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2012年7月17日 (火)

大学院の重点化が、名門校の博士の増加につながり、それが中堅校以下の学生と教員を共に不幸にしている図式

「現代ビジネス」で、大学研究家の山内大地さんが中堅以下大学の現実について語っています。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33026

今や定員割れの大学が4割です。定員を満たさないと赤字経営なので学力に関係なく定員を満たすことが目標となっています。授業についていけない子供も大量に受け入れていますので、2-3割の中退率となってしまっている大学が出ています

という実態を面白おかしく語ってみても、肝心の学生たちをどう救うのか、という話抜きでは何の意味もありません。そこで、ざっくりと問題の本質に斬り込みます。

ーー定員割れしているような大学は、手に職をつけてあげる専門学校になるべきではないでしょうか?そうならない最大の原因は何でしょうか?

「教授たちのプライドですね。中堅以下の私大でも教授たちは東大や一橋の博士号を持った連中です。学力不足の学生たちに自分たちがトップ校で受けてきた教育をやっています。その結果、教員も学生も双方不幸な教育となっていると言ってもいいでしょう。学力に合っていない講義を延々とされても学生はおもしろくありません。その結果中退してしまうのです。

ただ、実は偏差値下位校では実践的な教育がもう始まっています。多くの女子大もそうだし、医療系の大学や看護・リハビリや保育や栄養といった分野もそうです。そういった大学は人気もあるし就職もいい。問題は偏差値下位校の経済学部とか英文学部とかです。ここの学生に対する需要は厳しい。

ーーなぜそれらの大学はそのままなのか?専門学校的に焼き直さない特別の理由があるのでしょうか?

「残念ながら、そういう手腕のある経営者が大学業界には多くありません。志願者が減り、就職率は悪化し、経営が厳しくなっていますのにどうしたらいいかわかっていない経営者が多いのです。

もう一つは、経営者が気づいているが教授会が反発して改革ができない事例です。こういう事例が山の様にあるのです。

ーー経営者と教授会の問題、正直どちらが多いでしょうか?

「教授会の反対で改革できない大学の方が多いと思います。教授会が人事権を持っていますから、大学経営のガバナンスがきいていません。彼らの多くは変わりたくないのです。ハーバードの先生が言っていましたが、『大学教授は自分が受けてきたように学生を教育する』といいます。一流大学で博士号を取った人材が、学力のない学生たちに合わせた教育ができないのは当たり前なのかもしれません。

ではなぜこんなことになったかというと、文部科学省のある政策に原因がある、と。

文科省の失敗は大学院を重点化してしまって、修士や博士を増やしてしまったことです。多くは自分の出身校でポストを得られませんし、日本の企業も理系の特定の分野でもない限り博士号取得者を欲しがりません。よって、一流大学の博士が下位校に大量に行ってしまい、不幸な循環を作り出したのです。後、大学を認可し過ぎたのです。20年で200校も増やしてしまいました。

ボリュームゾーンである中堅・中堅以下の大学では「4割が正社員になれない」時代が始まっています。下手をしたら、彼らは結婚して子供を養っていくことができないかもしれない。すでに低い日本の出生率が今後さらに下がってしまう可能性が大きい。

大学院の重点化が、名門校の博士の増加につながり、それが中堅校以下の学生と教員を共に不幸にしている図式もとても残念だ。

昨日、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-2e13.html(「学修」大学とやらではなく、職業訓練大学校こそが必要)

で、

はじめから絶対に役に立たないことだけは太鼓判付きの大学教育とやらを、今のような信じがたいような膨大な規模で、親に大変な教育費負担をさせたり、本人の将来に奨学金という名のサラ金債務負担をずっしりと掛けることによって維持することの国民経済的「無駄さ」に比べれば、「多くの人に職業訓練を施せば」という状態に達するにはまだまだ遥かに遠い職業教育訓練を、しかも職業訓練受講者に対する労働市場政策としての補助によってその親や本人の未来に無駄な債務負担を負わせることなくやれることのメリットを、客観的に観察すれば、そういう無駄な大学教育のはじっこで必死に飯を食っているというポジションが言わしめている人々を除けば、自ずから答えは明らかなように思います。

と述べた、その人たちも、ある意味では文部行政の(それでもその後のそういう地位にありつけなかった人々に比べれば遥かに運のいい方の)犠牲者なのかも知れませんね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html(経済学部の職業的レリバンス)

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コメント

大学院重点化が一流校の院生を増やしたのは確かですが、年代的にはそのほとんどはまだ教授にはなっていないのでは。 

中堅校以下の実態はその通りかも知れませんが、そのような教員陣はむしろ重点化前に就職した人達ではないかと思います。

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