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« 野川忍『労働法原理の再構成』成文堂 | トップページ | 資本主義を超える・・・日本型雇用 »

2012年12月30日 (日)

メンバーシップ型だのジョブ型だの、くだらん言葉を作って人を騙しやがって

http://twitter.com/yoniumuhibi/status/285223605204316160

子供の教育費だって住宅費だって、別に労働者が受け取っていいんだよ。それは給与の上積みという意味だ。労働者が働いて生み出した利潤の一部が返ってくるだけ。何がおかしいんだ。メンバーシップ型だのジョブ型だの、くだらん言葉を作って人を騙しやがって。

古典的マルクス主義の教義と生活給的年功制度が結合した論理という意味で、まことに懐かしい論理でもあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/equalpay.html(『季刊労働法』第230号「労働法の立法学」シリーズ第23回 「同一(価値)労働同一賃金の法政策」 )

これに対して労働側は、口先では「同一労働同一賃金」を唱えながら、実際には生活給をできるだけ維持したいという姿勢で推移していたといえます。

 先述の電産型賃金体系は、終戦直後に家族手当などが膨れあがる形で混乱を極めていた賃金制度を、基本給自体を本人の年齢と扶養家族数によって決めるように明確化したもので、生活給思想の典型といえるものです。それと同一労働同一賃金原則の関係は、労働側にとってなかなか説明しがたいものでした。

 これをマルクス経済学的な概念枠組みを駆使して説明しようとしたものとして、宮川實の「同一労働力同一賃金」説があります*4

「同じ種類の労働力の価値(価格)は同じである。なぜというに、同じ種類の労働力を再生産するために社会的に必要な労働の分量は、同じだからである。だから同一の労働力にたいしては、同一の賃金が支払われなければならぬ。・・・資本家およびその理論的代弁者は、同一労働同一賃金の原則を異なった意味に解釈する。すなわち彼らは、この原則を労働者が行う労働が同じ性質同じ分量のものである場合には、同じ賃金が支払われなければならぬ、別の言葉でいえば、賃金は労働者が行う労働の質と量とに応じて支払われなければならぬ、という風に解釈する。労働者がより多くの価値をつくればつくるほど、賃金は高くなければならぬ、賃金の大きさを決めるものは、労働者がつくりだす価値の大きさである、というのである。・・・既に述べたように賃金は労働力の価値(価格)であって、労働力がつくりだす価値ではない。労働力は、それ自身の価値(賃金)よりも大きな価値をつくりだすが、この超過分(剰余価値)は、資本家のポケットに入り、賃金にはならない。・・・われわれは、賃金の差は労働力の価値(価格)の差であって、労働者が行う労働の差(労働者がつくりだす価値の差)ではないということを銘記しなければならぬ。・・・この二つのものを混同するところから、多くの誤った考えが生まれる。民同の人たちの、賃金は労働の質と量とに応じて支払われるべきであるという主張は、この混同にもとづく。・・・賃金の差は、労働力の質の差異にもとづくのであって、労働の質の差異にもとづくのではない。だから同一労働同一賃金の原則は、正確にいえば、同一労働力同一賃金の原則であり、別の言葉でいえば、労働力の価値に応じた賃金ということである。・・・資本主義社会では、労働者は、自分がどれだけの仕事をしたかということを標準としては報酬を支払われない。労働者に対する報酬は、彼が売る労働力という商品の価値が大きいか小さいかによって、大きくなったり小さくなったりする。そして労働力という商品の価値は、労働者の生活資料の価値によって定まる。・・・労働者の報酬は労働力の種類によって異なるが、これは、それらの労働の再生産費が異なるからである。」

このように、戦前の皇国勤労観に由来する生活給思想を、剰余価値理論に基づく「労働の再生産費=労働力の価値」に対応した賃金制度として正当化しようとするものでした。しかし、文中に「民同の人たち」の主張が顔を出していることからも分かるように、(とりわけ国鉄の機関車運転手のように)自分たちの労働の価値に自信を持つ職種の人々にとって、悪平等として不満をもたらすものでもありました。

ヨニウム氏の論理を、同じ仕事をしているのに、子どもの教育費もかからないだろう、住宅費もかからないだろう、だから低くていいんだ、といわれる労働者たちが、「いやあ、なるほど、まったくその通りだ。完全に納得しました!」と言ってくれるのであれば、それでもいいのですよ。所詮賃金制度なんて、社会の中の約束事に過ぎない。自然科学的な意味での客観性などあるはずはない。

