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« 規制改革で「国際先端テスト」労働基準もね | トップページ | 『労働判例』1月1・15日号のコラム「遊筆」に「日本のフォーク・レイバーロー」」 »

2013年1月21日 (月)

山口一男「女性活躍の推進と日本企業の機能不全脱却について」@RIETI

経済産業研究所のHPに山口一男さんの「女性活躍の推進と日本企業の機能不全脱却について」という論文がアップされています。

山口一男さんと言えば、そう、日本的雇用慣行に「見返りのある滅私奉公」という絶妙の表現をされた方で、それをもじってわたくしがブラック企業を「見返りのない滅私奉公」と呼んだことはご承知の通りです。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/pdp/13p002.pdf

男女格差に関する基本的事実を摘示した後、「日本的雇用慣行と制度の分析」を踏まえて、いくつかの政策提言をされているのですが、そのうちまず日本的雇用慣行と制度の分析のところで、いくつか注目される指摘をしています。やや専門的ですが、玄人的にはここが結構重要なのは、

・・・隅谷は日本の終身雇用や年功賃金を中心とする内部昇進制度は、このような内部労働市場と見た。一方舟橋の主な反論は、米国で内部労働市場を持つ企業は、年功に基づく自動的昇給があるわけでもなく、また企業内異動については雇用者のイニシアティブや意志を尊重しておこなうが、日本的雇用慣行では異動について雇用者のイニシアティブや意志は全く尊重されず、 経営者の意を汲んで主に人事部により決定される点が全く異なるという点であった。

日本の仕組みはアメリカで言われている内部労働市場とは違い、「異動について雇用者のイニシアティブや意志は全く尊重されず、 経営者の意を汲んで主に人事部により決定される」点に最大の特徴があるという指摘を、70年代という時点で舟橋尚道がしていたという点が重要です。山口さんも、

筆者も始めのころは、隅谷-舟橋論争は、基本的に隅谷が正しく、舟橋の批判は、コールの機能的代替物理論を併用すれば、本質的ではないと考えていた。しかし、次第に舟橋の指摘した日本企業が雇用者のイニシアティブや意志を考慮しないという点は、実はかなり本質的な違いであると思えてきた。誰が最初に言い出したのかは定かでないが正規雇用は「保障と拘束の交換」といわれる。日本的雇用制度の機能は、単に「企業特殊な人的資本の流出を防ぎ、採用・訓練コストを抑えること」だけでなく、無限定な職務内容や不規則な残業要求への従属を課すことによる拘束と高い雇用保障をすることの交換という機能をも持つという論である。もしそうであるならばそれは欧米の内部労働市場の機能と同じではない。また、その様な機能を持つならば、その合理性はどこにあるのかが問題になる。

と述べています。

このあと、村上・公文・佐藤の『文明としてのイエ社会』を論じて、

・・・村上・佐藤・公文の「系譜性」対「利潤最大化」の対比、そして筆者のいう「報酬の連帯性」対「報酬の個別性」の対比は、ともに機能の違いを意味し、これらの違いはわが国企業の雇用制度・慣行が単に欧米の内部労働市場の機能的代替物とみなすことは出来ないことを意味していると考えられる。そして「報酬の連帯性」は報酬が個人の業績・成果にたいして与えられるべきという規範が存在しないわが国の文化的初期条件の下で可能であった。また村上・佐藤・公文のいう「縁約」が日本企業の特性となったことは、「契約」の内容である「労働と賃金の交換」に加え、「会社という疑似家族のメンバーになること」と「会社への忠誠心」の交換という側面を正規雇用に付与したと思われる。またこのためわが国企業が正規雇用に新卒者を重視し、転職者・離職者を「忠誠心に欠ける者」として軽視する慣行が生まれたと考えられる。

と論じた後、拙著を引いて、こう論じています。

第2点目は労働法学者の浜口桂一郎氏の(2011)が『日本の雇用と労働法』で展開した「メンバーシップ型(典型的日本企業)」と「ジョブ型(典型的欧米企業)」の対比は構造面(縁約 対 契約、無限定の職務 対 役割分業の明確な職務)での村上・佐藤・公文の日本企業と欧米企業の対比とほとんど変わらないという点である。ただ浜口はわが国の労働関係法が成立時の概念において西洋の法に基づきながら、その適用において日本的雇用(メンバーシップ型)の雇用慣行実態に合うよう解釈されてきたという実例の記述を多数提示しており、そこは浜口独自の貢献で、わが国の労働関係法の適用の曖昧さを理解する点でも参考になる。

