小野善康ゼミナール on 「さっさと不況を終わらせろ」
黒川滋さんが、峰崎直樹さんと一緒に小野善康さんを訪ねて、クルーグマンの「さっさと不況を終わらせろ」について検討してきた内容をブログに書いています。
http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2012/08/89-7e41.html(長期不況の経済学のおさらい)
峰崎さんの問いに小野さんが答えるというスタイルですが、
峰崎さんの疑問①グルークマンの主張する財政破綻や金利上昇はまったく心配する必要はないのか。
小野さん:金融が崩壊する可能性はある。そうなるとますます現金所有願望は高くなり、景気は非常に悪くなる。峰崎さんの疑問②日本への提言と読めるのか、それともアメリカとEUだけか
小野さん:消費願望が著しく衰退している(60年代のテレビへのあこがれの話になる)。金融政策で何とかしようとするのは、消費欲求が高くない成熟社会では効果が少ない。中国やインドの不況への対処法である。峰崎さんの疑問③国土強靱化や国土減災という新たな公共事業は?
小野さん:何もしないより良いが、支出の質や効果としてはどうか。
東北の罹災者の生産力が復活するような事業であれば問題ないが、自己目的化した公共事業であれば、やめるときに縮む経済をどうするかという問題になる。これは小渕内閣の大盤振る舞いとその後の小泉構造改革の弊害そのものだ。峰崎さんの疑問④大不況の中で財政緊縮や増税を進めることは不況を長引かせる愚の骨頂なのか。
小野さん:増税をできるだけ社会に必要な資源に振り分けていくことが大切だ。財政再建のための増税をすると増税分は金融機関にまわるが、長期不況のもとではそうした資金は実需にはまわらないので、デフレ不況を深刻化させる。また支出についても宇宙開発のような青い鳥の政策ではなく現実にボトルネックになっている問題に使わないと効果が出ない。峰崎さんの疑問⑤「流動性の罠」にはまっているのだからインフレ期待を作り出すことが重要であるとの指摘について。
小野さん:インフレを作りたいとおもって作ることはできない。現金がジャブジャブになっても消費する先がないのだから、景気は良くならない。などと問答をして、新自由主義の次に出てきて、民主党の増税反対派を中心とした政治家にいいように利用されているリフレーション派の間違いを説明していただきました。
そのあとの部分については、黒川さんが正確でなかったとして次のように書き換えておられますので、修正後の記述を改めて引用しておきます。
小野先生はバブルの真っ最中に、マネーサプライを追いかけていく研究のなかで、永続的なデフレ不況が起こると出てきたが、先生自身現実に起こるとは信じ切れず学問的可能性として学究の中での発表にとどめたそうです。
それと同じ感想を八田達夫先生も持っていつつも、「デフレなど近年になってからは現実には起こっていない」と指摘してくれたことに対し、「経済学者がうまくいっているときにいかなくなるって予測するのは結構勇気のいることなんですよ」と小野先生はおっゃったそうです。
その後の展開は、小野先生が学界に留めたことと、八田先生の予測しつつもありえないと思ったことが実現する展開になっていったということでした。
(追記)
黒川さんのエントリに対するこれこそ失笑すべきコメント
http://twitter.com/yasudayasu_t/status/234188907850375168
[トンデモ][抜粋引用][ネタ]最後にリフレを全く理解していないのを吐露してて失笑。/ 「さっさと不況を終わらせろ」は金融政策一辺倒であったリフレーション派が雇用に着目して動き出したという点で注目されるべき部分はあるのかも知れません
それはまっとうな「リフレ派」が言うべき台詞。
労働社会政策をひたすら憎悪する「りふれは」にはまさしく適切な評語と言うべきでしょう。
こういうふうに、(まっとうなリフレ派に累が及ばないように)わざわざ「りふれは」とまっとうな「リフレ派」を分けてさしあげると、こんどは
http://anond.hatelabo.jp/20120716230730
『りふれは』として出してくる人がすごく限定的。『不当表示~』の方に到っては実質的に片手の指で足りる程しかいない。だったら「○○派」とか言わずに、その個人に対して批判をすれば事足りるはずなのに、そうはしない。
つまりは学問としてのリフレは支持してますよ、とかの物言いは単なる建前で、実際にはそれを含めたリフレを(おそらく実際にはそちらこそを)貶めたいというのが本心であろう。
姑息な建前を語る彼らに、まともな議論をするのに必要な誠実さは期待できない。
と非難されるのだから世話はない。
そういう社会政策憎悪派のたぐいの連中と一緒にされたいのか、されたくないのか、はっきりしやがれ。
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コメント
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デフレ(というか流動性の罠)が理論的にはあり得るけど現実にはない、というのはケインズがその概念を唱えてから、日本で90年代後半に現象として現れるまで、机上の空論と思われていたので、別に不思議はないかと。
小野先生も本当に「予測」していたならちゃんと発表してたでしょうし、理論的にはあり得るけど机上の空論だと(当時)思ったからこそとどめたのではないかと。
投稿: charley | 2012年8月10日 (金) 17時22分
八田さんを擁護すると、最近の話ではなくて自由な経済が元気だった80年代のバブル期の話だったということです。
投稿: 黒川滋 | 2012年8月10日 (金) 17時22分
先ほど小野さん本人からメールをいただきまして、揶揄ではなく、八田さん自身も同じような予測をしたが近年こうした現象はどこにも起きていないんですよね、と言われたということのようです。
過剰な表現をし、八田先生にも誤解を招くような書き方をしてしまいました。元記事も訂正していますので、そのようにお読み取りください。
ご迷惑をおかけいたしました。
投稿: 黒川滋 | 2012年8月10日 (金) 20時58分
「自由な経済が元気だった80年代のバブル期」に限定せずとも1998年時点で「流動性トラップということばを題名、内容、アブストラクトの中で使っている論文は、1975 年以降では21 本しかない」(by クルーグマン)とのことですから、そもそも経済学者全体のコンセンサスとして、流動性の罠(デフレ)の現実的可能性は低いと考えられていたというべきでしょう。これをもって「りふれは」好きの経済学者を難じるのは酷というものではないでしょうか。
投稿: chinnen | 2012年8月11日 (土) 00時58分