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2012年7月24日 (火)

踊る阿呆の劇場型政治

今日の朝日の夕刊に、五野井郁夫さんが文芸批評として、「みんな当事者 劇場型政治に決別」というエッセイを書いておられます。

しかし、反原発デモが劇場型政治への決別というのは、私には逆に思えます。

たしかに「政治を観客として眺める劇場型政治」とは方向は逆ですが、自分が舞台に出ていって踊っているという意味では、やはり劇場型政治に変わりはないのでは?

見る阿呆より踊る阿呆の方がマシという価値判断はあり得ますが、そもそも自分の利害に直接関わらない事柄に、自分の普段の生活ぶりとは切れたところで踊る政治も、やはり劇場型政治には違いありません。電気自動車を乗り回している人がその日常から離れて「たかが電気」と言い放てる程度には、非日常的な「劇場」なのでしょう。

そして、そういう劇場型政治もまた、直接利害に関わる人々の発言を、それが利害関係者であるという理由で排除しようとする強い傾向を持っていることからも、やはり観客型劇場政治と同様の問題をかかえているように思われますが。

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コメント

「参加民主主義」と「観客民主主義」を二項対立であるかの様に語ることが、既に陥穽に嵌っているかと思います。

視聴者参加ってのがある様に、観客のノリで参加するってことは充分あり得るし、寧ろ今日ではそうなり易い社会環境だったりするのではないかと。

原発問題については、国民全員が電気を使っているわけですし、国民全員が原発事故の不利益を被るわけですから、国民全員が利害関係者のはずです。一般の国民を利害関係者のカテゴリから排除する理由がわかりません。

>電気自動車を乗り回している人がその日常から離れて「たかが電気」と言い放てる程度には、非日常的な「劇場」なのでしょう。

というどっかの新聞のコラムを真に受けたような皮肉も頂けません。価値判断の結果「たかが」というセリフが出るのは別におかしくもなく、命の大切さに比べれば、「たかがお金」であってもよく、「たかが電気」であっても良いはずです。普段から偏った主張を行なっている新聞ならばこのようなコラムが出ても「さもありなん」で済ませられますが、hamachanさんから出るのは残念です。

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