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2012年7月

2012年7月30日 (月)

1日24時間を自由に使って成果をあげる働き方は海外では当たり前だ・・・って、誰の話だ?

まあ、いつもの日経病ということなんでしょうけど・・・。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO44305120Q2A730C1PE8000/人材の処遇も育成も「世界標準」に

・・・そうした社員の生産性を高める企業の取り組みを政策面でも後押しすべきだ。ホワイトカラーが働きやすくするため、労働時間管理の規制は見直しの余地がある。

1日24時間を自由に使って成果をあげる働き方は海外では当たり前だ。だが日本では、出社や退社の時間が自由の裁量労働制が、事務系の場合は企画や調査などの業務に限られ使い勝手が悪い。対象をもっと広げてはどうか。

はあ?「1日24時間を自由に使って成果をあげる働き方は海外では当たり前だ」?

いや、そりゃ、一部のエリート労働者にとってはそうでしょうけど、大部分のノンエリート労働者についてまで「1日24時間を」本人にとってではなく会社側にとって「自由に使って成果をあげる」働かせ方をしているのは、世界広しと雖も日本がダントツでしょう。もちろん、ホワイトカラー労働者についてですよ。事務でも営業でも、ホワイトカラーの大部分はノンエリートですから、世界中どこでも。

そのあたりが全然見えていないくせに、こういういっちょまえの台詞が平気で吐けるところが日経病の病膏肓というところですかね。

まあ確かに、外国ならエリートに当たる人々のレベルが・・・というのは以前からよく言われるところではありますが、それはそもそも、エリートとノンエリートを分けずに、大部分のノンエリートにもあたかもエリートであるかのように思わせて準エリートくらいに働かせるという戦略の裏側であるわけで。

本当にエグゼンプトに値するエグゼンプト(当然ホワイトのごく一部ですが)を作るというのなら、それは結構なのですが、ただのクラークをエグゼンプトと僭称して残業代規制を逃れたいというだけでは、いつまで経っても事態は進まないと思うのですがね。

2012年7月29日 (日)

労働判例研究-フジタ事件

L20120529307『ジュリスト』7月号に掲載した労働判例研究(フジタ事件)を、8月号が出たのでHPにアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/fujita.html

本筋とはちょっとずれますが、この判決が高齢法を完璧に読み間違えているところをちくりと批判している部分を:

判旨Ⅰは高齢法の趣旨を誤解している。現行高齢法9条1項は2004年改正前の努力義務規定を義務化したものであり、「飽くまでも・・・努力義務を課すもの」ではない。これはYの主張(「高齢法附則4条2項は「・・・務めなければならない」と規定しているとおり65歳までの雇用は努力義務にすぎない」)を内容を理解しないまま引用したものと思われるが、これは附則による経過措置の途中では、附則に定める年齢までの雇用は義務だが本則の65歳までは努力義務であるという当然のことを述べているにすぎず、高齢法9条1項の規定を努力義務と誤解する余地は本来ありえない。裁判所の判決文にかかる初歩的な誤解が見られるのは残念である。

Tm_i0eysjizno2g本筋については、リンク先をお読みいただければと思いますが、これを東大の労働判例研究会で報告したときの趣旨を、原昌登さんが、『季刊労働法』236号の「高年法に基づく継続雇用制度をめぐる判例の整理とその課題」の注釈(26)で言及していただいております。その詳細は、こちらの評釈をご覧下さい。

仕事ができても性格が悪い社員は出世できない

産経に、「性格の悪い社員は出世させぬ! 創業6年で売上高20倍の会社の意外なルール」という記事が載っていますが、「意外」って、いやむしろそれが本来の日本型企業のあり方でしょう。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120729/wec12072907000000-n1.htm

仕事ができても性格が悪い社員は出世できない。社内恋愛するなら結婚覚悟で交際せよ-人格や性格を基準に社員を採用するかと思えば、仕事の能力よりも仲間との和を重視する会社が大阪にある。

「・・・会社が大阪にある」って、何か珍しいものであるかのように言ってますが、

“モーレツ営業”と社員を大切にする社風。この二律背反を成り立たせているのが採用方針だ。大知社長は「面接で人格をみて、性格のいい人だけを採用する」と言い切る。

まさに、日本企業は(実際にどこまでできているかどうかは別として)そういう風にやってきたわけでしょう。逆に、だかられりばんすじゃないわけで。

入社後は、仕事ができても性格の悪い社員は昇進できない。「誰がリーダーになっても大丈夫なように採用していることの裏返しです」と大知社長。同僚同士で支え合う仲間意識を重視する人事システムになっている。

まさしく、教科書に出てくる日本型企業を絵に描いたような・・・。

ところで、社員数が100人規模で、ぐんぐん成長している中での社員の退社は大きな痛手となる。そこで、当事者が会社に居づらくなって辞める原因になりかねない社内恋愛は御法度にしている。

しかし、そうはいっても、お互いにひかれ合う男女の仲をむげに裂くわけにはいかない。このため、「交際するのなら、最後(結婚)まで行け、という覚悟を求める」(大知社長)のだそうだ。

社員の家族も大切にしようと、今年から家族の誕生日を祝う制度を始めた。妻には花束、子供にはおもちゃ券や図書券などを贈っており、お礼の手紙が届くなど評判は上々だ。

あらためて、なんでこんな絵に描いたような日本型企業を、あたかも珍しいものであるかのように記事にするのか、って考えてみると、実はこういう絵に描いたような日本型企業は既に少なくて、「性格が悪いから」出世させないだけじゃなく、「仕事ができないから」出世させず、「モーレツ営業」をさせる上に「社員を大切にしない」というのがデフォルトになってきたからでしょうかね。

言い換えれば、ブラック企業がデフォルトになってきたので、昔ながらの「一見ブラックだけどブラックじゃない」企業が珍しく見えてきた、と。

過労社会 まず休息から考えよう@東京新聞

東京新聞の昨日の社説が、休息時間の導入を唱えています。

細々と言い続けてきて、ようやく社説に載るところまでは来ましたか・・・。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012072802000124.html

残業に追われる日本のサラリーマンたちの健康をどう守るか。心身を病んだり、命を落としたりする労働災害が後を絶たない。まずは休息。そこから仕事を組み立てる発想も大切だ。・・・

労働時間の規制論議に対して経営側はいつも反発してきた。生産性が落ちるとか労働意欲がそがれるとかいった具合だ。

ならば、まず一日の休息時間を確保してから働き方を考えてはどうか。「勤務間インターバル規制」と呼ばれ、実際に欧州連合(EU)では終業から翌日の始業までに十一時間以上の休息を取るルールがある。働き手が健康でいてこそ企業も存続できるのだ。

研究者ではない場合、事例は拾い読みで十分だろう

112050118アマゾンカスタマーレビューで『日本の雇用終了』への書評の3つめです。星3つ★★★。

http://www.amazon.co.jp/review/R3R9RQWY8XL5LI/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4538500046&channel=rw-dp&nodeID=465392&store=books解雇権濫用規制はごく一部の話にすぎない

日本では判例にもとづく、解雇権濫用規制が厳しく、それが労働市場をゆがめているといった批判をする経済学者をよくみかけるが、判例を尊重している企業は実際にはほとんどない。本書では4カ所の労働局における膨大なあっせん事例が整理され、掲載されているが、いきなり解雇を言い渡される労働者が少なくないことがわかる。それも勤務態度という曖昧なものが解雇の根拠となっている。大企業ではこのようなことはないが、配置転換によって自主的に退職するよる仕向ける例も少なくない。解雇権濫用規制が厳しすぎるというのは、事実に反するのである。

事例の多くは中小企業におけるものだが、実は中小企業では解雇権の濫用どころか、労働基準法でさえ、十分に守られていない。最低賃金や法定労働時間を知らない経営者は珍しくないし、義務があるのを知っていて社会保険に加入しない企業もある。解雇権の濫用規制を緩和するとか、金銭解決を容易にするとかといった議論も必要だが、労働者の権利をちゃんと守るということも、もっと議論されるべきである。

なお、本書は研究書なので、軽い気持ちで読み出すと挫折する。研究者ではない場合、事例は拾い読みで十分だろう。

えーと、研究者じゃなくても、個別事例はなかなか生々しくて興味深いものがあると思っているんですけど・・・。

むしろ、普通に職場で働いている一般の方々にこそ、事例をじっくりと読んでいただきたいと思っているんですよ。

末尾のいろいろと理屈をこねているところは、正直生煮えの部分もあるし、むしろ研究者向けかと思っていますが。

2012年7月28日 (土)

東京電力はどういう理由でブラック企業大賞なのか?

7月13日に、本ブログで述べたことに、ひと言も付け加える必要はないようですね。

http://twitter.com/#!/search/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD%E5%A4%A7%E8%B3%9E?q=%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD%E5%A4%A7%E8%B3%9E

まさに危惧していたとおりのことが起きてしまいました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-c8f4.html(東京電力はどういう理由でブラック企業なのか?)

・・・私が理解するところ、今日「ブラック企業」という問題意識は、もっぱらその使用者としての労働者との関係性における歪みに着目したものだと考えてきたのですが、この記述からすると必ずしもそうではないようです。

しかし、こういう意味での「ブラック」さ(そういう用語法があり得ることまでを全否定する気はありませんが)を交えてしまうと、そもそも労働問題に着目した「ブラック企業」を問題にした問題意識そのものがぼやけてしまうのではないかと、いささか鼻白んでしまうところもあります。

実をいえば、少なくともその直接雇用する正社員との関係でいえば、東京電力の労働者の賃金水準を下げろ下げろと、ブラックな要求をしているのは「消費者」の錦の御旗を掲げる側なのであり、そういうブラックな要求の感情的根拠となっているのが上述のような東京電力のブラックさなのであってみれば、この大賞に上述のような理由を持って東京電力をノミネートすること自体が、その企業の労働者の労働条件を引き下げるために使われるというまことにブラックな事態となるわけですが、その皮肉をどこまで意識されているのかな?と。

(付記)

・・・この東京電力に投票した2620人(27%)の方々が、原発事故とは無関係に、もっぱらその労働環境の劣悪さに着目してそうしたとはなかなか想定しがたいところですし、その結果を見た人がそれを原発事故ととは独立の問題として受け取るということも極めて考えがたいことからすると、まさに、「こんな許し難いブラック企業の東京電力の社員の給料はもっともっと引き下げろ!!!」というまことに正義感に充ち満ちた「民意」をますます増幅する結果となる可能性が否定しがたいところですね。

今後、ブラック企業について話を聴きたいという依頼に対しては、その言葉はどういう意味ですか?と聴かなければいけないようです。

だからそれがリベサヨ(何回目か)

http://twitter.com/sunafukin99/status/229150997619027968

もしかすると日本の全共闘左翼と言うのは、国家権力というものへの反感からリバタリアンっぽいものに親近感を持つ人も多いのかなあ。笠井潔と言う人の書いた「国家民営化論」なる本を持っていたが、売却してしまった。

だから、それがリベサヨだ、って、何年前から繰り返し・・・・・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_28cd.html(ネオリベの日経、リベサヨの毎日)

この手の発想には、国家権力がすべての悪の源泉であるという新左翼的リベラリズムが顕著に窺えますが、それが国家民営化論とかアナルコ・キャピタリズムとか言ってるうちに、(ご自分の気持ちはともかく)事実上ネオリベ別働隊になっていくというのが、この失われた十数年の思想史的帰結であったわけで、ネオリベむき出しの日経病よりも、こういうリベサヨ的感覚こそが団塊の世代を中心とする反権力感覚にマッチして、政治の底流をなしてきたのではないかと思うわけです。毎日病はそれを非常にくっきりと浮き彫りにしてくれていて、大変わかりやすいですね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_3f06.html(フリーターが丸山真男をひっぱたきたいのは合理的である)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html(赤木智弘氏の新著)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-b950.html(だから、それをリベサヨと呼んでるわけで)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-6cd5.html(日本のリベサヨな発想)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-a130.html(特殊日本的リベサヨの系譜)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-4cfd.html(ネオリベとリベサヨの近親憎悪)

そういうリベサヨ系「魔法使いの弟子」たちの悪口も舌が疲れるくらい言うてきたわけですが、それ以上に脱力するのは、こういうまことにまともなことを言うてる人が、まさにその劣化形態であるところの「挙げ句の果てのなれの果て」を大々的に演じているチホー主権な方々に熱を上げ、庶民のための公共サービスを「市民感覚」で叩き潰したがっている「りふれは」の一翼でもあるという喜劇and/or悲劇の一幕でしょうか。

若者ぶりっこ中年のことね

http://twitter.com/kazugoto/status/220071487783178241

「「1970年代生まれの若手論客」が論壇を滅ぼす」って本が書きたいなあ。企画を持ってきてくれる出版社とか編集者の皆様を募集しております。駄目なら自分で売り込む。

1970年代生まれということは、30代半ばから40代初めということですね。

つまり、自分は「ワカモノ」のつもりの頭の硬くなりかけた中年のおじさんたちのことですね。

よく分かります。

高齢者継続雇用、病気・勤怠など例外明示へ 民自公3党

日経の記事です。

労働契約法(有期契約)に引き続いて衆議院で審議入りした高齢法について、修正で話が付いたようだという情報。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDF2700F_X20C12A7PP8000/

民主、自民、公明の3党は27日、65歳までの希望者の継続雇用を企業に促す高年齢者雇用安定法改正案の修正案を共同で国会に提出した。修正案は心身の健康状態や勤務態度が著しく悪い人を継続雇用の対象外とすることを指針で明示することとした。例外を定める規定に法的な根拠を持たせることで、運用上の混乱を避けて企業の負担を軽減するのが狙いだ。

・・・修正案は、勤務態度や健康状態が著しく悪い場合などは継続雇用の対象外にできることを明確にするよう求める企業側の声を取り入れた内容。例外にできる対象者は同法案成立後、施行までの間に決める。

これは審議会の最後の段階で、通達で示すという話になっていたものですが、法律の文言に書くということになると、これと労働契約法16条の「客観的に合理的」との関係はどうなのか、という問題に正面から直面することになりますね。とりわけ、ここでいう「勤務態度」って、具体的に何がどれくらいどうなのかと。

これは、今よりも遥かに多くの訴訟を呼び起こすかも知れませんよ。

維新現代文楽ってのをやってみたら・・・

Outline_research_tamura_02_2いやまあ、かの文化大革命の時にも「革命現代京劇」ってのをやったんだから、同じくらい熱心に「悔い改めない実務派」に三角帽子をかぶせて叩きまくる維新な人々も、維新精神に充ち満ちた「維新現代文楽」ってのをやってみたらいいのではないでしょうかね。

19歳のいじめ自殺、ただし職場の・・・

学校のいじめ自殺となると、もう全国レベルで大変な騒ぎですが、職場のいじめ自殺だと、東京新聞がさらりと報じているくらいのようです。こちらも未成年なんですが。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012072802000091.html(自殺の19歳 労災認定 「上司のいじめ原因」 福井労基署)

福井市の消防設備販売・保守管理会社「暁産業」に勤めていた市内の男性=当時(19)=が自殺したのは、上司らのいじめが原因として、遺族が出していた労災申請を、福井労働基準監督署が認定した。遺族の代理人弁護士が二十七日に発表した。認定は二十四日付。遺族には国から労災保険金が支払われる。

代理人の海道(かいどう)宏実弁護士によると、男性は高校在学中の二〇一〇年二月から、アルバイトとして同社で働き始め、卒業後の四月に入社。設備のメンテナンス業務をしていたが、言葉での嫌がらせを受けるなどして、入社八カ月後の十二月に自殺した。男性の遺族は一一年九月、福井労基署に労災を申請していた。

男性が残した手帳二冊には、主に上司二人=いずれも当時二十代=から「死んでしまえばいい」「この世から消えてしまえ」などと言われたとの記述があった。いじめは九月ごろからエスカレートしたという。

海道弁護士は「上司が人格を否定する言動を繰り返しており、自殺する私的要因はない。自殺直前に精神障害を発症していた」と原因が業務上にあり、労災認定された理由を説明した。

会社側は本紙の取材に「責任者がいないのでコメントできない」としている。

ロンドン五輪開会式雑感

いろいろと出てきて、イギリス史のお勉強みたいな感じもありますが、やはり全国医療サービスを前面に出す演出がいろいろな意味で面白い。

アメリカ共和党からすれば許されざる「社会主義」の極地みたいなNHSが、保守党政権のイギリスのオリンピック開会式でイギリスの誇りみたいな感じで出てくるところがなんとも・・・。

31日、労働契約法(有期労働)改正案が参院厚労委で可決へ

来週火曜日(7月31日)に、参議院厚労委で可決の予定だそうです。

http://www.advance-news.co.jp/news/2012/07/post-537.html

26日の衆院本会議で通過した、有期雇用の通算期間の上限(5年超)を初めて法制化する労働契約法(有期労働)改正案が、31日の参院厚生労働委員会で審議入りする。即日採決となる公算が高く、可決する見通し。8月上旬の参院本会議を経て成立となる見込みで、施行は来春となる模様だ。

ということで、またもこちらは予定変更(意味不明)。

なお、同じアドバンスニュースで、25日の衆議院での質疑について、次のような記事が載っていました。議事の詳細はまだ衆議院HPにアップされていませんが、興味深い論点です。

http://www.advance-news.co.jp/news/2012/07/post-535.html

そうした中、質問のトップに立った田村委員は、10月施行の改正派遣法を含めた「働く現場」という大局的な観点から入り、「『業務』に着目している派遣法と、『人』に着目している労働契約法。近い期間に審議された両法案だが、おかしな齟齬(そご)とまぎらわしさがある。今後の検討の中で、人に着目する方向で派遣法を見直すべきではないか」と質した。

これに対し、厚生労働省職業安定局の生田正之派遣・有期労働対策部長は「労働者派遣の専門26業務に関する制度のあり方については、今国会で成立させていただいた改正労働者派遣法の付帯決議において、派遣労働者や派遣元・派遣先事業主に分かりやすい制度となるよう速やかに制度の見直しをすることになっている」としたうえで、「この制度のあり方については今後、学識経験者で構成される研究会、その後に労働政策審議会の場でいちから議論いただく予定にしており、その際には田村委員からいただいたご意見も参考にして議論することになると考えている」と明言した。

極めて本質的な論点です。

派遣法が派遣労働「者」を保護するための法律ではなく、派遣「業者」を取り締まるための法律に過ぎないことが、非正規労働「者」問題を解決する上で役に立つどころか却って有害であることの根本原因であるということに、世の人々ももう少し認識を持っていただきたいところです。

3年後施行の3年経ったら派遣先に雇用申込みなし規定も、そのもとの期間制限は派遣労働「者」ではなく派遣業務に着目した規定ですから、2年11ヶ月時点で人の入れ替えをしたら、その1ヶ月だけしか働いていない人が申込みなしになり、2年11ヶ月働いて派遣元から入れ替えられた人には何の関係もないことになります。

これなんか、本来人に着目した保護規定のつもりで導入したつもりの規定が、根っこの人には何の関心もなく業務にしか関心がない派遣法の基本構造と矛盾を来しているいい例でしょう。

2012年7月26日 (木)

『アメリカの労働社会を読む事典』

103193 R・エメット・マレー著、小畑精武・山崎精一訳『アメリカの労働社会を読む事典』(明石書店)を、翻訳者のお二人から直接お手渡しで頂きました。ありがとうございます。

http://www.akashi.co.jp/book/b103193.html

最近のアメリカの労働事情は興味深い展開を続けているが、この事典では、アメリカ労働運動の歴史やリーダーたちの素顔、重要な労働争議からアメリカ独特の法制度の仕組みまで、アメリカの労働事情の全体がよくわかる。入門書、研究の参考書として格好の一冊。

アメリカは世界の超大国であるにも関わらず、労働面ではあまりよくわからないのですね。いや、それはお前が勉強してないだけだろうといわれそうですが・・・。

あとがきによれば、本書は、江戸川ユニオンを作りコミュニティユニオン界の大御所の小畑さんが「定年になって60の手習いとして始めた」もので、「文字通り手習いとして、就寝前に30分、起床して1時間と、辞書と首っ引きで訳を推理しながら」訳していったものを、山崎さんが直してできあがったものとのことです。

そうでもないと、なかなかこういう有用だけどめんどくさい訳業はなされないのでしょうね。

中身はまさに「事典」です。ぱっと開いたところから、ひとつ。

Ludlow Massacre ラドロー虐殺  1万人以上の全米鉱山労組の炭鉱労働者とその家族がロックフェラーが所有するコロラド州ラドローにあるコロラド燃料・製鉄会社に対して何ヶ月にもわたる長期ストライキをうち、その流血の終結となった1914年イースターの月曜日の事件。州兵がストライキ参加者のテント村を襲い、機関銃を乱射しテント村に火を放ち、11人の子どもを含む14人が殺された。虐殺は10日間の武装反乱を引き起こし、ウッドロー・ウィルソン大統領が合衆国陸軍のコロラド州炭鉱地帯への派遣を命令して終結した。ストライキが始まった1913年9月から1914年4月29日の間に総計で66人が殺された。18人のストライキ参加労働者、10人の警備員、19人のスト破り、2人の州兵、3人の一般市民、2人の女性と12人の子どもである。

ちょうど100年前のアメリカの姿ですね。

『雇用構築学研究所NEWS LETTER』38号

研究主幹が鹿児島に、編集長兼研究員が青森に、と、生き別れになりながらもなお「しぶとく」(同誌上の表現)発行を続けている『雇用構築学研究所NEWS LETTER』の38号が届きました。

先日のJILPTのフォーラムにも出られた岩手県庁の津軽石さんの「被災地における雇用のミスマッチを考える」を始めとして、今号もいろいろと盛りだくさんですが、意外な視点を示されて面白かったのは、樫田美雄さんの「労働法学と社会学の革新を要求する『場所』としての若者(若手)支援の現場(フィールド)」という文章です。何というか、要約のしようがないのですけど、ネタは就活ぶっこわせデモと日本社会学会の若手研究者の声の二つなんですが、。

添付のお手紙によると、

全国社会保険労務士会連合会の研究ファンドを獲得し、雇用構築学研究所として『TPPと雇用問題』なる研究を進める予定・・・

とのことで、「秘密経済条約の体をなすTPPの内実をわれわれ下々が調べることの困難と苦労を既にひしひしと感じているところ」だそうです。

原発労働と「請負」

朝日が連日、原発作業員の被曝労働について報じています。

http://www.asahi.com/health/news/TKY201207250872.html

原発で働く電力会社社員に比べ、請負会社など社外の作業員の放射線被曝(ひばく)が平均で約4倍の線量にのぼることがわかった。全体の9割近くが社外の作業員であるため、総被曝線量では約30倍になる。安全教育の水準に差があることに加え、より危険な業務に下請け作業員を当たらせたためとみられ、「下請け任せ」の実態を映し出している。

この問題については、ちょうど1年前にこういう文章を書いていたのですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo110725.html原発の「協力会社」と偽装請負(『労基旬報』2011年7月25日号)

去る3月11日に、東北地方太平洋沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、これが作り出した数十メートルの高さに達する大津波が三陸海岸から福島浜通りに至る太平洋岸を次々と襲い、沿岸諸地域に壊滅的な打撃を与えた。この津波により福島第一原子力発電所では炉心溶融を来たし、周辺への放射能汚染や電力不足による計画停電など大きな影響を与えた。

それ以来、東京電力とその協力会社の労働者たちが、高い放射線量の中で必死に事態の解決に邁進していることは報道されているとおりである。しかし、その多くを占める協力会社の労働者たちは、労働法上実に奇妙な立場におかれているのだ。

職業安定法や労働者派遣法といった労働市場法制では、請負と労働者派遣(労働者供給)は峻別されている。正しい請負であるためには、元請側は下請会社の労働者に対して指揮監督をしてはならず、もし指揮監督をすればもはや請負ではなく労働者派遣(労働者供給)とみなされることになっている。数年前に一部マスコミが火を付けて大騒ぎになったいわゆる「偽装請負」とは、詰まるところこの点に集約される。工場の中で構内請負をしていると称していながら、工場側の指揮監督を受けているではないか、というのがその非難の根拠であった。

ところが、労働基準法や労働安全衛生法といった労働条件法制では、戦前から全く異なる発想の政策が行われてきている。建設業のように伝統的に重層請負で作業が行われる業種では、元請会社が下請以下の会社の安全衛生には責任を持って管理することが義務づけられるとともに、労災補償も元請の責任とされている。その理由は労働省自身の解説によれば「実際には元請負業者が下請負業者の労働者に指揮監督を行うのが普通」だからである。労働市場法制では「偽装請負」とされる状況を「普通」として施策を講じてきたのである。

原発も建設現場と同様、重層請負で特徴づけられる職場である。報道では「協力会社」と呼んでいるが、実体はまさに労働市場法制のいう「偽装請負」に他ならない。しかしながら、電離放射線が飛び交う危険きわまりない福島原発において、「偽装請負はけしからんから、正しい請負にせよ」というような命令が降りてきたらどういうことになるであろうか。正しい請負とは、東電は関電工の労働者に指示ができず、関電工はその下請の労働者に指示ができず・・・ということを意味する。安全衛生法上からすれば、とんでもない危険な事態を招くことになろう。しかし、数年前の「偽装請負」叩きのロジックからすれば、それこそが正義なのである。

現時点では、まだおおっぴらに原発構内の偽装請負を糾弾する声は上がっていない。しかし、それはいつでも火が付けられる状態にあるのである。

過去四半世紀にわたる派遣労働法制が、専門業務だからとか、特別の雇用管理だからといった、本質的にはナンセンスな業務限定にこだわり、労働者保護の観点から一番重要で肝心なはずの危険有害業務だから・・・という発想を、これっぽっちも持たずにやってきた怠慢(それは行政のみではなく、むしろ派遣規制を主張する側こそが真っ先に責められるべきでしょうが)が、この事態の背景にあるように思われます。

ちなみに、EU指令では、派遣労働一般については、

第4条 制限又は禁止の再検討

1 加盟国は、法規、労働協約及び国内慣行に従って労使団体に協議した上で、特定の労働者集団又は経済活動分野についての派遣労働のいかなる制限又は禁止についても、それらを根拠づける特定の条件がなお残存しているかどうかを検証するために、定期的に再検証するものとする。それらの条件がなければ、加盟国は当該制限又は禁止を停止するものとする。

と禁止することを禁止していますが、こと安全衛生については、

第5条 労働者の労務の利用と労働者の健康診断

1 加盟国は、第1条にいう雇用関係を有する労働者が、その健康と安全に特に危険な業務、特に国内法で規定する特別健康診断を必要とする作業であるような、国内法で定める特定の作業に利用されることを禁止する選択肢を有するものとする。

と派遣を禁止することを認めています。

それがまともな発想でしょう。

2012年7月25日 (水)

契約期間の上限を5年に緩和するもの???

さすがに、労働弁護団の佐々木亮さんも批判していますが、この赤旗の記事は「これはひどい」の域。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-07-25/2012072502_02_1.html

労働契約法案は、有期契約を臨時的・一時的な業務に限定するなどの「入り口」での規制もなく、契約期間の上限を5年に緩和するもの。「期間の定めのない直接契約」という雇用の大原則を踏みにじり、いつでも切れる安価な労働力として有期労働を位置付けるものです。

いや、さすがにそれはないでしょ。これでは足りないという批判はあり得ても。

http://twitter.com/ssk_ryo

つか、よく分かっていない記者が分かってないまま聞きかじりで記事を書いているという、よくある話?

あらかじめ政治的に結論が決まっているタイプの新聞にはよく見られるようですが、いやどことは申しませんけど。

能力に応じた職務給???

