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2013年2月14日 (木)

メンバーシップ型正社員とジョブ型無期労働者を区別できないとこういう議論になる

労働に関心のある一部の世界ではある程度理解されていることなのですが、それをちょっと離れるともうまったく理解されていないということが、こういう議論で露呈します。

http://agora-web.jp/archives/1518728.html(改正労働契約法「5年で無期」が大学教育に及ぼす影響)

この法律の制定により頭を悩ませているところがある。それは大学である。

大学教員、研究者は、授業やプロジェクトなどのために雇用されている有期雇用労働者が数多く存在する。当然のことながら彼等全員を無期雇用することなど大学にはできない。

・・・日本企業には長期雇用慣行があり、企業の基幹部分を担う正規社員=終身雇用、景気による労働需要に柔軟に対応できる非正規社員=雇用の調整弁という図式があった。企業は有期労働者を多数雇い入れ、労働需要が続く限り有期雇用を更新し続け、需要がなくなったときに契約を終了させて雇用調整をするというかたちをとっており、非正規社員が都合のいいように使い捨てられていたためこのような立法に至ったのであろう。

しかし、大学教員、研究者のように、そもそもの趣旨として、有期雇用であっても雇用の調整弁として雇われてきたわけではない者も存在する。そういった者達に本条の適用は馴染まないのではないだろうか。雇用や労働条件の安定を保障するため、無期雇用で働く者が増えることは望ましいのかもしれない。だが、本条は様々な検討課題を残しており、企業の雇用政策に今後大きな影響を及ぼすことになるだろう。

いうまでもなく、EU指令に基づきすべてのEU諸国でも同様の規制が存在するのにこういう問題になっていないのは、そもそも日本の「正社員」が単なる無期雇用ではないことに原因があるわけです。

日本型雇用システムにおけるメンバーシップ型「正社員」とは、いかなる職務にも就くことを命じられる広範な人事権と、いかなる職務に廻せることによる職務を超えた雇用保障とがセットになった存在ですから、有期雇用が無期雇用になったからといって日本型「正社員」になるわけではありません。

この点は、先の日本労働法学会の討論の場でも議論になったところですが、立法に関わった人々の認識もそうであることは間違いのないところです。

その上で、上記引用のアカデミック関係の雇用契約を考えると、そもそもいかなる職務にも回すことを前提とした日本型メンバーシップ契約なのかという根本のところで、安易に正社員モデルでのみ考えて、正社員かしからずんばいつでも雇い止め可能な有期契約か、という発想に陥っていく姿が浮き彫りになっており、このあたり文教関係者に対する適切な認識を求めていくべきところが多いように思われます。

ジョブ型無期雇用であれば、当該授業なりプロジェクトが本当に消滅すれば、それはもっとも正当な雇用終了事由になるはずです。なぜなら、まずジョブがあり、しかる後にそれにふさわしい人をあてはめるのが雇用ですから、そのジョブ自体がなくなれば、雇用がなくなるのは当然だからです。もちろん、実質的に同一のジョブが続いているにもかかわらず、タイトルだけちょいと変えてジョブがなくなったから云々というのはだめですが。

今回の労働契約法改正の最大の目的は、仕事はちゃんとそこにあるのに、なくなっていないのに、そしてその仕事をちゃんとやっているのに、ただ契約期間が満了したからというだけの理由で、雇用が終了されてしまうという不条理をどうなくすかという問題意識にあるのですから、それ以上の「メンバーシップ型正社員にするのは大変だ、とてもできないぞ」という発想でマイナス方向の反応ばかりが盛り上がっていくのは、困ったことです。

(追記)

https://twitter.com/hahaguma/status/301912035254493184

今回の法改正自体がそこを区別していないので大学等に混乱を招いているのでは?

いや、一応区別してるんですけど・・・(汗)。

http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/keiyaku/kaisei/dl/h240810-02.pdf

また、無期労働契約に転換した後における解雇については、個々の事情により判断されるものであるが、一般的には、勤務地や職務が限定されている等労働条件や雇用管理がいわゆる正社員と大きく異なるような労働者については、こうした限定等の事情がない、いわゆる正社員と当然には同列に扱われることにならないと解されること。

(再追記)

依然として、こういうわかったつもりのわかってない人々が・・・、

https://twitter.com/tamai1961/status/305690667613564928

残念なのは、松岡先生みたいな人には専門と関わりなく見えていたことが、労働問題の専門家に見えてなかった、どころか、想像もつかなかった、ということ。個々の法学者ではなく、立法過程そのものの問題だと感じる。

自分自身が日本的雇用システムにどっぷりつかって、メンバーシップ型正社員以外の、欧米では普通のジョブ型無期雇用が想像もつかなくなっていることを棚に上げ、「松岡先生みたいな人には専門と関わりなく見えていたことが、労働問題の専門家に見えてなかった」などと、どや顔で言えてしまうところに、こういう人々の生の姿が浮き彫りになっていますね。

ちなみに、この方、「ドイツ法思想史」もご専門らしいのですが、まずはご専門のドイツの労働法制がどうなっているのか、よく勉強されてから発言した方が良いような・・・。

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コメント

>その上で、上記引用のアカデミック関係の雇用契約を考えると、・・・正社員かしからずんばいつでも雇い止め可能な有期契約か、という発想に陥っていく姿が浮き彫りになっており、このあたり文教関係者に対する適切な認識を求めていくべきところが多いように思われます。

というより、日本の「大学教授」というのが、まさにジョブと無関係に終身雇用に守られる、象徴的存在(学術者としてたいして実績が認められず、客観的に「能力不足」であっても、定年まで在籍できる)であるというところに、問題をややこしくする側面が多く潜んでいるように思えるけれど。(ちょっといいすぎ?)

