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2012年11月15日 (木)

塩路一郎『日産自動車の盛衰 自動車労連会長の証言』緑風出版

1214l これはやはり、労使関係の研究者、労使関係に興味のある人にとっては必読でしょう。「あの」塩路一郎氏が、日産自動車に入って、宮家愈氏の下で益田哲夫氏率いる全自日産分会を倒す民主化運動の回想から、プリンス自動車との合併をめぐって、全金プリンス支部の大会に乗り込んで労組統合を進めたいきさつ、そして、多くの本であまりにも有名になった石原俊社長との「対立」の全経緯を語り尽くした本です。500ページ近い分厚さですが、小説よりも面白くて思わず一気に全部読んでしまいます。

http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1214-1n.html

かつてトヨタと共に日本の二大総合自動車メーカーとして発展し、「技術の日産」「輸出の日産」と言われた日産自動車が、4 兆円超の有利子負債を抱えて経営が破綻、フランスの国営企業ルノーに救済を求め連結子会社になるまでに凋落した。
 いったい何があったのか。英国工場進出で労組が反対の記者会見をして以来、労使の対立抗争がマスコミを賑わせたが、やがて会社が仕掛けたスキャンダルで表舞台から去った自動車労連会長の証言。いまその歴史の真実が明らかになる。

一番関心があるのはもちろんそこでしょうが、私が読んで一番胸を突かれたのは、敗軍の将益田哲夫氏が全自の幕引きをする場面です。

・・・私は今まで誰にも話したことはなかったが、それは「敗軍の将・益田哲夫氏の見事な日産分会の幕引き」である。

・・・これに応えて9月13日、日産分会組合長の益田氏から日産労組に、残留分会員全員の加入申込書が提出されたのである。通常組合が分裂すると、第一組合が少数長期に残って組織間の抗争を続けるのが大方だが、日産では3年で職場における労働者同士の争いがなくなった。このことは組合員間の仲間意識の醸成、団結力の強化に大きく寄与している。益田氏は、立つ鳥跡を濁さなかった。残留者から一人の犠牲者も出さなかった。日産労組が強大だったというよりも、益田氏の労組リーダーとしての責任感によるものだと思う。・・・

そしてその後の益田氏の人生経路:

・・・その後、益田氏は一緒に争議を闘った仲間たちと「新目黒車体」という自動車のボディー架装会社を設立した。

うまくやっているのかなと思っていたら、私が日産労組書記長の時に、突然「是非会ってお願いしたいことがある」と電話をかけてきた。日産労組の事務所で話を聞くと、「始めの一年はよかったが販売が思わしく伸びず、資金繰りが行き詰まって今月分の給与を払えない。給料分をお貸し願えないか」という。

私はこの時、益田組合長の最後の幕引きを思い出して、貸すことにした。彼の話をいささかも疑わなかった。万が一のことがあれば、私個人が立て替えようと思っていた。たしか50万だったが、彼は二ヶ月後の約束期間内に返済にきた私は嬉しかった。金が無事戻ったからではない。敵対関係にはあったが、出会いの時から人間関係の縁を、お互いに感じていたように思えたからだ。

お互いに昔のことには触れず、言葉数は少なかった。別れ際に彼は「有り難う」と言い、私は「お元気で」と言って別れたが、これが益田氏との最後になった。心なしか寂しげに見える後ろ姿を見送りながら、言いしれぬ悲しい思いに襲われたことを、私は長い間忘れられなかった。・・・・・・

と、しんみりしたところで、その後の叙述を読んでいくと、これはご承知の通りの石原社長との対決の一部始終が詳細にかつ感情を込めて書かれていますが、こちらはもう紹介する必要はありませんよね。

経営問題自体についての塩路氏の主張の当否についてはなんとも判断のしようがありませんが、石原氏自身の書いた本を始め、いろいろなものと読み合わせると興味倍増かも知れません。目次を以下に載せておきます。

