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2012年12月

hamachanブログ4ヶ月ランキング

http://twitter.com/magazine_posse/status/285483880516055040

濱口さんは2012年のブログ記事人気ランキングとかやらないのかな。

アクセス解析で年間ランキングはすぐに出ないので、とりあえず直近4ヶ月のランキングで:

1 誰の賃金が下がったのか?または国際競争ガーの誤解 18,471

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0c56.html

2 マジで「希望は、戦争」という時代 16,469

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6d1a.html

3  高齢者雇用の問題とは、日本の「普通のエリート」という仕組みが根底にある 4,608

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-45f9.html

4  「利権にNO!」が「権利にNO!」を産む 4,528

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/nono-a0f2.html

5 「大学」だけは「職業」と無関係な件について 4,215

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-5682.html

6 日本型システムをベースに自己責任をぶちこむとブラックになる 3,748

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-c5ab.html

7  OECDの最低賃金論再掲 3,702

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/oecd-0187.html

8 ジョブレス解雇と貴様ぁ解雇 3,696

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-ac43.html

9 「権利行使には義務が伴う」ってのは社会党の主張だったんだが・・・ 3,462

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-f6f9.html

10 「権利過剰論者」にとって問題であること、問題でないこと 3,446

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0b64.html

次点ですが、これは外せないと言うことでしょうか・・・。

11 池田信夫氏の3法則 3,186

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html

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わかりにくい記述が散見されるが・・・

131039145988913400963「音楽と本、そしてぬこをこよなく愛する社会学者」という方のブログに、拙著が紹介されております。

http://blog.goo.ne.jp/faketk/e/836d9ea8e35396b387972f05343d257e

わかりにくい記述が散見されるが、現代の労働問題について俯瞰するには良い本だと思う。就職を控えた学生にはぜひ読んでもらいたい。

はぁ、わかりにくい記述が多くて申し訳ありません。ただ、テーマ自体がそうわかりやすいわけではない、というか、へたに分かりやすく語ってしまうと却って誤解を招くトピックであるだけに、分かりやすく丁寧にと言うつもりが却ってわかりにくくなった面もあるかも知れません。

なんにせよ、「現代の労働問題について俯瞰するには良い本だと思う。就職を控えた学生にはぜひ読んでもらいたい」というお言葉は、大変有り難いものです。


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限界見えた男社会@毎日新聞

毎日新聞の記事にちらと出ているようです。

http://mainichi.jp/select/news/20121231ddm001040035000c.html(イマジン:第1部 はたらく/2 限界見えた男社会(その1))

学歴、社歴、年功序列、終身雇用……。戦後、日本の男たちが連綿と築き上げてきた「常識」に背を向け、日本を離れる若者たちがいる一方、常識にあらがい苦しんでいるグループがいる。女性たちだ。

 日本には「おきて」があった。高校や短大を出て職場で過ごした女性は結婚とともに、皆に祝福され退職する。労働契約書に一言も書かれていないのに、多くの女性が何一つ文句を言わず、おきてに従った。

・・・・・

「いわゆる日本方式。税制から手当まですべて専業主婦を抱える男性正社員をモデルにしている。また再就職する女性は生活が支えられているのが前提で、夫を補助する程度の収入しか得られないようになっている」と欧州連合の労働法が専門の濱口桂一郎さんは言う。

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再度警告:ツイッター上でhamachanの偽者が横行しております。

関係者各位に、再度警告しておきます。

愛子様や山中教授を騙るツイートまで出現している末世ですから、hamachanを騙るインチキ野郎が横行してもおかしくないのかも知れませんが、この年の瀬、私を名乗る偽者が誹謗中傷めいたツイートをしているようですので、ご注意下さい。

http://twitter.com/eulabourlaw/status/284772336509521920

濱口桂一郎@eulabourlaw

RT 経済・雇用系の論者で、65歳定年に賛成してるの濱口くらいだろw 経済思想とか関係ない さすが、御用学者と言われるだけある

こんな似非ツイートにまともに反応していると、その人のリテラシーが疑われますので、お気をつけ下さい。ツイッタラ諸氏。

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けむくじゃらのおにぎりさんの拙著評

112050118「けむくじゃらのおにぎり」さんが、ツイートで拙著『日本の雇用終了』を評しておられます。

http://twitter.com/yamachan_run/status/285298061171912704

はて、アマゾンで送られてきた「日本の雇用終了」を読むか。

http://twitter.com/yamachan_run/status/285306632768991232

【日本の雇用終了】裁判にまではいかない労働審判・あっせん事例の分析を行った本。冒頭から、「有休を取ったからクビ」などのケース盛りだくさん。いかに自分が恵まれていたか、そしてこれからの戦場との違いに気付かされる本となるだろう。

正確にいえば、労働局のあっせん事案だけで、労働審判はこの研究の対象ではありません。

ついでに、けむくじゃらのおにぎりさんがそのすぐ後に呈している御疑問に法律上のお答えを。

http://twitter.com/yamachan_run/status/285321595810091008

労基署ってお役所に立ち入り調査できるんだろか?

「お役所」の定義によりますが、大まかにいって、地方公務員でも現業は労働基準監督官が監督できるし、しなければならないことになっています。この現業には公立病院も含まれます。

一方、県庁や市役所などのいわゆる官公署と公立学校は労働基準法は原則適用されますが、その監督機関は地方公共団体の人事委員会なので、労基署は手出しができません。

もっとも、地方公共団体の中の人でも、これがちゃんと分かっているかどうか怪しい人もいますけど。

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資本主義を超える・・・日本型雇用

も一つ、

http://twitter.com/yoniumuhibi/status/285228896071323649

資本・賃労働の壁を超える、経済社会で生産する主体として、資本主義社会の人の生き方の限界を超える形として、日本型雇用は悪くないモデルだ。従業員(労働者)が、この会社は自分の会社であり、利益は自分が生み出したものだと考える。だから、住宅費だの教育費だのの手当てという形式に意味がある。

これまた、1970年代末から1990年代初頭まで、日本賛美論が咲き誇った頃に何遍も目にした懐かしき論理です。

そして、先に金子良事さんへのリプライで述べたように、日本型雇用とは、確かに「資本主義社会の人の生き方の限界を超える形として」産み出されたものなんですね。これを単なる封建遺制などと口走る安っぽい人間は、労働問題を語る資格はない。

ただし、その「資本主義を超えた」システムが、経営側にとっても維持することが都合の良いものになるためには、労働者の雇用契約が空白の石版としてその義務が無限定となることが必要であったわけですが。そして、その無限定の義務が労働者にとって喜ばしいものであると感じられている間は、それを「資本主義を超えた」として褒め讃える声に疑問も呈されなかったわけですが。

いずれにせよ、こういうたぐいの「近代を超えた」議論というのが流行していた1980年代が懐かしく思い起こされるヨニウム氏のツイートではあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-7764.html(大野正和さんの慧眼)

さて、「近代の超克」云々は、わたしはきわめて正鵠を得ていると思っています。それは、日本型雇用システムが封建遺制などではなく、近代資本主義に対する様々な社会主義の試みの一環であり、その意味で、言葉の正確な意味において「近代の超克」の試みとして生み出されたものであるという社会的事実の、哲学的反映という意味においてそうだという趣旨です。

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メンバーシップ型だのジョブ型だの、くだらん言葉を作って人を騙しやがって

http://twitter.com/yoniumuhibi/status/285223605204316160

子供の教育費だって住宅費だって、別に労働者が受け取っていいんだよ。それは給与の上積みという意味だ。労働者が働いて生み出した利潤の一部が返ってくるだけ。何がおかしいんだ。メンバーシップ型だのジョブ型だの、くだらん言葉を作って人を騙しやがって。

古典的マルクス主義の教義と生活給的年功制度が結合した論理という意味で、まことに懐かしい論理でもあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/equalpay.html(『季刊労働法』第230号「労働法の立法学」シリーズ第23回 「同一(価値)労働同一賃金の法政策」 )

これに対して労働側は、口先では「同一労働同一賃金」を唱えながら、実際には生活給をできるだけ維持したいという姿勢で推移していたといえます。

 先述の電産型賃金体系は、終戦直後に家族手当などが膨れあがる形で混乱を極めていた賃金制度を、基本給自体を本人の年齢と扶養家族数によって決めるように明確化したもので、生活給思想の典型といえるものです。それと同一労働同一賃金原則の関係は、労働側にとってなかなか説明しがたいものでした。

 これをマルクス経済学的な概念枠組みを駆使して説明しようとしたものとして、宮川實の「同一労働力同一賃金」説があります*4

「同じ種類の労働力の価値(価格)は同じである。なぜというに、同じ種類の労働力を再生産するために社会的に必要な労働の分量は、同じだからである。だから同一の労働力にたいしては、同一の賃金が支払われなければならぬ。・・・資本家およびその理論的代弁者は、同一労働同一賃金の原則を異なった意味に解釈する。すなわち彼らは、この原則を労働者が行う労働が同じ性質同じ分量のものである場合には、同じ賃金が支払われなければならぬ、別の言葉でいえば、賃金は労働者が行う労働の質と量とに応じて支払われなければならぬ、という風に解釈する。労働者がより多くの価値をつくればつくるほど、賃金は高くなければならぬ、賃金の大きさを決めるものは、労働者がつくりだす価値の大きさである、というのである。・・・既に述べたように賃金は労働力の価値(価格)であって、労働力がつくりだす価値ではない。労働力は、それ自身の価値(賃金)よりも大きな価値をつくりだすが、この超過分(剰余価値)は、資本家のポケットに入り、賃金にはならない。・・・われわれは、賃金の差は労働力の価値(価格)の差であって、労働者が行う労働の差(労働者がつくりだす価値の差)ではないということを銘記しなければならぬ。・・・この二つのものを混同するところから、多くの誤った考えが生まれる。民同の人たちの、賃金は労働の質と量とに応じて支払われるべきであるという主張は、この混同にもとづく。・・・賃金の差は、労働力の質の差異にもとづくのであって、労働の質の差異にもとづくのではない。だから同一労働同一賃金の原則は、正確にいえば、同一労働力同一賃金の原則であり、別の言葉でいえば、労働力の価値に応じた賃金ということである。・・・資本主義社会では、労働者は、自分がどれだけの仕事をしたかということを標準としては報酬を支払われない。労働者に対する報酬は、彼が売る労働力という商品の価値が大きいか小さいかによって、大きくなったり小さくなったりする。そして労働力という商品の価値は、労働者の生活資料の価値によって定まる。・・・労働者の報酬は労働力の種類によって異なるが、これは、それらの労働の再生産費が異なるからである。」

このように、戦前の皇国勤労観に由来する生活給思想を、剰余価値理論に基づく「労働の再生産費=労働力の価値」に対応した賃金制度として正当化しようとするものでした。しかし、文中に「民同の人たち」の主張が顔を出していることからも分かるように、(とりわけ国鉄の機関車運転手のように)自分たちの労働の価値に自信を持つ職種の人々にとって、悪平等として不満をもたらすものでもありました。

ヨニウム氏の論理を、同じ仕事をしているのに、子どもの教育費もかからないだろう、住宅費もかからないだろう、だから低くていいんだ、といわれる労働者たちが、「いやあ、なるほど、まったくその通りだ。完全に納得しました!」と言ってくれるのであれば、それでもいいのですよ。所詮賃金制度なんて、社会の中の約束事に過ぎない。自然科学的な意味での客観性などあるはずはない。

問題は、高度成長期には、圧倒的に多くが主婦パートや学生アルバイトであったがゆえに。「いやあ、なるほど、まったくその通りだ。完全に納得しました!」と言ってくれていた非正規労働者たちが、必ずしもそういってくれなくなってきたことにあるわけで、それを「お前らの先輩は納得してたんだから文句いうな」とは通せないということですね。

社会の約束事は自然科学的な根拠はなくても、みんな(現実には多く)の納得という根拠の上に成り立っているのです。

「何でこんな事も分からないんだ、『資本論』を嫁!」といってもたぶん通用しないでしょうし。

このあたりの議論、実は50年代後半から60年代半ばにかけての頃には、社会政策界隈では極めて熱心に議論されていたトピックでもあります。図書館の奥の方の埃をかぶった古文書をひもとくといろいろと出てきます。

それがなぜある時期以降、ぴたりと議論されなくなったのか、というのが、知識社会学的に見て一番興味深い点であるわけです.。

ひと言で言えば、経営側がマルクス流の労働力再生産費説とは異なる「同一労働力同一賃金説」に転向したからなんですね。ではその同一賃金とすべき同一労働「力」とは何か?

これがやがて「能力主義」という名の下に職務とは切り離された能力に基づく賃金制度として確立していく上で重要な政策文書が、1966年に設置された日経連労務管理委員会能力主義管理研究会が1969年にとりまとめた報告書『能力主義管理-その理論と実践』(日経連出版部)です。

ここでは「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」と明言し、年功・学歴に基づく画一的人事管理という年功制の欠点は改めるが、企業集団に対する忠誠心、帰属心を培養するという長所は生かさなければならないとし、全従業員を職務遂行能力によって序列化した資格制度を設けて、これにより昇進管理や賃金管理を行っていくべきだと述べています。・・・「能力」を体力、適性、知識、経験、性格、意欲からなるものとして、きわめて属人的に捉えている点において、明確にそれまでの職務中心主義を捨てたと見てよいでしょう。

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野川忍『労働法原理の再構成』成文堂

野川忍『労働法原理の再構成』成文堂をお送りいただきました。ありがとうございます。

まだ版元のHPにアップされていないようですが、本書は野川さんのここ数年間の論文を集めたものです。

第1章が「労働法制の動向と展望」、第2章は「労働契約の法理論」、第3章「国際労働法制」、そして第4章「雇用政策の新展開」という構成ですが、「はしがき」で野川さんが述べられているように、

・・・第二次大戦後に確立された労働法の諸原理自体を再考する時代にきているのではないか・・・

・・・このような時代にあって、労働法はどのような原理を土台とするべきなのかが問われているのは間違いなく、現在同時進行で進んでいる個々の具体的論点の検討も、究極的にはこの問いに答えることが要請されていると言えよう。

本書はその問いへの一つの手がかりを提供することを目指して・・・

いるのです。

ここではそのうち、JIL雑誌の今年5月号に載った「東日本大震災とこれからの労働法」を紹介しておきます。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2012/05/pdf/060-070.pdf

ここでは第二労働市場というアイディアを提示しています。

Nogawa

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労使関係における「近代」とは何かまたは金子劇場は続くよ

さて、金子さんは

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-249.html(問われるべきは企業別組合強化よりも労働戦線統一)

今回の濱口先生の「労使関係の「近代化」の二重性」で主要な論点は出尽くしたといってもいいと思います。

といいながら、新しい論点を次々に繰り出しています。

もっともマクロ的で全ての根源にある論点としては、

ヨーロッパの近代というけれども、結果的には組織という面からいえば、日本のシステムの方がよほど近代的だった。言ってみれば、日本は企業(株式会社)という近代的仕組みの中に封建的慣習を残してきたけれども、ヨーロッパはトレードという古い仕組みの中を近代的リニューアルしようとしてきた(私はジョブ型というのは反対でトレードというべきだと思っている)。ここがポイントです。

いやまあ、「近代的」って言葉があまりにも重層的なので、こういうやや奇妙な言い方になるのですが、思い切って「近代的」を前近代的共同体的規制から自由な市民的自由の世界と割り切ってしまえば、ヨーロッパであろうが日本であろうが、労働運動も社会政策も「近代的」なるものへの抵抗運動であり、その意味では「反動的」です。

この「悪魔の挽き臼」の中でばらばらの他人労働にされてしまったかつての自己労働者たちの怨念が、やがて労働運動や社会主義運動という形をとって噴出してくる。その目標は失われた懐かしき共同体の再建であった。そしてやがて共同体性を帯び始めた近代国家という権力体が、社会政策という名の介入を始める。それは、ネーションという想像の共同体に身を投げ入れた家族共同体を国家の細胞として保護する必要性からくる。成員に死をすら要求するネーション共同体は、成員からその死に値する待遇を要求されざるを得ない。福祉国家は「戦友」共同体が生み出したものである。(「正社員体制の制度論」)

問題はその「反動」に用いられる小道具が、中世のギルド制の伝統のあるヨーロッパではその伝統を引き継ぐトレードであったということでしょう。それを基層構造として、上部に福祉国家体制が構築される。ところが日本では、

社会政策が主流化するのは、戦時体制下でネーション国家のメンバーシップが強調されるようになってからである。・・・

このネーション社会主義的色彩の濃厚な体制が敗戦により崩壊した後、企業による労働者の生活保障という思想を受け継ぎさらに強化したのは、戦時中の産業報国会を引き継ぐ形でホワイトカラー・ブルーカラー双方を職場レベルで組織した企業別組合であった。・・・

この戦後「正社員」体制は、もともと戦時下に国家の一分肢としての企業に求められた労働者の生活保障を、市場経済下の独立経営体たる企業に求めるものである。それを企業にとって合理的なものとして維持するためには、近代的社会政策の根拠であるネーション国家のメンバーシップに相当する会社メンバーシップを前提とする必要がある。会社は正社員の雇用を維持し、生活を保障する。その代わりに正社員は職務、時間、場所などに制限なく会社の命令に従って働く。この社会的交換が戦後段階的に確立していき、高度成長終了後の一九七〇年代にはほぼマクロ社会的に現実のものとなった。

こういう(ヨーロッパでも日本でも一次的「近代化」を修正する)二次的な近代化が、戦後世界における「近代化」のスタンダードであり、政府も学者も労使もその思考枠組みの中にありました。

それをひっくり返し、原理的には「反動」である二次的近代化を否定して、理念的に前近代的共同体的規制から自由な市民的自由の世界を正しいものと称揚するのが(原理的意味での)ネオリベラリズムになるのだと思いますが、それはともかく、ここでいう必要があるのは、ギルドシステムを流用したジョブ型モデルの方が近代的なんだぞとか、いやいやイエやムラの仕組みを流用した企業メンバーシップ型の方が近代的なんだぞ、といった近代的比べごっこなんかには何の意味も無かろうということです。

どちらも一次的近代化を修正する二次的近代化の一類型なのですから。

そして、そういう二次的近代化も含めて近代社会モデルを悪しき「資本主義」として否定するマルクス主義の勢力がもう一方に存在して、大きな影響力を誇っていました。世の中的には、「近代的」という用語は、非マルクス主義的、反マルクス主義的というインプリケーションで用いられることの方が多かったように見えます。今でもなお使われる「近代経済学」という言葉には、当時のその意味合いがなお残存していますね。

私に興味があるのは、その二次的近代化モデルについて、少なくとも1950年代から60年代にかけての頃は、もっぱら欧米型モデル、つまりケインジアン福祉国家の中でフォーディズム的妥協に基づく団体交渉型労使妥協モデルを進める方向性が、政府レベルにおいても民間レベルにおいても圧倒的に正統視されていたということであり、にもかかわらず現実の軌跡はそれとはまったく対照的な軌跡をたどってきたのはなぜかということです。

労働戦線統一も、まさに反マルクス主義的な「近代的」労働運動路線による統一という話であったはずなのですね。

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防衛省防衛研究所編『中国安全保障レポート2012』

Cover_jp_2012_110x158防衛省防衛研究所より同研究所編『中国安全保障レポート2012』をお送りいただきました。

http://www.nids.go.jp/publication/chinareport/index.html

中国の安全保障政策や軍事動向に対する国際社会の関心が高まっています。日本においても中国の軍事的・経済的な台頭が我が国の安全保障に多大な影響を与えるとの認識が広まっています。中国はすでに世界第2位の経済規模を有し、日本や東アジア諸国の不可欠なパートナーとなっている一方で、強力な経済力を梃子に国防費を増加させながら、人民解放軍の近代化を進めています。『中国安全保障レポート』はこうした中国の戦略的・軍事的動向を分析し、国内外に発信するものです。同レポートには日本語版のほかに、英語版と中国版があります。

http://www.nids.go.jp/publication/chinareport/pdf/china_report_JP_web_2012_A01.pdf

サイトには日本語版だけでなく、英語版、中国語版までちゃんとありますね。

いろいろと勉強になる内容ですが、興味を惹かれたのはコラムの「国軍化を警戒する中国共産党」でした。

人民解放軍が国家の軍隊ではなく、中国共産党という党の軍隊であることは、本レポートが最初から最後まで強調するところですが、それに対する疑問の声が中国内に結構あるらしく、これに対して中国共産党が強く警戒して極めて激しく批判しているようです。

中国共産党は「軍隊の非党化、非政治化」や「軍隊国家化」(国軍化)を繰り返し批判してきた。この傾向は近年強まりつつあり、特に2012年春には、連日のように軍隊国家化を批判する論説が『解放軍報』に掲載された。党軍関係の基本構造が安定しているにもかかわらず、中国共産党は、軍の近代化の進展と他の非民主主義体制諸国における民主化とそれに伴う軍の中立化の経験から、軍隊の国家化につながりうるような傾向に対して過敏になっており、警戒感を高めていると思われる。

このような議論が起こる前提として、人民解放軍はあくまでも党の軍隊であり、国家の軍隊ではないという事情がある。人民解放軍はその任務の一つとして、中国共産党の政権を守るという役割を担っている。しかし、仮に軍隊が党ではなく国家の軍である場合には、その至要な任務は国家の防護であり、一つの政党である中国共産党の政権を守る義務はなくなる。これは中国共産党にとって避けなければならない事態である。従って、中国共産党は「国内外の敵対勢力」が軍隊の国家化を主張することで、「中国共産党の政権基盤を揺るがそうと」しているとして警戒を高めているのである。・・・


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連合総研『政策決定プロセスを検証する~政権交代から3年』

Rials連合総研『政策決定プロセスを検証する~政権交代から3年』は、、2012年8月31日、お茶の水・連合会館で開催したワークショップ「政策決定プロセスを検証する~政権交代から3年」の記録集です。

http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1356595400_a.pdf

■報告1 民主党政権の政策決定プロセス
-民主党政権は「失敗」の経路から離脱できなかったか? 伊藤光利(関西大学教授)
■報告2 予算編成・税制改正:民主党の「与党化」と「自民党化」 上川龍之進(大阪大学准教授)
■報告3 民主党政権の雇用・社会保障政策Ⅰ 宮本太郎(北海道大学教授)
■報告4 民主党政権の雇用・社会保障政策Ⅱ 三浦まり(上智大学教授)
■報告5 民主党内閣の下での「地域主権」改革-2006年以降の地方分権改革における持続性と変化- 北村 亘(大阪大学准教授)
■コメント1 労働運動の政策参加のあり方 篠田 徹(早稲田大学教授)
■コメント2 政権交代の意義と政党政治の今後 山口二郎(北海道大学教授)
■討論

このうち、民主党政権の雇用・社会保障政策を検証している宮本太郎さんの報告から興味深いところを。

民主党の場合は、冒頭に伊藤先生がおっしゃったように、寄り合い所帯的なところですから、自由主義と社会民主主義と保守主義とで一致できる点は現金を給付するということになってしまう。

自由主義勢力も、サービス供給の自治体や国の官僚機構は増大させないということで、現金給付なら満足する。保守主義の小沢さんも、そもそも子ども手当と並んで、老親を介護しているかいがいしい息子・娘に同居手当を出す、同居手当と子ども手当を一体として出すんだということを言っていました。そういう形で諸勢力が、諸イデオロギーが一体化したところが現金給付だったわけです。そういう形でサービス給付があいまいになった。

それから、負担感をめぐる動揺については、そもそもアクティベーションの考え方では、何のための増税かというと、それは還元をしていくためです。それも現金でばらまくのではなくて、みんなが社会参加できる条件をつくっていくというところで還元をする。まずそのファーストステップとして増税があったわけなんですけれども、これがやはり言ってみれば増税のための増税ということで、民主党自身がその先何をやっていくかということについて見通しが持てなかった。

思想の異なる三者が共通してやれる施策は、そのどの三者にとっても最善策ではない現金給付しかなかった・・・というあたりが、意思決定のパラドックスを露わに示しているように思われますね。

次の三浦まりさんは、民主党の自由主義(リベラリズム)の3つの異なる顔を次のようにかなり的確に摘出しています。

ただ、多義的であるがゆえに、さまざまな自由主義があり得て、民主党自体が、そのさまざまな自由主義を取り込んできて大きくなってきた政党であるいうことを見ていく必要があります。

「オリジナル民主党」という言い方が先ほど出ましたけれども、最初の、90年代の半ばから出てきた勢力というのは、より新自由主義的な側面を確かに持っていました。無駄を省くとか、身を切る改革といった言葉に象徴的にあらわれています。また、市場の活用に関しても積極的だったといえます。

その一方で、これは自民党には決定的に欠落している民主党らしさだと思いますが、政治的自由主義ということに関して、かなり愚直なまでにこだわっていました。最もふわふわした形で持っていたのが鳩山さんだと思います。公共という言葉が象徴的です。自民党の保守的な公共の定義ですと、それは国家が定義をする、国家エリートが公共というものを定義することになります。それに対して民主党は、多義的にあるいは多元主義的に、さまざまな人が、市民社会が、自分たちで公共とは何かを定義していくと捉えています。同じ公共という言葉でも定義する主体が自民党と民主党では全く異なるわけです。民主党のは政治的な自由主義のあらわれだと思います。また地域主権、それが団体自治であれ住民自治であれ、地域の人たちが自分のことを決めていく地域主権というのも、政治的自由主義のあらわれだと考えられます。

新自由主義的なオリジナル民主党路線は90年代半ば以降ずっと続いてきましたが、2000年代の経済状況の悪化に伴う形で、第三の自由主義が加わっていくことになります。それがリベラリズムです。リベラリズムという英語は、アメリカ英語とイギリス英語で意味が違いますが、これはアメリカ英語のリベラリズムです。貧困や格差問題に対して、より積極的に対策を講じるという意味でのリベラリズムが2000年代前半から加わっていきます。

なるほど、「仕分け大好き」平成維新の会風の新自由主義派、鳩山的ふわふわ型「市民」自由主義派、そしてアメリカ語のリベラリズム(=ヨーロッパでは社民主義)型の自由主義派、と、まったく精神構造の異なる3つの「自由主義」派が雑居していたのでは、出てくる政策が統合不調気味になるのも宜なるかなというところです。

ちなみに、山口二郎さんはコメントで、

連合は、例えば自民党も応援しますよとか言い出すと、そっちに行く危険性もあるのかなということを、私は今まじめに心配しています。だから民主党は、それに対して二極的システムを守るという選択肢をちゃんと追求してほしいと私は思います。

・・・そんな状況でありまして、今日おいでになっている連合の皆さんは、やはり民主党は働く市民の政党だと言い続けてほしいということを最後に申し上げて終わります。

といわれているのですが、いやまさにそういうことで、政策の中身は一切抜きにしてただただ政権交代が必要だ、ということで、上の全然違う考え方をごっちゃにしたままで突き進んでしまったために、「やはり民主党は働く市民の政党だ」とは到底言えないような事態を引き起こし、その挙げ句がこうなったわけでしょう。

むしろ、労働者のためになる政策をやるのなら「自民党も応援しますよとか言い出す」という選択肢を封印してきたことを再検討する必要もあるのではないでしょうか。

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労使関係の「近代化」の二重性

これはあくまでも金子劇場ですので、金子節を堪能していただければいいのですが、

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-248.html(メンバーシップ論と企業別組合)

労働組合運動の路線対立という話と、ジョブ型かメンバーシップ型かという話とは、なかなか複雑に絡み合っていて、そうそう一筋縄ではいかないのですよ。

まず、終戦直後の段階は、拙著で述べたように、

(4) 終戦直後の労働運動

1945年の敗戦後、日本中の企業で労働組合が雨後の筍のように結成されました。総同盟は「一般従業員が会社別従業員組合組織の希望を有することは遺憾ながら我等の当面する事実である。我等はこの迷蒙を打破しなければならない」と述べるなど企業別組合という在り方には批判的で、ブルーカラー労働者のみによる産業別単一組合の結成を進めようとしましたが、工職混合企業別組合への大勢に押し流されていきました。この時期の主流派は、一企業一組合の原則に基づき、「労働者全員を下級社員をもひっくるめて一つの工場委員会に組織」し、工場委員会の代表者会議を地域別・産業別に組織しようとした共産党の影響下の産別会議でした。

 興味深いのは、終戦直後の時期に組合活動の主導権を握ったのは、ブルーカラー労働者よりもホワイトカラー職員が多かったことです。戦前学生運動を経験し、左翼思想になじんでいた下級職員がリーダーシップをとる傾向がありました。当時は、少数の経営幹部を除き、課長クラスの職員までみな組合員になっていたので、組合側に経営実務のノウハウがありました。このため、労働組合の争議手段として、労働組合が経営者に代わって自主的に生産活動を行う生産管理闘争が広く行われたのです。

総じて、戦後の労働組合は戦前の労働組合運動よりも、工場委員会から産業報国会へと連なる企業内従業員組織の系譜を引いているといえます。戦前は経営者の指導下に、戦時中は国家の指導下にあった従業員組織が、敗戦とともにその軛から解き放たれて、一気に急進化したと考えればいいでしょう。これを「事業一家の覇者交代」と評する人もいます。

と、共産主義に傾いたメンバーシップ型急進主義が主流でした。

この「インテリ中心の左派に、役付工クラス中心の右派の現実路線が勝っていった」のが、まずは産別民主化同盟の流れでしょうが、その後も民同左派が政治的活動に進んでいって、その左派をまた右派が倒すということが繰り返されるわけですね。

で、ここで重要なのは、それと企業別組合重視との関係ですが、これはマクロ的思想理念のレベルと現実のミクロ政治のレベルのずれがとても大きな意味を持ちます。

そのキーワードは、特に50年代半ば以降、日本生産性本部が中心となって進めていった「労使関係の近代化」とはいったい何であったか?という点に集約されます。

「近代化」論者にとって、進むべき道、あるべき方向は、欧米型のビジネス・ユニオニズムでした。企業メンバーシップではなくジョブに基づく産業別労働組合が、賃金・労働条件について(当時の日本で行われていたような争議と区別しがたいような大衆団交ではなく)集合的バーゲニングを行うのが理想像であったわけです。

実際、50年代後半から60年代にかけて、生産性本部による視察団が繰り返し欧米に行って、「労使関係の近代化」といったようなタイトルの報告書を出していますね。

ところが・・・、ところがそれは国際部的な世界で、一方で国内でなお強く残る左派主導の組合運動を「近代化」するという泥臭い世界もあったわけです。こちらも、梅崎さんたちがやった生産性本部労働部のオーラルヒストリーに生々しく描かれています。

この「労使関係近代化事業」は、政治闘争に明け暮れる上部団体の傘下の企業別組合に対しても、「労使関係近代化」を説いていきます。それは、小池伴緒氏のインタビュー記録から若干引用しますと、

「労使協議制という話よりも、やはり同じ船に乗っているのだという運命共同体論ですね。」
「そうですね。乗っている船に穴を開けてどうするのかというわけです。沈んだらみんな一緒に沈むのだよと。わかりやすい話ですが、そういった意味では日本的経営の一翼を担ったかもしれないですね。沈んだ船でどこに行くんだと。船を立派にしなければ我々の生活もないよと。だから生産性を上げれば賃金も増えるのだと。上げない限りは増えないよというわけです。」

