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2013年1月 6日 (日)

ホワイトなノンエリートを作ろう@『中央公論』12月号対談より

2229_issue_img『中央公論』2012年12月号の海老原さんとわたくしの対談、「管理職を目指さない自由を 「四十歳定年制」より大事なこと」については、本ブログでも紹介してきましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-955b.html(あなたの雇用、明日はあるか@『中央公論』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-1ced.html(中央公論対談記事の一部が)

対談のうち私の発言部分だけをHPにアップしておきました。対談なので、やりとり形式でないと話がいささか見えない面もありますが、何を言おうとしているかは分かると思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chuko1212.html

ここではその末尾の部分から。

階段型とフラット型
 
濱口
 四十歳定年制という提言は、政府が進めている六十歳定年後六十五歳までの再雇用、子会社や関連会社への転籍という政策と正反対に位置するものに見えて、実は同じことをより低い年齢でやろうとしているだけではないでしょうか。提言した側は、これまでの日本の在り方を変えるつもりかも知れませんが、むしろ本質的には何も変わらないことを前提にした議論のような気がします。
 
 
濱口 日本は正社員であればエリートがデフォルト(初期設定)という特異な国です。欧米はノンエリートがデフォルト。そこを認識しておかないと、おかしなことになります。四十歳定年制に限らずそうですが、ここ数年の諸々の議論の基本的なイメージは、日本のサラリーマンはもっと欧米のエリートを見習って頑張れ、というものです。最近はそこにアジア諸国、特に中国のエリートが加わった。そんな階級社会の上澄みだけ取ってきて、同世代の半分以上を占める日本の大卒がすべてエリートであるかのように比較する。日本の正社員はノンエリートがエリートまがいの期待を背負わされて無茶苦茶に働かされているのです。でも、係員島耕作がみんな課長島耕作になって、社長島耕作になれるわけではない。
 
濱口 これは、日本は全て駄目なんだという話ではありません。正社員をみんなエリートと見なして尻を叩き続けることで、少なくとも高度経済成長期から八〇年代までは発展を続けてきたのです。ただ、もうそのままでは維持できない。
 
ホワイトなノンエリートを作ろう
 
濱口
 人間の職業人生を、ある時期までは一種の育成期と捉え、それ以降をフラットなノンエリートとして粛々と七十五歳ぐらいまで働けるよう生きていくというイメージで考えるのであれば、それはこれからの働き方を考える上で非常に意味があると思う。みんなが管理職にならなくてもいいのです。
 
濱口 私なら、最初からエリートがデフォルトではなくて、ノンエリートが途中でエリートになりうる社会の方がいい。つまり、特に何もなければノンエリートの道だけれど、本人が思い立ってがんばればエリートになる道も開かれているもっとも、本当に世界レベルのグローバルエリートは入り口から分けた方がいいかも知れませんが。係員島耕作は大体係長島耕作止まりだが、中には課長島耕作、部長島耕作と階段を駆け上っていく者もいるというイメージです。そこが今までと違う。要は人事管理の多様化であり、それが年とともに明確化されるのです。
 
濱口 日本の正社員はワーク・ライフ・バランスを捨てて会社に尽くすことでエリート並みの処遇を得てきましたが、最近は尽くしてもそれに見合った見返りのないブラック企業が増えてきています。
 
濱口 日本はこれまでみんなをエリートにすることでホワイト化してきました。これからはホワイトなノンエリートを作っていくことを考えた方がみんなが幸せになるのではないでしょうか。

Hyoshi17ついでに、こちらも昨年末に出た『POSSE』17号の今野晴貴さんとの対談「ブラック企業を正しく批判せよ! ――契約の限定とノンエリート論」から、これと関わる部分を:

課長になれない7割はどこに着地するか

濱口 若者の味方と称する人たちの議論に共通なものがあって、典型的には城繁幸さんのような議論になります。彼はたとえば『7割は課長にさえなれません』という本を出しています。まったくその通りだし、もっと言うと、なる必要もない。みんなが課長になれるのだという人参を目の前にぶら下げて、本来だったらあり得ないような働き方をさせるというやり方が、ある時期まではそれなりに通用していました。それがもはや持続可能ではないと指摘するのは、確かに正しい議論なんです。

正しいにも関わらず、彼に根本的に欠落しているのは、課長になれない7割の人たちはどこに着地するのかという点です。本来はそれこそがまさにジョブ型正社員であり、普通のレギュラーワーカーの働き方であり、要するに契約に書かれたことだけきちんとやれば、それ以上の要求をされないという働き方のはずです。それ以上会社が面倒を見るわけではないけれども、その限りでは一定の雇用と生活の安定はある。それ以上のことは国がちゃんと面倒をみますというのが抜けています。
そうすると、そこで7割は課長になれませんという言説はどういう機能をもつかというと、「お前はその3割になれないぞ。さあその3割に潜り込むためにもっと頑張れ」という脅しになってしまいます。そこで持ち出されるのは、欧米のサラリーマンはこんなにすごい働き方をしているという話です。
その手の議論でイメージされているのは欧米のエリート労働者層です。確かに彼らは猛烈な働き方を自発的にしているだろうし、極めて裁量的に働いているでしょう。でも、それに対応した極めて高い処遇を受けているわけだし、当然のことながら、みんなにそんなものを要求するなんてことはしていません。その限りで、それは釣り合いが取れています。エリートというのはまさにそういうものなんですね。
釣り合いが取れている一部のエリートのあり方を、あたかも全体の姿であるかのごとく、欧米のサラリーマンはこうなんだと持ち出すと、課長になれる3割にどうやって入るんだという脅しのロジックになります。結局、いままでの日本型システムはダメなんだという議論が、一見日本型システムを否定するように見えて、実は日本型システムの根幹の部分を維持することによって、かえってブラック企業現象を増幅している。そこのところをきちんと批判しないといけないと思いますね。

濱口 だから、ブラックではなく、かと言って真っ白なバージンパルプでもなく、ざら半紙のホワイトをつくろうよということです。

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コメント

これだけ見ると、海老原さんも今野さんも先生にやり込められられてるように見えますね。

お二人の部分も載せられるといいと思いますが。

ノンエリートがデフォルトな社会では、

 95%のノンエリートの中には、エネルギーの高い人達もたくさんいます。ノンエリートの会社勤めには飽き足らず、自分で起業しサクセスストーリーを手にする人達も出てきます。彼らのエネルギーこそが、社会的なイノベーションの源泉です。

 95%がノンエリートの社会では、ライフの比重が大きくなります。人々は生産活動以外での生活を充実させようとします。生活の重視は、生活の質を高め、消費を促します。ワークライフバランスは生産と消費をバランスさせます。

 5%のエリートは、早い時期から幹部候補生として鍛えられます。若くして、大企業を統率するリーダーが育ちます。

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