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2012年7月16日 (月)

hamachanの批判は的外れ?

昨日追記で紹介した今野晴貴さんのエントリに、こういうコメントがつきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-f253.html(高福祉、低命令、低処遇)

http://blogs.yahoo.co.jp/perspective0301/archive/2012/7/15(ブラック企業問題の本当の論点 )

※書いていることは、ほとんど異論ありません。しかし、ブラック企業というある種のスラングを正確に定義するという方向性には違和感があります。むしろ、ブラック企業という言葉はそれがスラングであるかぎり、曖昧なものであり、そこに意義があるのではないでしょうか。正確な定義としてあげられているものは、なぜブラック企業という言葉が人口に膾炙したかの説明にはなりますが、それ以外の含意を否定する根拠にはならないと思います。なにが言いたいかというと、要はブラック企業という言葉の等価性の連鎖の可能性を、こちらから限定してしまう必要はないということです。その意味では、hamachanの批判は的外れだと思います。検討してみてください。

「hamachanの批判は的外れ」と言われて、今野さんが「検討」するのも変なので、私が検討すべきなのでしょう。

実をいえば、わたくしは広く社会一般において「ブラック企業というある種のスラングを正確に定義」しようとしているつもりはなく、単に労働問題で使われるようになったこの言葉が指している現象の構造を分析しているに過ぎません。

労働問題よりもこっちの問題の方が大事だ!と思っている人が、そのより大事な問題において批判されるべき企業の類型をブラック企業と呼ぶことを禁止できるはずもないし、そんな言葉の取り合い自体無意味でしょう。

問題は、そういう問題意識の異なる多義的な「ブラック企業」という言葉を、あたかも単一の意味を有する言葉であるかのように、単一の悪さの基準で測ったものであるかのような装いの「ブラック企業大賞」というイベントに使用することの是非なのでしょう。

わたくしは、ある種の人々にとって、労働問題などというみみっちい話なんかよりも、原発事故を起こした東京電力こそが最大限に糾弾されるべきであると考えられていることを、それ自体として否定する気はありません。そういう人々が、そういうけしからなさを「ブラック企業」という言葉で表現することも否定すべくもありません。

しかし、そういう「同床異夢」のブラック企業という言葉を同じ「床」の上で使ってしまうと、まさにいまそのブラック企業大賞2012で起こりつつあるような、労働問題としての問題意識が拡散してしまうという事態が不可避的に発生してしまうわけです。

「ブラック企業という言葉の等価性の連鎖の可能性を、こちらから限定してしま」わなければ、そういう拡散現象が起こるとすると、言葉自体の使用を制限することなどできない以上、「床」の限定が必要なのではないか、と思っているだけなのです。

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コメント

東電の場合、自社の従業員(正社員のみ、か?)にとってホワイトであろうとしているからこそ、それ以外のステークホルダーにとってブラック企業である、というある意味強烈な皮肉なのではないでしょうか。
あらゆるステークホルダーに対して「ブラック」でない組織というものは存在しうるのでしょうか?少なくとも日本においては、特定のステークホルダーにとって「ブラック」にならない要求水準があまりにも高すぎるせいで、それ以外のステークホルダーに対してブラックになっているというケースがあまりにも多すぎるような気もしていますが。

たしかに、言葉の意味は日々変化するものです。当初は誤用であっても定着してしまえば、受け入れざるえないことをあるでしょう。自分だけその御用を拒絶しても無意味でしょう。たとえば、いまさら「ホームページは誤用であり、ウェブサイトと呼ぶべきだ。」と主張しても、周囲は個人のポリシーとしてしか受け取らないでしょう。しかし、定着していない状況では誤用に対して異を唱える権利と価値はあると思われます。我々は単なる傍観者ではなく、その言葉を使う当事者の一人なのですから。

前置きが長くなりましたが、「ブラック企業」を「非社会的企業」と拡大解釈するのも、まだ、そのレベルの誤用であり、私は、その拡大解釈には異を唱えるべきだと思います。もともとは、「2ちゃんねる」なんかで使われていた、入社すると「本人が」不幸になる企業を意味する言葉です。たしかに、スラングはナマモノなので、厳密な定義というものを与えるのは難しい性質の言葉だとは思われますが、少なくとも、この範囲を逸脱するような用法は誤りであるとは言えると思います。東電の正社員はブラックではありません。

ところで、「ブラック企業」という言葉について、その意味を分析して、その特徴を明らかにすることは、意義の有ることだと思われます。しかし、その特徴を「ブラック企業」の定義にしてしまうのは誤りだと思われます。

まとめますと、
・言葉の誤用は個人でも指摘できる。
・言葉の厳密な定義を個人で行うのは誤り。
ということであり、「ブラック企業」の定義を拡大する動きには異を唱えましょうということです。

批難と意味を間違えた批判って言葉も当たり前のように使われてますね。
批判って言葉には、本来事実を客観的に判断するって意味があるんですが、今ではそれを知っている人が殆ど居なくなりました。政治家が批難ではなく批判と言えば許されると思ったからなんでしょうかね。ともかく、別の誤用が定着するのは仕方無いとは思いますが、本来の重要な意味が忘れられて、だれも本来の意味に気をつけなくなるのは残念です。(批判的な判断しなくなる等)

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