マシナリさんのぼやき続編
被災地で三連休もおちおち休めない地方公務員のマシナリさんが、現実感覚の欠如したのんきな議論をぶっているある種の人々へのぼやきを引き続き綴っています。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-523.html(財政政策という実務)
「財政政策でバラマキ」とかいって「財政政策なんか効果ない」とおっしゃる方には「財政政策=公共事業」と思いこんでいる方が散見されますし、リフレ派と呼ばれる方々もその例外ではないように思います。・・・
いやもちろん、飯田先生も社会保障費が日本の財政の中でも大きな割合を占めていることはご存じなのでしょうし、「財政支出の中身を変えるというのが可能かどうかがポイント」というのもその通りだと思いますけれども、新古典派を基礎とするマクロ経済学がご専門の飯田先生にとっては、社会保障にかかる保険料や現物給付はあくまで経済に対する桎梏であって、それが「財政政策」であるという認識をお持ちでないのかもしれません。・・・
たとえば、飯田先生が「財政政策=公共事業」と考えているかは別として、公共事業の多寡によって財政政策の効果を計るというのは、それがいわゆる「日本型雇用慣行」のもとである時期まで企業を通じた社会保障がそれなりに機能していて、特に地方では建設業に従事することによってしか生活保障を得ることができなかった実態に即したものであれば、それなりに意味のある研究だったのだろうと思います。しかし、周知の通り地方では公共事業の削減により建設業に従事しても生活保障が得られない状況となり、「日本型雇用慣行」の傘から漏れる非正規雇用が増加し、その結果として、公共事業という財政政策による「経済の安定」と「資源の効率的な配分」と「所得の公平な再分配」が期待できなくなったというのが現在の状況なのではないでしょうか。
でまあ、上記リンク先の通り、現在の一般会計歳出で最もシェアが大きいのは社会保障ですので、これをいかに経済に望ましい影響を与えるように再分配するかというのが財政政策の肝であって、同時に財政政策を通じた経済政策を論じることになるものと個人的には理解しております。たとえば、権丈先生はこれを「積極的社会保障政策という景気対策――社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろう」とおっしゃっているのだろうと思いますし、次の文章が私が一部のリフレ派と呼ばれる方々と距離を置く決定的なきっかけともなりました。
・・・・・・・・・・
リンク先のファイルには、この後で正統的なケインズ経済学についても述べられているので、「本来のケインズ主義」について疑念をお持ちの方にもご一読をおすすめします。
わたくしからもご一読をおすすめします。拙著如き素人の著作に文句言ってるよりもお役に立つでしょうし。
個人的な理解ですが、社会保障である医療や福祉、介護、保育、教育などはすべて対人サービスであって、それを現物支給するによって雇用を増やすということは、公共サービスの現場にいる者として実感するところでもあります。雇用を増やすということは、その分だけ所得を得る人が増えるわけでして、さらに賃金アップでその待遇を改善することによって所得を増やすことが可能です。つまりは、現物給付による社会保障の拡充が生活保障を与えて将来不安を軽減し、貯蓄から消費への転換を促すとともに、三面等価の原則によりその消費のむかう側や現物給付を担う側にとっても所得を増加させるという両側面から、国民所得を増やす効果が期待できるということではないかと。ついでにいえば、三面等価の原則は付加価値というフローにあてはまるものであって、それをストックである国債によって賄うべきものではないことはいうまでもないでしょう。
まあ私の個人的な理解はともかく、「フロー財源である税金による財源調達→財政政策としての社会保障の拡充による消費および所得の増加→経済成長」という循環は、別にリフレーション政策と対立するものではないと思いますが、こうした財政政策に対する見解がリフレ派と呼ばれる論者によってバラバラすぎて、中には公然と財政政策を批判する方(職業訓練などの積極的社会保障政策はもちろん、人件費という政府支出も批判の的ですね)もいらっしゃるために、拙ブログでは「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させ」るような一部のリフレ派と呼ばれる方々を批判させていただいているところです。
まさに「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させるような一部のリフレ派と呼ばれる方々」のことを、思考経済のためのラベルとして「りふれは」と呼んでいるわけですが、なぜかそうじゃない「リフレ派」までがあたかも自分が攻撃されたかの如く憤慨して筋の拗れた反発をされるので、なかなか難しいところです。
この先は、「りふれは」ではないですが、労働とか社会保障といったことに対する敵意では誰にも負けない方へのコメントが続きますが、これまたいろいろな思いが・・・・。
« 利害関係者の発言を圧殺したがる思想 | トップページ | 大学院の重点化が、名門校の博士の増加につながり、それが中堅校以下の学生と教員を共に不幸にしている図式 »
コメント
« 利害関係者の発言を圧殺したがる思想 | トップページ | 大学院の重点化が、名門校の博士の増加につながり、それが中堅校以下の学生と教員を共に不幸にしている図式 »
>まさに「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させるような一部のリフレ派と呼ばれる方々」のことを、思考経済のためのラベルとして「りふれは」と呼んでいるわけですが、なぜかそうじゃない「リフレ派」までがあたかも自分が攻撃されたかの如く憤慨して筋の拗れた反発をされるので、なかなか難しいところです。
「リフレ派」も反発するのは自然だと思うのですが。だって考えの基底にあるのは「非ケインズ効果」と「均衡財政」ですから。あと↓こういう話にもコメントしてほしい気がするのですが。ミュルダールの優生思想の匂いがしないでもないこれを日本でやったらシバキなのかどうなのか。さらに、権丈氏は年金支給開始年齢の引き上げは当然と言っていますが、これはシバキではないんですかね。フランスならシバキと見做されるのでは?上の記事もそうだし、スウェーデンに実際に住んでいる人のブログを見ても、いわゆる福祉国家の福祉水準を相当過大評価して日本の水準を批判している気がして仕方ない。
欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60441
年金支給62歳から60歳に 仏オランド政権、一部労働者に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-06-08/2012060807_03_1.html
投稿: 本来のケインズ主義 | 2012年7月17日 (火) 02時33分