「年齢に基づくシステム」から「年齢に基づかないシステム」へ
昨年11月10日に行われたエイジングフォーラム2011のパネルディスカッションの議事録が、日経BPのサイトにアップされたようなので、リンクを張るとともに、私の発言部分を引用しておきます。
上の写真にあるように、このパネルディスカッションは太田聰一氏(慶應義塾大学経済学部教授)を座長に、濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構統括研究員)、脇坂明氏(学習院大学経済学部教授)、西島篤師氏(西島代表取締役社長)の4名で行われたものです。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/gdn/20120531/310793/
太田 最近、ある大企業が、撤廃した定年制を復活させたというニュースがあった。先進的な取り組みが失敗したことに驚かされたが、そのことを思い起こすと、西島社長の会社で、定年制のない働き方がうまく機能していることに大きな関心がある。
このことを念頭に置いて、まずは濱口先生に伺いたい。講演で話されていたように、日本では「年齢に基づくシステム」が浸透している。それを、「年齢に基づかないシステム」に転換していくことには大きな困難が予想される。転換の際のネックになり得ることを具体的にお聞きしたい。
濱口 システムには2つの側面がある。企業の人事管理というミクロなシステムと、社会保障をはじめとする社会全体のマクロなシステムの2つだ。そして、両者は相互作用しあっている。
世の中の多くの企業、特に大企業で、「年齢に基づく」人事管理システムが採用されている。そして、そのことを前提として、社会保障をはじめとする社会全体のマクロなシステムでも、「年齢に基づく」制度が導入されている。実は、西島社長のお話にあったように、20年、30年ほど前までは、「年齢に基づかない」定年制のない中小企業が多数あった。いまではそれが珍しい存在になっているのは、中小企業のミクロな人事制度が、社会システムの影響を受けた結果だ。
大企業で採用された「年齢に基づく」人事制度が、マクロな社会制度の前提となり、その影響が中小企業にまで波及した。その結果、企業規模に関わらず、定年制が社会の標準的なシステムとなった。賃金制度でも同じことが言える。年齢が上がると、生活にはより多くの費用がかかる。そこで、まず大企業が、賃金と福利厚生を組み合わせて、生活費の上昇をまかなう制度を導入した。中小企業では、高度成長期頃までは福利厚生が充実していないところが多く、その部分を補う国の制度が充実していたが、次第に、大企業モデルが社会全体の制度を議論する際のベースになっていく。すると、国の制度は無駄だという論調が主流になり、いずれ国の制度は廃止される。そうすると、中小企業もマクロな社会制度にあわせざるを得なくなる。
ミクロとマクロのシステムが、このように相互作用しあっているなかで、一企業がそれと違うことをやろうとしても、矛盾やうまくいかない部分が出てくるのはある意味で仕方がない。それが、企業単独でのシステム転換に大きな困難が伴う要因だ。このような状況を考えると、「年齢に基づくシステム」から「年齢に基づかないシステム」への転換を果たすためには、社会全体としてそういう方向に向かっていくスローガンを掲げる必要がある。マクロレベルでのシステムの転換と、ミクロレベルでのシステムの転換を同調させていく必要がある。
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濱口 いまのお話は、この問題を議論するときによく言われることだ。ある人は、定年のない社会とは、いつでも首切りの社会だと、定年制の撤廃に反対する。「いつでも首切り」という言い方は非常に刺激的だが、何事も自己責任で片付けようとするから、そういう極端な議論になる。
しかし、現実には、必ずしもそうはならないだろうと思っている。それには、西島社長が、「人は60歳になっても70歳になっても常に進化していく」と話されていたことがヒントになる。労働政策としては、ある人の能力が足りないからその時点でおしまいにならない仕組みをつくればいい。企業はもちろんのこと、国や地域社会が一体となって、個々人の能力開発を支援するシステムをつくることができれば、年齢に縛られることなく働き続けられるようになる。とはいえ、下支えのシステムが整備された場合でも、会社を辞めざるを得ないケースもあり得る。その場合は、労働政策だけでなく、福祉政策も組み合わせて対応していけばいい。
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濱口 高齢者雇用の話をすると、若者の雇用はどうするのかと言われる。何が定年延長だと、そんなことをしたら若者の雇用が減るではないかと言う人たちもいる。それは確かに難しい問題で、あながちまったく間違いではない面があるものの、やはり根っこは間違っているというのが私の見解だ。
あながち間違いではないというのは、脇坂先生が出されたラジアのモデル(定年仮説)にあるように、自分の生産性よりも高い給料をもらっている人が会社に居座り続けられるのは困るということだ。その場合、若者の雇用が減るという指摘は確かにその通りだ。
ただ、ラジアのモデルはやや単純化されすぎている。実際には、中高年でも年齢を重ねるごとにスキルは徐々に上がっていく。ところが、定年制の最大の弊害は、定年制があることによって、ある時期以降、「これ以上頑張っても仕方がない」と、成長しようという動機がなくなることだ。西島社長の言葉で言うと、進化が止まってしまうことだ。進化が止まった人が高給をもらい続けるのは理に合わない。若年層の雇用を考えると辞めてもらうより仕方がない。それをそのまま雇い続けようとすると若者につけが回るというのはその通りだが、それは仕組みそのものが生んだ結果であって、技能に報酬が連動する仕組みになり、高齢者も若者も技能に応じて報酬が決まるようになれば、決して若者と高齢者の利害が対立するものではない。根っこでは間違っているというのはそういうことだ。
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