それこそ「経済学教授(および経済学研究室)」なんて、日本全国に一体何人いれば(あれば)気が済むの?ぐらいいるし(あるし)。
でもって、その経済学先生さま達の一部が、何の責任も負わない立場から市場万能・規制緩和・コウゾーカイカクのプロパガンダをやってきたってんだから、始末に負えないし。(ただ、竹中平蔵さんは当局者であったけれど。まあ、だからこそ、保身のための露出に余念がないわけだけど。)

あと、「 真・自由主義者」さんは、いくらなんでもコメントずれすぎ。
>一方で、日本型・企業による福祉は、明白に「労働という対価」を伴い、道徳的には確実に優越しています。
“道徳的”にねぇ…。
まあどうぞ勝手に、“プロジェクトX(エックス)”におひとりで淫して、コメントの方はどうかお控え願います。
(個人的には、トインビー『ハードワーク』なんかでも読んだらどうか、と思うけど、こういう輩は、薦めても読むわけないし。(こういう輩は、えてしてただの“言いたがり”にすぎず、およそ「知見を深めよう」とは考えないのだ。))

いや~真・自由主義者さん、その言いたがりぶり、おみそれしました。

ひとこと言い忘れていたのですけど、

>ブログ主さんは、「日本的正社員」をどうしたいんですか?

って、『新しい労働社会』ぐらいはせめて読んでおいてくださいよ~(まあ無理か)。

昨今、ジョブ型労働者にはもう一つ問題があって、専門的業務に従事する労働者の有期雇用でも、日雇いのように1日~数日で雇用契約が終了することはあまりなく、数か月~1年単位で更新が期待できる(10年も更新を繰り返している)場合が多いわけです。
で、何が問題かというと、確かに労働契約上は一定期間雇われてはいるものの、労働日数が著しく少なく(例えば1月に1日とか2日とかで、多くても週2日程度など・・)で、日給月給制で、支払われており、この労働日は会社がその都度任意に指定してそれ以外は労働義務がないという場合です。
労働契約書にもちゃんと「労働日については会社に委任する」と書いてあり、これ以外に必要事項はちゃんと書いてあるので、適法だと解されるわけです。
まあ、これまでのメンバーシップ型だと、休日以外は労働義務がありその労働の対価は支払う義務があるが、労働した分(日給月給なので)だけしかもらえない。なぜ日雇いではなく数か月の有期契約かというと「36協定」との関係で、一定期間を設定するように労基署が指導しちゃうわけです(尤も、労働日を使用者の任意にしろとは言わないでしょうけど)。
確かにマルチな非常勤の大学教員や、タレント性のある労働者ならそういう働き方はおいしい!。

ところが、一般のエンジニアだと、当然専属性のある事業場に勤務して初めて当該事業場に有効な労働力が生産できる(←これ再生産というのでしたっけ)わけで別な事業場にもっていくと予め個別労働者が保有する技術の修正には相当期間かかってしまう。なので、他の事業場で稼ぐわけにもいかず、同じ事業場で労働する期待利益を持ってしまうというわけです。

雇う側も、この辺を十分心得ていて、最初は毎日使う。慣れてきたところで(=専属制が否応なくついてしまって、飼い殺しにできる状態になってくると・・)次第に労働日を減らしていくわけです。もちろん減った分は新たに同じようにして新しい技術者を雇う。そして、必要な労働者の2倍か3倍の数の労働者が、食えるか食えないかの境界ライン上で仕事の確保を目指して競争するという世界です。

労働契約の所謂絶対的必要事項に、「休日」という考えではなくて、『労働日』(=いつ労働させてもらえるのか、とか、週や月に何日労働させてもらえるのか)という実質生活給付がどれだけになるのかという考え方をしないといけないと思います。
要するに、私の考えでは、労働者が、雇う側に労働日の決定権限を委任することを禁止すべきなんです(現行だとOKなんです)。

これ、かなりトホホなジョブ型労働者です。
それはもう、チキンレースでもなんでもするでしょう!

施行通達に示されている解釈なのに、まともにとりあう気もないみたいですね。今回の改正を悪し様に言い立てる動機でもあるんでしょうか。

あともう一つなんですが、メンバーではない労働者は、休憩時間も使用者とか顧客都合で取らざるを得ないことが多いと言えます。もちろん外回りの営業職はこれまでも休憩時間が不規則であったわけですが、これが、労働契約の内容が違うという理由で、製造や委託サービス労働を担当する構内労働者にも押し寄せています。
 労基法施行規則5条のところで「休憩時間(なぜか休憩時刻とは書かれていないわけで)」は明示しなければならないものの、その時刻については使用者が日々漫然と決めるわけです。サービス生産現場では常識になってきています。待機時間(=労働時間)ではなく、ちゃんと休憩時間なんです。でも細切れすぎて食事時間には足りなかったり、終業直前になっていきなり「1時間休憩だ!」といった具合です。それでも適法なわけです。
 休憩時刻を明示する義務ではなく、休憩時間を明示すればよいわけですから。トホホ・・・。

日本と言う安定した社会基盤があって、持続的に稼ぐことができるし、付加価値なり生産性を上げて行けるんです

社会不安のある国で果たして土地が価値を持ったり、尽くしてくれる従業員が居たり、取引相手が契約を守ってくれたりするのかな?

リバタリアンの大きな矛盾は、権力を認めないことで、究極の自力救済を続けないといけないと言うけれど、実は不当なまでの大きな権力が背景にないと利益の果実にありつけないということで、その大きな権力はいつも革命に怯える訳です

強欲で怠惰な左翼も困るけれど、無邪気なリバタリアンも鼓腹撃壌の農民と同じ思考レベルなんだけれどなぁ。。。。

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