労使関係の「近代化」の二重性
これはあくまでも金子劇場ですので、金子節を堪能していただければいいのですが、
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-248.html(メンバーシップ論と企業別組合)
労働組合運動の路線対立という話と、ジョブ型かメンバーシップ型かという話とは、なかなか複雑に絡み合っていて、そうそう一筋縄ではいかないのですよ。
まず、終戦直後の段階は、拙著で述べたように、
(4) 終戦直後の労働運動
1945年の敗戦後、日本中の企業で労働組合が雨後の筍のように結成されました。総同盟は「一般従業員が会社別従業員組合組織の希望を有することは遺憾ながら我等の当面する事実である。我等はこの迷蒙を打破しなければならない」と述べるなど企業別組合という在り方には批判的で、ブルーカラー労働者のみによる産業別単一組合の結成を進めようとしましたが、工職混合企業別組合への大勢に押し流されていきました。この時期の主流派は、一企業一組合の原則に基づき、「労働者全員を下級社員をもひっくるめて一つの工場委員会に組織」し、工場委員会の代表者会議を地域別・産業別に組織しようとした共産党の影響下の産別会議でした。
興味深いのは、終戦直後の時期に組合活動の主導権を握ったのは、ブルーカラー労働者よりもホワイトカラー職員が多かったことです。戦前学生運動を経験し、左翼思想になじんでいた下級職員がリーダーシップをとる傾向がありました。当時は、少数の経営幹部を除き、課長クラスの職員までみな組合員になっていたので、組合側に経営実務のノウハウがありました。このため、労働組合の争議手段として、労働組合が経営者に代わって自主的に生産活動を行う生産管理闘争が広く行われたのです。
総じて、戦後の労働組合は戦前の労働組合運動よりも、工場委員会から産業報国会へと連なる企業内従業員組織の系譜を引いているといえます。戦前は経営者の指導下に、戦時中は国家の指導下にあった従業員組織が、敗戦とともにその軛から解き放たれて、一気に急進化したと考えればいいでしょう。これを「事業一家の覇者交代」と評する人もいます。
と、共産主義に傾いたメンバーシップ型急進主義が主流でした。
この「インテリ中心の左派に、役付工クラス中心の右派の現実路線が勝っていった」のが、まずは産別民主化同盟の流れでしょうが、その後も民同左派が政治的活動に進んでいって、その左派をまた右派が倒すということが繰り返されるわけですね。
で、ここで重要なのは、それと企業別組合重視との関係ですが、これはマクロ的思想理念のレベルと現実のミクロ政治のレベルのずれがとても大きな意味を持ちます。
そのキーワードは、特に50年代半ば以降、日本生産性本部が中心となって進めていった「労使関係の近代化」とはいったい何であったか?という点に集約されます。
「近代化」論者にとって、進むべき道、あるべき方向は、欧米型のビジネス・ユニオニズムでした。企業メンバーシップではなくジョブに基づく産業別労働組合が、賃金・労働条件について(当時の日本で行われていたような争議と区別しがたいような大衆団交ではなく)集合的バーゲニングを行うのが理想像であったわけです。
実際、50年代後半から60年代にかけて、生産性本部による視察団が繰り返し欧米に行って、「労使関係の近代化」といったようなタイトルの報告書を出していますね。
ところが・・・、ところがそれは国際部的な世界で、一方で国内でなお強く残る左派主導の組合運動を「近代化」するという泥臭い世界もあったわけです。こちらも、梅崎さんたちがやった生産性本部労働部のオーラルヒストリーに生々しく描かれています。
この「労使関係近代化事業」は、政治闘争に明け暮れる上部団体の傘下の企業別組合に対しても、「労使関係近代化」を説いていきます。それは、小池伴緒氏のインタビュー記録から若干引用しますと、
「労使協議制という話よりも、やはり同じ船に乗っているのだという運命共同体論ですね。」
「そうですね。乗っている船に穴を開けてどうするのかというわけです。沈んだらみんな一緒に沈むのだよと。わかりやすい話ですが、そういった意味では日本的経営の一翼を担ったかもしれないですね。沈んだ船でどこに行くんだと。船を立派にしなければ我々の生活もないよと。だから生産性を上げれば賃金も増えるのだと。上げない限りは増えないよというわけです。」
こういった方向性は、この運動のさなかの人々にとっては間違いなく「労使関係近代化」でした。マルクス主義的なスローガンを掲げ、欧米型のビジネス・ユニオニズムを排撃する左派労働運動と対決し、欧米主要組合の加盟する国際自由労連(ICFTU)の立場にたって、国際労働機構(ILO)の推奨する労使協議制を推進することが、当時の意識において「労使関係近代化」であったことは間違いありません。しかしそれは、経済政策サイドが労働市場や賃金制度のあり方の延長線上に想定していた「労使関係近代化」とは、かなり毛色の異なるものでもありました。むしろ、当事者の言葉の通り、「日本的経営の一翼を担」うものとして機能することになったのです。その帰結たる企業レベルの「運命共同体論」は、ICFTUやILOにとっては自分たちの主張の延長線上にあるものとはとうてい思えなかったでしょう。
大変皮肉なことですが、企業別組合が労働組合の本来機能をほとんど果たしてしまうが故に「上部組織において、個々の労働者の現実から遊離した政治活動が大きな比重を占め」ることになり、そうしたマルクス主義的な左派労働運動と対決しようとすると、企業別組合をよりいっそう強化するという戦略をとらざるを得ないという状況であったわけです。政治活動に走る上部団体の力を弱め、企業別組合を強化するという、それ自体はむしろジョブ型モデルの労使関係近代化とは相反する方向性が、この時期の日本の労働社会の基層構造において「労使関係近代化」という信念の下に進められていたというこのパラドックスを認識することなくして、「労使関係の『近代化』とは何だったのか」を理解することはできないと思われます。
大変皮肉なことですが、「労使関係近代化」の帰結が「職業能力と職種に基づく近代的労働市場の確立」をめざす「近代主義の時代」を終わらせたというのが、この皮肉に満ちた一部始終を総括する結論になりそうです。
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