だからそれがジョブ型
世間では「めいろま」さんで通っている谷本真由美さんが「ロンドン電波事情」に「在宅勤務が可能な理由」というエッセイを書かれていますが、
http://wirelesswire.jp/london_wave/201211140824.html
これは外国の働き方を知っている人にとってはあまりにも当たり前のことですが、何がどう違うかを極めて明確にかつ分かりやすく説明しています。
日本の方から「なんで海外では在宅勤務が可能なんだ?!?!」と質問を受けることがあります。制度が違う、文化が違うと色々理由があるわけですが、個人的には最大の理由は個人の業務範囲が明確で、業績評価が成果物ベースであること だと思うんですよ。
つまり
ー誰さんは何をやる
ーいつまでにやる
ーどれだけやる
ー何を持ってできたとする
ー確認は誰さんがどのようにやる
ー約束した以上の成果がでたらいくらのボーナスを払う「誰さんが、何を、いつまでに、どのぐらいやる」が、仕事をやる前に決まっている、わけです。これらを文書やらシステムに落として、人事やマネージャーや大きなボスが確認します。透明化するわけです。
つまり、それがジョブ型の働き方ということですね。
若干注釈的に言えば、業績評価云々はエリートないしそれに準じる層の話で、ノンエリートの場合「誰さんが、何を、いつまでに、どのぐらいやる」ができていればそれでよし、査定はないのがデフォルトという点くらいでしょうか。
それに対して、メンバーシップ型の日本では、
日本の組織も見てきましたけど、日本だと丸投げしちゃったり、そもそも評価がなかったり、紙に落としたりしないことが珍しくなく、「誰さんが、何を、いつまでに、どのぐらいやる」を整理しないで勢いだけで走ってしまうということが少なくない様です。あっても曖昧だったりします。
むしろ、労働者個々人に「誰さんが、何を、いつまでに、どのぐらいやる」が決まっていない点が、重要なのでしょう。
それは、めいろまさんがいうように在宅勤務を困難にしているだけではなく、そもそも個人単位での労働時間のコントロールを困難とし、恒常的な時間外労働や年次有給休暇の取りにくさの原因ともなっているわけです。
(参考)
『日本の雇用と労働法』より、
以上のような労働時間の無限定さの背景にあるのは、職務限定のないメンバーシップ契約という日本型雇用システムの本質です。Ⅰで「実際に労働者が従事するのは個別の職務です」と述べましたが、欧米の職場のように個々人に排他的な形で職務が割り振られているわけではなく、個々の部署の業務全体が人によって責任の濃淡をつけながらも職場集団全体に帰属しているというのがむしろ普通です。「自分の仕事」と「他人の仕事」が明確に区別されていないのです。そのため、同僚の作業がまだ終わっていないのに、自分の作業が終わったからさっさと仕事を終えて帰る、という行動様式をとることが難しく、結果的に職場集団の全員が仕事を終えるまでみんなで残業することが多くなります。正社員の辞書に「それは私の仕事ではない」という言葉はないのです。年休の取得が難しいのも、同じメカニズムが働いているでしょう。
(追記)
http://twitter.com/elm200/status/269852616593375232
これこそ私が日本企業で働きたくない最大の理由…でも根本的な解決は不可能っぽい。日本人はこれ以外の仕事の組み立て方を知らないので。
http://twitter.com/elm200/status/269853157872521216
日本人の働き方が「ジョブ型」に移行しないかぎり、慢性的な残業体質もなくならないし、ブラック企業も消滅しないと思う。しかしこれは極めて極めて難しい課題だと思う…。
http://twitter.com/elm200/status/269857931770593281
一方でジョブ型の働き方は、大変味気ないという部分もある。日本で末端の労働者が実によく働くのは、やるべき仕事が厳密に定義されず、裁量に任されている部分があるからだ。現実的には、ジョブ型と日本型の良い部分を組み合わせて、労働者個人の自由時間も確保する工夫を積み重ねるしかないのだろう。
そう、メンバーシップ型の働き方は、日本の労働者がそれを希求し、獲得してきたものでもあるのです。この入り組んだ関係をきちんと見極めずに簡単に両断できると思うとかえって足を取られて転んでしまうわけです。
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単純な労働経済学のミクロモデルでは、労働と余暇がトレードオフになっている。
これは、ジョブ型にはふさわしいが、まさに、日本人がつくりあげてきた労働社会で妥当するのか、このブログ記事を読んでいまさらながら痛感した。
投稿: yunusu2011 | 2012年11月18日 (日) 21時43分
そういえば、今から13年前、1999年に連合総研の機関誌『DIO』に書いたものですが、
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/tokusyu2.htm">http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/tokusyu2.htm
投稿: hamachan | 2012年11月18日 (日) 23時51分
そういや、小沢一郎の新党が「完全雇用の実現を目指して」ってのを基本政策案の叩き台としているそうですね。
http://www.seikatsu1.jp/images/user_files/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%94%BF%E7%AD%96%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E6%A1%88.pdf
一部では「僕らは新自由主義との理論闘争に勝った」って大はしゃぎしている向きがあるそうですけど、自分には寧ろ1960~70年代の昔に戻すだけで本質的なとこは何も解決されていないとしか思えないのですが・・・・・
投稿: 杉山真大 | 2012年11月19日 (月) 11時58分