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2012年6月23日 (土)

ソーシャルに目覚めた赤木智弘氏がリベサヨ全開の反原発デモに反発するのは当然である

赤木智弘氏が、反原発デモをひっぱたいていますが、

http://twitter.com/#!/T_akagi

反原発デモは、日本のエセ民主主義の発露だな。結局イデオロギーで叫んでさえいれば、気持ちいいんだね。

エネルギー問題は経済の問題である。経済を語らぬ反原発運動に価値はないし、経済問題を軽視するのであれば、それは貧困や格差問題を重視するものにとっては、当然批判の対象である。デモを報じろ、主張を取り上げろというなら、当然そうした批判にさらされる。そのくらいの覚悟はあるだろ?

僕は今回の反原発デモの高まりを「解決できる問題からの離脱」であると見ている。個別事例の細やかな検証から、イデオロギーへのバックラッシュであり、本質は生保叩きあたりと、なにも変わることはない。

さっきの報道ステーションを見ても、ひたすらら「再稼働やめろ」の声ばかりであり、貧困問題など、誰も論じてはいない。デモ参加者の個人的な意識など関係なく、デモでは「デモによって表現されたもの」がすべて。ランキンタクシーの歌詞や、遺影の扱いもそういうこと。

かつて、赤木氏の著書を、いささか揶揄的に評したこともある立場からすると、すっかりソーシャルになってリベサヨ感覚全開の反原発デモを批判する赤木氏の姿は、それはそれで頼もしく見えます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

赤木さんはあとがきで、こう言います。

>ええ、わかっていますよ。自分が無茶なことを言っているのは。

>「カネくれ!」「仕事くれ!」ばっかりでいったい何なのかと。

それは全然無茶ではないのです。

そこがプチブル的リベサヨ「左派」のなごりなんでしょうね。「他人」のことを論じるのは無茶じゃないけど、自分の窮状を語るのは無茶だと無意識のうちに思っている。

逆なのです。

「カネくれ!」「仕事くれ!」こそが、もっともまっとうなソーシャルの原点なのです。

それをもっと正々堂々と主張すべきなのですよ。

無茶なのは、いやもっとはっきり言えば、卑しいのは、自分がもっといい目を見たいというなんら恥じることのない欲望を妙に恥じて、その埋め合わせに、安定労働者層を引きずりおろして自分と同じ様な不幸を味わわせたいなどと口走るところなのです。そういうことを言えば言うほど、「カネくれ!」「仕事くれ!」という正しい主張が伝わらなくなるのです。

(以下はネタです)

http://twitter.com/sankakutyuu/status/216338558007508992

何で金くれ仕事くれと正直に言わないのかと散々赤木に詰問した挙げ句ブロックされたのが俺です。

http://twitter.com/sankakutyuu/status/216338727541288960

まあ、わかってくれたならよかった(超上から目線)

http://twitter.com/sankakutyuu/status/216339777761460225

赤木はノンワーキングリッチから仕事を奪い去れるなら若者が幸福にならなくても良いって言ったのでクソ野郎だと思ってたんだけど反省したんですね(超上から目線)

http://twitter.com/sankakutyuu/status/216340678437908481

新著ではリベサヨ放棄した模様なので少しは心変わりしたんじゃないでしょうかね。

http://twitter.com/sankakutyuu/status/216341710484160512

つるんでた城繁幸のアホさに気づいてくれれば御の字です

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コメント

ブックマークのコメントにも指摘がありますけど、原発による地域格差や労働者の問題のように、ソーシャルな部分に属する問題を反原発はずっと扱ってきたのですが。
原発を存置する場合の経済的負担(具体的には放射性廃棄物の処理そのもの及びその費用と事故後の処理の費用)の問題も、それこそチェルノブイリの事故の頃から議論されてて未だに問題解決の糸口が見えてこない問題です。
それに原発問題に限りませんけど、水俣病を初め日本の公害に関する運動は、そういう経済成長を第一に優先する考え方に対する疑問から出発しているという側面もあるはずです。

今回の反原発デモの参加者にも、こうした経済的な事情や公害の被害者の生活に関心を払っていた人が参加していた可能性があるのではないですか?
またこのような問題意識があるかは読めてないですが、雨宮処凛ら人々の生活問題に深くコミットしていて、かつて濱口さんが定義した「リベサヨ」から明らかに遠い識者も多数参加していたみたいなのですが……。
こうした可能性や事情を無視して、反原発デモ=リベサヨと一括に括るのは、あまりにも乱暴なラベリングだと思います。
赤木さんの『デモ参加者の個人的な意識など関係なく、デモでは「デモによって表現されたもの」がすべて。』というツイートは、むしろ今回のような乱暴なラベリングにデモが利用されることへの警告ではないでしょうかね。
(尤も赤木さんも、こうした反原発側の事情は知らない可能性がありますが……。)

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