失脚/何故いま沈黙を破るのか/耐えてきた仲間たち/
   自動車労連結成五十周年/塩路を呼ぶな/黙って身を退いてよかったか/
   本書の構成

第一部 形成期 昭和二十八年~三十九年(一九五三~一九六四)
 第一章 全自動車日産分会と民主化運動
  第一節 労働争議
   日産入社、益田氏との出会い/宮家氏との出会い/日本油脂の経験/
   日産自動車の輪郭/戦後の労使関係/サボタージュ/七夕提案、すり鉢戦術/
   ロックアウト
  第二節 民主化運動
   民主化グループ/要望書・声明書/三田村事務所の問答─分裂へのきっかけ/
   分裂決定前夜
 第二章 日産労組の結成と活動
  第一節 日産労組の結成
   結成準備/結成大会/新組合結成直後/
   生産再開(本社・横浜工場・鶴見工場)/生活対策資金問題
  第二節 経営協議会制度
   経営権の確立を/経営協議会に関する協定書/
   復興闘争(会社再建と不況対策)/オシャカ闘争/平和宣言
  第三節 昭和三十年、新たな活動と出来事1
   自動車労連の結成争議中に生まれた自動車労連の構想/
   結成準備会から結成へ/われわれを安く使うつもりか/
   組織の単一化(企業別組合からの脱皮)/民間統合労働組合(民労)の結成/
   青年部結成青年層の育成/幻のクーデター川又専務に引導
  第四節 米国留学とその後
   ボストン(ハーバード・ビジネススクール)/UAWルーサー会長の講演/
   米国内研修の旅/バッファロー/デトロイト/テキサスの田舎/
   フェニックス/ニューオーリンズ/IMF自動車部会/賃金調査センター/
   日産労組組合長就任・準社員の組織化/全日産労組の結成/
   経営協議会 ①対米輸出車対策/経営協議会 ②サニーの開発
  第五節 自動車労連会長交代
   宮家労連会長の職場復帰/宮家事件/ラインが止まる/塩路労連会長就任/
   執行部内の葛藤/日産労組創立十周年記念総会/「運動の基本原則」採択

第二部 発展期 昭和四十年~五十一年(一九六五~一九七六)
 第一章 日産・プリンスの合併
  第一節 合併覚書調印
   川又社長が意見を求める/「プリンスに友人はいないか」/
   執行部間の交流開始/全金プリンス自工支部が「合併反対」の運動方針
  第二節 全金プリンス自工支部
   定期大会(昭和四十年十月二十一日)五十分の祝辞/大会後のプリンスの職場
   中央委員会から出席要請/中央委員会が中執提案を否決/
   日産労組定期大会(十二月八~九日)/中央執行委員を不信任/
   職場交流開始
  第三節 労組の統合
   プリンス労組の自動車労連加盟/合併契約書調印/賃金比較問題/
   労組の統合/中執六人の退職金/全国金属プリンス支部崩壊の要因/
   プリンス労組との二年間を振り返って
 第二章 産業別組織の結集:自動車労協から自動車総連へ
  第一節 自動車労協結成(一九六五)自動車労協の課題
  第二節 参議院議員選挙(一九六七)選挙違反問題、公明党に抗議
  第三節 自動車総連(JAW)結成(一九七二)「総連の組織構成について思うこと」
  第四節 世界自動車協議会(World Auto Council)の結成
   多国籍企業と労働問題/日産世界自動車協議会・トヨタ世界自動車協議会の結

   親会社と現地労組の交渉かみ合わず /日産スマーナ工場の組織化叶わず
  第五節 多国籍企業問題対策労組連絡会議
 第三章 私とILO
   『平和を欲するならば正義を育成せよ』/
   『フィラデルフィア宣言』(一九四四・五・一〇)/日本の課題/
   トランコ・ブーの思い出