言葉の正確な意味での人事コンサルタントである「はやっと」さんが、これまた人事コンサルタントを称している城繁幸氏の用語法の、あまりといえばあまりな無理無体ぶりに苦言を呈していますが、

http://jyoshige.livedoor.biz/archives/5677946.html(40歳定年で泣く人、笑う人)

どうもぱっと見出しだけ見てそう思ってしまっている人が多いようだが、定年40歳というのは、40歳で全員クビになるというわけではない。40歳以後は何らかの有期雇用にし、処遇も年功賃金ではなく処遇に応じた職務給にするというものだ。
だから、優秀な人間は年俸制の部長、事業部長として、あるいは年俸制のプレイヤーとして、従来より高額の賃金で処遇されるだろう。

そうでない人は能力に応じた職務給で処遇されるだけのこと。
イメージとしては、大企業の50代の管理職に適用される役職離任制度が近いだろう。
役職を外れ給料も2、3割ほどダウンするだけで、雇用自体は保証される。

まず「年俸制」について

http://twitter.com/al_hayat/status/228060512997478400

城さん @joshigeyuki が「年俸制の部長、事業部長として、あるいは年俸制のプレイヤーとして、従来より高額の賃金で処遇されるだろう」と書いているが、年俸制=高額の賃金ではないと思うんだけど、「年俸制」ってどういう概念なんだろうか。

http://twitter.com/joshigeyuki/status/228063650194284544

「優秀な人間は」って書いてるんだけど。優秀な人間は職能給の天井を越えて賃上げされるって、そこまでいちいち捕捉しないとわからないんだろうか。

http://twitter.com/al_hayat/status/228071352177926144

質問に対してちゃんと答えてくれなかった件(泣

もっとひどいのは、

http://twitter.com/al_hayat/status/228060907031371776

同じく、城さん @joshigeyuki が「能力に応じた職務給で処遇されるだけのこと」と書いているんだけど、「能力に応じた職務給」ってどういうことなのだろうか。職務給はジョブに応じて設定されるわけで、その人の能力は関係ないと思うけど。

能力給は「ヒト」に値札が付き、職務給は「椅子(ジョブ)」に値札が付くというのは、人事労務をやる人間にとってイロハのイのそのまた前段階みたいな基礎中の基礎なんですけどね。

こういうのがものを知らないマスコミ連中に持て囃されているのを、まっとうな人事コンサルタントが見れば、確かに、

http://twitter.com/al_hayat/status/228076957194137600

城さんは労務管理や人材マネジメントに関する理論や概念、実態にそこまで詳しくないのだと思う。あとは姿勢としては「ファクトに忠実」というよりは「政治的なスタンス重視」。これを「人事コンサルタント」という肩書きでやられると「同業者」としては困るんだよなぁ。。。と。

「同業者」にカッコがついているところに、はやっとさんの気持ちがにじみ出ているような・・・。

http://twitter.com/al_hayat/status/228127475916492801

年俸制の定義としては誤りですね。あと、非常に申し上げにくいことですが、城さんの文章は使用する概念の厳密さを欠いていて文脈以前の議論だと認識しています

http://twitter.com/al_hayat/status/228130054016757760

最初の頃の著作はおもしろかったんですが、富士通を辞めて以来、現場に関与することもなさそうですし、inputが足りてないんじゃないかなぁという印象です。

まあ、「売れる」ことを最優先するという戦略からすれば、人事労務管理論の専門家からどんなに蔑まれようが関係ないというのは、一つの生き方としてすがすがしいとも言えます。

そういうのを使うマスコミの連中が不勉強だというだけのことですし。

改正労働契約法が衆院委で可決

というわけで、本日衆議院で労働契約法改正案(有期契約)が無事可決されたようです。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2501X_V20C12A7PP8000/

次は高齢者雇用安定法改正案(65歳継続雇用)ですが、こちらはそうすんなりとはいかないようです。経営側が相当にロビイングをしているようなので、なにがしかの修正が入るかも知れません。

そのあとに控える労働安全衛生法改正案がいちばん悩みの種で、とにかくたばこというと、政治家の先生方も感情論になる方々が結構おられるようで、国会提出の時ももめましたけど、この先も大変なようですね。

職場のパワーハラスメント―いじめ・嫌がらせへの対応@BLT

201208『ビジネス・レーバー・トレンド』8月号は、「職場のパワーハラスメント―いじめ・嫌がらせへの対応」が特集です。

中身は、5月31日の労働政策フォーラムの報告とパネルディスカッションの記録です。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2012/08/index.htm

労働政策フォーラム 「職場のいじめ・嫌がらせ、パワハラ―今、労使に何ができるのか」

<基調報告>職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けて
本多則惠 厚生労働省大臣官房参事官(賃金時間担当)
<研究報告>職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメントの予防・解決に向けた労使の取り組み
内藤 忍 JILPT研究員
<事例報告>
積水ハウスグループにおけるヒューマンリレーション向上の取り組み ―パワーハラスメント問題と人財育成の課題 武田 勝 積水ハウス株式会社法務部ヒューマンリレーション室部長
ハラスメントのない職場をめざして―労使の取り組み 白石裕治 全タイヨー労働組合中央執行委員長
職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメント解決のために―労働相談からみる解決のヒント 金子雅臣  職場のハラスメント研究所代表理事
<パネルディスカッション>
コーディネーター 佐藤博樹 東京大学大学院情報学環教授

フォーラムの資料はこちら:

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20120531/resume/index.htm

また、内藤研究員のまとめた『職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメント対策に関する労使ヒアリング調査』はこちらです。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2012/12-100.htm

職場のいじめ問題もこうやって少しずつですが、問題意識が高まって生きつつあるようです。

学校のいじめ問題だと、騒ぎになると文部科学大臣直轄の組織を作るとかいう話になったりしますが、やはりそれは学校自体が文部科学省の直轄地だからなのでしょう。

介護職の安定的な採用・確保に向けて

やや先ですが、9月19日に労働政策フォーラムとして、「介護職の安定的な採用・確保に向けて」が開かれます。

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20120919/info/

高齢化の更なる進展が予想される中、介護の担い手の十分な確保が喫緊の課題となっています。しかし、介護現場は慢性的に人手不足といわれています。その理由は、離職率の高さよりも、採用の困難さにあることがわかってきました。

本フォーラムでは、介護事業所、介護職、教育機関、人材マッチング、就職支援の立場から、介護職の採用をめぐる現状や安定的な確保に向けた様々な取り組みを報告した上で、行政の視点も加え今後の有効な対応について議論します。

研究報告はJILPT研究員の堀田聰子さん。事例報告は以下の4氏です。

飯塚裕久 NPO法人もんじゅ代表/小規模多機能型居宅介護ユアハウス弥生所長
白井孝子 東京福祉専門学校ケアワーク学部介護福祉士科教務主任
鈴木隆夫 埼玉県社会福祉協議会福祉人材センター副センター長
門野友彦 株式会社リクルートHR・斡旋カンパニー雇用創出支援グループ HELPMAN JAPAN担当

この5人に厚労省の福士介護労働対策室長を加え、佐藤博樹先生の司会でパネルディスカッションという構造です。

堀田さんは昨年JILPTに来たところですが、既に介護労働問題については専門家として活躍していることはご存知の通りです。

http://www.jil.go.jp/profile/shotta.html

それから、このフォーラムと直接関係ないですが、リクルートの門野さんはこういう転職活動悩み相談をされているんですね。これがなかなか面白い。

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tenkatsu_soudan/(あなたが受からない理由、診断します)

公的部門の集団的労使関係システム

『労基旬報』7月25日号に載せた「公的部門の集団的労使関係システム」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo120725.html

今から40年以上前の時代、労働法の花形分野は労働組合法を中心とする集団的労使関係法であった。労働法講座でも全8巻のうち6~7巻は集団法制に充てられていた。その中でも熱っぽく論じられ、多くの論文が書かれたのは公的部門の集団法制であり、労働基本権問題であった。

その熱が1975年のスト権スト以後しぼんでいき、公共企業体や国営企業が次々と民営化されることによって問題が消滅していく中で、法律学でも経済学でもこの領域に関心を持つ研究者はどんどん少なくなっていき、中堅若手以下ではほとんどいないに近い状態になっている。

ところがそういう状況下で2000年代半ば以降、公務員制度改革の一環として公務員の集団的労使関係法制の抜本的見直し作業が進められてきており、昨年6月には「国家公務員の労働関係に関する法律案」が国会に提出され、地方公務員についても同様の法案を提出する準備が総務省で進められている。

ややもするとマスコミの公務員叩き報道の中で霞みがちとはいえ、一国の労働法制の根幹にも関わるこの問題をきちんと法制的に整合性のある形で議論する場を作っていくことが必要であり、そのためにもあまり関心を寄せてこなかった若手研究者にもこの問題に積極的に取り組んでもらうことが重要になってくると思われる。

それを前提にした上で、こうした議論の流れでは正面から取りあげられていないある問題に、読者の注意を喚起しておきたい。それは、本紙5月25日号で取りあげた「国・地方公共団体で働く派遣・請負労働者の労働基本権」の問題であり、さらに広げて言えば、公共サービス改革法(いわゆる市場化テスト法)によって民間事業者が落札して行う公共サービスの従事者の問題である。公務員法制はヒトに着目し、公務員という身分を有する労働者の権利義務という視角から規制をかけてきたわけであるが、公共サービスの民間委託が続々と進められると、同じ公共サービスを提供する労働者でありながら、公務員という身分のある者とそうでない民間労働者では集団的労使関係システムが異なるという事態がいくらでも発生してくることになる。

そういう観点からこの問題にアプローチする必要性はますます高まってきているように思われるのであるが、冒頭に書いた研究者世界における問題意識の途絶もあり、あまり関心が高いようには見受けられない。もっと問題意識を持って欲しいところである。

2012年7月24日 (火)

踊る阿呆の劇場型政治

今日の朝日の夕刊に、五野井郁夫さんが文芸批評として、「みんな当事者 劇場型政治に決別」というエッセイを書いておられます。

しかし、反原発デモが劇場型政治への決別というのは、私には逆に思えます。

たしかに「政治を観客として眺める劇場型政治」とは方向は逆ですが、自分が舞台に出ていって踊っているという意味では、やはり劇場型政治に変わりはないのでは?

見る阿呆より踊る阿呆の方がマシという価値判断はあり得ますが、そもそも自分の利害に直接関わらない事柄に、自分の普段の生活ぶりとは切れたところで踊る政治も、やはり劇場型政治には違いありません。電気自動車を乗り回している人がその日常から離れて「たかが電気」と言い放てる程度には、非日常的な「劇場」なのでしょう。

そして、そういう劇場型政治もまた、直接利害に関わる人々の発言を、それが利害関係者であるという理由で排除しようとする強い傾向を持っていることからも、やはり観客型劇場政治と同様の問題をかかえているように思われますが。

既卒者の就職率改善 半数がハローワーク経由

サンケイビズの記事ですが、

http://www.sankeibiz.jp/econome/news/120724/ecd1207240502000-n1.htm

就職を希望していたが採用内定を得られずに今春卒業した大学生、高校生らのうち、ほぼ半数の2万4663人が4~6月にハローワークを通じて就職が決まったことが、厚生労働省の集計で分かった。昨年同期は4人に1人程度にとどまっており、改善した。

「シューカツ」じゃなくて「職探し」モードになれば、それなりに道は開けるのですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-5f11.html(ハロワに行くのって『職探し』って感じがするんですよー)

・・・それで学生たちになんでハロワ行かないのって聞いたら、まあ聞いたらなるほどって思いましたけども、「ハロワに行くのって『職探し』って感じがするんですよー」って言われたときはびっくりした。いやお前らいまやってるの職探しやろ。違うのか

いや、この学生さんたちの素朴な反応に、シューカツってのが、いかなる意味でも就「職」活動なんかではないという事実が、あまりにも露わになっていて、これってやらせでないの?と思わず言いたくなるほどです。

あれほど何年間もかけて一生懸命やっているシューカツってのは、その当人たちにとっては「職探し」じゃなかったんですよ、これが。

そしてこういうことにもなる。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-1266.html(シューカツがただの職探しじゃなくなってるから・・・)

・・・シューカツがただの職探しじゃなくなって、人生における人間の値打ちを決めるイベントになっちゃっているからなんでしょうね。

でも、本来就職活動ってのは、ただの職探しなんですよ。

ついでに、参考のため

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-0156.html(上西さんの授業でハロワの解説)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-7e48.html(上西さんの授業でハロワの解説後篇プラス)

フランス人にとっては、国から金をもらうより子供から金をもらうほうが恥ずかしい

東京在住のフランス人が、ニューズウィークで例の生活保護バッシングについて書いているようです。

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2012/07/post-531.php(フランスではあり得ない生活保護バッシング)

人気お笑い芸人の河本準一は生まれる国を間違えたのだろうか。・・・

フランスなら河本は模範市民と見なされたはずだ。勲章の1つももらえたかもしれない。フランスの基準からすれば、河本親子は当然のことをした。母親は失業して国に助けを求めた。息子は一生懸命働いて高い所得税を払っているのだから、政府の歳入の足しにさえなっている。息子がいくら成功していても、母親はできる限り政府の寛大さに甘えるべきだ──フランス人ならそう考える。

フランス人は困ったときに国からお金をもらうことを恥と思わない。日本人より高い税金を払っているから、経済的に困っている人間の面倒を見てもらうだけの金は政府に「支払い済み」だと考える。・・・

・・・フランス人にとっては、国から金をもらうより子供から金をもらうほうが恥ずかしい。一方で子供は、親のすねをかじらない自立した人間に育てる。・・・

おそらくここまでは、筆者レジス・アルノー氏の本音でしょう。ただ、それに続く部分は、彼の立場を考えると、やや母国に対する皮肉な感情も秘められているように見えます。

もらえるものはもらわなきゃ、というのがフランス流。・・・

多くのフランス人は政府に助けてもらって当然と考えていて、そのためなら詐欺まがいの手も使う。・・・

もちろん、フランスの制度には欠点もある。ある知人は父子家庭のふりをして「一人親」手当を受け取っているが、子供たちの母親とは今も同居している。・・・

要するに無責任と詐欺を野放しにする制度で、フランスの公的債務が膨れ上がる一因になっている。しかし日本の制度のほうがマシだと言えるだろうか。・・・

「仏フィガロ紙記者、在日フランス商工会議所機関誌フランス・ジャポン・エコー編集長」のアルノー氏としては、おそらくフランスではそういう「無責任と詐欺を野放しにする制度」を批判する側にまわるのではないかと思われますが、さすがに日本のウルトラ家族主義的騒ぎ方には呆れた、というところではないかと思われます。

河本はフランス語を勉強し、パリでコメディアンとして再出発するべきだ。失敗しても失業保険や生活保護を受け取ればいい。フランスの福祉制度は日本よりずっと寛大だ。

とは、フランス本国では言わないでしょう。

私たちは国民ではないのか

http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m020060000c.html

質疑応答では、政府が電力業界に意見聴取会での意見表明自粛を求めたことに、電源開発(Jパワー)社員が「私たちは国民ではないのかと非常にショックだった」と発言した。

そう、国民じゃないのでしょう。つまり非国民というわけです。

昨日は大阪市の職員が非国民で、今日は電力会社の従業員が非国民で、明日は誰が非国民になるのか、すばらしい席取り競争が展開されそうです。

まあ、いじめられないためには先手を打っていじめる側にまわるのが一番、というのを幼い頃から学んできた国民にふさわしい行動様式かも知れません。

そしてそれを必死に煽る左翼ならぬ「逆右翼」(@松尾匡)の諸氏・・・。

(追記)

https://twitter.com/AmonDaisuke/status/228108955740696576

加害者の側の人間がその問題における様々な非対称性を無視して自らの被害感情を盛るというよくある光景にしか見えない。歴史問題とか基地問題とか。自称リアリストの類の人はしばしば自称迫害される被害者でもある。

と、まさに在特会の人々も本気で感じているというところに、この問題の本質があるわけなんですが・・・。

もちろん、彼らは「在日」という「加害者の側の人間がその問題における様々な非対称性を無視して自らの被害感情を盛るというよくある光景」・・・と感じているわけです。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E6%84%9B%E5%9B%BD-%E5%9C%A8%E7%89%B9%E4%BC%9A%E3%81%AE%E3%80%8C%E9%97%87%E3%80%8D%E3%82%92%E8%BF%BD%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%A6-g2book-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/4062171120

「特権をむさぼる在日朝鮮人どもを日本から叩き出せ!!」
聞くに堪えないようなヘイトスピーチを駆使して集団街宣を行う、日本最大の「市民保守団体」、在特会(在日特権を許さない市民の会 会員数約1万人)。
だが、取材に応じた個々のメンバーは、その大半がどことなく頼りなげで大人しい、ごく普通の、イマドキの若者たちだった・・・・・・。

「やつら」は強大な加害者で、自分たちは弱々しい被害者だという意識に充ち満ちた人々が、一番冷酷無惨に人を迫害できるのです。

2012年7月23日 (月)

ヤルゼルスキ宅でお茶するワレサ

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ワレサとかヤルゼルスキといっても、近頃の若い人々には何のことやら・・・かも知れませんが、まだソビエト連邦が強大な力を振るっていた32年前のポーランドで、連帯という名の労働組合を率いたワレサ氏と、首相として戒厳令を敷いたヤルゼルスキ氏が、今では好々爺然としてお茶をしているようであります。

http://www.thenews.pl/1/9/Artykul/105835,Walesa-takes-tea-with-former-communist-leader

当時、既に社会主義諸国の惨状はよく伝えられていただけに、ポーランドの連帯という名も熱いまなざしで見つめられていたようですが、今やそれも夢のまた夢というところでしょうか。

時には極めてまっとうなことを・・・

池田信夫氏や城繁幸氏だけではありませんな。

どうしたことか、あの藤沢数希氏までが「時には極めてまっとうなことを言う」の実例をつぶやいています。

http://twitter.com/kazu_fujisawa/status/226579542762987520

今の日本の教育システムと、雇用システム、それに結婚にまつわるいろいろなしがらみは、高学歴女子にかなりの負荷を強いていて、一部のハイパーな人以外は、プライベートはあきらめろ、と言っているに等しいと思う。

ちなみに平常運転モードでは:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-451b.html(ネオリベ派規制緩和による成長戦略)

こういった状況を改善して、日本のGDPを成長させ、税収を増やし、きたるべき少子高齢化社会にそなえるにはどうすればいいでしょうか?
非常に簡単です。
売春を合法化すればいいのです。
今の人材派遣会社みたいに、株式会社で売春婦派遣会社を運営してもいいでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-7a12.html(進化論生かじりの反福祉国家論)

その筋で有名な藤沢数希氏ですが、また奇妙なことをいっています。どうも、福祉国家が必ず滅びるということを進化論で(!)証明したつもりのようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-8245.html(もう一歩のところまで分かっている藤沢数希氏)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-b9d7.html(キキを見てこういう感想を持つたぐいの人々)

>魔女の宅急便のキキは、労働組合も作らないし、首になっても割増退職金も要求しない。セクハラだパワハラだと訴えない。今の労働者も見習うべき。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-8df4.html(あまりにも正直すぎる藤沢数希氏)

という状況であります。

武川・宮本編『グローバリゼーションと福祉国家』刊行

Beb4124275774f21d3948c105039876871d 「講座 現代の社会政策」第6巻として武川正吾・宮本太郎編の『グローバリゼーションと福祉国家』が明石書店より刊行されました。

http://www.akashi.co.jp/book/b103003.html

グローバル化により国境を越えた資源や情報の移動が増大しつつある現在、これまでのような国内問題としての社会政策ではなく、国家の枠組みを越えた取組みが必要となってきている。グローバリゼーションと地域統合、社会政策の歴史をたどり、今後を展望する。

なぜか目次がアップされていないので、ここに直接書いておきますと、

序章 グローバル化・地域統合・社会政策  武川正吾

第1部 グローバル化と社会的排除

第1章 グローバリゼーションと社会政策の構造  田端博邦

第2章 人の国際移動と受け入れ枠組みの形成に関する研究  安里和晃

第2部 リージョナルな社会政策

第3章 EU社会政策とソーシャル・ヨーロッパ  濱口桂一郎

第4章 東アジア社会政策を構想する  上村泰裕

第5章 転換期の政策デザイン  今井貴子

第3部 グローバル化を超えて

第6章 社会政策のグローバル・ガバナンスの可能性  鈴木一人

第7章 社会的包摂のポリティクス  宮本太郎

ちなみに、あとがきで武川さんが書いておられるのですが、

今回完結する『講座 現代の社会政策』全6巻の企画の発端は、2000年代半ばまで遡ることができる。新しい時代の社会政策の研究水準を示したいという、高木郁郎氏の発案だった。・・・

へえ、そうだったんですか。執筆者の一人の私も全然知らなかった。

2012年7月22日 (日)

『経営法曹研究会報』71号

経営法曹会議より、『経営法曹研究会報』71号をお送りいただきました。

今号の特集は「整理解雇の4要件・4要素再考」ですが、整理解雇論を正面から大展開するというよりも、3月のJAL2判決を論ずるために、整理解雇から論じたというもので、次の4人の報告からなっています。

1 整理解雇をめぐる今までの裁判例の動向  今津幸子

2 再建型企業倒産のもとでの整理解雇  木下潮音

3 日本航空整理解雇事件の背景と運航乗務員判決について  杉原知佳

4 日本航空客室乗務員整理解雇事件について  川端小織

と並べてみると、4人とも女性弁護士ですね。

JAL事件は先日私が前座を務めた東大労判のメイン評釈で池田悠さんが大評釈をしたところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-3583.html(神戸刑務所(管理栄養士偽装請負)事件)

こちらでは経営法曹の総力を結集していろいろと論じられています。

人にとんちんかんで筋違いなレッテルを貼って批判したつもりになっていると・・・

20101219090736_normal本田由紀さんがつぶやいています。

http://twitter.com/hahaguma/status/226296511284248576

人にとんちんかんで筋違いなレッテルを貼って批判したつもりになっていると、それはそうしている当人自身を自ら貶めることになっているので、気をつけよう。

どなたのどういう発言を念頭に置いてつぶやいておられるのか、今ひとつ定かではないところもありますが、何にせよ、このつぶやきがぴたりと当てはまる発言が世にあまた横行していることだけは心より同意いたします。

2012年7月21日 (土)

水島治郎『反転する福祉国家―― オランダモデルの光と影 ――』

0244660水島治郎『反転する福祉国家―― オランダモデルの光と影 ――』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-024466

「オランダモデル」と言われる雇用・福祉改革が進展し,「寛容」な国として知られてきたオランダ.しかし,そこでは移民・外国人の「排除」の動きも急速に進行している.この対極的に見えるような現実の背後にどのような論理が潜んでいるのか.激動の欧州を読み解き日本社会への示唆を得る.

表紙はいわずと知れたレンブラントの「夜警」ですが、そのモチーフである「光と影」が、本書全体を貫く基軸になっています。

「光」とはもちろん、ワーク・ライフ・バランスやフレキシキュリティを促進する雇用・福祉改革のモデルとしてのオランダ、そして「影」は移民に対する排外主義が進むオランダです。

第1章でオランダ政治構造の簡単な概説をした上で、第2章は「光」を、第3章は「影」を描き出します。

第一章 光と影の舞台――オランダ型福祉国家の形成と中間団体
第一節 現代政治の歴史的文脈
1 「身軽な国家」オランダの成立/2 一九世紀後半――自由主義と宗派勢力の対抗/3 二〇世紀――「柱」社会と中道キリスト教民主主義政党の優位

第二節 オランダにおける「保守主義型福祉国家」の成立
1 「保守主義型福祉国家」とは/2 大陸型福祉国家の特徴/3 オランダにおける福祉国家の形成/4 民間団体主体の福祉

第三節 中間団体政治の形成と展開
1 中間団体をめぐる歴史的背景/2 中間団体の包摂――マクロレベル/3 中間団体の包摂――メゾレベル/4 中間団体批判/5 紫連合政権の成立/6 審議会制度の改革/7 開かれたガバナンスの模索

第二章 オランダモデルの光――新たな雇用・福祉国家モデルの生成
第一節 大陸型福祉国家の隘路
1 ワークシェアリングを越えて/2 大陸型福祉国家の特徴と限界/3 大陸型福祉国家の構造的問題

第二節 福祉国家改革の開始 
1 ワセナール協定へ/2 ルベルス政権下の改革/3 第一次コック政権――分権的制度の改革/4 第二次コック政権――「給付所得より就労を」/5 労使の排除と抵抗/6 バルケネンデ政権下の就労強化政策/7 改革の政治的背景

第三節 パートタイム社会オランダ
1 就労形態の多様化/2 雇用格差と非正規労働/3 非典型労働の「正規化」/4 オランダのパートタイム労働――歴史的展開/5 パートタイム保護を取り巻く制度的枠組み/6 多様な休暇制度/7 日蘭比較からみたワーク・ライフ・バランス/8 フレキシキュリティへの対応

第四節 ポスト近代社会の到来とオランダモデル
1 ポスト保守主義型福祉国家へ?/2 「女性のフルタイム就労」への厳しい視線/3 オランダのパートタイム論争/4 脱工業社会における競争戦略

第三章 オランダモデルの影――「不寛容なリベラル」というパラドクス
第一節 移民問題とフォルタイン
1 ポピュリズムの台頭/2 オランダにおける移民/3 フォルタイン党躍進の文脈/4 フォルタインの登場とイスラム批判/5 二〇〇二年選挙に臨むフォルタイン/6 政治戦略としてのポピュリズム

第二節 フォルタイン党の躍進とフォルタイン殺害 
1 「すみよいオランダ」の結党/2 フォルタインの登場/3 「すみよいロッテルダム」の設立とフォルタイン擁立/4 「すみよいオランダ」との決裂とフォルタイン党結成/5 「すみよいロッテルダム」の圧勝/6 フォルタイン党の展開/7 フォルタインの死と総選挙/8 中道右派連立政権の成立/9 フォルタイン現象の衝撃

第三節 バルケネンデ政権と政策転換
1 バルケネンデ政権の八年/2 キリスト教民主主義政党の「自己革新」とバルケネンデ/3 移民政策の転換/4 移民の「選別」の開始/5 社会文化政策

第四節 ファン・ゴッホ殺害事件――テオ・ファン・ゴッホとヒルシ・アリ
1 映画『サブミッション』/2 モハメド・ブエリ――移民二世の青年の急進化/3 「ソーシャル・パフォーマンス」としてのファン・ゴッホ殺害

第五節 ウィルデルス自由党の躍進
1 ウィルデルスの登場/2 ウィルデルスのイスラム批判/3 EU憲法条約否決/4 ヨーロッパ統合とオランダ/5 自由党の設立/6 リュテ政権の成立と自由党の閣外協力

いろんな人々によって既に紹介されている第2章の「光」よりも、第3章で紹介される「影」はいろんな意味で面白いです。例えば、あのリベラルな排外主義者フォルタインの政治経路も、国政進出の直前、オランダ第2の都市ロッテルダムで圧倒的勝利をおさめていたとか。

しかし、なんと言っても本書の最骨頂は、第4章の考察にあります。

第四章 光と影の交差――反転する福祉国家
第一節 福祉国家改革と移民
1 「移民政治」の顕在化と福祉国家/2 「参加」型社会への転換/3「参加」と義務・「責任」の重視/4 福祉国家の変質と移民/5 オランダにおける「シティズンシップの共有」

第二節 脱工業社会における言語・文化とシティズンシップ
1 脱工業社会における「参加」の様相/2 脱工業社会における「非物質的価値」/3 新しい「能力」観――「ポスト近代型能力」の浮上/4 「言語によるコミュニケーション」と「能力」/5 言語・文化の再浮上/6 参加・包摂・排除/7 新たな光と影の交差のなかで

ここで述べられているのは、世界が賞賛するオランダの「光」こそが「影」を産み出している最大の要因なのだ、というまことに皮肉な話であり、そしてそれは程度の差はあれ、どの先進国でも共通の現象、云うまでもなくこの日本も含めて・・・、という冷徹な認識なのです。

少し引用しておきましょう。

・・・そうだとすれば、実は第2章で見た福祉国家の「先進的な」再編の論理の中に、第3章で見たような。移民や難民を「外部者」として排除する仕組みが出現しているのではないか、「モデル」として賞賛される「包摂」の論理の中に、「排除」を正当化するメカニズムが組み込まれているのではないか。

誤解を解くためにあらかじめ云っておくと、これは福祉国家のネーション的性格という半世紀前からの議論のことではありません。労働市場や社会生活への「参加」を強調する近年の福祉国家の「現代化」のもつ性格を論じているのです。

水島さんはこの「全員参加型」福祉社会の背後にある現象を、脱工業化による労働の非物質化、サービス化と考え、そこで求められるコミュニケーション能力、ポスト近代型能力への要求が、包摂と排除を産み出すのだというのです。

・・・一方では、雇用・福祉改革のキーコンセプトに「参加」を据え、硬軟取り混ぜた政策手段を用いて就労を徹底して促進することで、より多くの人々を労働市場へと「包摂」し、福祉国家の「持続可能性」を高めていく。そして、ワーク・ライフ・バランスを可能とする労働環境を整えることで、高度な「能力」を持つ創造経済を支える人材を惹き付けていく。他方では、言語や文化・価値観を共有しない(それゆえにコミュニケーションの「能力」が低いとされる)ために、就労を通じた労働市場への「参加」もしないまま社会統合の妨げになることが見込まれる「他者」、具体的には非先進国出身者に対しては、最初から厳しいハードルを課し、事実上排除の対象にする。いわば「参加」を軸とした包摂と排除の両面を通じて、ポスト近代社会の競争戦略が推進されてきたのではないか。

「排除」と「包摂」は、実はコインの裏表の関係にあったのである。

ちなみに、本書の参考文献には、拙著とともに、本ブログ自体も並べられています。こういう「参考文献」って、初めて見ました。

「国家公務員に労働協約締結権」 今国会の法案成立断念 連合「野田降ろし」も

産経の記事ですが、

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120721/plc12072101310000-n1.htm(「国家公務員に労働協約締結権」 今国会の法案成立断念 連合「野田降ろし」も)

野田佳彦首相は、国家公務員に労働協約締結権を付与する公務員制度改革関連法案について今国会での成立を断念する意向を固めた。複数の政府関係者が20日、明らかにした。

法案には自民党が強く反対しており、強行すれば消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案の成立などに影響を及ぼしかねないと判断した。民主党最大の支持団体である連合(古賀伸明会長)は、公務員改革法案の成立を首相支持の前提条件としてきただけに、今後一気に「野田降ろし」に転じる可能性もある。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120721/plc12072101310001-n1.htm(苛立ち募らせる連合 公務員改革法案、今国会がラストチャンス)

