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いや、それは「古い」けど古くもないんだ

ずっと以前に、その赤木氏の著書への評論として書いたことの繰り返しになるのですが、こういうつぶやきがされるのを見ると、やはり繰り返し語っておく必要があるような・・・。

http://twitter.com/kamaaca/status/243925594943918080

ふるいタイプの人権派は生存権を自由権の側からしか考えていない。それが明らかになったのは赤木智弘の功績だとおもう。サタカだか誰だかが、赤木に、きみにはカネやモノはないかもしれないが、イノチがあるじゃないか、とかゆったよね。

その「ふるい」タイプってのは、実は1960年代末からようやく一人前の顔をし出した新参者なんだよ、

ってのが、私が赤木氏に語ろうとしたことであるわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

彼は、自分が「いわゆる左派」だったというのですが、その「左派」ってのは何かって言うと、最初に出てくるのが、オウム真理教バッシングに対する批判なんですね。

それが左派かよ!そういうのはプチブル急進主義って言うんだぜ!

と、昔風の左翼オヤジはいうでしょう。

・・・もちろん、半世紀前の左翼オヤジの論理がそのまま現代に通用するわけではありませんが、リベサヨに目眩ましされていた赤木さんにとっては、これは「ソーシャルへの回心」とでも言うべき出来事であったと言えます。

問題は、赤木さんの辞書に「ザ・ソーシャル」という言葉がないこと。そのため、「左派」という概念がずるずると彼の思考の足を引っ張り続けるのです。

もちろん、もっとロングレンジで見れば、自由権中心の19世紀以前の人権論が20世紀になって社会権を重視するようになってきたという意味において、りべさよ的発想の方が「古い」というのは確かなんですが、

戦後日本という知的世界の文脈で言えば、その出発点において主流だったのがむしろ社会権的発想で、むしろそれに対する反発が(とりわけ「1968年」以降において)自由権を中心において考える(古いんだけど)「新しい」発想を強めていって、80年代にはもはや古典的左翼オヤジは笑いものでしかなくなっていくわけです。

90年代以降の日本しか知らないある年齢以下の人々にとって、「さよく」だの「しゃみん」だのというラベルで思う浮かぶ人々が、(それこそ佐高信とか福島瑞穂といったような)ほぼ例外なくりべさよでしかないという事態からすれば、そういう70年代以降の(古いんだけど)「新し」かったりべさよ的思想が、若い人々にとって否定すべき「古いタイプ」であるのはまったく当然ではあるのですが、それにしてもこの目がくらくらするようならせん状の事態は頭を抱えたくなります。

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