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2013年1月24日 (木)

市野川容孝・宇城輝人編『社会的なもののために』ナカニシヤ出版

4779507243市野川容孝・宇城輝人編『社会的なもののために』ナカニシヤ出版を、編者の宇城さん、共著者の宇野重規さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。大部でしかも中身の詰まった本です。

http://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=918

平等と連帯を志向する
理念としての〈社会的なもの〉。
暗闇の時代に、その潜勢力を
来るべき政治にむけて
徹底的に討議する。

本書が一貫して問題にするものの一つは、政治的な理念としての社会的なものである。しかし、本書は政治的なマニフェストではない。社会的なものが何であったか、何でありうるかを正負両面で批判的に問いなおすことが、本書の目的である。その意味で私たちは、社会的なものを学問的に問いなおしたつもりである。本書は政治的マニフェストのはるか手前、あるいはその後ろに位置するものでしかない。各章は、基調報告とそれをふまえた討論からなる。各章の討論を通じて、私たちは見解の一致を見るよりは、その相違や対立に数多く直面することになった。このようなせめぎ合いは、社会的なものがこれからしばらく経験しなければならない闇夜の深さを告知している。しかし、このようなせめぎ合いなしには、その再生も決してありえないだろう。少なくとも私はそう考えている。

登場するのは

市野川容孝(いちのかわ・やすたか)
宇城輝人(うしろ・てるひと)
宇野重規(うの・しげき)
小田川大典(おだがわ・だいすけ)
川越 修(かわごえ・おさむ)
北垣 徹(きたがき・とおる)
斎藤 光(さいとう・ひかる)
酒井隆史(さかい・たかし)
中野耕太郎(なかの・こうたろう)
前川真行(まえがわ・まさゆき)
道場親信(みちば・ちかのぶ)
山森 亮(やまもり・とおる)

という錚々たるメンツです。

このタイトルにいう「社会的」の意味については、かつて本ブログでも市野川さんの本に寄せて書いたことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_5a72.html(ザ・ソーシャル)

本書のうち、私にとって特に興味深かったのは、宇城輝人さんの基調報告をもとに討議されている第2章の「労働はまだ社会的なものの基礎たり得るか」というところです。

第二章 労働はまだ社会的なものの基盤たりうるか

基調報告(宇城輝人)

討議
一、「賃労働社会」の再検討
物であり、人格である労働/賃労働の外延――「家事労働に賃金を」が含意するもの

二、労働社会のディストピア
「低‐雇用」の広がり/雇用以外の道はあるのか?/日本的雇用/「新しい労働社会」の行く末

三、労働の排他性と必要に応じた分配
分配の三つの原理と社会的なもの/雇用という規範の脆弱化/雇用と労働の排他性と自由

四、ディストピアをどう回避するか
他者への気遣いをどう組み立てなおすか/社会保険に連帯はあるのか/労働社会のディストピアと賃労働からの解放

ここから、拙著をネタに宇城さん、宇野さん、前川さんらが論じているあたりから少々:

宇城 日本で労働が社会的なもの-共同体ではなく-の基礎だったことがあるのか、といわれると手に余って答えにくいですね。確かに、社会的なものといいながら共同体だったという面はあるように思う。親方子方関係のようなスタイルでやってきた部分があるし、労働組合も特に第二次大戦後は企業別の労働組合になってしまった。いろいろな要因が働いているだろうけど、連帯の基盤が仕切られていて、十分に一般的にならなかったということができるかもしれない。濱口さんの本は、ウェットで人格的であるがゆえのデメリットを、もう少しドライで物的なやり方でバランスをとろうという提案だと受け取った。

宇野 いやむしろ、これだけ人格的にやってきたんだから急にそれを変えようとしても難しいというニュアンスじゃないですか。

宇城 仕切られた社会性を拡張する構想といえばいいのかな。

前川 ただね、ヨーロッパでも、例えばフランスだって、期限の定めのない雇用契約というのが圧倒的だった時代には、程度の差こそあれ、賃金は必ずしも単なる限定された業務に対する対価ではなかったわけですよ。ただ、早くに不況を経験してリストラがあったために、単なる労働契約以上のもの、つまりメンバーシップだと思われていたのがそれは所詮景気の良かったときの幻想に過ぎないということになり、そのメンバーシップを今度は企業ではなく、社会に対するメンバーシップとしてとらえ直さざるを得なくなった。だから、濱口さんも、企業のメンバーシップから社会のメンバーシップへという切り替えをしましょうということでしょう。

宇城 そう言ってもいいと思う。そこで、小田川さんが繰り返しこだわっている問いを私も繰り返すけど、そのときに社会へのパスポートは雇用でしかないのか。

前川 そもそも雇用によるメンバーシップだけで社会の凝集性を維持することがもはや限界なのかもしれないという問題意識ですから、そうではないはずですね。

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