「利権にNO!」が「権利にNO!」を産む
水谷さんの「シジフォス」ですが、これはやはりちゃんと批判しておいた方がいいと思います。
http://53317837.at.webry.info/201212/article_15.html(古い利権依存システムにもう1回「NO!」を突きつけよう)
そういう「利権にNO!」という発想こそが、この20年間にわたって「政治改革」という名の下に、結果的に「権利にNO!」という事態をもたらしてきたそもそもの元凶なのではないのでしょうか。そういう認識が、左派だとかリベラルだとかいわれる方面の方々にあまりにも欠落していることが、今日の救いようのない事態の最大の原因なのではないでしょうか。
誰にとっても、自分の権利は正当な犯すべからざる権利であり、他人の権利はなにやら不当な手段で手に入れた許し難い利権に見えるものでしょう。
人の権利を「利権」という名で糾弾する者が、自らの正しい(はずの)権利を「利権」として糾弾される側にまわるという悲喜劇を、この期に及んでなお繰り返して飽きない人々には、是非この湯浅誠さんの言葉を熟読玩味して欲しいと願わずにはいられません。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-1d0e.html(湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』より)
・・・尊重されるべきものが尊重されていないという不正義が自分の身に降りかかっていて、他にもそういう被害者がいるらしい。なぜそんな不正義がまかり通るのかといえば、自分のことしか考えず、自己利益のために正義を踏みにじる「既得権益」が世の中にあるからだ。だから、「切り込み隊長。頼むよ」ということで、バッサバッサとやってもらうことが正義にかなうと感じられるのですが、複雑な利害関係がある中でバッサバッサとやることで、気づいてみたら自分が切られていた、ということもあり得るでしょう。
なぜなら、自分にとっては「必死の生活とニーズ」であるものも、他の人からは「所詮は既得権益」と評価されることがあり、それが「利害関係が複雑」ということだからです。
自分はヒーローの後ろから、ヒーローに声援を送っているつもりだった。ヒーローはバッサバッサと小気味良く敵をなぎ倒し、突き進んでいく。「いいぞ。やれやれ」とはやし立てていたら、あるときヒーローがくるりと振り向いて自分をばっさり切りつけた。
一瞬何が起こったか理解できなかったが、遠のく意識で改めて周囲を見回してみたら、ヒーローをはやし立てている人は自分以外にもたくさんいて、そのうちの何人かは自分を指さして「やっつけろ」と言っていた。そのことに気づいたときには、自分はもう切られた後だった--という事態です。
大事なのは、人の権利を利権として糾弾することではなく、ぶつかり合う権利と権利といかにして調整するかという、とてもしんどい、そしてかっこよくない、しかし実は一番必要な、作業を黙々とやることであるはずなんですが。
今や政治家もマスコミも、全然しんどくない、やたらかっこいい、そして実は一番不必要な、利権叩きの作業にばかり、今日も勤しんでいるわけです。
(追記)
ある種の人々の典型的な反応:
http://twitter.com/tari_GT/status/280054109892128768
権利と、利益および権限を混同するという、極めて初歩的な誤謬。
オレ様の立派な「権利」と、そんじょそこらの低レベルな「利益及び権限」をごっちゃにするな!!!
といっているご立派な「権利」が、まさにばさばさと斬られて、周りからやんややんやと囃し立てられたのが大阪劇場その他の近年の劇場政治であったという最低限の認識すらないオレ様たち・・・。
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» こんな組合役員の利権も「権利」なのだろうか [シジフォス]
濱口桂一郎さんのブログに実に面白い批判を書かれてしまった。一昨日の自分のブログ「古い利権依存システムにもう1回『NO!』を突きつけよう」に対してだが、どうも自分の真意が伝わらなかったのか、それとも官僚の一員として「利権」なるものを徹底的に擁護されるつもりなのか(失礼!)、この選挙結果では、挑発に乗る気分ではないが、折角だからなぜ民主党・連合がここに至ったのかを含めて考えてみたい。濱口さんはこの間の「権利と義務」論争の延長線上に考えられているのかもしれないが、企業別労働組合の「利権」が、どこ...... [続きを読む]
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別の方のツイから引っかかってしまったのでコメントせざるをえない
>オレ様の立派な「権利」と、そんじょそこらの低レベルな「利益及び権限」をごっちゃにするな!!!
↑こういうのが無いとは言えないしある場面では権利と利権に境界線がないこともありが、
それを理由に利権批判を全否定するのは悪しき相対主義ではないですか?
絶対に全否定されるべき「利権」もあるんじゃないですか?
例えば、特定の身分しかつけない仕事とか、能力によらずに起業・就職そのものを禁止される場合(天皇除く)。
特定郵便局長は世襲公務員という貴族だったんですが、小泉改革で郵政を民営化する理由の一つがこれだった。
私は自由・法の下の平等という普遍的価値を完全に信奉する者なので世襲公務員制度は議論の余地なく妥協の余地なく全否定すべきと断定します。よって小泉支持を永久に撤回しないし仮に格差が広がったとしても必要な犠牲と思います。
逆に世襲公務員という身分差別を一片でも容認する人は今後一切人権や差別反対と語る資格はありません。
>人の権利を利権として糾弾することではなく、ぶつかり合う権利と権利といかにして調整するかという
つまり、なんでも相対化すべきではなく、一片の尊重・容認・調整すらすべきではない、絶対的な悪の権利も存在するんじゃないですか?
「セクハラする権利」とか主張する人と、話し合うことすらおかしい。
「貴族制度」とか「アパルトヘイト」での「特権」を主張する人がいるなら、その特権に賛成の人か反対の人か、どちらかが絶滅する以外には解決方法はありません。
投稿: 揚田信夫 | 2020年11月30日 (月) 13時10分