消費税増税に「命を懸ける」と執念を燃やす野田佳彦首相はついに公務員制度改革関連法案を断念した。公務員制度改革とは名ばかりで官公労の権限を強化する「お手盛り」法案だけに当然の判断だといえるが、連合は法案成立と引き換えに消費税増税を支持し、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表との関係を断ち切っただけに収まらない。連合が政権の命脈を断ち切る可能性は十分ある。

「民間ガー」諸氏の「民間」が本物か偽物かを判定するのに一番いい試薬は、「そんなに民間並みにすべきなら、当然労働法も民間労働法ですよね」ですが、圧倒的に多くの場合、本物と判定できないようで、残念です。

それにしても、この記事に出てくるこの会話(?)は、なかなか興味深いです。「民間」経営者諸氏が、労働者への賃金が会計学上「費用」であって「利益」ではないということを理解していないというのもなかなかシュールですが。

「利益を生み出さない公務員に協約締結権を与える必要などない」

JR東海の葛西敬之会長がこう発言すると、京セラの稲盛和夫名誉会長もうなずいた。

言うまでもなく、利益が出ていない赤字企業でも、非営利のNPOでも、生産要素たる労働力の対価はきちんと支払わなければなりませんし、その決定基準は労働法に従う必要があります。JRであれ、京セラであれ。

そういうやり方を採らない代わりに、(マッカーサー書簡以来のいろんないきさつで)人事院勧告というやり方にしたわけですが、人事院勧告断固守れと主張されているわけでもなさそうです。

こういうレベルの方々も、週刊誌的ワイドショー的「民意」にどっぷり漬っておられるということがよく窺われます。

(追記)

労務屋さんからコメントをいただきました。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20120723#p1(公務員の協約締結権)

たしかに「利益を生み出さない公務員」を文字どおりにとらえて「利益が出ていない赤字企業」「非営利のNPO」という反論を行うことは可能だろうと思います。本当に文字どおりの意味で発言されたのであれば。

・・・そう考えれば、私は葛西氏のこの発言は(協約権付与の是非は別問題として)まさに協約締結権を有する国鉄・JRの労組との団体交渉で労働条件の決定に苦心してきた氏の率直な見解として相応の重みをもって尊重されるべきものと思いますし、やはり労組との団体交渉を重ねながらJALを再建した稲盛氏が「うなずいた」というのもそれこそうなずける話だと思います。

わたくしは行政改革懇談会などというところにはまったくアウトサイダーですので、「なおhamachan先生はインサイダーであり・・・」というのはまったく事実と異なりますが、まあそれはそれとして、

わたくしのようなアウトサイダーがこの記事を読んだときに、当該記事を書いた産経新聞の記者がこういう風に読んでもらいたい、受け取ってもらいたいと思いを込めて書いた、まさにその思いに沿って読んであげるのがごく普通であって、労務屋さんのように受け取ることは、少なくとも当該記者さんは考えていなさそうに見えます。

もちろん、議事概要に当該部分がまったく載っていない以上、現時点で本当のところいかなる発言があったのか、そしてそれはどういう趣旨であったかを正確に認識することは不可能であり、要は外野席であれこれ言うしかないわけですが、

その際、記事から素直に読めるように読んだわたくしは、なぜそのように読まなければならないかについて立証責任を負うわけではないのではないかと思います。

そして、国鉄やJALの経験を踏まえたとしても、この記事に書かれた文言(それが正確であるかどうかはもちろん分かりませんが)は、文字通りの意味にしか取りようはなく、そして、そうである以上、産経新聞の記事に書かれた記者による文言そのものについては「少なくとも「週刊誌的ワイドショー的「民意」」といっしょくたにして揶揄するのははなはだしく失礼ではないかと」は思われないところです。

いうまでもなくこのお二人が「労働者への賃金が会計学上「費用」であって「利益」ではないということを理解していない」とは実は思っておりませんが、少なくともそれを全然理解していないとおぼしき産経新聞記者やその読者の皆さまに向けては、それなりに適切な評語であったのではないかと思っております。

「hamachan先生のお怒りはごもっともではありますが矛先の向け方はいささかいかがなもの」であるかどうかは、現時点では不明ですので、とりあえず記事を書いた産経記者向けということにしておきましょうか。

民意は間違うんですよ

例によって、yellowbellさんのエントリから、

http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/299850696143240331

近頃わざと忘れて語る人が多いけれど、民意は間違うんですよ。歴史的に見ても、バンバン間違っている。しかも、平気な顔してその間違いを忘れてしまう。

民意は、必ずしもよい答を出さないんです。ときに最悪の選択すら熱狂的に支持するんです。あくまでも民意というのは、どんな結果になろうともみんなで選んだんだから軽々に文句は言えないねという、社会統治を安定させるための仕組みとして存するものなんです。正解を抽出する預言ではない。

 
だから民意はあてにするなという裏か表かの専制君主の理屈を持ち出すつもりはさらさらなく、だからこそ社会は常に民意とは別の選択チャネルを持つべきだという話です。それは、専門性を担保にしたものであってもいい、あるいは伝統を根拠にしたものでもいい、適度にアップデートはしつつも、静的な制度の蓄積を持った機関が、移ろう民意への重石として存在すべきなんです。

 
まあ小理屈はともあれ、社会には民意によって安易に改廃できないチャネルを持っておくべきだというのが、僕の考えです。

あったであろういじめを頑としてあったとは認めなかった教委の保身が憎らしいからといって、教育委員会という制度そのものを民意に委ねるような選択は、僕は採りませんし採るべきではないし採るように煽る政治家を認めようとは思いません。

似たようなことかも知れませんが、わたくしはむしろ、「民意」を週刊誌レベルワイドショーレベル行列のできる法律相談所レベルの脊髄反射的「民意」としてではなく、それなりの知識と経験を踏まえてものごとを考えられる「濾過器」を通した反省的「民意」として政治的議論のアリーナに持ってこれるような仕組みの確立が必要なんだと思うわけです。

それが壊れかけてしまっていることが、今日の週刊誌レベルワイドショーレベル行列のできる法律相談所レベルの脊髄反射的「民意」の氾濫を招いているわけで。

2012年7月20日 (金)

労働契約法(有期労働)改正案、25日に衆院厚労委で可決へ

アドバンスニュースによると、

http://www.advance-news.co.jp/news/2012/07/post-532.html

有期雇用の通算期間の上限(5年超)を初めて法制化する労働契約法(有期労働)改正案が、25日の衆院厚生労働委員会で審議され、即日採決となる公算だ。“民主党内の政局”に突入する前の4月上旬から民主、自民、公明の実務者レベルで調整が進んできたもので、採決となれば可決する見通しだ。

法案成立となる参院の出口までの日程は現時点で見えていないが、会期内または解散前には駆け込みでも参院で採決する公算が高い。

ということのようです。

その影響の末端が、本日の座談会の席まで電話で追っかけてきたわけですな(意味不明)。

本日都内某所で

本日都内某所で某座談会。

諏訪康雄先生、徳住堅治、木下潮音両弁護士という錚々たる方々の中になぜかわたくしも入って、2時間の予定が気がつけば3時間近くまで。

中身は今のところ秘密。

野川忍先生の耳タコ話

いや、中身はもう心ある人々にとっては耳タコ話なんですが、肝心の一番耳を傾けてもらいたい人ほど、全然耳に入らないという・・・。

http://twitter.com/theophil21

解雇規制の誤解(1)相も変わらず「日本は解雇規制が厳しい。これを緩和しなければ雇用は改善されない」という何とかの一つ覚えの主張が垂れ流されている。しかし、日本の法制度は、厳しい解雇規制などしていないし、実態も解雇が厳しいために雇用が制約されているなどという具体的事実はない。

解雇規制の誤解(2)「解雇規制を緩和しろ」という論者には立証責任があるので問いただしたい。第一に、いったい日本の法制度のどこに「厳しい解雇規制」があるのか、具体的に明確に示してほしい。第二に、「解雇規制があるので解雇できず困っている」という具体的な実例を、ぜひ示してほしい。

解雇規制の誤解(3)日本の法制度には、正当な理由がなければ解雇はできないとか、解雇をするには役所に届け出が必要だとかいったルールは全くない。あるのは、客観的に合理的な理由がなく、社会通念上相当性が認められない解雇は権利の濫用となる、という抽象的規定だけである(労契法16条)。

解雇規制の誤解(4)たとえば、無断欠勤ばかりで出てくれば暴力沙汰を起こして仕事は全くできない、という労働者を解雇するのに、日本の法制度に障害となる規定はない。まず、法制度において解雇規制が厳しいなどということはない。では実態はどうか。

解雇規制の誤解(5)解雇規制緩和をとなえる主張をさんざん見てきたが、具体的実例を挙げて「かくも解雇規制は雇用を妨げている」と指摘するものは皆無である。これに対して、「やらずぼったくりのトンデモ解雇」なら、何千件でも実例があがる。一例として濱口桂一郎先生の「日本の雇用終了」参照。

解雇規制の誤解(6)公平の為に指摘しておくが、裁判所は確かに解雇に対して比較的厳しい態度をとっている。解雇権濫用法理の内実は、一般的な権利濫用法理とは似て非なるものであることは周知のとおり。しかし、裁判所は解雇を厳しくするルールをことさらに作ってはいない。

解雇規制の誤解(⑦)裁判例をみると、実は企業自身が、自ら解雇を自制することを労働者に約束していたとみなされる場合に、実際になされた解雇を「それは労働者に対する裏切り」として無効としているというのが通例である。ではなぜ日本の企業は解雇を自制してきたか。

解雇規制の誤解(8)日本の企業は、「雇用保障」と引き換えに他の先進諸国ではみられないような「強大な人事権」を取得してきた。わかりやすく言えば「めったなことであなたをくびにはしません。だから、会社に絶対服従してください」という取引を企業側から提示し、それが社会的慣行となったのだ。

解雇規制の誤解(9)したがって今までも、雇用保障も強大な人事権の下への服従も内容としない労働契約においては、裁判所も解雇を自由に認めていた。「担当すべき仕事だけきちんとやってください。過酷な残業も家族を引き離す転勤も一方的に命じたりしません。」というドライな労働関係がその例だ。

解雇規制の誤解(10)日本の企業社会は、そうしたドライな雇用慣行を自ら拒否し、雇用保障を労働者に与えることで会社の為に身を奉げるロイヤリティーを獲得してきた。したがって、解雇をもっとしたいなら、労働者へのロイヤリティーの要請もやめることだ。

解雇規制の誤解(11)私見では、日本の労働市場がもっと活性化し、転職市場が充実して、「解雇されてもすぐ転職できて転職先の方が待遇がよかった」という可能性も十分にあるような状況(アメリカでは珍しくない)ができるなら、雇用保障と強大な人事権の取引などやめたほうがよい。

解雇規制の誤解(12)労働者の側も、自分を解雇しようとする企業など、後足で砂をかけてこっちから辞めてやる、と言える状況になるほうが望ましい。企業もそれを望むなら、まずは企業から、ドライな個別労働契約の慣行、職務給の徹底、雇用平等の実現などを通して労働市場の活性化をはかることだ。

解雇規制の誤解(13)日本の労働市場が硬直的であることは確かである。それを改善するのは、ありもしない解雇規制の緩和などではない。まずは企業自身が、労働関係をめぐる自己改革をとげること、そして政府は、雇用平等法制の徹底と非雇用就労の拡大のための制度整備に本格的に取り組むことである。

解雇規制の誤解(14)そして、濱口先生が指摘するように、日本においても非正規労働者など縁辺的な労働力として扱われてきた労働者については、雇用保障と強大な人事権という慣行自体が希薄であった。そこでは昔も今も、レッセフェールの状態における解雇が日常的に行われているのである。

解雇規制の誤解(15)最後に確認したい。現在の日本の労働市場において「解雇規制の緩和」を主張するのは、事実認識として単純に誤りであり、実態の評価として全く的外れであり、政策的主張としておよそ説得力がない。この主張が現実味を帯びるような労働市場の形成から検討し直すことを勧めたい。

まあ、そこのところが少し分かってくると、今度は40歳までは正社員としてめったに解雇しない代わりに仕事も時間も場所も制限なく何でもいうことを聞いてもらって、めでたく40歳になったら定年であとは有期雇用でやってよね、という都合のいい(しかし40歳前と40歳後をそれぞれそれ単体で見れば一応釣り合いがとれているような)仕組みを思いついたりするわけです。

誰が言っても正しいことは正しいし、間違いは間違い

「apesnotmonkeys」氏が、鬼の首を取ったみたいに、

http://twitter.com/apesnotmonkeys/status/225586642918965248

hamachan センセー、「3法則」氏から強力な援軍ですよ!

誰が言っても正しいことは正しいし、間違っていることは間違っている。こんな当たり前のことから言わなければならないのだろうか。

いうまでもなく、池田信夫氏にしろ、城繁幸氏にしろ、時には極めてまっとうなことを言う。最近では、さつき女史相手にあそこまでまっとうな議論を展開する城氏に感心したくらい。

たぶん、こんな当たり前のことが通じるのであれば、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-e993.html(利害関係者の発言を圧殺したがる思想)

というようなことを言う必要はなかったわけで。

ここに露呈しているのは、ものごとをその論理的筋道で「のみ」考えるのではなく、「誰」がそれを言っているかによって正邪の向きを平気で変えられる発想なのでしょう。

まさか大阪市と原発は別だなどという超ご都合主義の論理が通用するなどと思ってはいないのでしょう。まったくアイソモルフィックなのですから。

わたしは、議論の前提として、電力会社の社員であれ、大阪市の職員であれ、論理の筋道が同型的であれば、どちら向きであれ両者に同じ判断がなされるのは当然だろうと考えていたわけですが、そこのところが共有されていなければ、この言葉はまったく意味をなしませんね。

こういう論理形式ではなく主語に入る固有名詞でもって正邪を判断したがる症候群は、ネトウヨといわれる人々に特に顕著に見られますが、彼らだけではないということがわかります。

『労働法律旬報』7月下旬号

『労働法律旬報』7月下旬号が届きました。既に予告していたとおり、「労働組合による労働者供給事業の可能性」シンポジウムが特集です。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/776?osCsid=75885860875fdfe2faa7652c8bd3a9c1

[巻頭]学者の社会的責任考=和田肇・・・04
[シンポジウム]労働組合による労働者供給事業の可能性―非正規労働問題の解決に向けて・・・06
労組労供の実態=本田一成・・・07
労働者供給事業をめぐる法的論点=武井寛・・・16
労働組合による労働者供給事業の可能性―非正規労働問題の解決に向けて=橋元秀一・・・24
パネルディスカッション=橋元秀一+濱口桂一郎+山根木晴久+伊藤彰信・・・30
全日本港湾労働組合(全港湾)=伊藤彰信+山賀茂・・・40
介護・家政職ユニオン=小嶋真生・・・42
新産別運転者労働組合(新運転)=太田武二・・・44
電算労コンピュータ関連労働組合(コンピュータ・ユニオン)=横山南人・・・46

[研究]ドイツにおける偽装請負をめぐる法規制=高橋賢司・・・48
[解説]国公私学大学政策の転換へ=深谷信夫・・・57
[研究]外国労働判例研究189ドイツ/社会的選択の際の年齢グループと点数表―解雇制限法と一般平等取扱法との関係=佐々木達也・・・66
[紹介]一橋大学フェアレイバー研究教育センター57ウォール街占拠運動―新しい社会運動の可能性(上)=青野恵美子+高須裕彦・・・70

パネルディスカッションに私も参加しております。

是非ご一読いただければと存じます。

2012年7月19日 (木)

人事院公務員課長補佐研修の課題

本日、人事院公務員課長補佐研修の発表の部。課題は初任研修と同じく

1 「働ける人には所得保障よりもまず働いてもらうべきだ」という意見と「働ける働けないにかかわらず生きていける所得を保障すべきだ」という意見についてどう考えるか?

2 「学校は専門技術的な教育よりも普遍性のある基礎教育を重視すべきだ」という意見と「学校はもっと社会に出てから役に立つ専門技術教育を重視すべきだ」という意見についてどう考えるか

3 「正規と非正規の格差は早急に是正すべきだ」という意見と「拙速に介入すべきでない」という意見についてどう考えるか

うーむ。講評で曰く、

与えられたアジェンダ設定にそのまま素直に乗るんじゃない。いかにもこちらが正しいと言われそうな方に安易に乗るんじゃない。その問いの立て方がおかしいんじゃないか?とアジェンダ設定を問い返すことこそが、あなた方に必要なことなんじゃないのか。とりわけ、考えの足りない政治家やマスコミや評論家や場合によっては大学教授なんかが、安易なアジェンダ設定で議論の枠を狭く限ってしまっているときこそ、それをひっくり返す発想が必要なんだよ・・・。

って、思わず偉そうに言ってしまいましたがな。

2012年7月18日 (水)

松尾匡『新しい左翼入門』

2881672松尾匡『新しい左翼入門』(講談社現代新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

「乞御高評」とのことですが、わたくしには「御高評」はできないので、斜め後ろからの偏見に満ちた批評になってしまうと思いますが、御容赦をいただければ、と。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2881675

さて本書は、ひと言で言えば、近代日本左翼運動史です。それも、始めから終わりまでを、その昔のNHK大河ドラマ『獅子の時代』の主人公、苅谷嘉顕と平沼銑次の二人のタイプにきれいに仕分けしながら説明していくというストーリー。

第一部 「二つの道」の相克史 戦前編
 第一章 キリスト教社会主義対アナルコ・サンジカリズム――明治期
 第二章 アナ・ボル抗争――大正期
 第三章 日本共産党結成と福本・山川論争――大正から昭和へ
 第四章 日本資本主義論争――昭和軍国主義時代
 第五章 戦前における「下から」の事業的変革路線
第二部 「二つの道」の相克史 戦後編
 第六章 共産党対社会党左派・総評
 第七章 ソ連・北朝鮮体制評価の行き違い軌跡
 第八章 戦後近代主義対文化相対主義――丸山眞男と竹内好
第三部 「二つの道」の相克を乗り越える
 第九章 市民の自主的事業の拡大という社会変革路線
 第十章 「個人」はどのように作られ、世の中を変えるのか

アナ・ボル論争や講座派対労農派から戦後の共産党対協会派に至るまで、全部嘉顕と銑次で説明しようという、思想史としてはなかなか面白い試みなんだろうと思います。

ただ、正直言うと、いくつかの点、というより全体の作りそのものなんですが、不満を感じたところがあります。

一番大きいのは、これはそもそも題名がそうだからしょうがねえじゃん、と言われればそうなんですが、「左翼入門」でしかなくって、「社会主義入門」じゃない。ましてや「労働運動入門」じゃない。左翼のことしか出てこない。当たり前なんだけど。

いや、正確にいえば、途中でちょっと遠征して、賀川豊彦を取り上げたあたりで相当に広がりのある話になってるんですが、またぞろ左翼の狭っ苦しい世界に逆戻りしてしまう。

私の専門の労働の世界から言うと、ここに出てくる世界は、労働運動史の話の半分に過ぎないわけで、松尾さんの言う「銑次」の世界は、残念ながら労働運動史的には行動派っていうより、屁理屈こいてる理論派の変種なんですよね。ここには松岡駒吉も西尾末広も出てこない。いやそりゃ、左翼じゃないから当然なんだけど。

そして、出てくる連中のやってることって、理論派も行動派も、労働の現場とはほとんど関係がない。労働争議が出てくるのは、上記ちょっと左翼からはみ出した賀川豊彦のところだけ。野田醤油争議も出てこなければ、近江人権争議も出てこない。いやそりゃ、左翼じゃないから当然なんだけど。

というわけで、私の言ってることは、麗々しく「左翼入門」と謳っている本に対するものとしては、単なる難癖であり、ケチつけに過ぎないわけですが、そのために、残念ながらある動きが既存の見方でしか見られてないところがあります。

無産運動が急速に国家主義に傾いていくところも、当時のブルジョワ政党の無理解の中で無産運動にとって国家社会主義がリアルな改革の道だったことをきちんと指摘しておかないと、それこそ理論派の銑次さんはともかく、労働争議の現場でなんとかしようとしていた人々の事が分からないと思います。いや、本書でも坂野潤治さんの本を引用してちゃんと書かれて入るんですが、その切実さが伝わりにくいと思う。

も一つ、これも本当に難癖なんですが、日本の左翼業界の中の喧嘩ばかりが延々と続き、出てくる外国と言えば、ソ連、中国、北朝鮮・・・、いやまあ西欧の社会民主主義なんて「左翼」じゃないから(でも向こうでは平気でレフトとかゴーシュって言ってるけど)しょうがないんですけど、話が一直線に暗くなっていくんですよね。

で、そういうドツボってる左翼の世界とは違うのがあるんだよ、ってのが、突然合作社とか労働者協同組合とか、そっちに行く。いやこれも松尾さんが関わっているから当然なんですけど、その間に色々あるでしょう、というのがすっぽり抜けた感じがどうしてもしてしまうわけです。

やはり、それを「左翼」というかどうかは別として、本書で取り上げたような領域の問題をちゃんと考えるためには、ウィングももう少し広げていろんな社会主義運動やら労働運動やらを睨みながらやった方がいいのではないか、と、これはわたくしのまさに職業病的偏見からそういう感想を持ちました。

ちなみに、松尾さんのサイトでも本書が大々的に取り上げられています。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__120714.html(18日発売の新著は『左翼入門』!)

また、本ブログ上では今までも松尾さんの本や論説を取り上げてきていますので、この際、棚卸ししておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_2040.html(松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9944.html(松尾匡さんの右翼左翼論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_bd6d.html(松尾匡「はだかの王様の経済学」)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-7130.html(「市場主義に不可欠な公共心」に不可欠な身内集団原理)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-be58.html(松尾匡『不況は人災です』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-7471.html(松尾匡さんの人格と田中秀臣氏の人格)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-62b1.html(松尾匡『図解雑学マルクス経済学』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-4298.html(「ショートカット」としての「人類史に対する責任」@松尾匡)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-b671.html(松尾匡センセーの引っかけ問題に引っかかる人々)

武川・宮本編『グローバリゼーションと福祉国家』明石書店

Beb4124275774f21d3948c105039876871d もうすぐ7月20日に、明石書店から「講座 現代の社会政策」第6巻として武川正吾・宮本太郎編の『グローバリゼーションと福祉国家』が刊行されます。

http://www.akashi.co.jp/book/b103003.html

私は第3章の「EU社会政策とソーシャル・ヨーロッパ」を執筆させていただいております。

他の執筆陣(左の表紙に辛うじて読み取れますが)の田端博邦、安里和晃、上村泰裕、今井貴子、鈴木一人といった方々の論考も、もちろん編者の論文も、まだ読んでませんけど、たぶん興味深いと思われます。

「取扱」と「取扱い」(テクニカル)

大内伸哉さんが、法改正のコストという話の最後の部分で、労働基準法の表記の乱れを指摘しているのですが・・・、

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-4773.html(法律の改正のコスト)

連休は,こんなに好天なのに,研究室にこもって,本の執筆をしていました。その作業において,労働基準法などの改正履歴を調べていたのですが,・・・

どうせなら,3条の「差別的取扱」と4条の「差別的取扱い」の表記の統一くらいしてくれればいいのですが。これなら他に迷惑をかけませんし。

これだけ読むと、何で隣同士のよく似た規定でわざわざ違う表記をしているんだ、だから役人という奴は・・・と思われる方もいるかと思いますが、実は、戦後1947年に労働基準法ができたときには、両方とも「取扱」でした。

それじゃ、一体いつこんな莫迦な改正をしたのかといいますとですね、

1997年に、なぜか日本国の法律の「男子」「女子」って言葉はよろしくないので、すべからく「男性」「女性」に替えるべし、という号令がありまして、よってもって労働基準法第4条は

第四条  使用者は、労働者が女子であることを理由として、賃金について、男子と差別的取扱をしてはならない。

から

第四条  使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱をしてはならない。

に改正されてしまったのですが、そのときに、ふにゅっと「い」が入り込んだんですね。

これだけ「女子会」の流行る今日、なぜ「女子」がいけなかったのか、もはや歴史の彼方のことで判然としませんが、それはともかく、その時その時の法制局の送りがなの付け方のルールが、たまたまその時に改正された条項単位で変わっていくということから、こういう一件不思議な現象が起こるわけです。

今日の歴史秘話でした。

2012年7月17日 (火)

課長補佐級研修

本日、人事院公務員研修所で課長補佐級研修の講義。

初任研修は最近、権丈善一先生と一緒の組み合わせになることが多いのですが。こっちはこじんまりと1組だけなので、再会はなし。

冒頭、日頃細かい作業に追われているだろうけど、せっかくだから広く深く考えようと言っておいたら、質疑で思いもよらぬぶっとんだ質問が飛んできましたな。

しかし入間市も暑かった。

大学院の重点化が、名門校の博士の増加につながり、それが中堅校以下の学生と教員を共に不幸にしている図式

「現代ビジネス」で、大学研究家の山内大地さんが中堅以下大学の現実について語っています。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33026

今や定員割れの大学が4割です。定員を満たさないと赤字経営なので学力に関係なく定員を満たすことが目標となっています。授業についていけない子供も大量に受け入れていますので、2-3割の中退率となってしまっている大学が出ています

という実態を面白おかしく語ってみても、肝心の学生たちをどう救うのか、という話抜きでは何の意味もありません。そこで、ざっくりと問題の本質に斬り込みます。

ーー定員割れしているような大学は、手に職をつけてあげる専門学校になるべきではないでしょうか?そうならない最大の原因は何でしょうか?

「教授たちのプライドですね。中堅以下の私大でも教授たちは東大や一橋の博士号を持った連中です。学力不足の学生たちに自分たちがトップ校で受けてきた教育をやっています。その結果、教員も学生も双方不幸な教育となっていると言ってもいいでしょう。学力に合っていない講義を延々とされても学生はおもしろくありません。その結果中退してしまうのです。

ただ、実は偏差値下位校では実践的な教育がもう始まっています。多くの女子大もそうだし、医療系の大学や看護・リハビリや保育や栄養といった分野もそうです。そういった大学は人気もあるし就職もいい。問題は偏差値下位校の経済学部とか英文学部とかです。ここの学生に対する需要は厳しい。

ーーなぜそれらの大学はそのままなのか?専門学校的に焼き直さない特別の理由があるのでしょうか?

「残念ながら、そういう手腕のある経営者が大学業界には多くありません。志願者が減り、就職率は悪化し、経営が厳しくなっていますのにどうしたらいいかわかっていない経営者が多いのです。

もう一つは、経営者が気づいているが教授会が反発して改革ができない事例です。こういう事例が山の様にあるのです。

ーー経営者と教授会の問題、正直どちらが多いでしょうか?

