小熊英二『社会を変えるには』
新書としては分厚い500頁越えの中に、日本の社会運動の歴史から古代ギリシャ以来の政治思想の歴史からいろいろ詰め込んでいますが、どちらかというとよく言われていることをまとめたという感じの本です。
わたくしからすると、「新しい」社会運動に肩入れしすぎて、逆にとりわけヨーロッパと比べて日本で希薄になりすぎてしまっている「古典的」社会運動の位置づけがどうなのかなあ、というところもありますが(より正確にいえば、70年代に確立した日本の「昭和」システムと日本的「新しい」社会運動の共犯性という高原基彰さんの問題ですが)、これだけの議論を一望できるという意味では有用な本でしょう。
おそらく一番力の入っている第6章が、不確定性原理や現象学から再帰性やフレクシキュリティを引っ張り出しているのは、やや飛ばしすぎの感もあります。もっとも、この章の労働社会政策に関するところは、あとがきによると仁平典宏さんにチェックしてもらったということで、ごく簡単な解説としては信頼できます。
その中の「保守主義の逆機能」という項から、「再帰性」でもって通俗的な議論を批判しているあたりを;
・・・たとえば、「3年で辞める若者はわがままだ」と唱える財界人がいます。しかし同じ人が、下請企業は従来の経緯に縛られずに世界中から自由に選ぶ、法人税を下げなければ海外に工場を移転する、がまんも限界だ、などと主張したりします。こういう人は、「なんで女が家事をやるの。でもあなたは男だから働いて」などと言われたら、たぶん怒るでしょうが、自分が何を言っているのか分かっていないのでしょう。
しかも、「下請企業は自由に選ぶ」などと発言したら、その会社の取引先も、「自由」に振る舞うようになるに決まっています。「グローバル基準で厳選採用する」と発言したら、相手もグローバル基準で厳選します。能力主義を社員に要求する社長が、有能でなかったとしたら、正統性が低下します。自分の振るまいが、相手に影響を与え、よけいに再帰性を増大させることになるのが分かっていません。そこに対立が生まれ、逆機能が生じるのです。
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この議論に関連して、雇用規制の緩和の議論でいつも思うのは、まず、いいだっぺの経済学者からやったらどうかということ。経済学部の仕事は、ジョブ型に非常になじみやすいのではないかと思う。
業績主義で、ちゃんと学問の世界で、経済学者としての業績を上げなければ解雇ということでどうか。
まずは隗よりはじめよ、だ。自分で実地にためしてみる「勇気」必要ではないか。
投稿: yunusu2011 | 2012年8月19日 (日) 13時14分