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2013年2月 8日 (金)

協同労働について

昨晩のNHKのクロ現で、協同労働が取り上げられたということで、一部で話題になっているようです。

この問題については、本ブログでも過去に結構何回も取り上げてきていますので、ご参考までに。

結局要は、最後の「メンバーシップ型雇用社会における協同組合のポジショニング」をどう考えるかということに帰着するんですよね。営利社団法人として出資者が社員である会社があたかもそこで働く人を『社員(メンバー)』とする団体であるかのごとく振る舞う社会において、そもそも働く人が法律的に厳密な意味で「社員」であるような団体はいかに存在するのか、という問題です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c79d.html(労働者協同組合について)

端的に言うと、労働者協同組合における労務提供者は労働法上の労働者ではないということに(とりあえずは)なるので、労働法上の労働者保護の対象外ということに(とりあえずは)なります。この事業に関わるみんなが、社会を良くすることを目的に熱っぽく活動しているという前提であれば、それで構わないのですが、この枠組みを悪用しようとする悪い奴がいると、なかなかモラルハザードを防ぎきれないという面もあるということです。

いや、うちは労働者協同組合でして、みんな働いているのは労働者ではありませんので、といういいわけで、低劣な労働条件を認めてしまう危険性がないとは言えない仕組みだということも、念頭においておく必要はあろうということです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d8ca.html(ボランティアといえば労働じゃなくなる?)

もちろん、ボランティア活動はたいへん崇高なものではありますが、とはいえ親分が「おめえらはボランテアなんだぞ、わかってんだろうな」とじろりと一睨みして、子分がすくみ上がって「も、もちろんあっしは労働者なんぞじゃありやせん」と言えば、最低賃金も何も適用がなくなるという法制度はいかがなものか、と。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-784e.html(協同労働の協同組合法案)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-8536.html(「協同労働の協同組合法案」への反対論)

労働運動関係の旬刊誌『RJ 労働情報』の最新号(790+791号)に、白鴎大学の樋口兼次さんという方が、「「協同労働の協同組合法(仮称)」(ワーコレ法)案に反対!偽装法人、ワーキングプアの温床の危惧「地域主権」で脅かされる労働者の権利」という、かなり厳しい批判を書かれています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ecd7.html(第4の原理「あそしえーしょん」なんて存在しない)

たぶん、現在の組織のなかで「アソシエーション」に近いのは協同組合でしょうが、これはまさに交換と脅迫と協同を適度に組み合わせることでうまく回るのであって、どれかが出過ぎるとおかしくなる。交換原理が出過ぎるとただの営利企業と変わらなくなる。脅迫原理が出過ぎると恐怖の統制組織になる。協同原理が出過ぎると仲間内だけのムラ共同体になる。そういうバランス感覚こそが重要なのに、そのいずれでもない第4の原理なんてものを持ち出すと、それを掲げているから絶対に正しいという世にも恐ろしい事態が現出するわけです。マルクス主義の失敗というのは、世界史的にはそういうことでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-132e.html(アソシエーションはそんなにいいのか?)

日本の「正社員システム」とは、それがマルクス的な意味での資本によって結合されただけの自由な=疎外された労働ではなく、まさに「社員」としてアソシエートした諸個人による共同的労働になっているところにあるのだとすると、そして、そのシステムが例えば本号の特集となっている「シューカツ」を生み出す一つの源泉となっているのだとすると、「いまこそアソシエーションを!」みたいな議論はいかにも皮肉なのではないか、ということですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-97a8.html(とってもメンバーシップ型なユーゴスラビア労働法)

「そういえば、その昔、ゆーごすらびあなんていう国がありましたなあ」

「そうそう、ろうどうしゃじしゅかんりとかいうのもありましたねえ」

と、老翁老婆が渋茶を啜りながら回想するような歴史的存在となった旧ユーゴスラビアですが、ソ連やポーランドと比較しながら、旧ユーゴスラビアの労働法をいろいろ読んでいくと、これって究極のメンバーシップ型労働法理論を構築していたのだという事が分かりました。

労働者自主管理というのも1950年に始めてから徐々に進化していっているのですが、その完成形とみなされているのが1976年の連合労働法というやつですが、この法律では、連合労働者の労働関係は、一方が他方を雇う雇用関係ではなくって、「全ての者が互いに労働関係を結ぶ相互的労働関係」なんですね。企業という概念の代わりに「労働組織」というのが中心で、その労働者評議会が仲間として入れる人間を選定する。事業管理機関も労働者評議会が選ぶ。まさに、出資者がメンバーである会社ではなく、労働者がメンバーである労働組織が社会の中心をなすのが自主管理社会主義というわけで、法制度自体がとってもメンバーシップ型なわけですね。

今の日本で言えば、「協同労働の協同組合」に近いわけですが、社会全体をこういう仕組みにしようとしたところが旧ユーゴの特徴であり、結局それに失敗してユーゴという国まで一緒に崩壊してしまったというわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-e1d4.html(メンバーシップ型雇用社会における協同組合のポジショニング)

ただ、全体をざっと読んで感じたのは、雇用契約自体がメンバーシップ型に傾斜している日本社会において、本来的にメンバーシップ型である協同組合のあるべき位置が狭められてしまい、むしろ本来の機能を超えた公益的存在意義を主張しなければならなくなっているのではないか、ということでした。

・・・言いたいことは実によく分かるのですが、しかしこれは、本来株主の「私益」を目指すための営利社団法人である会社が、ある意味で協同組合的性格に近い労働者のメンバーシップ型共同体に接近したため(商法上の社員じゃない「社員」の「共益」)、本来の協同組合のポジショニングが狭められてしまい、「公益」にシフトしようとしているようにも見えます。

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