OECDの最低賃金論再掲
未だにこういう戯言をはき続ける御仁がおり、それに影響される政治家がいるという状況下では、もう5年半も前の本ブログのエントリをそのまま再掲しなければならないようですな。
そのこと自体が日本社会の知的状況を物語っているわけですが。
http://twitter.com/ikedanob/status/274724260117897216
最低賃金の廃止は、半世紀前にフリードマンの提唱した政策で、経済学者はほぼ全員賛成しているが、政治家はほぼ全員が反対。これは論理ではなく心理の問題。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/oecd2006_f064.html(OECD雇用見通し2006の最低賃金論)
新聞各紙は規制改革会議が最賃を批判したというところに関心を集中しているようなので、世界の優秀なネオリベ系エコノミストを集めたOECDの最新の『雇用見通し2006』でこの問題をどう取り上げているかを紹介しておくのも無駄ではないでしょう。優秀なエコノミストの皆さんはもちろん「初等ケーザイ学教科書嫁」で話を済ませたりはしません。
http://www.oecd.org/document/38/0,2340,en_2649_37457_36261286_1_1_1_37457,00.html
86ページ以下でで最低賃金を論じていますが、
単純な経済学の理屈は、法定最低賃金や高すぎる労働コストが低生産性労働者の雇用への障壁になると指し示す。しかしながら、最低賃金の結果としての雇用喪失の規模を図ることは困難であると証明され、各国で設定されている最低賃金によってどれだけの仕事が失われたかについては顕著な不確実性がある。実際、最低賃金の雇用に対する否定的な影響の経験的証拠は入り混じっている。・・・
最低賃金は低技能者にとって仕事が引き合うようにする(make work pay)ことによって高労働力率をもたらしうる。しかし、それは広い貧困対策においては、過度に高い水準に設定することを避ける必要から、支援的役割のみを果たしうる。もう一つの重要な限界は、最低賃金で働く労働者が貧しくない(他の家族メンバーが働いているから)ことである。
在職給付は最低賃金よりも低所得家族に焦点を当てることができる。さらに、穏当な最低賃金は、使用者が賃金水準を下げることによってこの給付を着服することを制限することによって、在職給付への有用な付加になりうる。
最低賃金について重要な問題は税制との関係である。高すぎる最低賃金は雇用へのタックス・ウェッジの否定的な影響を拡大するからだ。低生産性労働者を雇用しようとする使用者は、労働者の生産性と最低賃金額と使用者が払う社会保険料を比較する。・・・
(結論として)近年の経験が示唆するところでは、穏当な最低賃金は問題ではない。しかし若者や他の脆弱な集団の(最賃より低い)特例最賃への十分な手当が不可欠である。他の洞察は、良く設計された最低賃金が社会給付にとどまるよりも働く方がペイすることを保障することによって、高い就業率にむけた広範な戦略に貢献するという点である。しかしながら、否定的な政策の相互作用による危険性もまた確かであり、特に高すぎる最低賃金と高水準の労働課税の間にそれが見られる。
この他にも本書にはいくつか最低賃金に言及したところがありますが、近々樋口美雄先生の監訳で明石書店から出版される予定ですので、そちらのよりすぐれた翻訳でお読みいただいた方が宜しいかと思います。
同書は、明石書店から邦訳が刊行されています。ご関心の向きは是非。
http://www.akashi.co.jp/book/b65556.html
なんにせよ、こういう手合いを黙らせるには、ある種の人々からネオリベの牙城と非難されるOECDの政策文書を持ってくるのが一番です。
池田信夫のような人は、OECDに持っていったらひと言もしゃべれないし、仮にしゃべっても誰からも相手にされないようなガラパゴスなのですから。
そのあたりの事情は、たとえば最近OECDに出向していた一橋大学の神林龍さんあたりに聞けばすぐ分かるはずなのですが、不勉強なことだけは人一倍自信のあるマスコミの方々はそういう手間も掛けないので、ますます3法則型ガラパゴスが蔓延るわけですね。
(追記)
ちなみに、この点については、竹中平蔵氏はそれなりに世界の潮流をきちんと理解した上で、一貫しているようです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-01/2012120104_04_1.html(維新・石原代表 “原発ゼロ”公約知らず 最賃廃止知らない 記者失笑)
石原代表は30日、自由報道協会主催の記者会見で、同党の衆院選公約に明記された解雇規制の緩和や最低賃金制の廃止について「知らない、なんて書いてあるの?」と述べ、公約内容を把握していないことを明らかにしました。
石原氏は、記者からこれらの政策を実行すれば「貧困が底なしになる」と指摘されると、「それはまずいわね」と表明。石原氏はまた、「俺は竹中(平蔵慶応大学教授)って好きじゃないんだよ。あれが、こういうものを全部書いている」と内幕を明かしました。
http://twitter.com/HeizoTakenaka/status/274888686229917696
石原慎太朗殿 自由報道協会で石原さんが、「維新の最低賃金廃止は竹中の案」という趣旨の発言をされたと報道されています。事実と異なります。私はこれまで最低賃金廃止を主張したことも、考えこともありません。事実関係は橋下さんに聞いてください。事実に基づく発言をお願いします。
