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2012年12月27日 (木)

金子良事さんのゴードン『日本労使関係史』書評について

0242930金子良事さんのアンドルー・ゴードン『日本労使関係史1853-2010』の書評が『大原社会問題研究所雑誌』12月号に載っていたのですが、それがネット上にアップされました。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/650/650-07.pdf

本書については、本ブログでも何回もしつこいくらいにエントリをあげてきていますので、ここでは金子さんの書評スタンスについて一言だけ。

日本労使関係史では,本書では「日本的雇用制度」と表現されている日本的労使関係(しばしば日本的経営の三種の神器である年功賃金,終身(長期)雇用,企業別組合)の成立時期について1920年代,戦時期,1950年代の三つの説がある。本書は1920年代説(間)と戦時起源説(孫田)を否定し,1950年代説を採っている。

という風に「説」に分けてしまうと、その間の微妙な感じがなくなってしまうような。というか、「この時期『のみ』に日本型が形成されたのであり、ほかの時期には一切関係がない」などという極端な議論は多分だれもしていないので、こう言ってしまうとかえってミスリーディングでは?

20年代の企業主導の側面と、戦時期の国家主導の面と、終戦直後の労働運動主導ないし激しい労使対決によって経営側が作り上げた面と、いずれが欠けても日本型システムはこういう形では完成しなかったわけで、その意味では「完成時期」は50年代だけれども、成立時期の対立という形で対立させてみせるのはいかがかなと感じます。

ゴードンさんの本は、戦前についても労働者側の主体性をかなり強調するところに特徴があって、それは事実発見としてはとても貴重なんだけど、それがネーションワイドに広がっていくのはやはり孫田さんらの戦時労働論の指摘が重要なわけでしょう。そこは、最後近くで言及していますが。

なお、本ブログでも述べているように、私の議論のネタの一つはゴードンさんのメンバーシップ論ですが、それについて金子さんは、

本書に通底するアイディアは労働者のmembership意識である。これは二村一夫が日本の労働者は会社の一員であることを要求してきたという主張を踏襲している。二村の議論が企業別組合に関する論文で論じられた経緯から企業の一員性にスポットライトが当たったのに対し,著者は労働者階級という枠組みを重視しているので,会社の一員であることのみならず,社会の一員であると認知されることを望んだという視点が相対的にはっきりしている。そして,その一員性を獲得できた時期を1950年代と捉え,それ以前には実現し得なかったとみる。そうした意識を持つことに,工職の接近,たとえば賃金が月給制度に変わったことなどの事実が重視されている。これらのことが1970年代から80年代にかけて世界から称賛されたいわゆる日本の協調的労使関係の基盤となっている。

と述べていて、ちょっと引っかかったのは、いや確かに「社会の一員であると認知されることを望んだ」のですが、それを実現するための唯一の道が「会社の一員であること」を認めさせることであったのですから、それを「のみならず」といってしまうのはややミスリーディングなような気がします。

あえて「会社の一員であることのみならず,社会の一員であると認知されることを望んだ」のであれば、企業内部でしか通用しない雇用保障、生活保障「のみならず」全体社会の保障システムこそが要求の中心でなければならなかったはずですが、しかしそのような道はとらなかったのです、戦後労働運動は。それをどういう方向に評価するしないかはともかく。

ゴードンさん自身が述べているように、

・・・この組織の一員(メンバーシップ)という概念はまた、日本が戦後10年の苦難に満ちた闘争や激動を超えてたどり着いた全般的安定に至る過程を理解するためにも重要である。・・・生産管理闘争という急進的な行動には別の面があり、労働者が企業の一員となること(メンバーシップ)に一貫して関心を抱いていた事実と関連している。

・・・経営側は組合が企業の一員たること(メンバーシップ)を要求したのに対し、反動的で時代を逆行させる闘争をなしえたかもしれない。しかし・・・その代わり彼らは、労働者が彼らの統制下で企業の一員となること(メンバーシップ)を進んで受け入れるよう、その願望を誘導し、あるいは強く後押ししたのである。

労働者の多くは、かつてはホワイトカラーとその家族しか享受し得なかった中流階級の一員になる(メンバーシップ)という、より大きな目標に近づくことになった。・・・

20世紀システムにおける福祉国家とは、まさに無産階級であった労働者を「国家のメンバーシップ」に基づいて中流階級化するものであったわけですが、その同じ目標を「企業のメンバーシップ」に立脚する形で実現しようとした点に日本の特徴があるというのが、まさにゴードンさんのこの大冊が全編をあげて説明しようとしている最重要ポイントなのではないでしょうか。

なおこれに関連して、『POSSE』17号の今野さんとの対談では、

濱口:そうです。さらに言うと、工場委員会であり、もっというとレーテであり、ソビエトなんですよ。第一次大戦後のドイツのレーテ運動とか、ロシア革命時のソビエト運動もたぶん似たようなものがあったのかもしれないなと思います。

だから、日本の雇用システムの出発点はそこです。なぜそうなったかというと、昔ながらの日本にはヨーロッパのようなギルド制はなかったから、職場を越えたつながりというものが、なかなかなくて、職場で日々顔を合わせている仲間とのつながり、そしてその職場の仲間の誰かが首を切られるというのは、絶対許さないという生々しい感覚があったんですよ。

・・・結局、ブラック企業はこれぐらい根深いという話でもあります。終戦直後の生産管理闘争をやった当時の労働者の感覚が根っこにあるがゆえに、いまのブラック企業があるわけです。

と述べております。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-a7e9.html(ゴードン名著の翻訳)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/1853-2010-da23.html(ゴードン『日本労使関係史1853-2010』)

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