日本型システムをベースに自己責任をぶちこむとブラックになる
これは、まさになるほど。
http://anond.hatelabo.jp/20121224144304
えーと、俺がUNIQLOを辞めようって思ったのはこれです。個人的にはこれが一番堪えられなかった。
会社の経営方針として「全員経営」ってのがあって、これは柳井の口癖でもあるんですけど、要するに全員が経営者の自覚をもって、もっと利益や売上にコミットしましょうってことなんだけど、それがどう転じてか、「責任は個人がとる。」ってことになって、それがさらにこじれて、「担当者(末端社員)が責任をとる。」ってのがUNIQLOのやり方。
いや、昔ながらの日本的経営でも、まさに係員島耕作があたかも社長島耕作になったような気持ちでやれ!というカルチャーであったわけで、まさに「全員が経営者の自覚をもって」「全員経営」が掲げられていたわけですね。
ただし、それは集団主義的カルチャーの中で、責任は個人が取るものじゃない、というか、少なくとも末端の平社員が取るようなものではないというバランス感覚のなかで、「若いモンが元気よく取り組んでいけるように」というパターナリズムと組み合わされて存在していたわけでしょう。
それが嫌な人にとっては嫌であるにせよ、それはそれなりにバランスの取れた持続可能な仕組みであったことも確かなのでしょう。
しかし、そういう「日本的な生ぬるさ」が諸悪の根源という「改革の志溢れる志士」にとっては、「全員が経営者の自覚をもって」「全員経営」という日本型システムをまったくそのままにして、その上にまったくそれと矛盾するはずの「担当者(末端社員)が責任をとる」ってのが載っかってくるわけですね。
ただ柳井はそういうのがもともと嫌だったんだろうね。あの人は経営に関しては完璧主義で潔癖症だから、そういう「大企業病みたいなものを排除しないと」っていうパラノイアみたいなもんにとりつかれていった。会議でも度々そういうことを口にするようになっていたし、社内にもピリピリした空気が漂うようになってきてた。
それは堪らないでしょうね。
このあたり、『POSSE』17号の今野さんとの対談でも、
・・・その手の議論でイメージされているのは欧米のエリート労働者層です。確かに彼らは猛烈な働き方を自発的にしているだろうし、極めて裁量的に働いているでしょう。でも、それに対応した極めて高い処遇を受けているわけだし、当然のことながら、みんなにそんなものを要求するなんてことはしていません。その限りで、それは釣り合いが取れています。エリートというのはまさにそういうものなんですね。
釣り合いが取れている一部のエリートのあり方を、あたかも全体の姿であるかのごとく、欧米のサラリーマンはこうなんだと持ち出すと、課長になれる3割にどうやって入るんだという脅しのロジックになります。結局、いままでの日本型システムはダメなんだという議論が、一見日本型システムを否定するように見えて、実は日本型システムの根幹の部分を維持することによって、かえってブラック企業現象を増幅している。そこのところをきちんと批判しないといけないと思いますね。
と述べているところです。
« ジョブカードはすでに復活しているのだが、むしろ頭痛はそれを攻撃して喜ぶ人々の群れ・・・ | トップページ | さあ、みんなで濱口桂一郎を粉砕しよう! »
« ジョブカードはすでに復活しているのだが、むしろ頭痛はそれを攻撃して喜ぶ人々の群れ・・・ | トップページ | さあ、みんなで濱口桂一郎を粉砕しよう! »
コメント