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2012年11月24日 (土)

「労働の本質」

昨日、勤労感謝の日ということで、脱社畜ブログさんが

http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/11/23/231628(今日は勤労感謝の日なので、「労働」の本質について考えてみた)

を書かれていて、その中で、

僕が考える労働の本質はものすごくシンプルだ。それは「自己実現」でも「成長」でも「社会貢献」でもなく、単純に「働いた分のお金をもらう」ことだと思っている。「労務を提供して、それに見合った対価をもらう」という行為が労働の本質であり、絶対に欠けてはならないコアはこれである。他は枝葉であり、あってもなくてもいいと思っている。

・・・

このように、現在の日本社会では「労務を提供してそれに見合った金をもらう」といった本来あたりまえであるはずのことが、平然と蔑ろにされている。これは、労働の本質が、「働いた分のお金をもらう」ことではなく、本来副産物に過ぎない「自己実現」や「成長」にあると間違った捉えられ方をしているのが一因ではないかと考えられなくもない。

「仕事」や「働くこと」の価値として、「自己実現」や「成長」ばかりを強調する経営者がいたら、注意をしたほうがいい。「労務を提供してそれに見合った金をもらう」といった労働の本質が、正しく成立しているかよく確認してみよう。もしこれに大きな不均衡が見られるようだったとしたら、経営者はあなたを騙したり、搾取しようとしている。そんなニセの労働を、尊んだり感謝したりする必要など微塵もない。

と論じています。

あっさり読めば、近頃はやりのブラック企業だの、やりがい搾取だのといった話であるわけですが、この「労働の本質」という言葉、想像する以上に深い意味があったりします。

ここで電脳くらげさんが述べている「労働の本質」は、いうまでもなく日本国民法や労働基準法をはじめとした労働諸法律が前提とするものであり、世界中の「資本主義社会の」労働法制が前提とするものです。労務を提供し、その報酬を受け取るという債権契約関係として「労働の本質」をとらえるところから、ほとんど全ての労働法学と労働経済学は成立しています。

ところが、そういう「労働の本質」は、資本主義社会という歪んだ社会の歪んだ発想であって、人間の本来の姿-類的本質-においては、「労働の本質」はもっと美しいもの、気高いもののはずだ、というのが、資本主義を否定するたぐいの社会主義-資本主義を前提とする社会民主主義とは峻別される意味での-の考え方なんですね。

で、そういう社会主義者が構築した社会主義国家においては、「労働の本質」は労務と報酬の交換などという俗物的なものではなく、偉大な社会主義国家を建設するための高貴な奉仕になったりするわけで、その結果、資本主義社会では「本来あたりまえであるはずのことが、平然と蔑ろにされ」たりしたわけです。

資本主義社会では「本来あたりまえであるはずのことが、平然と蔑ろにされ」ているというのは、「労働の本質」を社会主義的に捉えている発想の帰結なんですね。

ブラック企業を作り出しているのは、労働者を搾取してやろうと考えている悪辣な資本家であるよりも、あまりにも麗しい「労働の本質」を誰彼構わず押しつけたがる「正義感」であることの方が多いのではないでしょうか。

(追記)

「仕事」や「働くこと」の価値として、「自己実現」や「成長」ばかりを強調する」評論家にも注意をした方がいいかもしれません。

http://twitter.com/joshigeyuki/status/272322915771494400

どこそこの会社がブラックだとか、あそこは残業少ないらしいよとか心配するのもまあ否定はしないけど、どうやって自分が成長するかを考えた方が多分長い目で見れば幸せになるはず。

この「ワカモノの味方」氏は、「労働の本質」を「労務を提供し、その報酬を受け取るという債権契約関係」であるよりは、「どうやって自分が成長するか」にあると心得ているようです。

いや、世間で蔓延る人事コンサルタントの圧倒的大部分はまさにそういう「正義感」あふるることを言うて飯を食っているんで、なんら特別でも何でもないわけですけど。

(追記の追記)

http://twitter.com/magazine_posse/status/272324624954560512

城繁幸さんが、どこがブラック企業を気にするより、どうやって自分が成長するかを考えようとつぶやいてたけど、ブラック企業に入って心身を潰されたら若者が成長できなくなるんじゃないのかなあ。そこは昭和的価値観的なシバキ型で乗り越えよってことなんだろうか。

http://twitter.com/magazine_posse/status/272331309186174976

城さんはジョブ型賃金や社会保障についても主張しているのに、ブラック企業を気にせず働くか、企業に人生を丸投げする日本型正社員で働くかの選択肢しかないと読者に思わせたいのかと思ってしまう。ジョブと社会保障で自立的に生きられるノンエリートの働き方を前向きに提示してほしいですよね。

http://twitter.com/kazugoto/status/272626453089230848

自分たちの世代「だけ」はエリートだから、自分たちの世代は成功するが、上の世代はたたき落とし、下の世代は自分たちの世代にとっては邪魔だから「ゆとり世代」バッシングによって貶める。それが一部の雇用流動化論者にとっての「平成的価値観」(ドヤァ)なのではないか。

昭和的価値観を目の仇にしている振りを演じている人が実は一番昭和的価値観にどっぷり浸かっていたというのが本日のオチと。

(再追記)

いっぽうで、今をときめくイケダハヤト氏の「伝統芸」ぶりも・・・。

http://twitter.com/j_sato/status/272570260874465280

イケダハヤトさんの【「お金のために働く」のは時代遅れ】の後に、これを読むと彼のような思想は一種の伝統芸なんだろうなと / 「労働の本質」: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

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