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2012年10月18日 (木)

後藤和智さんの批判について

本ブログのエントリ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-761b.html(海老原嗣生『女子のキャリア』)

への当の海老原さんのコメントに対して、かつて本田由紀さんらと共著を出した後藤和智さんがツイートで激烈な批判をしていますが、

http://www.facebook.com/kazutomogotooffice/posts/465396016836832(続:海老原嗣生の正体見たり枯れ尾花)

やや議論が偏狭かつイデオロギッシュになっている感があり、それ自体が肝心の労働問題から目を逸らさせる道具になってしまう危険性すらあるように感じられます。

まずもって、

《若年雇用が「劇的に悪化した」わけではないでしょう。にもかかわらず、マスコミは若年雇用にばかり目を向けます》《そろそろ、若者問題と女性・高齢者問題。雇用問題の力点を変えて、そこから日本型雇用を責める時期ではないでしょうか。》

という言説を

少なくとも私は、この発言から、海老原が「若者雇用は大した問題ではない」と言っており、かつそこを問題視することを批判することによって若年雇用の問題を、結局のところ自己責任として処理していると判断せざるを得ません。

と捉えてしまうのは、「俺の問題だけが大事だ」「いや、私の問題だけが大事よ」という無意味な喧嘩を煽るやり方であって、実はそれ自体が、ほんの数年前までの構図の単なる反転にしかなっていないように思われます。

いわゆる「若者問題」が問題として可視化されてきた時に、フェミニスト系の論者が、「【男の】若者の非正規労働がクローズアップされて初めてみんな騒ぎ出した。女の非正規にはみんな騒がなかったのに」(大意)と批判した問題がここに露呈しているのであって、より正確にいえば、家計補助的な主婦たる「女」と小遣い稼ぎ的な「学生」だけが非正規だと思われていた(現実はまた別)からこそ、その認識枠組みと不協和を生ずる現象が「若者問題」として浮かび上がったわけです。

より細かくいえば、認知的不協和を生ずるはずの現象を見ても不協和を起こさないために、「夢見るフリーターには困ったもんじゃ」という不協和解消のための慰安言説が振りまかれ、それが十年にわたって影響したために若者対策の着手が遅れ、そのイデオロギーを批判するというのがまさに後藤さんたちの仕事となったわけです。

しかしながら、不協和解消のための慰安言説を批判することの重要性は言うを待たないとしても、それがそれだけにとどまっていいわけでもありません。慰安言説が必要とされるのは、その前提となる大きな認識評価枠組みが厳然と存在しているからなのです。

もちろん、問題を問題と認知するために既存の認識枠組みはまずは重要ですが、それがその枠組み自体の問い返しにつながらないならば、結局、かつてのような家計補助的労働者のみが非正規であった「古き良き時代」に戻ればいい(再三、現実はまた別。)というアナクロな議論につながる可能性すらあります。

後藤さんの議論自体がそうなっているというわけではありませんが、最後のところで、

例えば原田泰の『日本はなぜ貧しい人が多いのか』(新潮選書)などは、若年雇用の問題について「構造問題」ばかり採り上げられるがむしろ重要なのは景気の問題である、という指摘をしている。こういう議論こそが若年雇用言説のある種の歪みを正し、よりよい政策論に結びつけるものなのである。

と、りふれはに引き寄せられるような言い方になっているところを見ると、若干懸念の余地はあるようです。

(追記)

ちなみに、上記のような認識評価枠組みに何の疑いも感じないままに、現前の「問題」(それが真の問題であるかどうかはともかく)に拙速に対応しようとした一つの典型的な事例が、一昨日のフォーラムでも批判の的になった日雇派遣の禁止の例外とされるものです。

一 当該日雇労働者が六十歳以上の者である場合

二 当該日雇労働者が学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条、第百二十四条又は第百三十四条第一項の学校の学生又は生徒(同法第四条第一項に規定する定時制の課程に在学する者その他厚生労働省令で定める者を除く。)である場合

三 当該日雇労働者及びその属する世帯の他の世帯員について厚生労働省令で定めるところにより算定した収入の額が厚生労働省令で定める額以上である場合

ここにくっきりと露わになっている属性決定的家計補助的労働イデオロギーを、残念ながら後藤さんの批判は抑制するのではなく、むしろ煽り立てる危険性があるのではないでしょうか。

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コメント

これは、私から返答するよりないですね。
hamacahnさん、この場をお借りします。ごめんさい。
もともと、後藤君の視点・視座は素晴らしいと思ってました。ご著書も好きです。だから、私のことを取り上げてくれてうれしい、などと思っていたしだいで(お恥ずかしい)。

