「日本の若者に職を」って、そこかよ
またまたあごらなひとなので、そんなのわざわざ突っ込むなよ、という忠告が聞こえてきますが、やっぱりほっとけなくって・・・。
http://agora-web.jp/archives/1484661.html(日本の若者に「職」を!)
いや「日本の若者に「職」を!」というタイトルも、
冒頭のILO報告を報道するBBC記事も、
そして最初のいくつかのパラグラフも、
若者の失業が直ちに日本の財政や経済力に大きなインパクトを与えるとは思えない。しかしながら、放置すればやがてボクシングのボディブローの様に効いて来て、日本を衰弱させてしまうと思う。
第一に、若者が職を得ると言う事は微々たるものであったとしてもGDPに貢献する事である。失業であれば当然の事ながら貢献はゼロである。
第二は、大学を卒業して失業者になると言う事は、無収入で「納税」や「社会保障の負担」と言った、社会人としての義務、責任を全うしない事を意味する。更には、生活保護の受給となれば社会保障の負荷以外の何物でもない。本来、社会に貢献すべき若者が社会のお荷物となっていてはどうしようもない。
第三は、社会が沈滞化する事である。街を歩けば、仕事のない若者が至る所で一日中道に座り込んでいる光景を目にする事になる訳であるが、これは矢張り良くない事である。若者の鬱積した不満や怒りはやがて臨界点を超え、何処かの時点で爆発する。日本社会は社会不安という爆弾を抱え込む事になる。
最後は、若者が不幸になると言う不都合な事実である。若者が社会人として成長する為には、「ノマド」であれ、何であれ、自ら起業、独立出来る様なパワーを持ち合わせた一部例外を除けば、既存の役所なり企業に職を得るのが唯一の可能性である。
まったく正しい。
なのに、そう、なのに、その後に続く文章で、このあごらな筆者は何を取りあげてるかというと、
第一の例として、法科大学院の廃止を提案したい。・・・
今一つは多過ぎる大学院の廃止を提案したい。・・・
そこかよ!
もちろん、文科省に騙された・・・って言い分にも相当に正当性がないわけではないが、とはいえ、最高学歴をめざして基本的には自己責任という言葉が(例外的に)適用されうるような社会の上層部の人々のこと「しか」目に入っていない人が、「日本の若者に職を」って論じてみせるということ自体の中に、結構シュールなものを感じる今日この頃ではありませんか。
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コメント
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問題解決の作法として答えは無限の先送り。
エジプト遺跡の碑文に「最近の若者は...」的記述が見出されるあたりにつけ、若者が若者で有るが故の、年寄りが年寄りであるが故の対立構造は有史以来変わらないとでも言えばいいだけかもしれない。
投稿: フレディ | 2012年9月 5日 (水) 17時52分
野暮な突っ込みかもしれませんが、日弁連の貧困や格差や雇用に対するスタンスとの絡みでdisているんだと思いますよ。給付制の議論以前にまず法科大学院の学費があんなに高いのかを説明してほしい。それこそが弁護士になりたい人の機会を奪っているのでは。旧司法試験の方が機会は平等だし、そろそろ旧来のリベラルの善意とネオリベの経済性の野合による最悪の産物だということを認識すべき。
投稿: ひで | 2012年9月 7日 (金) 00時50分