ジョブカードはすでに復活しているのだが、むしろ頭痛はそれを攻撃して喜ぶ人々の群れ・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121223/stt12122322550011-n1.htm(自民・安倍総裁「ジョブカード復活したい」)
自民党の安倍晋三総裁は23日のフジテレビ番組で、フリーターの正社員登用を促進する「ジョブカード制度」について「あれは非常に良かったので復活していきたい」と述べた。ジョブカードは求職者の職業訓練歴や評価などを記したもので、平成20年から本格運用されていたが、民主党政権が22年の事業仕分けで廃止方針を打ち出した。
いえ、有り難いお言葉ですが、ジョブカードはすでに復活しております。
ただ、むしろ頭が痛いのは、この記事に訳も分からず攻撃して喜ぶこういう人々の群れでしょう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/121223/stt12122322550011-n1.htm
民主党政権の目玉商品として宣伝された「事業仕分け」が、どういう思想に基づいてどういう政策を攻撃したのかを、『日本労働研究雑誌』9月号に載せた「雇用ミスマッチと法政策」ではこのように解説しております。ご参考までに。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/mismatch.html
・・・このような状況下で進められる国のミスマッチ解消策は、基本的にはジョブ型社会を前提とした世界共通の労働市場政策に立脚しながらも、それを日本社会の現実と折り合わせようとして、極めてアンビバレンツな性格を濃厚に示すこととなる。その典型が一見西欧モデルの半世紀ぶりの導入であるかのように見える日本版デュアルシステムであり、近年数奇な運命をたどってきたジョブカード制度である。
政府が2004年度から開始した日本版デュアルシステムとは、若年失業者やフリーターなどを対象に、教育訓練機関における座学(Off-JT)と企業における実習及びOJTを組み合わせた新たな人材養成システムとされている。そのもとになったドイツなどのデュアルシステムとは、高校、大学レベルにおいてパートタイムの学習と企業におけるパートタイムの就労を週数日ずつ組み合わせ、新規学卒者が特定の職業技能を身につけた状態でスムーズに就職できるようにする仕組みであるが、「日本版」はそのようなものではない。厚生労働省版のデュアルシステムは、訓練機関が若年訓練生の実習を企業に委託するタイプと、企業が有期パート労働者として雇った若年者のOff-JTを訓練機関に委託するタイプである。そして文部科学省版のデュアルシステムとは、専門高校において年20日程度企業実習を行うというもので、せいぜい職場体験に毛が生えた程度のものに過ぎない。
一方2008年度から開始されたジョブカード制度は、企業現場や教育機関で実践的な職業訓練を受け、修了証を得て、就職活動などに活用する制度であり、社会全体で通用するものを志向している。それは、理念としては企業を超えたジョブ型外部労働市場で客観的に通用するある種の技能認証システムとしての性格を持ちながらも、現実の日本社会においては「一定期間、企業においてちゃんと働き、仕事を覚えることができた」という「人間力」の証明としての意味を併せ持たされた制度であった。そして、ジョブ型の理念は理念として、現実のジョブカードがそれなりに有効に活用され、評価されたのも、その文脈においてであった。
ジョブ型理念は、2009年の新成長戦略において「日本版NVQ(全国職業能力評価制度)」が打ち出されるに至って頂点に達する。しかしこれを受けてその後実際に官邸のタスクフォースで行われたキャリア段位制度の設計は、現実の日本社会をトータルに相手にするのではなく、介護、環境といった周辺的で日本型システムに組み込まれてこなかった分野を中心に進められた。これもまた、ジョブ型理念と日本の現実とを接合する試みの一つといえよう。
しかしながら、このような疑似ジョブ型の仕組みであっても、メンバーシップ型思想にどっぷりつかった人々の目には、何ら意味のない無駄な試みと見えたようである。民主党政権の目玉商品として宣伝されたいわゆる「事業仕分け」の一環として、2010年10月にジョブカード制度が廃止と判定されてしまったことはなお記憶に新しい。これに対して各方面から批判が集まり、官邸の雇用戦略対話において見直しつつ制度を推進するとされ、現在に至っているが、つい最近2012年6月には内閣府の事業仕分けで今度はキャリア段位が廃止と判定された。
こうしたジョブ型労働政策への著しい低評価は、終戦直後からの職務分析にも及んだ。上記2010年10月の事業仕分けでは、労働政策研究・研修機構のキャリアマトリックスもあっさり廃止と判定されたのである。
事業仕分けに関わるような人々は大企業正社員型のメンバーシップの中で育てられてきた人が多いであろうから、自分や自分周辺の素朴な発想で仕分けをすればこういう結論になることは不思議ではない。とはいえ、これらジョブ型施策を止めれば、メンバーシップ型モデルが拡大してミスマッチが解消されるというような社会ビジョンに基づいて仕分けたわけでもなさそうである。
むしろ社会全体としては、グローバル競争の中で企業も今までのような生ぬるいやり方ではなく、少数精鋭でいかなければならないというような考え方が強調される一方で、そこからこぼれ落ちる人々のための外部労働市場型の仕組みにはなぜかメンバーシップ的感覚から批判が集中するという矛盾した現象の中に、現在日本の姿が凝縮的に現れているのかも知れない。
一方でジョブ型の雇用政策を進めながら、もう一方でそれを叩き潰しに走った民主党政権は、要するに自分が何をやろうとしているかすらきちんと理解していなかったのかも知れません。
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