さて、私が若年雇用に関して私がどのように自著で述べて来たか、
以下にトレースさせていただきます。

1)この20年で日本は高卒相応職が破壊的に減少した。それは、製造業・建設業・自営業・農業となる。
2)一方、ホワイトカラーは増えている。大卒相応求人は景気動向はあるが長期的には増えている。
3)つまり、現在の若年雇用問題は、高卒就職が発端となり、高卒で就職できないから大学進学率が上がり、それが、大学就職氷河期を生んでいる。
4)こうした状況を解決するための方策は、ホワイトカラー中小企業の雇用で、かつての製造業・建設業・自営業・農業などの高卒相応職をトレードオフにするしかない(と思っている)。大企業の新卒一括採用慣行や総合職を壊しても、そこには大した新規雇用は生まれない。マイナスの影響も大きい(大企業が新卒を採用しなくなる)。
5)そもそも、雇用の全体像を見れば、7割の人が1000人未満の中堅・中小企業で働き、55%が299人以下の中小企業で働き、40%が99人以下の小企業で働いている。つまり、どの道、このグラデーションで雇用を吸収することになる。

これが私の大前提です。
ただし、こうした形にソフトランするか、というとここにはけっこう障壁がある。
だから、そこにしっかりと障壁を取り除く仕組みを作るべき、と私は訴えています。

仕組み1)中小(と言わず大手もですが)はブラックがある。だから、これを徹底的に排除する仕組み。今まで提案してきたのは、若年ハローワークならぬ、若年労基署=ブラック駆け込み寺機能。そして、公的データを活用したブラック排除。たとえば、労働局には各企業の人員名簿があります。この年次異同を見れば、定着率などすぐ出せます。税務署データを利用すれば、人件費率・労働分配率も出せます。労基署データでパワハラ・セクハラ・サービス残業・超過勤務問題も出せます。さらにいえば、ハローワークへの登録者に、「以前の企業で健康保険に入っていたか」を訪ねれば、社会保険逃れ企業のデータも集まる。こうやって、公的データをもとに、ブラック排除を行う。

仕組み2)中小はブランドもイメージもないからわからない。働かない限り内情は知れません。だから、試行雇用を充実させ、派遣形式で、数社を実際に試せるようにする。こうして、短期間働き、内情を知ってから就職できるようにする。

仕組み3)中小は教育が弱い。また同年代がいなくてさびしい。だから、「合同研修センター」を設け、地域の中小就職者を一堂に集め、育成しながら、同年代の輪を作る。このセンターは継続的に研修を行い、彼らから随時企業での就労状況を聞き、悩みを解決するだけでなく、ブラックかどうか、も調べる。

仕組み4)それでも、今の社会は結局、ホワイトカラー=対人折衝中心だから、心優しい若者が、辛い思いをしがち。そこで、こうした心優しい人たちへのケア、そして、たとえば、「あまり給与は高くないけど、ストレスの少ない仕事の紹介」なども行う。

こんなところが、今までに書いてきたことです。
仕組み1~4て、Posseの取り組みなんかにも通底するはずで、だから何とか彼らとも協働できれば、と考えているところです。
私は、「中小に行け!行かない若者が悪い!自己責任だ」と(その昔、4~5年前のまだまだ未熟な時代にひょっとしたらあったかもしれませんが)、思っておりません。
中小に行かない、行きたくない理由は「危ない・わからない・育てない・さみしい」の4つ。けっして若者のえり好みではない(いや、えり好みもあって当然。これさえ否定すべきではない)。まずは、4つの「ない」を取り除く仕組みを作ること。
さらに、今の社会の根本問題は、対人折衝中心で、心優しい人たちがはじき出されることにあると思っています。
私の表現が稚拙なせいで、無用な誤解や怒りを生んでいるようで、そこは真摯に反省します。

お世話になっております。「後藤和智事務所OffLine」の後藤です。このたびは、拙稿に対するご意見をいただきまして誠にありがとうございました。下記にご高説への回答を書きましたので、ご一読下さいますと幸いです。

http://www.facebook.com/kazutomogotooffice/posts/354783101278511

後藤君のFBも読みました。すみません、FBアカウントなく、コメントできず、またこちらに。
そう、「ある世代の若者だけをとらえて損をしている」という人たちと、後藤君は確かにちがっていて、評価しています。
禿同です。
景気動向の問題も二つの意味であると思います。
一つは、本当に単純な短期の景気サイクル。08年と今では確かに雇用環境は異なりますね。
もう一つは、もう少し長いスパンの景況。こちらの影響で、日本はバブル崩壊後、製造業はどんどん空洞化し、財政不安でバラマキも止め、農業は完全に外国に負け、そして合理化で自営業もなくなった。だから高卒相応職がなくなったと思ってます。長期の景況が産業構造を変えた、と。