第三部 挫折期 昭和五十二年~六十一年(一九七七~一九八六)
 第一章 日米自動車摩擦と労働外交
   公正な国際競争を/パンドラの箱/労組外交の反省/これでトヨタを抜ける/
   UAW幹部の真意/UAWをだました日産/マンスフィールド氏の忠告/
   UAW組合員の不満/はい、献金/UAW大会で激しい対日批判/
   輸出自主規制─御の字の一六八万台枠/ポスト輸出自主規制
 第二章 日産迷走経営の真実:石原氏の杜撰な経営
  第一節 おざなりにした国内販売店の強化 
   ざるに水は入れない/販売権の返上
  第二節 採算を度外視した脈絡のない海外戦略
   国内占有率の低下と海外プロジェクトへの逃避/
   日産の衰退を決定づけた米国への小型トラック工場進出/日産の将来を犠牲に
   石原氏の海外プロジェクトの特徴
   モトール・イベリカ社との資本提携(赤字対策のために六つに分割された)
   〝買物リスト〟の中身/調査せず/そのときは社長を辞めます/
   空中分解したアルファロメオとの合弁事業
   成果のなかったフォルクスワーゲン社との提携仰々しい発表/
   IGメタルの反応/壮大なショッピング・リスト/IMF本部で/
   シュンクIGメタル国際局長突然の来訪
   F・Sで全く見込みのなかった英国乗用車工場進出の強行
   深夜の記者発表、英国工場進出のF・S(Feasibility Study)/
   極秘のF・S報告書/軽薄だよな石原社長の画策/
   ぜひ総理にしていただきたい/政治色強まる日産の英国進出/
   経団連記者クラブで記者会見 /記者会見の効果/石原社長に問題を提起/
   二段階進出(窮余の一策)/日産・英国政府間の「基本合意書」/
   労使間の「英国進出に関する覚書」/川又会長の遺言
  第三節 無謀な商品開発計画を命じた
   社長室作成の極秘メモ/「技術の日産」ではなくなる
 第三章 日産崩壊もう一つの要因
  第一節 労組派職制の選別(社長室を新設)(昭和五二年六月~)
   太田購買担当専務を日本ラジエター(カルソニック)に/
   歴代人事部長の追放/『週刊東洋経済』の社長室職制談
  第二節 「次課長懇談会」による反組合教育(昭和五十三年六月~昭和五十八年九月)
   1 第二五回次課長懇談会
    参加者の意見/石原社長の話/怒られっぱなしの懇談会
   2 第二六回次・課長懇談会石原社長の話
  第三節 単行本(学術書、小説)と週刊誌・月刊誌の悪用(昭和五十五年三月~平成六年二月)
   1 『日産共栄圏の危機』
   2 学術書の悪用 東大社研自動車研究班
    三人の著書が石原氏を支援
    第一章「労資関係の主体」、第一節「問題の所在」/賃金決定主役の交代/
    「鉄を越えたら薄板値上げだ」 
   3 常務会で『企業と労働組合─日産自動車労使論』(嵯峨一郎著、田畑書店、一九八四年)を推奨
   4 『労働組合の職場規制─日本自動車産業の事例研究』(上井喜彦著、東京大学出版会、一九九四年)
   5 経済誌『週刊ダイヤモンド』『経済界』の悪用
    『週刊ダイヤモンド』による攻撃/一年にわたる『経済界』の記事
   6 藤原弘達・塩路一郎対談の波紋
  第四節 マスコミを悪用したスキャンダルの捏造
   佐島マリーナ事件の真相/尾行してきた車/会社の謀略の証拠/
   これは広報所管の車です/社長の詫び証文
  第五節 会社が関与し広く社員に流布された『怪文書』(昭和五十五年五月~昭和六十年四月)
   日産の働く仲間に心から訴える/役員の皆様に訴える/
   日産「塩路一郎」ドンに突きつけられた「金と女」の公開質問状
  第六節 組合活動の妨害
   1 自動車労連の運動方針反対工作職制会議で反対を指示
   2 係長の販売出向問題
     『きみ、いまの組合をどう思う』/労使慣行を無視し、係長の販売出向を内示 
   3 常任選挙(定期改選)に介入
   4 常任OB会潰し
  第七節 三会を煽動した塩路会長降ろし工作
   労務部職制のあからさまな不当労働行為/他社まで巻き込む異常さ/
   JC議長中村卓彦さんの思い出/工場に於ける職制の異様な動き/
   会社の回答書/労務部の指示/代議員会の経過/
   不首尾に終わった三会の動議/職場報告用レジメ
  第八節 失脚

