実態が不明確な理想の言葉は簡単に信用できない
NHKの協同労働番組に、黒川滋さんも反応されていて、
http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2013/02/27-6c43.html(みんなが労働者でみんなが経営者)
例によって、大変共感するのですが、同じ話を連ねても仕方がないので、黒川さんの少年時代の思い出の部分を:
高校生のときに私の通学していた高校では、何だかんだと毎週のように学内集会があって、校長から「本当の自由と自立」みたいな話を聞かされ、そして学校行事は「ほんとうの自由と自立」に感動したくて来校する観客のために振り回され、校内で非合理なことがあっても「ほんとうの自由と自立」のために我慢するよう求められ、そういうことを横目にみながら「ほんとうに自由になっているのかい?」と場の空気を壊すようなことをやっていたので、実態が不明確な理想の言葉は簡単に信用できない悪い癖があります。そうしたときに労働法の解説書に出会い、労使間の自治の論理と、集団的労使関係という合意形成に向けた交渉システム、団結権保障のための様々な考え方などを知り、空虚な理念語を振り回すより、問題解決の手段なんだと認識して今に至っております。
黒川さんは「実態が不明確な理想の言葉は簡単に信用できない悪い癖」と言っていますが、いやいや、そういう「実態が不明確な理想の言葉」にすぐころりと逝かれて、「どうしてこんなすばらしい理想がおまえは分からないのだ!」と人をブラックな世界に引きずり込みたがる単細胞な人々に比べれば、大変「良い癖」というべきでしょう。
そういう「良い癖」を持った人々がもう少し世の中に増えれば、表面的な人付き合いはいささか摩擦含みになるかも知れませんが、その代わり、「実態が不明確な理想の言葉」に萌え上がって萌えつきちゃう悲劇は少なくなるような気はします。
これは偉大な指導者の社会主義国であろうが、偉大な教祖の宗教団体であろうが、偉大な経営者のブラック企業であろうが、同じことではないでしょうか。
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