「教授会の反対で改革できない大学の方が多いと思います。教授会が人事権を持っていますから、大学経営のガバナンスがきいていません。彼らの多くは変わりたくないのです。ハーバードの先生が言っていましたが、『大学教授は自分が受けてきたように学生を教育する』といいます。一流大学で博士号を取った人材が、学力のない学生たちに合わせた教育ができないのは当たり前なのかもしれません。

ではなぜこんなことになったかというと、文部科学省のある政策に原因がある、と。

文科省の失敗は大学院を重点化してしまって、修士や博士を増やしてしまったことです。多くは自分の出身校でポストを得られませんし、日本の企業も理系の特定の分野でもない限り博士号取得者を欲しがりません。よって、一流大学の博士が下位校に大量に行ってしまい、不幸な循環を作り出したのです。後、大学を認可し過ぎたのです。20年で200校も増やしてしまいました。

ボリュームゾーンである中堅・中堅以下の大学では「4割が正社員になれない」時代が始まっています。下手をしたら、彼らは結婚して子供を養っていくことができないかもしれない。すでに低い日本の出生率が今後さらに下がってしまう可能性が大きい。

大学院の重点化が、名門校の博士の増加につながり、それが中堅校以下の学生と教員を共に不幸にしている図式もとても残念だ。

昨日、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-2e13.html(「学修」大学とやらではなく、職業訓練大学校こそが必要)

で、

はじめから絶対に役に立たないことだけは太鼓判付きの大学教育とやらを、今のような信じがたいような膨大な規模で、親に大変な教育費負担をさせたり、本人の将来に奨学金という名のサラ金債務負担をずっしりと掛けることによって維持することの国民経済的「無駄さ」に比べれば、「多くの人に職業訓練を施せば」という状態に達するにはまだまだ遥かに遠い職業教育訓練を、しかも職業訓練受講者に対する労働市場政策としての補助によってその親や本人の未来に無駄な債務負担を負わせることなくやれることのメリットを、客観的に観察すれば、そういう無駄な大学教育のはじっこで必死に飯を食っているというポジションが言わしめている人々を除けば、自ずから答えは明らかなように思います。

と述べた、その人たちも、ある意味では文部行政の(それでもその後のそういう地位にありつけなかった人々に比べれば遥かに運のいい方の)犠牲者なのかも知れませんね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html(経済学部の職業的レリバンス)

2012年7月16日 (月)

マシナリさんのぼやき続編

被災地で三連休もおちおち休めない地方公務員のマシナリさんが、現実感覚の欠如したのんきな議論をぶっているある種の人々へのぼやきを引き続き綴っています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-523.html(財政政策という実務)

「財政政策でバラマキ」とかいって「財政政策なんか効果ない」とおっしゃる方には「財政政策=公共事業」と思いこんでいる方が散見されますし、リフレ派と呼ばれる方々もその例外ではないように思います。・・・

いやもちろん、飯田先生も社会保障費が日本の財政の中でも大きな割合を占めていることはご存じなのでしょうし、「財政支出の中身を変えるというのが可能かどうかがポイント」というのもその通りだと思いますけれども、新古典派を基礎とするマクロ経済学がご専門の飯田先生にとっては、社会保障にかかる保険料や現物給付はあくまで経済に対する桎梏であって、それが「財政政策」であるという認識をお持ちでないのかもしれません。・・・

たとえば、飯田先生が「財政政策=公共事業」と考えているかは別として、公共事業の多寡によって財政政策の効果を計るというのは、それがいわゆる「日本型雇用慣行」のもとである時期まで企業を通じた社会保障がそれなりに機能していて、特に地方では建設業に従事することによってしか生活保障を得ることができなかった実態に即したものであれば、それなりに意味のある研究だったのだろうと思います。しかし、周知の通り地方では公共事業の削減により建設業に従事しても生活保障が得られない状況となり、「日本型雇用慣行」の傘から漏れる非正規雇用が増加し、その結果として、公共事業という財政政策による「経済の安定」と「資源の効率的な配分」と「所得の公平な再分配」が期待できなくなったというのが現在の状況なのではないでしょうか。

でまあ、上記リンク先の通り、現在の一般会計歳出で最もシェアが大きいのは社会保障ですので、これをいかに経済に望ましい影響を与えるように再分配するかというのが財政政策の肝であって、同時に財政政策を通じた経済政策を論じることになるものと個人的には理解しております。たとえば、権丈先生はこれを「積極的社会保障政策という景気対策――社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろう」とおっしゃっているのだろうと思いますし、次の文章が私が一部のリフレ派と呼ばれる方々と距離を置く決定的なきっかけともなりました。

・・・・・・・・・・

リンク先のファイルには、この後で正統的なケインズ経済学についても述べられているので、「本来のケインズ主義」について疑念をお持ちの方にもご一読をおすすめします。

わたくしからもご一読をおすすめします。拙著如き素人の著作に文句言ってるよりもお役に立つでしょうし。

個人的な理解ですが、社会保障である医療や福祉、介護、保育、教育などはすべて対人サービスであって、それを現物支給するによって雇用を増やすということは、公共サービスの現場にいる者として実感するところでもあります。雇用を増やすということは、その分だけ所得を得る人が増えるわけでして、さらに賃金アップでその待遇を改善することによって所得を増やすことが可能です。つまりは、現物給付による社会保障の拡充が生活保障を与えて将来不安を軽減し、貯蓄から消費への転換を促すとともに、三面等価の原則によりその消費のむかう側や現物給付を担う側にとっても所得を増加させるという両側面から、国民所得を増やす効果が期待できるということではないかと。ついでにいえば、三面等価の原則は付加価値というフローにあてはまるものであって、それをストックである国債によって賄うべきものではないことはいうまでもないでしょう。

まあ私の個人的な理解はともかく、「フロー財源である税金による財源調達→財政政策としての社会保障の拡充による消費および所得の増加→経済成長」という循環は、別にリフレーション政策と対立するものではないと思いますが、こうした財政政策に対する見解がリフレ派と呼ばれる論者によってバラバラすぎて、中には公然と財政政策を批判する方(職業訓練などの積極的社会保障政策はもちろん、人件費という政府支出も批判の的ですね)もいらっしゃるために、拙ブログでは「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させ」るような一部のリフレ派と呼ばれる方々を批判させていただいているところです。

まさに「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させるような一部のリフレ派と呼ばれる方々」のことを、思考経済のためのラベルとして「りふれは」と呼んでいるわけですが、なぜかそうじゃない「リフレ派」までがあたかも自分が攻撃されたかの如く憤慨して筋の拗れた反発をされるので、なかなか難しいところです。

この先は、「りふれは」ではないですが、労働とか社会保障といったことに対する敵意では誰にも負けない方へのコメントが続きますが、これまたいろいろな思いが・・・・。

利害関係者の発言を圧殺したがる思想

NHKの報道ぶりもひどいものですが、なにより、こういう利害関係者の発言を圧殺したがる思想が何の疑いもなく平然とまかり通ろうとすることに対して、およそ日頃人権だの何だのという言葉を振り回す人ほど鈍感そうに見えることが一番恐ろしい、と思わないのだろうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120716-00000071-jij-bus_all(電力社員、連日の原発擁護=「やらせ」批判も―政府の意見聴取会)

政府は16日、将来のエネルギー政策に関する3回目の国民の意見聴取会を名古屋市で開いた。前日の仙台市での聴取会に続き、電力会社社員を名乗る男性が、原発を擁護する意見を表明。会場から「やらせだ」「回し者」といった批判が飛んだ。

こういう「批判」をする人は、例えば大阪市で当の公務員が何かを語ろうとしても「やらせだ」「回し者」と言うのでしょうね。

まさか大阪市と原発は別だなどという超ご都合主義の論理が通用するなどと思ってはいないのでしょう。まったくアイソモルフィックなのですから。

(どっちも圧殺して当然と考えている人々には特に言うべき言葉もありませんが)

(追記)

http://twitter.com/apesnotmonkeys/status/224867406584094720

単に「利害関係者」が公に発言するというはなしと、たった9人しかいない発言者の中に「利害関係者」が突っ込まれるというはなしとはまるで違う。

なるほど、大阪市の職員の処遇の問題について公聴会をする際に、「たった9人しかいない発言者の中に(市職員という)「利害関係者」が突っ込まれる」のについても、まったく同じことを仰るということなら了解です。

あるいは、せっかく「apesnotmonkeys」さんのご発言ですから、南京事件でも何でもいいですけど、やはり「たった9人しかいない発言者の中に「利害関係者」が突っ込まれる」のについても、まったく同じことを仰るという理解をさせていただいて良いなら、それで結構です。

もちっと言えば、ナチスがユダヤ人をどう扱うべきかの公聴会に、「たった9人しかいない発言者の中に(ユダヤ人という)「利害関係者」が突っ込まれる」のはどうかとか。

たぶん、第一次大戦後の不況失業の中でユダヤ金融資本の陰謀(!)を憎んでいた善良なドイツ人たちは「良くまあいけしゃあしゃあと」と呆れたでしょうけど。

(再追記)

http://twitter.com/smasuda/status/224880601923207168

電力会社の社員は市民として意見を主張できる機会が与えられるのに、市役所の公務員には市民として意見を主張できる機会が与えられない。

だから、電力会社の労働者から発言権を剥奪せよ、ということが、ますます公務員の市民としての権利を奪うロジックをより強固にしていくわけです。

「民意」の暴政とはそういうことです。

http://twitter.com/taimatu1/status/225016982372745216

体制側の意見を市民の衣をかぶって公聴会に潜り込ませる策謀は批判されて当然。大阪市の例を挙げるなら、維新の会の議員が公聴会で「一市民として」橋本市長への賛同を述べた場合が相当するのでは

いうまでもなく、維新な人々の目には、労働組合ってのがどうしようもない利権に包まれた「体制側」に見えているのですよ。在特会な人々の目に、なぜか「在日」の「特権」なるものが見えているように。そして、誠実なナチスの人々の目に、ユダヤ人も・・・。

正義の名の下に「鉄槌」を振り回す人々は、主観的には常に反体制側で孤独な戦いをしているのです。常に相手方が権力と結託して陰謀を企んでいるように見えるのです。

だからこそ恐ろしいのです。自分を「反体制」だと信じ込んで行動する人々は。

(ご参考までに)

http://twitter.com/TakagiJinza_bot/status/224838147803066369

原子力問題をやっていると、原子力賛成・反対を唯一の基準に、人の価値を評価したり、運動を評価したりする人に多く出会う。推進側・反対側双方にそういう面がある。

(要するに)

http://twitter.com/kurokawashigeru/status/225247243685470208

利害関係者の発言を圧殺したがる思想  全くだ。9人の公聴人の1人が電力会社の社員だからってどうにかなるもんですか。飯田哲也氏が元々原子力村にいた人間ではないかと排除しますか?そういう場面でも堂々と反駁できる市民の力が大事なんじゃないですか。

という発想もあれば、

http://twitter.com/t_ishin/status/223431021067112449

どこの民間企業で、社員の所属を明示しながら個人の意見をテレビでしゃべる企業があrのか。肩書を名乗らず、一市民として述べるのは良いだろう。堂々と所属を明示して、そして教育論ではなく、特定の政策について反対表明をするとは、それは身分保障に甘えた常識知らずの行為。

という発想もあるということのようです。

「身分保障に甘えた常識知らずの行為」というのが「良くまあいけしゃあしゃあと」ってことなんでしょうね。まことにアイソモルフィック。

「学修」大学とやらではなく、職業訓練大学校こそが必要

結構話題になっているようですが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120713-OYT1T00440.htm(高等教育修了者を95%に…民主次期公約へ)

また、全国約800の大学を「学修大学」と「研究大学」に分けて機能を強化し国際競争力を高める。さらに、同学年の約70%にとどまる高等教育修了者を増やすことで、若年失業者を現在の約10%から3%へ減らす目標を掲げた。

高等教育・・・というよりも国際的により正確な言い方は中等後教育(ポスト・セカンダリー・エヂュケーション)でしょうが、それを拡充しようということ「自体」は、一部のついーとやはてぶでからかわれているようなおかしな話ではなく、むしろ世界共通に目指されていることです。

かつ、そういう社会の圧倒的マジョリティが進む中等後教育を、すべて研究が中心などという馬鹿げた迷妄から脱却させようという方向性自体も、それ自体としては必ずしも間違っているわけではない。

問題は、その中等後教育の中核を占めるべき、そしてOECDの累次の報告等で明確に職業教育訓練機関と明示されているその教育機関を、

学修大学

などという意味不明の用語でごまかそうとしているところにあると言うべきでしょう。

「学修」ってなあに?

http://search.nifty.com/websearch/search?select=2&ss=nifty_top_tp_hst&cflg=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&q=%E5%AD%A6%E4%BF%AE%E5%A4%A7%E5%AD%A6&otype=web_nifty_1

研究機関には到底及ばない、

しかし職業教育訓練機関としても役に立たない

そんな中途半端な「高等」と称する低級教育機関を作ってどうする気なのでしょう。

やはり、ここはもう一度、OECDの忠告を熟読する必要があるようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-37fe.html(非大学型高等教育)

今後の大学は高等教育を提供する唯一の機関としての独占的な役割を担うことはない。多くの国では、高等教育レベルの学生の3分の1以上は大学以外の高等教育機関に在籍している。またいくつかの国においてはそれは半数以上になっている。・・・

p32-33の表1.1を見ると、たとえばオランダでは高等教育全体の入学者のうち高等専門学校が62%、フィンランドではポリテクニクが42%といった状況です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/oecd2011-951a.html(OECD対日経済審査報告書2011年版)

ここでもまた、大学ってのは高邁なる学術の奥義を究めるところじゃ、職業などという汚らわしいモノは入れるなという空中浮遊的理想主義のなれの果てが、新聞も見たことがない、文庫本も新書本も分からないような大学生たち相手に、ただ経済学大学院修了者にもっともらしい雇用機会を創出するという目的のためだけに、四則演算だけで経済学を教えるような現実を日々生み出し続けているわけですね。

そういう理想主義の徒輩とともに、OECDが要請する公的職業教育訓練をひたすら攻撃してやまないのが、上でOECDが指摘する(これまで公的職業教育訓練の必要性を抑制してきた)長期雇用慣行を攻撃する人々でもあるという皮肉も、まことに日本的な現象といえましょう。いや、下層階級は無技能のままおいておいた方がいいという判断からであればまことに整合的な主張ではありますが。

(追記)

こういうとすぐにこういう批判が来るのですが、

http://twitter.com/yasudayasu_t/status/224817003465158656

多くの人に職業訓練を施せば職業訓練は殆ど就職の役に立たないだろう(専門的職能が必要な産業の需要は限られるし、一般的職業訓練を皆が受ければ付加価値は無きに等しくなる)。やはり大学でやるのは無理あるんでは

はじめから絶対に役に立たないことだけは太鼓判付きの大学教育とやらを、今のような信じがたいような膨大な規模で、親に大変な教育費負担をさせたり、本人の将来に奨学金という名のサラ金債務負担をずっしりと掛けることによって維持することの国民経済的「無駄さ」に比べれば、「多くの人に職業訓練を施せば」という状態に達するにはまだまだ遥かに遠い職業教育訓練を、しかも職業訓練受講者に対する労働市場政策としての補助によってその親や本人の未来に無駄な債務負担を負わせることなくやれることのメリットを、客観的に観察すれば、そういう無駄な大学教育のはじっこで必死に飯を食っているというポジションが言わしめている人々を除けば、自ずから答えは明らかなように思います。

(追記)

「socioarc」さんのコメント:

http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/

今の時点では企業側が大学の教育内容に期待していない(ただし調査力や論理的な思考力といった汎用能力についてはそれなりに期待している)から鶏と卵なんですが、職業訓練大学校を一気に増やせば、意外と状況は変わるかもしれませんね。例えば、研究業績などから20大学ぐらいのみを選抜して、研究とリベラルアーツ中心のエリート大学にし、後は全部、職業訓練大学校に転換すると、超一流企業はそれでも大学のみから採用するでしょうが、普通の企業は職業訓練大学校からしかほとんど採用できなくなるので、多少なりとも業務との関連性を気にするようになるし、訓練内容にも口を出したくなると思います。

だから、「日々紹介」とは実態は「登録派遣」なんだが・・・

水谷さんの「シジフォス」に、「労働新聞」7月16日号の興味深い記事が引用されているので、紹介かたがた・・。

http://53317837.at.webry.info/201207/article_17.html(日々雇用でない配膳人の紹介手数料が違法とされた)

栃木県内のホテル経営会社が、配ぜん人を紹介した有料職業紹介会社に対し、「初回を除いてあっせん行為が行われた事実はない」として過去9年間の求人受付手数料および紹介手数料合計約1,000万円の返還を求めた裁判で、宇都宮地方裁判所大田原支部が、原告の主張を全面的に認める判決を下した、との報道などは、実に「画期的」な判決なのだが理解いただけるだろうか。裁判所は「配ぜん人は紹介会社の主張する『日々雇用』ではなく期間の定めのない雇用である」と判示したのだ。

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「労働新聞」の記事自体はリンク先をお読みいただきたいのですが、これを見て、拙著『新しい労働社会』をお読みいただいた方は、「はあぁ、あれか」と思われたことと思います。

そうです。この日雇い型紹介という法形式は、まだ派遣法が存在せず、職業安定法により労働者供給事業が労働組合を除いて全て禁止されていた時代に、まごうことなき労働者供給事業を有料職業紹介事業でございますと称してできたものなんですね。だから、日々紹介と言いながら、本当は毎日紹介していなかったわけで。

臨時日雇い型有料職業紹介事業
 もう一つ、実態として極めて登録型派遣事業に近いのが、家政婦、マネキン、配膳人といった臨時日雇い型の有料職業紹介事業です。これらにおいても、求職者は有料職業紹介所に登録し、臨時日雇い的に求人があるつど就労し、終わるとまた登録状態に戻って、次の紹介を待ちます。ところが、こちらは職業紹介という法的構成を取っているため、就労のつど紹介先が雇い入れてフルに使用者になります。実態が登録型派遣事業と同様であるのに、法的構成は全く逆の方向を向いているのです。これは、占領下の政策に原因があります。
 もともと、これらの職種は戦前は労務供給事業で行われていました。ただし、港湾荷役や建設作業のような労働ボス支配ではなく、同職組合的な性格が強かったと思われます。ところが、これらも職業安定法の労働者供給事業全面禁止のあおりを受けて、弊害はないにもかかわらず禁止されてしまいました。一部には、労務供給業者が労働組合になって供給事業を行うケースもありました(看護婦の労働組合の労働者供給事業など)が、労働組合でなくてもこの事業を認めるために、逆に職業紹介事業という法的仮構をとったのです。
 しかしながら、これも事業の実態に必ずしもそぐわない法的構成を押しつけたという点では、登録型派遣事業と似たところがあります。最近の浜野マネキン紹介所事件(東京地裁2008年9月9日)に見られるように、「紹介所」といいながら、紹介所がマネキンを雇用して店舗に派遣したというケースも見られます。マネキンの紹介もマネキンの派遣も、法律構成上はまったく異なるものでありながら、社会的実態としては何ら変わりがないのです。その社会的実態とは労働者供給事業に他なりません。
 このように、登録型労働者派遣事業、労働組合の労働者供給事業、臨時日雇型有料職業紹介事業を横に並べて考えると、社会的実態として同じ事業に対して異なる法的構成と異なる法規制がなされていることの奇妙さが浮かび上がってきます。そのうち特に重要なのは、事業の運営コストをどうやってまかなうかという点です。臨時日雇い型有料紹介事業では法令で手数料の上限を定めています。労働組合の労働者供給事業は法律上は「無料」とされていますが、組合費を払う組合員のみが供給されるわけですから、実質的には組合費の形で実費を徴収していることになります。これと同じビジネスモデルである登録型派遣事業では、派遣料と派遣労働者の賃金の差額、いわゆる派遣マージンがこれに当たります。正確に言えば、法定社会保険料など労働者供給事業や有料職業紹介事業では供給先や紹介先が負担すべき部分は賃金に属し、それ以外の部分が純粋のマージンというべきでしょう。この結果明らかになるのは、派遣会社は営利企業であるにもかかわらず、臨時日雇い型紹介事業と異なり、その実質的に手数料に相当する部分について何ら規制がないということです。派遣元が使用者であるという法律構成だけでそれを説明しきれるのでしょうか。

夜間大学院

こういうツイートを見て、

http://twitter.com/odg67/status/224634001149792256

生涯教育の充実ということを考えたら、特に大都市圏の大学の一部が、午後から夜間に授業を行う教育機関に少しずつ移行するというようなシナリオはありだと思います。社会人の方がレイトショーをみるように大学で授業を受けるわけです。難しいとは思いますが。

既に、大学院ではそういう試みがあるような。

ていうか、この9月から法政大学の公共政策大学院で教えることになっているんですが、時間割が6限と7限の夜間コースなんですね。

http://www.hosei.ac.jp/gs/kenkyuka/kokyoseisaku/index.html

https://syllabus.hosei.ac.jp/web/preview.php?no_id=1261247&nendo=2012&gakubu_id=公共政策研究科&radd=105

平日は夜間の6,7限で、土曜が全日というまさに「定時制」で、勤労青少年(及び中年)のための大学院ということなのでしょうか。

hamachanの批判は的外れ?

昨日追記で紹介した今野晴貴さんのエントリに、こういうコメントがつきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-f253.html(高福祉、低命令、低処遇)

http://blogs.yahoo.co.jp/perspective0301/archive/2012/7/15(ブラック企業問題の本当の論点 )

※書いていることは、ほとんど異論ありません。しかし、ブラック企業というある種のスラングを正確に定義するという方向性には違和感があります。むしろ、ブラック企業という言葉はそれがスラングであるかぎり、曖昧なものであり、そこに意義があるのではないでしょうか。正確な定義としてあげられているものは、なぜブラック企業という言葉が人口に膾炙したかの説明にはなりますが、それ以外の含意を否定する根拠にはならないと思います。なにが言いたいかというと、要はブラック企業という言葉の等価性の連鎖の可能性を、こちらから限定してしまう必要はないということです。その意味では、hamachanの批判は的外れだと思います。検討してみてください。

「hamachanの批判は的外れ」と言われて、今野さんが「検討」するのも変なので、私が検討すべきなのでしょう。

実をいえば、わたくしは広く社会一般において「ブラック企業というある種のスラングを正確に定義」しようとしているつもりはなく、単に労働問題で使われるようになったこの言葉が指している現象の構造を分析しているに過ぎません。

労働問題よりもこっちの問題の方が大事だ!と思っている人が、そのより大事な問題において批判されるべき企業の類型をブラック企業と呼ぶことを禁止できるはずもないし、そんな言葉の取り合い自体無意味でしょう。

問題は、そういう問題意識の異なる多義的な「ブラック企業」という言葉を、あたかも単一の意味を有する言葉であるかのように、単一の悪さの基準で測ったものであるかのような装いの「ブラック企業大賞」というイベントに使用することの是非なのでしょう。

わたくしは、ある種の人々にとって、労働問題などというみみっちい話なんかよりも、原発事故を起こした東京電力こそが最大限に糾弾されるべきであると考えられていることを、それ自体として否定する気はありません。そういう人々が、そういうけしからなさを「ブラック企業」という言葉で表現することも否定すべくもありません。

しかし、そういう「同床異夢」のブラック企業という言葉を同じ「床」の上で使ってしまうと、まさにいまそのブラック企業大賞2012で起こりつつあるような、労働問題としての問題意識が拡散してしまうという事態が不可避的に発生してしまうわけです。

「ブラック企業という言葉の等価性の連鎖の可能性を、こちらから限定してしま」わなければ、そういう拡散現象が起こるとすると、言葉自体の使用を制限することなどできない以上、「床」の限定が必要なのではないか、と思っているだけなのです。

我々は正しい。我々が正しいことを訴えていれば人はついてくる・・・

yellowbellさんの、じわりとくる一文。

http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/11539586232116326439

我々は正しい。我々が正しいことを訴えていれば人はついてくる。その我々に大衆の支持を得るために迎合せよ譲歩せよと言うのは、我々の正しさを堕落させる甘言にすぎない。正しさは自明であり、自明である正しさは不動である。正しさが人に寄るのではない。人が正しさに寄るのである。人は誤るが、正しさは誤らないがゆえに正しさであるのだから。

 
などと昔よくアジってた先輩と、ふとしたことで飲みに行った。

 
社外に出て専従になって、戻ろうにも前の職場はなくなり、いまさらやり方のすっかり変わった仕事を憶えなおす気力もないし、そもそも顔を知る人も少なくなって、50代を越してわかる迎合や譲歩と忌避してきたバランスの大切さだよなあと笑っておられた。

ある年代以上の人々にとってはおそらくこういう分野のこういう形の経験として、それより下の年代の人々にとっては、もはやこの領域においてこういうシチュエーションというのはほとんどなくなってしまっているけれども、それとはまったく違う領域で、まったく違う姿を取って、しかしながら本質的にはまったく同じこの台詞が語られ続けているのでしょうね。

曰く:

我々は正しい。我々が正しいことを訴えていれば人はついてくる。その我々に大衆の支持を得るために迎合せよ譲歩せよと言うのは、我々の正しさを堕落させる甘言にすぎない。正しさは自明であり、自明である正しさは不動である。正しさが人に寄るのではない。人が正しさに寄るのである。人は誤るが、正しさは誤らないがゆえに正しさであるのだから。

と。

いや、どの領域のどういう人々が・・・ってのは、読者がそれぞれに脳裏に思い浮かべていただければ・・・。

2012年7月15日 (日)

政党支持によるロックイン効果

黒川滋さんが

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2012/07/715-dac8.html(多様な政党支持のある労働組合であっても政党支持していけないものか)

話を戻すと、団体が構成員の政党支持の分布にしたがって政党支持を放棄するということは実にナンセンスな話で、団体が政党との間の政策や理念との取引の過程で、特定の政治家や政党を推薦したり支持したりすることを意思決定することは民主主義社会のなかでは当然の行為であろうと思います。むしろ団体に政党を支持してはならないという前提をつくることが、複数政党制を否定するか、政党との協議より役所に陳情することが常態化した官僚支配の国か、アメリカのにようにすべてが経済的な自由競争の論理で説明づけるような社会運営をしている国でもなければありえない現実です。

ヨーロッパの民主主義は社会を構成するさまざまな階層や要求を前提にした団体が政治参加して、その団体ごとの要求や政策を政党間での協議で調整しながら社会を運営していて、これは日本国憲法が否定するような社会体制ではありません。
また団体が特定の政治家や政党を支持することを運動とすることは、団体による運動の思想を啓発する役割もあり、こうした働きかけがなければ、社会を変えていくなどということはありえなくなります。

と述べていて、その趣旨は分からないではないですが、逆に労働者のための政策をちゃんとやってくれるかどうか怪しいような政党をうかつに全面支持してしまうと、支持された方は票が入るのは当たり前と全然感謝もしないままほかの方面からの支持を求めてあらぬ政策に熱中し、支持している方が今更ほかに票を回せないものだから、トンデモな政策を目の前でやられながら効果的にコントロールもできないというロックイン効果が生じるのではないでしょうか。「釣った魚に・・・」なんて思われるようでは、やはり政治的にインテリジェントとはいいがたいように思います。

そうならないためには、へたに「政党」まるごと支持してしまうのではなく、「政策」で支持するか支持しないかを考えさせていただく、という態度を(少なくとも建前としては)取らないと。

上西さんの授業でハロワの解説後篇プラス

先日の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-0156.html(上西さんの授業でハロワの解説)

の続きを、引き続き上西さんのツイートからトゲ

http://twitter.com/mu0283

ハロワ26:同じ業界にどのような企業があるかを知るには業界団体のHPを見るといい。企業HPからリンクしている場合もあるし、「食品」「業界団体」などと検索しても見つかる。業界団体傘下の企業の求人情報を調べる。また、業界団体自身がHPで求人している場合も。

POSSE1:この春に入社した新入社員からも既に数十件の相談がPOSSEに寄せられている。パワハラ、長時間労働、サービス残業など。うつ状態に追い込まれる新入社員もいる。労働基準局やハローワークで相手にしてもらえなくてPOSSEに来ているケースも。

POSSE2:悪質な求人の例としては80時間の時間外労働を組み込んだ額を初任給のように提示していたケースがある。時間外労働が80時間に満たない場合の最低支給額は123,000円。(大庄店員過労死事件

ハロワ27:ハロワ求人でトラブルがあればハロワにぜひ相談してほしい。ハロワ以外の求人で東京であれば「東京都ろうどう110番」で相談に応じている

ハロワ28:相談の際は具体的な記録がある方がいい。給与明細書や、何月何日に何時から何時まで残業した、どの上司からどういう言動があった、などのメモなど。手帳につけた記録でも大丈夫。

ハロワ29:問題のある求人は受付時にチェックしている。特に新卒求人は丁寧にチェックしている。ただし、問題があると特定が難しい求人もある。裁判で負けるなど、明らかに問題がある企業の求人は受付を拒むことができるが、それ以外の場合は対応が難しい。

ハロワ30:退職を勧められてもすぐに退職願いを書かないことが大切。自己都合退職と解雇では失業給付を受け取れる期間、受け取れる額に大きな違いがある。とにかく書類はその場で書かずに持ち帰って専門家に相談すること。

総括1:というわけで、ハロワの求人も信頼度100%ではないものの、問題がある場合は相談に応じる体制はある、また、問題がある場合には記録をつけて相談に来てほしい、という感じで話はおしまい。

総括2:おそらくPOSSEの話を聞くだけだと学生は「働くって怖い・・嫌だ・・」となる。ハロワの話を聞くだけだと聞き流してしまう。

総括3:働かせ方に問題がある企業もある、その中でどう求人情報を読み解くか、という姿勢を持つにはPOSSEとハロワ、双方にいていただいた今回の企画は良かったと考えています。

総括4:学生の当日レポートには、「就活は自分ひとりだけでするものと思っていたが相談することが大切」「焦って求人票を軽視しないよう気をつけたい」「情報の量より、どれだけ自分が疑問をもてるか、おかしいなと思えるかのほうが大切」

総括5:「情報を正しく理解し、また自分がよく学習することで相手に『いいように使われない』ことの大切さを再確認」「情報を分析する時には、労働に関する知識が不可欠となるので、労働時間、休暇制度などの知識をきちんと持っていることの重要性を改めて感じた」などの感想。

総括6:他方で「現職で仕事を続けたいという気持ちで労働条件を改善していくにはどうすればよいのか」「職場内での残業やパワハラ等に関する悩みは・・結局は自分自身がどこまで我慢できるかにかかると思う」という記述も。

総括7:今回は組合の役割には踏み込めなかったので、後期の授業には組合の方に来ていただこうと思います(翌週授業ではそういう場合こそ組合が・・と短くフォロー)。ご協力いただいたハロワ職員さん、POSSEスタッフさん、ありがとうございました。

ということで、大変ためになる授業だったようです。

なお、昨日大学院にやはりPOSSEの川村さんを呼んで話をさせたようで、そのトゲもついでに、

今日はPOSSE事務局長の川村遼平さんを大学院の授業にお迎えして、若者雇用の現状と課題、高校・大学における労働法教育へのPOSSEの関わり、などについてお伺いしました。3時間、密度の濃い内容をお伺いしたのですが、若干だけ紹介。