こういった方向性は、この運動のさなかの人々にとっては間違いなく「労使関係近代化」でした。マルクス主義的なスローガンを掲げ、欧米型のビジネス・ユニオニズムを排撃する左派労働運動と対決し、欧米主要組合の加盟する国際自由労連(ICFTU)の立場にたって、国際労働機構(ILO)の推奨する労使協議制を推進することが、当時の意識において「労使関係近代化」であったことは間違いありません。しかしそれは、経済政策サイドが労働市場や賃金制度のあり方の延長線上に想定していた「労使関係近代化」とは、かなり毛色の異なるものでもありました。むしろ、当事者の言葉の通り、「日本的経営の一翼を担」うものとして機能することになったのです。その帰結たる企業レベルの「運命共同体論」は、ICFTUやILOにとっては自分たちの主張の延長線上にあるものとはとうてい思えなかったでしょう。

大変皮肉なことですが、企業別組合が労働組合の本来機能をほとんど果たしてしまうが故に「上部組織において、個々の労働者の現実から遊離した政治活動が大きな比重を占め」ることになり、そうしたマルクス主義的な左派労働運動と対決しようとすると、企業別組合をよりいっそう強化するという戦略をとらざるを得ないという状況であったわけです。政治活動に走る上部団体の力を弱め、企業別組合を強化するという、それ自体はむしろジョブ型モデルの労使関係近代化とは相反する方向性が、この時期の日本の労働社会の基層構造において「労使関係近代化」という信念の下に進められていたというこのパラドックスを認識することなくして、「労使関係の『近代化』とは何だったのか」を理解することはできないと思われます。

大変皮肉なことですが、「労使関係近代化」の帰結が「職業能力と職種に基づく近代的労働市場の確立」をめざす「近代主義の時代」を終わらせたというのが、この皮肉に満ちた一部始終を総括する結論になりそうです。

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私の偽者がツイートしているようですので、ご注意下さい

愛子様や山中教授を騙るツイートまで出現している末世ですから、hamachanを騙るインチキ野郎が横行してもおかしくないのかも知れませんが、この年の瀬、私を名乗る偽者が誹謗中傷めいたツイートをしているようですので、ご注意下さい。

http://twitter.com/eulabourlaw/status/284772336509521920

濱口桂一郎@eulabourlaw

RT 経済・雇用系の論者で、65歳定年に賛成してるの濱口くらいだろw 経済思想とか関係ない さすが、御用学者と言われるだけある

こんな似非ツイートにまともに反応していると、その人のリテラシーが疑われますので、お気をつけ下さい。ツイッタラ諸氏。

ちなみに、はてなブックマークでも、紛らわしい名前を使って誹謗めいたブコメをつけて喜んでいる異常な人物がおりますな。

http://b.hatena.ne.jp/spamhamachan/20121229#bookmark-126367634

一応。基本的な事実として、idと名前は別物。例えば、idだけなら名無し。

これは自白とみなしていいのでしょうな。

このspamhamachanと称するイナゴ、その昔は「ふま」と称して、稲葉振一郎さんなどにもまとわりついていたが・・・。

(追記:いやいやいや、自白も何も別人で当然でしょうが。やれやれ、こっちが意味分からんですよ。)

人の名前をそのまま騙り、人の写真をそのまま使って、公然とツイートしておいて、「別人で当然でしょうが」と平然と騙れるこの精神構造。精神病理学の本に出てくる境界性人格障害の症例にそっくりだね。

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その異分子から見ればいじめ・嫌がらせ以外の何者でもないにも関わらず

ツイッター上で「#1rtごとに部屋にある本の106ページ3行目を晒す」という遊びがはやっているようで、拙著『日本の雇用終了』についても晒されておりますが、

http://twitter.com/family__sugar/status/283934076363235329

その異分子から見ればいじめ・嫌がらせ以外の何者でもないにも関わらず、共同体側からはむしろ被害の回避のための当然の対応と感じられるという構造をよく示している。 日本の雇用終了より。 150万円で解決された解雇事例について

これだけでは、どんな事案なのかわからなくて、かえって不全感を増すのではないかと懸念されますので、年末大サービスの一環で、この事案を全文紹介しておきます。

・10100(正男)普通解雇、いじめ・嫌がらせ(150万円で解決)(不明、無)
 以前からあだ名で呼ばれる、社内旅行への参加を拒否されるなどのいじめ、暴力を受け、同僚からの嫌がらせを工場長に相談したのに対応されず、退職を強要され、最終的に解雇された。
 会社側によれば、本人が同僚とトラブルを起こし、「この会社は最低だ」等と叫ぶので「そんなに嫌なら辞めたらどうだ」となったもの。社内旅行も、数々の社内での暴言から女性社員が怖がるので、社員会の幹事の判断で断ったもの。
 典型的な同僚とのトラブル型の紛争。女性社員が怖がるので社内旅行に参加させないというのも、親密な共同体における異分子的な存在に対する一般的な対応のあり方そのものであり、その異分子側から見ればいじめ・嫌がらせ以外の何者でもないにもかかわらず、共同体側からはむしろ被害の回避のための当然の対応と感じられるという構造をよく示している。

なかなかディープな事案です。

112050118こういう事案が1000件近くもてんこ盛りになっている『日本の雇用終了』。冬休みの読書のお供に是非。

http://www.jil.go.jp/institute/project/series/2012/04/index.htm

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jilptbookreview.htm

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金子劇場が始まった!

というわけで、見事に金子良事さんが反応してくれました。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-247.html(メンバーシップ論から企業別組合を説くのには屈せない)

さあさあ御立合い、御用とお急ぎでない方は聞いておいで、見ておいで、濱口金子劇場、始まるよ。

いやいや、濱口金子劇場じゃなくって、金子劇場独演会です。私はそれを引っ張り出す役目。

総入れ歯に十二単をまとわせたような隔靴掻痒感溢れる金子書評の裏側にたぎる金子さんの本音ベースの議論をね。

はっきり言って、メンバーシップの問題で労使関係を切っていく視点は二村、ゴードン、禹に至るまでみんなダメだと私は思っているんです。だから、ほとんど無視した。それだけのことです。

ゴードン著のキーワードであるメンバーシップ論が「ダメ」だというエッセンスが表面に現れていない公式書評とはだいぶ味わいの異なる金子理論が、これから展開されます。

注目!

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ノマドの夢、正社員の夢

Rojyun1782『労働法律遵法』1782号は、

[シンポジウム]均等待遇の実現に向けて-非正規労働者の権利実現全国会議in東京集会=脇田滋+川村遼平+遠藤公嗣+田渕大輔+小野寺義象+中村和雄+中西基

という特集を載せています。

やや、パネラーの言ってることがあっち向いたりこっち向いたりの観はありますが、POSSEの川村さんがいろんな相談のケースを紹介しながら非正規雇用への視点を語っているところは、すでに『POSSE』誌でも書かれていることですが、よいメッセージになっていると思います。

・・・要は、1990年代の初頭にも会社に縛られない自由な働き方としてフリーターがポジティブに打ち出されましたが、その焼き直しがノマドです。

これはどういう図式に基づいているかというと、正社員は安定しているけれども自由ではない。他方で、不安定だけれども非正規は自由なんだという図式です。

ところが、この図式はもう全然通用しません。正社員でも不安定な人はいるし、逆に、非正規は自由というと、正社員以上に会社に縛られている非正規はたくさんいます。・・・

・・・というのも、正社員は、不安定な“義務だけ正社員”になっていて、非正規の人たちは、過労に駆り立てられる“義務だけ正社員”になっています。そういう観点からすると、ある意味、正社員が没落していく流れの中で、正規と非正規の状況は均衡化しつつあります。・・・

正規と非正規の差は、それだけ曖昧なものになっています。ですので、均衡していると言えば、しています。ただ、これは権利を実現する形での均衡ではありません。・・・

なお、この後の遠藤公嗣さんはかなりはっきりと、職務基準の雇用慣行について

・・・日本の正社員と違うのは、経営不振でも経営方針の変更でも理由は何でもいいですが、職務がなくなると、その職務に就く労働者の整理解雇ができます。これは会社の権限です。・・・

と述べていますが、結局、欧米では一番正当な理由の解雇を日本では一番やってはいけないものにしてきたことのツケが、その一番やってはいけないものをやらないことの代償として、欧米ではとうてい許されないようなことを受け入れざるを得なくなってきたということになるのでしょう。これはここ数日のエントリのテーマですね。

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神の御前の労働基準法再び

見留洋子さんのツイートで、

http://twitter.com/EtobicokeYm/status/283942625684377600

都内神社「巫女のバイト」拘束16時間でも日給1万円以下。最賃850円を大きく割り込む。労働条件を尋ねると「ご奉仕と思ってください」と言われ、黒髪/爪の短い24歳迄。巫女装束に憧れ10名募集に130名が集まる。大晦日から朝方までいくつの労基法違反があるだろう、と思うことが不謹慎?!

というのを見て、以前本ブログに書いたエントリを思い出しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-00c0.html(神の御前の労働基準法)

Rei200801274171POSSE川村さん経由で、

http://happism.cyzowoman.com/2011/11/post_262.html(トータル労働時間17時間! ナメてかかると痛い目を見る巫女バイトの実態)

「巫女さんのバイトをしていました」と言うと、決まって「萌える!」と興奮される。断言する、あれは「萌え」だなんて生半可なものではない。赤と白の装束を身に纏う巫女さんたちのつつましやかな笑顔は、並々ならぬ忍耐の上に成り立っているのだ。

筆者が応募した近所の某神社のバイト期間は、12月31日~1月7日まで。このうち、初日は12月31日22:00~1月1日18:00までのぶっ通し勤務。途中許されている休憩は、仮眠のための3時間のみ。トータル労働時間は17時間と、労働基準法の「ろ」の字も見当たらないハードボイルドっぷりだ。神の御膝元の前には、法律は無力なのか。

川村さんは、

http://twitter.com/#!/kwmr_posse/status/138399334206144512

7割が高校生の職場で、深夜を含めた17時間労働。「神の御膝元の前には、法律は無力」ではありません。笑 巫女も労働者なはずですし。もしや労働法をナメている宗教法人を告発する記事なのか…?

と述べていますが、いやあ、巫女さんの労働者性というのは、建前論的にはなかなか難しいところがあります。

戦前の国家神道時代には、神道は宗教に非ず。神社に勤務する神主、巫女、禰宜等々はれっきとした国家公務員であったわけですが、占領軍の神道指令でみんな宗教法人と云うことになってしまいました。

で、宗教団体において宗教的活動に従事する者というのは、当該宗教的活動が外形的には一般社会における経済活動とほとんど変わらないようなものであっても、原則論として云えば労働者ではないという可能性が高い。

実際、いろんな新興宗教団体なんかで、ボランタリーにさまざまな労務に従事している方々がいっぱいいるわけですが、彼らが信仰心の発露として当該労務に従事している限り、労働基準法は適用されないというのが原則でしょう。

そういう建前論を、建前上宗教団体である神社における年末年始の大バーゲンセールに従事する若年労働者に適用していいかと言えば、そんな莫迦な話はないはずですが、でも、建前論で云えば、おみくじ一つ売るんだって、宗教的活動ですよね。

でも、もちろん、彼女らはそんなつもりじゃないわけで・・・。

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金子良事さんのゴードン『日本労使関係史』書評について

0242930金子良事さんのアンドルー・ゴードン『日本労使関係史1853-2010』の書評が『大原社会問題研究所雑誌』12月号に載っていたのですが、それがネット上にアップされました。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/650/650-07.pdf

本書については、本ブログでも何回もしつこいくらいにエントリをあげてきていますので、ここでは金子さんの書評スタンスについて一言だけ。

日本労使関係史では,本書では「日本的雇用制度」と表現されている日本的労使関係(しばしば日本的経営の三種の神器である年功賃金,終身(長期)雇用,企業別組合)の成立時期について1920年代,戦時期,1950年代の三つの説がある。本書は1920年代説(間)と戦時起源説(孫田)を否定し,1950年代説を採っている。

という風に「説」に分けてしまうと、その間の微妙な感じがなくなってしまうような。というか、「この時期『のみ』に日本型が形成されたのであり、ほかの時期には一切関係がない」などという極端な議論は多分だれもしていないので、こう言ってしまうとかえってミスリーディングでは?

20年代の企業主導の側面と、戦時期の国家主導の面と、終戦直後の労働運動主導ないし激しい労使対決によって経営側が作り上げた面と、いずれが欠けても日本型システムはこういう形では完成しなかったわけで、その意味では「完成時期」は50年代だけれども、成立時期の対立という形で対立させてみせるのはいかがかなと感じます。

ゴードンさんの本は、戦前についても労働者側の主体性をかなり強調するところに特徴があって、それは事実発見としてはとても貴重なんだけど、それがネーションワイドに広がっていくのはやはり孫田さんらの戦時労働論の指摘が重要なわけでしょう。そこは、最後近くで言及していますが。

なお、本ブログでも述べているように、私の議論のネタの一つはゴードンさんのメンバーシップ論ですが、それについて金子さんは、

本書に通底するアイディアは労働者のmembership意識である。これは二村一夫が日本の労働者は会社の一員であることを要求してきたという主張を踏襲している。二村の議論が企業別組合に関する論文で論じられた経緯から企業の一員性にスポットライトが当たったのに対し,著者は労働者階級という枠組みを重視しているので,会社の一員であることのみならず,社会の一員であると認知されることを望んだという視点が相対的にはっきりしている。そして,その一員性を獲得できた時期を1950年代と捉え,それ以前には実現し得なかったとみる。そうした意識を持つことに,工職の接近,たとえば賃金が月給制度に変わったことなどの事実が重視されている。これらのことが1970年代から80年代にかけて世界から称賛されたいわゆる日本の協調的労使関係の基盤となっている。

と述べていて、ちょっと引っかかったのは、いや確かに「社会の一員であると認知されることを望んだ」のですが、それを実現するための唯一の道が「会社の一員であること」を認めさせることであったのですから、それを「のみならず」といってしまうのはややミスリーディングなような気がします。

あえて「会社の一員であることのみならず,社会の一員であると認知されることを望んだ」のであれば、企業内部でしか通用しない雇用保障、生活保障「のみならず」全体社会の保障システムこそが要求の中心でなければならなかったはずですが、しかしそのような道はとらなかったのです、戦後労働運動は。それをどういう方向に評価するしないかはともかく。

ゴードンさん自身が述べているように、

・・・この組織の一員(メンバーシップ)という概念はまた、日本が戦後10年の苦難に満ちた闘争や激動を超えてたどり着いた全般的安定に至る過程を理解するためにも重要である。・・・生産管理闘争という急進的な行動には別の面があり、労働者が企業の一員となること(メンバーシップ)に一貫して関心を抱いていた事実と関連している。

・・・経営側は組合が企業の一員たること(メンバーシップ)を要求したのに対し、反動的で時代を逆行させる闘争をなしえたかもしれない。しかし・・・その代わり彼らは、労働者が彼らの統制下で企業の一員となること(メンバーシップ)を進んで受け入れるよう、その願望を誘導し、あるいは強く後押ししたのである。

労働者の多くは、かつてはホワイトカラーとその家族しか享受し得なかった中流階級の一員になる(メンバーシップ)という、より大きな目標に近づくことになった。・・・

20世紀システムにおける福祉国家とは、まさに無産階級であった労働者を「国家のメンバーシップ」に基づいて中流階級化するものであったわけですが、その同じ目標を「企業のメンバーシップ」に立脚する形で実現しようとした点に日本の特徴があるというのが、まさにゴードンさんのこの大冊が全編をあげて説明しようとしている最重要ポイントなのではないでしょうか。

なおこれに関連して、『POSSE』17号の今野さんとの対談では、

濱口:そうです。さらに言うと、工場委員会であり、もっというとレーテであり、ソビエトなんですよ。第一次大戦後のドイツのレーテ運動とか、ロシア革命時のソビエト運動もたぶん似たようなものがあったのかもしれないなと思います。

だから、日本の雇用システムの出発点はそこです。なぜそうなったかというと、昔ながらの日本にはヨーロッパのようなギルド制はなかったから、職場を越えたつながりというものが、なかなかなくて、職場で日々顔を合わせている仲間とのつながり、そしてその職場の仲間の誰かが首を切られるというのは、絶対許さないという生々しい感覚があったんですよ。

・・・結局、ブラック企業はこれぐらい根深いという話でもあります。終戦直後の生産管理闘争をやった当時の労働者の感覚が根っこにあるがゆえに、いまのブラック企業があるわけです。

と述べております。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-a7e9.html(ゴードン名著の翻訳)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/1853-2010-da23.html(ゴードン『日本労使関係史1853-2010』)

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労働基準法の「労働者」はどっちなんだよ

ネットバトルを炎上させる営業政策と思われてもなんなので、まじめに答えておきましょう。

http://twitter.com/yoniumuhibi/status/283365747839889409

日本の労働者の権利は労働基準法が保障している。労働基準法は1本なのに、正規労働者と非正規労働者の権利の中身は全く違う。それがおかしいことだ。労働基準法の「労働者」はどっちなんだよということ。濱口桂一郎らは権利も賃金も非正規を標準にしようとしていて、本田由紀らはそれに合わせている。

まず前半の問題意識は正しい。

日本の労働者の権利は労働基準法が保障している。労働基準法は1本なのに、正規労働者と非正規労働者の権利の中身は全く違う。それがおかしいことだ。

だからこそ、すべての者がこの問いにきちんと答える必要がある。

労働基準法の「労働者」はどっちなんだよということ。

答えははっきりしている。

職務も労働時間も勤務場所も無限定に従う義務を負う代わりに生涯を通じて子供の教育費や住宅費まで含めて生活費を面倒見てもらう約束のメンバーシップ型正社員などではない。労働基準法は、そんな労働者のあり方を全く前提にしていない。

そしていうまでもなく、そういう義務を負わない代わりに低賃金と不安定を押しつけられている日本型非正規労働者でもない。

終戦直後に労働基準法が世界標準を見倣って作られたときに前提とされていた「労働者」-すなわちジョブ型正社員-が、そのどちらにも受け継がれていない、そのことが諸々の問題の原因であるということが、毎日「世に膿」んでばかりいると見えなくなってしまうのかもしれません。

112483_2拙著『日本の雇用と労働法』より

・・・以上のような枠組みは、工場法に始まる古典的労働法においても何ら変わりません。多くの労働法の教科書の冒頭に書いてあるように、古典的労働法は民法の雇用契約の原則を大きく変えましたが、労働者が会社のメンバーではなく労務供給という取引関係にある者であるという基本的な枠組みは何ら変えていないのです。

古典的労働法が持ち込んだ原則の一つは、雇用契約の内容に最低限の公的規制を加え、それを下回る労働条件の契約条項を無効にすることです。19世紀にイギリスの工場法から始まり、日本でも戦前に工場法が、戦後は労働基準法が制定され、現在では関係の立法と併せて膨大な労働法体系を作り上げています。労働基準法では「労働契約」という言葉が用いられていますが、上記枠組みに関する限り、民法の雇用契約と何ら変わりはありません。

もう一つの原則は、労働者一人ひとりと企業のような強大な力を持つ使用者とでは取引関係が著しく不均衡になるので、労働者の団結を認め、労働者の集団と使用者の間で「集団的な取引(collective bargaining)」(=団体交渉)を行わせることです。これも19世紀のイギリスから始まり、日本でも戦後労働組合法が制定されてこの仕組みが法的には確立しました。

ここで重要なことは、団体交渉とは同じ団体のメンバーの間で行われるものではなく、債権契約関係にある労務供給者と労務受領者の間で行われる取引を集団的に行うものとして、法律上は位置づけられているということです。ということは、別の面から見れば労働組合とは企業と取引関係にある労働者のカルテル(事業者間で価格や数量を協定すること)です。実際、アメリカの独占禁止法制では労働組合が適用除外と明記されています。つまり、法的にはカルテル行為に該当するが、労働組合だけ特別に認めるということです。日本型雇用システムに慣れた人にとっては意外に見えるかも知れませんが、日本の労働組合法が想定している労働者とは、いかなる意味でも企業のメンバーではありません。

今日においても、日本国の労働法制の基本枠組みは労働基準法と労働組合法であり、それらが想定している労働者とは企業のメンバーシップに基づいて働いているのではなく、指揮命令を受けながら個々の労務を供給するという取引関係に基づいて働いている人々です。つまり、現行労働法制は基本的にはジョブ型であり、日本以外の社会と何ら変わりはありません。

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「就業規則は会社の憲法!」は間違いだけど真実でもある

Dursanさんがコメントで紹介していただいたこのサイト。

http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20121225ブラック士業絶好調

いやもう、全編これすべて突っ込みどころではあるんですが、ここではあえて、法律学的には完全に間違いではありながら、日本の労働社会では「真実」でもあるところのこの言葉を取り上げておきましょう。

就業規則は会社の憲法!

言うまでもなく、会社という組織は色々な人の集合体です。

人はそれぞれ異なる価値観や考え方を持っていますから、人がたくさん集まれば集まるほど、組織をまとめるのは大変ですね。

もし、その各人が自身の価値観や考え方に基づいて勝手な行動をしていると、会社はそのうちに崩壊してしまいます。

会社は、収益を上げるという絶対的な目標に向かって邁進しなければなりませんから、個人の固有の価値観や考え方はさておき、一定のルールが必要になってくるのです。

そのルールが就業規則であり、労働者の労働条件や遵守すべき職場秩序を、統一的・画一的に明文化したルールなのです。

国が国民の権利や義務を憲法で定めているのと同様に、就業規則は会社と労働者の双方が遵守しなければならない会社の憲法なのです。

いやもちろん、弁護士であれ、社会保険労務士であれ、まともに法律学を勉強したのなら、

この人物は、憲法というものをまったく理解していないと言わざるを得ないですね。

という反応が唯一正しいものであるわけですが、さはさりながら、日本の職場においては、労働法の明文の規定とは全く異なり、

就業規則は会社の憲法!

であるというのもまた、厳然たる事実であるわけです。

112483このあたりについては、昨日ラジオみなみ関東さんにベスト3に選んでいただいた『日本の雇用と労働法』の中で、こういう風に説明しておりますので、ご参考までに。

3 就業規則優越システム

(1) 雇用契約の空洞化と就業規則の優越

 雇用契約が企業のメンバーとしての地位を設定する機能しか持たない「空白の石版」となれば、それに代わって具体的な雇用労働条件を定める仕組みが必要です。日本型雇用システムにおいてこの役割を果たしてきたのが就業規則です。日本の労働法制の最大の特徴は、就業規則が雇用関係の根本的規範として位置づけられている点にあります。本来であれば雇用契約で定められるべき事項のほとんどが、就業規則に委ねられているのです。そして、雇用契約の締結は就業規則に書かれた事項を一括して合意したこととみなされ、これに基づいて労働条件や人事異動の弾力性や業務命令権の広範さが承認されるという仕組みです。次章以下で具体的に見ていくさまざまな領域の判例法理でも、それらを法規範として支えているのは個別企業が定めた就業規則の規定です。

これに対し、日本以外の社会では具体的な雇用労働条件を定めるのは個別雇用契約と労働協約です。職務や勤務場所など個人的性格の雇用条件は当然個別雇用契約で定めますが、賃金や労働時間など集団的性格の労働条件は、労働組合が使用者団体と団体交渉して締結する労働協約で定めるのが普通です。この点については、日本でも大企業では企業別組合が個別企業と団体交渉して締結する労働協約で定める例も見られます。しかも労働基準法は明確に、労働協約が就業規則に優越すると定めています。にもかかわらず、就業規則が雇用関係の根本規範といわれるのはなぜなのでしょうか。その理由は、就業規則の歴史をたどることで理解することができます。

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ベスト3に選ばれました

112483ラジオみなみ関東さんに、今年読んだ本ベスト3の一つに選んでいただきました。ありがとうございます。

http://twitter.com/radiomikan/status/283945557381234688

今年読んだ本ベスト3。①P・クルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房)②濱口桂一郎『日本の雇用と労働法』(日経文庫)③仲谷明香『非選抜アイドル』(小学館101新書)

クルーグマンと並べていただいたのは感激です。AKBの美少女と並べていただいたのはもっと感激です。

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なぜ「自分たちの若いころは上司や先輩から怒鳴られるのは当たり前」だったのか?

毎日の社説がパワハラを取り上げています。

http://mainichi.jp/opinion/news/20121226k0000m070167000c.html(パワハラ 軽く見てはいませんか)

その冒頭で、

「自分たちの若いころは上司や先輩から怒鳴られるのは当たり前、それに比べて近ごろの若い社員ときたら……」。そんな会話をよく聞く。

というオヤジ感覚から始めているのは、実はこの問題を考えるいいヒントになります。

たとえば、

この給料ドロボー!おまえなんかクビだ!

という言葉、従来の大企業に典型的な日本型雇用システムの中の正社員にとっは、それほど痛くもかゆくもなかったのです。だって、そもそも給料は個々の職務や成果の対価ではなく、会社メンバーとして長期的に貢献する(はず)ことに対する生活保障なのだから、たまたま一時期にある仕事を命じているだけの上司ごときがとやかくいえる話ではないし、そもそも上司に人事権などない。

もちろん、「人事部は見ている」ので、会社に逆らうような奴は会社ぐるみでハラスメントされるかもしれないけれど、それはまた別の話。

実質的にパワーがない上司にパワーを使ってハラスメントなんてしようがない。いやもちろん、ハラスメントはいろいろあるだろうけど、こんな馬鹿上司、どうせ数年でどちらかが配転されたらはいさよなら、と思って我慢できるし、実際我慢してたんでしょう。

逆に言うと、パワーがないからハラスメントしても大して問題だと思われていなかった、がゆえに、ハラスメントに対する問題意識もあまり発達しなかったのかもしれません。

むしろ、上司や先輩が怒鳴るのは、オンザジョブトレーニングの一環なのであって、そういうものとして当時の若手社員たちも受け取っていたのでしょう。

そういう意味では、ここにも、日本型システムのベースが維持されながら、正社員に対する成果主義によって「この給料ドロボー」という言葉に迫真さがにじみ出てきたり、非正規など立場の弱い労働者が増えることで「おまえなんかクビだ」という言葉が文字通りの意味になったりするようになってきたことが、問題の背景にあるように思われます。

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企業内労働者代表制度の展望@『JIL雑誌』1月号

New『日本労働研究雑誌』2013年1月号は「企業内労働者代表制度の展望」の特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/

提言 労働者代表制度の早急な法制化を 西谷敏(大阪市立大学名誉教授)

論文 企業内労働者代表制度の現状と課題──解題を兼ねて 竹内(奥野)寿(立教大学法学部国際ビジネス法学科准教授)

ドイツにおける企業レベルの従業員代表制度 ベルント・ヴァース(フランクフルト・ゲーテ大学法学部教授)

フランスにおける企業内従業員代表制度 シルヴェーヌ・ロロム(ジャン・モネ大学法学部教授)

イギリスにおける企業レベル被用者代表制度 ルース・デュークス(グラスゴー大学法学部上級講師)

アメリカの企業における従業員代表制度 オーリー・ローベル(サンディエゴ大学ロースクール教授)・アン・マリー・ロファソ(ウェストバージニア大学ロースクール教授)

韓国における企業レベルの従業員代表制度 李哲洙(ソウル大学ロースクール教授)・李多惠(ソウル大学ロースクール博士課程)

労使関係論からみた従業員代表制のあり方──労使コミュニケーションの経営資源性を生かす 呉学殊(JILPT主任研究員)

独仏英米韓の5論文は、今年2月に開かれたJILPT比較労働法セミナーにおける報告論文の翻訳です。

http://www.jil.go.jp/english/events_and_information/120228_report.htm

ちなみに、イギリスについてのデュークスさんの論文は私が訳しています。

ここでは、冒頭の西谷提言を。短いし、どの部分も重要なことを言っているので全文引用しておきます。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2013/01/pdf/001.pdf(労働者代表制度の早急な法制化を)

私はかつて「過半数代表と労働者代表委員会」という小論(日本労働協会雑誌356 号1989 年〉)において,現行の過半数代表制に重大な欠陥があるとして,常設の労働者代表委員会の設置を提案した。その後ほぼ四半世紀が経過したが,この間,過半数代表の機能が一層肥大化する一方,代表者の選出に関する一定の規定(労基法施行規則6 条の2)を除いて,制度改革がまったくなされていないために,事態は一層深刻化している。

第1 の問題は,過半数代表者のあり方である。労働組合の組織率の低下とともに,過半数組合が存在しない事業場が増えているが,そこでは,個々の問題ごとに従業員の意見を代表する者という法律のタテマエとは異なり,通常は一人の労働者がすべての問題に関する代表となっている。しかし,一人の労働者が,すべての問題について「代表」としての役割を果たすことが不可能なのは明らかである。過半数代表制は,少なくとも過半数組合が存在しない場合には虚構と化しているのである

第2 の問題は,この間の非正規労働者の急増(20%から35%へ)にもかかわらず,非正規労働者の声を反映させる仕組みが形成されていないことである。過半数組合が存在する場合でも,多くは正社員しか組織していない。パート就業規則を作成するのに正社員組合の意見を聴取すればよい(パート法7 条にパート代表の意見聴取に関する努力義務規定はあるが)というのは明らかに奇妙な事態である。

以上いずれの面からみても,過半数代表制はきわめて深刻な矛盾をかかえるに至っている。法律のタテマエと現実との乖離は,もはや許容しうる範囲を大きく越えているといわねばならない。そうした状態を放置することは,法令遵守の気風を一層後退させ,労働法規全体を空洞化させるおそれがあろう。

新たな労働者代表制度の確立は急務である。それは,正規・非正規労働者の意見を適切に反映しうる常設の機関でなければならない。労使委員会のような制度(労基法38 条の4 など)よりも,労働者代表から成る機関が必要であろう。

もちろんこの労働者代表機関の具体的な制度設計については,検討すべきことが無数にある。常設機関の構成,委員の選出手続,機関の役割,問題ごとに従業員の意思を機関に反映させる仕組み,等々であり,とりわけ過半数組合が存在する場合の扱いは決定的に重要である。また,この機関の運営に際しても幾多の問題が生じるであろう。しかし,今何よりも必要なのは,現行制度の矛盾が放置できないほどに深刻化しているという事実をふまえて,新たな制度の創設に向けて合意形成を急ぐことである。完全な制度をつくろうとするのではなく,合意できた内容から制度化を進めていくという姿勢が必要であろう。

こうした常設機関のためには,費用負担を含む使用者の援助が必要になるが,使用者はそれを理由として制度化に反対すべきではあるまい。過半数代表制の機能は多様化したとはいえ,依然として最も重要なのは労基法等による原則的基準を緩和するための手続である。その手続が機能不全に陥っているとすれば,規制緩和の正当な根拠が失われ,法は原則的規制に戻らざるをえなくなる。

使用者が現行法程度の規制の緩和を望むのであれば,そのための手続を実効あるものとする制度の創設に協力するのは当然というべきである。また,過半数代表のその他の役割についても,過半数代表の形骸化は法目的に反する事態をもたらしていることになり,これを放置することは許されないであろう。

いずれにしても,新たな制度によって,非正規労働者を含む従業員の意思が企業の諸決定によりよく反映されるとすれば,それは従業員との意思疎通を重視する合理的な経営者にとっても望ましいことといえるのではなかろうか。

ちなみに、この問題についての私の書いたものは、ここに集めてあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jroushi.html

http://homepage3.nifty.com/hamachan/euroushi.html

(追記)

201212なお、上記JILPT比較労働法セミナーの様子については、『ビジネス・レーバー・トレンド』の12月号により簡略版の紹介が載っており、ちょうどこれがアップされたところですので、併せてリンクを張っておきます。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2012/12/index.htm

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2012/12/002-013.pdf(従業員代表システムの課題と展望――諸外国と日本の現状)

日本 竹内(奥野)寿 立教大学法学部准教授
ドイツ Bernd Waas フランクフルト・ゲーテ大学法学部教授
フランス Sylvaine Laulom ジャン・モネ大学法学部教授
スウェーデン Jenny Julen Votinius ルンド大学法学部准教授
イギリス Ruth Dukes グラスゴー大学法学部上級講師
韓国 Cheol SooLee ソウル大学ロースクール教授
  IdaD.Lee ソウル大学ロースクール博士課程
台湾 Chin-Chin Cheng 国立中正大学法学部教授
中国 Shangyuan Zheng 清華大学法学部教授
アメリカ Orly Lobel サンディエゴ大学ロースクール教授
  Anne MarieLofaso ウェストヴァージニア大学ロースクール教授
オーストラリア Anthony Forsyth RMIT大学経営・法学大学院准教授

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さあ、みんなで濱口桂一郎を粉砕しよう!

