フォト
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 40歳定年制の法律的意味 | トップページ | OECD『図表でみるメンタルへルスと仕事 疾病、障害、仕事の障壁を打ち破る』 »

2012年7月 8日 (日)

労働組合は政治の婢ではない

黒川滋さんのエントリで、

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2012/07/7610-b01b.html(ラジオパーソナリティーの反原発デモに労働組合でもなく10万人集まっているという表現から考えさせられたこと)

たまたまFMのJ-WAVEが、毎週金曜日に行われてきた反原発のデモが大きくなっていることを伝え、「労働組合でもなく学生運動でもなく、こんなに集まった」という、いかにもな表現をされていました。

こういう表現は今に始まった話ではありませんが、いろいろ考えさせられるものがあります。

一つには、労働組合が職場における労働力商品の取引の売り手側の当事者であるということがほとんど語られないこの社会のなかで、単に社会的正義を追求するための政治的ステークホルダーとしてしか見られておらず、その結果としてネガティブな評価しか与えられていないということです。

・・・しかし日本では労働組合というと政治闘争にあけくれている印象があり、それが運動業界にいる人には「最近の労働組合は社会正義のために立ち上がらない」という評価になり、ラジオのパーソナリティーのようにクリエイトな仕事をされている方々には「労働組合がいない」ということが評価になるように、労働組合が位置づけられてしまった経過は何だろうかと考えざるを得ません。

どうして労働組合と社会運動、政治運動に対して、こんなねじこれた議論の仕方になってしまったのでしょうか。そもそも労働組合の本業からは政治的闘争に参加するということは、当たり前のことではなく、労働組合としての本業があって、その過程で組合員の突き上げや、労働組合運動の必然性として、そうでなければ組合員への覚醒を求めるための「組織強化」の取り組みとして行われるというものです。ですから反原発運動に労働組合が参加していないことを問題視したり、あるいはラジオのパーソナリティーのように参加していないことを美化したりするような筋合いのものではないと思っています。

という記述を読んで、改めて現代日本の表層的言論において労働組合というものの本来的な意味での存在意義がまったく理解されず、ただ政治イデオロギーの婢としてのみ褒められたり貶されたりしているという哀しい状況が示されていると感じました。

このあとに黒川さんが書かれているように、それには過去のいろんな経過やら何やらがあるのですが、それにしても、労働組合の本業である労働条件の改善のための活動の手足を縛られているために政治活動に熱を上げてきた官公労が、その政治活動ゆえに攻撃されているというまことに皮肉な状況というのも、なかなかシュールではあります。

ちなみに、労働組合自身がそういう勘違いをしている事例として、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-4ed1.html(日本教職員組合の憲法的基礎)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-ad08.html(認識はまったく同じなのですが・・・)

上の記事の原発をめぐる問題については、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-95fd.html(労働組合と原発)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-2caa.html(少なくとも労働組合にとっては味噌ではない)

公務員労組関係では、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-4120.html(労働組合兼従業員代表機関の逆説)

ここに黒川さんのコメントも付いています。

も一つついでにいうと、山形浩生氏がその書評ブログで、矢部史郎という人の『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』を取り上げているのですが、その中で矢部氏のこういう記述をこういう風に批判していて、

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120706/1341555164(『放射能を食えというならそんな社会はいらない』:おまえがいらない。

この人は、福島原発でのいまの作業者たちがストライキをして、それで原発周辺や東日本全域が危機に陥ればいいと本気で言ってる (p.159)。でも、そのストをするはずの作業員はアンタじゃない。アンタが安全なところから、他人がストやってくれないかなー、なんて他力本願で夢想するのがいかにくだらないことか。そしてそれによる安易な破壊待望がいかに卑しいものか。今の社会での放射「能」の拡散が許せない、そんな社会いらないと言った舌の根も乾かないうちに、ご自分の厭世思想の実践のために原発をわざと破壊すればいいと主張する物言いがいかに下劣なことか。あんたの社会はもっといらないわい。

私はこの矢部氏の本は見ていないので、彼がどういう文脈でそういっているのかは分かりませんが、もし原発作業員がその劣悪な労働条件の改善を求めてストライキをする権利があるという趣旨でいっているならば、それはまったく当然のことでしょう。国民の命のためにお前らは奴隷として犠牲になれという権利は誰にもありません。

しかしながら、上の引用とそのあとの山形氏の記述からすると、矢部氏は原発作業員の労働条件を心配してそう述べているというよりも、反原発イデオロギーのための手段としてそういっているようにも思われ、そうだとするとそれは労働者を自分のイデオロギーのための手段として恥じない発想ということになります。

なんにせよ、矢部氏にせよ、山形氏にせよ、「労働組合が職場における労働力商品の取引の売り手側の当事者であるということ」がすっぽりと欠落していることだけは間違いないわけで、これまたなんとも哀しき状況というところでしょう。

« 40歳定年制の法律的意味 | トップページ | OECD『図表でみるメンタルへルスと仕事 疾病、障害、仕事の障壁を打ち破る』 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 労働組合は政治の婢ではない:

» 労働組合は労働環境の改善のためにストしやがれ [ニュースの社会科学的な裏側]
労働問題が御専門の濱口氏が「労働組合は政治の婢ではない」で、恐らくタイトルのような事を言っている*1。山形浩生氏が「『放射能を食えというならそんな社会はいらない』:おまえがいらない。」で、反原発と言う政治目的のために、原発作業員にストライキをしろと言うのは滅茶苦茶だといっている。そして何故か、似たような意見の二人が批判しあっている。... [続きを読む]

« 40歳定年制の法律的意味 | トップページ | OECD『図表でみるメンタルへルスと仕事 疾病、障害、仕事の障壁を打ち破る』 »