川村さんの暫定的な定義によればブラック企業とは「(正社員で募集をかけ)長期雇用を匂わせているにもかかわらず、労務管理や雇用条件などが原因で多くの人にとって長年勤めることができない企業や法人」。日本型雇用が内包していたブラックな面が全面化されたのがブラック企業。

正社員が「長年勤めることができない企業」は企業として存続できないのでは、という見方もあるが、川村さんによれば外食、小売、アパレルでは業務がマニュアル化されていて正社員がクリエイティビティを発揮する余地がなく、非正規が大半でも回せる職場があり、

そういう企業では正社員が数年で入れ替わっても企業として存続しえてしまう、とのこと。そのため自浄作用が働きにくく、そういう企業が市場から淘汰されにくい。だから若者自身が声を上げることが大切である、とのこと。

またPOSSEが高校・大学などで話をする際には、「4つの合言葉」を伝えるそうです。(1)会社の言うことがすべてではない。(2)あきらめない自分を責めない。(3)「おかしい」「つらい」と思ったら専門家に相談しよう。(4)証拠・記録を残そう。

(1)会社の言うことがすべてではない: たとえば選択肢は2つだ、給与の引き下げを了承するか、辞めるか、どちらかを選べと言われても、会社側の言い分にとらわれる必要はない。「どちらも嫌だ」はアリ。

(2)あきらめない自分を責めない: 自分に反省すべき点があるとしても、それと会社の違法行為は別問題。自分を責めても問題は解決しない。

(3)「おかしい」「つらい」と思ったら専門家に相談しよう: 若者の権利意識は総じて希薄。「違法かどうかわからないことで相談に来てすいません」という場合もたいていは、明らかに違法。どう違法かはわからなくていい。「おかしい」と思ったらまず相談。病名がわからなくても医者に行くのと同じ。

(4)証拠・記録を残そう: 契約書、求人票は保管しておこう。労働時間は記録しておこう。パワハラはできれば録音、無理なら記録を残しておこう。

POSSE1:90年代から個人加盟のコミュニティ・ユニオンが各地にできたが、強い権利意識を持ち、会社と争う姿勢を持つ人しか行きにくいという問題があった。

POSSE2:POSSEでは「NO!」と言えない若者たちを前提にSOSの声を上げられる環境づくりとして電話・メールによる労働相談を行っている。労働相談の内容は会社を訴えたいといったものではなく「どうやったら辞められるか」といったものが多い。

POSSE3:労働相談で事情を聞く中で会社側の問題点を指摘していく。その上で、会社と争う場合、争わない場合、それぞれで取りうる選択肢を提示する。会社と争わない場合は取りうる選択肢は少ない。我慢しようとする人も多いが我慢しても解決には至らない。

POSSE4:そのため、会社側の問題点の「意識化」を通じて、SOSから「NO!」へと相談の水準を上げていくように努めている。これまでの労働相談の蓄積から、「あなたの相談は全然特殊な事例じゃない」ことを伝える。

POSSE5:そして、「全然特殊な事例じゃないけれど、ここにたどり着く人は少数」だと伝える。「自分が我慢すればいい」と考えている人が「ここでNO!と声を上げることは、他の人のためにもなりそう」と考えるようになると頑張れるようになる。

POSSE6:また会社とは争わないが、メディアに向けた取材には協力するという人もいる。POSSEが連携している大阪青年ユニオンなどは、ニコニコ生放送で労働相談を行うなど、自分が会社と争わなくても活躍できる居場所がある。

POSSE7:悪質な企業の中には「鬱病にしたら勝ち」と考えている企業がある。欝病になると休むことが第一となり、会社と争うことができにくい。そのため、会社側から見ると訴えられるリスクを潰せる。

POSSE8:そのような現状の中でPOSSEは、欝になる前のアウトリーチに努めている。また、欝にした会社の責任を問うていくようにしている。

POSSE9:労働相談は最初は電話かメール。その後、事務所に来られる人には来てもらう。会社と争う場合には日本労働弁護団所属の弁護士に協力してもらっている。

POSSE10:「準社員」という人たちがいる。正社員にならないと生きられない家計自立型非正規の人たちが「準社員」に引き寄せられてきている。待遇は非正規並みで、義務だけ正社員並み。この人たちからの過労の相談が増えてきている。

POSSE11:彼らは正社員になれることへの期待が弱い(なれなくてもしょうがないと考えがち)。そのため、「義務だけ正社員」で過労に追い込まれていてもそれが問題だと意識化されず、相談に来ないところで問題が蓄積されている可能性が高い。

POSSE12:勤務地や業務内容など、働き方については会社に白紙委任、残業も断れない、その代わりに年功賃金と長期雇用が保証されていた、というのが従来の日本型雇用。ブラック企業では頑張って働き続けても年功賃金・長期雇用という見返りがない。

POSSE13:この問題を解決していくためには無限の指揮命令にいかに「限定」をかけるかが課題。特に労働時間の規制が重要。現在、過労死防止法の制定に向けた署名活動が進められている<この基本法の制定から労働時間の上限規制につなげていきたい。

POSSE14:またメンバーシップ型の雇用をジョブ型の雇用に移行させていくことも重要。ブラック企業で無限定な働き方・長時間労働を強いられないためには、失業給付を現在よりも受け取りやすくする(現在は自己都合退職の場合は3か月間受給できない)ことも必要。

POSSE15:労働組合の第一義的意義は労働力の価格統制。しかし、メンバーシップ型の雇用を前提とした日本の企業別組合は労働力の価格の決め方・労働時間・失業給付の在り方への関与を放棄し、賃金交渉に重点を置いてきた。

高福祉、低命令、低処遇

雑誌『サイゾー』で、POSSEの今野晴貴さんがブラック企業について語っています。

http://biz-journal.jp/2012/07/post_366.html

さらに、若者の労働問題などに取り組むNPO法人「POSSE」代表の今野晴貴氏は、ブラック企業をこう定義する。

「サービス残業や過労死といったものは、『ブラック企業』という言葉が出てくる以前から、日本社会で問題になっていました。しかし、その代わりに生涯を通じて生活の面倒を見るという企業が多かったことも事実です。一方、現在のブラック企業には、まったくそんな心づもりはなく、使えなくなったら容赦なく社員を切り捨てようとする。つまり、労働者が『働き続けられる環境があるかどうか』で判断したほうが、現在のブラック企業の定義を考える上で有効です」

 すなわち、「労働基準法違反」や「違法な行為を行なっている」という観点だけでは、ブラック企業を見分けることができないという。今野氏はこう続ける。

「90年頃のバブル崩壊までは、過酷な労働をしなければいけないのは若い時期だけで、年齢を重ねるごとに過酷さはだんだんと緩和され、給料も上がっていくという認識が労使間で共有されていました。いわゆる日本型雇用といわれる終身雇用や年功序列といった制度がその典型です。その代わり、社員は企業の命令を絶対的に遵守するという、ある種の『契約』があったわけです。つまり、賃金が支払われないサービス残業など、違法なことを我慢する代わりに、得るものも大きかったといえます。しかし、そうした日本型雇用を維持できたのは、70年代以降も続いた日本の右肩上がりの経済成長があったからこそ。バブル崩壊以降は低成長時代に突入し、企業が社員の生活を守る力がなくなっているのにもかかわらず、企業の強い命令権だけが残ってしまっている状態です。そのため、ブラック企業が現在、社会的な問題になってきているのです」

 社員を育て、生活を守っていくつもりのない企業にとって、社員はまさに捨て駒。人件費の安い若い時期に猛烈に働かせ、ある程度の年齢になったら切り捨てるという手法も横行しているという。それに加え、ブラック企業は社員のスキルを伸ばそうとせず、OJT(企業内教育)が皆無に等しいことも特徴として挙げられる。結果、「転職しても、ほかの会社でやっていけるのか」と社員が不安を募らせ、退職を妨げることになってしまう、と今野氏は語る。

ブラック企業を生み出す日本社会の構造的欠陥

 このように労働者が圧倒的弱者となってしまう背景には、日本の社会制度の不備が指摘される。

「もともと日本では、手厚い企業福祉を前提として社会設計がなされていた側面があります。住宅手当や家族手当など、本来では国家が税金を通じた再配分で保障する部分を、企業福祉が代替していました。しかし、長引く不況で企業は手厚い福利厚生を維持できなくなってしまったことから、労働者には相当きつい社会になっていると言えます」(同)

今野氏いわく、現状を打開するためには「高福祉、低命令、低処遇」の社会を目指すしかないという。要点をまとめると、「国が社会福祉を充実させ、企業の命令権を法規制で弱める。その代わり、労働者は給料などの処遇を低い水準で我慢するという方策を取る」という主張だ。

「社会福祉をしっかりやれば、中小企業は関連の仕事が増え、国内産業を育てることができます。そして、子どもを育てられるような状態ができ、少子化にも歯止めがかかって内需の拡大が期待できます。つまり、高所得で海外旅行に行きまくるなどといった生活は我慢しましょうということです」(同)

おおむね、わたくしが主張してきたこととほぼ同じですが、最後あたりの「高福祉、低命令、低処遇」というリアルな提言は、人によってはいやがる可能性はありますね。

ここはもう一歩進んで本音レベルで言うと、労働者の中でエリート層とノンエリート層をどう構成するのか、という、戦後日本社会が見ようとしてこなかった問題があるわけですが。

(追記)

その今野さんが、「川村事務局長の指示に従って、突貫で」書いたブログ記事がこちら。

http://blogs.yahoo.co.jp/perspective0301/6222782.html(ブラック企業問題の本当の論点 )

基本的には「まとめ」ですが、「低処遇」という言葉の一人歩きに若干困惑されているようです。

実はこの「低処遇」というところには、間違いがあって、本当は修正したいのだが、すでにいくつかの雑誌に出てしまって困っている。本当は、「年功とは違う論理で賃金を決定せよ」ということが言いたいのだ。大企業の正社員=エリートとは違っても、低処遇には低処遇の決定の論理と安定がある、という状態を作り出す必要がある。それは本来的は仕事の内容=「ジョブ」による決定である。

労働分配率の低下@OECD『雇用見通し』2012版

50676898812012011mOECDの『雇用見通し』2012年版が公表されています。

http://www.oecd.org/document/46/0,3746,en_2649_37457_40401454_1_1_1_37457,00.html#press_material

Editorial Achieving a Sustainable Recovery: What Can Labour Market Policy Contribute?
Chapter1:  Waiting for the Recovery: OECD Labour Markets in the Wake of the Crisis
Chapter 2: What makes Labour Markets resilient during recessions
Chapter 3: Labour Losing to Capital: What Explains the Declining Labour Share?.
Chapter 4: What green growth means for workers and labour market policies: An initial assesment

という内容ですが、今回第1章で、労働分配率の低下について触れているので、ちょっと紹介。

http://www.oecd.org/document/8/0,3746,en_2649_37457_50667656_1_1_1_37457,00.html#emo2012c1

Oecd01_2During the past three decades, the share of national income represented by wages, salaries and benefits – the labour share – has declined in nearly all OECD countries. The chapter examines the drivers of this decline, stressing the role played by factors such as increased productivity and capital-deepening, increased domestic and international competition, the reduction of workers’ bargaining power and the evolution of collective bargaining institutions. The decline of the labour share went hand-in-hand with greater inequality in the distribution of market income, which might endanger social cohesion and slow down the current recovery. Enhanced investment in education and use of the tax and transfer system can effectively reduce these risks.

過去三十年間、国民所得における賃金、給与、手当の分け前-労働の分け前-はほとんど全てのOECD諸国において低下してきた。本章はこの低下の原因を探り、生産性向上、資本集約、国内・国際競争の激化、労働者の交渉力の低下と団体交渉機構の変化と言った要素が果たす役割を強調している。労働の分け前の低下は市場所得の分配の著しい不平等かとともに進んできており、社会的結束が危機に瀕するとともに、現在の景気回復を遅らせている。教育にもっとお金を投資し、税金と所得移転の仕組みを活用することで、こういった危険を効果的に減らすことができる。

労働分配率低下の原因はOECDの言うようなことなんでしょうが、それを増幅する要因として、日本の場合ここ十数年間政治からマスコミから評論家からエセ学者まで巻き込んだ「足の引っ張り合い」現象があるような気が。「あいつらはもらいすぎだ、引き下げろ!」「いや、こいつらがもらいすぎだ、巻き上げろ!」ってなことばかり、お互いにこの十数年間やり続けていれば、そりゃ労働分配率は下がるよな。

2012年7月14日 (土)

クルーグマンさん、何を仰います?

51tl8qsqwjl__sl160_クルーグマンの新著『さっさと不況を終わらせろ』について、池田信夫氏が「りふれは」を皮肉った論評をしているのを、さらにまた「ニュースの社会科学的な裏側」さんが論評しています。この三重構造がなかなか面白い。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51799377.html(さっさと不況を終わらせろ)

本書はクルーグマンのブログをまとめて気持ち悪い日本語に訳しただけで、新しい論点はないが、こうして整理すると彼の考えがよくわかる。日本ではいまだに彼をリフレの元祖として崇拝する向きもあるが、本書では金融政策にほとんど言及していない。彼が不況を終わらせる政策として主張するのは、超大型の財政出動である。

http://www.anlyznews.com/2012/07/blog-post_539.html(さっさと不況を終わらせろ - 池田信夫さん誤読していませんか?)

クルッグマンの「さっさと不況を終わらせろ」に、経済評論家の池田信夫氏が評論しているが、恐らく誤読している。
読んでもいないのに良く分ると思うかも知れないが、クルッグマンの主張に『増税』があるのに、池田信夫氏はそれには触れていないからだ。

But they wouldn’t be quite as cash-strapped if their politicians were willing to consider at least some tax increases. (でも,政治家が少なくともいくばくかの増税を検討する気にさえなれば,そう大した金欠ってわけでもない)

なんだか頭が混乱しそうですが、つまり、クルーグマンは、

増税して、財政出動しろ!

って言っているのに、池田信夫氏はクルーグマンのその「増税」を見て見ぬふりをしていると「ニュースの社会科学的な裏側」さんは批判し、その批判されている池田信夫氏は、「りふれは」はクルーグマンのその「財政出動」を見て見ぬふりをしていると批判しているという構造なんですな。

それにしても、クルーグマンを崇拝しながら、その2大主張のいずれをも口を極めて罵る人々の心性というのは、本当によく理解しかねるところがあります。

経済政策論争なるものの正体が透けて見える良いエントリと言うべきでしょうか。

(追記)

これは、つまみ食い(@コバヤシユウスケ)した池田信夫氏に対する批判かな?

http://twitter.com/tiger00shio/status/224268626558062592

これはひどい 日本のどこにソブリンリスクあるんだ 勝手な事言うなよ

少なくとも、増税して財政出動しろと言っている人に対する批判ではなさそうなのですが、まあ、時たまこうやって「りふれは」をからかうと、いろんな人々がいろんな形で議論してくるので、面白いです。

コメント欄にあるように、税金をどういう形でとるかという話にしてくる人もいますし、それはそれで大変納得できる面もあるのですが、「りふれは」が消費税以外の増税を強く主張しているというのならそれはそれで大変結構なのですが、聞こえてくる限り、野末チンペイの税金党を劣化させたような話ばかりなので、まあこんなものなんでしょう。

http://b.hatena.ne.jp/dongfang99/20120715#bookmark-101877238

ただクルーグマンを持ち上げる人で富裕層増税を主張している人が皆無なのは確か。クルーグマンは需要と雇用に少しでも貢献するなら、消費税も別に全面否定はしていない。単なる手段の問題

http://econdays.net/?p=629

僕ならそのほとんどを増税で – そう、僕は消費税に賛成してもいいんだ。高給取りの減税の余地を作るためでなく、セーフティネットの維持のために使われるなら。

(再追記)

ちなみに、稲葉氏の見立てはおおむね正解。

http://twitter.com/shinichiroinaba/status/224361779600433152

なんかhamachanの党派性……というよりまあ単なる「あいつら嫌い」という感情論……があらわになって幻滅……。

そういう「党派性」は、既に本ブログでも繰り返し露わにしてきたところ。今更何を仰る・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-5aef.html(念のため)

今まで山のように繰り返してきたように、本来のケインズ主義的な意味での「リフレーション政策」には批判的どころかむしろシンパシーを持っています。

しかし、日本で「りふれは」と称して不気味な政治活動を繰り返してきた手合いというのは、おおむね、その逆の政治志向を持っているようで、小さな政府を声高に叫び、とりわけ弱い立場の国民向けの公的サービスに対して露骨な敵意を示すことが多いようです。そして、くっつく政治家というのもだいたいそういう志向の方々が多いようです。

そういう人々を、わざわざリフレーション政策支持派という意味での「リフレ派」と明確に区別するために、「りふれは」という記号を作って、区別して用いていることも、本ブログで何回も繰り返してきたことですので、その旨ご諒解いただきたいところです。

それより、その昔ファンの方からこのような妙な応援のされ方をした稲葉氏の今の思いも知りたいところではあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)

稲葉さんの偉さは、一左翼であることがリフレ派であることと矛盾しないことを左翼として始めて示した点だと思う。それまでの左翼は、ある意味ネオリベ以上の構造派で、つまりはアンチ・リフレであったわけだから。それに対して、稲葉さんはそれが「ヘタレ」にすぎないことを左翼として始めて断言したわけで、これは実はとても勇気のあるすごいことだと思う。

投稿: 一観客改め一イナゴ | 2006年9月20日 (水) 14時46分

もう6年も前になりますな。そのころはまだ、こういう今となっては信じがたい整理図式が生きていたわけです。時の経つのは早いもの。

(再三追記)

http://twitter.com/uncorrelated/status/224377940945805313

濱口氏、そこそこ左翼系で政治的だと思っていたけど。

まさにそうですけど、うかつに「そこそこ左翼系で政治的」なんていうと、そこが日本の文脈では、まったく正反対の「りべさよ」見たいに思われてしまうので、必死にそうじゃないそうじゃないと喚かなくてはいけない。

なんで「そこそこ左翼系で政治的」の実例をわざわざ欧州社会党や欧州労連の記事を引いて説明しなくちゃいけないのかわからないのだけれど。

(なおも追記)

これだけシバキ全開の「りふれは」を目の当たりにしながら、

http://twitter.com/tntb01/status/224402306546941952

ハマチャンみたいな人が図らずもシバキストらと「歩調が合ってしまう」罠。

という言葉がぽろりとこぼれるあたりに、りふれはマインドコントロールの強さを痛感。

「小さな政府を声高に叫び、とりわけ弱い立場の国民向けの公的サービスに対して露骨な敵意を示す」りふれはこそが真のシバキストでしょ。

つか、世間一般と「りふれは」界隈とでは「シバキ」という言葉の定義が逆転しているのかも知れないけど。

(さらに追記)

ちなみに、「ニュースの社会科学的な裏側」さんが、誠実なリフレ派である原田泰さんを称揚しています。

http://www.anlyznews.com/2012/07/15-by.html(消費税アップは15年後でよい ─ 社会保障の削減ができれば by 原田泰)

・・・対立する主張として、原田泰氏らの増税不要論がある。ただし、原田主張には強い条件がついている。

鈴木・原田(2010)を見れば分るが、社会保障費の大きな抑制を前提としている。現行制度のままだと年金給付額や医療費は、マクロ経済スライド*1の程度でしか抑制されない為、受給者一人あたりの社会保障支出を削減する制度改正を行わないと、原田氏の増税不要シナリオの条件は満たされない。

消費税増税反対論者が、同時に年金給付額や医療費の大幅削減を謳っている事はあまり無いので、原田氏の主張は誠実ではある*2。しかし、原田主張から消費税アップは15年後でよいと言う人は、それは年金給付額や医療費の大幅削減を意味する事には留意する必要がある*3。

誠実な反増税派は、ちゃんと社会保障の削減(=シバキ)を主張する、という意味では、立派な方なのだと思います。

問題はそこのところをごまかして、「ハマチャンみたいな人が図らずもシバキストらと「歩調が合ってしまう」罠。」などと逆向きに思わせてしまう連中なんでしょうけど。

(まだまだ追記)

せっかくなので、過去のエントリから「りふれは」のシバキぶりを皮肉ったものをいくつか、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-5b02.html(「りふれは」はシバキ派)

http://twitter.com/#!/YoichiTakahashi/status/140750100900220928(高橋洋一(嘉悦大))

>大阪は橋下圧勝か?大阪の人はまともだなあ

それがまともであるという価値判断が現に世の中に存在し、かつ相当多くの人々に支持されているという事実認識は、当該価値判断を共有しない人々と雖もきちんと持つべきでしょう。

ただ、そういう典型的シバキ派の同類に、あたかも「りふれは」を批判する方がシバキ派であるかのごとき中傷をされる謂われだけはないというべきでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-2bdd.html(「りふれは」の労使関係観)

上念司氏が『正論』9月号に書いた「経団連よ、この国難に道を踏み外すな」という文章の中から、同じ「りふれは」の田中秀臣氏が嬉々として引用している文言:

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110815#p1

>「自由主義経済の守護者であり、かって争議潰しで名を馳せた日経連を吸収した現代の経団連が、日本経済の社会主義化を望んでいるとしたらそれは冗談としか思えない

実をいえば、旧日経連の人がこれを読んで単純に嬉しがるとも思えないのですが、いやむしろ、俺たちのやってきたことを、そこらのやくざの「争議潰し」としてしか見てくれていなかったのか・・・と、情けなさに涙をこぼすかも知れないとすら思いますが、まあそこはおいといて。

少なくともここに露わになっているのは、「りふれは」諸氏の、どうしようもなく反労働者的な労使関係観であるということだけは明らかなようです。

労使がそれぞれにきちんと主張し合い、ルールに則ってものごとを決めていくという先進産業国であれば当たり前の仕組みを「社会主義」と蔑視して、叩き潰そうと考えるような、そういう人々のいうことが、経済学的にどうであるかなどとは遥かに遥かに下の次元で、まっとうな感覚の持ち主からは相手にされないような代物であることを、こうして我々にあからさまに教えてくれるのですから、「りふれは」諸氏が隠し事があまり得意ではないことだけは確かなようですね。

(締めの結論@「ニュースの社会科学的な裏側」)

ということで、話の発端を作っていただいた「ニュースの社会科学的な裏側」さんが、的確な締めの言葉を書かれていますので、本エントリの結論ということで。

いくつか、わたくしに対する耳の痛いご批判もあるようです。

http://www.anlyznews.com/2012/07/blog-post_16.html(りふれ派の社会的機能について考える)

濱口氏は「不気味な政治活動」と表現していたが、りふれ派は相手が納得できるような情報を提供していない。『高齢化による生産年齢人口の減少により社会保障が毎年1兆円増える』と言う政策課題に対して、『経済成長』『徴税漏れを防止』と言われても、それが出来るのであれば既にやっているとしか思わないであろう。

こうして見てみると、その政策の労働者階級への影響からシバキ云々と言う以前の問題が多数ある。濱口氏はイデオロギー的な批判をしているが、そういう段階に到達していないのでは無いであろうか。理論的にもデータ的にも見るべき所は極端に少ない

その先の「「飲み屋で野球チームの監督の悪口を言っているのと全く同じ」とか「お布施が足りないので御利益が無いと主張する宗教団体のようだ」とか、エンターテイメントの一種なので、目くじらを立てずにサブカルチャーとして見守りつつ、たまに揶揄すれば良い」とかについては、リンク先をどうぞ。

(おまけ)

http://twitter.com/yasudayasu_t/status/224863873000415236

「熱があるなら解熱剤を飲め」と言ってる人たちに対して、「解熱剤を飲めばあらゆる病気が治ると主張している」とか「解熱剤を飲んでも鼻詰まりは改善しませんからw」と批判(?)するのと同様の阿呆な行為をする人が多い。しかも、何故か上から目線の嘲笑入りで。どちらが嘲笑されるべき側なのやら

解熱剤を飲むということ「だけ」を主張しているまともな「リフレ派」は批判されていないのにね。

熱があるなら、裸になって、冷水に飛び込んで、とことんシバキ抜いて、解熱剤を飲め、と言っているある種の人々(りふれは)が、その裸になれとか冷水に飛び込めといったシバキ療法で批判されていると言うことが分からない(ふりをする)し、だったらその部分くらいは批判しろと言われると、ついには、我々が解熱剤を飲めという一点だけで共通しているんだから、ほかのことは知らんとうそぶく。

うそぶいているわりに、そういう「裸になって、冷水に飛び込んで、とことんシバキ抜いて、解熱剤を飲め」という連中とやたらにくっついて妙に政治的に動き回る。まさに松尾匡さんのいう「身内集団原理」そのもの。見ていて反吐が出る。

電機連合『若年層から見た電機産業の魅力研究会報告』

電機連合から『若年層から見た電機産業の魅力研究会報告』をお送りいただきました。

この研究会、メンツがなかなか面白くて、主査がリクルート・ワークスの豊田義博さん、委員にJILPTの呉学殊さん、法政キャリデザの上西充子さん、東工大学生支援センターの伊藤幸子さん、河合塾の谷口哲也さん、という「学校から仕事へ」の両方を睨んだ布陣となっています。

各委員の書かれた各章の記述も面白いのですが、ここではそのあとの組合委員と事務局が書いた第7章から「政策制度の取り組みとしてなすべきこと」から、後輩たちへの思いが溢れる記述を

就職活動のあり方について、

・・・この状況を打破するための一案として、中小企業の採用の手段としてのインターンシップを普及していくことも考えられる。現在の新規一括採用という採用方法を前提とすると、大企業で採用を前提としたインターンシップをすることは、学生の就職活動の早期化を助長することになるかも知れないが、インターンシップを通じて中小企業の魅力に気づく学生も増え、自分にあった職種や業種を見いだしたあとに就職活動を始めることができるのではないか。

大学の入学者選抜方法の見直し

現在の大学入試制度では、大学入学後に必要とされる基礎学力と直結せず、極端な例ではあるが、物理を選択していなくても物理学科に入学できるという実態もある。大学で必要とされる基礎学力を持たずに入学できてしまった結果、本来は高校課程で行うべき勉強を大学で教えざるを得ない状況も一部で発生しており、大学1年生のことを「高校4年生」、大学2年生のことを「高校5年生」と呼ぶ事態も起きている。さらには、本来は大学の4年間の授業で教えるべき内容を2~3年間で教えなければならないことによって、専門性を高める課程は「大学院」という傾向が強くなり、大学院進学率が向上しているとも考えられる。円滑な大学教育を行うための環境整備として、大学入学後に必要とされる基礎学力を受験生に要求する選択方法へ再構築する必要がある。

高等学校教育の充実

高等学校教育において、物理の授業がその授業に必要な数学の授業よりも前に行われてしまうために物理の理解が難しくなり、物理嫌いの原因の一つとなっている実態があるようだ。子どもが学ぶ楽しみや興味を失わないように、高等学校教育における理数系カリキュラムの連携見直しが必要である。

小・中学生の基礎力の向上

・・・また、特に理数系の授業においては解き方ばかりを教えるようになり、子どもたちが授業を通じて自ら気づき行動を起こす機会が減少していることにも原因がある。・・・また、現在の教育現場では、教員が「何かあると責任問題になる」という意識が強く、実験でさえ失敗は許されないと考える教員もいる。そのため、子どもたちが問題を起こさないよう、教員が子どもを押さえ込む傾向がある。幼少期に失敗から学ぶ機会が社会に出てからさまざまな経験を重ねる上で大切なことである。・・・

「ジョブ」と「メンバーシップ」のいいとこ取り

もはや自分を「いたくら」だと思い始めたらしい坂倉さんのツイートから、

http://twitter.com/magazine_posse/status/223761652594651136

橋下市長が、公務員労組が労働条件切り下げによるサービス低下を訴えるなんて民間ではありえないとツイートしてた。普通にあるし、彼の目指す「身分」(この表現も不適切だが)ではなく企業横断的な「職業」に基づく社会のほうが、民間労組の労働者が自分の企業を批判するのは一般的だと思うが…

http://twitter.com/magazine_posse/status/223770519286185985

橋下市長のいう「職業」に基づく社会のほうが、所属する企業を公に批判してはいけないなんて「組織の一員としての規律」を守るいわれはないし、そんな「規律」こそ「身分」型の社会のもの。それに企業批判で淘汰されるのは労働者ではなく企業のほうでしょう。

http://twitter.com/magazine_posse/status/223773382792065024

大阪市や府の公務員は、雇用保障はないのに規律だけ厳しい「義務だけ公務員」だな。まあ、もともと「身分」ではないけど…

いや何というか、二重三重に話が錯綜しているわけですが、ごく単純に言うと:

そもそも日本は、民間部門だろうが公共部門だろうが、法律そのものは「職務」に人を宛てるジョブ型原則でできている。「義務」も「保障」も「職務」の範囲内で「身分」ではない。

しかし、とりわけ大企業正社員や公共部門の正規職員には日本型雇用システムが濃厚に浸透し、無制限の「義務」と「保障」の交換が前提の「身分」に近くなっている。

そこに、その「身分」による「保障」(あくまで慣行)を諸悪の根源として叩くことを政治的リソースとする政治家が登場してくる。この点「だけ」をみれば、いかにもジョブ型システムを唱道している「かのように」見える。