濱口桂一郎って、とんでもない悪い奴ですねえ。

http://twitter.com/yoniumuhibi/status/283122128201609216

本田由紀とか湯浅誠とか、その亜流の連中が、そもそも正規労働を日本型雇用だと言ってバッシングし、正規雇用を非正規雇用の待遇に合わせる濱口桂一郎的な悪平準化を唱導している時代だからね。左派が自ら労働基準法の権利を破壊している。雇用の改善は純経済的論理では決まらない。政治で決まる問題。

http://twitter.com/yoniumuhibi/status/283365747839889409

日本の労働者の権利は労働基準法が保障している。労働基準法は1本なのに、正規労働者と非正規労働者の権利の中身は全く違う。それがおかしいことだ。労働基準法の「労働者」はどっちなんだよということ。濱口桂一郎らは権利も賃金も非正規を標準にしようとしていて、本田由紀らはそれに合わせている。

本当に許しがたい奴らだ・・・。

一点だけご本人の名誉のために言っとくと、本田さんは別に濱口ごときに合わせているんじゃなくて、自分の信念で言ってるだけだと思いますけど。

あまりにも的を射た批判ぶりに、思わずかつて某方面から同じような批判をいただいたことがデジャビュとしてよみがえりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-7343-1.html(「連合」御用学者濱口桂一郎の「労働法改革」の反動性)

革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派の機関紙『解放』の6月7日号におきまして、遂にわたくし個人が(正村公宏先生や宮本太郎先生の付け合わせではなく)正面から批判されるという栄誉をいただきました。大変ありがたいことであり、心から感謝申し上げます。

ちなみに昨日の講演会の後の懇親会で、木下武男先生が「わたしも革マル派の機関紙で全面的に批判されましたよ」とおっしゃっておられました。尊敬する先生方と並べて批判されることほど嬉しいことはありません。

この「御用学者」がどんなにひどいことを言っているかというとですね、

・・・このような濱口の主張は、”正規雇用労働者による既得権益へのしがみつき”を非難する八代尚宏らバリバリの新自由主義イデオローグと同様の論法であり、「非正規雇用労働者の均衡待遇」の要求を逆手にとって正規雇用労働者の労働諸条件の引下げを正当化しようと企む独占資本家どもの労務施策に呼応するものに他ならない。

・・・例え「非正規労働者の保護」を名分としているとしても、「実態に見合った法的構成」という基本的考え方に立つ限り、濱口の改革案は、しょせんは資本家どもの経営・労務施策に適合的な法制度への改革を基礎づけるものにすぎないのだ。

・・・「連合」労働貴族どものこの企みを打ち砕くために、濱口のような御用学者どもの「提言」の反労働者的本質をも徹底的に暴き出し粉砕するのでなければならない。

さあ、みんなで濱口桂一郎を粉砕しよう!

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-d85a.html(革マル派機関紙『解放』で糾弾されたようです)

かつて、革マル派機関紙で正村公宏先生と並べて糾弾されるという栄誉を頂いたことがありますが、

http://www.jrcl.org/liber/l1704.htm(『解放』第1704号 (2002年2月4日))

今回は、宮本太郎先生、神野直彦先生と並べて糾弾されるという大変な名誉を頂きました。わたくしのような者を両先生と並べていただいた革マル派の方々に、心から感謝申し上げる次第です。

http://www.jrcl.org/liber/l-new.htm(『解放』第2120号2010年5月24日)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-f493.html(革マル派機関紙の連合批判)

・・・・・ふぅ、よくこれだけ次から次へと悪口雑言罵詈讒謗が繰り出せるものだと思いますが、まあそれは職業柄なのでしょう。むしろ、ここで言われていることは、価値判断の方向性はともかく、認識としてはおおむね正しいと言っていいと思われます。

まさに同一労働同一賃金に向けて賃金における「年功的要素」「家族扶養的要素」を薄めていこうとすれば、それを補填する公的な社会手当が不可欠になるわけで、革マル派的形容詞を取り除けば、上で言われていることは要するにそういうことであるわけです。

むしろ、革マル派の皆さまは断固として「年功的要素」「家族扶養的要素」を堅持し、同一労働同一賃金は断固として拒否するという考え方であることがよく分かり、大変勉強になります。

http://twitter.com/yoniumuhibi/status/283370565480378368

年功賃金も同じだ。子どもの教育費が要るんだよ。大学行かせるのにどれくらいかかると思っている? 親に大学行かせてもらったスネかじりのくせに、年功賃金批判ってのはどういう了見だ。住宅ローンの支払いもある。こんな話は3年前にNHKで散々やった。教育費や住宅費の無視は妄想なんだよ。

(ついでに)

ところで、POSSE諸君は、革マルの手先のくせに(笑)、こんなとんでもない反革命野郎とつるんでいてはいけませんねえ。真っ先に怒りの鉄槌を振り下ろさなくては・・・。

http://twitter.com/npoposse2/status/283220592776339457(革マル派団体NPO法人POSSEに注意!)

【雇用】解雇規制の緩和(労働市場の流動化)  解雇規制緩和と若者の雇用  専門家の意見はほぼ一致している。

どこかのイナゴさんが沸いているようです。

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日本型システムをベースに自己責任をぶちこむとブラックになる

これは、まさになるほど。

http://anond.hatelabo.jp/20121224144304

えーと、俺がUNIQLOを辞めようって思ったのはこれです。個人的にはこれが一番堪えられなかった。

会社の経営方針として「全員経営」ってのがあって、これは柳井の口癖でもあるんですけど、要するに全員が経営者の自覚をもって、もっと利益や売上にコミットしましょうってことなんだけど、それがどう転じてか、「責任は個人がとる。」ってことになって、それがさらにこじれて、「担当者(末端社員)が責任をとる。」ってのがUNIQLOのやり方。

いや、昔ながらの日本的経営でも、まさに係員島耕作があたかも社長島耕作になったような気持ちでやれ!というカルチャーであったわけで、まさに「全員が経営者の自覚をもって」「全員経営」が掲げられていたわけですね。

ただし、それは集団主義的カルチャーの中で、責任は個人が取るものじゃない、というか、少なくとも末端の平社員が取るようなものではないというバランス感覚のなかで、「若いモンが元気よく取り組んでいけるように」というパターナリズムと組み合わされて存在していたわけでしょう。

それが嫌な人にとっては嫌であるにせよ、それはそれなりにバランスの取れた持続可能な仕組みであったことも確かなのでしょう。

しかし、そういう「日本的な生ぬるさ」が諸悪の根源という「改革の志溢れる志士」にとっては、「全員が経営者の自覚をもって」「全員経営」という日本型システムをまったくそのままにして、その上にまったくそれと矛盾するはずの「担当者(末端社員)が責任をとる」ってのが載っかってくるわけですね。

ただ柳井はそういうのがもともと嫌だったんだろうね。あの人は経営に関しては完璧主義で潔癖症だから、そういう「大企業病みたいなものを排除しないと」っていうパラノイアみたいなもんにとりつかれていった。会議でも度々そういうことを口にするようになっていたし、社内にもピリピリした空気が漂うようになってきてた。

それは堪らないでしょうね。

このあたり、『POSSE』17号の今野さんとの対談でも、

・・・その手の議論でイメージされているのは欧米のエリート労働者層です。確かに彼らは猛烈な働き方を自発的にしているだろうし、極めて裁量的に働いているでしょう。でも、それに対応した極めて高い処遇を受けているわけだし、当然のことながら、みんなにそんなものを要求するなんてことはしていません。その限りで、それは釣り合いが取れています。エリートというのはまさにそういうものなんですね。

釣り合いが取れている一部のエリートのあり方を、あたかも全体の姿であるかのごとく、欧米のサラリーマンはこうなんだと持ち出すと、課長になれる3割にどうやって入るんだという脅しのロジックになります。結局、いままでの日本型システムはダメなんだという議論が、一見日本型システムを否定するように見えて、実は日本型システムの根幹の部分を維持することによって、かえってブラック企業現象を増幅している。そこのところをきちんと批判しないといけないと思いますね。

と述べているところです。

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ジョブカードはすでに復活しているのだが、むしろ頭痛はそれを攻撃して喜ぶ人々の群れ・・・

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121223/stt12122322550011-n1.htm(自民・安倍総裁「ジョブカード復活したい」)

自民党の安倍晋三総裁は23日のフジテレビ番組で、フリーターの正社員登用を促進する「ジョブカード制度」について「あれは非常に良かったので復活していきたい」と述べた。ジョブカードは求職者の職業訓練歴や評価などを記したもので、平成20年から本格運用されていたが、民主党政権が22年の事業仕分けで廃止方針を打ち出した。

いえ、有り難いお言葉ですが、ジョブカードはすでに復活しております。

ただ、むしろ頭が痛いのは、この記事に訳も分からず攻撃して喜ぶこういう人々の群れでしょう。

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/121223/stt12122322550011-n1.htm

民主党政権の目玉商品として宣伝された「事業仕分け」が、どういう思想に基づいてどういう政策を攻撃したのかを、『日本労働研究雑誌』9月号に載せた「雇用ミスマッチと法政策」ではこのように解説しております。ご参考までに。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/mismatch.html

・・・このような状況下で進められる国のミスマッチ解消策は、基本的にはジョブ型社会を前提とした世界共通の労働市場政策に立脚しながらも、それを日本社会の現実と折り合わせようとして、極めてアンビバレンツな性格を濃厚に示すこととなる。その典型が一見西欧モデルの半世紀ぶりの導入であるかのように見える日本版デュアルシステムであり、近年数奇な運命をたどってきたジョブカード制度である。

政府が2004年度から開始した日本版デュアルシステムとは、若年失業者やフリーターなどを対象に、教育訓練機関における座学(Off-JT)と企業における実習及びOJTを組み合わせた新たな人材養成システムとされている。そのもとになったドイツなどのデュアルシステムとは、高校、大学レベルにおいてパートタイムの学習と企業におけるパートタイムの就労を週数日ずつ組み合わせ、新規学卒者が特定の職業技能を身につけた状態でスムーズに就職できるようにする仕組みであるが、「日本版」はそのようなものではない。厚生労働省版のデュアルシステムは、訓練機関が若年訓練生の実習を企業に委託するタイプと、企業が有期パート労働者として雇った若年者のOff-JTを訓練機関に委託するタイプである。そして文部科学省版のデュアルシステムとは、専門高校において年20日程度企業実習を行うというもので、せいぜい職場体験に毛が生えた程度のものに過ぎない。

一方2008年度から開始されたジョブカード制度は、企業現場や教育機関で実践的な職業訓練を受け、修了証を得て、就職活動などに活用する制度であり、社会全体で通用するものを志向している。それは、理念としては企業を超えたジョブ型外部労働市場で客観的に通用するある種の技能認証システムとしての性格を持ちながらも、現実の日本社会においては「一定期間、企業においてちゃんと働き、仕事を覚えることができた」という「人間力」の証明としての意味を併せ持たされた制度であった。そして、ジョブ型の理念は理念として、現実のジョブカードがそれなりに有効に活用され、評価されたのも、その文脈においてであった。

ジョブ型理念は、2009年の新成長戦略において「日本版NVQ(全国職業能力評価制度)」が打ち出されるに至って頂点に達する。しかしこれを受けてその後実際に官邸のタスクフォースで行われたキャリア段位制度の設計は、現実の日本社会をトータルに相手にするのではなく、介護、環境といった周辺的で日本型システムに組み込まれてこなかった分野を中心に進められた。これもまた、ジョブ型理念と日本の現実とを接合する試みの一つといえよう。

しかしながら、このような疑似ジョブ型の仕組みであっても、メンバーシップ型思想にどっぷりつかった人々の目には、何ら意味のない無駄な試みと見えたようである。民主党政権の目玉商品として宣伝されたいわゆる「事業仕分け」の一環として、2010年10月にジョブカード制度が廃止と判定されてしまったことはなお記憶に新しい。これに対して各方面から批判が集まり、官邸の雇用戦略対話において見直しつつ制度を推進するとされ、現在に至っているが、つい最近2012年6月には内閣府の事業仕分けで今度はキャリア段位が廃止と判定された。

こうしたジョブ型労働政策への著しい低評価は、終戦直後からの職務分析にも及んだ。上記2010年10月の事業仕分けでは、労働政策研究・研修機構のキャリアマトリックスもあっさり廃止と判定されたのである。

事業仕分けに関わるような人々は大企業正社員型のメンバーシップの中で育てられてきた人が多いであろうから、自分や自分周辺の素朴な発想で仕分けをすればこういう結論になることは不思議ではない。とはいえ、これらジョブ型施策を止めれば、メンバーシップ型モデルが拡大してミスマッチが解消されるというような社会ビジョンに基づいて仕分けたわけでもなさそうである。

むしろ社会全体としては、グローバル競争の中で企業も今までのような生ぬるいやり方ではなく、少数精鋭でいかなければならないというような考え方が強調される一方で、そこからこぼれ落ちる人々のための外部労働市場型の仕組みにはなぜかメンバーシップ的感覚から批判が集中するという矛盾した現象の中に、現在日本の姿が凝縮的に現れているのかも知れない

一方でジョブ型の雇用政策を進めながら、もう一方でそれを叩き潰しに走った民主党政権は、要するに自分が何をやろうとしているかすらきちんと理解していなかったのかも知れません。

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常見陽平さんの来年の「計」

常見陽平さんが、来年の「計」をつぶやいています。

http://twitter.com/yoheitsunemi/status/282833053611618305

何をやるかよりも、誰とやるか、どうやるかが、現状の新卒就活で必要なこと。来年は、ジョブ型採用、メンバーシップ型採用と、ノンエリート論を本格的に研究します。あと、所謂社畜の変遷も。むしろ、それを専攻にしろという説もありますが、本題ではさらに。

これを裏から言うと、「管理職」の変遷を考察することにもなりそうな。今の日本の、管理するよりもずっと多く管理されている管理職って存在の。そして、そもそも管理職と被管理職がずるずると連続的につながっている正社員というありようと。

それが管理職ユニオンだとか、エグゼンプトをめぐる訳の分からない混乱だとかの原因になっているわけでもあり。

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拍子抜けしないで読んでね

112050118ツイートで、こんな風に言われていましたが、

http://twitter.com/tdswordsworks/status/282808208869961728

『日本の雇用終了』。「日本の雇用」はもう滅亡するのだと危機感を煽ったタイトルかと思いきや、「雇用終了」の事例を扱う学術書だったので拍子抜け(笑)⇒ (一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です)

いや、「日本の雇用」(が)「終了」じゃなくって、「日本の」「雇用終了」ですから。

学術書といえばそうですが、生々しい事例がこれでもかこれでもかとてんこもりで、へたな小説を読むよりずっと面白いことは保証します。

ちなみに、いまは「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定」ではなくって、ちゃんとamazonにも在庫がありますので、安心してご注文下さい。

http://www.amazon.co.jp/日本の雇用終了労働局あっせん事例から-JILPT第2期プロジェクト研究シリーズ-労働政策研究研修機構/dp/4538500046/ref=zg_bs_505404_2

ネット上の書評はここにまとめてあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jilptbookreview.htm

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左翼が「成長」なんて主張したことはない だって!?

いや、赤木智弘さんのような80年代以降のリベサヨしか目にしていない世代の人がこういうのなら、まだ許せるけど・・・。

http://twitter.com/ikedanob/status/282463759841243136

左翼が「成長」なんて主張したことはない。思い込みで適当なこというな。 RT 元々左翼(革新)は科学主義で成長主義だったのにね。。RT : 左翼がなぜ失敗したのか,左翼政党や左翼思想家が成長政策と安定化政策という論点を捨てた時点で命運は

この3法則で有名な池田信夫氏、少なくともご自分のいうところでは、紛争直後の東大で社会科学研究会の部長をやっていたはずなので、そのあまりのあまりぶりに、頭がくらくらします。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-44b0.html(若き日の池田信夫氏)

私の学生時代にも、私が部長だったサークル(社会科学研究会)で、革マルのメンバーが内ゲバで4人も殺された。念のためいっておくと、社研は(東大教授の)吉川洋氏も部長をつとめたアカデミックなサークルで、私自身も党派と無関係だったが、当時は革マルが駒場を拠点にしていたため、中核と革労協にねらわれたのだ。

(追記)

ちなみに、左翼「思想」しか興味がなさそうな東さんの議論とは別に、現実世界の左派の政策という意味で、欧州社会党や欧州労連の政策をいくつか:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-5bad.html(「成長」は左派のスローガンなんだが・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-211d.html(「成長」は労組のスローガンなんだし)

80年代以降日本で異様に繁殖したリベサヨという奇妙な思想が、諸外国の左派と言葉が通じない自分を左翼だと思いこんでいる人々を作り出したわけですね。

(こちらも)

http://twitter.com/iida_yasuyuki/status/282405976877961217

今こそ経済成長+弱者への分配って組み合わせの政党とか受けると思うんですけどね 

いや、「今こそ」って、今だって世界中どこでも(日本を除いて)左派ってのはそういうもんなんだけど。

この人も赤木さんと同じで、80年代以降のリベサヨしか知らないんだなあ。思想の歴史的国際的パースペクティブの欠落。

(ついでに)

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20121224/p1(扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part93)

赤木智弘はともかく、飯田センセなんてクルーグマンを読みつてるだろうから、一般的にはそれは左の政策だって知らないはずないんだよなあ。。。

だから、日本でもまともな左派政党を作れ、社民主義政党を作れって話になるならわかるんだけど、この先生の場合そうじゃないんでしょ、きっと。池信先生もそこのねじれを解消しようという話にしそうにないという点で同じだ。

この現状だから、いくら小選挙区制で二大政党制をやりましょうと言ったってうまくいかないに決まってるんだけど。

クルーグマンいっぱい読んでるまっとうなリフレ派ですら、近視眼的特殊日本的サヨク観から逃れられないというこの宿痾ですかな。

(もひとつ)

「ケインジアン社民主義のバカ左翼で心情保守派」と自称される「sumiyoshi_49」さん曰く:

http://twitter.com/sumiyoshi_49/status/283011854291329025

自分にとって左派政党の失敗は、「成長」を捨ていたことではなく「雇用」を軽視したこと。日本の雇用が劣悪化しているという情報は普通に手に入るようになったのに、左派勢力は相変わらず「脱原発」ばかり。要するに、雇用問題の扱い方がわかっている人が、左派勢力にもの凄く少ない。

http://twitter.com/sumiyoshi_49/status/283013152185126913

自分自身は、ブラック企業家たちも振り回す「成長」という言葉を、文脈抜きで使うことにはやはり躊躇がある。「経済成長を重要性を知らないバカ左翼」みたいな言い方で無意味に誤解や反感を拡散させるより、「経済成長」を「雇用の充実」などと言い直していくべきだと思う。

確かに、まっとうなリフレ派じゃない「りふれは」の手合いの言う「成長」は、社会全体のブラック企業化を狙っているとしか思えないようなニュアンスがぷんぷん漂ったりしてますからね。

でも、そういう「りふれは」風インチキ「成長」が嫌だからといって、反成長論になだれ込んでみたって、いいことは一つもないわけです。

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サービス残業とコンプライアンス

経営法曹会議より『経営法曹』175号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

今号の特集は、中山慈夫、加茂善仁、中町誠、伊藤昌毅、石井妙子という経営法曹最強メンバーによる座談会「労働契約法改正 施行通達を斬る」で、いやぁ斬ってます・・・、が、そっちではなく、今日は巻頭言の方を紹介しておきます。

今号の巻頭言は奥村[米又]軌さんによる「サービス残業とコンプライアンス」です。

・・・それは、私の講演の際のアンケート結果などを見ると、[部下に対して、俺より先に帰るなというような意味のことを言ったり、態度に出したりする上司がいる」とか「フレックス勤務制なのに、『こんなに遅い時間に来て、なんだ』というようなことを言う上司がいる」とか「残業時間が多いと、上司から嫌みを言われる」といった職場風土の問題を指摘する回答や、「管理職に労働時間管理という意思がなく、サービス残業を見て見ぬふりをしている」とか「管理者が『長時間労働をすることが美しい』という前近代的価値観を持っていて、残業問題に目を向けようとしない」とか「労働時間管理のシステムは確立されているが、現実には勤務時間のチェックがされていない」といった管理者の労働時間管理についての問題を指摘する回答が散見されるからである。

・・・私は、サービス残業を「未払い残業代」の問題であると考えるのでは不十分で、コンプライアンスの観点から、より重要な問題と考える必要があると思っている。それは、残業問題が従業員にとってもっとも関心のある身近なコンプライアンス関連事項であるからである。サービス残業が放置されているようであれば、企業が「コンプライアンス・マニュアル」を制定し、コンプライアンス体制を構築し、経営陣がいくら「コンプライアンス」ということを口にしても、従業員にしてみれば、「コンプライアンスなんて、結局、口だけだ。何か問題指摘をしても、自分だけが不利な扱いを受けるだけだ」と考えるだろうことは明らかで、これでは従業員にコンプライアンスが育つはずがないからである。・・・

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国等による男女共同参画事業者からの物品等の調達の特例等に関する法律案

先日、自由民主党の政権公約(雇用・労働)を一瞥しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-6b0c.html(自由民主党公約(雇用・労働関係))

そこに、

57 女性力の発揮によるいい国づくり

というのがあって、具体的に何をするのだろうと思っていましたら、こういうことであったようです。産経新聞から。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121222/fnc12122212580000-n1.htm(自民、女性力活用で特例法案提出へ 積極登用の企業 備品、資材優先発注)

女性幹部の登用や雇用に積極的に取り組む企業を支援するため、自民党は21日、対象企業から国が優先的に備品、資材などの物品やサービスを購入する特例法案を来年1月召集の通常国会に提出する方針を固めた。企業を制度面から優遇して「女性力」の活用を促し、経済活性化につなげる。政策誘導のため、補助金や税の減免などで優遇する例はあるが、こうした支援措置はめずらしい。

法案は通称、ダイバーシティ(多様性)促進購入法案と呼ばれ、正式名称は「国等による男女共同参画事業者からの物品等の調達の特例等に関する法律案」。

自民党は先の衆院選公約で、「平成32年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする目標を確実に達成する」と明記しており、公約実現に向けた取り組みの第1弾になる。

法案は女性の役員や管理職の割合、出産と育児への取り組み度合いなどを基準に、首相が優れた企業を「男女共同参画事業者」に認定する。

さらに、認定企業の受注機会が増えるよう、国や独立行政法人、特殊法人が優先的にコピー用紙や事務用品の調達、また、集配、清掃、調査などの委託を行い、実績を公表するという内容だ。

調達やサービスの総額は年間で4兆~5兆円規模があり、企業側には、入札などに必要な最低限の技術や品質を求める。

内閣府の男女共同参画会議の試算では、女性が出産後に退職してしまう場合、新たな社員の採用や教育が必要になり、出産後に復帰して勤務を続けるよりも企業のコスト負担は増える。

また、女性の就業希望者(約342万人)が全員就業できたとすると、報酬総額は約7兆円に上り、消費などに回る結果、実質国内総生産(GDP)を1・5%増加させるという。

安倍晋三総裁は、新政権でデフレ脱却を最優先課題に据え、金融政策や弾力的な経済財政運営とともに、「女性力」を活用して成長力を高めたい考えだ。

自民党、センスは悪くない。少なくともどこかの商社の社長よりは。

http://president.jp/articles/-/8136(「イクメン、弁当男子」は、なぜ出世できないか)

(追記)

ちなみに、ねとうよ諸氏は逆上しているようです(笑)。

http://www.tokuteishimasuta.com/archives/6823144.html(安倍 「民間企業に女を優遇させる法案を直ちに提出する。これで経済回復だ!」:特定しますたm9(`・ω・´))

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「通常の労働者」から「普通の労働者」へ

Hyoshi17というわけで、今日のエントリに深く関わる『POSSE』17号の私と今野さんの対談の関係部分を、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/posse17-8822.html(『POSSE』17号)

「ブラック企業を正しく批判せよ!」
濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

ブラック企業言説は間違いだらけ? その根源は70年前の労働運動にあった

濱口:これはおそらく労働にかかわるいろんな人たちにとって、ややタブーに触れる議論になるんですが、ここに触れないと絶対にブラック企業の問題が解決しないと思っていることがあります。それは、エリート論をエリート論としてきちんと立てろということなんです。つまり、日本では、本当は一部のエリートだけに適用されるべき、エリートだけに正当性のあるロジックを、本来はそこには含まれない、広範な労働者全員に及ぼしています。

そもそもどんな企業であれ、組織であれ、中枢部にはエリートがいるということです。逆にいうと、多くの人はエリートではないんです。ところがここのところが一番議論に抜けているところなんですね。

まず、本来のエリートは、労働条件だけとれば、ものすごくハードで、そう呼びたければブラックな働き方です。ブラックになるような働き方をあえて自ら選び、かつそれを十分補うような高い処遇を受けている人のことを、エリートといいます。

次に、日本的正社員は、そうしたエリートまがいのハードな働き方をしつつ、それに応じた処遇を少なくともその時点では到底受けていません。だから、その時点ですぱっと切ってしまうと、どうみてもブラックにしか見えません。でも、その職業人生の先の方まで含めて主観的に考えれば、定年までの雇用保障と年功制による高い処遇と釣り合いがとれているのでブラックでないのが日本的正社員でした。

そして、日本型正社員であるかのような顔をさせつつ、実はその先の保障がなく、退職に追い込まれて、しかも本人が悪いと思い込まされているのが、現代の正真正銘のブラック企業の労働者です。三つに分類して整理するとこんなところです。

日本の法律では「正社員」のことを「通常の労働者」と呼んでいます。パート法8条1項に裏側から規定されているように、日本の「正社員」とは「当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が・・・…変更すると見込まれるもの」です。しかし、職務や配置が変わるのがデフォルトというのは、欧米では「通常の労働者」じゃありません。

重要なのは、日本の「通常の労働者」を欧米社会的な意味での「普通の労働者」に、変えていくことです。ただいきなりそうもできないので、そこに向けてどうしていくかです。

そこであえて私は、有期雇用のまま5年経つと無期契約に転換するという、今回の労働契約法の改正に意味があると主張しています。もちろん、5年経つ直前に雇止めされるだろうという批判はありますが、それは一応抜きにして言います。この改正では、有期雇用から無期になるだけで、待遇が正社員になるわけではなく、有期のときと労働条件は同一であるとわざわざ明記しています。そのことを差別だと言ってはいけません。これは日本の「正社員」とは異なる無期契約労働者になるということ、つまり日本でも欧米型の「普通の労働者」が誕生するということです。ここから一歩進めて、有期雇用で5年待たずとも、最初から「普通の労働者」をつくろうという方向に向かえばいいのではないかと考えています。


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「企業戦士」と「社畜」の異同

「就活生に甘える社会人」というブログに、常見陽平さんの発言を取り上げて、

http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-358.html(「社畜」と「企業戦士」という概念をきちんと区別するべきではないか)

常見さんは自らを「真性社畜だった」と言っているけれど、これは正しくは「企業戦士」と言うのが適切なのではないかと思った。

・・・そして、「社畜」と「企業戦士」という概念はきちんと区別しておくべきではないかと考える。

・・・それにしても、確か常見さんは先日BSのプライムニュースという番組で「ブラック企業撲滅!」と言っていた気がするのだけど、それだったら「会社員」を擁護することはともかく「社畜をバカにするな」と言ってしまうのはさすがにおかしいのでは・・・。やっぱり、この人は訳が分からない。

と述べられていました。常見さんが訳が分かるか分からないかは常見さん自身が言うべきことですが、この「社畜」と「企業戦士」は、確かに違うのですが、しかし根っこのところでつながっている面もあるので、そう簡単にはいかないのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-a6c6.html(従業員目線+経営者目線=社畜)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b130.html(社畜とフツーの労働者の間)

世界中どこでも、単なる歯車は24時間戦ったりしません。それは経営者やエリート労働者の仕事です。歯車は歯車らしく、歯車としての責任を、それだけを果たす。

世界中どこでも、経営者やエリート労働者は猛烈なワーカホリックです。ワークライフバランスなんてのは、歯車の歯車のための概念です。

そういう非歯車性を歯車たる労働者に要求するという点に、日本語の「社畜」という言葉の複雑怪奇なニュアンスが込められているのでしょう。

本来エリート仕様の「企業戦士」を下っ端のノンエリートに要求すると日本独特の「社畜」になるわけで、確かに区別しなければならないのだけれども、行動様式だけでは区別しにくいのですね。

そして、エリートかどうかは、その一時点でどれくらい偉いかではなく、定年までの長期雇用の中で将来上位の地位に昇進する可能性が高いということが仮想的エリート性を確証するという形で共同主観的に認識されていたがゆえに、伝統的な日本的経営では「社畜」を「企業戦士」と呼ぶことが必ずしも不自然ではなかったのです。

「24時間戦えますか?」とリゲインを呑みながら「企業戦士」を演ずる客観的にはただの若い「社畜」っぽい時任三郎が「企業戦士」ぶっていられた所以でもあります。

その可能性が縮小してきたにもかかわらず、あるいはむしろ可能性が乏しいことをあらかじめ想定しているにもかかわらず、「お前は輝ける企業戦士だ」といって「社畜」的行動様式を要求すると、それが「ブラック企業」になるわけですね。

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研究者は職務無限定なのか?

依然として、改正労働契約法による有期契約の無期転換について、雇用システム論的省察の薄い議論が行われているようです。

http://ryosukenishida.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html(改正労働契約法が博士院生・若手研究者に及ぼす(少なくない)影響)

ざっとそろばんを弾いて10万人単位で存在すると思われる、任期付きや非正規ではたらく若手研究者すべてを、既存の大学が無期で雇用することはどう考えても難しいのが現状だ。そのなかでPDやTA、SA,非常勤講師、任期付きはまったくベストの解とはいえない一方で、ぎりぎりセーフティネットの機能を果たしてきたこともまた事実だ。

これは本ブログの読者にとっては今更的な当たり前の話ですが、雇用契約が「無期」であるというのは、文字通り「期間の定めがない」というだけのことであり、それ以上の何事をも意味しません。

ところが、世の中の圧倒的に多くの人にとっては、この「無期」が脳内で自動的に日本型雇用システムにおけるメンバーシップを付与された「正社員」に転換されてしまうようなのです。

まあ、いままで「正社員」じゃない「無期契約労働者」ってのがほとんど存在しなかったから仕方がないとも言えますが、これをごっちゃにするために、「正社員」にできないから「有期」にするしかない、というおかしな事態が世の中に蔓延してきたわけです。

復習になりますが、世間で言う「正社員」とは、実定労働法ではパート法8条1項の「通常の労働者」であり、単に「無期」であるだけではそれに当たらず、「当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が・・・変更すると見込まれるもの」です。

私の本では、これを職務も勤務場所も無限定で、契約が「空白の石版」であるものと表現しました。それ故に、つまり中身が無限定であるがゆえに、たまたまあるときにやっている仕事が無くなっても、別の仕事に移すことが完全に可能であるがゆえに、「仕事が無くなったからクビね」という万国共通の一番自然な解雇理由が通用しないわけです。

ここまで復習して、改めて上で問題になっている若手研究者というのは、職務無限定なのか?という一番基本的な問いを発してみる必要があります。

会社がある限り、言われたことはどんな仕事でもやりますという約束で「正社員」になった人と同じなんですか?と。

実は、そこのところの議論が全然されないまま、なんとなくメンバーシップ型「正社員」モデルを前提にして議論がされるから、わけが分からない事になるのではないでしょうか。

では、せっかく無期になっても「仕事が無くなったらクビね」のジョブ型では意味が無いじゃないか、とお考えですか?