http://www.genron-npo.net/politics/genre/generaltheory/post-174.html(竹中平蔵氏 第4話:「社会主義を目指して改革を進めているのではない」)
ですから、安倍政権は労働組合にも経営にも、両方に厳しいことを言うべきです。法人税のことも、企業にだけ甘いと言われている。企業に対して厳しく言うべきところがあります。私は2点あると思う。1つは保険、もう1つは最低賃金です。最低賃金をもっと上げるべきです。そこを揺るぎない決意できちんとやれば、国民は総理を支持します。企業に甘くない、企業にも泣いてもらうところは泣いてもらう。
自分が一番ガラパゴスな3法則氏とはいささかレベルが違うようです。
まっとうな議論、まっとうな理論的対決は、少なくともこの程度の土俵の上で初めて可能なはずですが。
(再追記)
そしてまた、こういうお調子乗りが無知を晒す。
http://ameblo.jp/englandyy/entry-11417277812.html(ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ)
言うまでもなく最低賃金法は必要のない法律である。というのは少し経済学を学んだ人なら誰でも分かる常識だ。
ロンドンに住んでいるんなら、その言葉をまずは(古典派以来経済学の本家の)イギリスの経済学者に聞いてみたらどうですかね。
いやもちろん、こういうガラパゴス野郎に限って、日本でドヤ顔でふんぞり返っているときの台詞のこれっぽっちだって外国のまともな学者に向けることなんかできないわけですが。
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» 「連合」の最賃闘争後退が「維新の会」の暴論を招いている [シジフォス]
ハシズムの本領(?)発揮=暴露となった「維新の会」による「最低賃金撤廃」「解雇規制の緩和」公約だが、もっと批判されても当然なのにそれほどでもない。J-CASTニュース(11月30日)に至っては「『負の所得税の考え方で一定の所得保障』という補足がある。ネガティブな部分だけが独り歩きしている感は否めない。」として、何と城繁幸氏のコメントとして「最低賃金を撤廃して、生活のための最低限の保障を公的に行うのは北欧をはじめ、先進国のトレンド。出てきてしかるべき政策」とまで言わせている。さすがに全労連は...... [続きを読む]
経済学者の多数が最低賃金の撤廃に賛同しているとは、とても思えません。おそらく日本経済学会でアンケートをとっても多数は廃止に賛同しないでしょう。
投稿: spec | 2012年12月 2日 (日) 19時20分
「VOXを訳す!」というブログの7月25日付けで、ノーベル経済学賞も受賞したアカロフの「ケインズ経済学に対する新たなる基礎づけ;ジョージ・アカロフへのインタビュー」が翻訳・掲載されている。非常に興味深い。
特に、
「インタビュワー;わかりやすい言葉で表現させていただくと、アカロフ教授の結論は、政府による政策は重要である、ということになるでしょうか。
アカロフ;私はケインジアンの見方に賛同しています。ケインジアンの経済認識はいつでも正しいものであった、と個人的には考えています。大恐慌についても戦後についても彼らの経済認識は正しいものでしたし、今日においてもケインジアンの経済認識は相変わらずその妥当性を失ってはいません。結論めいたことを言いますと、資本主義システムは人々が望む財を提供する上で極めて強力な仕組みであって、多くのメリットを備えています。しかし、だからといって、システムへの介入が果たすべき役割は何もない、ということにはなりません。政府は雇用水準に影響を与える上で責任があります。というのも、政府はそうすること(雇用水準に影響を及ぼすこと)が可能なのですから。戦後世界の経済的な成功は、政府が雇用に対する責務を果たすことへの信頼(faith)の上に成り立っていた(訳注;政府が雇用に対する責務を果たすに違いないとの信頼があったからこそ戦後世界の経済的な成功が可能になった)、と私は考えます。そのような信頼があれば、経済が不調に陥った場合でも、投資に回すはずであった資金を手に人々がどこかに逃亡するなんて事態は生じないでしょう。政府が完全雇用を維持する責務を果たすだろうから経済はそのうち復調するに違いない、と予想されるからです。過去60年にわたって西洋経済が完全雇用に極めて近い状況を保ち続けてきた主要な理由はまさにこの点(訳注;政府が雇用に対する責務を果たすことへの信頼が存在していた点)にある、と私は考えます。政府は経済の安定化を図る能力と責務がある、との発想に頼ることができなければ、私たちはこの先一体何が起こるのか見当もつかない状態に置かれることになるでしょう。そうなれば大変深刻な損失がもたらされることになるかもしれません。
インタビュワー;設備投資の決定や企業の意思決定、労働者の意思決定における不確実性が高まることになれば、それに伴って生じる損失は有害なものとなり得ますね。
アカロフ;そうですね。「政府を廃止せよ!」と訴える人々は、政府が廃止されることでこの世は一層見通しが良くなる(確かなものとなる)と考えているようです。そのような見方は私が考えるところとは正反対の見方ですね。」
単純な最近の教科書的な議論からは導かれない、深い見識だと思う。フリードマンや、DSGE(動学的一般均衡モデル)の教科書の祖述ばかりでは、現実に対応できないのは、リーマンショックで明らかになったのではないだろうか?
投稿: 元リフレ派 | 2012年12月 4日 (火) 05時15分