クルーグマンの新著『さっさと不況を終わらせろ』について、池田信夫氏が「りふれは」を皮肉った論評をしているのを、さらにまた「ニュースの社会科学的な裏側」さんが論評しています。この三重構造がなかなか面白い。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51799377.html(さっさと不況を終わらせろ)
本書はクルーグマンのブログをまとめて気持ち悪い日本語に訳しただけで、新しい論点はないが、こうして整理すると彼の考えがよくわかる。日本ではいまだに彼をリフレの元祖として崇拝する向きもあるが、本書では金融政策にほとんど言及していない。彼が不況を終わらせる政策として主張するのは、超大型の財政出動である。
http://www.anlyznews.com/2012/07/blog-post_539.html(さっさと不況を終わらせろ - 池田信夫さん誤読していませんか?)
クルッグマンの「さっさと不況を終わらせろ」に、経済評論家の池田信夫氏が評論しているが、恐らく誤読している。
読んでもいないのに良く分ると思うかも知れないが、クルッグマンの主張に『増税』があるのに、池田信夫氏はそれには触れていないからだ。
But they wouldn’t be quite as cash-strapped if their politicians were willing to consider at least some tax increases. (でも,政治家が少なくともいくばくかの増税を検討する気にさえなれば,そう大した金欠ってわけでもない)
なんだか頭が混乱しそうですが、つまり、クルーグマンは、
増税して、財政出動しろ!
って言っているのに、池田信夫氏はクルーグマンのその「増税」を見て見ぬふりをしていると「ニュースの社会科学的な裏側」さんは批判し、その批判されている池田信夫氏は、「りふれは」はクルーグマンのその「財政出動」を見て見ぬふりをしていると批判しているという構造なんですな。
それにしても、クルーグマンを崇拝しながら、その2大主張のいずれをも口を極めて罵る人々の心性というのは、本当によく理解しかねるところがあります。
経済政策論争なるものの正体が透けて見える良いエントリと言うべきでしょうか。
(追記)
これは、つまみ食い(@コバヤシユウスケ)した池田信夫氏に対する批判かな?
http://twitter.com/tiger00shio/status/224268626558062592
これはひどい 日本のどこにソブリンリスクあるんだ 勝手な事言うなよ
少なくとも、増税して財政出動しろと言っている人に対する批判ではなさそうなのですが、まあ、時たまこうやって「りふれは」をからかうと、いろんな人々がいろんな形で議論してくるので、面白いです。
コメント欄にあるように、税金をどういう形でとるかという話にしてくる人もいますし、それはそれで大変納得できる面もあるのですが、「りふれは」が消費税以外の増税を強く主張しているというのならそれはそれで大変結構なのですが、聞こえてくる限り、野末チンペイの税金党を劣化させたような話ばかりなので、まあこんなものなんでしょう。
http://b.hatena.ne.jp/dongfang99/20120715#bookmark-101877238
(再追記)
ちなみに、稲葉氏の見立てはおおむね正解。
http://twitter.com/shinichiroinaba/status/224361779600433152
なんかhamachanの党派性……というよりまあ単なる「あいつら嫌い」という感情論……があらわになって幻滅……。
そういう「党派性」は、既に本ブログでも繰り返し露わにしてきたところ。今更何を仰る・・・。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-5aef.html(念のため)
今まで山のように繰り返してきたように、本来のケインズ主義的な意味での「リフレーション政策」には批判的どころかむしろシンパシーを持っています。
しかし、日本で「りふれは」と称して不気味な政治活動を繰り返してきた手合いというのは、おおむね、その逆の政治志向を持っているようで、小さな政府を声高に叫び、とりわけ弱い立場の国民向けの公的サービスに対して露骨な敵意を示すことが多いようです。そして、くっつく政治家というのもだいたいそういう志向の方々が多いようです。