いやいや、「有期」の問題点は、仕事は無くならなくても、ボスのいうことを聞かないような奴は次の期間満了時に更新してやらないぞ、という脅しをかけることで無限定の権力を行使できてしまうという点にこそあります。

そのあたり、むしろ現実に「有期」で働いている人の方がよく分かるのではないでしょうか。

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「非正規雇用労働者の能力開発抜本強化に関する検討会」報告書

ずいぶん長たらしいタイトルの検討会ですが、昨日ようやく公表されました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002rlop.html

獨協大学の阿部正浩さんが座長ですが、JILPTの小野晶子さんもメンバーに入っています。

プレス資料に報告書のポイントがまとめられていますので、まずそれを見ましょう。

<基本的な視点>
○ 正規・非正規という雇用形態にかかわらず、将来に夢や希望を持ちながら安心して生活を送れるような収入を確保できるよう、能力開発機会を提供し、キャリアアップを支援(特にフリーター等不本意非正規に焦点)
○ 能力開発の主体については、個人がその取組の中心となるが、個人任せでは限界があるため、非正規雇用の労働者を「人財」として、企業、業界団体、公的部門等社会全体で育成していくことが不可欠。
○ 能力開発後の処遇やキャリアパスなど「将来像」を「見える化」、労働者一人ひとりに施策が「届く」よう積極的に情報発信、身近な地域での能力開発の提供等

<施策の方向性>
~産業政策や教育政策と連携し、政府一丸となって強力に取組を推進~
1.フリーター等不本意非正規の増加の防止
・雇用・就業志向の積極的な教育政策 (職業人としての自覚等に関するキャリア教育の充実等)
・初期キャリア形成支援(早期離職防止、劣悪な雇用管理の企業の指導)

2.複線的なキャリアアップの道の確保、労働者の選択に応じた能力開発機会の確保
 (正規雇用への転換)
  ・即戦力重視型訓練と人間力養成型訓練の開発・実施
・地域コンソーシアムによる身近な場での訓練実施

(企業内でのキャリアアップ)
・統合型雇用管理の普及、企業によるキャリアアップに向けた取組への包括的支援

(企業の枠を超えたキャリアアップ)
・専門職型キャリアシステムの構築(スキルポータビリティ化に向けた資格・検定制度の再構築、キャリアアップ型派遣モデルの推進)

★ 上記の選択肢を個人が主体的に選べるよう、キャリアサポート環境を整備(キャリア・コンサルタント等の人材育成・配置等)

3.労働者の能力の労働市場での適切な評価、相応の処遇確保のための環境整備
・実用的な職業能力評価ツールの整備(ジョブ・カードや職業能力評価基準の活用に向けた見直し、スキルポータビリティ化に向けた資格・検定制度の再構築)

→こうした方向性を踏まえ、今後、具体的な取組を強力に推進し、「好循環型社会」を実現 (労働者派遣制度や雇用保険制度の見直しが行われる場合には、こうした観点から取組を強化)

本文はこちらです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002rlop-att/2r9852000002rmfn.pdf

基本的な視点のところもなかなか深みのある表現がならんでいますが、ここではおそらく中心論点であろう「正規雇用への転換」のところから、

イ 他方で、転職による正規雇用への転換を目指す場合には、各企業での訓練機会の提供は望めないため、特に個人による自発的な取組への支援の強化や公的部門による訓練の拡充が不可欠である。その際は、これまで一定の就業経験を有する労働者が離職した場合を想定した訓練が中心となっていた公共職業訓練について、非正規雇用の労働者の特性に配慮し、正規雇用としての就職につながる能力を十分に養えるようなものとなるよう必要な見直しを行っていくことが重要である。

ウ この点、企業が正規雇用の労働者を中途で採用する場合には、即戦力となるスキルを有していることを求める一方で、コミュニケーション能力、判断力、対応力や、責任感、成長志向、共通の目的達成に向け協同して働く意欲など、社会人としての基礎的な能力や職業意識も強く求める傾向がある。こうした企業ニーズを踏まえつつ、労働者の態様に応じて、安定的な雇用に真につながるような充実した能力開発機会を、雇用保険の受給者だけでなく、全ての労働者に提供していくことが必要である。(即戦力重視型訓練と人間力養成型訓練の開発・実施)

エ さらに、身近な地域で、必要な訓練を受けることができるよう、地域の能力開発の拠点として、コンソーシアム方式で、地域の公共職業訓練機関、大学等教育機関を活用して、経済団体等と連携・協力しながら、地域や社会全体の人材ニーズを踏まえた能力開発機会を身近な場で提供していくことが必要である。(地域コンソーシアムによる訓練実施)

オ 上記の視点を踏まえ、具体的な施策としては、即戦力となるスキルの向上のためには、例えば、公共職業訓練について、長期の訓練機会を確保する、企業現場での実習を重視する等その訓練期間、訓練内容・質の充実を図っていくことが必要と考えられる。また、その際には、公共職業訓練機関や業界団体等が連携・協力して効果的な訓練カリキュラム等を開発・普及させていくことに加え、民間職業訓練機関の質を向上させることも重要であり、訓練手法等のノウハウを提供する人材の育成・確保や研修の充実を図ることなど7が考えられる。
さらに、大学等教育機関での1~2年程度の専門的な教育訓練の受講を支援することも望まれる。また、ハローワークと訓練機関の連携強化により企業現場での実習を重視した就職率の高い訓練8への誘導等を進めるとともに、求職者支援訓練の積極的な活用を進めていくことも必要と考えられる。

カ また、コミュニケーション能力等の社会人としての基礎力が十分でない者に対応するためには、例えば、公共職業訓練についてコミュニケーション能力等の向上を目指す訓練科目を積極的に設定していくことや、生活訓練や労働体験等を通じて社会性や集団的規律、勤労観、目的達成意欲等を養える場を確保9していくこと等が求められる。

また、「企業の枠を超えたキャリアアップ」のところから、

ア 企業の枠を超えてキャリアアップができるようにするためには、専門性を身につけられる能力開発機会の確保と身につけた能力を持ち運べる環境の整備が必要である。(専門職型キャリアシステムの構築)

イ 企業の枠を超えたキャリアアップを目指す場合には、各企業での訓練機会の提供を望めないため、まず、個人による自発的な取組を支援することが必要である。また、その身につけた能力が企業の枠を超えても適切に評価されるよう、資格制度、検定制度等の整備も望まれる。(スキルポータビリティ化に向けた資格・検定制度の再構築)

ウ 専門性のある業務については、企業は個人請負を活用することも多く、こうした個人による取組も重要である。一方、労働者のキャリアアップの観点からは、このような分野においては、労働者派遣事業者による能力開発や仕事の場のマッチングが可能な派遣労働の形態の活用も期待される10。このため、労働者派遣事業がこうした分野で非正規雇用の労働者のキャリアアップに資することも踏まえた育成を図っていくことが必要である。(キャリアアップ型派遣モデルの推進)

エ しかしながら、引き抜き等により個々の労働者派遣事業者の能力開発投資の回収が難しい面もあるため、業界団体等の取組や公的部門による支援も重要である。

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あなたたちはテクノクラートのふりをして・・・

人事院公務員研修所から『初任行政研修実施結果報告書』が送られてきました。

その巻末に、「研修員個人レポート(抜粋)」というのがあって、その中にこんな記述があったので、備忘的に。

まずもっとも印象に残ったのが、1,2班の発表を受けての濱口先生のご指摘である。それは「あなたたちはテクノクラートのふりをして理想の制度設計を語っているが、いくら良い制度設計をしてもそれと、制度を現実に適用・執行していくこととは全くの別問題である」という趣旨のものであった。

私は大学4年生の夏に国家公務員の道を選択した際、現状の制度設計は社会保障、教育、農業、産業といった広範な範囲で非効率的なものであると認識しており、それらを理想的なものに変えていくための力になりたい、という思いが私の決断を後押しした。だが実際に労働政策を研究してこられた濱口先生が上記のように仰ったことは現実を気づかせてくださる貴重な機会であるとともに、私の描いていた国家公務員像を根底から覆す衝撃的な出来事でもあった。

濱口先生のご指摘の意図は、われわれ国家公務員は全体主義の独裁者として一元的に政策を決めることのできる存在でもなく、白地に無の状態から政策を描いていける未開の地の政策立案者でもなく、我々は様々な考え、利害を持った生身の人々が生きている社会において、各々の要望、思想、哲学を考慮しながら、現実的な政策を打ち出していくだけの存在であるということであると認識した。

「衝撃的」なことを語ってしまったようで、希望に胸膨らむ研修生のみなさんにはいささか残酷な発言だったかも知れませんが、これが分かってないまま現実にぶち当たり、失望にうちひしがれてふらふらと「脱藩官僚」化していく人々のあとを追いかけていくことのないように、との老婆心です。

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転職市場の建前と内実

「maverick」さんのツイートで、転職市場の建前と内実が、ジョブ型とメンバーシップ型という用語を使って論じられていたので、一部引用。

http://twitter.com/hanakonoguchi/status/281677981297041408

以前から、同じ日系企業でも、資格などを含めた専門能力を問うケースがある一方、そんなのは全く無駄であると主張するメディアの論客に二分される傾向があるのだが、整理すると、閉塞した日本の転職市場の建前は、あくまでも「ジョブ型人材」であるが、内実は「メンバーシップ人材」なのだと思う。

http://twitter.com/hanakonoguchi/status/281678469744689152

このメンバーシップ型企業でありながら、転職市場ではジョブ型人材のみ求めている矛盾というのか、建前と内実の違いをしっかり見定めないとねぇ。日経アソシエなんかを読む20代、30代は、ジョブ型人材として転職を目指そうと自己啓発に走るが、多くの企業は未だにメンバーシップ型だったりする。

http://twitter.com/hanakonoguchi/status/281678897681162240

とはいえ、転職市場で中途採用を行う人事側としては、その人物が社風に馴染むかどうかなんて、後から入ってみないと分からない。従って、建前だけ「資格」を求め、最低限のジョブができるかどうかの判断材料にする。

http://twitter.com/hanakonoguchi/status/281679198748291074

しかし、転職した側は、自分のジョブが評価されたと勘違いし、ジョブで勝負しようと気合いを入れたりしてしまう(まぁ、日系社畜はここまでバカはあまりいないと思うが、それでも転職したならば、とりあえずジョブで実力を試したいと思うのが人間の性だろう)。そこに悲劇が生じる。

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マルクスかぶれの果ての果て

http://twitter.com/ikedanob/status/281775852138680320

でも学生時代にマルクスにかぶれたことは幸運だった。社会の見方が根本的に変わった。それを卒業するのに20年ぐらいかかった。反原発とかリフレなんてアホみたいなもの。

まあ、幸運だったか不運だったかは本人が判断すべきことではありますが、学生時代にマルクスにかぶれたことが、こういう反応を引き起こす遠因になっていることだけは間違いないようです。

残念ながらマルクスにかぶれるという幸運を経験したことのない私には、異様な反応に見えるのですが、かぶれたことのある方にはよく分かる反応なのかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-e11e.html(脊髄反射イナゴ)

本ブログでもこんなことがありましたな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_a9de.html(池田信夫症候群-事実への軽侮)

・・・私はここ4年間、東大の公共政策大学院で労働法政策を講義していますが、その冒頭で、「職工事情」と「資本論」を読むと日本とイギリスの原生的労働関係の実情がよく判りますよ、といっています。

え?資本論?

そうです。ただし、労働価値説とか何とか難しい理屈を並べたところはスルーしてよし。読んでもよくわからんだろうし実を云えば私もよく判らん(笑)。

しかし、資本論第1巻には、厖大なイギリス政府の工場監督官報告が引用され、分量的には半分近くを占めています。これが大変役に立つ。マルクス先生がこうやってダイジェストを作ってくれていなかったら、大英博物館にこもって調べなければならなかったものが、文庫本で手軽に読めるのですから有り難いことです。

マルクス先生の理論は100年経って古びても、彼がダイジェストしてくれた工場監督官報告はいつまでも役に立ちます。

素直に読めば、この通りのことなのですが、ねじけた精神で読むと、

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294514.html(濱口桂一郎氏の家父長主義)

相手にしないほうが
彼は大学院でマルクスの資本論を読ませているらしいですよ。かわいそうな学生たち。信じられません。
そんな人を相手に議論しても仕方ないですよ。無視したほうがいいと思います。
人気があって正しいことを言っている人に相手にしてもらえるだけで嬉しいんですよ。

というふうにねじ曲げられるわけです。いやはや。

(追記)

なんつうか、共産主義の悲惨な歴史を読んでいくと、この人たちって、今だったらカイカクハになったり、りふれはになったり、維新になったり、革命烈士になったりしていたんだろうな、と考えてしまう。おっと、「革命烈士」は当時もそうか・・・。

(追記)

かぶれただけなら薬を塗ればいいですが、もう少し深刻な病状だったような気も・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-44b0.html(若き日の池田信夫氏)

また自慢げにつぶやいていますな。

http://twitter.com/ikedanob/status/221432442223988736

自慢じゃないが、私は友人が4人も内ゲバで殺されて「革命」運動がどういうものか、よく知っている。官邸の前で騒いでいるのは、革命とは何の関係もない「反原発」というカルトに洗脳された子どものままごと遊び。

なるほど、さすが、「子どものままごと遊び」じゃない本当の「革命」運動を経験された方は違う・・・。

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第十次东北亚劳动论坛成功举办

去る12月4日に四川省の成都で開催された東アジア労働フォーラム(日中韓ワークショップ)の簡単な紹介が、開催国中国の労働社会保障研究院のサイトにアップされていますので、備忘的にリンクを張りつつ、こちらでも紹介。

http://www.calss.net.cn/n1196/n1364/n1621/12703430.html

由中国劳动保障科学研究院、日本劳动政策研究研修机构和韩国劳动科学院三方共同主办,成都市人力资源和社会保障局协办的第十次东北亚劳动论坛于2012年12月3日-6日在我国四川省成都市成功举办。

出席本次论坛的有中国劳动保障科学研究院院长田小宝、日本劳动政策研究研修机构理事长山口浩一郎、韩国劳动研究院代理院长金承泽。参加论坛的代表和嘉宾还有中日韩三方的专家学者和有关负责人。他们分别来自日本劳动政策研究研修机构、韩国劳动研究院、中国人力资源和社会保障部国际合作司、中国劳动保障科学研究院、劳动科学研究所、国际劳动保障研究所、中国劳动学会、四川省人力资源和社会保障厅、成都市人力资源和社会保障局。参加论坛的代表和嘉宾共约60人。

本次论坛的主题是:劳动关系矛盾的源头治理。中日韩三方的代表分别围绕这一主题从理论和实践两个方面,对劳动关系矛盾发生的基本规律、主要诱因和突出特点进行了分析和探讨。在此基础上,与会代表就利益调整、诉求表达、权益保障等主要内容,研讨了三国从源头上化解劳动关系主要矛盾的基本理论和实践对策。研讨中,韩方代表还详细介绍了韩国“劳动委员会”的机构设置、人员配置、工作目标以及处理劳动争议的工作程序和所发挥的重要作用。日方代表就经济发展的不同阶段劳动争议案件发生数量增减的规律,重点介绍了日本以及欧美发达国家应对处理的做法经验。与会代表积极参与讨论,论坛的专业学术气氛浓厚。

 在论坛的闭幕式上中日韩三方的团长进行了总结发言,三方的共识是:第十次东北亚劳动论坛达到了预期的目的,举办得圆满成功。东北亚劳动论坛作为中日韩三方劳动领域专家学者的交流平台,为三方的专家学者、政府官员和业内人士提供了学术交流的重要渠道。日本和韩国代表对中国为成功举办这次论坛所做的大量卓有成效的组织工作给予了高度评价并表示衷心感谢。与会代表表示,希望今后还要继续举办论坛并逐步发展、扩大、提升,进而为推动三国人力资源和社会保障事业的发展发挥更大的作用。

なお、概要と報告書は、そのうち

http://www.jil.go.jp/event/ko_work/index.html

にアップされる予定です。

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つか、退潮してんのはリベサヨであって・・・

佐々木俊尚さんがこうつぶやいているんですが、

http://twitter.com/sasakitoshinao/status/280528555224469504

ここまでオールド左翼が退潮が数字として明白になると、これまで左翼を多数派として信じて背負ってきた朝日や毎日、東京新聞のようなメディアは、これから何を背負っていけばいいのかという岐路に立たされる。まあ背負うのをやめればいいんだけどね。

いや、ここ十数年、しぶとく生き延びながら退潮してきているのはソーシャルには何の関心もなく、マイノリティの人権とエコでグリーンなロハスが大好きで、国家権力が大嫌いで、既得権叩きに熱中する「リベサヨ」であって、申し訳ないけど「オールド左翼」なんて3,40年以上前に事実上絶滅しているような。

9784334036720それこそ佐々木さん自身が、この本で明らかにしているように。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-4659.html(赤木智弘氏を悩ませたリベサヨの原点-マイノリティ憑依)

まことに、60年代から70年代に産み出された「マイノリティ憑依」という鬼子が、90年代、2000年代に至ってもなおこうして、社会経済的状況から自らを素直に被害者と認識することを妨げ、自分を「殺す側」と責め、どこか遠くにいる「殺される側」を支援することが「左派」のあるべき姿だと思いこむ若者たちを産み出し続けたわけです。

(追記)

http://twitter.com/shikatamasato/status/281424584417345536

うーん。マイノリティの人権侵害は問題で、環境問題も重要っていうのは、それこそEUで主流やと思うが。こられに反権力がくっつくとそれはそれでイギリスとかでよくある運動やし

だから、そんなのはあくまで反権力とか言って嬉しがってる周辺の連中。

ヨーロッパの左派ってのは、労働と福祉を中核にしたれっきとした体制派ですからね。

そこんところを見失ってるから、話が迷い込む。

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hamachanはナチス左派?

文脈がよく分からないのですが、こういうご批判(なのかな?)をいただいていたようです。

http://twitter.com/rom_emon/status/280958869818195968

ナチス左派に似てるのはhamachan先生とかであってリフレ派はそれですらないのでは。

「それですらない」リフレ派というのはナチスそのものという趣旨のようもありますが、人のことはさておき、ナチス左派というのは粛清されたシュトラッサーたちのことなのか、そういう歴史的なことじゃなくて、ただの悪口なのか、今ひとつつかみきれない感もあります。

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非正社員ほど権利を知らない

いや、非正社員ほど権利を知らない、ってのは、3年前の厚労省の労働法教育研究会報告でも指摘されていることですが、今回の連合総研の勤労者短観では、いつものおなじみの項目に併せて、非正社員の権利認識を調べています。

http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1355722364_a.pdf(本体)

http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1355801280_a.pdf(要約)

●「非正社員でも2人以上で労組結成が可能」なことを知っているのはわずか4分の1。

●正社員のほうが非正社員よりも、勤労者の諸権利を認知している割合が高い。

●非正社員では女性でも産前・産後休暇や育児休業の権利認知度が高くない。

●規模の小さい企業で働く勤労者ほど、諸権利を認知している割合が低い。

●管理職でも、非正社員の労組結成の権利を知っているのは4割弱にすぎない。

ちなみに、労働時間では、

●この6か月間に長時間労働によって体調を崩した人は16.1%。

その解説では、

なお、1 週間の平均実労働時間が「60 時間以上」の層では34.6%が、「50 時間以上60 時間未満」の層でも30.5%が、体調を崩したことがあると回答しており、長時間労働者の健康問題が深刻である。

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私はこんなに大変なのに頑張っているんだから・・・

Hyoshi17昨日紹介した『POSSE』17号の一番特集は生活保護ですが、そのいろんな記事のメッセージを集約すると、巻頭の桐野夏生さんのインタビュー記事のこの言葉になるのかも知れませんね。

川村: 生活保護バッシングは魔女狩りみたいな状態になっていて、背景にはおそらく「自分はこんなに必死に働いていてキツイのになぜ生活保護を取らせるんだ」という妬みのようなものがあるのだと思います。

桐野: そうなんですよね。それは妬みです。私はこんなに大変なのに頑張っているんだから、どうしてお前は頑張れないんだという発想。人それぞれの事情があるのにそれが分からない。日本の悪い面、「悪平等」主義です。軍隊のいじめもそう。自分たちも二等兵の時にひどい目にあったから、お前達もひどい目に遭わなければ、これは平等ではないって言うような。・・・

そして、ものごとの「伝わらなさ」についてのこの言葉。

桐野:たぶん私の年代って『POSSE』に書いてあるようなことを言ったら、信じられないって言う人がたくさんいると思います。たぶん、皆さん、お子さんたちも無事に結婚して、お孫さんも生まれて、そこそこ豊かな暮らしをしているわけですから。そのお孫さんたちも「勝ち組」の子どもと思われているのかも知れないけれども、いま、こんな状況になっていますよ、あなた達のお孫さんたちは、これからこんな世の中で暮らしていくんですよ、といったらみんなとてもびっくりすると思います。それは若い人が声を大きくしていかないとわからない面があります。

世代を超えたメッセージの必要性、という難しい宿題ですね。


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連合総研「日本の賃金-歴史と展望-」調査報告書

先に『DIO』で概略が紹介されていた連合総研「日本の賃金-歴史と展望-」調査報告書が、連合総研HPにアップされています。

http://rengo-soken.or.jp/report_db/pub/detail.php?uid=236

本体は:

http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1355818141_a.pdf

総論 日本の賃金─歴史と展望-
はじめに
第1部 日本の賃金の歴史
第1章 賃金とは何か
第1節 賃金の持つ性格
第2節 生計費、事業遂行のためのコスト、労働力の価値はどのように測定・
把握されるか
第3節 賃金にはどのような形態があるのか。その種類と歴史
第2章 年功賃金は、いつ頃生まれ、どのように変化してきたのか
第1節 年功賃金の由来と変遷
第2節 定期昇給制度とベース・アップとは
第3節 なぜ日本では、年功賃金が続いてきたのだろうか
第3章 手当、一時金(賞与)、退職金の歴史と現状
第1節 手当
第2節 一時金(賞与)
第3節 退職金
第4章 賃金は、どのようにして決まるのか
第1節 賃金決定機構の変遷
第2節 賃金を決定する仕組には、どのようなものがあるか
第3節 賃金決定基準
第2部 賃金分析の方法と要求の作り方
第1章 私の賃金は高いのか、安いのか(賃金構造について)
第1節 賃金格差の基本型
第2節 賃金を比較する方法
第2章 賃金要求の作り方
第1節 要求にはどのようなことが必要か
第2節 要求作りの具体的手順と考え方
第3節 賃金制度(体系)を変更する時に考えるべきことは何か
第3章 日本ではなぜ過労死等が生まれ、長時間労働になるのか
第3部 今後の展望
第1章 賃金の社会性
第2章 企業経営と賃金に関する考え方

産業別組合の賃金に関する取り組みの歴史 (掲載順序は連合の構成組織名簿順)
UIゼンセン同盟の賃金交渉について
自治労における賃金闘争の変遷
電機連合の賃金政策と個別賃金決定方式の取り組みについて
JAMにおける賃金に関する取り組みの歴史
鉄鋼労働運動における賃金政策の変遷
情報労連の賃金政策と交渉経過
私鉄総連の春闘

講演録 (掲載順序は講演順)
今、「賃金闘争」を考える――旧同盟の経験から
桝本 純氏(元同盟調査局/元連合総研副所長)
日経連の賃金政策―賃金制度と賃金政策の両側面 成瀬 健生氏
経営面での賃金政策 孫田 良平氏
戦後労使関係のなかの賃金体系――横断賃率論の意義と限界 熊沢 誠 氏

というわけで、連合総研の中野治理さんが書かれた金子良事さんの賃金の歴史をもとにした総論も大変読み応えがありますが、最後の講演録がなかなか重量級を並べていて、面白い。

桝本さんは同盟時代の賃金政策を喋りに来たはずなんですが、冒頭で「近頃の惨状」に対して痛烈な批判をしていて、なかなか面白いです。

・・・日本が戦争に負けていわゆる「戦後」という時代、労働問題というと大変大きな社会問題で、ある意味では治安問題でもあった。政府は必要な対策を打つために、厚生省の一部を独立させて労働省という専門の役所を新たに作ったし、経営側は労務問題を重視して、専門の団体として日経連をこしらえたわけですね。しかし今では、日経連は経団連に吸収されて日本経団連になったし、労働省は厚生省に再吸収されて厚生労働省になって、両方とも姿を消してしまった。政労使三者構成でやっていた対応、三人でジャンケンやっていたと考えればその相手だった「政」「使」の二人がいなくなって「労」一人残され、昔のようなジャンケンやりたくてもやりようがなくなった、それが今の連合かもしれない。そんなふうに考えてみると、「春闘」がなくなるのもむべなるかなという感じがしなくもありません。・・・

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組織率ついに17.9%

本日、平成24年労働組合基礎調査の概況が公表されました。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/roushi/kiso/12/dl/gaikyou.pdf

まずなにより、全体の労働組合組織率が17.9%と、ついに18%を割ってしまいましたね。

2007、08年と18.1%で、割るかな?というところにリーマンショックで雇用労働者が減って、それも組合員ではない可能性の高い非正規労働者が先に斬られてくれたために、より守られた組合員の数がそれほど減らず、結果的に組織率は2009、10年と若干上がって見えたわけですが、本質的に組織率低下というトレンドに変わりがあったわけでもなく、2011、12ンと組合員数の減少が大きく、一気に18%を割ってしまったようです。

そういう中で、パートタイムの組織率が6.3%と着実に上昇していることは、それがごく少数の一部産別によってなされていることであるだけに、注目に値します。

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前の戦さの成功体験が・・・

RIETIから慶應に移られた鶴光太郎さんが、RIETIのコラムでこう書いているんですが、

http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0360.html(デフレ経済と労働市場の関係を考える)

筆者がデフレの問題を考える時にどうしても気になるのは、労働市場、特に、賃金を巡る環境変化である。今とは逆に日本経済が70年代インフレの問題と格闘して得られた教訓はインフレ期待を抑制するためにインフレと賃金のスパイラルをいかに断ち切るかであった。第一次石油危機では急激なインフレに対応して賃金も大幅に上昇し、それが更にインフレに火を注ぐ結果となった。この時の経験を反省し、第二次石油危機の際には交易条件の悪化による実質所得の海外流出と割り切り、労使が実質賃金の低下を受け入れ石油危機を乗り切った。この経験は筆者がかつて80年代に官庁エコノミストとして勉強し始めた時、認識しておくべき日本経済の最も重要な教訓の1つであったように覚えている。

いやあ、その前の戦さの成功体験が、つまり雇用だけは何が何でも維持する代わりに、よそからやってきたショックによる実質賃金切り下げはみんなで我慢して乗り切る、という70年代に世界で一番成功してしまったやり方が、いついかなる時でも状況がどんなに変わっても大事な「教訓」になってしまったがゆえに、却って90年代以降の、とりわけ近年のデフレに対しても、「みんなで我慢して乗り切る」型の対応を無意識的に取らせているのではないか、そういう意味でみんな70年代体験の精神的奴隷なんじゃないか、というのが、今日の問題状況なんじゃないか、と思うわけなんですが。

ここはちゃんと経済系の人が突っ込むと思うので簡単にしておきますが、

それでは、インフレ期待を形成するために、賃金を無理やり引き上げるような政策をとればいいのであろうか。このような政策は最低賃金の引き上げに対する分析で明らかにされてきた通り(注3)、最低賃金近くの水準で雇われていた人の雇用が失われたり、そうでなくても企業の収益悪化、労働コストが価格上昇に転嫁されることによる消費者の不利益など経済にとっては多くの副作用を生む可能性がある。

ってのは、インフレにするために名目賃金を引き上げる話と、実質賃金が(限界企業の支払能力以上に)引き上げられることによる雇用喪失とがいささかごっちゃになっている気がします。

ま、それより何より、この台詞はあまりにも日本型雇用システムの正統的建前論を真正面から並べている感じで、それってどこまでほんとだったの?という問いなしにこうさらりといわれると、戸惑ってしまいます。

それではどうするべきか。年功型賃金の理論的バックボーンになっていた職能資格制度は今では評判が悪くなってしまったが、能力が勤続年数とともに高まっていくべきであるという「建前」が企業への定着を前提に長期的に従業員の能力を高めるインセンティブを労使双方に埋め込んでいたことを忘れてはなるまい。能力を基準にし、それは下がらないと考えれば賃金は一旦上がれば下がらず、年功制のようにみえるだろう。これが職務給であれば職務が同じである限り賃金は変わらないし、役割給であれば役割が変われば賃金が低下する場合も出てくる。「給料は頑張り続ければ確実に上がっていく世界」から「給料は必ずしも上がらない、下がることもある世界」へ変化しているのは、労使ともに長期的に能力を高めていくことから逃げてしまっている結果かもしれない。正規、非正規に限らず、長い人生の中で個々の能力、人的資本をいかに高めていくか、そして将来に向けて頑張れば必ず報われる雇用システムをいかに再構築するか、これが長期的な日本経済の命運を握るとともに、案外、デフレ経済の脱却ともつながっているといえそうだ。

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『POSSE』17号

Hyoshi17 ようやく『POSSE』17号が届きました。

http://npoposse.jp/magazine/no17.html

特集は「生活保護改革は、こう変えろ!」です。
2012年に猛威を振るった生活保護バッシングが、いくつもの改革案を経て、制度化へと着実に進んでいます。
衆議院議員選挙でこそ、報道や世論の関心が政局や脱原発に終始したために焦点化されませんでしたが、複数の党の政策で「不正受給」対策は確かに息づいていました。
政界再編後、それらが動き出すのは時間の問題です。
本特集では、生活困窮者を支援する社会運動の立場から、生活保護制度の限界を、そしてその改革論を論じます。

緊急企画は「「ブラック企業」変革論」です。
労働環境の劣悪な企業を指すインターネット発のスラングとして若者たちに定着したこの言葉は、2012年、日本経済新聞の一面をかざり、NHKのニュースに登場し、裁判所の判決文に登場するまでに一般化しました。
しかし、マスコミでも社会運動でもなく、「普通」の若者から企業につきつけられたこの言葉は、個別企業のバッシングや、就職先のマッチングの問題に収斂されてしまう危うさも持ち合わせています。
そこで、ブラック企業というフレーズを、日本の過酷な労働が生み出される構造を変革するための戦略と武器にしていくために、特別企画を用意しました。

ということで、例によってとりあえず目次を掲げておきます。

■vol.17目次
「尊厳を持って生きること、時代を書くということ」
桐野夏生(作家)
『OUT 』、『メタボラ』……〈労働〉を描く理由

「新都政が超えるべきは、「石原」ではない――都政を支配する都市の論理」
町村敬志(一橋大学大学院教授)×五十嵐泰正(筑波大学大学院准教授)
グローバルシティ、 再開発、 福祉と財政……東京は誰のものか?

「若者が求める政策はブラック企業対策だ」
今野晴貴(NPO法人POSSE代表)
日本の「第二のセーフティネット」は生活保護以下?