問題は、高度成長期には、圧倒的に多くが主婦パートや学生アルバイトであったがゆえに。「いやあ、なるほど、まったくその通りだ。完全に納得しました!」と言ってくれていた非正規労働者たちが、必ずしもそういってくれなくなってきたことにあるわけで、それを「お前らの先輩は納得してたんだから文句いうな」とは通せないということですね。

社会の約束事は自然科学的な根拠はなくても、みんな(現実には多く)の納得という根拠の上に成り立っているのです。

「何でこんな事も分からないんだ、『資本論』を嫁!」といってもたぶん通用しないでしょうし。

このあたりの議論、実は50年代後半から60年代半ばにかけての頃には、社会政策界隈では極めて熱心に議論されていたトピックでもあります。図書館の奥の方の埃をかぶった古文書をひもとくといろいろと出てきます。

それがなぜある時期以降、ぴたりと議論されなくなったのか、というのが、知識社会学的に見て一番興味深い点であるわけです.。

ひと言で言えば、経営側がマルクス流の労働力再生産費説とは異なる「同一労働力同一賃金説」に転向したからなんですね。ではその同一賃金とすべき同一労働「力」とは何か?

これがやがて「能力主義」という名の下に職務とは切り離された能力に基づく賃金制度として確立していく上で重要な政策文書が、1966年に設置された日経連労務管理委員会能力主義管理研究会が1969年にとりまとめた報告書『能力主義管理-その理論と実践』(日経連出版部)です。

ここでは「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」と明言し、年功・学歴に基づく画一的人事管理という年功制の欠点は改めるが、企業集団に対する忠誠心、帰属心を培養するという長所は生かさなければならないとし、全従業員を職務遂行能力によって序列化した資格制度を設けて、これにより昇進管理や賃金管理を行っていくべきだと述べています。・・・「能力」を体力、適性、知識、経験、性格、意欲からなるものとして、きわめて属人的に捉えている点において、明確にそれまでの職務中心主義を捨てたと見てよいでしょう。

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コメント

ヨニウム氏がおかしいとは思えません。
それに同じ労働内容として、非正規雇用で働く労働者には薄給で、正規社員には色々な手当で厚遇する事は不思議とは思わないですね。
自分のトコの給与なんだから各企業が勝手に決めて何が悪いんでしょう?
勿論、同一労働同一賃金の企業があってもいいですし、
非正規社員が1人もいない企業があってもいい。

「いやあ、なるほど完全にその通りだ」
と納得出来ないのなら、正規社員にクラスチェンジしてもらうか、辞めればいいじゃないですか。

どうして全ての企業が同じ価値感で同じシステムでいなければいけないように誘導するのか?ジョブ型がベターのシステムがあるかのように振る舞えるのか?
理解に苦しみます。
いや、理解出来ない事はないんです。
各々勝手な賃金体系で、勝手な組合で企業がカオスなら、体系的に労働を論ずる学者が必要ない事になりますからね。

> hilitespecial
貴方の「非正規雇用」に対する認識は甘きに過ぎるんだが、失礼ながら、そもそも貴方は企業で働いた経験が無いんじゃないの?

>同じ労働内容として、非正規雇用で働く労働者には薄給で、正規社員には色々な手当で厚遇する事は不思議とは思わない

これって、同じ業務内容なのにあからさまな待遇差別を行うってことだから、訴えられたらかなり厳しいよ。

>納得出来ないのなら、正規社員にクラスチェンジしてもらうか、辞めればいいじゃないですか。

その「クラスチェンジ」とやらが望めば簡単にできる企業なら、そもそも待遇差別は問題にならないけど、そんな企業って実在するの?

>ジョブ型がベターのシステムがあるかのように振る舞えるのか?

日本語でおk
「ジョブ型がベターなシステムであるかのように振る舞えるのか」って書きたかったの? であるなら、そもそも日本の労働法規はジョブ型労働者を想定して編まれたものだ、ってこのブログじゃ何度も書かれてるでしょうが。

みんな、みんな不景気が悪いんや。

正規と非正規で仕事内容が同じなんも
それでお給料が違うんも
それで納得せなあかんのも
それしか仕事が無いさかいやし

みんな、みんな不景気が悪いんや。

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