企業別下部構造とは組合に限らない
昨日のエントリ
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-21ea.html(ポリティカル・ユニオニズムの企業別的下部構造)
に対して、金子さんがリプライされているのですが、
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-252.html(企業別下部構造は決定的な要因ではない)
若干話がずれているような・・・。
ポリティカル・ユニオニズムに濱口さんが反応してくださって、問題提起してくださったのですが、私の率直な感想で言うと、企業別下部構造などというものはアプリオリに存在していたわけではない、ということを主張したいと思います。そもそも、企業別組合は戦後に出来たものです。
厳密に言えば、(それこそゴードンの本に書かれているように)戦前から企業別組合の萌芽はあったわけですが、ここでいっているのはそういうことではありません。
私が引用した通達はいうまでもなく戦後の状況を描写解説したものなので、戦前の話とは直接関係ないし、企業別組合がアプリオリに存在するかしないかなどという話とも何の関係もありませんが、そういう話でもありません。
そもそも「企業別組合は戦後に出来た」のはなぜか、を戦前の状況にさかのぼって考えてみても、まさに大企業部門が横断的組合を徹底的に排除しつつ企業内に(縦断組合とも呼ばれる)工場委員会体制を構築したことが、その背景にあるわけです。
そして、そのように集団的労使関係システムの中核が非組合的形態で企業レベルにあるがために、それ以外のレベルの集団的労使関係システムが実質的な労使関係主体となりにくく、そのため政治的活動に傾斜するという構造自体は、戦前戦後を通じて変わっていないという言い方もできるのではないでしょうか。
ただ、戦前の総同盟の系譜に連なる人々は、そういう姿を本来のものではないと考えていたわけです。
以前に本ブログで引用したように、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-b666.html(労使関係の「近代化」の二重性)
1945年の敗戦後、日本中の企業で労働組合が雨後の筍のように結成されました。総同盟は「一般従業員が会社別従業員組合組織の希望を有することは遺憾ながら我等の当面する事実である。我等はこの迷蒙を打破しなければならない」と述べるなど企業別組合という在り方には批判的で、ブルーカラー労働者のみによる産業別単一組合の結成を進めようとしましたが、工職混合企業別組合への大勢に押し流されていきました。この時期の主流派は、一企業一組合の原則に基づき、「労働者全員を下級社員をもひっくるめて一つの工場委員会に組織」し、工場委員会の代表者会議を地域別・産業別に組織しようとした共産党の影響下の産別会議でした。
右派の総同盟の方が、欧米型のトレードユニオニズムに親和的で、左派の産別会議の方が(ある意味ではソビエト型ともいえますが)戦前日本の工場委員会型に親和的であったということを念頭に置いておく必要があります。
こういうタイプは、ある意味で自覚的に、上部団体は政治活動に傾斜するわけで、昨日の「企業別的下部構造」には、こういうソビエト型企業別組合像も流れ込んでいるわけです。この点、昨日紹介の通達を執筆した中西實氏が退官後書いた『労使関係論』にはかなりはっきりと書かれています。
金子さんがいうゼンセン同盟は強いぞ、というのは、そういう意味からいうと、日本では例外的にトレードユニオニズム的(ここはそれでも「的」が二つか三つくらい付く程度の間接的なものでしょうが)な面があるからだろうと思います。
で、重要なのは、そういう過去の経緯はほとんどみんなが忘れ去ってしまった21世紀の今になっても、上述のような構造はなお大きな影響を及ぼし続けているということではないかと思います。
ちなみに、このエントリや上で引用したエントリでちらちらと書いていることは、今某雑誌のために書いている某文章のテーマだったりするので、それが公開されたときには、またご報告させていただきますね。
« ポリティカル・ユニオニズムの企業別的下部構造 | トップページ | 「ネット上で中傷」通報最多ペース@日経 »
コメント