◆特集「生活保護は、こう変えろ!」

「生活保護の手前に、所得保障と基礎的社会サービスを」
後藤道夫(都留文科大学教授)

生活扶助以外の社会保障と、高齢者・子供・障がい者の現金給付を

「権利としての就労支援、出口としての中間的就労」
布川日佐史(静岡大学教授)

日本の「第二のセーフティネット」は生活保護以下?

「ソーシャルワークが生活保護を変える――貧困運動と支援者のあり方を問う」
藤田孝典(NPO法人ほっとプラス代表理事)

なぜ生活保護受給者が孤立死するのか

「生活保護バッシングが明らかにした「反貧困」の限界」
赤木智弘(フリーライター)

「被害者」でなければ「権利」はないのか?

「なぜイギリスでは公的扶助が受けやすいのか」
唐鎌直義(立命館大学教授)

月額8万円で 「絶対に漏れを出さない」 仕組みとは?

「ルポ 生活保護打ち切りが就労支援を破壊する」
川久保尭弘(京都POSSE代表)

「仕事を休んでもハローワークに行け」? 自立をさえぎる「自立支援」

「生活保護と奨学金」
岩橋誠(京都POSSE事務局)

貧困でも大学に進学すると生活保護を受けられない?

◆緊急企画「「ブラック企業」変革論」

「ガンダムを捨てよ、ジムになろう」
常見陽平(人材コンサルタント、作家)

ザクと戦わない「量産型人材」が日本の労働問題を救う?

「ブラック企業を正しく批判せよ!」
濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

ブラック企業言説は間違いだらけ? その根源は70年前の労働運動にあった

「若者の過労労働と生活時間保障要求」
木下武男(昭和女子大学特任教授)

日本型雇用システムの経験は、もう通用しない

「『資本論』から読み解く賃労働の過酷さの理由」
佐々木隆治(一橋大学社会学研究科特別研究員)×川村遼平(NPO法人POSSE事務局長)

労働運動のための、実践的マルクス入門

「EPAは介護・看護現場を変えたか」
安里和晃(京都大学大学院准教授)

外国人候補者、受け入れ先の実態と懸念される労働市場への影響は


「奨学金政策は、貧困層のためだけにあるのではない」
矢野眞和(桜美林大学大学院教授)

「普通の人」に投資するための教育を

「海外の教育支援政策と日本の奨学金制度の現状」
本誌編集部

奨学金が「借金」なのは日本だけ!?

「普遍的な出来事としての「フタバ」――映画『フタバから遠く離れて』監督インタビュー」
舩橋淳(映像作家)

双葉町の避難生活を通じて見えてきたものとは


「生活保護改革を考えるためのブックガイド」
本誌編集部


「15分でわかる生活保護改革 ――基準引き下げ、自立支援、最低所得保障」
本誌編集部


◆連載

新連載「はたらくっきんぐ! 第1回 夕食」
藤代薫(女子栄養大学在籍)

学生が考案した、働く人のためのレシピ集

新連載「NO CULTURE, NO WORK? #1 生活保護/日本は文化も貧困ビジネス頼み?」
坂倉昇平(本誌編集長)


「...And Philosophy for All 第4回 哲学と文法――中動態について(1)」
國分功一郎(高崎経済大学経済学部准教授)

「世界の社会運動から Social Movements around the World  No.2 アメリカ シカゴ教員ストライキの教訓」
タイラー・ジマー


「労働と思想17 ヘーゲル ――恣意と暴力から連帯と承認へ」
斎藤幸平(ベルリン・フンボルト大学大学院生)


「われらの時代の働きかた その9 ノルマのかたち」br> 熊沢誠(甲南大学名誉教授)

「労働相談ダイアリー 会社を見切るタイミング」
川村遼平(NPO法人POSSE事務局長)


「被災地はこれからも 第3回 被災地仙台における就労支援実践」
渡辺寛人(仙台POSSE事務局)


「My POSSEノート page3 生活相談」
大田ふみ

この中で、意外にも今までなかったのが「丸山真男をひっぱたきたい」赤木智弘さんとPOSSEの坂倉、川村両名の対談。大変面白いです。

坂倉 私が赤木さんにお聞きしたかったことに、言説的な戦略の問題があります。赤木さんは、これまでの「左派」だったり、ロハス的なミドルクラスだったり、「被害者」やお金を負担するものにのみ社会保障を与えるべきだと考えている人に対して、ある種、攻撃的な批判をしていますね。今日の議論もそうですが、そうした発言をストレートにしていくことは、啓蒙的に必要ですが、そういう人たちも味方につけていく言い方が、私は必要なのかな、と思います。

これに赤木さんがどう答えているかは、是非本誌でご覧頂くよう。

ちなみに、わたしがやたらに「りべさよ」などと嘲笑的な表現をすることも、坂倉さん的には「ある種、攻撃的な批判」に見えるのかも知れませんね。

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OECD『男女賃金格差解消へ-今こそ行動』

Gender20gap20cover150 昨日、経済協力開発機構(OECD)が「Closing the Gender Gap: Act Now」(男女格差解消へ-今こそ行動)を公表しました。

http://www.oecd.org/gender/closingthegap.htm

いろいろと興味深いデータが載っていますが、ここでは日本に関する日本語版のプレスリリースを。

http://www.oecd.org/gender/Closing%20the%20Gender%20Gap%20-%20Japan%20FINAL.pdf

日本女性は教育では大きな進歩をとげました。今日では、女性の方が男性より高学歴になり、25-34歳では、52%の男性に対して59%の女性が大学を卒業しています。45-54歳では32%の男性に対して23%しか女性の学士保持者はいないことからも、時代を経た変化が窺えるでしょう。しかし、学科選択という点では依然として明確な男女差が見られます。保健・教育等の専攻は、60%が女性である一方、コンピューターやエンジニアリングを専攻する女性は10%に満たないのです。さらに、若い女性は、短大や有名でない大学に入学するケースが多く、結果企業での早い昇進の流にのる確率も低くなっています。

男女間の給与格差は、40歳以上では40%もあり、若い世代でも15%程見られます。日本女性にとっては昇進も難しく、日本の上場企業の役員の内女性はわずか5%で、OECD加盟国間で最も低いレベルに入ります。

日本女性が労働市場で困難に直面している原因としてあげられるのが、ワークライフバランスの難しさです。育児休暇や子育て支援等の社会政策があるにもかかわらず、日本女性の多くは出産後に退職することが多く、たとえ常勤として復帰を望んでも困難なことが多いのが現状です。その結果、日本の労働市場では、女性が低賃金で非常勤の職に追いやられてしまうことが多いのです。さらに、日本の税及び福利厚生の制度が被扶養者である妻から仕事へのモチベーションを削ぎ、所得税免除の範囲内での収入にとどめようと思わせてしまうことも原因です。日本の男性も、育児休暇をとることには消極的で、さらに長時間勤務という日本の文化もあり、夫が(無給の)家事を分担することは依然希です。今日、夫が家事に費やす時間は、1日平均で59分です。

職場の環境も日本におけるワークライフバランスを困難にさせる一因です。その結果、役員クラスの女性の割合が少ないだけでなく、彼女らの出産率も低くなっています。このまま、2011年現在の労働市場参加率の男女格差(女性の63%、男性の84%)が継続されれば、今後20年で日本の労働人口は10%以上減少すると予測されます。日本は、教育においても経済活動においても、一人一人の能力をより効率的に活用することが必要です。経済成長には男女平等が鍵となります。労働市場における男女平等が実現すれば、今後20年で日本のGDPは20%近く増加することが予測されます。

最近、国際機関からのこういう忠告というか叱咤も繰り返されすぎて、いい加減飽きが来ているかも知れませんが、いや言われていることがなんら解決していないから言われ続けているわけで。

あと一つ、「長時間勤務という日本の文化もあり」というもう数十年言われている話も、確かに「ある社会の成員によって共通して持たれている思考と行動のパターン」という文化人類学的意味では「文化」なんだけど、「文化」といってしまうことでどうしようもないというインプリケーションが言われている日本人の側にもたらされてしまうという問題点もあり、やはりなぜ長時間労働になってしまうのかというそのメカニズムをきちんと分析して、解決策を探っていくのでないと、百年河清を待つ話になってしまうわけです。

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自由民主党公約(雇用・労働関係)

とりあえず、まずはまもなく政権党となる自由民主党の政権公約において、雇用・労働政策がどのように記述されているのかを、じっくりと読むところから始めようではありませんか。ご同輩諸氏。

http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/j_file2012.pdf

「Jファイル」というタイトルの詳細版です。

Ⅱ . 経済成長

56 若者の就職応援

 学生を取り巻く就職環境が最悪期は脱したものの依然として厳しい状況であることに鑑み、就職活動を頑張っている若者が前向きになれるよう、将来を見通せる雇用制度に再整備します。
 特に、公的機関と大学が連携し、新規学卒就職できなかった人を孤立化させない取り組みを行います。技能・技術、実践的知識を身につける職業教育・キャリア教育の強化、インターンシップ※の拡充、年長フリーター等(25 歳〜39 歳)を重点とした正規雇用化の支援や産学官が連携しての人材育成等を活用します。それにより、後継者不足の業種等、人を必要としている産業への雇用システム・求職マッチングを円滑かつ強力に支援し、労働力の流動化など健全な競争を通じて人材が適切に配置される「適材適所社会」を目指します。10% 前後の若年層の失業率を4 年で半減させることを目指します。

57 女性力の発揮によるいい国づくり

 女性の潜在的な力を活用することは成長戦略の原動力です。そのために、日本社会の基盤である伝統的な家族や地域の絆を大切にしつつ、社会全般の多様性の実現を目指します。
 まずは、女性力の発揮による社会経済の発展を加速させるため、社会のあらゆる分野で2020 年までに指導的地位に女性が占める割合を30% 以上とする目標(“2020 年30%”〈にぃまる・さんまる〉)の達成に向け努力します。

58 女性の就業環境の整備

 女性への就労支援、特に子育て中の母親への支援として、再就職に積極的に取り組む企業に対する支援制度の創設、マザーズハローワーク事業の拡充等を実施するとともに、資格取得についても支援し、就業と出産・育児の両立、つまりは継続して働くことが可能な環境を整えます。新しい家族像、家族ビジョンを踏まえ、夫婦が共に働き、共に家事を負担(協働・分担)できるワークライフバランス※を推進します。
 大都市部を中心に保育所の拡充を図るとともに、放課後児童クラブ※のより一層の量的・質的向上だけでなく、待機児童が多い地域における自治体の取り組みについても支援します。

59 高齢者の社会参画、生涯現役社会実現

 人生100 年時代を見据え、働く意欲のある高齢者の方々が個人の能力・経験を活かし、生涯現役として働きやすい環境を整え、「生涯現役社会」の実現に向け、65 歳までの雇用の着実な実現や定年延長等に加え、「70 歳はつらつ現役プラン」として50 歳代からの定年後のキャリア形成についてカウンセリング等の支援と職業教育訓練を行います。
 シルバー人材センターの活用に加え、高齢者の方々の起業や就職についても後押しします。さらに、職域の拡大や処遇の改善に取り組む事業者に対する支援とともに、65 歳以上の方を継続して雇い入れる事業者に対する助成も行います。

Ⅲ . 教育・人材育成、科学技術、文化・スポーツ

79 受験一辺倒でない多様な選択肢を持つ教育

 人材育成に関する社会の要請に応えるため、普通高校以外に、最先端の職業教育を行う専門高校を整備する等、多様性・専門性のある選択ができるようにします。
 高等教育における産学連携を強化するとともに、専門学校の果たしてきた実績に基づき、職業教育に特化した新しい高等教育機関を創設し、『学校教育法』上の地位についても検討します。現状の専修学校・各種学校の存在意義を十分認識して、他の学校群との制度的格差の解消を目指し、財政的支援や教育内容の充実に向けての公的支援等を図ります。
 大学等と産業界・地域社会とのより幅広い連携協力の下で、インターンシップを充実させます。地域密着型のコミュニティカレッジ化により、技能習得と就労を支援します。

Ⅴ. 社会保障・財政・税制

166  さらなる国民の負託に応えられる「社会保険労務士法改正」の推進  

 社会保険労務士が、国民の利便性の向上とさらなる負託に応えられるよう、個別の労働紛争について未然防止から解決まで一貫して関与できるようにすることや一人法人制度の導入等が可能となるよう、社会保険労務士法の改正を推進します。

172  一人ひとりの状況に応じた就労支援と労働環境の整備

 ハローワークの機能強化等により、若者、女性、高齢者など一人ひとりの状況に応じた就労支援を積極的に進めます。
 また、産・育休の取得範囲の拡大などによる子育てと仕事の両立など頑張る個人を支援し、経済のグローバル化や活力ある社会に対応した労働環境の整備を進めます。

173 就職、転職をしやすい環境の整備 

 職能別検定制度の充実とジョブカード※の円滑な活用を通じ、職業訓練や職業能力開発などを活かし、就業につながるマッチングシステムを確立します。
 また、労働者派遣制度の活用によるスキルアップやキャリア形成を行うなど再就職、転職支援の制度や仕組みを設けることにより、再チャレンジや成長産業への円滑な人材シフトを促進し、正規雇用の維持、拡大を図ります。 
 同一価値労働・同一賃金を前提に均衡待遇を目指し、非正規労働者の処遇を改善します。

174  新卒者就職対策の実施など若者の雇用対策の推進

 新卒者の就職状況の厳しさが続く中、100% 就職を目指して、トライアル雇用※する企業へ3 年間補助金を支給する制度など新卒者の雇用の受け皿の整備を促進し、若者の雇用対策を強力に進めます。

やや意味不明な文言もありますが、全体としてはなかなかバランスのとれた方向性が示されているように見えます。

もちろん、(民主党政権がそうだったように)個々の政治家の方々が、そこに書かれた政策の深い意味をどこまで理解しているかというのはまた別の話ではありますが。

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野川忍・神林龍「日本の雇用終了について―濱口桂一郎の問題提起に触れて」@『季刊労働法』239号

Tm_i0eysjizovvxi6ggxmoyplolmwbeg 『季刊労働法』2012年冬号(239号)が届きました。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/005421.html

とりあえず、目次をざっと示しますと、

特集
有期と派遣の新しい法制度

改正労働契約法の概要
厚生労働省 労働基準局 労働条件政策課

労働者派遣法改正法の概要
厚生労働省 職業安定局 派遣有期対策部 需給調整課 老月 梓

有期と派遣の制度改正の実務への影響
―労働側弁護士の立場から―
弁護士 中村和雄

有期と派遣の制度改正の実務への影響
―使用者側弁護士の立場から―
弁護士 今津幸子

第2特集 倒産における労働法上の課題

鼎談・企業倒産と労働法
慶應義塾大学教授・司会 山川隆一
弁護士 徳住堅治
弁護士 木下潮音

再建型倒産手続における労働債権の保護
―退職金の取扱いを中心に
北海道大学准教授 池田 悠

企業倒産における整理解雇
―日本航空(整理解雇)事件が示す課題を中心に
労働政策研究・研修機構研究員 細川 良

■対談■
日本の雇用終了について―濱口桂一郎の問題提起に触れて
―フォーク・レイバー・ローの中の解雇規制―
明治大学教授 野川 忍  一橋大学准教授 神林 龍

■シンポジウム■
改正労働契約法の実務上の問題と労使の課題
東洋大学教授・コーディーネータ 鎌田耕一
弁護士 水口洋介
弁護士 木下潮音
日本労働組合総連合会総合労働局長 新谷信幸
日本経済団体連合会労働法制本部長 田中秀明

■連載■
■文献研究労働法学 第7回■
外国法研究に関する文献研究を行う意義
神戸大学大学院法学研究科教授 大内伸哉

■ローヤリング労働事件 第7回■
不当労働行為の審査
弁護士 八代徹也

■労働法の立法学 第30回■
港湾労働の法政策
労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

■アジアの労働法と労働問題 第15回■
ミャンマー労働組合法制(1)
~労働組織法の翻訳
アジア労働法研究会 香川孝三=神尾真知子=押見(斉藤)善久=藤川久昭

■ドイツ労働法古典文献研究会 第2回■
オットー・フォン・ギールケにおける雇用契約の法理(2) 
千葉大学准教授 皆川宏之

■労使で読み解く労働判例 第8回■
旅行添乗員に対する事業場外みなし労働の適用可否
―阪急トラベルサポート(第1)事件)東京高裁平23年9月14日(労判1036号14頁))を中心に―
社会保険労務士 北岡大介

■同志社大学労働法研究会 第8回■
労働条件の不利益変更をめぐる黙示合意の認定のあり方
翻訳技術事件 東京地判平成23・5・17労働判例1033号42頁
同志社大学大学院 河野尚子

■神戸大学労働法研究会 第21回■
労働者の損害賠償責任
エーディーディー事件・京都地判平成23年10月31日労判1041号49頁
神戸大学大学院法学研究科博士課程前期課程,弁護士 千野博之

■イギリス労働法研究会 第15回■
イギリスにおける「雇用契約」の起源
早稲田大学教授 石田 眞

■論説■
公契約を媒介とする雇用と労働条件の規整
弁護士 古川景一
イタリアの新たな解雇法制
―2012年の労働市場改革―
神戸大学大学院法学研究科教授 大内伸哉

■書評論文■
個人的就業関係と労働法の再編
―Mark Freedland & Nicola Kountouris, "The Legal Construction of Personal Work Relations"を読んで―
東洋大学教授 鎌田耕一

特集と第2特集をとりあえず後回しにして、今号最大の注目は労働法学者の野川忍、労働経済学者の神林龍という絶好のコンビによる、『日本の雇用終了』を素材にした対談でしょう。

■対談■
日本の雇用終了について―濱口桂一郎の問題提起に触れて
―フォーク・レイバー・ローの中の解雇規制―
明治大学教授 野川 忍  一橋大学准教授 神林 龍

神林 こういうことをようやく労働法の研究者がやって下さったか、というのが第一印象です。・・・

野川 私もこの本を読んで、今まで隔靴掻痒のような状況であった問題について一定の貢献をしてくださったという印象を持ちました。・・・

というジャブから始まって、

経営者は解雇規制に拘束されているか
意思決定プロセスの分析の重要性
解雇規制におけるプロセス制御
労働紛争解決に求められる多様な場
労使合意の伝統と社会的公正さの担保
契約における日本的な課題
労使自治と社会全体の基準
金銭解決の可能性と限界
欧米市場における転職サポート
労働市場の活性化の背景
中途採用者に対する人事管理の在り方
集団的な労使関係を基礎にして
雇用調整が進まない原因とは
労働経済学における共通理解の不足
解雇はメンバーシップからの追放
解雇メカニズムの事例研究を深める

といった広範な領域について意見を交わしています。

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西谷敏『労働組合法 第3版』

L14439西谷敏さんの『労働組合法 第3版』(有斐閣)をお送りいただきました。有り難うございました。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641144392

労働組合法を中心に,その周辺法を含む広義の「労働組合法」を体系的にとらえた本格的教科書。法学部や法科大学院での講義用テキストではもちろんのこと,独学や実務の上でも最適の1冊。第2版(2006年)刊行以降の最新判例・法改正・文献を織り込み全面改訂。

西谷理論のうち「関与権としての労働基本権」については、かつて本ブログでこういう形で取り上げたことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5096.html(関与権としての労働基本権)

先月15日のエントリーで憲法学お勉強ノートに引っかけて「プロセス的権利としての団結権」という話を書きましたが、労働法学の中の人はご承知のように、こういう発想は既にあります。もっとも典型的なのは西谷敏先生の議論でしょう、主著『労働組合法第2版』(有斐閣)の表現を引用すると、・・・

集団的労使関係が著しく不人気な分野となり、若手研究者はもっぱら個別労働関係ばかりに集中する現在、労働組合法というテキストブックをコンスタントに改訂されること自体が極めて重要なことではありますが、逆に戦後60年以上の蓄積の上に語らざるを得ないテキストブックという性格上、今現在これから集団的労使関係が注目を集めていくべきフロンティアな分野への言及がとても手薄に感じられてしまうのは、やむを得ないところではあるのでしょうけど。

昨日のエントリの関係で言えば、戦後まさに「利権」を打破する生き生きとした「権利」として打ち出された労働基本権が、今日の日本で(それこそ池田信夫とか城繁幸といった人々によって)許し難き「利権」の代表選手であるかのように描き出されている状況についても、テキストブックの文句を持ち出して済むような事態ではないわけで、その意味でも、「集団的労使関係の再構築」の前に、「集団的労使関係の脱構築」が必要なのかも知れませんし。

わざとはたに聞こえるようにいうと、そろそろ戦後集団的労使関係システムの現実のありようの変遷と照らし合わせた法社会学的な検討が求められる時期なのかも知れません。

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ガンダムを捨てよ、ジムになろう

51frlshnmel__sl500_aa300_アマゾンに『POSSE』17号の表紙がアップされました。左のように、かなり字が読めます。

http://www.amazon.co.jp/POSSE-vol-17-%E7%94%9F%E6%B4%BB%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8D-NPO%E6%B3%95%E4%BA%BAPOSSE/dp/4906708048/ref=pd_rhf_dp_p_t_3

右上の白い字で「生活保護はこう変えろ」とある特集記事には、拡大すると後藤道夫、布川日佐史、藤田孝典、赤木智弘という名前が読めます。

左上の桐野夏生さんの「尊厳を持って生きること、時代を書くということ」の下には、町村敬志、五十嵐泰正、国分功一郎という名前が読めます。

51xy00xmqsl__sx230_そして左下の「ブラック企業変革論」という特集には、常見陽平さんの名前とともに

ガンダムを捨てよ、ジムになろう

という字が。

あんたは寺山修司か・・・、っていっても、分かる人は少ないかも・・・。

その下には、わたくしと今野晴貴さんの対談「ブラック企業を正しく批判せよ!」が。これはなかなか面白いですよ。

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「利権にNO!」が「権利にNO!」を産む

水谷さんの「シジフォス」ですが、これはやはりちゃんと批判しておいた方がいいと思います。

http://53317837.at.webry.info/201212/article_15.html(古い利権依存システムにもう1回「NO!」を突きつけよう)

そういう「利権にNO!」という発想こそが、この20年間にわたって「政治改革」という名の下に、結果的に「権利にNO!」という事態をもたらしてきたそもそもの元凶なのではないのでしょうか。そういう認識が、左派だとかリベラルだとかいわれる方面の方々にあまりにも欠落していることが、今日の救いようのない事態の最大の原因なのではないでしょうか。

誰にとっても、自分の権利は正当な犯すべからざる権利であり、他人の権利はなにやら不当な手段で手に入れた許し難い利権に見えるものでしょう。

人の権利を「利権」という名で糾弾する者が、自らの正しい(はずの)権利を「利権」として糾弾される側にまわるという悲喜劇を、この期に及んでなお繰り返して飽きない人々には、是非この湯浅誠さんの言葉を熟読玩味して欲しいと願わずにはいられません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-1d0e.html(湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』より)

・・・尊重されるべきものが尊重されていないという不正義が自分の身に降りかかっていて、他にもそういう被害者がいるらしい。なぜそんな不正義がまかり通るのかといえば、自分のことしか考えず、自己利益のために正義を踏みにじる「既得権益」が世の中にあるからだ。だから、「切り込み隊長。頼むよ」ということで、バッサバッサとやってもらうことが正義にかなうと感じられるのですが、複雑な利害関係がある中でバッサバッサとやることで、気づいてみたら自分が切られていた、ということもあり得るでしょう。

なぜなら、自分にとっては「必死の生活とニーズ」であるものも、他の人からは「所詮は既得権益」と評価されることがあり、それが「利害関係が複雑」ということだからです。

自分はヒーローの後ろから、ヒーローに声援を送っているつもりだった。ヒーローはバッサバッサと小気味良く敵をなぎ倒し、突き進んでいく。「いいぞ。やれやれ」とはやし立てていたら、あるときヒーローがくるりと振り向いて自分をばっさり切りつけた。

一瞬何が起こったか理解できなかったが、遠のく意識で改めて周囲を見回してみたら、ヒーローをはやし立てている人は自分以外にもたくさんいて、そのうちの何人かは自分を指さして「やっつけろ」と言っていた。そのことに気づいたときには、自分はもう切られた後だった--という事態です。

大事なのは、人の権利を利権として糾弾することではなく、ぶつかり合う権利と権利といかにして調整するかという、とてもしんどい、そしてかっこよくない、しかし実は一番必要な、作業を黙々とやることであるはずなんですが。

今や政治家もマスコミも、全然しんどくない、やたらかっこいい、そして実は一番不必要な、利権叩きの作業にばかり、今日も勤しんでいるわけです。

(追記)

ある種の人々の典型的な反応:

http://twitter.com/tari_GT/status/280054109892128768

権利と、利益および権限を混同するという、極めて初歩的な誤謬。

オレ様の立派な「権利」と、そんじょそこらの低レベルな「利益及び権限」をごっちゃにするな!!!

といっているご立派な「権利」が、まさにばさばさと斬られて、周りからやんややんやと囃し立てられたのが大阪劇場その他の近年の劇場政治であったという最低限の認識すらないオレ様たち・・・。

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その通り、新卒一括採用は「年齢差別」 。ただし差別されているのは・・・

サンケイビズの「ビジネスアイコラム」に、「新卒一括採用は「年齢差別」」という記事が載っています。

http://www.sankeibiz.jp/business/news/121215/bsg1212150501000-n1.htm

日本型経営の根幹は長期雇用を前提とした年功序列型システムだ。このシステム維持に必要なのが新卒一括採用。新卒一括採用は採用対象者を新卒者に限るため、事実上の年齢差別を招く慣行だ。だが、日本には「年齢制限=差別」という意識が希薄で、当局が年齢差別を摘発することもない。

いやぁ、まったくその通りなんですけどね。

だけど、その差別によって優遇されているのは、何のスキルもなくても、「あたし何にもできないけれどあなた色に染まって尽くすわ」という「処女の魅力」で就職できる若者なのであって、差別されているのが中高年であるということが、一番のツボであってね。

紙面上では性別などによる差別全般に批判的な新聞社も年齢制限には“寛容”だ。朝日新聞は13年春の記者職募集概要で、「入社時点で30歳未満であれば応募できます」としている。5年前の雇用対策法改正で年齢制限は禁止されたのに、新卒一括採用という形で堂々と年齢差別している、と指摘されてもしようがないのではないか。

だからこそ、その雇用対策法施行規則で、新卒一括採用の場合は例外だと認められているわけですよ。

三  事業主の募集及び採用における年齢による制限を必要最小限のものとする観点から見て合理的な制限である場合として次のいずれかに該当するとき。
イ 長期間の継続勤務による職務に必要な能力の開発及び向上を図ることを目的として、青少年その他特定の年齢を下回る労働者の募集及び採用を行うとき(期間の定めのない労働契約を締結することを目的とする場合に限り、かつ、当該労働者が職業に従事した経験があることを求人の条件としない場合であつて学校(小学校及び幼稚園を除く。)、専修学校、職業能力開発促進法 (昭和四十四年法律第六十四号)第十五条の六第一項 各号に掲げる施設又は同法第二十七条第一項 に規定する職業能力開発総合大学校を新たに卒業しようとする者として又は当該者と同等の処遇で募集及び採用を行うときに限る。)。

世の中には、こういう若者優遇政策を若者差別だと称する「ワカモノの味方」な人々もいますが、いや優遇策だからこそそこからこぼれ落ちてしまうと優遇されないという形で問題になるのであってね。単純な脳味噌の持ち主には分からないだろうけど。

本当の問題は例えばここに書いてあるように、

年齢差別による弊害は多い。有能な女性社員が出産を機に退社すると、年齢差別の壁に阻まれて再就職が難しくなる。女性の社会進出を促すには、性別による差別禁止に加えて年齢差別禁止も加える必要がある。そうすることではじめて企業は女性を戦力として有効活用できる。

といったことですが、そういう不合理を正すために、現在「処女の魅力」で売れることを前提に育てられ続けている若者たちを、いきなり「お前はいったい何ができるんだ?」という「職種と職業能力に基づく近代的労働市場」に放り出せるのか?というのが実は最大の難点なんですよ。その時に発生するであろう阿鼻叫喚の地獄絵図が余りにも恐ろしいから、そこは例外になっているわけであってね。

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東京大学社会科学研究所シンポジウム「危機に克つための雇用システム」

Ss

再度のお知らせです。

東京大学社会科学研究所のシンポジウム「危機に克つための雇用システム」が来年1月11日(金曜日)の午後1時から開催されます。

http://web.iss.u-tokyo.ac.jp/future/sympo.html

近未来の雇用システムを考えるとき、必要なのは真の意味で「危機に強い雇用システム」です。それは今後、危機が起こったとしても、たくましく雇用社会が復元・復興する力を持つためのシステムです。さらには最悪の事態が生じるのを未然に防ぐ事前システムでもあります。
  危機を考えるとは、事前、渦中、事後といった時間軸をいかに設定し、その中での適切な対処をいかに設計・実行するかということだと思います。本コンファレンスでは、危機に克つため雇用システムの具体像を提案します。

ということで、プログラムは以下の通り。

挨拶
    石田 浩(東京大学社会科学研究所所長)

第1部 講演
  玄田 有史(東京大学社会科学研究所教授)
      『危機に克つ雇用システムとは―委託事業の成果報告』
    コメント
      濱口 桂一郎(労働政策研究所・研修機構)

第2部 パネルディスカッション
     『これからの雇用システム』
     パネリスト
     黒田祥子(早稲田大学)
     白波瀬佐和子(東京大学)
     濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構)
     佐藤博樹(東京大学)
    中村圭介(東京大学)
    水町勇一郎(東京大学)
     司会
      玄田 有史(東京大学)

第3部 全体討論

なぜか、わたくしが玄田さんの基調講演に対してコメンテーターとして噛みつき(?)、その後も居並ぶ立派な方々に混じってパネリストとして余計な口を挟むことになっています。

hamachanの噛みつき具合を観察してみたいという奇特な方は、上記リンク先から参加登録できるようになっておりますので、是非どうぞ。

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従業員目線+経営者目線=社畜

脱社畜ブログのこれを読んで、なんだか凄いデジャビュを感じたのですが、

http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/14/215109(従業員目線と経営者目線の両方を求められる日本の職場)

一方では「言われたことを言われたとおりにやれ、命令に従え」と従順であることが求められ、もう一方では経営者と同じ目線を持ち、会社の業績を気にする立場としての行動を求められる。この奇妙な捻れが、日本の「社畜的な」仕事観を形成する理由になっているんではないか、と僕は考えている。現在の日本の職場では、会社にとっては都合がいいが、従業員にとっては都合が悪い考え方を従業員に強制する際には「経営者目線」で考えることが求められ、それ以外の場面では徹底した「従業員目線」で考えることが求められているように感じる。言わば、従業員目線と経営者目線の、ダブルスタンダードが会社にとって都合のいいように採用されている。

デジャビュのはずで、本ブログに自分で書いたエントリでした。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b130.html(社畜とフツーの労働者の間)

そう、藤本さんの致命的な勘違いというのは、欧米の労働者はみんな個性的に自分らしく働いているけれども、日本はみじめな社畜であると思いこんでいるらしいところなのです。

