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マジで「希望は、戦争」という時代

「ラジオみなみ関東」さんが、こうつぶやいていますが、

http://twitter.com/radiomikan/status/247478022716923904

井上寿一「日中戦争下の日本」を読んでると、戦争に協力しちゃった人って当時の労働者とか小作人とか女性だったりするんだよね…戦争協力を経て職場の待遇改善だったり、男女平等に近づけた側面が少なからずある。やるせない…(._.)

http://twitter.com/radiomikan/status/247478492722233344

総力戦だから下の方も引き上げろ!という名目になるんだな…それを推し進めてしまったのが社会大衆党という左派政党。

http://twitter.com/radiomikan/status/247478856032849923

マジで「希望は、戦争」という時代が確かにあったことがその本を読むとよくわかりますよ。読んでてやるせなかった。

いや、だから、何年も前からずっと言い続けているのはそういうことなわけですが・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_3f06.html(フリーターが丸山真男をひっぱたきたいのは合理的である)

これは当然なのだ。そして、彼が戦争を待ち望むのも当然なのだ。

実際、今から70年前、中学校以上を出たエリートないし準エリートのホワイトカラー「社員」との差別待遇に怒りを燃やしていた彼の大先輩たるブルーカラー「工員」たちを、天皇の赤子として平等な同じ「従業員」という身分に投げ込んでくれたのは、東大法学部で天皇機関説を説いていた美濃部教授でもなければ、経済学部でマルクスを講じていた大内教授でもなく、国民を戦争に動員するために無理やりに平等化していった軍部だったのだから。もちろん、それを完成させたのは戦後の占領軍とそのもとで猛威を振るった労働組合であったわけだが、戦時体制がなければそれらもなかったわけで。

このへん、戦前は暗かった戦後は明るくなった万歳史観では全然見えないわけで、そういう史観の方々には何が問題なのかもよく分からないのだろう。もちろん、戦争なしにそういう改革ができたのであればその方がよかったのかも知れないが(実際そういう国もないわけではないが)、戦争もなしに戦前の丸山真男たちがそれを易々と受け入れただろうかというのが問題になるわけで。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html(超リベサヨなブッシュ大統領)

戦前の日本が過剰にリベラルだったから、それに対するソーシャルな対抗運動が「革新派」として拡大していったからなんでね。まさに、ポランニーの云う「社会の自己防衛運動」。戦前の二大政党制の下では、本来そっちを取り込むべき立場にあった民政党は、確かに社会政策を重視し、労働組合法の制定に努力したりしたけれども、同時に古典派経済学の教義に忠実に従うあまりに金解禁を断行し、多くの労働者農民を不況の苦痛に曝すことを敢えて行うほどリベラルでありすぎたわけで。どっちにも期待できない労働者たちは国家主義運動に期待を寄せるしかなくなったわけで。

ついでに、戦後歴史学では反戦平和の闘士としてもてはやされている斉藤隆夫、帝国議会で軍部を痛烈に批判した粛軍演説ですが、彼はその冒頭こういういい方をしているんですね。

>一体近頃の日本は革新論及び革新運動の流行時代であります。

>しからば進んで何を革新せんとするのであるか、どういう革新を行わんとするのであるかといえばほとんど茫漠として捕捉することはできない。

>畢竟するに、生存競争の落伍者、政界の失意者ないし一知半解の学者等の唱えるところの改造論に耳を傾ける何ものもないのであります。

生存競争の落伍者」ごときのいうことに耳を傾けることなんぞできるか!

とまで罵られて、反ファシズムのため連帯しませうと云えるほど、日本の社会主義者たちは心広くはなかったわけです。

赤木君ではないが、「ひっぱたきたい」と思ったであろうことは想像に難くありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_642c.html(昭和8年の三菱航空機名古屋製作所争議)

日本の近代史を考える上で大変重要なのは、それまで争議のたびに悲惨な負け方を繰り返していた労働組合側が、この(リベサヨさんのいうところの)ファッショな時代になると、そう簡単に負けなくなって、いやむしろこの事件のように勝つようになるということです。ここのところを抜きにして、百万言費やしてみたところで、昭和史の本質が分かったとは言ってはいけないんですよ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_f86f.html(日中戦争下の日本)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_1e5a.html(丸山真男をひっぱたくブログ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/12_f1d9.html(昭和12年の愛知時計電機争議)

