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2012年6月 6日 (水)

気がついたら城繁幸氏が同じことを言うてました

6月2日に、こういうエントリをかいたわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-db49.html(頭の整理のために)

何にせよ、こういう「親族だから養え」論というのは、近代化の遅れたアジア諸国等でよく見られる現象で、一族の誰かが成功すると、どこからともなく一族と称する連中がうようよ湧いてきて山のように徒食するという事態が観察されるわけですが、今日の日本の有力なマスコミや政治家の皆さんは、日本をそういう社会にしたいとでもいうような異様な迫力を感じさせるものもありますね。

社会が近代化するということは、そういう発想を払拭して、お金をたくさん稼ぐ人はたくさん稼いで、それをたくさん納税して、それが(親族であろうがなかろうが)働けない人々の生活維持のための原資に使われるという社会のあり方に移行するということにはずであったのですけど・・・。

気がついたら、城繁幸氏がほぼ同じ趣旨のことを書いていたようです。

http://www.j-cast.com/kaisha/2012/06/04134359.html?p=all(ザ・シミュレーション生活保護2030)

成人したら完全に個人として扱い、そのための原資は所得に応じてみんなで負担する。それが近代的社会保障の原則であり、他国はそうやって古い社会から開かれたオープンな社会へと進化してきたのだ。

そんな中、まるで戦前に先祖返りするかのような日本の決定は、他国からは奇異の目で見られた。とはいえ、山本君のような国民の多くは、そんなことも知らぬまま、有名人が謝罪会見を開くたびに歓声を上げて騒いでいた。

・・・「これじゃあ、おちおち子育てもできないな。だいたい、生まれによって人生の選択肢が決まってしまう社会なんておかしいよ。国は親族に頼らなくても済むような新制度を早急に作るべきだ」

話を聞くだけだった嫁が、ぽつりとつぶやいた。「でも、それって昔の生活保護制度と何が違うの?」(城繁幸)

この問題に関しては、ほぼ同じ見解のようです。

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コメント

>本来は、もっと早い段階で、年金制度の一元化や積立方式への移行等、社会保障制度自体の持続可能性を高める抜本改革に着手しつつ、

全体として主張していることはきわめて正論だとは思いますが、この一言は余計でしょう。行うべきは、非正規労働者への厚生年金の適用拡大など、社会保険方式に伴う適用者の取りこぼしを少なくする政策です。

結局、リベサヨの方々が醸成に一役買った国民の政府に対する不信感、税金をなるべく取られたくないという社会規範が問題なのでしょう。だから税と社会保障の一体改革でも社会保障の内容に関する議論はあまり関心を呼ばず、税負担をを以下に避けるかという点から軽減税率の議論が注目されてしまう。医療でも高収入のある高齢者は自己負担の割合が高くなりますが、本来医療保険は疾病に対するリスクヘッジのために存在するものであり、場合によっては何百万という大金がかかることを考えると不可解な制度です。
私は、サラリーマンと自営業者の所得補足の差こそ不公正であると考えるから、間接税をしっかり取った上で所得に関係なく現物給付の社会保障として給付を充実させるのが筋であると考えます。よく新自由主義者は高額所得者に逃げられないように、高額所得者への税負担を軽くするべきだと主張しますが、給付の充実は逃散対策としても有効でしょう。高額所得者ほど国の制度を最大限に活用する傾向がありますから。また、その方が制度設計も単純になり、生活保護の分野でも不正受給者対策、積極的労働市場政策といった本来リソースを振り分けるべき分野に資金を投入することができるでしょう。

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