ところが、圧倒的に多くの場合、そういう「身分」による「保障」を叩く人々は、「身分」による無制限の「義務」を当然のこととみなし、むしろ現行のメンバーシップ型ですらあり得ないほどの、ほとんど主従法レベルの絶対服従を要求したりする。

かかる「表見的ジョブ型唱道」と「内実的超絶メンバーシップ型要求」の不可分的結合というところに、この得体の知れないまでの錯綜ぶりの原因があるわけですが、そこのところに思い至らない人々、あるいは分かっているのに政治的理由でわざと分かっていない振りをする人々があまりにも多いために、マスコミも含めて話がどんどんあらぬ方向に転がっていくわけですね。

ストライキ権は労働者にあるのだよ、もちろん

ふと気がつくと、山形浩生氏に妙な因縁をつけられていたようなのですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-a148.html(労働組合は政治の婢ではない)

私はこの矢部氏の本は見ていないので、彼がどういう文脈でそういっているのかは分かりませんが、もし原発作業員がその劣悪な労働条件の改善を求めてストライキをする権利があるという趣旨でいっているならば、それはまったく当然のことでしょう。国民の命のためにお前らは奴隷として犠牲になれという権利は誰にもありません。

しかしながら、上の引用とそのあとの山形氏の記述からすると、矢部氏は原発作業員の労働条件を心配してそう述べているというよりも、反原発イデオロギーのための手段としてそういっているようにも思われ、そうだとするとそれは労働者を自分のイデオロギーのための手段として恥じない発想ということになります。

なんにせよ、矢部氏にせよ、山形氏にせよ、「労働組合が職場における労働力商品の取引の売り手側の当事者であるということ」がすっぽりと欠落していることだけは間違いないわけで、これまたなんとも哀しき状況というところでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120706/1341555164(『放射能を食えというならそんな社会はいらない』:おまえがいらない。

あともう一つ、hamaブログがここでの記述に言及。

私はこの矢部氏の本は見ていないので、彼がどういう文脈でそういっているのかは分かりませんが

ほほう、見てない、わからない、と。するとあとは憶測ですな。そしてその憶測をもとに

「労働組合が職場における労働力商品の取引の売り手側の当事者であるということ」がすっぽりと欠落していることだけは間違いない

とのこと。見てないのに間違いないかどうかわかるんですか。さらになんでここで労働組合が出てくるんです? ストといえば労働組合しかできないと思い込んでいる時点で、ここでの話の文脈からすればピント外れ。労働者は労働組合の手駒ではないんですよ。

ものごとの本質をわざと外して斜め横からいちびる山形流の技巧がよく出ていて感心します。

いうまでもなく、リンク先の私の文章をわざわざ読みに行く人の目には、重要なのは

もし原発作業員がその劣悪な労働条件の改善を求めてストライキをする権利があるという趣旨でいっているならば、それはまったく当然

ということであって、矢部氏はそんなことよりも反原発イデオロギーが大事らしいんだな、と言ってることはわかるわけですが、わざわざそういうめんどくさいことをしない人には、このhamachanて奴、なんだかおかしなことを喚いているらしいという印象だけを残すことができるわけです。見事な高等戦術。

いうまでもなく、ストライキ権は個々の労働者にあります。だから、

もし原発作業員がその劣悪な労働条件の改善を求めてストライキをする権利があるという趣旨でいっているならば、それはまったく当然

と言っている。

とはいえ、1人の原発作業員が「たった1人の反乱」をしたところで、そんなのただの欠勤にしかならないわけで、だから労働組合ってものができてきた・・・

<ああ、こんなこと教科書嫁!!!って、どれくらい叫びたいか。それをぐっとこらえて>

・・・わけなんですね。

そういう労働条件の改善を求める労働者の(集団的)行動としてのストライキこそが重要なんだよ、という肝心のメッセージを隠したまま、

労働者は労働組合の手駒ではないんですよ。

という、思わせぶりなひと言で悪印象を付着させる手際は流石に見事です。

もちろん、労働者は労働組合(であれなんであれ、労働条件とは関係のない政治行動に動員されるため)の手駒なんかではありません。

それこそが私の上記エントリで言いたかったことなんですけどね。

「所属の関係」から「仕事を介した関係」へ

Dio連合総研の『DIO』7/8月号が届きました。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio273.pdf

特集は「非正規労働者のキャリア形成をめぐる論点」で、次のような論文が並んでいますが、

非正規雇用者のキャリア形成を実現するための課題  佐藤 博樹

「 非正規労働者の正社員化における政策課題」  四方 理人

ジョブ・カード制度の課題と可能性−制度が機能するための条件を探る  大木 栄一

ここでは大木さんの文章から、興味深い一節を引用しておきましょう。

では、なぜ、多くの企業はジョブ・カード制度にあまり好意的ではないのであろう。正社員を対象にした日本企業の人事管理の特徴は、何の仕事に就くかは会社の指示に従って配慮を必要とせずに働いてくれる正社員を対象に、その仕組みが構築されてきた。そして、それと引き換えに会社側は正社員に対して長期的な雇用と処遇を保障してきたのである。これを上司と部下の関係に置き換えると、労働を無制限に供給してくれることを前提にした正社員の部下に対して、その上司はその時々の状況対応で、曖昧な指示の下で仕事を与えてきた。そして、その働きぶりに対する報酬は長期的な雇用関係のなかで帳尻合わせをしてきたのである。つまり、会社と正社員の取引関係は、会社に入社すれば(会社に所属すれば)、年功的な処遇が保障されるが、その代償として何の仕事に就くかは会社の指示に従うという「所属の関係」である。

したがって、正社員の採用に関しては、求職者の仕事をする能力よりも、「人柄」に代表されるような会社の指示に従って配慮を必要とせずに働いてくれるかどうかを重視している。他方、正社員以外の働き方をする社員については、働く場所、働く時間、従事する仕事内容について配慮をする必要(配慮の内容の中心は働く時間であり、その観点からみると、時間制約社員とみなすこともできる)がある働き方をする社員として認識してきた。

しかしながら、正社員のなかにも、働く場所、働く時間、従事する仕事内容について配慮が必要な社員が増えている。家事・育児等の家庭生活との両立(ワークライフバランス)を求める女性正社員がその典型であるが、それ以外にも、介護と仕事との両立が必要である中高年齢正社員、言葉や文化的背景から配慮が必要な外国人正社員も配慮が必要な正社員にあたる。このように配慮が必要な正社員が社内の多くを占めつつあり、配慮が必要でない正社員はすでに少数派になりつつある。こうした傾向は今後も進むことは間違いないので、企業にとって、多数派になりつつある様々な点で配慮が必要な正社員をいかに活用するかが重要な経営課題である。

こうした課題を解決していくためには、正社員に適用されている「所属の関係」から「仕事を介した関係」に変化せざるを得なくなる。こうした状況の下で、企業が求める人材(正社員)の採用を行っていくためには、「求職者に期待すべき能力」を明確化する4ことと、「求職者の持っている能力」を結びつける仕組みが必要になってくる。こうした仕組みを企業が構築するために、ジョブ・カード制度が貢献する役割は大きいと考えられる。

ここでいう「所属の関係」がメンバーシップ型、「仕事を介した関係」がジョブ型であることはいうまでもありませんが、メンバーシップ型であるからこそ「ジョブカード」を低く評価し、逆にジョブ型に進むためにはジョブカードが重要であるという関係がよく分かります。

そして、そうなって初めて「ベクトルが合わない」式のどうにもしようのない「ミスマッチ」ではなく、職業訓練をはじめとした労働政策によって是正することが可能な「ミスマッチ」対策が意味のある存在であり得るということなのでしょう。

2012年7月13日 (金)

東京電力はどういう理由でブラック企業なのか?

「ブラック企業大賞2012」なる催しが進められているようですが、その「ノミネート企業10社とノミネート内容」というのを見て、正直大変違和感を感じました。

http://blackcorpaward.blogspot.jp/

この会社についてのこの記述です。

10.  東京電力 株式会社
2011年3月11日、東日本大震災の後に発生した福島第一原発事故により、広範囲にわたる放射能汚染を引き起こした。その収束に向けての対応、また避難者・被害者への保障についても、2012年7月現在も不十分といわざるを得ず、日本全体の社会、経済に多大な被害を与え続けている。また農地や海、川や山という自然環境そのものの放射能汚染は、今後数100年、数万年にも及ぶため、人類・自然環境への影響は計り知れない。

私が理解するところ、今日「ブラック企業」という問題意識は、もっぱらその使用者としての労働者との関係性における歪みに着目したものだと考えてきたのですが、この記述からすると必ずしもそうではないようです。

しかし、こういう意味での「ブラック」さ(そういう用語法があり得ることまでを全否定する気はありませんが)を交えてしまうと、そもそも労働問題に着目した「ブラック企業」を問題にした問題意識そのものがぼやけてしまうのではないかと、いささか鼻白んでしまうところもあります。

実をいえば、少なくともその直接雇用する正社員との関係でいえば、東京電力の労働者の賃金水準を下げろ下げろと、ブラックな要求をしているのは「消費者」の錦の御旗を掲げる側なのであり、そういうブラックな要求の感情的根拠となっているのが上述のような東京電力のブラックさなのであってみれば、この大賞に上述のような理由を持って東京電力をノミネートすること自体が、その企業の労働者の労働条件を引き下げるために使われるというまことにブラックな事態となるわけですが、その皮肉をどこまで意識されているのかな?と。

公平を期するためにいえば、ノミネート理由にはそのあとこういう記述も続きます。

労働という視点では、同社は原発稼働・点検のために多数の労働者を必要としているが、その多くは正社員ではなく、派遣・日雇い労働者によるもので、5次・6次にわたる多重請負の構造がある。その中では、被曝に関する安全管理や教育も不十分であり、また使い捨てともいえる雇用状態が続いている。これら総合的な観点から、今回のノミネートに至った。

とはいえ、それならなぜ「東京電力」だけをノミネートするのか理解しにくいところがあります。まあ、「これら総合的な観点」というのは、やはり上記の「原発事故をおこしやがって」というのがもっとも中心的なのでしょう。

だとすると、やはりこのブラック企業大賞2012というイベントのそもそもの性格が一体何なのか、労働関係に大きな問題がある企業を糾弾したいのか、大きな事故を起こした企業を糾弾したいのか、そのあたりが依然不分明といわざるを得ません。

(追記)

危惧していた方向に進んでいるようです。

http://www.j-cast.com/2012/07/12139246.html?p=all(ブラック企業大賞は「ワタミ」か「東電」か 実行委がWEB投票実施中!)

WEB投票は7月27日まで。その翌28日に「受賞式」を行う。7月12日現在、大賞に最も近いのは「ワタミ」の5701票で、全体の58%を占めている。次いで東京電力の2620票(27%)、すき家350票(4%)、ウェザーニューズ212票(2%)、富士通SSL207票(2%)と続いている。

この東京電力に投票した2620人(27%)の方々が、原発事故とは無関係に、もっぱらその労働環境の劣悪さに着目してそうしたとはなかなか想定しがたいところですし、その結果を見た人がそれを原発事故ととは独立の問題として受け取るということも極めて考えがたいことからすると、まさに、「こんな許し難いブラック企業の東京電力の社員の給料はもっともっと引き下げろ!!!」というまことに正義感に充ち満ちた「民意」をますます増幅する結果となる可能性が否定しがたいところですね。

少なくとも、あれだけ話題になった(と思っていたのですが、そうじゃなかったようです)すき屋がわずか4%で、それでも3位なんですから、労働問題はどこかに逝ってしまうことだけは間違いないようです。ワタミさんは露出過剰の社長さんの有名税としか思われないでしょうし。

2012年7月12日 (木)

芸人バッシングから読み解く生活保護の一番大事な問題

『情報労連REPORT』7月号が届きました。私の連載「hamachanの労働ニュースここがツボ!」は「芸人バッシングから読み解く生活保護の一番大事な問題」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/johororen1207.html

去る5月から6月にかけて、日本社会を時ならぬ騒ぎが襲いました。お笑いタレントの河本準一さんの母親が生活保護を受給していたことを女性週刊誌が報じたところ、何人かの政治家が大問題として取りあげ、連日の糾弾報道の挙げ句、涙ながらに謝罪するという結末に至ったのです。

この事態を見る限り、現代日本人は、生活保護の一番大事な問題は親族が扶養義務を果たさないことだと考えているようです。しかしながら、それは世界的に見て極めて異常な姿です。扶養義務の問題については既に福祉関係者からさまざまな指摘がされていますので、ここでは連載タイトルに沿って、労働問題という観点からこの生活保護の問題を見ておきましょう。

生活保護と労働問題とは全然別の領域で、何の繋がりもないというのが、いままでの普通の感覚でした。それを支えていたのは、母子家庭でもない限り、働ける現役世代の者が受給しようとしてもなかなかそうさせないような運用、いわゆる「水際作戦」でした。しかし、2008年のリーマンショック以後、雇用保険の対象とならない現役世代の失業者たちが続々と生活保護を受給する映像がマスコミで流されたため、全国で(それまで自分が受給できるとは思っていなかった人々も含め)生活保護の受給者が急増していったのです。

受給者の急増がもっとも顕著だったのが大阪市です。そして、平松前大阪市長は現役世代の生活保護への流入を防ぐための制度見直しを国に求め、それを受けて厚生労働省の審議会で見直しが進められてきています。この点では橋下現市長も、より過激にマスコミ受けする表現をとっているだけで、本質的には同じ政策方向なのです。

この論点は、実は世界共通の問題です。特にもともと福祉が寛大だった西欧諸国では、生活保護から脱却して就労に結びつけるためにさまざまな政策を講じてきました。厳格なものから誘導的なものまで、それら政策はワークフェアとかアクティベーションと呼ばれています。重要なのは、それらは働ける現役世代を福祉から就労に持っていこうとしているのであって、もはや働けない高齢者の生活を遠く離れた親族に保障させようというような発想とはまったく異なるということです。

ところが、日本では枝葉末節のはずの河本事件ばかりが異常にフレームアップされ、世界共通の生活保護の一番大事な問題がどこかへ飛んでいってしまいそうな雰囲気です。これが生活保護だけの問題ならばよいのですが・・・。

別に示し合わせたわけではないのですが、同じ号の「WATCHING 経済」で、小林良暢さんも「生活保護は「公的扶養の優先」への転換を」を書かれていますね。まっとうにものごとを考える人の結論は大体同じ方向になるのですが、政治家とマスコミとヒョーロンカの皆さまは必ずしもそうではないので・・・。

産経新聞に丸尾直美氏の「正論」

別に「正論」というタイトルのコラムに載っているから正論なんじゃなくて、中身が本当に正論だから正論であるような正論も、時には産経新聞の正論欄に載ることがありますが、本日の丸尾直美氏の正論は、そういう意味で中身も正論な正論です。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120712/plc12071203310003-n1.htm(尚美学園大学名誉教授・丸尾直美 こうすれば出生率はU字回復だ)

出生率を引き下げる大きな要因は、経済発展に伴う女性就業の一般化に、子育てと就業を両立させるための制度・慣行・政策がついて行っていないことにある。日本で女性の就業が普及しだしたのは、1970年代からである。就業と子育ての両立が難しいので、次第に女性の初婚年齢が高くなり、それとともに出生率も下がってきた。

 経済などの構造が変化してきたのに、制度や慣行が対応していないために生じる問題を、デンマーク出身の社会・政治学者で福祉国家論で有名なエスピン・アンデルセンは不完全革命と呼ぶ。出生率に限らず、近年の日本の諸問題には、市場化・IT化・国際化への対応の遅れからくる不完全革命に類するものが少なくない。

 両立支援体制が整えば、子供を持ちたい者も増える。内閣府が29~49歳男女を対象に2010年に行った国際意識調査では、北欧、米仏は子供を増やしたい者が80%近くかそれ以上だったのに、日本は50%以下だった。日本は「明日は今日よりよくなると期待できる社会」ではないのである。

そこで丸尾氏は「GDPの2%の公的支出を」求めます。

出生率が経済に直接、影響してくるのは、子供が生まれてから労働力になる約20年後だから、出生率対策は後回しにされがちだ。しかし、出生率の低下が止まらない国ではやがて、労働力の増加率が低下して経済が停滞する。

 出生率が2・0近くに改善した大方の国は、女性就業率も高く、家事と育児の両立を支援する家族政策に国内総生産(GDP)の3%前後を投じた。日本の場合、家族、近隣、職場での支援体制に助成し、家族政策への公的支出を、現在のGDPの1%から段階的に2%程度に高め、特に都市の女性の子育て環境を改善することだ。明るい展望が開ければ、出生率のU字回復が促され、労働人口の減少も食い止められるだろう。

 女性就業と子育ての両立支援政策は、出生率を高めて将来の就業人口を増やす上に、女性就業率の向上で現在の就業者も増やして、経済成長に寄与する。非常に効率的な「投資」なのである

 もう一つ、平均寿命世界一の日本に潜在する大きな人的資源といえば、60歳代前半で退職して余暇を持て余す高齢者たちである。子育て期の女性と定年退職者が就業しやすい職場づくりこそ、日本経済再興への道になるだろう。(まるお なおみ)

何のケレン味もないごくごく当たり前のことを主張しているだけですが、全然当たり前じゃないことばかりがでかい面してしゃしゃり出ている現在の言論状況の中では、まことに一服の清涼剤とも言うべき感があります。

できれば、経済面の編集委員の方も、せっかくの「正論」ですから熟読玩味して、それをきちんと踏まえたコラムを書いていただけると、もっと世の中が良くなるような気がいたしますが。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120603/fnc12060310080001-n1.htm(デフレ不況下の消費増税は中間層を破壊する(編集委員・田村秀男))

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120708/fnc12070807440000-n1.htm(編集委員・田村秀男 強まる増税・バラマキ型財政)

2012年7月11日 (水)

『日本の雇用終了』2刷決定

112050118『日本の雇用終了』がおかげさまで在庫が50部を切ったということで、第2刷を出すことになったようです。

地味な本ではありますが、内容がそれなりにその筋の玄人受けする面もあり、じわじわと読まれているようで、有り難いことです。

せっかくですので、ここで若干の広報を。

たとえばコミュニスト漫画評論家として名高い紙屋高雪さんが、こちらも近年労働界で名高い向井蘭弁護士の『社長は労働法をこう使え!』を書評された際にも、

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120710労働側も読んでおきたい 向井蘭『社長は労働法をこう使え!』

たとえば、話題の中心になっている解雇規制。

 それがいかにキツいか、ということが本書の主張の中心にあるわけだが、現実に起きていること、目の前のリアルな課題として何があるかといえば「首切り自由」「無法の横行」なのだ。

「明日から来なくていいよ」と言われてあっさりクビを切られる――若い人に働く実態の聞き取りなんかをやっていると、こういう話がボロボロ出てくる。

として、本ブログの

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-a1c3.html(解雇するスキル・・・なんかなくてもスパスパ解雇してますけど)

を引用していただいているわけですけど、その最初に出てくるケースが、こちらでは

・10185(非女):有休や時間外手当がないので監督署に申告して普通解雇(使は業務対応の悪さを主張)(25 万円で解決)

という1行コメントみたいな感じですが、それが『日本の雇用終了』では

・10185(非女)普通解雇(25万円で解決)(不明、不明)

 会社側は「個性が強く、店のスタッフとの関係も不仲で、口論が絶えない」こと、他のパート従業員から「このままではここで働けない、やめる」との話が再燃したため、「店舗の運営を第一と考え」「不協和音を理由に」解雇を通告したと主張。本人側は「私が・・・労働基準監督署に対して申告したこと等を理由に解雇されたと判断」している。
 本人の申立によると、「有休は付与されるはずですけどもと聞いたら、次長がパートには有休はありませんとはっきり言われた」、「時間外労働手当のことを聞いたら言ってる意味が分からないといわれた」、「本部に問い合わせしたところ、雇用契約書および労働契約書は社員にはありますが、パートさんにはありませんといわれた」ため、監督署に相談し、次長が呼び出され、指導してもらった。
 これは、日常の「態度」と「発言」が交錯するケースであるが、むしろ労働法上の権利を主張するような「個性の強さ」が同僚との関係を悪化させる「態度」の悪さとして捉えられ、権利を主張しないことが「職場の和」となるという職場の姿が現れている。

というくらいの詳しさで掲載をされております。ほかのケースも、大変興味深いものが目白押しですので、是非書店等で手にとってご覧いただければと存じます。

(追記)

なお最近でも、

http://slashdot.jp/~shimashima/journal/552807

「日本の雇用終了 -労働局あっせん事例から」は濱口桂一郎氏がメインで執筆を行った、日本における解雇事例集。サブタイトルにあるように労働局あっせんの事例を分析したものだ。
某所ですこし感想を書いたが、いわゆる大企業中心の「強い解雇規制」という一般論とは別の、日本におけるより生々しい実態が描き出されている。あっせん事例のため、多数「打ち切り」や「当事者不参加」によりあっせんに至る事由の詳細がわからないものがあるが、突き詰めると「態度が悪い」ことによる解雇がけっこう見受けられる。これも、濱口氏が主張している「メンバーシップ型雇用」を前提にした場合に周りと合わないことでメンバーシップからの除外という理屈で行動が理解できる。当たり前だが、理解することと許容することは別だ。

http://twitter.com/proton21/status/222976672767541248

雇用契約の終了をあっせん事例分析から整理。別に理由がある表見的整理解雇が多いとか、適性や能力を理由としたものがほぼ勤務態度問題だとか。実例が並ぶと説得力ある。RT :『日本の雇用終了―労働局あっせん事例から』 ☆3

等と、評していただいております。

ミネルヴァ書房の「福祉+α」シリーズ

ミネルヴァ書房のサイトに、「福祉+α」シリーズの3冊がこの7月末に一斉に発行されるというお知らせがでています。

http://www.minervashobo.co.jp/search/s4286.html

シリーズ全体は橘木俊詔・宮本太郎両先生の監修で、今度出る各巻は

http://www.minervashobo.co.jp/book/b102525.html(橘木俊詔編著『格差社会』)

格差社会という言葉が使われるようになってから、十数年が経過した。国民が格差社会に関心を寄せるようになり、政策論においても格差を是正するために、いくつかの改革が実行された。本書では、この「格差」に関して気鋭の執筆陣が実証データをもとに様々な角度からアプローチし、現状と課題をあぶりだす。

総論 格差をどう考えるか(橘木俊詔)
1 地域間格差(浦川邦夫)
2 女性の貧困(室住眞麻子)
3 子どもの格差(阿部 彩)
4 働き方の格差(金井 郁)
5 外国人対日本人(村上英吾)
6 障害者と格差社会(勝又幸子)
7 若年者の貧困(太田聰一)
8 高齢期における所得格差と貧困(山田篤裕)

http://www.minervashobo.co.jp/book/b102527.html(宮本太郎編著『福祉政治』)

社会保障と雇用をめぐる制度の形成・維持・再編を目指す福祉政治。その分野の個別の議論を概観する。年金、ライフスタイル、高齢者、エコロジー、世論、言説、政策評価、ワークフェア、各国比較などのキーワードを分かりやすく説明する。福祉に関わるテーマが一冊ですべてがわかる初学者向け入門書シリーズ福祉+α刊行開始。

総論 福祉政治の新展開(宮本)
第1章 年金改革の政治(伊藤武)
第2章 ライフスタイル選択の政治学(千田航)
第3章 高齢者介護政策の比較政治学(稗田健志)
第4章 エコロジー的福祉国家の可能性(小野一)
第5章 福祉政治と世論(堀江孝司)
第6章 福祉政治と政策評価(窪田好男)
第7章 言説政治(加藤雅俊)
第8章 ワークフェアと福祉政治(小林勇人)
第9章 中東欧における福祉政治(仙石学)

http://www.minervashobo.co.jp/book/b102529.html(西部忠編著『地域通貨』)

地域通貨に関する国内外の論者の論考や実践者の経験を集めるとともに、国内外の主要な地域通貨のデータベースを提供し、地域通貨にかかわる過去の主要な経済学説を紹介する。
地域通貨のマニュアルや処方箋を提供するのではなく、地域通貨をより広い視野から考え、より深く理解するための新しいヴィジョンを提示する。

です。

このシリーズ、このあともいろいろ用意されていまして、第6号には『福祉と労働・雇用』というのも出る予定です。

噂によると、hamachanが編著だという説もありますので、どんな方々がどんなテーマを書かれるのか、楽しみですね。

マシナリさんを絶望させる「りふれは」の惨状

というわけで、被災地の地方公務員としてなお日夜奮闘されているマシナリさんが、ついうっかり「りふれは」本を数冊読んでしまい、そのあまりの惨状に「個人的にはモチベーションを下げられてしまって明日からの仕事をどうしてくれるんだという思い」に打ちのめされながら、なお書きつづる被災地からの魂の叫び(@hahnela03風)が本日連投されているようです。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-521.html(事実にトンデモ論でコーティング)

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-522.html(利権陰謀論という結論を書きたくて)

もちろん、これら「りふれは」(マシナリさん風にいえば「一部のリフレ派と呼ばれる方々」)諸氏も、被災地の地方公務員のやる気をなくして復興を遅らせようという陰謀からいっているわけではないのでしょうが(笑)、結果的にはそういう陰謀説が出てきそうなことを(この元祖何でも陰謀説諸氏が)やっているというあたりが、なんともシュールではありますな。

でまあ、一部のリフレ派と呼ばれる方々の復興関連の本を立て続けに読んでみたのですが、あまりにあんまりなもので気分が落ち込んでおります。「一部のリフレ派と呼ばれる方々」ってのはどうやら陰謀論に傾きやすい性質を持っているようで、それはご自身の理論が正しいと信じるあまり、その理論が実現されないのはよからぬことを企んでいる誰かの仕業か、はたまたどうしようもない馬鹿ばっかりが政策運営を担当しているからという「俺様だけが正しい」論を信奉してしまうからなんでしょう。とはいえ、復興関連でも鬼の首を取ったかのように「俺様だけが正しい」論を喧伝しているのを拝見すると、復興の現場にいて被災された方々の現実を目の当たりにしている者としては、怒りを通り越してむなしさだけが読後感として残っています。

中身は、例によって例の如き、bewaardさん亡き後の「りふれは」の知的惨状をグロテスクに拡大して見せたような記述が続くので、引用するのも気が進みませんが、リンク先の「りふれは」の叙述とそれに対するマシナリさんのごく平易な突っ込みを読み比べると、こういう人々が先頭に立つ集団がいかなる意味で日本の政策アリーナにおいて意味を持ちうるような存在なのかが、じわじわと感じられて、夏の夜を涼しく過ごすのに最適かも知れません。

もう一冊の方は、まさに被災地で復興のために奮闘しているマシナリさんにとって、心底許せない記述が満載のようで、上記田中・上念対談本に対するいささか揶揄的な調子とはかなり変わって、

・・・で、これに対して原田本は、「利権陰謀論という結論を書きたくて復興予算が過大と主張しなければならない」本ですので、被災額の推計が過大であるという理屈も、現地にいる者として正直なところ「ふざけんな」といいたくなる内容です。

・・・と思えば、用地買収交渉の現場の苦労を踏みにじるように、・・・

・・・ということで、原田本は一事が万事この調子でして、現地の状況をご存じないことが端々から伝わってきます。

原田氏はとことん用地確保をなめているようでして、・・・

そうした被災地の実情を踏まえて本書をみると、いやまあ、誰が「欺瞞の構図」を作り出しているのかわからなくなりますねえ。

という怒りを秘めた文章が続き、ついに最後には、

こんなことをグダグダ書いたところで、シカゴ学派の創始者であったフランク・ナイトに、ミルトン・フリードマンとともに破門された「独占のすばらしさを歌い上げる冊子を書いたジョージ・スティグラー」の「捕捉理論」を取り出して「原発利権」を批判する原田氏(本書p.163)にとっては、ここでチホーコームインごときが批判したところで「利権に絡め取られた公務員が陰謀を明かされて逆ギレしやがって」くらいにしか思われないでしょう。まあそれはともかく私がショックだったのは、震災後いち早くCFWを提唱し「みたすキャッシュ・フォー・ワークが必要」とおっしゃる永松先生がご自身の推薦図書の筆頭に原田本を掲載していることです。「個人個人に復興資金が行き渡る復興支援をという主張には迫力を感じる」とのことで、そりゃまあ、これだけ現場を踏みにじりながら威勢のいいことをおっしゃれば「迫力」はありますが、そういうネタであることを祈るばかりです。

キャッシュ・フォー・・ワークを唱道する方々に対する絶望感にまでつながってしまっているようです。

「りふれは」の面々はどうしようもないとして、そうじゃない方々は、マシナリさんのこの絶望にどう応えたらいいのか、まじめに考えた方がいいと思いますよ。

2012年7月10日 (火)