こう指摘されると、全くその通りだと思わずにはいられません。

ちょっと飛ばして、政策提言のところでは、

具体的原則1.最大就業時間は雇用者の基本的人権であり、また雇用者個人の就業時間についての選好も尊重されるべきである。

具体的原則2. 女性差別の意思の有無にかかわらず、特定の制度が原因で男女間の賃金や昇格・昇給機会の格差を生むなら、その制度は女性に対する間接差別であり、男女の機会の平等を阻むものとして法的に禁止されるべきである。

具体的原則3. 多様な人々の様々な「個人的制約」による社会的機会の不平等を政府は取り除く責任があり、またこれに関する企業努力も企業の社会的責任(CSR)である。

といった原則を提示していますが、ここでは最初の労働時間について、山口さんの説明を見ておきましょう。

・・・背景として最大就業時間の決定について、わが国で未だそれが雇用者の人権問題とされていないことが、過労死が発生したり、いわゆるブラック企業(浜口桂一郎氏の定義では「保障と拘束の交換」が日本的雇用慣行の特質で有るとした場合、「保障がないのに拘束する企業」あるいは「保障するふりをして拘束する企業」をいう)が横行することの一因となっているという著者の認識がある。また雇用者に長時間労働を企業が課することが出来るわが国の状況が、時間当たりでなく、一日当たりの労働生産性を重視する企業戦略に結びつき、それがワーク・ライフ・バランスの欠如、過労死、非自発的の超過勤務者の割合の多さ、などに結びついているとの認識も背景にある。

・・・ではわが国の場合はどうか、わが国の場合、労働基準法の第36条規定に従えば、超過勤務が可能となり、その場合同法は最大超過勤務時間について週15時間、月45時間などと限度時間を定めている。しかし、実際にこの限度時間は全く守られていない。

・・・しかし、このような第36条規定の基での労使の特別条項の合意が個々の雇用者について全く自発的なものであるのかは極めて疑わしい。・・・わが国雇用者の大部分はそのような「退出オプション」はなく、その結果過剰就業が蔓延し、過労死なども起こる状況があると考えられる。従って労働基準法における第36条規定における特別条項規定を廃止して限度時間を越える残業を原則として違法とし、週最大就業時間55時間と定めることが望ましい。・・・いずれにせよ現行の労働基準法36条の特別条項による限定時間の免除は労働者の人権を守るという労働基準法の精神をいわば「骨抜き」にしている。

極めて重要な指摘であると思います。

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コメント

山口一男氏の分析力はさすがで、色々な体系論を参照にまとめ上げる力は驚くばかりで実に読みごたえがある論文でした。
社会学者は経済音痴が勢揃いしている感じですが、山口氏は自由経済へ最大の敬意を払い、経済の自由を崩さぬように人権を大切に扱う姿勢には感服致しました。
最後の提言も左寄りの無理のある提言などはなく、実に現実的でありながら効果的なものだと感じました。

しかし疑問もあり、それゆえに女性の労働市場への参加が最大の経済政策なり得るのかどうか不明です。
確かに全女性がの付加価値生産が最大になるようシフトすれば生産量は上がり、富が増えるだろう事は疑いありません。
しかし日本の課題として少子化があります。
単純に考えれば女性が2人以上子供を産まなければ労働人口は減少するしかありません。
不妊治療に訪れる女性の殆どの原因は高齢であり、もしあと10年若ければ妊娠出産にコストは掛からなかったという産婦人科医の話もあります。
女性の出産適齢期は確実に存在して、それは高学歴化した女性が就職して数年という一番仕事をしなければいけない時に終了します。
もし医療が発達して高齢妊娠出産に問題がなくなったとしても確実にコストは存在して、その他育児コストの合計は全て女性の付加価値生産を下回らなければ女性の社会進出は失敗であるはずです。

今の社会環境で女性をフルタイム労働市場で働くよう誘導する事は、ある意味労働力の先食いであって20年、50年後に新たな労働者が減っていれば、女性の社会進出は少子化対策と真っ向から対立する可能性もあります。
そういう長期の繁栄への議論が抜けている気がしました。

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