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2012年7月23日 (月)

ヤルゼルスキ宅でお茶するワレサ

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ワレサとかヤルゼルスキといっても、近頃の若い人々には何のことやら・・・かも知れませんが、まだソビエト連邦が強大な力を振るっていた32年前のポーランドで、連帯という名の労働組合を率いたワレサ氏と、首相として戒厳令を敷いたヤルゼルスキ氏が、今では好々爺然としてお茶をしているようであります。

http://www.thenews.pl/1/9/Artykul/105835,Walesa-takes-tea-with-former-communist-leader

当時、既に社会主義諸国の惨状はよく伝えられていただけに、ポーランドの連帯という名も熱いまなざしで見つめられていたようですが、今やそれも夢のまた夢というところでしょうか。

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コメント

濱口先生、お久しぶりです。
この記事、本当に感慨深いですね。

私は73年生まれですから、この手の話がはっきりと記憶にある最後の世代かと思いますが、以前、ポーランド出張した際に、出張先がクラコフだったため、excursion で足を延ばし、クラコフ近郊のノヴァ・フタ(Nowa Huta)という工業計画都市を見学しに行った時のことを思い出しました。

この街は、ご存じかとは思いますが、法王になる前のヨハネ・パウロ2世が司教をしていた街であると共に、ワレサ率いる「連帯」の拠点でもあり、街を訪れた時には、当地のヤゲヴォ大学経済学部の学生さんに案内してもらい、「連帯」の人びとが暮らしていたアパートの一室が当時の社会主義的生活様式を再現した形で展示されているのを見せてもらったりもしました。

ちなみに、この学生さんがやってくれたツアーは、移動手段が彼の所有する東独製トラバントで、当時でも、移動中、町中の目を釘付けにしていました笑。

街の目抜き通りにかつてあったスターリン像は引き倒され、現在では目抜き通りの名前もロナルド・レーガン通りになっていたりと、実に色々と感じる旅ではありました。

よしなしごとですが、以上、久闊のご挨拶も兼ねまして。

こちらこそ長らくご無沙汰をしています。

あんまり本ブログに関係なさそうなネタですが、一応かつての労組指導者ということで取り上げさせていただきました。

実をいうと、旧社会主義国における労働法とか労働組合といった、いかにも人気のなさそうなテーマに最近若干関心を持っていまして、ぼちぼち昔の論文なんかを読んだりしているのですが、なんにせよ時代感覚が・・・。

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