そういう人々を、わざわざリフレーション政策支持派という意味での「リフレ派」と明確に区別するために、「りふれは」という記号を作って、区別して用いていることも、本ブログで何回も繰り返してきたことですので、その旨ご諒解いただきたいところです。
それより、その昔ファンの方からこのような妙な応援のされ方をした稲葉氏の今の思いも知りたいところではあります。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)
稲葉さんの偉さは、一左翼であることがリフレ派であることと矛盾しないことを左翼として始めて示した点だと思う。それまでの左翼は、ある意味ネオリベ以上の構造派で、つまりはアンチ・リフレであったわけだから。それに対して、稲葉さんはそれが「ヘタレ」にすぎないことを左翼として始めて断言したわけで、これは実はとても勇気のあるすごいことだと思う。
投稿: 一観客改め一イナゴ | 2006年9月20日 (水) 14時46分
もう6年も前になりますな。そのころはまだ、こういう今となっては信じがたい整理図式が生きていたわけです。時の経つのは早いもの。
(再三追記)
http://twitter.com/uncorrelated/status/224377940945805313
濱口氏、そこそこ左翼系で政治的だと思っていたけど。
まさにそうですけど、うかつに「そこそこ左翼系で政治的」なんていうと、そこが日本の文脈では、まったく正反対の「りべさよ」見たいに思われてしまうので、必死にそうじゃないそうじゃないと喚かなくてはいけない。
なんで「そこそこ左翼系で政治的」の実例をわざわざ欧州社会党や欧州労連の記事を引いて説明しなくちゃいけないのかわからないのだけれど。
(なおも追記)
これだけシバキ全開の「りふれは」を目の当たりにしながら、
http://twitter.com/tntb01/status/224402306546941952
ハマチャンみたいな人が図らずもシバキストらと「歩調が合ってしまう」罠。
という言葉がぽろりとこぼれるあたりに、りふれはマインドコントロールの強さを痛感。
「小さな政府を声高に叫び、とりわけ弱い立場の国民向けの公的サービスに対して露骨な敵意を示す」りふれはこそが真のシバキストでしょ。
つか、世間一般と「りふれは」界隈とでは「シバキ」という言葉の定義が逆転しているのかも知れないけど。
(さらに追記)
ちなみに、「ニュースの社会科学的な裏側」さんが、誠実なリフレ派である原田泰さんを称揚しています。
http://www.anlyznews.com/2012/07/15-by.html(消費税アップは15年後でよい ─ 社会保障の削減ができれば by 原田泰)
・・・対立する主張として、原田泰氏らの増税不要論がある。ただし、原田主張には強い条件がついている。
鈴木・原田(2010)を見れば分るが、社会保障費の大きな抑制を前提としている。現行制度のままだと年金給付額や医療費は、マクロ経済スライド*1の程度でしか抑制されない為、受給者一人あたりの社会保障支出を削減する制度改正を行わないと、原田氏の増税不要シナリオの条件は満たされない。
消費税増税反対論者が、同時に年金給付額や医療費の大幅削減を謳っている事はあまり無いので、原田氏の主張は誠実ではある*2。しかし、原田主張から消費税アップは15年後でよいと言う人は、それは年金給付額や医療費の大幅削減を意味する事には留意する必要がある*3。
誠実な反増税派は、ちゃんと社会保障の削減(=シバキ)を主張する、という意味では、立派な方なのだと思います。
問題はそこのところをごまかして、「ハマチャンみたいな人が図らずもシバキストらと「歩調が合ってしまう」罠。」などと逆向きに思わせてしまう連中なんでしょうけど。
(まだまだ追記)
せっかくなので、過去のエントリから「りふれは」のシバキぶりを皮肉ったものをいくつか、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-5b02.html(「りふれは」はシバキ派)
http://twitter.com/#!/YoichiTakahashi/status/140750100900220928(高橋洋一(嘉悦大))
>大阪は橋下圧勝か?大阪の人はまともだなあ
それがまともであるという価値判断が現に世の中に存在し、かつ相当多くの人々に支持されているという事実認識は、当該価値判断を共有しない人々と雖もきちんと持つべきでしょう。
