他人の解雇、自分の解雇
本ブログでだいぶ前に取り上げた話ですが、佐々木亮さんのツイートで思い出しました。
http://twitter.com/ssk_ryo/status/302696791596482560
解雇規制緩和を声高にいう人は、自分が解雇されるとものすごく怒る(当職調べ・通説)。
その実例を。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-d479.html(世にもおもろい小倉・池田バトル)
世にもおもろい見ものは、黙って楽しんでおけばいいというのが大人の態度なのでしょうが、それにしても、
彼が「また解雇されたときには」と書いているのは、私が「一度は解雇された」ことを前提にしているが、私は一度も解雇されたことはない。以前の記事にも書いたように、国際大学グローコムの公文俊平が私を含む3人に対して「雇用契約が存在しない」という荒唐無稽な通告(国際大学の文書ではなく公文の私的な手紙)をしてきたことはあるが、それは裁判所における和解で無効とされ、国際大学は通告が存在しないことを確認した。
正当な理由があろうがなかろうが、およそ解雇は自由でなければならないと主張しているはずの人間が、自分のボスによる解雇通告に逆らうなどという言語道断な振る舞いに出たことを、平然と公言しているというのは、これを天下の奇観と言わずして何と申しましょう、というところです。
しかも、絶対的解雇自由を主張するということは、解雇されたあるいは解雇通告を受けたということがいかなる意味でもスティグマではあり得ないということのはずなんですが、
小倉弁護士はこれまでにもたびたび私に対して虚偽による中傷を繰り返しているが、私が大学を解雇された「問題人物」であるかのようにほのめかすのは、通常の言論活動を逸脱して私の名誉を毀損する行為である。このブログ記事を撤回して、謝罪するよう求める。撤回も謝罪も行なわれない場合には、法的措置をとることも検討する。
なんと、正当な理由があろうがなかろうがことごとく認められるはずの解雇をされたと言われることが、名誉毀損に当たる、というすさまじくも終身雇用にどっぷり浸った発想をそのまま披瀝しているんですな。
池田氏の理論によれば、解雇されたということは、自分のボスが有している完全に恣意的な解雇権を素直に行使したというだけなのですから、どうしてそれが名誉毀損になるのか、池田氏の忠実な信徒であればあるほど、理解困難になるところでしょう(論理的に頭を使う能力があればの話ですが)
(念のため)
上記事実関係については、池田氏の一方的陳述に過ぎず、当時GLOCOMにいた会津泉氏が、「事実無根で悪意に満ちた誹謗と中傷ばかり」と、切り込み隊長氏のブログで発言していることを付記しておきます。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-b14a.html(3法則氏が、遂に解雇権濫用法理と整理解雇4要件の違いに目覚めた!)
これは率直に慶賀したいと思います。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ff86cfa0ac298e764adacc2d32d8fee2
自分のことが素材になると、アメリカ以外の先進国共通の不当解雇規制の問題と、雇用システムによって差が生じる整理解雇の問題が違うということがおわかりになったようです。
今まで本ブログで繰り返しそのことを述べてきながら、なにかというと「解雇権濫用法理が諸悪の根源」というような議論に苛立ってきたわたくしとしては、まことに慶賀すべきことであります。
・・・ところが、3法則氏、自分がようやく気がついたからといって、いままでの自分の迷妄をなんと法律の専門家になすりつける作戦に出たようです。
両者を混同して、私が「正当な理由があろうがなかろうが、およそ解雇は自由でなければならないと主張している」などとばかげた主張を行なうのは、小倉弁護士と天下り学者に共通の特徴である。このような虚偽にもとづいて、まともな議論をすることはできない。彼らは、まず私がそういう主張をしたことを具体的な引用で示してみよ。
困ったおじさんですね。
(ちなみに)
労務屋さんも意外の念を禁じ得ないようです。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090515#p1(今日の池田先生)
そもそも、あれだけ「解雇自由」を連呼しておいて今さら「あれは整理解雇のことでした」というのもないだろう、とも思うわけですが、いずれにしても池田先生としては「整理解雇の規制緩和(自由化?)」を主張しておられるのであって、「一般的な不当解雇をすべて自由にせよというものではない」と、スタンスを明確にされたということでしょう。これまではそこが不明確だったわけですから、「私の過去の記事も同じである」とか「私がそういう主張をしたことを具体的な引用で示してみよ」とかいうのはあまり誠実な態度とは思えませんが…。
まあ、3法則氏に「誠実な態度」を求めるなどとあまりにも高望みが過ぎるというものです。悔し紛れに今までの自分の無知蒙昧をとっさに相手になすりつけながらもなんとか正しい認識に到達したことを褒めてあげなければいけません。
なお、これは2009年時点のエントリをそのまま再掲したものなので、その後、3法則氏が再び整理解雇ではない個別解雇について自由にしろとかつての主張と自家撞着的に主張していることはまた別の話です。トラバ記事参照。
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ご指摘のとおりで、まず、解雇規制の緩和、成果主義・能力主義を反映した給与制度というものも、大学でまずやったらどうかと思う。
一律の定年制の延長などもってのほかだろう。逆に、40歳定年というのも、東京大学あたりでやってみるといいかもしれない。
国際的に通用する業績満載の方々のはずなので、何も怖いものはないはず。9月入学などより先だろう。
「まず隗よりはじめよ」とよくいったものだ。
投稿: yunusu2011 | 2013年2月17日 (日) 15時13分