サイバーエージェントの「ミスマッチ制度」

Image_gj1206_1雑誌『月刊人事労務』7月号に、「サイバーエージェントの「ミスマッチ制度」」という記事が載っています。

ふつう、「ミスマッチ」というのは、雇用政策で、求職者の能力や資格が求人と合わないので、それをどうにかするために職業訓練をはじめとして色々やるというような文脈で使われることが多いのですが、この会社の「ミスマッチ制度」は一味も二味も、いやいやまったく違うようです。

2012年4月、(株)サイバーエージェントは、特に素行面において極端に低い評価が続いた社員を配置転換・退職勧奨の候補とする「ミスマッチ制度」の運用を開始した。

最初からなかなかガツンと来ますが、「特に素行面において極端に低い評価」というと、どんなトンデモ社員かと思いますが、

同社は、会社の価値観に共感する(共感しようと努力する)社員に対しては、安心して長期的に働いて欲しいと考えている。

・・・このように、「働きやすさ」の対象となるのは、「会社の価値観に共感する(共感しようとする)社員」であり、その根源には、会社とベクトルが合っていない社員が成果を上げるのは難しく、成長や昇進の見込みが少ない、という現状がある。社員にとっても、文化や価値観が合わないまま働き続けるのは不幸なことであり、また、この条件を満たしていない社員が恩恵だけを享受し、社内に誤った安心感が蔓延することは望ましくない。そこで同社は、価値観に共感しない(共感しようとしない)社員に対する処遇の仕方を明確化することとした。それが「ミスマッチ制度」である。

なるほど、「価値観に共感しない」「ベクトルが合ってない」のが「ミスマッチ」だと。

半期に一度、各部署内で「価値観7割、成果3割」というウェートで評価した際に、下位5%に位置づけられる候補者を抽出してもらう。

なるほど、「5%」の相対評価、と。

査定会議を経た結果の1回目のD評価は「イエローカード」と呼ばれ、人事本部長が該当者と面談を行う。

・・・2回目のD評価は「レッドカード」と呼ばれ、D評価者本人が「他部署への異動」もしくは「退職」を選択する。

こうして、異動か退職を迫られることになるようです。、「価値観に共感しない」「ベクトルが合ってない「ミスマッチ社員」は。

いやあ、「こんなのをミスマッチと呼ぶのか」と、経済学者あたりは不思議に思うかも知れませんが、いやなに、個別労働紛争あっせん事案なんかを見ていれば、こういうのがげっぷが出るくらいいっぱいありますよ。

・10096(非女):「うちの事務所に合っていない」「解雇ですね」(10万円で解決)
・10110(非女):カラーに合わないを理由に普通解雇(不参加)
・10136(試男):社風に合わないことを理由に普通解雇(不参加)
・20048(非女):店長から「俺的にだめだ」と普通解雇(15万円で解決)
・20068(非女):社風に合わないから普通解雇(不参加)
・20104(正男):いったん内定したが営業向きでないと思い取り消し(25万円で解決)
・30044(非男):挨拶しなかったため採用4日後に「辞めて欲しい」(打ち切り)
・30083(正女):会社方針に合わないと普通解雇(不参加)
・30088(正男):会社方針に合わない(100万円で解決)
・30247(正男):社長交代で普通解雇(不参加)
・30261(正男):廃業し息子が後継するにあたり、他は継続雇用するが、本人は雇用したくないと普通解雇(取り下げ)
・30341(試女):「相性の問題ですね」と普通解雇(打ち切り)
・30555(正男):やる気なし、社長の意に沿わないとして普通解雇(打ち切り)
・30626(正女):再面接で社員としての適合性に欠けると判断して内定取消(不参加)
・30633(正男):有料紹介業者を通じて社風に合わないと解ったから内定取消(30万円で解決)

これこそ、労働経済学の教科書には絶対に書いてない日本の労働社会の「ミスマッチ」ですから。

若年者雇用対策担当者研修「関係する労働法令について」

本日、労働大学校にて若年者雇用対策担当者研修の中の一講義として「関係する労働法令について」を話してきました。まあ、1時間半で労働法の概略を説明するなどというのは誰にとっても無謀なことなので、とにかく若者から相談を受けたときにこれだけはということだけを話してきましたが、こういう時間的制約下で何を喋って何を喋らないかという選択は、人によっていろいろと個性が出るところかも知れません。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jakunenkenshu.html

「一体改革」はなぜ支持を広げないか@宮本太郎

Img_month 『生活経済政策』7月号が届きました。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/index.html

明日への視角
•不信と怒り/坂本義和
連載 地域から日本の国際化を考える[2]
•もう1人の青年モンテイ/木村陽子
特集 政治はどう向き合っているのか
—新しい社会的リスクへの対応
•新しい社会的リスクに対する日本の政治的動向/住澤博紀
•最低所得保障制度の構築の必要性/駒村康平
•家族という「危険な(リスキー)」ビジネス—ヨーロッパにおける「家族リスク」をめぐる議論/武田宏子
•「望ましい働き方(非正規雇用)ビジョン」の課題と労働組合の役割—非正規労働と社会保険適用の課題をめぐって/小島 茂
論文
•「原発」国民投票に道理あり/今井 一
報告
•「一体改革」はなぜ支持を広げないか—課題と展望/宮本太郎
書評
•宮本みち子『若者が無縁化する—仕事・福祉・コミュニティでつなぐ』/鈴木奈穂美

特集の論文も興味深いのですが、ここでは時期的にトピカルな宮本太郎さんの報告を。

宮本さんの言いたいことは、つまるところ「霞ヶ関型分断」に問題があるということなのですが・・・。

1つめは、税制改革と社会保障改革-財務省と厚労省の分断です。2つめに、社会保障改革と雇用政策、成長戦略の分断です。・・・3つめは、社会保障改革は自治体が舞台になるため、地域主権とも一体にならなければならないところで、総務省vs財務省・厚労省という分断が起きているということです。

この「分断」を、しかしながら世のおつむの柔い人々のように陰謀説で説明しないところが宮本さんの真骨頂で、

・・・財務省は相変わらず「金庫番」に徹しています。「一体改革」において、社会保障の機能強化が進まないことを含めて、全て悪玉財務省のシナリオなのだという議論はよく聞きます。しかし「霞ヶ関型分断」が起きる背景は、財務官僚個々が全て悪玉だからそうなるというのとは少し違う。財務省がなぜお金を出さないかというと、要するに彼らは信じていない。つまり、現役世代向けの支援にお金が回り、皆が働き、社会とつながる力を高め、税金保険料として戻ってくるという循環を信じていないのです。他方で確かに、社会保障改革が成長戦略や雇用政策と連動していないという事実がある。・・・

このような意味での分断に対して、やはりここに「政治主導」がなければならないと思います。政治が個々の官庁に成り代わる必要はまったくありません。しかし、個々の官庁もこの分断ゆえに政策目標を効率的に達成できないというジレンマを抱えていることを見ておく必要があると思います。

これは実感としてもまったくその通り。「個々の官庁に成り代わ」ろうとしてその劣化バージョンを演じるなどという道化芝居よりも、個々の官庁の役人には到底なしえない「政治主導」こそが必要なのに、それこそが欠落しているという悲劇。

地域主権についても、東京、大阪、名古屋という大都市の論理だけが表に立つ状況に、こう冷静に論じています。

・・・しかし「地方の利益」と言っても、大阪、東京、名古屋という大都市の利益と、北海道や沖縄の利益が、果たしてどこまで「地方の利益」としてくくれるのでしょうか。北海道や沖縄が自律的な発展を遂げるためには、例えば皆がそこで働けるようにする-地域が自立するためには、住民が自立しなければなりません。そのための社会保障改革なのです。現役世代向けの支援を強める社会保障改革-「翼の保障」や「参加保障」を、地域でやらなければならないのです。これは、公共サービスとして提供されなければならないのです。・・・

財務省については、こう語ります。

・・・財務省は「金庫番」をやめて「社会的投資家」になるべきです。国民から預かっているお金を有効に使う。それが地域に入り、雇用を作り、地域を活性化させ、戻ってくる。それが「社会的投資」です。怪しいからカネを出さないということを言うのではなく、ちゃんと最後までお金の行く末を見届けて、それが本当に役に立っているか、そこまで見届けて欲しいということです。

ほんとうはそれこそ「政治主導」な政治家の務めのはずなのですが。

2012年7月 9日 (月)

OECD『図表でみるメンタルへルスと仕事 疾病、障害、仕事の障壁を打ち破る』

102705OECD編著 岡部史信・田中香織訳『図表でみるメンタルへルスと仕事 疾病、障害、仕事の障壁を打ち破る』(明石書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.akashi.co.jp/book/b102705.html

なんですが、初めにちょっとだけ苦言を。

この本、もちろんOECDの報告書の翻訳で、その原著は

http://www.oecd-ilibrary.org/social-issues-migration-health/sickness-disability-and-work-breaking-the-barriers_9789264088856-en

ですが、どこにも「メンタルヘルス」なんて言葉はできてきません。いやもちろん、「Sickness, Disability and Work: Breaking the Barriers」というタイトルの「疾病」にも「障害」にもメンタルな疾病、メンタルな障害は重要な一部として含まれるわけですが、でもフィジカルな疾病、フィジカルな障害だってちゃんと含まれるんですよ。

実際、内容紹介を見ても、目次を見てもそれは明らかなんですが、

非常に多くの労働者が健康上の問題または障害を原因として永続的に労働市場から離脱しており、そして就労能力の減退している人が雇用を維持するということはほとんど見られない。この状態は、事実上、OECD加盟国のすべての国で共通している社会的・経済的な悲劇である。この状態はまた、説明を必要とする明らかな矛盾を生じさせている。その矛盾とは、平均的な健康状態が向上してきているにもかかわらず、しかしいまだに生産年齢にある大多数の人が労働力から離脱して、長期の疾病給付や障害給付を当てにしているのはなぜかということである。
 この報告書は、過去数年間にわたってOECDが取り組んできた疾病、障害、仕事に関する調査プロジェクトの結果を総合し、そして上述の矛盾の背後にあると考えられる要因を探求している。また、各種の団体と政策の役割を強調し、そして主要な関係者(労働者、雇用主、医師、公的機関、サービス提供者)に対する期待を高めることと適切なインセンティブが重要であると結論付けている。さらに、OECD加盟国間での優れた実績や悪しき実践例の調査を踏まえて、健康上の問題を抱えている人の就労を促進させるために、一連の主要な政策を改革することが必要であることを示している。
 この報告書は、数多くの重要な政策の選択肢――例えば、1)障害給付への流入を絞り込むこととその流出を高めること、2)健康上の問題を抱える人の雇用の維持を促進させることと新たにそうした人を採用すること――を検証している。本報告書は、2つの異なる不測の事態である失業と障害を区別する必要性に疑問を投げかけ、適切な証拠に基づく必要性を強調し、さらに政策を実施するための課題を浮かび上がらせている。
 本書の表紙の絵は、障害のある人の芸術作品の紹介普及活動を展開しているフランスの非営利団体Ateliers Personimages(www.personimages.org)のものである。

第1章 障害関連政策の経済的背景
 はじめに
 第1節 経済と社会にとっての障害のある労働者の重要性
  1.1 障害のある人の社会的・経済的インクルージョン
  1.2 人口統計学的な諸課題と将来的な労働力供給不足に対処すること
 第2節 障害のある労働者は労働市場で大きな障壁に直面する
  2.1 変化する労働市場の状況
  2.2 障害のある人の労働市場のアウトカムに対する経済の影響
  ・Box1.1 景気循環は障害のある労働者の労働市場のアウトカムにどのように影響するか
 第3節 景気循環および高齢化による障害給付の受給率と受給者数の動向
  3.1 障害給付受給率の動向は景気循環にどの程度影響を受けるか
  3.2 障害給付受給者数の動向は高齢化にどの程度影響を受けるか
 第4節 結論
 付属資料1.A1 障害の定義と測定
 付属資料1.A2 根拠となる補足資料

第2章 疾病・障害関連政策の主要な動向とアウトカム
 はじめに
 第1節 労働市場での障害のある人の不十分な統合
  1.1 就業率が低い
  1.2 パートタイム就労の割合が高い
  1.3 失業率が高い
 第2節 障害のある人の貧弱な資力
  2.1 可処分所得が少ない
  2.2 貧困リスクが高い
  2.3 雇用されてもいないし給付も受けていない
 第3節 疾病給付と障害給付のスキームに対する多額の費用
  3.1 公的支出は高額となっている
  3.2 受給者数が多くかつ増加してきている
  3.3 受給者の年齢構造が変化してきている
 第4節 給付制度にとっての好ましくない動き
  4.1 障害給付への前兆としての病欠
  4.2 障害給付流入率は高い
  4.3 障害給付からの流出はほとんどない
 第5節 結論
 付属資料2.A1 根拠となる補足資料

第3章 障害関連政策改革の最近の方向性
 はじめに
 第1節 OECD加盟国における主要な改革動向
  1.1 統合政策を拡大すること
  1.2 各種団体の編成を改善させること
  1.3 補償政策を厳格化すること
 第2節 疾病・障害関連政策の動向:変化と一致
  2.1 過去15年間での政策の変化を測定すること
  ・Box3.1 OECDの障害関連政策指標
  2.2 政策クラスターおよび政策の一致
  ・Box3.2 3つの主要な障害関連政策モデル
 第3節 障害給付受給者名簿への政策の変化の影響
 第4節 改革の政治経済学
  ・Box3.3 OECD加盟国の中で特筆すべき国からの政策過程の教訓
 第5節 結論
 付属資料3.A1 OECDの障害者政策の類型:指標スコアの分類
 付属資料3.A2 OECDの障害者政策の類型:2007年頃の国別スコア

第4章 障害給付を就業促進の手段に転換させること
 はじめに
 第1節 障害の査定から就労能力の査定へ
  1.1 就労能力を査定すること
  1.2 査定基準
 第2節 就労に向けての積極姿勢への移行
  2.1 就労関連活動に参加するための要件
  2.2 一時給付金と健康状態の定期査定
 第3節 就労が報われるようにすること:税・給付制度の改革
  3.1 障害給付の適切性と寛容性
  3.2 障害給付はその他の生産年齢関連給付とどのように比較されるか
 第4節 結論

第5章 雇用主と医療専門家を積極的にさせること
 はじめに
 第1節 健康上の問題を抱えている労働者の雇用維持のための雇用主のインセンティブを強化する
  1.1 健康状態を改善させる職場環境
  1.2 病欠を短縮させるための疾病モニタリングと管理者の責任
 第2節 雇用主がその責任を果たし得ることを確保するための措置を支援すること
  2.1 雇用維持と新規採用:本質的な課題
  2.2 雇用主がその責任に応じるための適切なサポートの提供
 第3節 医療専門家が就労への焦点を強化すること
  3.1 診療ガイドラインの整備
  3.2 医療専門家のための明確な行政管理手続
  3.3 診断書の体系的管理
  3.4 医師のための財政的インセンティブ
 第4節 結論

第6章 適切な人が適切な時期に適切なサービスを受けること
 はじめに
 第1節 担当機関の間での調整と協力を向上させること
  1.1 給付とサービスを統合させた入口に向けて
  1.2 不統一な制度を合理化すること
  1.3 資金提供の責任を一致させかつ分担させること
  1.4 ガバナンス:地域と地方の担当当局をモニターすること
  1.5 アウトカムの測定とプログラムの評価
 第2節 体系的かつ適切なやり方でクライアントと関わること
  2.1 サービスの供給と需要の均衡を保つための一層の投資
  2.2 問題点の早期の特定
  2.3 各種サービスの適切な調整の特定
 第3節 民間サービス提供者のインセンティブの向上に取り組むこと
  3.1 アウトカムベースの資金に向けて
  3.2 質、競争、サービスバウチャー
  3.3 民間サービス提供者の問題に取り組むこと
 第4節 結論

 訳者あとがき

いやまあ、なぜこういうタイトルになったかは実はよく分かっていて、「メンタルヘルス」と唱うと売上げが伸びるだろうという出版サイドの思惑であることは重々承知なんですが、それにしてもこの本にメンタルヘルスという題名はちょっとまずい。

812011181mなぜかというと、訳者あとがきにも書いてあるのですが、OECDはこの「疾病、障害、仕事」のプロジェクトの後、いよいよ本格的にメンタルヘルスに焦点を当てたプロジェクトを昨年11月に開始しているからなんです。

http://www.oecd.org/document/20/0,3746,en_2649_33927_38887124_1_1_1_1,00.html(The OECD "Mental Health and Work Project")

Mental illness is a growing problem in society and is increasingly affecting productivity and well-being in the workplace, says OECD.

Sick on the Job? Myths and Realities about Mental Health and Work says that one in five workers suffer from a mental illness, such as depression or anxiety, and many are struggling to cope.

The report challenges some of the myths around mental health and concludes that policymakers need to look for new solutions. Most people with a mental disorder work, with employment rates of between 55% to 70%, about 10 to 15 percentage points lower than for people without disorders.

メンタルヘルスって言葉をタイトルに唱うべきはやはりこっちでしょう。

と、一応必要な文句を言っておいた上で、本報告書が提起する革新的な政策提案として、「単一の生産年齢給付への移行」を紹介しておきます。

・・・一つの代替的アプローチは、さまざまな不測の事態に応じて完全に区別された状態を廃止し、またさまざまに準備された利用可能な生産年齢給付を単一のものに取り替えることを最終目標として、給付と制度を簡略化することである。

この革新的なアプローチは、OECD加盟国のどの国でも未だ試みられておらず、また近い将来にそれが実施される見込みもない。もっとも、この考え方は前途有望なものであって、この方向に一歩を踏み出し始めている国もある。・・・

あと、訳者の岡部史信さんという方は、日本でスペイン労働法を専攻しておられるたった二人のうちの一人です。

もう一人は博物士こと大石玄さんであることはご承知の通りです。

http://d.hatena.ne.jp/genesis/

2012年7月 8日 (日)

労働組合は政治の婢ではない

黒川滋さんのエントリで、

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2012/07/7610-b01b.html(ラジオパーソナリティーの反原発デモに労働組合でもなく10万人集まっているという表現から考えさせられたこと)

たまたまFMのJ-WAVEが、毎週金曜日に行われてきた反原発のデモが大きくなっていることを伝え、「労働組合でもなく学生運動でもなく、こんなに集まった」という、いかにもな表現をされていました。

こういう表現は今に始まった話ではありませんが、いろいろ考えさせられるものがあります。

一つには、労働組合が職場における労働力商品の取引の売り手側の当事者であるということがほとんど語られないこの社会のなかで、単に社会的正義を追求するための政治的ステークホルダーとしてしか見られておらず、その結果としてネガティブな評価しか与えられていないということです。

・・・しかし日本では労働組合というと政治闘争にあけくれている印象があり、それが運動業界にいる人には「最近の労働組合は社会正義のために立ち上がらない」という評価になり、ラジオのパーソナリティーのようにクリエイトな仕事をされている方々には「労働組合がいない」ということが評価になるように、労働組合が位置づけられてしまった経過は何だろうかと考えざるを得ません。

どうして労働組合と社会運動、政治運動に対して、こんなねじこれた議論の仕方になってしまったのでしょうか。そもそも労働組合の本業からは政治的闘争に参加するということは、当たり前のことではなく、労働組合としての本業があって、その過程で組合員の突き上げや、労働組合運動の必然性として、そうでなければ組合員への覚醒を求めるための「組織強化」の取り組みとして行われるというものです。ですから反原発運動に労働組合が参加していないことを問題視したり、あるいはラジオのパーソナリティーのように参加していないことを美化したりするような筋合いのものではないと思っています。

という記述を読んで、改めて現代日本の表層的言論において労働組合というものの本来的な意味での存在意義がまったく理解されず、ただ政治イデオロギーの婢としてのみ褒められたり貶されたりしているという哀しい状況が示されていると感じました。

このあとに黒川さんが書かれているように、それには過去のいろんな経過やら何やらがあるのですが、それにしても、労働組合の本業である労働条件の改善のための活動の手足を縛られているために政治活動に熱を上げてきた官公労が、その政治活動ゆえに攻撃されているというまことに皮肉な状況というのも、なかなかシュールではあります。

ちなみに、労働組合自身がそういう勘違いをしている事例として、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-4ed1.html(日本教職員組合の憲法的基礎)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-ad08.html(認識はまったく同じなのですが・・・)

上の記事の原発をめぐる問題については、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-95fd.html(労働組合と原発)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-2caa.html(少なくとも労働組合にとっては味噌ではない)

公務員労組関係では、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-4120.html(労働組合兼従業員代表機関の逆説)

ここに黒川さんのコメントも付いています。

も一つついでにいうと、山形浩生氏がその書評ブログで、矢部史郎という人の『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』を取り上げているのですが、その中で矢部氏のこういう記述をこういう風に批判していて、

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120706/1341555164(『放射能を食えというならそんな社会はいらない』:おまえがいらない。

この人は、福島原発でのいまの作業者たちがストライキをして、それで原発周辺や東日本全域が危機に陥ればいいと本気で言ってる (p.159)。でも、そのストをするはずの作業員はアンタじゃない。アンタが安全なところから、他人がストやってくれないかなー、なんて他力本願で夢想するのがいかにくだらないことか。そしてそれによる安易な破壊待望がいかに卑しいものか。今の社会での放射「能」の拡散が許せない、そんな社会いらないと言った舌の根も乾かないうちに、ご自分の厭世思想の実践のために原発をわざと破壊すればいいと主張する物言いがいかに下劣なことか。あんたの社会はもっといらないわい。

私はこの矢部氏の本は見ていないので、彼がどういう文脈でそういっているのかは分かりませんが、もし原発作業員がその劣悪な労働条件の改善を求めてストライキをする権利があるという趣旨でいっているならば、それはまったく当然のことでしょう。国民の命のためにお前らは奴隷として犠牲になれという権利は誰にもありません。

しかしながら、上の引用とそのあとの山形氏の記述からすると、矢部氏は原発作業員の労働条件を心配してそう述べているというよりも、反原発イデオロギーのための手段としてそういっているようにも思われ、そうだとするとそれは労働者を自分のイデオロギーのための手段として恥じない発想ということになります。

なんにせよ、矢部氏にせよ、山形氏にせよ、「労働組合が職場における労働力商品の取引の売り手側の当事者であるということ」がすっぽりと欠落していることだけは間違いないわけで、これまたなんとも哀しき状況というところでしょう。

2012年7月 7日 (土)

40歳定年制の法律的意味

「しゃくち」さんが紹介している、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-c658.html#comment-90903653

雇用流動化へ「40歳定年を」 政府が長期ビジョン

見出しがセンセーショナルですね

でも確かに、そういう表現が出てきていますね。

http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120706/hokoku1.pdf

さらに、企業内人材の新陳代謝を促す柔軟な雇用ルールを整備するとともに、教育・再教育の場を充実させ、勤労者だれもがいつでも学び直しができ、人生のさまざまなライフステージや環境に応じて、ふさわしい働き場所が得られるようにする。具体的には、定年制を廃し、有期の雇用契約を通じた労働移転の円滑化をはかるとともに、企業には、社員の再教育機会の保障義務を課すといった方法が考えられる。場合によっては、40 歳定年制や50 歳定年制を採用する企業があらわれてもいいのではないか。もちろん、それは、何歳でもその適性に応じて雇用が確保され、健康状態に応じて、70 歳を超えても活躍の場が与えられるというのが前提である。こうした雇用の流動化は、能力活用の生産性を高め企業の競争力を上げると同時に、高齢者を含めて個々人に働き甲斐を提供することになる。

まあ、言いたいことは分からないではないですが、定年という言葉の意味を素人レベルでのみ考えているため、厳密な議論には耐えられない文章に仕上がっているようです。

上記しゃくちさんのコメントのついたもとのエントリで述べているように、「定年」とは法律的に厳密に言えば、年齢のみを理由とする雇用契約の終了を、それのみを指します。したがって、世間で「選択定年制」とか「役職定年制」などと呼ばれているのは「定年」ではありません。

これは曖昧な世間日本語で考えていると分からなくなりますが、いったん英語に直して、「compulsory retirement age」(強制退職年齢)と言えば、素直に理解できるでしょう。

従って、このフロンティア部会の方々がどういう曖昧な理解で使っていたとしても、いったん文字になった以上、「40歳定年」とは、40歳に達したことを、それのみを理由にして一方的に雇用契約を終了することを、「50歳定年」とは、50歳に達したことを、それのみを理由にして一方的に雇用契約を終了することを指します。それ以外の意味にとってくれというのは無理です。

従って、その次に「もちろん、それは、何歳でもその適性に応じて雇用が確保され、健康状態に応じて、70 歳を超えても活躍の場が与えられるというのが前提である」という文章が続くとすると、それは書いた本人の主観はともかくとして、客観的には精神の統合性を疑わせるに足る意味不明な文章とならざるを得ません。

こういうことになるのは、このフロンティアな方々にとっては、定年というのは絶対的な雇用保障年齢であって、いかなる理由があっても定年までは解雇できないなどという日本国の法体系に反する想定をしているからなのでしょう。

同じことが「有期の雇用契約を通じた労働移転の円滑化をはかるとともに」という、意味不明な文章にもよく現れています。

言うまでもなく有期雇用契約というのは、期間満了までは契約を解除することが「やむを得ない」場合を除いて制約されるのであって、「いつでも」解約できる無期契約よりも「労働移動の円滑化」が図られるというのは、少なくとも労働者側から見ればまったく事実に反します。

それが労働移動の円滑化だというロジックは、短期の有期契約を何回も繰り返して好きなときに雇い止めできるという状況を前提にした使用者側から見た議論なのであって、政府の中枢部の出す文書にこういう無神経な文章があまり堂々と出ない方がいいのではないかと思われます。

上記文章の言いたいことの筋道からすれば、余計なことをいうのではなく、単純に「定年制を廃止して、能力のある限り働けるようにしましょう」とだけ言っておれば良かったのではないかと思われますが。

(追記)

Masanork_300_normal楠正憲さんが

http://twitter.com/masanork/status/221519011815501824

ところで有期雇用契約って労働者側の辞職する権利も制約するんだっけ?