逆です。

単なる歯車であることを社畜というのであれば、日本の正社員ほど社畜から遠い存在はないでしょう。

なぜなら、単なる歯車であることを許されないから。一労働者であるのに、管理者のように、経営者のように考え、行動することを求められるから。

そして、それこそが、単なる歯車であることを許されないからこそ、別の意味での「社畜」性が必然となるのです。

完全に同じこと言うとるな。

で、これが来年の大テーマ(@常見陽平)であるエリ-ト・ノンエリート論につながるわけです。

藤本さんの致命的な勘違い。それは、これだけさんざんに歯車になれといいながら、24時間戦う人間を賛美したり、ワークライフバランスを貶したりすることです。

世界中どこでも、単なる歯車は24時間戦ったりしません。それは経営者やエリート労働者の仕事です。歯車は歯車らしく、歯車としての責任を、それだけを果たす。

世界中どこでも、経営者やエリート労働者は猛烈なワーカホリックです。ワークライフバランスなんてのは、歯車の歯車のための概念です。

そういう非歯車性を歯車たる労働者に要求するという点に、日本語の「社畜」という言葉の複雑怪奇なニュアンスが込められているのでしょう。

・・・歯車であれというメッセージと歯車にとどまるなというダブルバインドを見事にこなしてこそ、日本的正社員なのでしょう。

その帰結が、藤本さん自身に示されているような、歯車であれといいつつ、24時間働けと口走ってしまう人なのではないかと思います。

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雇用形態の多様化時代における企業外部労働力の包摂に関する法的研究

Zenrosai本日、全労済協会から『全労済協会だより』が届きました。

http://www.zenrosaikyokai.or.jp/publication/pdf/dayori71.pdf

そこに「2012年度公募委託調査研究の採用決定について―8件の採用を決定」という記事があり、ふむふむと見ていくと、こういうのが載っていました。

雇用形態の多様化時代における企業外部労働力の包摂に関する法的研究

【研究者】本庄淳志(静岡大学人文社会科学部法学科准教授)

【研究趣旨】
本研究は、近年の雇用形態の多様化のなかでも、とりわけ労働者派遣や業務処理請負に代表される雇用のアウトソース化に着目し、同一職場内での別企業の労働者をいかにして法的にも包摂し、労働条件の適正化を図っていくのかという問題について、個別法および集団法の両面から従来の裁判例および労働委員会命令を網羅的に分析・検証した上で、必要な法規制の将来像を模索するものである。

先日の派遣請負NPOのシンポジウムでご一緒した(それ以外のいろんな場でもご一緒していますが)本庄淳志さんが、本格的な研究に踏み出そうとしています。大いに期待されます。みんなで励ましのお便りを出そう(違うか)。

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日本の賃金ー歴史と展望@『DIO』12月号

Dio連合総研から『DIO』12月号をお送りいただきました。

http://rengo-soken.or.jp/dio/dio277.pdf

特集は「生活困窮者の自立支援のあり方」で、こういう論文が並んでいますが、

若者の就労支援と「中間的就労」 小杉 礼子

住宅手当制度の現状と課題 ~利用者をエンパワーする就労支援の必要性~山田 育男

パーソナル・サポート・サービスの現状と課題 鈴木 晶子

そして、龍井さんの巻頭言「「若者雇用」をめぐる論点」もいろんな意味で論ずべきことが一杯入っているんですが、ここではうしろの方のこれを紹介しておきます。

日本の賃金-歴史と展望-に関する研究報告書

というのは、これ金子良事さんの執筆になる「日本の賃金の歴史」のダイジェスト版のようなんですね。

 戦後の歴史のなかで日本の賃金制度は揺れ動いてきた。2000年代に入ってからの成果主義賃金の導入、そしてここ数年の見直しという動きのなかで、今なお方向が定まったとはいえない状況が続いている。

 こうした動向を正確に捉えるためには、長い歴史的な経過から教訓を得るとともに、いま動いている制度の現状についても相互比較を行う必要がある。

 連合総研では、2011年10月に所内プロジェクトとして「日本の賃金の歴史と展望に関する研究委員会」(座長 龍井葉二連合総研副所長)を設置し、過去の文献調査と諸先輩の講演によって、日本の賃金の形成過程と今日的課題を明らかにしようと試みた。

 委員会では、労使および賃金研究者による講演、および法政大学兼任研究員である金子良事氏による「日本の賃金の歴史」についての執筆内容の検討を進めた。その一方で、連合傘下の産別組織において賃金を担当している役職員による、産業別組織の賃金交渉の歴史、連合総研研究員による日本の賃金の歴史についての文献調査を進めた。

 本報告書は、これらの文献調査や講演を踏まえてまとめた総論と各産別の取り組みをまとめた産別報告、そして労使および研究者の方々からご講演をいただいた内容をまとめた講演録として紹介している。

 ここでは、それぞれの内容について概要を紹介する。

以下小見出しだけ挙げておきます。

総論 日本の賃金-歴史と展望-

第1部 日本の賃金の歴史

第1章  賃金とは何か

第2章  年功賃金は、いつ頃生まれ、どのように変化してきたか

第3章  手当、一時金、退職金の歴史と現状

第4章  賃金はどのようにして決まるのか

第2部 賃金分析の方法と要求の作り方

第1章 私の賃金は高いのか、安いのか

第2章  賃金要求の作り方

第3章  日本ではなぜ過労死等が生まれ、長時間労働になるのか

第3部 今後の展望

産業別組合の賃金に関する取り組みの歴史

講演録

賃金の話の中に、一見唐突に「日本ではなぜ過労死等が生まれ、長時間労働になるのか」ってのが出てくる必然性も。

なお最後の講演録に出てくるのは、

お話しいただいた方々は、講演順に桝本純氏、成瀬健生氏、孫田良平氏、熊沢誠氏である。

とのことで、これもまた是非読んでみたい思いがこみあげてくるメンツですな。

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いまさら「常識を疑」われても・・・

http://twitter.com/hisa_kami/status/278635627195547648

企業の経営層からしみじみ聞く愚痴が、「就活生が就職することが目的化している」ということなのですよねぇ。某自動車メーカー幹部が「クルマ好きでもない、クルマに乗ったこともないのに、一流企業という理由だけで自動車メーカーを受ける学生とか常識を疑う」と嘆息していたのは印象深かった。

いやそんな、いまさら「常識を疑」われても・・・。

それこそ、職種と職業能力に基づく労働市場を断固として否定し、潜在能力あふるるまっさらの人材をこそ真っ先に求め続けてきた「企業の経営層」の方々が、いまさらそんな「しみじみ」とした「愚痴」を語られましても・・・。

そして、そういう労働社会のありように見事に適応した教育システムの中で、仕事の中身とは関係なく「やる気」を示すことこそが大事だと、幼い頃から繰り返し「常識」を叩き込まれてきた若者たちが、その振り付け通りに踊っているだけなのですから・・・。

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こういうトンデモサイトが・・・

厚生労働省のホームページに

http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/121213.html

インターネット上の「カードローン総合情報サイト」及び同サイト内の「生活保護の需給を考えている方へ 一度しっかりリスクを考えて下さい」というページ等において、厚生労働省のロゴ及びシンボルマークが無断で使用されているというお問合せが寄せられております。

厚生労働省は、このサイトやそれを管理運営する業者とは何ら関係はありません。

とあるので、どんなサイトかと思って覗いてみたら、想定を遥かに超えるトンデモサイトでした。

http://yahoo-japan.info/cardloan/seikatuhogo/

http://megalodon.jp/2012-1213-1238-18/yahoo-japan.info/cardloan/seikatuhogo/(魚拓)

生活保護の需給が出来る条件としては大体以下の条件が当てはまらないとほぼ無理です。

1.働けない人

働ける人は生活保護をもらう必要がありませんので事情は必要ですよね。例えば身体的、精神的な病気、子どもが小さい等道理的に見てあきらかに働けない方が対象です。
見た目で分からない精神的な病気などは医師の診断書など物理的な証明がなければ難しいと思います。

2.生活保護の家賃の上限

財産があるひとはそれを売ればお金になりますよね。
預金があればそれを使えばよいですよね。
そういう人は当然申請はできないです。
しかし車などもその一つですから気をつけましょう。

3.生活費以外では使ってはいけない

繰り返しになりますが、生活保護は最低限の生活を保障するものです。パチンコやギャンブルなどは当然ご法度です。定期的な家庭訪問と呼ばれる調査や、パチンコ店などへの見回りなど、中々厳しい監修の基で生活保護を受けるという事になります。

また離婚などの問題によって子どもがいる場合、幼稚園から保育園などいきなり移すような施策を取らされたりする事も珍しくありません。それ程までにシビアに数千円、数百円までチェックをされているのです。

上記の条件を満たさないと需給する申請すら出来ませんので良くご確認をして下さい。また、県などによっては多少の違いが出てきますので、きちんと確認をした方が良いです。

こういうウソを並べ立てた上で、

生活保護の需給を大勢手助けしてきた私として、まずおすすめしているのが、カードローンです。カードローンとは、最近になってクレジットカードとあまり変わらないぐらいメジャーなものとなってきました。日本の国民の4人に1人は使っているというデータも金融庁から発表されました。

・・・カードローンとは、生活保護を考える以上に良い選択肢と言えます。初めての方は不安に思うことがあるかもしれませんが、当サイトでご紹介しているカードローン会社はどこも、審査通過がラクという評判です。勿論こちらで掲載しているカード会社はきちんとした会社なのでご安心下さい。

また、審査に通過するためには、電話でのお申込ではなくくれぐれもインターネットからのお申込をして頂く事だけ強くおすすめします。
カードローンを通じて、少しでも経済的に悩んでいる方を救う事が出来れば幸いです。

と、カードローン地獄に言葉巧みに誘い込もうとするわけですな。

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取りたいけど言えない年次有給休暇の建前と本音

2012_12_2『情報労連REPORT』12月号に掲載した「取りたいけど言えない年次有給休暇の建前と本音」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/johororen1212.html

去る11月に厚生労働省が公表した『平成24年就労条件総合調査』で、年休の取得率が49.3%と、昨年の48.1%よりも若干上がったことが新聞等で報じられましたが、年休の取得率を平均の数字だけで論じることにどれだけ意味があるのかいささか疑問です。労働時間についても、一人当たり年間総実労働時間はかつて目標だった1800時間を下回るようになっていますが、むしろ30歳代の男性で週60時間以上働く労働者はいまだ20%程度で高止まりするなど「労働時間の二極化」が注目されていますが、それ以上に二極化が進んでいるのが年休の世界なのです。

上記調査とほぼ同時期に連合総研が公表した『第24回勤労者の仕事と暮らしに関するアンケート調査』(『勤労者短観』)では、年休の取得実績をどれくらい取得したか5段階に分けて調べています。それによると、正社員では「全て取得した」が8.8%、「おおよそ取得した」が13.9%で、両方併せても2割強に過ぎません。それに対して「まったく取得しなかった」が17.4%、「あまり取得しなかった」が36.4%で、両方併せると半分を超えます。その間の「半分くらい取得した」というのは23.1%です。

厚労省の調査結果だけ見ていると、みんなが半分くらい取得しているような勘違いをしてしまいますが、そうではなく、ほとんど取得しない半分強とほとんど取得する2割強とに二極分化しているというのが現実の労働社会なのです。

なぜこういうことになるのか。制度的な要因としては、年休取得は労働者からアクションを起こさなければならないことがあります。年休を取りたいと言い出しかねて黙ったままでいれば、企業側は「年休を取らないのか?」と聞く必要はないのです。そんなの当たり前ではないかと思うかも知れませんが、実はかつてはそうではなかったのです。1954年以前は、使用者がまず労働者に対して請求する時季を聴かなければならなかったのですが、同年の省令改正で、法律に基づかない省令規定の廃止ということで削除されてしまいました。その結果、自分から年休を取りたいと言い出せる勇気のある労働者はほとんど取得する側になり、言い出す勇気のない労働者はほとんど取得しない側にまわるという形で、二極化が進んできたのでしょう。

2008年の労働基準法改正では、年休取得率を上げるためと称して、年休の本質からかけ離れた時間単位取得制度まで導入しましたが、1日数時間だけ申し訳なさそうな顔で休む人が若干増えたところで、事態が改善されたとはとても言い難いのではないでしょうか。この問題は、取得促進という建前論をいくら並べても解決しません。年休を取るのが上司や同僚の手前後ろめたいという日本の労働者の本音を見据えて、後ろめたくなく取得させるにはどうしたらいいのかを、制度の根っこに立ち帰って議論する必要があるように思われます。

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デフレ派は左派かね

こういうのを、自分ではまっとうなリフレ派だと称している人々はほっとくわけですか。

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/279024194501632003

デフレ派の敗走は、このFRBの失業率ターゲット(インフレ目標付き)によるだけではなく、経団連会長(本音はむしろ左派に近くまるで連合の会長ぽい思想と雰囲気をもつ人)の安倍総裁への「白旗」などで加速化すると思われる。あとは日本銀行の悪あがきがキーポイント。

つまり、こういう人の発想では、

デフレ派=左派=労働組合

ということになるらしい。

デフレ叩きは、左派叩きであり、労働組合叩きである、と。

さあ、(本音は労働組合に近い経団連会長も含めて)左派と労働組合を叩こう、と。

ネット上によく見かける「うよりふ」な人の脳みその中はこうなっているんでしょうが、そういうのをはびこらしておいてほんとにいいの?

つか、今朝の朝日に載ったようなクルーグマンの発想と、180度真逆なんだが、もうそういう理屈の通じる世界ではないのかも知れません。

ヨーロッパでは、欧州社会党や欧州労連といった勢力こそがこういうことをいってるんだよ、なんて話もハナから通じないのでしょうし。

(追記)

と、思ったら、いままで「りふれは」と批判してきた暗黒卿こと高橋洋一氏が、意外にまっとうなことを言っていたので、却ってまごついてしまいましたがな・・・。

http://diamond.jp/articles/-/29321(総選挙を占う!本来なら革新勢力が唱えるべき金融緩和)

欧州の左派政党は雇用確保のために金融政策を活用するようにいう。「欧州社会党」(ヨーロッパの社会民主主義政党の集まり)は、雇用確保のために欧州中央銀行の政策変更を要求している。また、「欧州左翼党」(ヨーロッパの共産党などの集まり)は、金融政策と財政政策が協調して雇用を確保するために、欧州中央銀行を民主的に管理することを求めている。そして、欧州中央銀行の役割として、物価の安定のみならず、雇用の確保も必要とすべきという。

・・・筆者はかつて連合の古賀伸明会長に、金融政策で雇用の確保ができることを話したことがある。同氏はかなり驚いて興味を示していたが、いつの間にか立ち消えになった。筆者は、民主党政権が欧州左派政党のように金融政策を雇用政策の柱として位置づけることを密かに望んでいたが、はかない期待だったようだ。

もちろん、欧州の左派や労働組合は、「金融政策『』も」であって、「金融政策『だけ』」ではないし、いわんや「金融政策『しか』」などではないので、高橋洋一氏のこういう発言には顔をしかめるはずですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-8f06.html(「りふれは」の暴言)

いうまでもなく、金融政策「も」広い意味での雇用政策の一部であり、その点の認識において日本のとりわけりべさよ系の人々のセンスに問題があることは、本ブログでも(欧州社会党や欧州労連の政策論を示しつつ)述べてきたところですが、それはいかなる意味でも、金融政策以外の財政政策、労働市場改善政策、社会保障政策、教育政策等々の、広い意味での雇用政策のさまざまな要素を否定するようなものではないこともまた先進国の常識であるわけですが、

http://twitter.com/YoichiTakahashi/status/277565482859655168

雇用政策というが、先進国の雇用政策は金融政策とほぼ同義なのを理解しているのはどの党なのかをみたらいい。金融政策で雇用対策という先進国の常識がないのが日本の痛いところ

「先進国の雇用政策は金融政策とほぼ同義」などという非常識を平然と述べ垂れる「りふれは」の存在が、「金融政策で(も)雇用対策」というそれ自体はまっとうな認識を阻害する最大の要因であることもまた、現代日本の現実であるわけです。

その辺が分からないで、松尾匡さんの言葉をそのまま使っていることがいささか懸念の残るところではあります。

(再追記)

これは批判になっているとでも思っているのだろうか

http://twitter.com/yasudayasu_t/status/279207922511269889

連合の会長ぽい≒既に比較的安定な勤め先のある労働者たちの利益の代弁者(≒日本風の左派?)ってのを欧州なんかのもっと幅広い層の代弁者としての左派といっしょくたにしてもねえ。

連合が左派かどうかというのはそれ自体議論の余地のあることであるのは確かですが、それがいずれであれ、この「うよりふ」氏は、

・・・本音はむしろ左派に近くまるで連合の会長ぽい思想と雰囲気をもつ人

と露骨に罵声を浴びせているんだから、全然援護射撃になっていませんよ。「左派」を極めつけの悪口として使っているんだから。

つか、援護射撃しているつもりもないのかも知れないけど。

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40歳定年制あれこれ@『賃金事情』12月20日号

『賃金事情』12月20日号に、溝上憲文さんが「40歳定年制をめぐる議論を検証する」という記事を書かれていて、その中に私も登場しています。

同記事ではまず、国家戦略会議フロンティア分科会の記述を紹介した上で、柳川範之さんがその趣旨を詳しく述べ、「この提言を評価する人事担当者は多い」と、いくつかの企業の人事担当者の声を紹介しています。

その後で私が登場します。

有期雇用を基本とすることには、専門家からの批判がある。労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員は「問題意識は極めて正しい」と評価するが、有期雇用に転換するのは難しいと指摘する。

「実際の有期雇用は、実態としては、契約期限が過ぎても反復更新をして、雇用は継続されている。なぜ使用者が有期を活用しているかといえば、やる仕事があっても『あなたは期限が来たらクビだ。更新したいなら言うことを聞け』と脅かし、労働条件において使用者が優位に立てるからだ。仮に、仕事がないのに解雇規制があるから正社員のクビが切れないので、それを免れるために有期にしようというのが理由であるとすれば、机上の議論でしかない。・・・」

その次に、日本総研の山田久さんの発言があり、今度は「学び直し」について、人事担当者の意見、柳川さんの発言の後、

濱口統括研究員は、どの年齢層でも受け皿となる再教育機会を作る必要があることを指摘する。

「20年目で切られるから再教育するということではなく、あらゆる業種、どの年齢層でも再教育訓練が必要になることは間違いない。・・・」

と続きます。全体を読みたい方は、大きな図書館などで探してみてください。

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事務屋稼業さんの拙著書評(+今野ブラック本)

112483_2引き続き、事務屋稼業さんが「[読書]今年の10冊 」ということで、拙著を含む書物を書評かたがた紹介していただいております。

http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20121212

毎年ことわっていることではありますが、あくまで印象深かった本を選んでいるのであって、必ずしもベストテンというわけではありません。もちろん個々の書籍の内容に全面的に賛同するものではありませんので、あしからず。

ということですので、拙著に全面的に賛同していただいているわけではないのかも知れませんが、こういう評価は大変うれしく、有り難いものです。

濱口氏は日本的雇用の本質を職務の定めのない「メンバーシップ型」とし、「ジョブ型」雇用と区別します。その上で法と判例を引きつつ、日本的雇用の来歴を語っています。

広い意味での労働問題をあつかった本書は、特定のイデオロギーを喧伝するものではなく、雇用における制度と「世間」の通念のありようをわかりやすくあぶり出しています。

余談ですが、制度と通念とでは後者が優越しがちだというのは世のならいでありましょう。であればこそ、制度(既存利害)に手をくわえることによって通念(思想)の変容をもくろみ、あわよくば形勢の一発逆転をねらう「抜本的改革」が期待を集めるのもむべなるかなといったところです。

Img61_01本書に続いて事務屋稼業さんが挙げるのは今野さんの『ブラック企業』

いわゆるブラック企業について、どこがどう問題なのかを指摘し、個々の若者が対抗するための戦略を示しています。

濱口氏の書籍とあわせて読むと、ブラック企業というのは通念としてのメンバーシップ型雇用が極端にゆがんでしまった一症例なのではないかと思われます。

本書は戦闘的なマニフェストといったおもむきで、やや荒削りではあります。しかし問題提起の書としては重要なものですし、実際にブラック企業の現場で苦闘する方々にとっての一助となるかもしれません。

なお、その他の本は、ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』、スキデルスキー『なにがケインズを復活させたのか?』、根井雅弘『サムエルソン『経済学』の時代』、クルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』、スティグリッツ『世界の99%を貧困にする経済』、竹森俊平『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』、長谷川英祐『働かないアリに意義がある』、式貴士『窓鴉』、です。

最後の二つを除くと、「りふれは」ではないまっとうなケインジアン経済学系の本が多いですね。わたくしの本と今野さんの本がいささか異色に見えます。

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「虚無似他利庵」さんの拙著書評

112483 「春と修羅 第2分隊」というブログに、「虚無似他利庵」(こむにたりあん?)さんが拙著『日本の雇用と労働法』へのやや詳し目の書評を載せておられます。

http://fujinonichijou.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-5cca.html

大学のテキストとしても使われているようですが、明治期から戦前、戦中、戦後と、歴史を追って日本の雇用システムと労働法制の変遷を解説し、いかに現在の日本の雇用・労働環境が形づくられてきたかを概観できます。

・・・ところが昨今、非正規雇用の増加、労働組合組織率の逓減、個別的労働紛争解決システムの形成など、日本型雇用システムが動揺し、労働法制も変化してきています。そこに労働組合がいかに関わるか、労働組合にかかる期待も大きいといえるでしょう。
 読者諸兄には釈迦に説法かもしれませんけど、ご紹介まで…。

他のエントリを見ると、労働組合関係の方のようです。

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清家篤氏の議論をきちんと読まずに噛みつく城繁幸氏

もちろん、自称人材コンサルタント業でくちすぎをするためには、こういう見境のない罵声を定期的に浴びせることで注目を集めるというのが、もっとも合理的なビジネス戦略であるというのは重々承知の上ではありますが、やはりこれは、この業界で清家篤さんが今まで何を語ってきたかを知っている人々には、城氏の知性and/or人間性への深甚なる疑義を呈させるだけではないかと、一言いいたくなる人は数多いのではないかと思われます。

http://twitter.com/joshigeyuki/status/278657233481519104

これが現実。慶應の塾長は違う意見のようだが。→ 経団連の経労委報告 「賃金カーブ見直しを」65歳継続雇用で現役世代の賃金抑制

最近のでは、

http://www.jeed.or.jp/data/elderly/elder/download/2011_09-05.pdf

もうひとつ申し上げておきたいのは、高齢者高齢者と若年者は補完的な関係にあると若年者との間のトレードオフが起きるのは、やはり年功賃金の問題があります。年功賃金であるから定年を延長すると労働コストがかさんで、若年者を雇うことができなくなります。賃金をフラットにすることによって、高齢者の能力を活用しつつ、若年者にも活躍してもらうことは十分にできることだと思います。実際に中小企業にはそのようにしているところも少なくないわけですし、大企業にも見習うべきところがあるのではないでしょうか。

そしてずっと以前から、

http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9A%E5%B9%B4%E7%A0%B4%E5%A3%8A-%E6%B8%85%E5%AE%B6-%E7%AF%A4/dp/4062102056

清家篤「定年破壊

517jz4dmeal__sl500_aa300_ 定年は当たり前の制度ではない/「組織の若返り」という錯覚/定年廃止は労働組合の利益に/年功的処遇だから定年が必要になる/フラットな賃金にすればよい/企業は雇用保障ができなくなる ほか

本質的には、縮小した正社員層に対しては(成果主義を盛り込んだ)年功制を止める気などさらさらなく、せいぜい「賃金カーブ見直し」でしかない日本経団連に比べれば、数十年前から愚直なまでに、年功賃金制を止めてフラットな賃金制度にすべき、と主張し続けてきた清家さんに対して、もちろんほかの批判はいろいろとあるかも知れませんが、少なくともその最重要論点である賃金制度について、こういう批判(の名に値しない誹謗)を得々とやれる神経というのは、なかなか理解しがたいものがあります。

いやもちろん、それは労働問題についてある程度分かっている人々の間での話であって、「あの慶應の塾長さんって誰?」というような人々のみをターゲットにしてマーケティングをやっておられるのである以上、とやかく文句をいうのも野暮の極みなんでしょうけど。

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『POSSE』17号の表紙

A83bd45f27633d6fd1f7c4de69b6d8bc坂倉さんのツイートに、さりげなく『POSSE』17号の表紙が使われていますね。

右上に特集「生活保護はこう変えろ」という字が白く見えますが、左下にブラック企業特集で、今野さんの常見陽平さん、わたくしとの連チャン対談のタイトルが見えますね。

今日はその常見さんと、「来年はノンエリートだ!」で意気投合(意味不明)。

(追記)

http://twitter.com/yoheitsunemi/status/278771507302391809

来年はノンエリート論がマジできそう。

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hamachan先生の本を写経させたい

「だるい」さんのブログに、こんな一節が、

http://d.hatena.ne.jp/majidaru/20121207/1354882998

なんかこう、どこの政党もため息が出る感じで。

自民党には有斐閣アルマの憲法本でも叩きつけたい。

民主党には同じく政治学の本でぶん殴りたい。

維新の会その他にはhamachan先生の本を写経させたい。

いやまあ、写経しようなんて気はさらさらないと思いますよ。

つか、写経するような本じゃないし。

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健康保険と労災保険の適用関係の整理プロジェクトチームとりまとめ

本日開かれた労働政策審議会労働条件分科会労災保険部会の資料として、例の健康保険と労災保険の適用関係の整理プロジェクトチームとりまとめがアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002qomu.html

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002qomu-att/2r9852000002qot8.pdf

それほど長くもないし、どの部分も重要ですので、全文引用しておきます。

労働者の業務災害については、使用者が補償責任を負うことから、業務上の負傷等は労働者災害補償保険法に基づく給付が行われ、業務外の負傷等は健康保険法に基づく給付が行われる。健康保険法上、業務は「職業その他社会生活上の地位に基づいて継続して行う事務又は事業」と広く取り扱っており、例えば、副業で行った請負の業務で負傷した場合やインターンシップで負傷した場合などに、労災保険法からも健康保険法からも給付がなされない事態が生じ得る。

今般、シルバー人材センターの会員の就業中の負傷について健康保険法からの給付が認定されないという問題が起きたことを契機に、本プロジェクトチームを立ち上げたが、シルバー人材センターの問題のみならず、働き方が多様化する中、国民に広く医療を保障するという観点に立って、以下のとおり対応方針を整理した。

(1) 健康保険

○ 健康保険における業務上・外の区分を廃止し、請負の業務(シルバー人材センターの会員等)やインターンシップなど、労災保険の給付が受けられない場合には、健康保険の対象とする。

○ その上で、労使等関係者の負担に関わる変更であるため、変更の方法(法改正の要否)、遡及適用の要否、役員の業務上の負傷に対する給付の取扱いを含め、社会保障審議会医療保険部会で審議を行い、結論を得る。

(2) 労災保険

○ 労災保険には、労働基準法に規定する労働者以外の者(請負の業務を行う者等)のうち、特に保護すべきものに対し、例外的に労災保険の加入を任意で認めている「特別加入制度」がある。負傷等を負った方が十分な給付を受けられるよう、特別加入制度について十分な周知・勧奨を行うこととする。また、特別加入制度の対象者については、就労環境の実態を踏まえ、適切なものとなるよう、検討を行う。

○ シルバー人材センターの会員等であっても、従来どおり、実質的に雇用関係にある方には労災保険の給付の対象となる旨を、改めて労働局等に徹底することとする。

(3) シルバー人材センター

○ シルバー人材センターの会員の保護の観点から、一般企業や公共機関から受注している作業を中心に、可能なものは全て、労災保険が適用される「職業紹介事業」や「労働者派遣事業」による就業への転換を進めていくよう指導することとする。

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そして、「権利と義務」はEU労働社会政策の中軸でもある

権利と義務の話題があらぬ方向に逸れていく一方で、ねおりべな方は皮肉な(少なくとも本人はそれが皮肉に響くであろうという期待をもっての)台詞で、次のように語りますが、

http://www.tachibana-akira.com/2012/12/5360(素晴らしき強制労働社会 週刊プレイボーイ連載(78))

もちろん福祉社会のオランダでは、失業しても生活の心配はありません。失業保険をもらいながら、再就職のための教育訓練まで受けられます。

これも素晴らしい話ですが、そのかわり04年に施行された「雇用・生活保護法」で、18歳以上65歳未満の失業保険受給者は原則として全員が就労義務を課せられ、「切迫した事情」を立証できないかぎりこの義務は免除されないことになりました。

先進的な福祉国家では、社会に参画(貢献)する意思と能力を持った“市民”だけが手厚い保障を受けられます。

理想の福祉社会は、強制労働社会でもあったのです。

いうまでもなく、労働社会政策関係では(私自身によるものも含めて)ここ十年以上にわたって繰り返し紹介されてきたことではありますが、そういうのにはあまり縁のなさそうなこの筆者にとっては、これは

北ヨーロッパの福祉社会を視察した労働組合幹部などが、帰国後は一斉に口をつぐんでしまったからです。

という陰謀論に帰結してしまっているようです、やれやれ。

ただ、橘氏が悪意をもって「強制労働社会」とラベリングするアクティベーション政策に対する、捨て扶持派か否かを問わぬベーシックインカム論者の感覚的反発が、このような議論の横行を許す土壌となっていることだけは、確認しておく値打ちはありそうです。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/oecd-dd50.html(OECDアクティベーション政策レビュー)

本日、OECDのアクティベーション政策レビューのためのミッションの方々との意見交換を行いました。

来られたのは、OECD雇用労働社会問題局雇用分析・政策課の研究員の4人で、うちテルガイストさんとは、先月末のEU財団の労使関係ワークショップでお会いしておりました。

アクティベーションとは、厚労省は「就労化」と訳していますが、つまり働いていない人々をいかに働いてもらうようにもっていくか、という政策課題です。ヨーロッパでは、失業給付や福祉給付が寛大であるため、そこの安住してなかなか働こうとしない「失業の罠」「福祉の罠」が大きな問題となり、アクティベーション政策が必要になってきたわけですが、日本はそもそも失業給付の期間が短く、生活保護も事実上就労可能な男性は入れないという運用をしてきたわけで、欧州的なアクティベーション政策とは文脈がまったく異なります。

本日は、そういう文脈が日本と欧州でいかに異なるかという話から始めて、生活保護、シングルマザー、障害者、高齢者、若者、などなど、予定を大幅に超えて議論が弾みました。

これにより、日本の労働社会問題の理解が少しでも進めばうれしいことです。

(追記)

冒頭私からおおむね次のようなことをお話しし、質疑応答で様々なトピックについて議論がされました。

日本における具体的な「アクティベーション」政策について論ずる前に、欧州においてアクティベーションが提起されるに至った社会的文脈と日本の文脈は異なることを述べる必要がある。
 欧州におけるアクティベーションとは、失業給付や公的扶助が寛大でありすぎるため、就労可能な者が「失業の罠」や「福祉の罠」に陥ってしまい、結果的に非生産的な公的支出が増大することに対する対策である。すなわち、給付のような消極的労働市場措置よりも、職業訓練などの積極的労働市場措置に支出を振り向けることにより、これらの者が非就業から就業に復帰することを促進しようとするものである。アクティベーション政策により社会全体の就業率が向上すれば、税金や社会保険料の支払い等により積極的労働市場措置に要したコストも回収することができる。
 もちろん、欧州でも就業率の向上だけが追求されているわけではなく、「モア・アンド・ベター・ジョブ」という形で、仕事の質の向上も追求されているが、あくまでも主力は就業化にある。むしろ、就業化が進む中で、「低賃金の罠」にも関心が向けられるようになってきたといえる。
 これに対して、日本は従前から失業給付や公的扶助が制度的ないし運用上きわめて厳格であり、「失業の罠」や「福祉の罠」はきわめて限定的にしか存在してこなかった。雇用保険の失業給付は、制度設計上、そのカバレッジがきわめて限定的に設計されている(多くの非正規労働者が対象から除外されている)上、給付水準は中程度であるが、給付期間が(欧州諸国と比較すると)きわめて短期間である。若年者の場合3か月、中高年でも1年間に達しない。さらに、多くの欧州諸国に存在する無拠出制の失業手当制度がまったく存在しない。このため、短期間の失業給付の受給が終わると、労働行政機構からの給付は全くなく、職業紹介サービスを受けることができるだけである。
 一方、日本の公的扶助制度は、法律の規定上は無差別平等を唱い、就労可能な者も排除しないこととされているが、戦後長い期間にわたって、事実上就労可能な者(特に男性)は福祉事務所の窓口で受給を拒否されるという取扱いを受けてきた。そのため、ごく最近になるまで、日本における公的扶助の受給者の9割以上は、高齢者、障害者、傷病者、シングルマザーであり、そもそも「アクティベート」すべき人々とは見なされてこなかった。
 これらのため、日本においては、欧州におけると同じ意味において「アクティベート」されるべき人々はあまり存在してこなかったというべきであろう。もちろん、短い失業給付といえども、早期に就職できるにもかかわらず最後まで受給しようとする者は多いし、公的扶助の世界にも(時々マスコミで取り上げられるように)働けるのに福祉に依存する者がある程度存在するが、前者は早晩受給が終了すれば否応なく就職せざるを得ないのだし、後者は欧州と比較すればネグリジブルであろう。
 では、日本の労働者は既にアクティベートされているから問題がないかというと、まったく逆であり、「失業の罠」や「福祉の罠」に安住できないが故に否応なく就業せざるを得ない彼らの多くは、非正規労働者として就職せざるを得ず、「低賃金・低技能・不安定雇用の罠」に陥っている。つまり、適切にではなく、不適切にアクティベートされてしまっていることが、日本の労働市場の問題である。これに対して、ある種の人々はセーフティネットの拡充と称して、失業給付や公的扶助をより寛大にすることを主張しているが、厳格なアクティベーションを伴わなければ、それは欧州が脱出しようとしてきた旧来の姿に向かうことでしかなく、適切な政策とはいえない。
 したがって、日本における労働市場政策の主たる課題は、低賃金の非正規労働者として不適切にアクティベートされてしまっている人々を、そのアクティベートされている状態を維持しながら、税金や社会保険料を払うことのできる正規労働者として適切にアクティベートされた状態に持って行くことにある。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/oecd-9adb.html(『日本の労働市場改革 OECDアクティベーション政策レビュー:日本』)

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岩波書店の商売気

http://twitter.com/Iwanamishoten/status/278053980532244480

衆院選で,改めて憲法がクローズアップされています.人権と憲法の正しい理解には,芦部信喜『憲法 第五版』( )が最良の教科書です.候補者の方々には,いま一度の熟読を強くお勧めいたします.