ただ、そういう典型的シバキ派の同類に、あたかも「りふれは」を批判する方がシバキ派であるかのごとき中傷をされる謂われだけはないというべきでしょう。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-2bdd.html(「りふれは」の労使関係観)
上念司氏が『正論』9月号に書いた「経団連よ、この国難に道を踏み外すな」という文章の中から、同じ「りふれは」の田中秀臣氏が嬉々として引用している文言:
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110815#p1
>「自由主義経済の守護者であり、かって争議潰しで名を馳せた日経連を吸収した現代の経団連が、日本経済の社会主義化を望んでいるとしたらそれは冗談としか思えない」
実をいえば、旧日経連の人がこれを読んで単純に嬉しがるとも思えないのですが、いやむしろ、俺たちのやってきたことを、そこらのやくざの「争議潰し」としてしか見てくれていなかったのか・・・と、情けなさに涙をこぼすかも知れないとすら思いますが、まあそこはおいといて。
少なくともここに露わになっているのは、「りふれは」諸氏の、どうしようもなく反労働者的な労使関係観であるということだけは明らかなようです。
労使がそれぞれにきちんと主張し合い、ルールに則ってものごとを決めていくという先進産業国であれば当たり前の仕組みを「社会主義」と蔑視して、叩き潰そうと考えるような、そういう人々のいうことが、経済学的にどうであるかなどとは遥かに遥かに下の次元で、まっとうな感覚の持ち主からは相手にされないような代物であることを、こうして我々にあからさまに教えてくれるのですから、「りふれは」諸氏が隠し事があまり得意ではないことだけは確かなようですね。
(締めの結論@「ニュースの社会科学的な裏側」)
ということで、話の発端を作っていただいた「ニュースの社会科学的な裏側」さんが、的確な締めの言葉を書かれていますので、本エントリの結論ということで。
いくつか、わたくしに対する耳の痛いご批判もあるようです。
http://www.anlyznews.com/2012/07/blog-post_16.html(りふれ派の社会的機能について考える)
濱口氏は「不気味な政治活動」と表現していたが、りふれ派は相手が納得できるような情報を提供していない。『高齢化による生産年齢人口の減少により社会保障が毎年1兆円増える』と言う政策課題に対して、『経済成長』『徴税漏れを防止』と言われても、それが出来るのであれば既にやっているとしか思わないであろう。
こうして見てみると、その政策の労働者階級への影響からシバキ云々と言う以前の問題が多数ある。濱口氏はイデオロギー的な批判をしているが、そういう段階に到達していないのでは無いであろうか。理論的にもデータ的にも見るべき所は極端に少ない
その先の「「飲み屋で野球チームの監督の悪口を言っているのと全く同じ」とか「お布施が足りないので御利益が無いと主張する宗教団体のようだ」とか、エンターテイメントの一種なので、目くじらを立てずにサブカルチャーとして見守りつつ、たまに揶揄すれば良い」とかについては、リンク先をどうぞ。
(おまけ)
http://twitter.com/yasudayasu_t/status/224863873000415236
「熱があるなら解熱剤を飲め」と言ってる人たちに対して、「解熱剤を飲めばあらゆる病気が治ると主張している」とか「解熱剤を飲んでも鼻詰まりは改善しませんからw」と批判(?)するのと同様の阿呆な行為をする人が多い。しかも、何故か上から目線の嘲笑入りで。どちらが嘲笑されるべき側なのやら
解熱剤を飲むということ「だけ」を主張しているまともな「リフレ派」は批判されていないのにね。
熱があるなら、裸になって、冷水に飛び込んで、とことんシバキ抜いて、解熱剤を飲め、と言っているある種の人々(りふれは)が、その裸になれとか冷水に飛び込めといったシバキ療法で批判されていると言うことが分からない(ふりをする)し、だったらその部分くらいは批判しろと言われると、ついには、我々が解熱剤を飲めという一点だけで共通しているんだから、ほかのことは知らんとうそぶく。
うそぶいているわりに、そういう「裸になって、冷水に飛び込んで、とことんシバキ抜いて、解熱剤を飲め」という連中とやたらにくっついて妙に政治的に動き回る。まさに松尾匡さんのいう「身内集団原理」そのもの。見ていて反吐が出る。
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