さて、短期の変動でまた好景気になったとしても、僕は、後者の「産業構造の変化」には対応しきれないのではないか、と考えます。

その証拠に、リーマンショック前の08年でも、大卒就職者は今と3~4万しか変わらず、新卒無業者は7万人も出ていました。しかも就職できた38万人のうち、25万人がやはり、中堅中小企業でした。
(また「質を見ず、量ばかりか!」とお叱り受けそうですが、リーマンショック前の就職者でも、トンデモブラックに嘆いている若者は多いです。これを何とかしないと)。

僕は、もし、またリーマンショック前に戻ったとしても、今の産業構造・進学構造では、圧倒的多数は中堅中小企業に就職し、そして、少なからぬ無業者が出ると考えています。

こうした中で、私なりに真剣に考えていくと、
・景気は良くなる方がいい。
・ただしそれだけでは救えない。大手の雇用吸収力は小さいから。
・日本型を壊して、既卒後に就職できるように変えても、やはり、圧倒的多数は大手には入れない。
という結論になってしまうと思うのです。

だからこそ、いつの時代でも(特に近年!)多くの人が結局、雇用されることになる「中堅中小企業」への、安心で納得のいく就職の仕組みを作るべきだと考えています。

「中小に押しつける言説」とは切り捨てないでいただければ、うれしい限りです。

http://www.chuokoron.jp/2011/01/post_55_2.html
海老原さんが
ミスマッチとしてリクルートワークスの中小企業の大卒求人倍率を(第一志望の倍率って注釈を付けず)持ち出したので、若者が無用な非難を受けたのはあると思う。

リクルートワークスを見ると
http://www.works-i.com/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=964&item_no=1&page_id=17&block_id=302
2ページ
注)就職希望の従業員規模ならびに業種は、第一希望とする従業員規模ならびに業種の情報をもとに集計している

第一希望を大企業にしてるからって中小企業を受けないわけではないのに。
三〇〇人以下の企業は四・四一倍という倍率だけみて

当時、若者は中小を受けていない!若者のわがままが悪いと勘違いしている人がテレビで沢山出ていた。

海老原新著について、マシナリさんも取り上げています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-536.html(制度の束)

ところが、hamachan先生のところでやりとりがありましたが、この海老原さんのコメントに対して後藤和智さんが痛烈に批判されていて、頭を抱えてしまいます。後藤さんの専門領域である俗流若者論の一つとして海老原さんの主張が批判されているわけですが、若者だけが問題ではないという複数の問題設定をすることに対して批判されているのであれば、後藤さんの批判はあまりに教条的に過ぎるのではないかと感じています。

・・・・・

世の中がシングルイシューで片づけられることばかりではないという「りふれは」への批判に理解を示すのであれば、俗流若者論というシングルイシューを叩けば問題が解決するわけではないことも後藤さんご自身が理解されているはずです。もう少し踏み込んでいえば、シングルイシューのみを問題とすることでその問題が構造的な何者かにすべて帰着してしまい、結局は具体的な行動に結びつかないということも懸念されます。シングルイシューを巡る議論はそれ自体が問題なのではなく、シングルイシュー化することで結果と原因が一対一で特定されてしまい、その原因となったものが徹底的にバッシングされる一方、それを成り立たせている周辺的要因が看過されてしまう点にあるものと考えます。私の考える一部のリフレ派と呼ばれる方々の問題点もその点に集約されます。。

わたしは、後藤和智さんがこれまで書かれてきたものの知的水準から見ても、後藤さんを「リフレ以外をトッププライオリティと考えること自体が許し難い」などと喚く一部「りふれは」並みの痴性だとは全然思っていませんので、もう少し心を落ち着けて冷静な議論を展開して欲しいものだと念じています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-66be.html(リフレがトッププライオリティなんて人は存在し得ない)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-7471.html(松尾匡さんの人格と田中秀臣氏の人格)

つまり、リフレなるものをトッププライオリティとして共有しないような奴は許さない。とりわけ、労働問題の労働政策による解決をトッププライオリティと考え、そのためにどこにどういう問題があるのかを真剣に考えようとするような輩は、たとえ最大公約数としてリフレーション政策を共有できたとしても断然撃滅するぞ!ということを公言するような人格の持ち主が、(ただの一ユーザーなどではなく)その国民会議なるものの中軸的存在であるわけです。

まことに、素晴らしい役割分担と申し上げざるを得ません。労働研究者や労使関係者には内心リフレーション政策にシンパシーを持っている人が結構いると思っているのですが、ここまで言われれば、公然とその国民会議なるものに近づくなどという利敵行為に手を染めることは不可能でしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-032e.html(批判ですらない批判 @マシナリさんブログ)

話を蒸し返していまいかねないかとトラバしておりませんでした。

改めてこちらのエントリを拝見すると、的確な枠組みで議論するということがいかに難しいか考えさせられます。ためにする批判とか批判のための批判というのは、端から見ているのと当事者とでは全く感じ方が違うのでしょう。それを乗り越えて議論することを考えると、まともな政策議論というのは絶望的に難しいような気もしてきますが。。

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