの経験ではなく、日本各地のミニ日産のミニ塩路一郎体制を経験していたミニ中谷巌氏らの共通の経験であったのではなかろうか、マクロな日本社会全体として、90年代にあそこまでの新自由主義への熱狂的「回心」が行われた社会的背景には、80年代まであれだけ日本的経営賛美の声が高らかに唱われながら、現場で違和感を禁じ得ない人々が相当の数いたからではないか、と思われるのです。

その結果が日本社会に「悪魔の挽き臼」を呼び寄せることになったのだとすると、皮肉を感じざるを得ません。

(中谷氏より少し後に日産に入り、その後同じく経済学者の道を進んだ神野直彦氏は、マクロな経済民主主義というもう一つのオルタナティブを選んでいます。知識社会学的対比列伝の好事例というべきでしょうか)

この本も一つの素材にしつつ、「塩路一郎の時代」というものを少しマクロな観点から誰か論じてくれないだろうか、という思いが沸いてきます。


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