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2012年12月14日 (金)

従業員目線+経営者目線=社畜

脱社畜ブログのこれを読んで、なんだか凄いデジャビュを感じたのですが、

http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/14/215109(従業員目線と経営者目線の両方を求められる日本の職場)

一方では「言われたことを言われたとおりにやれ、命令に従え」と従順であることが求められ、もう一方では経営者と同じ目線を持ち、会社の業績を気にする立場としての行動を求められる。この奇妙な捻れが、日本の「社畜的な」仕事観を形成する理由になっているんではないか、と僕は考えている。現在の日本の職場では、会社にとっては都合がいいが、従業員にとっては都合が悪い考え方を従業員に強制する際には「経営者目線」で考えることが求められ、それ以外の場面では徹底した「従業員目線」で考えることが求められているように感じる。言わば、従業員目線と経営者目線の、ダブルスタンダードが会社にとって都合のいいように採用されている。

デジャビュのはずで、本ブログに自分で書いたエントリでした。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b130.html(社畜とフツーの労働者の間)

そう、藤本さんの致命的な勘違いというのは、欧米の労働者はみんな個性的に自分らしく働いているけれども、日本はみじめな社畜であると思いこんでいるらしいところなのです。

逆です。

単なる歯車であることを社畜というのであれば、日本の正社員ほど社畜から遠い存在はないでしょう。

なぜなら、単なる歯車であることを許されないから。一労働者であるのに、管理者のように、経営者のように考え、行動することを求められるから。

そして、それこそが、単なる歯車であることを許されないからこそ、別の意味での「社畜」性が必然となるのです。

完全に同じこと言うとるな。

で、これが来年の大テーマ(@常見陽平)であるエリ-ト・ノンエリート論につながるわけです。

藤本さんの致命的な勘違い。それは、これだけさんざんに歯車になれといいながら、24時間戦う人間を賛美したり、ワークライフバランスを貶したりすることです。

世界中どこでも、単なる歯車は24時間戦ったりしません。それは経営者やエリート労働者の仕事です。歯車は歯車らしく、歯車としての責任を、それだけを果たす。

世界中どこでも、経営者やエリート労働者は猛烈なワーカホリックです。ワークライフバランスなんてのは、歯車の歯車のための概念です。

そういう非歯車性を歯車たる労働者に要求するという点に、日本語の「社畜」という言葉の複雑怪奇なニュアンスが込められているのでしょう。

・・・歯車であれというメッセージと歯車にとどまるなというダブルバインドを見事にこなしてこそ、日本的正社員なのでしょう。

その帰結が、藤本さん自身に示されているような、歯車であれといいつつ、24時間働けと口走ってしまう人なのではないかと思います。

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