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2013年2月15日 (金)

ジョブレス解雇じゃないアンフェア解雇こそが真の労働法問題

規制改革会議の論点整理案が明らかになったということで、例によってまた日経新聞がうれしそうに記事にしていますが、

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1403F_U3A210C1MM8000/規制改革会議、解雇条件見直し検討 金銭解決を提唱

本ブログで何回も繰り返してきたように、労働者の権利を守るという観点から真に重要な解雇規制とは、雇用契約の基盤であるはずのジョブがなくなったときにどうするかというジョブレス解雇の問題ではなく(ヨーロッパでは、それは労使協議で解決すべき問題)、ジョブがあるにもかかわらず使用者側の意思でそこから排除される事態をどうコントロールするか、という問題です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-ac43.html(ジョブレス解雇と貴様ぁ解雇)

この貴様ぁ解雇(英語で言えばアンフェア解雇)をなぜ規制しなければならないかについては、私の個別労使紛争研究による実態が何より雄弁に物語っているわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-a1c3.html(解雇するスキル・・・なんかなくてもスパスパ解雇してますけど)

それとともに、より理論的な研究もされています。かなり以前に本ブログで紹介したものですが、こういう時期であるだけに改めて強調しておく必要があると思われ、再掲しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-142e.html(山垣真浩「解雇規制の必要性」)

昨日ちょっと言及した山垣真浩さんの「解雇規制の必要性-Authority Relationの見地から」は、世の経済学者の圧倒的大部分が整理解雇を念頭において解雇規制が失業を増やすという議論ばかりをやっているのに対し、労働契約が不完備契約であること、それも、よく言われるような企業特殊熟練が形成されるから云々という議論ではなく、別に企業特殊熟練があろうがなかろうが、労働契約それ自体の性質から、指揮命令型不完備契約にならざるを得ず、まさにこの雇用関係の下の労働者には諾否の自由がないということから、「俺の命令に服従しなければクビだ」という解雇の脅しが、労働者に不利な条件での労働を甘受させることになるがゆえに、解雇権が制限されなければならないことを説得的に論じています。

・・・つまり解雇権は制裁手段つまり使用者の命令権を強化する装置となるので、「労働の従属性」を防止するためには一定の規制が必要となる。それは労働者の「生産性」「仕事能力」の不足とか人事評価を基準とする解雇を規制するという内容でなければならない。なぜなら指揮命令関係の下では、労働者の「生産性」「仕事能力」は技能水準と服従性という2つの異質な要素からなっているので、労働者の過度な従属(労働者の厚生の悪化)を防止するためには、使用者が評価するところの「生産性」基準による解雇を制限する必要があるからである。

これはもう、全くその通りです。わたくしがもうすぐまとめる労働局あっせん事案の内容分析でも、まさに「云うことを聞かない」からクビというのが大変多いのですね。

労働において「指揮命令関係」が有する枢要的性格が、経済学者の議論では欠落しているという点に、解雇規制がわけの分からない迷路にさ迷い込む最大の理由があるのでしょう。指揮命令関係がなければ、それは労働契約ではなくある種の請負契約と変わらないわけです。経済学者が雇用関係をプリンシパル・エージェント関係で捉えるとき、請負的プリンシパル・エージェント関係と一体区別が付いているのかどうか。もしついていないとすれば、経済学者に必要なのはまずは民法契約編の基本的知識なのかもしれません。

ついでに、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-4f64.html(「権力」概念のない経済学の解雇問題への一帰結)

・・・ここで筒井さんが述べておられることは一般的なことですが、これを具体的な雇用関係に当てはめて考えると、労働者を解雇することが合理的であるかどうかの意思決定が使用者に与えられていることの「権力」性を認識することができるかどうかという問題になるでしょう。

「こいつは無能である」という判断に不確実性がなく、その合理性はすべての人に明らかであるという完全情報を前提にすれば、すべての個別解雇は誰も異論を挟む余地のない合理的なものとなりますが、いうまでもなくそういうことはないわけです。「権力」概念のない経済学が、「権力」現象そのものである個別解雇をまともに取り扱うことができない(というより、解雇というのはすべて整理解雇のことだと思いこんでいる)のは当然のことかも知れません。

それに対して、経営状況が悪化して誰かを解雇しないと会社がやっていけないというのは、もちろん不確実性がなくなるわけではないにしても、かなりの程度客観的に判断できることですので、「権力」概念のない経済学でも取り扱うことができますし、整理解雇4要件の合理性を論ずることもできるのでしょう。

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コメント

とはいえ、経済学の方からは
「間違って『無能』と判断した場合、その企業にとってはミスで損するからええやん」
的な反論がありそうですね(棒読み

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