直弟子の方もね(つうか、私も直弟子の端くれなんだが。大教室で授業を受けたという意味では)。

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「権利行使には義務が伴う」ってのは社会党の主張だったんだが・・・

なにやら憲法の権利と義務が話題になっているらしいのですが、その配置状況が何とも奇怪至極に見えるのは、私の脳味噌の中身が半世紀以上昔の仕込みだからなんでしょうか・・・。

http://twitter.com/katayama_s/status/276893074691604481

国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!

権利行使には義務が伴うべし、というのは、終戦直後に、現日本国憲法が国会で審議されたときに、野党の社会党の議員によって強く主張されたことなんですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_90fd.html(勤労の義務)

およそ、憲法も含めて、法律について何事かを論じようとする際に、立法者意思を確認するというのは不可欠の基礎作業なんですよ。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060921/p2

現行憲法第27条第1項は、衆議院で修正されています。修正前の政府原案は「すべて国民は、勤労の権利を有する」であったのですが、それが「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と修正されているのです。つまり、勤労の義務は当時の国民の代表である衆議院の意思によって敢えて挿入された規定なのです。

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○黒田委員 勞働關係に付きまして午前中に多少御尋ね致しましたが、尚ほ申し殘して居りました點に付て、今少しく質問を致して見たいと思ひます、第二十五條で、國民は勤勞の權利を有すと規定されて居りますが、我々總て健康な國民は勤勞の義務を有する、働かない者は食ふべからずと云ふ原則を打立つべきであると考へます、殊に敗戰後の我が國に於きましては、一人と雖も無爲徒食する者があつてはならないのでありまして、單に權利を有すると云ふばかりでなく、義務を有すると云ふことを私ははつきりと規定すべきであると考へます、政府原案に於きましては、唯勤勞の權利を有すと云ふだけになつて居りますが、積極的に義務を有することまでも規定する、政府に其のやうな御意思はございませぬでせうか

○金森國務大臣 御尋ねの點は他の機會に於て申述べたことがあると記憶して居りますが、憲法の建前は一切の所謂自由權、基本權の其の裏には、義務があると云ふことを前提と致して居りまして、權利は一つ一つにありますけれども、之に對應する義務は一括して第十一條に包括的なる内容として、之に對應する義務を規定して居るのであります、そして憲法の中に特に義務と云うて擧げて居りますのは、前の義務教育の規定の如き特殊な意義を持つて居るものに限定して居ります、大體此の憲法の案文の立て方に付きましては、色々の基本方針と云ふものが立て得ると思ひまして、其の總ての原理を採用する譯には行きませぬ、此の憲法は或る考へ方に基いて條文を整理して居るのであります、其の一つの原理を的確に適用し得るものを原則とし、理論の主張として將來強く發展し得べき可能性がありまするにしても、實行的に直ちに現實の制度となし得ざる程度のものに付きましては、比較的抽象的なる言葉を用ひて解決し、又各種の權利に付きましては、權利の方面より規定することを主として、之に伴うて義務の存在する部分は、包括的に一つの條文で解決して居ると云ふ建前になつて居りまする爲に、御尋ねになりまする點に付て、十分の御滿足を與ふるやうな御答へが出來ませぬことは、洵に遺憾でありまするけれども、建物の趣旨がさう云ふ風になつて居ることを御承知を願ひたいと思ひます

○棚橋委員 色々御説明がありましたが、依然として私の不滿は解消されないのであります、併し此の問題に付て尚ほ論議することは是で止めて置きます其の次には勤勞の義務と云ふことでありますが世の中には勤勞の能力もあり勤勞の意思もあつて、而も勤勞の機會を與へられない爲に、生活の保障を得ることが出來ない、さう云ふものが存在して居るが、又反對に完全に勤勞の能力を持つて居る、併し勤勞の意思を有しない、又は勞働せずにも生活することの出來る資力を持つて居れが爲に、敢て勤勞することをしないと云ふ人々も存在して居るのであります「ドイツ」の民法等を見ますと、總ての「ドイツ」人は其の精神的及び肉體的の力を社會公共の利益の爲に提供活用すべき義務がある、斯う云ふことを申して居りますが、私は是は今日の日本の國情にあつては殊に大切なことではないかと考へるのであります、我が國の現状から申しますと、國民の生活に必要な食糧すらも、今日ことを缺いて居るのでありまして、お互ひに其乏しきを分ち合つて、さうして生活をして行かなければならぬ状態にあるのであります、然るに自分は完全な勞働能力を有しながら其の少い食糧を分ちあつて食べる生活資料を消費して居りながら自分の勞力を國家、社會に提供して此の社會に寄與することをしないで漫然と暮して居ると云ふことは、社會正義の上から申しましても許すことが出來ない、又國民經濟の上から申しましても許すことの出來ないことであると考へるのであります、又我が國は敗戰の結果、今日非常な打撃を被つて居るのでありますが、此の状態から起ち上つて國家を再建する爲には、國民の大きな努力、獻身を要求しなければならぬのでありますけれども、其の國民は今日道義的には非常に低下して居る責任觀念は地を拂つて居る、利己的な考へが社會全般に横行して居る、此の國民の精神を振作、作興して行かなければ、我が國の再建は難かしいのであります、此の秋に方りまして國民皆勞の原則を憲法に明かに掲げまして、國民精神の緊張を圖ると云ふことは、此の點から考へましても、國民に勤勞の義務を課すると云ふことは大切なことであると考へるのであります、此の點に關する國務大臣の御考へを承りたいのであります

○金森國務大臣 御説のある所は能く了承致しました、私もものの原理に於きまして左樣な考へが十分尊重さるべきものと思つて居ります、併しながら此の憲法の建前は、第二十五條に於きまして、我が國民は勤勞の權利を有すると云ふ根本の原理をはつきり認めますと同時に、憲法の第十一條に於きまして、斯樣な權利は一面に於て濫用してはならぬと云ふことと同時に、之を利用する責任を持つて居る、即ち權利を持つと同時に、其の國民の權利を公共の福祉の爲に之を利用する責任を持つて居ると云ふ風に書いてあります、隨て權利に對する規定と、第十一條の規定と相承けまして、國民全般が公共の爲にする奉仕の責任を負ふと云ふことは明かになつて居ると信じて居ります

○芦田均君 本日いとも嚴肅なる本會議の議場に於て、憲法改正案委員會の議事の經過竝に結果を御報告し得ることは深く私の光榮とする所であります
 本委員會は六月二十九日より改正案の審議に入りまして、前後二十一囘の會合を開きました、七月二十三日質疑を終了して懇談會に入り、小委員會を開くこと十三囘、案文の條正案を得て、八月二十一日之を委員會に報告し、委員會は多數を以て之を可決致しました、其の間に於ける質疑應答の概要竝に修正案文に付て説明致します・・・・・次に憲法改正案委員會に於て原案に修正を加へた諸點に付き報告致します、・・・・・・更に個人の生活權を認めた修正案第二十五條に付ては、多少の説明を必要とするかと考へます、改正案第二十五條に於ては、總て國民は勤勞の權利を持つと規定して、勤勞意欲ある民衆には勤勞の機會を與へられることを示唆致して居ります、此の勤勞權は民衆に一定の生活水準を保障し、延いて國民の文化生活の水準を高めようとするものであり、國は此の點に付き社會保障制度、社會福祉に付て十分の努力をなすべき旨を第二十三條に規定して居ります、併しながら第二十三條の字句には、多少意を盡さない憾みがある如く考へられまするので、委員會に於ては、一層明白に個人の生活權を認める趣旨を以て、原案第二十三條に、「すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を營む權利を有する。」との條項を挿入し、原案を第二項として、「國は、すべての生活部面について、社會福祉、社會保障及び公衆衞生の向上及び増進に努めなければならない。」と修正した次第であります、斯樣に生活權の保障を規定する以上、他方に勞働の義務も規定することが至當であるとの意見に從つて、原案第二十五條に修正を加へて、「すべて國民は、勤勞の權利を有し、義務を負ふ。」としたのであります(拍手)

ちなみに、黒田寿男、棚橋小虎ともに社会党の議員です。

この修正に対して、貴族院では、

○小山完吾君 私は衆議院修正案の二十七條、原案の二十五條の規定を、極めて簡單なことを伺ひたいと思ふのであります、或は私は遲參致しました爲に、牧野委員と金森國務相との間に、既に御解説になつて居るかと思ひます、私は此の二十七條、衆議院で修正の二十七條を讀みまして、勤勞の權利迄は理解出來るのであります、是はこんなことは書いてなくても宜いことと思ひますけれども、近世の是は傾向で、勞働は權利だと云ふことで、一種の人格、生活權の要求と思ひますから、是は有つても宜いと思ひますが、併し義務を負ふと云ふことは、一體どう云ふことになるのでありませうか、どう云ふ積りで、此の權利を有すると云ふ上に、義務を負ふと云ふことを附加へたのか、一體其の義務と云ふものの内容はどう云ふことになるのでありませうか、と云ふのは、是は甚だどうも法律を知らない素人の質問と御笑ひになるかも知れませぬが、義務を負ふと云ふことは、國民に取つてそれだけの詰り國家の方なり、或は社會全般の方から要請する權利があると云ふことになる譯でありますが、勤勞と云ふ文字の中には、精神勤勞もありませうし、勞働勤勞もありませう、必ずしも勤勞と云ふ文字は有形の力を以て働く所の其の勤勞のみを意味して居ないことと思ひますが、此の義務を負ふと云ふことは、餘程用心しないと云ふと、我々の基本權を國家にも害せられ、又心なき民衆にも害せられる、我々の基本權と云ふものが害を受けると云ふことが生ずるのであります、現に實例を以てしましても、先達て總論の時にもちよつと觸れて居つたのですけれども、此の個人の基本權を理解しない所の民衆と云ふものは、隨分我々の「プライベーシー」に對して無用な干渉をする、強制をすると云ふことが、文明の程度の低い社會に於て、往々有り勝ちであります、殊に戰爭中の如き、例へば町會と云ふやうなものは、我々の意見を代表して、さうして國家の爲に協力すると云ふ機關でなければならないのでありますけれども、日本の民衆の教育の程度と云ふものが低いものですから、町會と云ふものを作れば、直ぐ區役所の知識なき小役人の言ふことを其の儘押し附けると云ふことが起る、例へば義務を負ふと、勤勞の義務を負ふと云ふことは、どう云ふ事柄になつて現れて來るかと云ふことは、私共は自分の爲に勤勞を毎日して居つても、其の勤勞は、必ずしも山に行つて松の根を掘ると云ふ勤勞ではない、又開拓の爲に山に行つて木を伐ると云ふ勤勞でもありませぬ、併しながら國家の爲、又自分の爲に勤勞は一日も休むべきことでない、然るにも拘らず、今開墾が必要だと云ふことになれば、村中で、町中で行つて、さうして山の開墾をせなければならぬ、あなた出て呉れと、斯う云ふことになる、又松の根を掘つて松根油を作つて、是で戰爭するなんてのは恐るべき無智な話でありますけれども、併し其の當時の指導者の方針としては、之をやらせると云ふことで、さうすると私共に向つてちやんと自己の勤勞をして居る者に向つて、山に一緒に行つて松の根を掘れ、或は女だけの世帶に對して、女に對しても一世帶持つて居れば、それを強制すると、斯う云ふやうなことを言つて來るのですが、私は少數の專制と云ふことがあるし、多數の專制と云ふこともある、民主政治の世の中に於て、多數の理解なき專制と云ふものは、最も警戒しなくちやならぬ、さう云ふことを考へ及びますると云ふと、此の義務を負ふと云ふことは、一體其の内容は、どう云ふことを御考になつて、之に同意なさつたのですか、それを私教へて戴きたいと思ふのです

○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せになりましたやうに、此處に勤勞の義務と云ふ言葉を書きますることは、若し之を錯覺して濫用を致しまするならば、社會に相當の影響がある虞があらうと考ふるのでありまして、そこで原案を作りまする時には、左樣なことをも顧念を致しまして、其の規定を設けないで置きました、さうして憲法の草案の修正第十二條に於きまして、既に勤勞の權利ありとすれば、之を公益の爲に使はなければならない、濫用してはならないと、斯う云ふ風に働かせようと云ふ趣旨であつた譯であります、處が衆議院に於きましては、多分は勤勞の權利を先に考ふるのは、必ずしも正しくない、勤勞の義務をも同時に考ふべきものではなからうかと云ふ御説であらうと思ひます、そこで本文の中には矢張り勤勞の義務と云ふものを書き入れるのが正當であると云ふ御考の下に修正せられたものと思つて居ります、で、政府と致しましては、初めは斯樣な規定を入れることに付きまして、若干の誤り用ひらるる虞を心配して居つたのでありまするけれども、物の道理に於きましては、之を入れますることに何の間違ひはない、斯う云ふやうな考を以ちまして、御同感を申上げた譯であります、そこで此の勤勞の義務を此處に入れると云ふことは、如何なる趣旨を持つて居るのであらうかと云ふことになりまするが、豫豫私から申上げましたやうに、此の憲法は、積極的に經濟的な「イデオロギー」の孰れを採用すると云ふ態度は執つて居りませぬ、大體民主政治と云ふものに必要なる原理を取り、又現在に於てはつきりして居る所に根據を取りまするけれども、それ以上に進みまして、甲の集團に於ては此の考が正當でありとなし、乙の集團に於ては此の考が正當でありとなし、又學説の範圍に於きましても、甲の側の學説と、乙の側の學説があつて、論議、今將に盛であると云ふやうなものに付きましては、絶對必要がない限りは、是には關與しないと云ふ態度を執つて居るのであります、斯樣に致しますると、中味が雜駁であるとか、或ははつきりした筋が通らぬと云ふ御非難は起り得るかも知れませぬけれども、國家の運命を擔つて將來の發展を豐かに、それは將來の問題として、殘して、此の際の根本方策たる此の組織法を決めまする上に於きましては、私の申しましたやうな態度が賢明であると信じたからであります、此の委員會に於きまして物足らぬとか、何とか云ふ御非難は、或程度迄私は心の中に個人的な主義からして御贊同申上げることはありまするけれども、併し全體の道筋としては、今申上げましたやうな趣旨に立つて居るのであります、そこで此の第二十七條に、此の勤勞の義務を負ふと云ふ規定を御入れになりました趣旨は、私共特殊なる經濟的の「イデオロギー」、特殊なる學問上の「イデオロギー」と云ふものに關係なく、此處に入れられました文字其のものとして受け容れて、御贊同を申上げた譯です、何故に之を、文字其のものとして受け容れるかと申しますると、是は常識的でありまするが、我々個人の尊重と云ふことを旗印にして、此の憲法の原則を樹てて居りまするけれども、自由、平等、是だけでは我々の社會的生活を完うすることが出來ませぬので、少くとも、更にそれを一歩はみ出した所の協同生活相互に亙る所の考へ方がなければならぬのであります、唯此の憲法は、露骨にはそれを言つて居りませぬが、其の精神はそれを取込んで居ります、さうすれば協同生活をお互にして居りますれば、お互に働く權利があると同時に、又お互に働く義務を持つのではなからうか、其の義務は何であるかかにであるかと云ふことではなくて、兎に角協同生活と云ふ今日の常識に於て、お互に何か物を、詰り勤勞を、自由にしないで、權利義務の形に於て、受け容れるだけの心持になつて居るのであらう、然らば此處に義務と云ふ言葉を入れることには、何等の過ちはないと考へたのであります、從つて此處に義務と書きましたのは、是は午前中にも申上げましたが、具體的に一定時間の勤勞を仲間の間に、部落の間にするとか、國家に對して何か一年に何日の勤務の義務を捧げるとか何とか、さう云ふ具體的な内容を一つも考へて居りませぬ、大體さう云ふことは、斯う云ふ義務がありと考へることが人間の本義である、そこで國家は之に對して、此の憲法に於て明かな規定を設けると云ふ非常に廣い意味であります、そこで今度は此の義務を現實の世界に具體的に致しまするには、積極的に法律を設けなければならぬと思ひます、現在でも賦役などと云ふ場合に、其の賦役と云ふことは、勤勞の義務を含んで居ります、既に法律世界には左樣なものが誌められて居ります、今後の場合に於きましても、斯樣な一般的原則を基礎と致しまして、之に正當な判斷を加へて、一つ一つの法律が出來て、それで現實の義務は出來て行くものと存ずるのであります、斯樣に考へますると、是は物の考へ方に於て尠くとも現代の常識に照らして間違ひはない、而かも實行上懸念はない、斯う考へて居るのであります

○小山完吾君 大變に、金森國務相としては心を入れた御説明であつたのですが、私は根本から思想を異にして居りますから、是以上御聽きすることもないのですが、私の考を申上げれば、一體此の二十五條の「すべて國民は、勤勞の權利を有する」此の言葉はあつてもなくても宜しいことですけれども、併し社會主義者とか、さう云ふ方面の人は勤勞と云ふことを一つの生活權と認めて居るのでありますから、それは入れても惡いことはない、殊に第二項、第三項と云ふやうな問題が常に起つて來るので、先刻の御説明に依りますれば、二項三項は補強的の規定だと言はれますが、私の見る所では補強的の規定でない、之を言ひたいから、「すべての國民は、勤勞の權利を有する」、斯う書かねばならぬことになつて居るものと私は考へて居る、それでそれに義務を負ふと云ふ字を附加へたと云ふことは、政府も、初めは私と恐らくは御考が同じであつたから、其の時は加つて居なかつた、只今の御説明を伺ひますと、權利の裏には常に義務があると云ふやうな極めて通俗的な考で、少しも學問上、法律上の根據はないものと言はねばならぬやうな御説明でありまして、甚だ私は此の衆議院の修正を遺憾とすると云ふだけの意見を述べまして、私の質問は是で打切ります

○子爵大河内輝耕君 私は二十七條の勤勞の義務に付て伺ひたいのですが、是は衆議院で入つたので、政府がどう云ふ意味で是等に御贊成になりましたのですか、一體勤勞の義務などと云ふことをどう云ふ風に解して居られますか、其の具體的な範圍と云ふものはどう云ふものでせうか、是は政治的なこと、其の他のことに隨分濫用すると云ふ傾もありますし、又十八條の「何人も、いかなる奴隸的拘束も受けない。又犯罪に因る處罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と云ふやうなことと是がどうして調和しますか、刑務所でやるのさへ就役は修養だと云ふのに、何も惡いことをしない國民が無暗に勞働をさせられても困りますし、さう云ふ點は如何なものでございませうか、出來得る限り勤勞の義務に對する具體的のことを伺ひたい

○國務大臣(金森徳次郎君) 只今御質疑を受けました勤勞の義務の所は、是も度々申上げまするやうに、斯く入れられたことに依りまして、衆議院がどう云ふ氣持を以て入れられたかと云ふことは、實は推測だけでありまして、殘る問題は、政府は斯樣な文字が入つたことに付てどう了解して居るか、從つてそれをどう感じたかと云ふ點から御答を申上げます、原案に於きまして度々申上げまするやうに、我々は個人生活と云ふものに相當重きを置いて居ると云ふこと、即ち人間自身の尊重と云ふことから、此の憲法が出發して居ることは申す迄もない譯であります、併しながらそれは決して純粹の個人主義を讃へるものではありませぬ、個人を尊重しつつ全體の福祉と云ふことを考へて行かなければならぬ、斯う云ふ範圍に於きまして、當然各人は御互に協力し合つて、此の共同生活を導いて行かなければならぬと云ふことになりますると、人間は働くべき權利を持つと同時に、又それは働くのみに止まらずして御互に働くことに依つて、共同の利益を高めて行くべきものであると云ふことは當然である、斯う云ふ風な結論に到達すると存じます、併し是は謂はば道徳上、或は社會上の問題でありまして、それを憲法に採り入れるのはどうかと云ふことになりますると、其の法的價値を考へつつ若し法的價値を附與することに意義があるならば、憲法上それを採り入れる、それがなければ、憲法上は必ずしも採り入れる必要はないと云ふことにならうと思ひます、そこで原案に於きましては、國民が其の本來存して居る勤勞の權利とも謂ふべき社會的な働きに付きまして、國家が之を國法を以て妨げる、例へばお前は働いてはいかぬ、職業選擇の自由などとも關係を致しまして、故なく其の活動を止めると云ふことは宜しくない、從つて斯樣な意味に於きまして勤勞の權利を認むることが正當である、斯う云ふ風に考へまして、第二十七條の中に「すべて國民は、勤勞の權利を有する。」と斯う書きました、義務の方面は其處迄行かなくても、大體十一條のやうに、勤勞の權利があれば、當然之を行使する義務のあることは、總括的な規定から來るからして宜からうと、斯う云ふ考で草案を固めて議會の御審議を仰いだ譯であります、處が衆議院に於ては、左樣な考へ方を恐らく認められないのであります、勤勞の權利があるから、之に伴つて義務がある、斯う云ふ考へ方でなくて、初めから人間が共同生活をする限りは權利もあり、同時に義務もある、權利の方から言ふよりも、先とか後とか言ふのではありませぬが、同時に勤勞の義務があつて、協同生活を健全に發達せしめて行かなければならぬ、斯う云ふ趣旨に於て勤勞の義務の規定を入れられたものと察して居ります、從つて法律的に申しますると、勤勞の義務を妨げると云ふやうなことは、國家の方からは想像は出來ませぬ、國民の側から申しますれば、さう云ふ大原則を茲に確立せられたと云ふことを、はつきりした姿で認める、斯う云ふ權利義務の宣言と云ふやうな意味にならうと思ひます、從つて是から直接に何の具體的な義務が出て來る譯でもないと考へて居ります、尚當時の經緯からと申しまするか、衆議院の此の論議のありました經緯から想像して見まして、勤勞の義務と申しまするのは、例へば能く戰時中にありました徴用せられまして働くとか、何か「ドイツ」にありましたが、若い者は學校を出てから或期間勤勞の義務を果すことに依つて、初めて國民的な一人前の仕事が出來ると云ふやうな思想があつたやうでありますが、此處の勤勞の義務と云ふものは、さう云ふ箇々の具體的のことを言ふのでなくて、人間と云ふものは協同生活に對して貢獻すべき勤勞の義務を持つて居るのだと云ふので、原則を表明したと、さう云ふ趣旨に了解して、それならば極めて正道な規定であるとして、御同感を申上げたのであります

○子爵大河内輝耕君 私はもうありませぬ

○子爵大河内輝耕君 私は仕方ないから始めますが、全く是は困ります、斯う云ふ手違ひは……、私のは前文、第四條、第五條、第六條、第七條を削除して、第三條を削除して別に左の一文を加ふ「天皇は國政に關する權能を有しない」、是は度々説明して居りますから理由は省略致します、それから第二十七條第一項の「義務を負ふ」を削る、是は實は金森國務大臣に此處に來て戴いて私も質問しまして、さうして其の工合に依つては撤囘しようと思ひましたが、御出でがありませぬから甚だ兩大臣御迷惑でございませうが、私の伺ひたいことは斯う云ふことなんです、第二十七條の、勤勞の義務を負ふ、と云ふことになればどんなことでもやらされはしないか、「アルバイト・ディーンスト」のやうなことでもやらされはしないか、お前ちよつと此所へ來い、此所へ來て此の土擔ぎをやれ、或はさう云ふやうな種類のことを此の結果やらせはしないかと云ふことを憂へて質問しました處、それに對する金森國務大臣の答辯は、それは決してさうでない、是は唯勤勞と云ふものは權利ばかり見てはいけない、勤勞者と云ふものは兎角、勤勞者と言つてはいけないが、世間には勤勞した以上は權利ばかりを主張すれば宜いと思つて義務と云ふものを兎角怠り勝ちであるから、自分は義務として之をやると云ふ觀念を強める爲に此の規定を置いたと云ふ御話、それなら甚だ危險な書き方であります、私としては別に何も削除する必要はない、それで伺ひたいのは此の二十七條には、法律で之を定める、と云ふことが書いてある、色々な條件は法律で定めると書いてありますから、其の法律はどう云ふ風に御規定になるか、十分私の言つたやうな意味が其の法律で現れますものなら是があつても差支ない、其の點で實は政府に伺ひたいのでありますが、御差支なければ兩大臣の中から御答を願ひたいと思ひます

○國務大臣(植原悦二郎君) 大河内子爵に御答へ致します、此の規定の趣旨は先程御述になりました大河内子爵に對する金森國務大臣の御答になつた通りだと思ひます、さうして直ぐに賃銀、就職時間等の勤勞條件に關する規準は法律で定める、勞働者に對して最低最高の賃銀を定めると云ふやうなことは軈て法律ですることが起ると思ひます、それから就職時間は八時間にするとか、十時間にするとか、其の八時間は實働時間八時間にすると云ふやうなことも軈て法律で定まることと思ひます、それから休息、一週間に一度休息するとか云ふやうなことも勤勞條件に關する勞働の基準としてのことを法律で定めると云ふことに考へて居るのであります、それから未成年の年齡も軈て定まるでせうが、何歳以上の男女兒童は勞働に從事させてはならない、或は兒童を使ふ場合に於ては其の勞働時間をどうしてはならないと云ふやうなことで、何れ斯う云ふことは法律で定まることと思ひます、左樣御承知を願ひます

○子爵大河内輝耕君 金森大臣が御出席になりましたから、今一應此の二十七條の質問を御許し願ひたい、只今植原大臣から伺ひまして、大變御丁寧な御答で大體分つて居りますが、尚金森大臣御出席のことでありますから一應伺ひます、第二十七條第一項の「義務を負ふ。」を削ると云ふ私は修正案を出し掛けて居るのです、此の二十七條の一項と云ふのは、[すべて國民は、勤勞の權利を有し、義務を負ふ。」此の「義務を負ふ。」を廢めよう、「有す」とする、なぜさうしたかと申せば、此の間も申した通り、是が「ドイツ」の「アルバイト・ディーンスト」のやうに人を何でもかんでも連れて行つてやらせると云ふやうなことがあつては困ると云ふ心配からやつたのでありますが、只今植原大臣の御説明ではさう云ふことは心配ないと云ふ御話でありますが、どうも私は心配なんです、植原大臣のやうに心配はないと思ひますけれども、萬一の場合を考へて是は削つたら宜い、幸にして此の第二項に「基準は、法律でこれを定める。」とありますから、此の法律の中へでも織込んで、こんなことは決してさせないのだと云ふやうなことでもあれば強いて私は提案することもない、さう云ふことは禁ずると云ふことを法律に書いて貰へば、法律だから輕くなるが、そんなことはお負けしても宜いと思ひます、で金森大臣の御説を一應承りたいと思ひます

○國務大臣(金森徳次郎君) 御答を申上げますが、此の憲法の規定は民法や其の他の個々の法律とは趣を異に致しまして、結局大原則を表明すると云ふことが重點でありまして、現實の場合の權利や義務其のものを規定して居る趣旨ではございませぬ、此處で「國民は勤勞の權利を有し、義務を負ふ。」とすると云ふことは衆議院で入れられました趣旨を考へて見ましても、一體人間が共同生活を致して居りますれば、お互に盡すべきことを盡し、盡さるべきことを盡さるべきであると云ふ基本の考へ方がありまして、人間共同生活に於きましての各人の勤勞に關する基本の考を此處にまあ表明したと云ふだけでありまして、之に依りまして現實の義務を負ふと、斯う云ふ趣旨ではなかつたと衆議院の解釋を考へて居ります、と申しまするのは、當時衆議院で此の言葉を入れられまする時に、或人人は或年齡に達すれば勤勞をするとかと云ふやうな具體的なことを豫想せられて居つたが如き語氣があつたのでありますけれども、大局に於きましてさう云ふ細かいことを毛頭考へて居るのぢやないと云ふ風に道義的方針と云ふものを明かにすると斯う云ふことに落著いたやうに存じて居りまするから、今仰せになりましたやうな點は何等御懸念になる必要はない、之に基きまして各種の具體な法律があの勤勞の義務を強制するならば、現實の問題はそこから發生すると考へて居る次第であります

○子爵大河内輝耕君 植原大臣から政治的の御答があり、金森大臣からは今迄の經過を其體的に御述べ下すつて能く分りましたので、兩大臣の言明に信頼致しまして二十七條第一項の修正案を撤囘政します

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう経緯があるわけです。つまり、原案にはなかった現行第25条、生活保護の根拠規定を挿入する以上、労働の義務も規定すべきという考え方に基づいて修正されたものなのです。

勤労の権利だけでなく義務を規定せよと主張して、実際にそういう修正を勝ち取ったのは社会党の側であり、当初それに消極的な姿勢を示しつつも最終的にそれに同意したのが吉田茂の自由党政府であり、なおもそれに「多数の専制」の危険を感じて疑問を呈していたのが貴族院議員であったというのは、もちろん近代思想の配置構造からすれば当たり前のことなんですが、もはやその当たり前がまったく共有されなくなるにいたった現在においては、極めて奇妙に見えてしまうのでしょうね。

