ハイエクもフリードマンも載ってました(ペコ)
画面上でざっと見ただけでは見落とすものですね。
ついうっかり、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-4b86.html(組み合わさってますけど・・・)
確かにフリードマンもハイエクも載ってませんが・・・。
などと口走ってしまいましたが、ちゃんと載ってました。ただし、本文じゃなくてコラムですが。
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-02.pdf
コラム 20世紀における社会保障・福祉国家への批判
オーストリアの経済学者・哲学者であるフリードリヒ・フォン・ハイエク(Friedrich August von Hayek, 1899-1992)は、市場の自動調整機能を損なうような、強制的手段による弱者保護や累進課税を否定した。
ハイエクによれば、福祉や再分配の領域における国家の政策では、分配の基準について、国家が判断することとなるが、こうした基準の設定を限定的な知しか持ち得ない国家が行うことは、恣意的な分配にしかなり得ない。むしろ、国家が介入せず、この種の判断 を個々人にゆだねるならば、自由に交わる個人はそれぞれの持つ情報や知恵を結晶化させて「自生的秩序」を生み出す。それを代表する自由市場は、いかなる中央の計画者にも入手できない種類の知を提供する価格というシグナルを備え、個々人を全体的な善に導く経済活動に向かわせると主張する。
すなわち、国家が計画を策定し、特定の目的を達成するため資源を再分配することは、個人の自由を侵害するだけでなく、それ自身に任せておけば全ての人に利益を与えるはずの市場プロセスを非効率なものにして、長期的には社会の発展を阻害することになるとする。
また、アメリカの経済学者であるミルトン・フリードマン(Milton Friedman,1912-2006)は、①裁量的な福祉政策は現に望ましい結果をもたらしてはおらず、②家族の絆や社会のダイナミズムを失わせ、人々の自由を阻害しているとして、福祉国家・大きな政府に反対した。
フリードマンは、政府のなすべき役割は、①市場を通じた経済活動の組織化の前提条件(ゲームのルール)を整備すること、②市場を通じて達成できるかもしれないが多大な費用がかかることを行うことに限定されるべきで、「負の所得税」制度という単一の包括的なプログラムを導入し、アメリカの社会保障制度は解体すべきであると主張した(『資本主義と自由』,1962年)。この背景にあるのは、効率を重視する市場メカニズムへの大きな信頼であり、自由な経済秩序は市場メカニズムの貫徹によって、個人の自由と福祉を最もよく増進できるという哲学であった。
もっとも、これらはハイエクやフリードマンの原典の邦訳ではなく、
嶋津 格「ハイエクと社会福祉」(塩野谷祐一・鈴村興太郎・後藤玲子 編『福祉の公共哲学』(東京大学出版会,2004年)所収)
小峯 敦 編『福祉の経済思想家たち』【増補改訂版】(ナカニシヤ出版,2010年)
という参考文献による記述のようです。
ちなみに、そのすぐ後に載っているロールズとノージックに関する記述は、いずれも原典の邦訳が参考文献に挙がっています。まあ、妥当なところじゃないか、と思いますが、人によってはこの扱いの差に腹が立つかも知れません。
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