だいたい、官憲は資本家の味方をして労働組合や争議団を弾圧するものと相場が決まっていたのですが、日中戦争前夜のこの時期には、「愛国」的な労働組合と官憲が結託し、争議に勝ってしまうという事態が起こるようになっていたのですね。

まさに、「戦争に労働者の地位向上を賭けた」わけで、しかもそれが成功したのですね。「愛国」の旗を振ることで、それまで踏みにじられていた労働者たちは、会社に勝てるようになったのです。それをファッショだと批判したところで、歴史の意味が理解できるものではありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html(赤木智弘氏の新著)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_2040.html(松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」)

ちなみに、中国についても、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-8e0e.html(中国も「希望は戦争」?)

サンケイ・ビズの記事ですが、これと例の尖閣騒ぎを重ね合わせつつ、赤木智弘氏の本と高基彰氏の本を横目で睨みながら、日中戦争期の歴史書などをひもとくと、なかなかに背筋の冷えるところがあります。

今や大卒は「高給民工」。しかも、「希望は革命」などとは口が裂けても言えないのですから、「希望は戦争」となるわけです。

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コメント

×高橋基彰→○高原基彰
2010/10の記事ですでに間違いがあるようです。
このコメントは表示しなくて結構です。
申し遅れましたがいつも拝読いたしております。

投稿: 宮澤晶 | 2012年9月17日 (月) 10時47分

ご指摘ありがとうございます。
執筆時も今回も全然気がつかなかったのは、いかにものを見ていないかですね。

投稿: hamachan | 2012年9月17日 (月) 10時55分

女性は自分の子供を犠牲にしてまで希望は戦争と思ったのでしょか(?。?領土問題ににかこつけて、憲法を改正してまで戦争をしたがるイシバくんは巧みに群衆心理を利用しているようで大変恐い。現在の希望は戦争なのだろうか(?。?

投稿: 僕ドザエモン左側 | 2012年9月17日 (月) 12時46分

当時に比べてもより酷いのは、「『生存競争の落伍者』ごときのいうことに耳を傾けることなんぞできるか!」と言わない人が右にも左にも、「りふれは」にも「こーぞーかいかくは」にも反「りふれは」にもいないことなんですよね…

投稿: koge | 2012年9月17日 (月) 14時46分

赤木氏の論文が最初に出た頃は格差社会が叫ばれる事によって多少なりとも地道な希望の展望は見えたのですが。
今や左派も脱原発一色になっちゃって、経済的弱者の事なんか見ようともしませんからねー。

投稿: ななみ | 2012年9月20日 (木) 19時23分

もし左派がストレートに福祉社会を展望し、「政府依存OK!」と言ったとしたらどうでしょうか?
もし左派が福祉社会のために重税を呼びかけたらどうでしょうか?
政治が階層を代表する勢力の対立を反映するものとして、それの機能不全はやはり左派が原因では?
まずは貧乏人と低賃金労働者に安心と自信を与えること、そしてその上で方向性を指し示すこと。パターナルでトータルであることを避けないこと、そしてその上でリベラルを志向すること。左派の基礎がトータルでパターナルであることから逃げないこと。S・ジジェクの「全体主義―観念の(誤)使用について」を参照しましょう。
むろん現実としての民主主義と自由主義に敬意を表しつつ、また左派が貧乏人と低賃金労働者の外部に存在している「宇宙人」であることに驚異を覚えつつですが。
でもやっぱり、日本のような社会では、誰が貧乏人や低賃金労働者のために行動するのでしょうか?キリスト教徒しかいないのでは?とも思います。
金持ちは放っておいてもまとまりますし、企業もそうです。
貧乏人と低賃金労働者は今日の生活に忙しいのでそれが出来ません。
左派はそれをしてあげているという自負がどこかにあるのかもしれません。それは傲慢ですし、現実においては有害ですらありますが、同時に、この問題は自らを左派と主体的に定義している人間の自覚的な反省抜きにはなし得ない問題でもあると思います。
なので全ての自称左派は反省してね。愛を込めて。

投稿: 社会民主主義戦線 | 2012年9月21日 (金) 09時18分

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