それが奇妙に見えてしまうこと自体が自分たちの思想構造の奇怪さであるという風には、たぶん今の人々の誰も感じることはないのでしょうけど。

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非正規公務員 1955年の田中二郎案

塩見卓也さんのツイートから、

http://twitter.com/roubenshiomi/status/277428049836904448

今日の研究会、徐侖希さん(早稲田博士課程院生)の韓国非正規職保護法についての発表で、韓国では行政処分によって任用される正規公務員以外で公的機関に就労する非正規職は、「任用」ではなく全て労働契約で、労働法規が全面適用されることを知った。

http://twitter.com/roubenshiomi/status/277428939281031168

日本の公務は、建前では全て行政処分によって「任用」された者が就労することになっているが、地方自治体職員の3分の1以上が非正規に置き換えられ、建前が通用しなくなっている現状では、わが国も非正規職公務は「任用」ではなく労働契約として、労働法規の保護下に置くべきと思う

実は、そういう考え方が今から半世紀以上前の1955年に、与党自由党や政府の公務員制度調査会の案として、示されたことがあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/komurodo.html(公務労働の法政策(『季刊労働法』220号))

・・・これより先、1954年3月に閣議決定により公務員制度調査会が設置され、1955年11月に答申が出され、これに基づいて1950年代末まで政府部内で国家公務員法改正案が立案されるということがありましたが、結果的に法改正に結びつきませんでした。しかし、その内容は公務員法制を根本から再検討しようとするもので、今日においても大変参考になります。これに加え、この検討自体が多くの関係者の認識から失われていると思われることから、やや詳しく見ていきたいと思います。

同調査会が審議を開始するのに併せて、与党自由党の行政改革特別委員会国家公務員制度部会も本格的な討議検討を行い、1954年11月9日、国家公務員制度改革要綱案をまとめました。これはまず、「国は、・・・特定の業務について、私法上の雇用関係を結ぶことができるものとし(仮称「国家従業員」)、これは公共の福祉上の要請に基づく点を除き、おおむね一般の民間の雇用関係と同一の法律関係にあるものとする」とした上で、「国家公務員の団体行動権は現状通りとするが、国家従業員については、公共の福祉上問題がない限り、原則として労働三権を適用する」としています。国家公務員の中で労働法の適用関係を区分しようとするのではなく、労働法を適用すべき公的労働者を端的に公務員ではなくしてしまうという解決法で、戦前の日本やドイツの法制への回帰という性質があります。

公務員制度調査会における審議も同様の考え方を基礎として進められました。1955年3月31日に田中二郎委員がまとめた第二次案は、これに加えて労使協議制の導入を打ち出しています。大変興味深いものなので、そのまま引用しましょう。

二(2)(ロ)現行法上国家公務員とされているもののうち、単純な労務に従事する職員(以下「国家労務職員」)は、国家公務員に属しないものとすること。これらの者の範囲は、法令上明確に規定するとともに、これらの者は、私法上の雇傭関係に立つ者として、国家公務員法上の厳重な諸制約を解除又は緩和し、必要な範囲においてのみ特別な規制をなすものとすること。

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かぞくのくに

3b4d272925bccf1107537e71313e1be4本日、下高井戸シネマでヤン・ソンヒ監督の『かぞくのくに』を見て、その続きでヤン・ソンヒ監督のトークを聞いてきましたが、これはやはり必見の映画というべきですね。

http://kazokunokuni.com/

在日コリアンのソンホは総連の重役を務める父の勧めに従い、当時「理想郷」と称えられていた北朝鮮の「帰国事業」に参加し半島に渡り、現地で結婚し子供も生まれたが、離れ離れとなった家族の再会は果たされていなかった。

それから25年、ソンホの一時帰国が実現する。ソンホは脳に悪性の腫瘍を患い、その治療の為、3ヶ月の期間限定で日本滞在が許されたのだ。久々の再会に妹のリエや母ら、家族は歓喜し、ソンホを暖かく迎え入れる。だがソンホには常に同志ヤンが付き従い、その行動を制限・監視していた。

検査の結果、ソンホの治療は3ヶ月では足らず半年以上の入院が必要だと告げられ。手術を断られてしまう。なんとかソンホの腫瘍を治療させようとリエがソンホの幼馴染で医者に嫁いだスニに相談していた矢先、朝鮮本国より突然の帰国命令が下る。

この妹のリエがヤン・ソンヒ監督自身のモデルで、兄ソンホから工作員にならないかと言われたエピソードも事実だということです。

こんな映画を作って何を考えてるんだ、という圧力も相当受けたみたいですが、それをからりと明るく語る監督の姿も印象的でした。

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吉川徹・中村高康『学歴・競争・人生 10代のいま知っておくべきこと』

9784284304504吉川徹・中村高康『学歴・競争・人生 10代のいま知っておくべきこと』(日本図書センター)をお送りいただきました。例の児美川さんの本などを出している日本図書センターの黄色い表紙のシリーズです。

“厳しいけれど本当に役に立つ”リアルな入門書!!
綺麗ごとじゃすまされない!
学校では絶対に教えてくれない“人生ゲーム”のルールを説明しよう!!
無理しても子どもに読ませておきたい1冊です!

ひと言で言うと、著者の一人吉川徹さんの『学歴分断社会』を高校生向けにやさしくかみ砕いた感じの本です。

第1章 受験競争がなくならない理由
受験さえなくなれば学校はよくなる?/学歴と競争があたりまえの社会/
お隣・韓国と比べてみると…/受験競争は文明病/受験競争は社会の問題??
第2章 学校に埋め込まれている競争
競争意欲を左右する仕組みがいっぱい/他の生徒に追い抜かれたら…/順位をめぐるバトル/偏差値には2つの意味がある/学校で作り出される「能力」/学校での競争≠おとな社会での競争
第3章 受験競争の現在
家族ぐるみの大戦争/受験競争への熱心な参加者はだれ?/大衆化時代の大学受験/選抜制度は偏りだらけ??/知っていますか!?受験の意味
第4章 大人への道
夢と希望と可能性―あなたはサッカー選手になれますか?/夢から覚めるティーンエイジ/人生の天気予報/不透明な将来の希望論/高校までが義務教育?/18歳成人制度?/学歴分断社会
第5章 人生の選択肢
半分しか見えていない社会/三人の自分を考えてみよう-大卒・高卒・フリーター/もし惑星衝突が起るならフリーター/大卒は高学歴ではなく重学歴/受験生特有の学歴観は要注意!/高卒学歴は低学歴ではない/軽学歴も悪くないかも?
第6章 学歴は世代をつなぐ
学歴は誰のもの?/拝金主義の教育格差/学歴の世代間関係/学歴分断社会の大学像/綺麗ごとなんて役に立たない!/不透明な社会で生きる君たちへ、“人生ゲーム”のルールを説明しよう!


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「りふれは」の暴言

いうまでもなく、金融政策「も」広い意味での雇用政策の一部であり、その点の認識において日本のとりわけりべさよ系の人々のセンスに問題があることは、本ブログでも(欧州社会党や欧州労連の政策論を示しつつ)述べてきたところですが、それはいかなる意味でも、金融政策以外の財政政策、労働市場改善政策、社会保障政策、教育政策等々の、広い意味での雇用政策のさまざまな要素を否定するようなものではないこともまた先進国の常識であるわけですが、

http://twitter.com/YoichiTakahashi/status/277565482859655168

NHK 雇用政策というが、先進国の雇用政策は金融政策とほぼ同義なのを理解しているのはどの党なのかをみたらいい。金融政策で雇用対策という先進国の常識がないのが日本の痛いところ

「先進国の雇用政策は金融政策とほぼ同義」などという非常識を平然と述べ垂れる「りふれは」の存在が、「金融政策で(も)雇用対策」というそれ自体はまっとうな認識を阻害する最大の要因であることもまた、現代日本の現実であるわけです。

雇用政策≒金融政策

∴ 金融政策以外の雇用政策≒0

∴ 金融政策以外の雇用政策を主張するような奴は許せない

こういう先進国の常識を完全に欠落させたような手合いを、許している「りふれは」ならぬリフレ派自体が、先進国標準からすれば非常識の極みであることを、自分は「りふれは」とは違うまっとうなリフレ派だと自認している人々も、いい加減認識した方がいいと思いますよ。

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静岡労働局が就活生に労働法講座

Thumb静岡新聞SBSに「「就活生も労働法知って」 静岡労働局が説明会展開」という記事が載っています。

http://www.at-s.com/news/detail/474548762.html

静岡労働局は就職活動中の学生に労働法制に関する知識を身に付けてもらおうと、県内の大学で説明会を開いている。休日や残業代など働く際の権利や義務を伝え、就職後のトラブルや早期離職を未然に防ぐ。
 静岡市葵区の常葉学園大で開かれた説明会では、麻田千穂子局長が労働契約の原則を説明した。契約期間や仕事内容、賃金などの重要項目は書面交付が必要なことや、契約での合意は一方的に変更できないことを伝え、「労働条件通知書は必ずもらい、就業規則も確認して」と話した。
 静岡労働局では、労働法を守らずに劣悪な労働を強いる「ブラック企業」があり、労働者の知識不足で巻き込まれている現状を問題視。これから社会に出る学生が知識を得ることで、自ら企業を見極める力を身に付けてもらおうと企画した。
 静岡労働局は産学官で新卒者の就職を支援する「静岡新卒者就職応援本部」の構成団体とも連携し、幅広く労働法を周知していく。

その静岡労働局のサイトを覗いてみると、「大学へ労働法セミナーの講師を派遣します」というページに案内とチラシが、

http://shizuoka-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/news_topics/topics/2012/2410033.html

Shizuoka




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欧州委員会が若者雇用パッケージを提案

去る12月5日、欧州委員会が若者雇用パッケージを提案しました。

http://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&newsId=1731&furtherNews=yes

Measures to help Member States tackle unacceptable levels of youth unemployment and social exclusion by giving young people offers of jobs, education and training have been proposed by the European Commission.

具体的には、

As requested by the European Council and European Parliament, the Commission's Youth Employment Package includes a proposed Recommendation to Member States on introducing the Youth Guarantee to ensure that all young people up to age 25 receive a quality offer of a job, continued education, an apprenticeship or a traineeship within four months of leaving formal education or becoming unemployed.

この若者保証制度(Youth Guarantee)という言葉は、『世界の若者と雇用』でニュージーランドの制度として紹介されているものですね。

さらに、

To facilitate school-to-work-transitions, the Package also launches a consultation of European social partners on a Quality Framework for Traineeships so as to enable young people to acquire high-quality work experience under safe conditions.

訓練生制度(Traineeship)も職業経験を身につける上で有効とされる一方、それを利用して企業が若者をただ働きさせる手段に使っているという批判もあり、その観点から労使団体への協議をしているわけですね。

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社会保険労務士稲門会での講演

ちょうど1週間前の土曜日(12月1日)に、早稲田大学出身の社労士の皆さんの集まりである社会保険労務士稲門会の講演と懇親の夕べで講演をしたことは本ブログでも紹介したとおりですが、その時の状況が同稲門会のサイトに写真入りで詳しく紹介されています。

http://sr-waseda.net/archives/6283

Aa2012年12月1日(土)午後3時より「ホテル銀座ラフィナート」にて、「第12回講演と懇親の夕べ」が開催されました。この度は独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の統括研究員である濱口桂一郎先生を講師として招聘することができ、「労働局あっせん事例の分析」というわれわれ社会保険労務士にとっても身近な講演テーマでもあったことから、初参加の会員も含め72名の会員の皆様にご出席いただき、盛況のうちの開催となりました。・・・

・・・限られた時間の中でのご講演でしたが、労働局によるあっせんの実態をわかりやすく且つ丁寧に検証された今回の濱口先生のお話は、われわれ社会保険労務士にとって、顧問先におけるそうした紛争等の問題に人事・労務のプロとして積極的に関与していく糸口となるものと思われ、たいへん有意義な内容であったように思います。

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集団的労使関係法制の新たな使い道

本日午後1時半より、亜細亜大学現代市民法講座の一環として、「集団的労使関係法制の新たな使い道」というテーマでお話を致します。

http://www.asia-u.ac.jp/hogaku/shiminho.html

かつて労働法の世界では労働組合や団体交渉といった集団的労使関係法制が花形だったが、近年は解雇、非正規労働、労働時間など、個別労働者に関わる問題が中心で、労使関係は見向きもされない。しかし、そういった個別労働問題をきちんと解決するためにも、企業の人事部と企業外部の行政機関や司法機関に頼るだけではなく、集団的労使関係という古い道具を見直してみる必要があるのではないか。労働者代表制や労使協議制といった仕組みも含めて、集団的労使関係法制の新たな使い道について考えてみたい。

拙著『新しい労働社会』の第4章で取り上げたテーマです。

昨日ご紹介した菅野和夫先生の『労働法 第十版』でも、

特に、正規雇用者と非正規雇用者間の公平な処遇体系を実現するためには、非正規雇用者をも包含した企業や職場の集団的話し合いの場をどのように構築するかを、従業員代表法制と労働組合法制の双方にわたって検討すべきと思われる。

と述べられているテーマでもあります。

(追記)

Img_1676亜細亜大学の広報サイトにさっそく載っています。

http://www.asia-u.ac.jp/official/online/2012/12/post-1398.html

本日、法学部「現代市民法講座」の第3日が開催されました。今年度の開催はこれが最終回です。
第1部は、労働政策研究・研修機構 労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員の濱口 桂一郎氏が登壇。「集団的労使関係法制の新たな使い道」 をテーマに講演しました。
第2部のテーマは、「交通事故と刑事制裁」。本学法学部の山本高子講師が登壇しました。
同講座は、「市民と法」をテーマに、本学教員と学外の専門家が講師を務め、身近な生活にかかわるさまざまな問題を取り上げて講義を行うものです。法学部が主催し、20年以上にわたって開講しているもので、今年度も市民の方が講師の話に熱心に耳を傾ける様子が見られました。

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エリートとノンエリート@『HRmics』14号

1 この表紙の人は中身にほとんど関係ないですね(笑)。

海老原さんとこが出している『HRmics』14号が届きました。

http://www.nitchmo.biz/

特集は「アメリカを知らずして、アメリカを語るな。 ~あの国の雇用を徹底解明~」ですが、アメリカだけでなく、フランスのカードルの話も取りあげています。

1章 アメリカの雇用をデータでつまびらかにする

2章 研究書で読み解く欧米型キャリア

01.アメリカの職級構造に迫る
02.フランスのエリート階層とは

3章 外資にまつわる噂は、真実か、幻想か

むすび 日本型雇用とは「不作為」の副産物か?

この特集で海老原さんが言いたいことは、

欧米は圧倒的多数のノンエリートと少数のエリートに別れて働く社会なんだぞ。

「むこうのエリートとノンエリートをごっちゃにして、それを日本に持ち込み無茶話に花を咲かす」連中は、何にも分かっていない。

ということに尽きるんですが、それをさまざまなデータで示していくあたりがスリリングです。

201212071244000 多分、一番視覚的に明確なのは、4ページのこのグラフでしょう。

アメリカでは、エリートは入社後数年間のアソシエート時代がノンエグゼンプトだが、基本はずっとエグゼンプト。一方ノンエグゼンプトは始めから終わりまでずっとノンエグゼンプト。

ただアメリカのエグゼンプト(時間外手当の適用除外)というのは管理職のほかに専門職や営業職も含まれるので、これが「エリート」というわけではないことに注意が必要ですが。

この特集の関連で、来年1月にHPmicsレビューをやるようです。

≪プログラム≫
Part1
【テーマ】ノンエリートが基本の欧米型雇用
【講 師】本誌編集長 海老原 嗣生
Part2
【テーマ】アメリカ・ドイツ・日本の人事現場を比較する
【講 師】ディー・エイチ・エル・ジャパン株式会社 牛島 仁氏

なお、連載記事も常見陽平さん、マシナリさんなど全開です。常見さんのタイトルなど、

「自称“グローバル”など、二世議員の粉飾キャリア並みの話」

とますます過激に・・・。

私の連載は「職業能力、職種を中心とする労働市場を目指して」。

全てリンク先で読めますので、是非。

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「ラジオみなみ関東」さんの拙著簡評

112483 「ラジオみなみ関東」さんが、ついーと上で拙著『日本の雇用と労働法』について簡評していただいています。

http://twitter.com/radiomikan/status/276319444668649473

濱口桂一郎「日本の雇用と労働法」(日経文庫)を読了。新書サイズだが、内容はかなりの充実ぶり。いい意味で教科書的にして網羅的。日本型雇用システムと労働法制が効率よく学べる一冊。

http://twitter.com/radiomikan/status/276319890791600128

濱口桂一郎「日本の雇用と労働法」(日経文庫)。この本を読んでよかったのは、判例が豊富なこと。いかにして、法律ではジョブ型なのに、判例はメンバーシップ寄りになった実情が順を追ってわかるようになっている。

http://twitter.com/radiomikan/status/276320387275563008

濱口桂一郎「日本の雇用と労働法」(日経文庫)。僕は個人的には非正規雇用の関心が強いのだが、この本はその思いにも応えてくれる。非正規雇用を日本型雇用システムの「陰画」としているのは、まさに言い得て妙。

http://twitter.com/radiomikan/status/276320660874207233

濱口桂一郎「日本の雇用と労働法」(日経文庫)。とにかく、雇用問題を語るならこの本は欠かせない、という一冊です。近々、ブログにももっと詳しく感想を書こうと思います。

ということで、近々ブログに詳しい感想を書いていただけるとのことなので、期待しております。

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菅野和夫『労働法 第十版』

30453 菅野和夫先生の教科書『労働法』の第10版をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.koubundou.co.jp/books/pages/30453.html

時代の変化のなかで形成されてきた新しい労働法の姿を体系化し、個々の解釈問題を相互に関連づけて検討した、労働法の現在を知るために最適の基本書。
 2012年の労働契約法・労働者派遣法・高年齢者雇用安定法等の法改正に完全対応し、今後の改正動向にも言及。重要な裁判例や学説の動向等にも目配りした決定版。

ということで、各改正法規の説明も興味深いのですが、今回は例えば、第1編第1章の中に「労働法変動の時代」という項が設けられ、次のような記述がされています。

・・・雇用システムとの関係では、1970~80年代は、長期雇用システムが雇用の安定と経営の柔軟性とを両立させ、、労働法制は同システムの長所(企業の雇用維持努力)を補強し、部分的問題点(男女別管理、高齢化、長時間労働、等)を補正する政策を行ってきた。非正規労働者も90年代半ばまでは雇用労働者の2割を占める程度で、自発的選択者(学業過程者、自由度優先者、家事重視者、引退過程者)が多かったので、大問題とはならなかった。

長期雇用システムの変化は、1990年代後半から進行したが、正社員の長期雇用システム自体は、賃金・処遇制度の修正を施されつつも、基本的には維持されている。顕著に生じた変化は、正社員の絞り込みと非正規労働者の大幅増加であり、非正規労働者が不本意選択者(正社員になりたいが、なれない者)を多数含んで約34%にまで増加した状況は、長期雇用システム化の正規・非正規雇用の制度的分断と処遇格差によって増幅されている。非正規雇用問題は、正規・非正規労働者の関係いかんという雇用システム全体の問題となり、その全体的補正という新たな課題が生じていると考えられる。

このわずか2パラグラフで、問題状況を的確に言い尽くしている見事さをご堪能下さい。

このあとに、

最近の労働法改革論には、規制強化論(31)、規制緩和論(32)、雇用システム再構築論(33)、規制方向改革論(34)などがあるが、問題状況は大規模・複雑であって、1つの立場や方法論で律しきれるものではない。・・・

という文が続き、かっこ内数字の脚注にそれぞれの「論」を代表する人の本が挙がっています。31は西谷敏『人権としてのディーセント・ワーク』、32は小嶋典明『労働市場改革のミッション』、34は水町勇一郎『労働法改革』ですが、それらに並んで33に濱口桂一郎『新しい労働社会』が示されております。

ということで、私は自分の論が「雇用システム再構築論」であるということを初めて認識いたしました(笑)。

この項の最後のパラグラフも、今後の労働法政策の課題をさらりとしかしぐさりと指摘しています。

・・・労働政策の基軸は、いずれの時代にも、雇用社会の安定性・公正性の確保と多様性の尊重に置かれるべきである。その上で、今後の基本問題は①解雇規制の在り方、②非正規雇用規制の在り方、③集団的労使関係の再構築であり、特に、正規雇用者と非正規雇用者間の公平な処遇体系を実現するためには、非正規雇用者をも包含した企業や職場の集団的話し合いの場をどのように構築するかを、従業員代表法制と労働組合法制の双方にわたって検討すべきと思われる。

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中国成都から帰国

ということで、4日間日本を留守にしておりましたが、昨日深夜帰国しました。

中国は四川省の成都で、第10回北東アジア労働フォーラム(日中間ワークショップ)に出席し、報告及び討論をしてきました。フォーラムのテーマは「労使関係のガバナンスに関わる諸要因」で、わたくしは第1セッションで「集団的労使関係の諸モデルと個別労使関係」を報告しました。

その内容等については、そのうちJILPTから資料シリーズとして冊子にまとめられる予定ですので、ここではそれ以上触れません。

今回一番びっくりしたのは、成都の巨大さでした。人口1000万人の巨大都市なんですね。それが、経済成長の中で、古い建物をぶっ壊しながら、にょきにょきと高層ビルを建てまくっていて、それが遥か彼方まで延々と連なっていました。

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「ママ先生’s振り返りジャーナル」さんの拙著評

「ママ先生’s振り返りジャーナル」の「【11月に読んだ本】気がついたら師走・・・17冊。」の中に、拙著『新しい労働社会』の短評が書かれています。

http://usagix.com/2012/12/3094/

131039145988913400963日本型雇用システムの特徴は、「長期雇用制度」「年功賃金制度」「企業別組合」の3つ。このシステムを中心として、今どういうひずみが起こっているか、それらを是正していくためにはどうしたらよいか書かれている本。日本の給料は職務に対しての給料ではなく、それぞれの年代にあわせた生活給が基本となっている。いま職務給にしても家のローンや教育費がかかる年代にとってその辺りの解決がないままでは生活が行き詰ってしまう。正社員が減る中、生活給のない非正規社員はもっと大変。早くこれらの問題が解決するといいんだけど。オススメ本です。

ちなみに、本書の次には、海老原嗣生さんの『女子のキャリア』も評されています。

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OECDの最低賃金論再掲

未だにこういう戯言をはき続ける御仁がおり、それに影響される政治家がいるという状況下では、もう5年半も前の本ブログのエントリをそのまま再掲しなければならないようですな。

そのこと自体が日本社会の知的状況を物語っているわけですが。

http://twitter.com/ikedanob/status/274724260117897216

最低賃金の廃止は、半世紀前にフリードマンの提唱した政策で、経済学者はほぼ全員賛成しているが、政治家はほぼ全員が反対。これは論理ではなく心理の問題。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/oecd2006_f064.html(OECD雇用見通し2006の最低賃金論)

新聞各紙は規制改革会議が最賃を批判したというところに関心を集中しているようなので、世界の優秀なネオリベ系エコノミストを集めたOECDの最新の『雇用見通し2006』でこの問題をどう取り上げているかを紹介しておくのも無駄ではないでしょう。優秀なエコノミストの皆さんはもちろん「初等ケーザイ学教科書嫁」で話を済ませたりはしません。

http://www.oecd.org/document/38/0,2340,en_2649_37457_36261286_1_1_1_37457,00.html

86ページ以下でで最低賃金を論じていますが、

単純な経済学の理屈は、法定最低賃金や高すぎる労働コストが低生産性労働者の雇用への障壁になると指し示す。しかしながら、最低賃金の結果としての雇用喪失の規模を図ることは困難であると証明され、各国で設定されている最低賃金によってどれだけの仕事が失われたかについては顕著な不確実性がある。実際、最低賃金の雇用に対する否定的な影響の経験的証拠は入り混じっている。・・・

最低賃金は低技能者にとって仕事が引き合うようにする(make work pay)ことによって高労働力率をもたらしうる。しかし、それは広い貧困対策においては、過度に高い水準に設定することを避ける必要から、支援的役割のみを果たしうる。もう一つの重要な限界は、最低賃金で働く労働者が貧しくない(他の家族メンバーが働いているから)ことである。

在職給付は最低賃金よりも低所得家族に焦点を当てることができる。さらに、穏当な最低賃金は、使用者が賃金水準を下げることによってこの給付を着服することを制限することによって、在職給付への有用な付加になりうる。

最低賃金について重要な問題は税制との関係である。高すぎる最低賃金は雇用へのタックス・ウェッジの否定的な影響を拡大するからだ。低生産性労働者を雇用しようとする使用者は、労働者の生産性と最低賃金額と使用者が払う社会保険料を比較する。・・・

(結論として)近年の経験が示唆するところでは、穏当な最低賃金は問題ではない。しかし若者や他の脆弱な集団の(最賃より低い)特例最賃への十分な手当が不可欠である。他の洞察は、良く設計された最低賃金が社会給付にとどまるよりも働く方がペイすることを保障することによって、高い就業率にむけた広範な戦略に貢献するという点である。しかしながら、否定的な政策の相互作用による危険性もまた確かであり、特に高すぎる最低賃金と高水準の労働課税の間にそれが見られる。

この他にも本書にはいくつか最低賃金に言及したところがありますが、近々樋口美雄先生の監訳で明石書店から出版される予定ですので、そちらのよりすぐれた翻訳でお読みいただいた方が宜しいかと思います。

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同書は、明石書店から邦訳が刊行されています。ご関心の向きは是非。

http://www.akashi.co.jp/book/b65556.html

なんにせよ、こういう手合いを黙らせるには、ある種の人々からネオリベの牙城と非難されるOECDの政策文書を持ってくるのが一番です。

池田信夫のような人は、OECDに持っていったらひと言もしゃべれないし、仮にしゃべっても誰からも相手にされないようなガラパゴスなのですから。

そのあたりの事情は、たとえば最近OECDに出向していた一橋大学の神林龍さんあたりに聞けばすぐ分かるはずなのですが、不勉強なことだけは人一倍自信のあるマスコミの方々はそういう手間も掛けないので、ますます3法則型ガラパゴスが蔓延るわけですね。

(追記)

ちなみに、この点については、竹中平蔵氏はそれなりに世界の潮流をきちんと理解した上で、一貫しているようです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-01/2012120104_04_1.html(維新・石原代表 “原発ゼロ”公約知らず 最賃廃止知らない 記者失笑)

石原代表は30日、自由報道協会主催の記者会見で、同党の衆院選公約に明記された解雇規制の緩和や最低賃金制の廃止について「知らない、なんて書いてあるの?」と述べ、公約内容を把握していないことを明らかにしました。

 石原氏は、記者からこれらの政策を実行すれば「貧困が底なしになる」と指摘されると、「それはまずいわね」と表明。石原氏はまた、「俺は竹中(平蔵慶応大学教授)って好きじゃないんだよ。あれが、こういうものを全部書いている」と内幕を明かしました。

http://twitter.com/HeizoTakenaka/status/274888686229917696

石原慎太朗殿  自由報道協会で石原さんが、「維新の最低賃金廃止は竹中の案」という趣旨の発言をされたと報道されています。事実と異なります。私はこれまで最低賃金廃止を主張したことも、考えこともありません。事実関係は橋下さんに聞いてください。事実に基づく発言をお願いします。    

http://www.genron-npo.net/politics/genre/generaltheory/post-174.html(竹中平蔵氏 第4話:「社会主義を目指して改革を進めているのではない」)

ですから、安倍政権は労働組合にも経営にも、両方に厳しいことを言うべきです。法人税のことも、企業にだけ甘いと言われている。企業に対して厳しく言うべきところがあります。私は2点あると思う。1つは保険、もう1つは最低賃金です。最低賃金をもっと上げるべきです。そこを揺るぎない決意できちんとやれば、国民は総理を支持します。企業に甘くない、企業にも泣いてもらうところは泣いてもらう。

自分が一番ガラパゴスな3法則氏とはいささかレベルが違うようです。

まっとうな議論、まっとうな理論的対決は、少なくともこの程度の土俵の上で初めて可能なはずですが。

(再追記)

そしてまた、こういうお調子乗りが無知を晒す。

http://ameblo.jp/englandyy/entry-11417277812.html(ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ)

言うまでもなく最低賃金法は必要のない法律である。というのは少し経済学を学んだ人なら誰でも分かる常識だ。

ロンドンに住んでいるんなら、その言葉をまずは(古典派以来経済学の本家の)イギリスの経済学者に聞いてみたらどうですかね。

いやもちろん、こういうガラパゴス野郎に限って、日本でドヤ顔でふんぞり返っているときの台詞のこれっぽっちだって外国のまともな学者に向けることなんかできないわけですが。

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社会保険労務士稲門会講演と懇親の夕べにて

ということで、中国に行く直前の今日、社会保険労務士稲門会の講演と懇親の夕べに呼ばれて、お話をしてきました。

http://sr-waseda.net/archives/5892

お話の中身は、『日本の雇用終了』です。

本を見せながら、「残念ながら、ここ1週間ばかりamazonでも品切れになっているようですが」と喋ったんですが、帰ってきてから確認したら、10冊入荷したみたいですね。

ちなみに、さすが稲門会だけあって、懇親会の最後ではみなさん「都の西北~~」と腕を振りながら歌っておいででした。

なお、来週は中国は四川省の成都で、北東アジア労働フォーラム(日中韓ワークショップ)に出席しますので、その間本ブログの更新はありません。

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ジョブレス解雇と貴様ぁ解雇

いまだによく分かっていない人々がよく分かっていないことを言い続けているようなので、繰り返してきたことですが、ごく簡単に。

雇用契約はジョブに人を充てることだという社会では、そのジョブがなくなったら労働者を解雇するのは別に不思議ではない。むしろ当たり前。逆に、ジョブがちゃんとあり、労働者がそれをちゃんとやっている限り、「俺様の言うことを聞かねぇからクビだ!」というようなのは通用しない。

整理解雇は組合と協議して粛々と進めるが、貴様ぁ解雇はだめだよ、というのが、先進国ほぼ共通のルール。

ここが日本ではほとんどまったく理解されていない。というかまったく逆に理解されている。整理解雇はよほどのことでないと許されないが、「いうことを聞かねぇからクビ」はある程度当たり前だと思われている。

これは、日本がジョブに人を充てるのではなく、会社のメンバーとして採用した人にジョブを充てるという仕組みだから。だから、ジョブがなくなってもメンバーなんだからクビにできないし、逆にメンバーにふさわしくない反抗的な野郎はクビにして構わない。

この逆転現象を、まずもってきちんと頭に入れておかないと、話がことごとく狂ってくる。圧倒的に多くの経済学者や評論家は、ここが分かっていない。

大企業正社員の場合、確かに先進国標準に比べて整理解雇は難しい。整理解雇するならその前に非正規を雇い止めしろとか、希望退職を募集しろとされている。そこで、あれこれ手練手管を使って退職勧奨するわけだ。

そこで、退職勧奨をやるわけだが、逆にそのやれる範囲が大変広くなっているというのがポイント。ジョブに人を充てるのではないのだから、会社メンバーに何を命じようが、基本的には許される。他の先進国だったら許されないようなことでも、メンバーシップを守るためということでストライクゾーンが大変広くなっているからだ。

こうして、本心は会社から追い出すために、メンバーシップを守るために広げられてきた「何でもやらせられる」仕組みが活用されるという皮肉な現象が見られることとなる。

こういう逆説的な関係をほとんど理解もせずに、表層的な議論だけで分かったような顔をする手合いがあまりにも多すぎる。

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