解雇の金銭解決はなぜ必要か?
昨日の日経新聞の「経済教室」に、鶴光太郎さんが「解雇に金銭解決の導入を」を書かれていますが、やや論理が不明確な感じがしました。
同じ感想は大内伸哉さんも持たれたようで、
http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-de80.html
今朝の鶴光太郎さんの経済教室は、ちょっと残念でした。解雇の金銭解決という方向性には、私も賛成なのですが。記事では、イタリア、フランスの解雇法制のどういうところを学ぶべきなのか、よくわかりませんでした。
私の感想は、大内さんともちょっと違っていて、そもそも日本では解雇の金銭解決が認められていない、と書かれていること自体が、現実の労働社会とは乖離しているという認識から来ています。
不当解雇は無効だから原職復帰を使用者に義務づけている、というのは、あくまでも膨大な訴訟費用と機会費用(訴訟に費やした無駄な時間でできたであろうあれやこれやの価値)を費やしてまで裁判所で争うごく少数の人々の話なのであって、そうじゃないごく普通の人々にとっては、むしろ何の基準もないままにかなり少額なレベルで決まる金銭解決か、そこまでも行かないで泣き寝入りして終わる「金銭無解決」の方が圧倒的に主流であるわけです。
実を言うと、昨日の記事で鶴さんはそこのところにもちゃんと目配りしてこういう記述もしています。
・・・もちろん裁判所での和解、労働審判、労働局のあっせんにおいて金銭的な解決が行われているが、労働政策研究・研修機構や東京大学社会科学研究所との調査を見ると、紛争解決の仕方で解決金がかなり異なり、少額のケースも多い。・・・
『日本の雇用終了』の末尾近くで、私が金銭解決制度の導入を説いたのも、なによりもまずこの、コストをかけられる人は非常に手厚く、コストをかけられない人にはものすごく冷淡な仕組みを、もっと平準化すべきではないかという問題意識からきているのですが、せっかく上のような引用をしていただいているわりには、昨日の記事全体からはそういう問題意識がほとんど感じられず、やや残念な感じがしたところです。
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