と質問されていますので、お答えします。

はい、制約します。

なので、1年を超えたら、わざわざその制約を外すために、労働基準法附則第137条にこういう規定を設けたのです。

第百三十七条  期間の定めのある労働契約(一定の事業の完了に必要な期間を定めるものを除き、その期間が一年を超えるものに限る。)を締結した労働者(第十四条第一項各号に規定する労働者を除く。)は、労働基準法の一部を改正する法律(平成十五年法律第百四号)附則第三条に規定する措置が講じられるまでの間、民法第六百二十八条の規定にかかわらず、当該労働契約の期間の初日から一年を経過した日以後においては、その使用者に申し出ることにより、いつでも退職することができる。

逆に言えば、これに該当しない場合は「いつでも退職することができる」わけではなく、民法の原則に従い

第六百二十八条  当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合において、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相手方に対して損害賠償の責任を負う。

となります。

(再追記)

ちなみに、上記文章を読んでこういうことを言ってると、労働法的には零点になります。そういう人事コンサルは危ないですね。

http://twitter.com/joshigeyuki/status/221759294113202176

40歳定年というのは要するに年功序列の完全否定であり、新人には即戦力が要求される社会でもある。40歳定年考えた人と超エリートコース設置を決めた東大の中の人には、同じビジョンが見えているんだろう。

いうまでもなく、年齢のみを理由とする雇用終了を認めるか否かと、賃金の決定基準をどこに置くかは、法律上は何の関係もありません。

こういう人事コンサル氏は、定年を禁止しているアメリカに行っても同じことを言うのか、大変興味深いところです。

リフレ派学者の方々の財政disにネットリフレ派がついていけないという現象

ネタですが、思わず吹き出しました。

http://twitter.com/sankakutyuu/status/221175893048045568

リフレ派学者の方々の財政disにネットリフレ派がついていけないという現象が消費税法案可決以降わりと鮮明になってますね。

http://twitter.com/yukoba1967/status/221206380055506944

リフレ派学者のみなさま、需給ギャップ広げちゃいかん、ってことで消費税増税反対してたのかと思ったのだが、どうもなにか違うようなのだな。

http://twitter.com/yukoba1967/status/221206579515629570

増税するとデフレギャップが大きくなる、と言ってたのに、財政拡大しても効果はない、むしろ緊縮すべし、というその理屈が、まったくもって理解できない。

http://twitter.com/yukoba1967/status/221207141502042112

しかもここにきて、財政いくない!の理由として、公共事業依存体質になってしまう、みたいなことまで言っておる。なかなかのシバキ上げ風味だ。

http://twitter.com/yukoba1967/status/221208426624196608

なんか「財政に依存」=癒着だ甘えだ不公平だ歪みだ 的な、でそこをとても大きな問題と捉える価値意識が前面に出てきているように見える。

http://twitter.com/yukoba1967/status/221208679230357504

どうせ価値意識にまみれるのなら、失業、貧困を減らすことが最優先、を前面に出していただきたい。歪んでも削るよりはマシ、とは思えんのかな。

だから、「りふれは」は最大のシバキ派だと、ずっと前から言い続けてきておるわけですが・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)

ただ、このコメントからすると、いままでリフレ派は国民生活のことを考えてシバキを批判しているからと、あえて批判を抑制していたのは無意味であったということになりますね。それはそれでよくわかりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-be58.html(松尾匡『不況は人災です』)

もともと社会党系である松尾さんが気にするのは、本来完全雇用を求めるべき左派がシバキ主義に走ってしまうことであるわけですが、それと裏腹の関係にあるのが、まさにシバキ主義むき出しの政治的志向をもつ人々が、なぜか金融政策においてのみ「りふれ」を掲げることによって、あたかも「りふれは」というのは片っ端から仕分けして公共サービスをことごとく叩き潰せと喚き散らす脱藩官僚(脱力官僚)率いる人々のことであると、良識ある多くの国民が考えるようになっているという実態があるわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-5b02.html(「りふれは」はシバキ派)

2012年7月 6日 (金)

『労働法律旬報』7月下旬号のお知らせ

旬報社のサイトに、『労働法律旬報』7月下旬号の予告が載りましたので、こちらでも宣伝。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/776?osCsid=20fdb65ee7a87c9e17ed01774cf50357

[巻頭]学者の社会的責任考=和田肇・・・04
[シンポジウム]労働組合による労働者供給事業の可能性―非正規労働問題の解決に向けて・・・06
労組労供の実態=本田一成・・・07
労働者供給事業をめぐる法的論点=武井寛・・・16
労働組合による労働者供給事業の可能性―非正規労働問題の解決に向けて=橋元秀一・・・24
パネルディスカッション=橋元秀一+濱口桂一郎+山根木晴久+伊藤彰信・・・30
全日本港湾労働組合(全港湾)=伊藤彰信+山賀茂・・・40
介護・家政職ユニオン=小嶋真生・・・42
新産別運転者労働組合(新運転)=太田武二・・・44
電算労コンピュータ関連労働組合(コンピュータ・ユニオン)=横山南人・・・46

[研究]ドイツにおける偽装請負をめぐる法規制=高橋賢司・・・48
[解説]国公私学大学政策の転換へ=深谷信夫・・・57
[研究]外国労働判例研究189ドイツ/社会的選択の際の年齢グループと点数表―解雇制限法と一般平等取扱法との関係=佐々木達也・・・66
[紹介]一橋大学フェアレイバー研究教育センター57ウォール街占拠運動―新しい社会運動の可能性(上)=青野恵美子+高須裕彦・・・70

というわけで、去る2月23日に國學院大学で開催された労組労供のシンポジウムが特集です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-ad35.html(國學院大學労供研究会シンポジウムについて)

併せて、労組労供を実施している組合の方がそれぞれの活動の実態を書かれているようです。

2012年7月 5日 (木)

当たり前の政治が欲しい@dongfang99

dongfang99さんが「当たり前の政治が欲しい」という痛切な文章を書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20120703

現在、「増税」をめぐって政界再編が起きようとしている。民主主義の政治において重要なのは適切な争点の設定であるが、まさに「増税」ほど不適切な争点はなく、日本の政局の混乱および政治(という以上に民主主義への)不信、政策の停滞の元凶であると断言してよい。

社会保障はもちろんのこと、景気や財政の話ですら重要性がなくなってしまい、「国民は我慢して増税を受け入れるべき」か、それとも「増税の前に政治家・官僚が身を切るべき」かという、・・・誰が我慢すべきかという不毛な精神論の問題になってしまう。

社会保障問題で増税に賛成している人や、デフレ脱却への関心で増税に反対している人は、まずは足もとの政治勢力や世論をじっくりと眺めるべきだろう。そうした「増税/反増税」という一点では共有している勢力や世論の声が、自分の関心とあまりに隔たっているということはすぐに理解できるはずであり、ゆえに「増税」をめぐる政策論争や政局がそもそも不毛なものでしかない、ということもただちに認識し、そうした不毛な政局から撤退しなければならない。

まあ、それが分かるような人であれば、はじめから政局に熱中するなどという愚かなことはしていないのでしょうけどね。

財務系の学者や政治家が緊縮増税を訴えるのは不愉快だが仕方ないとして、問題は反対する側が、彼らのつくった土俵に安易に乗っかって「反増税」で応酬してしまったことで、需要喚起・脱デフレや社会保障の機能強化という「反緊縮」の問題が争点から消えてしまったことである。政治において敗北というのは勢力の多寡で負けるということではなく、自分が選択すべき争点が消えてしまうことである。たとえ少数派だとしても、「反緊縮」を訴える足場がしっかりあることが重要であるにも関わらず、「反増税」論者は「デフレ下の増税は税収を減らす」という(当然論戦にかけては百戦錬磨の財務系の人も織り込み済みであろう)批判ばかりにかまけてしまうことで、その足場を自ら解体してしまった*1。

緊縮や反緊縮という以前に増税阻止が重要なんだという人がいるかもしれないが、それは全面的に間違っていると考える。そういう増税政局への加担が増税阻止すら実現できず(よしんばできたところで泥沼の道でしかなく)、かえって「増税派」を政治的に結束させ、増税派・反増税派ともに緊縮財政派の一人勝ち状態になってしまっていることは、既に現実が証明していることである。

まさに「りふれは」諸氏の最大の貢献というのは、「増税してお金を使おう」というごく普通のソーシャルな発想の入る余地を議論の場から抹殺することによって「緊縮財政派の一人勝ち」を実現させてしまった点にあるのでしょう。

dongfang99さん自身は、もはや絶望の中で、

これまでも、増税を政治の争点にすべきではなく、需要創出に関心を持つ人たち(社会保障論者を含む)が金融、公債、税などの手段を超えて政治的に連携すべきと主張してきたのだが、ほとんど理解・共感されたことはない。また泥沼にはまって無駄な時間を費やしていくいくだけなので、もうこれ以上は禁欲してこの話題は二度と書かないことにしたい。

と言われていますが、その思いを理解できる人々がいないのであれば仕方がないのでしょう。

『日本の雇用と労働法』三刷のお知らせ

112483 日経文庫の編集者の方から、拙著『日本の雇用と労働法』の3刷のご連絡を頂きました。昨年9月の出版からまだ10か月足らずですが、このように多くの方々に読んでいただけるのは嬉しい限りです。

さて、その知らせの中に、岩波新書と日経文庫の両方に著書があるというのはほかに思いつかない、という一節がありました。

確かに、ぱっと思いつかないので、日経文庫のリストを見ていたら、

http://www.nikkeibook.com/search.php?page=2&title=&writer=&keyword=&ISBN=&goods_flg=20&year=&month=&condition=0&sort_key=0&sort_order=0&sort_number=20&shokuno=&kaiso=&sgenre=&lgenre=&series=6

品切れ重版未定ですが、鈴木淑夫さんの『経済学入門シリーズ 金融』ってのがありました。岩波新書でも『日本の金融政策』を書かれているのはご存知の通りですが、残念ながらこちらも版元品切れのようです。

2012年7月 4日 (水)

「途中からノンエリート型雇用」のアキレス腱

5月23日のHRmicsパネルディスカッション実録の後編がリクルートエージェントのサイトにアップされています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/hrmics-2574.html(HRmicsパネルディスカッション実録(前))

http://www.r-agent.co.jp/kyujin/knowhow/tatsujin/( 定年制をめぐる諸問題についての、識者・現場担当者のパネルディスカッション(後篇))

パネリスト:
濱口桂一郎氏(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 労使関係・労使コミュニケーション部門 統括研究員)
水町勇一郎氏(東京大学社会科学研究所 教授)
中澤二朗氏(新日鉄ソリューションズ株式会社 人事部 部長)
田中宏昌氏(日本電気株式会社 人事部 主任)

司会:
海老原嗣生(HRmics編集長)

例によって、わたくしの発言部分だけをこちらに引用しますが、水町さんも「日本とヨーロッパを比較する意味は十分にある」と強調していますし、是非リンク先をご覧下さい。

濱口 これは誤解されがちだが、日本型雇用は平等主義でぬるま湯的、というのは正しくない。日本企業ほど、ホワイトカラー、ブルーカラー問わずに厳密な査定を行い、少しずつでも社員の処遇差をつける企業は世界にない。差をつけることでやる気を涵養し、しかも、差を大きくつけ過ぎないことで、あきらめる人を出さない。その絶妙な匙加減でやってきた。このやり方がうまく行くのは、繰り返しになるが、若い人が多い、人口ピラミッドがきれいな三角形の時だけである。その形が大きくいびつになった。これからさらにいびつさを増すのはご承知のとおりだ。今までのよさを維持しながら、何を、どう調整していくのか、熟練した外科医のような手さばきが必要になっている。

濱口 海老原さんが提示された「途中からノンエリート型雇用」にはアキレス腱が存在する。若い頃は日本型でバリバリ働いてもらい、中年になったら欧米型となり、大多数がノンエリートに移行、ということになると、田中さんが危惧される「できなくなってしまった人」が大量に発生する事態となり兼ねない。システムは全体がつながっているから一つのシステムなのであって、二つのシステムのいいとこどりではかえってうまく行かない場合もある。かといって別の妙案が私にあるわけでもない。人事の皆さんの努力を待つほかない。

2012年7月 3日 (火)

竹信三恵子『しあわせに働ける社会へ』

500715朝日の記者から和光大学に行かれた竹信三恵子さんの『しあわせに働ける社会へ』をお送りいただきました。岩波ジュニア新書です。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jr/toku/1206/500715.html

ジュニア新書ですから、語り口は易しいですが、中身は一般向けの本と比べて全然レベルを落としていません。竹信さんの現時点での全力投球の本です。

編集部の方の紹介では、

「しあわせな働き方」ときいて,あなたはどんな働き方を想像するでしょう.そんなことを考えている暇があったら,一社でも多くエントリーして,入社試験を勝ち抜き,安定した名のある会社に就職することが大事! そのためには資格をとったり,ボランティアをしたりして自分に付加価値をつけることが重要! 足がかりをつくるためには就職に有利な学校にはいることが大切! そんなふうに考えている人も多いことでしょう.
「みんな,就職することが先で,どう働くかまでなかなかイメージできないようです」とおっしゃったのは,中高生や大学生に,労働法や労働者の権利を紹介する講座を開催する弁護士さんでした.ゆえに本書では,「働く」ことを具体的にイメージし,今の社会のなかで働く仕組みがどうなっているかをみていきます.「大手だから安心!」「正社員だから大丈夫!」とはいえない現実にへこみそうになるかもしれません.が,そんな社会に風穴をあけようとする若者たちの取り組みや生き方に,この世の中がまだまだがすてたものではないことがわかります.しあわせに働ける社会は,みんなでつくっていくもの,そう感じていただける一冊です.巻末には,労働相談窓口を付し,困ったときの駆け込み先を紹介しました.

目次は次の通りです。

はじめに

第1章 就職難は若者のせいなのか
それは「ぜいたく」なのか/それは「スキル」のせいなのか/それは「えり好み」のせいなのか/それは「覇気のなさ」のせいなのか/労働の手すりが腐食した/手すりが腐ったわけ/「新時代の『日本的経営』」構想/「自己責任」主義の限界

第2章 正社員,大手企業なら安心なのか
会社は「働く」の足がかりにすぎない/「社畜」といわれた人びと/フリーター人気/名ばかり正社員の広がり/中心的正社員にもリスク/「多様な正社員」で大丈夫か/中小企業の再評価を

第3章 まともな働き方をさぐる
「前期ロスジェネ」からの出発/ブラック企業の連続/「派遣切り」がやってきた/介護労働と「便利屋」にかけた夢/労働相談への関心/サブカルチャーに支えられ/キャバクラ労組の登場/反貧困のたすけあいネット/人間関係で食べていく/長時間労働を押し返す/大人の支え

第4章 落とし穴に備える自分づくり
落とし穴を知っている人,知らない人/働くことの楽しさと苦しさ/労働教育とキャリア教育の両輪を/雪玉型とリセット型/雪玉の核をどうつくるか/自分史年表を書いてみる/方向を定め直す/未来年表で歩き出す方向を考える/時間を生み出すための二四時間手帳/負け癖から抜け出す/自立とは人に助けを求められる力

第5章 しあわせに働ける仕組み作り
それは偉い人が考えればいいこと?/過労死を防ぐ労働時間制度/なぜ長時間労働が騒ぎにならないのか/安定雇用をつくり出す/労働権と派遣法/賃金差別を防ぐ仕組みづくり/安全ネットをつくる/だれが仕組みを変えるのか

おわりに

社畜からブラック企業までてんこ盛りです。

はじめの方で、竹信先生が非正社員として働く若者の低賃金や不安定さを説明したら、学生の1人がこう書いてきたというエピソードも、分かったつもりの学生が分かってないその分かってなさぶりが哀しいまでのエピソードになっていて、なかなか上手いのですが、

「学生のうちにしっかりスキルを身につけておけば正社員になれるはず。非正社員になった人は遊んでいて会社に選ばれるようなスキルを学ばなかったからで自業自得だ。自分は資格学校にも通って勉強しているので大丈夫だ」

竹信さんはひと言

うーん、がんばってるなあ。

でも、その頑張りが素直にそのまま評価されるほど、れりばんすじゃないのよ、この社会は。

最後に、本書のタイトルのもとでもあり、「はじめに」でも引用されている「しあわせのうた」は、こんな歌です。たぶん、本ブログを読んでいる方の多くは知らない歌だと思います。

超絶メンバーシップ型インターンシップ

上西充子さんのつぶやきから。

中身は経産省からリクルートに委託されている海外インターンシップGLACに関するものです。

http://twitter.com/#!/mu0283

経産省からリクルートに委託されている海外インターンシップGLACに関して再度。HPのQ&Aが充実してきたが、一次選考で何人合格させるのか、一次選考はWEB試験の結果だけで判断するのかなど、「選考に関する詳細については、お答えできません」と。

「文理枠の設定は行っておりませんが、学生に対し語学や理系知識を求める企業がある場合、全合格者の中から条件に合う学生を派遣させていただく予定です。」「語学力を必須とする企業もあるため」・・それで「大学・専攻・学年・語学力、不問」を全面に出しちゃダメだよね。

7/5応募締切、7/13-22ES提出・面接、7/17~順次合格発表、8/23-25成田で国内事前研修、8/26-9/7海外インターンシップ研修。見落としていた点は、直前の国内事前研修時に初めて、インターンシップ地域・企業が発表されること

地域・企業を選んだ応募ができないのは把握していたが、面接では受け入れ先企業とのマッチングが行われるのだろうと予想していた。が、経産省のGLAC担当者から伺った話では、面接は受け入れ企業が行うわけではなく事務方(経産省?リクルート?)が行う予定、とのこと。

つまり、面接に合格した学生は、企業や仕事内容はもちろん、ベトナムに行くのかインドに行くのかさえおそらくはわからないまま、手荷物を持って成田の研修に集まり、そこで発表された場所にそのまま飛行機で向かうということ!

「最終意志確認の書面取り交わしを8月早々に予定しています。それ以降の辞退は原則受け付けられないことを、ご承知おきください。」

どの地域に行くのか、どの企業でインターンシップを行うのか、どういう仕事をするのか、何も知らされないまま、「最終意思確認の書面取り交わし」を8月早々に行う、と。現行のインターンシップにはガイドラインが何もないという問題性が、ここに端的に表れている。

お話を伺った経産省のGLAC担当者の方は、学生を前に、治安や衛生などの自己管理ができることも重要、と語られた。しかし、上記のようなスケジュールで、そのような準備を求めるのは無理だ。

経産省のGLAC担当者の方が、私と同様の懸念を共有していないらしいことが気になった。霞が関官僚の方々は、どの地域のどの仕事への異動も、受け入れて対応してきた経験を積んでいる。だから上記のような扱いに学生がさらされることに問題性を感じないのではないか。

経産省GLAC担当者の方には、インターンシップに参加する学生、応募したが参加できない学生、それぞれの目線で、プログラムを見直してほしい、とお願いした。

お話の中で、インターンシップ内容として、「政府に提出する書類を書く」「プログラミング」という例が挙がった。例えばそういう例をGLACのHPに出すだけで、自分の能力とインターンシップ内容を照らし合わせ、応募は減るだろう。

例を出さずに応募だけ呼びかける、語学力が(当然ながら)必須の企業もあるのに「語学力、不問」と呼びかける、おそらくは文系より理系、1年生より3年生の方が参加可能性は高いだろうに、「専攻、不問」「学年、不問」と呼びかける・・。

それが、リクルートの戦略であるだけでなく、経産省も同意している内容であるということが、何とも無力感を覚える・・・。

まあ、経済産業省の頭にあるのはグローバル人材という名の超絶メンバーシップ型「世界中どこへでも」的エリート労働者であって、その甲羅に似せて穴を掘っているのでしょう。

それで「大学・専攻・学年・語学力、不問」というのはいささか詐欺的ですが。

労働者自主管理は究極のメンバーシップ型

POSSE坂倉さんとマシナリさんのやりとりから、

http://twitter.com/magazine_posse/status/219359760867274752

『POSSE vol.15』の小熊さんインタビューを評価していただいてますが、「集団的労使関係の再構築が重要だと考えている立場」からむしろ、熊沢誠さんのインタビューを論じていただきたいですね。/根本的な誤解

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-518.html#comment845

POSSEの板倉さんからツイートをいただいたようです。

「板倉」じゃなくて「坂倉」です、と、私がいうのも変ですが、

・・・熊沢先生は組合側と管理者側がバーターで手当などを措置するマヌーバー的(背面服従)な癒着を断って、公務員が自らの仕事を「自律」することが必要だということを指摘されているのですが、それってまさに労働者の「メンバーシップ」的労働を強化することにしかならないのではないかと。サービス残業なんてのは「自律」的に働いているから超勤なんか要らないとメンバーである労働者に言わせているのであって、特に公的部門とか福祉とかボランティアの世界では、「自律」に「やりがい」を上乗せした「やりがい搾取」が問題となっているのも現実です。

・・・公務員労組の取組を「階級的もの取り主義」から「自主管理的労働運動論」に転換するという熊沢先生の主張の趣旨はわからないではありませんが、上記のような「メンバーシップ」的労働をさらに強化するものになり得る点は十分に注意する必要があると考えます。公務労働者はあくまで行政組織に労務を提供する存在であって、(ある程度まではやむを得ないとしても)それと心身ともに一体化する必要はありませんし、インタビューで取り上げられている欧米の公務員労組もそうした前提に立脚しているはずです。

ここでマシナリさんが指摘されていることは、ある意味で日本の労働運動の歴史、さらには世界の労働運動の歴史の根本に関わる問題でしょう。

資本主義社会で「歯車」にされてしまった労働者たちが、自分たちが生産の主体であった古き良き時代を取り戻そうとしたのが社会主義運動であったとすれば、それをストレートに体現する労働運動が労働者自主管理であることは確かです。

それは、「歯車」であることを受け入れる代わりにそれ以上の要求をはねつけ、自分たちの領域を確保することをめざした労働組合主義とは対極にあります。

そして、日本型メンバーシップモデルには、戦前の人格要求や終戦直後の生産管理闘争に見られるように、「歯車」であることに満足せず、会社のメンバーとして生産の主体たらんとした労働者たちの希求が込められているという意味において、皮肉ではなしに「労働者自主管理」に近い性格があるのですね。

そして、そういう労働者自主管理がある方向に定向進化すると、「自律」に「やりがい」を上乗せした「やりがい搾取」が瀰漫するというのも、まさに福祉の世界によく見られる通りであるわけで。

2012年7月 1日 (日)

「志」のある業務請負

A山内栄人『図解 人材派遣会社向け「業務請負」の基本とカラクリ』(秀和システム)をお送りいただきました。

http://www.shuwasystem.co.jp/products/7980html/3386.html

この本、タイトルを見ても、表紙を見ても、典型的なハウツー本という感じですが、読んでいくとなかなかそれを超えたところがあります。

人材派遣会社向けに「業務請負」事業を実際に立ち上げ、進めていくうえで必須のノウハウを解説した実務・実践マニュアルです。人を連れて行くだけで成立していた人材ビジネスの時代から脱却し、これからの時代に生き残るには業務請負事業をすすめていかなければなりません。本書は、人材ビジネス全般の話題から、業務請負の起源、業務請負会社の仕組み、収益を高めていくための実践例、リーダーの育成、請負単価の考え方や算出方法、営業戦略、求人戦略、将来展望まで、業務請負事業の進め方を事例や帳票サンプルなどをまじえつつ解説しています。

「人を連れていくだけの派遣」から脱却し、まっとうな業務請負はどういう風にやるのかを、請負単価の設定の仕方まで懇切丁寧に説明していきます。リンク先に細かい目次が載っています。

第1章 業務請負業界の過去と現在
1-1 人材ビジネスの全体像について
1-2 派遣と業務請負の違い
1-3 業務請負の起源
1-4 業務請負の法律
1-5 業務請負のこれまでの推移
1-6 個人請負という課題
1-7 業務請負の存在意義とは

コラム 筆者は請負現場出身!?

第2章 業務請負会社経営の仕組み
2-1 派遣と業務請負の利益構造の違い
2-2 業務請負会社の構造とは
2-3 営業部門のお仕事
2-4 管理部門のお仕事
2-5 総務・経理部門のお仕事
2-6 人材採用部門のお仕事
2-7 法務部のお仕事
2-8 請負の契約とは

コラム 業務請負は大変か!?

第3章 業務請負と認められる要件とは
3-1 請負法は存在しない
3-2 請負と認められるためには
3-3 請負の要件
3-4 請負と委託
3-5 適正な請負と完全な偽装請負
3-6 出向ほど曖昧なものは無い
3-7 今日の天気は指揮命令?
3-8 エリアの混在は作業の混在か?
3-9 発注者の応援は即アウトか?
3-10 偽装請負となりやすい単価とは
3-11 一番厄介な緩急の調整とは
3-12 請負とは小さい会社である

コラム 派遣と請負は根本的に違うモデル

第4章 業務請負で収益を高めるために
4-1 粗利益の変動はリスクではなくチャンス
4-2 単価設定が間違いでは利益は出ない
4-3 徹底的な5Sが利益をもたらす
4-4 請負会社=コンサルティング会社である
4-5 見える化であらゆるものを数値化せよ
4-6 トラブルこそ成長のチャンス
4-7 作業者特性を利用せよ
4-8 末端まで数値を浸透させよ
4-9 儲かれば、従業員や発注者への還元も
4-10 上げて下げての単価で購買納得

コラム 5Sは万能の改善方法!

第5章 指揮命令者育成マニュアル
5-1 派遣のリーダーと請負のリーダー
5-2 請負リーダーが成長しない理由
5-3 請負リーダー育成方法・ 現場作業者から
5-4 請負リーダー育成方法・ 営業マンから
5-5 請負リーダー育成方法・ 中途採用から
5-6 請負リーダー育成方法・ 転籍を活用して
5-7 請負新規立上げ時は営業マンから
5-8 請負リーダーが営業マンになると…
5-9 キャリアパスの重要性
5-10 請負の品質は指揮命令者で決まる

コラム 請負リーダーは何でも屋!?

第6章 請負単価の概念
6-1 儲けを出したいなら1件、1個単価
6-2 受託領域が曖昧では単価を出すことは出来ない
6-3 年間の変動を知らなければ確実に泣くことに
6-4 購買から出てくるサイクルタイムは疑え
6-5 通常作業時間以外が鍵に
6-6 上限と下限は保険となる
6-7 募集時を想定した設定を
6-8 必要となる経費はすべて書き出す
6-9 真剣にやるからこそ、PL保険は重要
6-10 すべての経費を固定費と変動費へ
6-11 指値でも検証は同じ
6-12 可能な限りシミュレーションを

コラム 単価設定で天国・地獄!?

第7章 業務請負業界の営業戦略とは
7-1 営業力=提案力の時代へ
7-2 付加価値の見せ方を考えよ
7-3 過去の功績や事例をハンドブックに
7-4 何かで一番になる
7-5 サービスを一言で言える商品へ
7-6 プッシュ型からプル型へ
7-7 価格競争から抜け出せ
7-8 社員はすべて営業

コラム 連れて行くだけのビジネスモデルの崩壊

第8章 業務請負業界の求人戦略とは
8-1 なんだかんだ言っても人を集めないと始まらない
8-2 派遣と請負では集め方も違う
8-3 欲しい人材像を明確に
8-4 求人戦略こそPDCAが必要
8-5 請負だからこその口コミで求人
8-6 ハローワークを使い倒せ
8-7 新卒採用こそ安定供給のスキーム
8-8 WEBをトコトン活用する
8-9 定着・育成こそ重要な課題である

コラム 派遣よりも請負の方がイメージが良い!?

第9章 業務請負業界の今後のあり方とは
9-1 請負は単なる抵触日対応ではない
9-2 ニート・フリーターの再生工場へ
9-3 請負だからこそ育つ人達がいる
9-4 日本のモノづくりを底から支援
9-5 請負で働く人達の未来を
9-6 黒・グレーからの脱却が前提条件
9-7 CSRが突破口となる
9-8 NPOとの連携により露出を上げろ
9-9 良い取り組みはFacebookで拡散を
9-10 社員の披露宴で堂々と言える業界へ

コラム 社会的必要性の高いビジネスモデルへ

本書に迫力を与えているのは、著者の山内さんの経歴でしょう。本書にも繰り返し出てきますが、営業職として入社したが務まらず、製造現場作業員としてラインで働き、そのラインリーダーや責任者を経験したことから、上の目次にも出てきますが、営業マンから請負リーダーを育成したり、請負リーダーを営業マンにするといった提言が出てくるのでしょうね。

タイトルの「志」というのは、第9章に表れていますが、特に「請負だからこそ育つ人達がいる」の文章はなかなかインパクトがあります。

・・・今の日本の労働市場はレールから一度はみ出すと正規ルートには戻りにくい状況があります。例えば、何かを理由に短期間に会社を辞めてしまった人や、大学を中退した人、就職活動で内定をもらえなかった人など、一度レールを外れると正社員として雇ってもらうことが困難になり、そのつなぎで入ったバイトや派遣が長期化し、その状況が固定化してしまうような現象です。

では、請負の世界に足を踏み入れることはと言えば、決してハードルが高いとは言えません。もちろん、幹部候補で入るとなれば、ハードルも上がりますが、作業者としてや、リーダー候補として入るくらいであれば、やる気さえあれば難しい話ではありません。

あとは学歴でもなく、経歴でもなく、やる気次第で上に上がれる仕組みがあるわけです。ある種平等な社会とも言えます。過去にとらわれずに結果のみで正当に評価されるのです。

また、請負で結果を出そうとすれば、多くのことを学ぶ必要が出てきますが、それもゼロベースでもよいわけです。筆者は製造請負の世界で育ちましたが、製造の経験は全くなく、むしろ何も知らないくらいでした。しかし、今ではコンサルタントです。

そんな私の経験から、再スタートを希望する方々を請負現場でサポートしてきました。正社員の経験もなく、どこからもビジネスマナーも学んでいない人であっても、ゼロベースで教育していきました。能力がないとかやる気がないわけではなく、単純にレールから外れているだけなのです。

悪い部分にのみフォーカスされ、相手にされないような人材であっても、良い部分を伸ばして再出発のチャンスを与えることができる業界は案外少ないように思います。

この「志」は、若者向けの自立支援などを行うNPOとの連続性を感じさせるものがありますが、それを営利企業という制約条件下でやり抜こうというところが、この本の意義深いところなのでしょう。

そういえば、かつて私も、もう6年近く前になりますが、こういうことを書いたことがあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html(「雇用の格差と人生の格差」(『世界の労働』2006年11月号))

近年注目を集めている就労形態にいわゆる請負労務がある。マスコミのキャンペーンや行政の偽装請負摘発などもあり、請負の要件を充たしていない偽装請負を合法的な労働者派遣に切り替えていくべきというのが大きな流れであるようである。もとより、労働法制の遵守は重要であり、偽装請負をそのままにしてよいわけではないが、それでは適法な派遣形態にすることによって上述のようなフリーター問題が解決していくのかには疑問が残る。派遣労働者として派遣先が一定の使用者責任を負うことはもちろん望ましいことではあるが、逆にそれによって派遣就労が一定期間経過することで断絶し、技能形成されないまま中年になっていくとしたら、結局将来の所得格差の原因となることに変わりはない。

 日本では、戦後下請の系列化が行われ、企業の生産ラインの一部を外部化するような形で協力会社の請負が整理されたという経緯がある。この方向性がこれからも可能であるならば、現在単なる労働力供給元に過ぎない請負企業を協力会社として系列化し、いわば企業グループとしての一定のキャリアパスを提供していくという道があり得るのではなかろうか。親企業の正規労働者として雇い入れることには躊躇するにしても、会社別人事管理の下で親企業の労働者とは一定の賃金格差を維持しつつ、協力会社の労働者として教育訓練を行い、それなりのキャリアを提供していくというやり方で、相当部分を掬い上げることができるように思われる。

 これは何も現在構内請負形態で就労しているフリーターに限られない。現在直用の非正規労働者として就労しているフリーター層を社会的にメインストリームに乗せていくために、あえて別会社の正規労働者として採用して、一定の労務コスト削減を可能にしつつ、将来的な社会的排除のリスクを少なくしていくというのは、現実的な政策として考慮に値するように思われる。


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