第四部 塩路後の日産
 第一章 日産自動車の崩壊
  第一節 石原会長の暴走経営を促した日産労連
   流れを変えた三会の「組合民主化要求」/
   英国工場進出方式の変更(一九八六・八)/十年経ったら日産は/
   座間工場の閉鎖
  第二節 他責の文化を地で行く『私の履歴書』(一九九四年十一月一日~三十日)
 第二章 史実の改竄
  第一節 日産争議の実態が見えない「全自・日産分会」を上梓(一九九二年六月二十日)
  第二節 全日産労組創立四十周年記念・特別講演
   全日産労組に四十周年はない/石原氏に与した歴史解説/
   社会正義を忘れた日産労連
  第三節『起死回生』(日本経済新聞社編)について
   「魔物」とは何だったのか/最後の幕を引いた塙社長
  第四節 虚構の九項目を増補した『私と日産自動車』
   経営責任を転嫁するための上梓①川又さんの負の遺産/②労働組合のドン/
   ③さまざまな妨害/④販売会社への圧力/⑤英国問題の真実その一/
   ⑥最後の二年の戦い/⑦労使関係の正常化
  第五節 『ものがたり戦後労働運動史』(二〇〇〇年五月三十一日)
   曲解の自動車総連会長辞任劇
  第六節 全日産労組創立五十周年記念式典(二〇〇三年八月三十日)の問題
   清水の四十周年に倣った歴史認識/歴史に学ぶとは
  第七節 徹底した排除
   突然届いた案内状/懇親会取り止め/IMF・JCは顧問にせずOBも外す/
   自動車総連本部専従者OB会
 終 章 多国籍企業問題と日本の課題
   GMの破産/①トヨタに象徴される日本企業の米国進出/
   ②IMF(国際金属労連)のグローバル・キャンペーン/
   多国籍企業問題に対応する国際的な努力/
   IMF・JC、自動車総連の取り組みと日本の課題/
   EUのCSR政策/生活者優先の社会的市場経済

参考資料
 『基調報告』(IMF日産・トヨタ世界自動車協議会結成に当たって 一九七三年九月二十七日)
   〈多国籍企業問題に対する国際労働運動の取り組み〉
   〈労使協議制で効果的な活動を〉

ただ、その中で言及しておく値打ちのあるのは、石原氏との対立抗争時代に、塩路氏を批判する書物がかなり出されたのですが、その中の東大社研の山本潔氏らがまとめた『転換期における労使関係の実態』(東大出版会)など学術書に対しても、石原氏側の謀略活動の一環として、その内容に詳細な批判を加えていることです。

左派系の研究者による労使関係研究書が、その標的となった労使協力派の労組指導者によって、社長礼賛、組合批判の書だと批判されるという、まことに入り組んだ奇怪な関係がここにはあるようですね。

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コメント

全金プリンスは少数組合として存在し、全労連JMIU日産自動車支部となり、数年前まで組合員がいたはずですが、HPを見ると(OB)になっていますので、現在は全員退職した模様です。
http://jmiu-nissan.com/
http://www.jmiu-nissan.com/index2.html
(各種資料あり)
山本潔氏の著書が謀略とは非常に興味深いです。

読み方は人それぞれですが、僕はこの本、塩路氏の自画自賛、そして自分を追放した人間に対する恨み言という二つの要素で構成されていると理解しました。その執念だけは感心させられました。ところで奇怪な関係、という点で言うと、塩路氏を絶賛し出版社へと紹介したのは東大社研で山本潔氏らと共に研究活動を行っていた戸塚秀夫氏です。その戸塚氏はJR総連系のシンクタンクから発行されている『われらのインター』という雑誌で塩路氏のこの本についての書評を書き、塩路氏は素晴らしいユニオンリーダーであったと絶賛しておりました。確かに奇怪な関係が存在しているようです。

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