年功弊害じゃない「老害」って何だ?
昨日の
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-f713.html(なぜ、こうも本質を取り違えた問題設定をしてしまうのか?)
に対し、「ニュースの社会科学的な裏側」さんが、
http://www.anlyznews.com/2012/09/blog-post.html(問題は労働市場の摩擦、つまり高齢者の働きぶり)
で批判をされています。
ただ、その趣旨がいまいち理解できませんでした。
実をいうと、私の論は、法論理的には完璧ですが、現実の労働社会と乖離しているじゃないかという批判は成り立ちます。
現実に年功序列型賃金体系が存在し、かつ就業規則不利益変更法理を厳格に解釈すると、高齢者雇用を定年延長というやり方でやると、生産性に比べて賃金が高すぎる高齢労働者を引き続きその高賃金で雇い続けなければならないということになり、結果的に若年労働者をクラウドアウトするという反論はもっともです。
ただ、だから定年延長ではなく再雇用で労働条件の見直し(生産性水準までの引き下げ)を可能にしているわけで、その点については「ニュースの社会科学的な裏側」さんも、
労働市場の摩擦を導入してみよう。定年延長ではなくて再雇用義務化で待遇は下げることが出来る事から賃金の下方硬直性では無くて、老害が発生して生産性が低下するとしよう。
と認めています。
では、賃金が高すぎるというのではない「生産性が低下する」ような「老害」とは何なのでしょう。
このエントリの中で、その中身を示唆するのは
例えば老害の正体が『若手が年配者に意見をしづらい雰囲気』であれば、企業側に職場環境の工夫が求められるわけだ。
という1文だけなのですが、それが今回の法改正の正当性を左右するだけの大問題であるというのは、さすがにいかがなものかと思われます。というか、その「老害」による追加的な生産性の低下に対応するだけ追加的に賃金を引き下げれば、理論的には話は終わるわけですし。
いやそういう経済理論な話をしてるんじゃない、と言われそうです。
濱口氏も日本企業は年功序列のメンバーシップ型雇用だったと指摘しているわけだし、企業利潤を損なっても序列崩壊を避けようとするかも知れない*2。
そういう批判はある意味ではもっともなのですが、それを経済理論を駆使した議論の中で唐突に出されると、どっちで議論をするの?という疑問も湧かないではありません。
実をいえば、私はこの懸念はそれなりにもっともであると考えており、それ故に、今回の改正に当たっては、雇用確保先のさらなる拡大を主張してきたところです。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo120225.html(「高齢者雇用に転籍や派遣の活用を」 『労基旬報』2月25日号 )
それでもなお「それ以外の解決不能な老害が心配されるのも不思議ではない」とすると、それは一体いかなる性格の「老害」であるのか、よく分かりません。
なお、もし、どういう仕事にも使いようがない、という意味であるなら、それこそ、
別に年齢を理由にしなくても雇用終了できるような場合だったら継続雇用しなくていいよ、とごく当たり前のことを言ってるだけでして、それが困るというのは、要するに解雇できるのに姑息にも解雇しないでおいて、60歳まで待ちに待って、「いやあ年ですからやめてよね」と言いたいというだけのことでしょう。
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高齢者労働者対策の再雇用義務化が短期的に若年者雇用を下げうるかについての昨日のエントリーが、濱口氏から主旨が不明瞭と指摘されている(EU労働法政策雑記帳)。 [続きを読む]
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「分厚い中間層の復活」を掲げた直後に身内の非正規職員に労組結成された厚労省
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/5939135.html
城氏がノリノリなのですが、なにがそんなに楽しいのか、外からはちっともわからないですね
投稿: morituska | 2012年9月24日 (月) 14時56分